オシラサマについて − オシラサマは「お知らせ様」?


今回は、民俗学者である「柳田國男」が、明治43年(1910年)に発表した説話集『 遠野物語 』の第69話で取り上げた、【 オシラサマ 】を紹介したいと思います。

遠野物語 』は、皆さんご存知の通り、「岩手県遠野市」出身の小説家「佐々木 喜善(ささき きぜん)」が、柳田國男に語った遠野地方の民話を、後日編集した説話集です。

遠野物語 』と言えば、「天狗」、「河童」、「座敷童子(ざしきわらし)」等が有名だと思います。

今回、【 オシラサマ 】を取り上げるに辺り、最初は、ちょっと不気味な感じがしましが、「宮崎 駿」監督も、映画「千と千尋の神隠し」で「オシラサマ」を出演させましたから、少しは安心かと思い紹介することにしました。

ちなみに、映画においては、右の画像の様にカワイイ、「大根」のような神様として現れており、名前も「おしらさま」と「ひらがな表記」でしたが、実物は、ページ上部の画像の様に、男女の顔や馬の顔を、「桑の木」に彫った人形になります。

やはり、映画で実物を使ったら、不気味ですよね。

実は、この「オシラサマ」、今から500年ほど前から、東北地方で信仰されてきた神様であることは、岩手県九戸郡種市町に、戦国時代の大永5年(1525年)と記名された「オシラサマ」が存在することから明らかです。

しかし、人形の作成年月だけは明らかですが、実際の信仰自体は、何時頃から信仰され続けてきたのかは不明です。

また、その地方により「蚕(かいこ)の神様」、「農業の神様」、「目の神様」、あるいは「馬の神様」と、様々な言い伝えがあり、正確な内容が、いまだに解明されない神様です。

上記「種市町」とは、あの「あまちゃん」で有名になった「種市先輩」の「種市町」です。

★過去ブログ」三陸海岸イベント特集(http://msystm.co.jp/blog/20130525.html)


今回は、「オシラサマ」に関して、次の様な内容を紹介したいと思います。

遠野物語とその背景について
遠野物語における「オシラサマ」(動画付き)
オシラサマの概要説明

今回も宜しくお願い致します。

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遠野物語とその背景について


最初に、【遠野物語】の背景について紹介したいと思います。

左の画像が、【遠野物語】の初版本で、「ニコライ・ネフスキー」と言うロシア人の言語学者の蔵書を、遠野市立博物館が、2005年9月に入手したそうです。

遠野物語】の初版本は、前述の通り、明治43年(1910年)に出版されましたが、初版本は、定価50銭で350部しか発売されず、しかも、その内200部は、柳田本人が購入し、親しい友人に寄贈してしまったそうです。



初版本を送った相手は、島崎藤村田山花袋泉鏡花ら、当時の文学界を代表する面々ですが、その中に、留学生として来日し、ロシア革命で帰国を断念し、日本で教鞭を取ったニコライ・ネフスキーも含まれます。

この初版本については、全てに連番が印刷されており、ニコライ・ネフスキーに送った本は、200号だったようです。


ニコライ・ネフスキーは、その後、1929年(昭和4年)に、日本人の妻(北海道出身の萬谷イソ)と、ロシア革命後に誕生したソビエト連邦共和国に帰国し、レニングラード大学の教授になりましたが、1937年(昭和12年)に、日本とのスパイ活動を疑われて、国家反逆罪で妻と共に銃殺刑に処されてしまったそうです。


ニコライ・ネフスキーは、東北から沖縄まで、日本全国の調査旅行を行い、大正6年(1917年)に、遠野市の「佐々木 喜善」の元を訪れ、一緒に付近の神社を調査したり、「オシラサマ」の研究を行ったりした記録があります。

そして、ネフスキーは、「佐々木 喜善」の元を訪れた翌年の大正7年(1918年)、当時の土俗学雑誌「土俗と伝説」の第1巻/第2号に、「遠野のまじなひ人形」と言う論文を掲載しました。

この「まじなひ人形」とは、明らかに「オシラサマ」のことですが、同じ雑誌の第1巻/第1号には、「佐々木 喜善」も「おしら神異聞」と言う論文を掲載しております。これらの事から、両者が共同研究を行った事は明らかだと思われます。

ちなみに、ネフスキーに関しては、1957年、折からのスターリン批判により夫婦の名誉回復が行われ、サンクトペテルブルグ大学の日本語学科の教室には、彼の肖像写真が掲示されたそうです。

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さて、話を【 遠野物語 】に戻しますと、【 遠野物語 】は、前述の「佐々木 喜善」が収集した民話・昔話を、柳田國男が整理・編集したものになりますから、悪く言えば「パクリ小説」です。

しかし、もしも「柳田 國男」が【 遠野物語 】と言う説話集を作らなければ、遠野の地方の民話は「口承文学」ですから、この世から消えてしまったかもしれません。

さらに、後日、「柳田 國男」によると、『 「佐々木喜善」は訛りがひどく、聞き取るのが大変だった』と語ったことから、編集作業も大変だったと思われます。

このように、民俗学的見地から考察すれば、「柳田 國男」の功績は非常に大きいと思われます。


さて皆さん、【 遠野物語 】と言う説話集は、1冊だけと思ってませんか?

実は、本編に加え、昭和10年(1935年)に、続編となる【 遠野物語拾遺 (とおのものがたり-しゅうい)】という本が出版されております。

本編となる【 遠野物語 】には119話が納められ、続編となる【 遠野物語拾遺 】には、何と299話も収録されております。実は、続編である【 遠野物語拾遺 】の方が、【 遠野物語 】より長くなります

一説によれば、佐々木喜善から収集した資料が膨大過ぎたため、続編を作るのに時間が掛かってしまったと言われますが、その間に、佐々木喜善は、昭和8年(1933年)、48歳で病により他界してしまったそうです。

また、【 遠野物語 】は文語調で解りにくいと言われますが、【 遠野物語拾遺 】は口語調のため解りやすいとのことです。事実、【 遠野物語 】に関しては、注釈本も出版されている程ですから、本当に解りにくいのだと思います。

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遠野地方の昔話・民話を収集していた「佐々木 喜善」と言う人物ですが、実は、彼の祖父が、地元でも有名な昔話の「語り部」だったようです。

このため、祖父から昔話を聞くことで妖怪系の話に興味を持ち、大学も、日本における「妖怪研究のエキスパート」である「井上 円了(いのうえ-えんりょう)」が設立した「哲学館(後の東洋大学)」に進学したそうです。

「井上 円了」は、「妖怪学」の講義を行いましたが、「佐々木 喜善」が哲学館に入学した頃は、既に哲学館を退職していたため、次に小説家を志して早稲田大学に転向してしまったようです。


しかし、「佐々木 喜善」は、元々体が弱かったため、大学を休学・中退して地元に帰り、その後は、村長になったそうですが、どうも職務怠慢や経済的困窮により、村長の職も辞職してしまったようです。

その職怠慢の理由と言うのが、『 前夜に見た夢が気味悪いから出勤しない 』と言う事らしく、怖いものが好きな反面、とても臆病だったらしいです。私と一緒です。

また、「座敷童子」のつながりで、花巻に住んでいた「宮沢 賢治」とも親交が深かったようです。


「佐々木 喜善」が、雑誌の記事「ザシキワラシとオシラサマ」を書く際に、「宮沢 賢治」の童話「ざしき童子のはなし」の内容を紹介したことから、交流がはじまったそうです。

当初は遠野と花巻という、距離的に近いことも幸いし(後に佐々木は仙台に移住)、二人は、信仰する宗教の違いで言い争うことはあったようですが、民話、信仰、霊界の話でお互いに盛り上がったようです。

しかし、知り合ってから5年後、昭和8年(1933年)9月21日に「宮沢 賢治」が亡くなると、賢治の死を号泣して悲しんだ「佐々木 喜善」も、その八日後、9月29日に、仙台で亡くなってしまったそうです。

なお、「佐々木 喜善」は、同じく岩手県出身の言語学者である「金田一 京助」から、【 日本のグリム 】と称されたそうです。

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遠野物語における「オシラサマ」(動画付き)

次に、【 遠野物語 】の中に登場する「オシラサマ」とは、どのような物語なのかを知って頂くことから始めたいと思います。

まず、【 遠野物語 】における「オシラサマ」の物語(第69話)は、次の様な内容になっております。

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●原文
今の土淵村には大同と云ふ家二軒あり 山口の大同は当主を大洞万之丞と云ふ 此人の養母名はおひで、八十を超えて今も達者なり 佐々木氏の祖母の姉なり 魔法に長じたり まじなひにて蛇を殺し、木に止れる鳥を落しなどするを佐々木君はよく見せてもらひたり

昨年の旧暦正月十五日に、此老女の語りしには、昔ある処に貧しき百姓あり 妻はなくて美しき娘あり 又一匹の馬を養ふ 娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、終に馬と夫婦に成れり 或夜父は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きゐたりしを、父は之を悪みて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首に乗りたるまま天に昇り去れり オシラサマと云ふは此時より成りたる神なり

馬をつり下げたる桑の枝にて其神の像を作る 其像三つありき 本にて作りしは山口の大同にあり
之を姉神とす 中にて作りしは山崎の在家権十郎と云ふ人の家に在り 佐々木氏の伯母が縁付きたる家なるが、今は家絶えて神の行方を知らず 末にて作りし妹神の像は今附馬牛村に在りと云へり

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確かに、文語調ですから、読みにくい文章です。それを現代語に訳すと、次の様な内容となります。

●現代語訳

今の土淵村には大同という家が二軒ある 山口の大同は、当主を大洞万之丞という この人の養母の名はおひで、八十を超えて今も達者である 佐々木氏の祖母の姉である 魔法に長じている 呪詛で蛇を殺し、木に止まっている鳥を落としたりするのを佐々木君はよく見せてもらった

昨年の旧暦正月十五日に、この老女の語ったことには、
昔あるところに貧しい百姓がいた
妻はなくて美しい娘がいた
また、一頭の馬を飼っていた
娘がこの馬を愛して、夜になると厩に行って寝、ついに馬と夫婦になった
ある夜、父はこのことを知って、その次の日に、娘には知らせず、馬を連れ出して、桑の木に吊り下げて殺した
その夜、娘は馬がいないのを父に尋ねてこのことを知り、驚き悲しんで、桑の木の下に行き、死んだ馬の首にすがって泣いていたが、父はこれを憎み、斧でもって後ろから馬の首を切り落すと、たちまち娘はその首に乗ったまま天に昇り去った
オシラサマというのはこのときから成った神である

馬を吊り下げた桑の枝でその神の像を作る その像は三つあった 最初に作ったのは、山口の大同にある これを姉神とする 次に作ったのは、山崎の在家権十郎という人の家にある 佐々木氏の伯母が嫁いだ家であるが、今は家が絶えて神の行方はわからない 最後に作った妹神の像は、いま附馬牛村にあるという

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悲しくもあり、ちょっと不気味さも感じる物語です。今でいう、「都市伝説」に近い感じがします。

次に、【 遠野物語拾遺 】における「オシラサマ」の話(第77段)には、次の様に記載されています。

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遠野の町あたりでいう話は、昔ある田舎に父と娘とがあって、その娘が馬にとついだ。父はこれを怒って馬を桑の木に繋いで殺した。娘はその馬の皮をもって小舟を張り、桑の木の櫂を操って海に出てしまったが、後に悲しみに死んで、ある海岸に打ち上げられた。その皮舟と娘の亡骸とから、わき出した虫が蚕になったという。
さらに土淵村の一部では、次のようにも語り伝えている。父親が馬を殺したのを見て、娘が悲しんでいうには、私はこれから出て行きますが、父が後に残って困ることのないようにしておく。春三月の十六日の 朝、夜明けに起きて庭の臼の中を見たまえ、父を養う物があるからと言って、娘は馬と共に天上に飛び去った。やがてその日になって臼の中を見ると、馬の頭をした白い虫がわいていた。それを桑の葉をもって養い育てた云々というのである。

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遠野物語拾遺 】の話は、【 遠野物語 】と比べると、「馬」と「娘」と言う大筋は同じですが、細部が異なるようです。「海」とか「馬の皮」、あるいは「蚕」等が登場します。

特に、「海」に関しては、遠野は、北上山地と太平洋の中間地点辺りに位置しますから、直接海に行くことはできません。

恐らくは、別の地方から伝えられた話と、元々地元に存在した話が融合した結果だと思われます。


但し、「馬」に関しては、東北地方、特に岩手県においては、古くから「南部曲り屋(家)」と言う、馬と人間が、一つ屋根の下で、家族同然の暮らしをする特殊な建築様式の家屋があります。

また、馬の無病息災を願う「チャグチャグ馬コ」と言う神事もありますから、盛岡出身の私にとっては、「馬と人間が結婚する」と言うのは、さすが冷静に考えれば変ですが、それほど違和感はありません。


しかし・・・自分の子供と愛馬の死骸から湧き出した「虫」って、俗に言う「ウジ虫」ですよね !?

う〜ん、さすがに気持ち悪いですが、これが「養蚕」の起源になる訳ですから、「オシラサマ」が、「蚕の神様」や「家の神様」と言われる由縁だと思います。

また、「馬」と「人間」、特に女性との婚姻関係を巡る伝説に関しては、「馬娘婚姻譚(ばじょう-こんいんたん)」と呼ばれ、古くは中国の【 捜神記(そうじんき) 】と言う書物が始まりとされます。

この【 捜神記 】は、中国の「東晋(317〜420年)」時代に書かれた書物です。

今回は、【 捜神記 】の紹介は割愛しますが、中身を読んでビックリです。細部は当然異なりますが、話の流れや重要キーワードは、【 遠野物語 】や【 遠野物語拾遺 】とソックリです。

娘 → 馬 → 父親 → 殺害 → 皮 → 天に飛び去る → 蚕 → 桑

さらに、人間と馬だけでなく、人間と動物、その他との婚姻を巡る伝説は、日本は元より、世界中に神話として登場します。

この場合、「馬娘婚姻譚」でなく、「異類婚姻譚(いるい-こんいんたん)」と呼ばれますが、次の様な神話や伝説があります。

ギリシア神話 :ゼウスが鳥や牛に成って女性をさらう
グリム童話 :カエルの王(王子)様
古事記 :イクタマヨリヒメ伝説

このように、世界各国の神話や伝説が、中国経由で日本に伝えられ、その後、日本独自の解釈や、地元の特徴や風土等が組み込まれた話が、【 遠野物語 】や【 遠野物語拾遺 】になったと考えられます。

また、青森県の「恐山」にいる有名な「イタコ」も、死者や祖先との「口寄せ」を行うだけでなく、「オシラサマ」を祀る「オシラセアソビ」なる儀式を執り行う役目を担っています。

「イタコ」の存在と「オシラサマ」、どちらが古いのかは解りませんが、「イタコ」は、元々は「巫女」の一種です。

「巫女」と言えば、「卑弥呼(ひみこ)」が有名ですが、「イタコ」も「オシラサマ」も、どちらも自然発生的に生まれ、その時の必要に応じて結合したと考えるのが妥当だと思われます。

ちなみに、「オシラサマ」は、次の様な理由により、「お知らせ様」と呼ばれる、と言う説もあります。

・幸せや不幸を教えるから
・蚕の事を教えたから
・狩人に道を教えたから

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本章の最後に、Youtubeにアップされた「オシラサマ」の動画を紹介します。但し、この動画の語り部「まりこ」さんの話は、上記【 遠野物語 】とも【 遠野物語拾遺 】とは異なり、両者の話を組み合わせた話のようです。

何とも興味深い話ですが、遠野地方の語り部が話す「オシラサマ」は、ほとんどが【 遠野物語 】と【 遠野物語拾遺 】の話を組み合わせた内容みたいです。

それと、この「まりこ」さん、当然、地元(遠野)の方ですから、(失礼とは思いますが)訛りがすごいため、盛岡出身の私でさえ、一部意味が解らないところがありました。

この動画は、「mitaponpon」と言う方が、「おしらさまの話」と言う題名でアップしたものになります。(サイズ:24.2MB/再生時間9分27秒)


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オシラサマの概要説明


前述の通り、「オシラサマ」は、東北地方、特に岩手県青森県において、「オシラサマ信仰」と言う形で受け継がれてきましたが、一部は、関東・甲信越地方にも伝承されたようです。

呼び名やご神体も、地方により微妙に異なり、北から順に、次の様な呼び名となります。

青森県オシラサマ、イサマ、オシラ様、イタコ、オグナイサマ、お白様
岩手県オシラサマ、おしら様、オクナイサマ、シカリ、オシラホトケ、お知らせ様
秋田県:おしら様
宮城県オシラサマ
山形県:オコナイ様、オシラガミ
福島県:おしら様、オシンメ様、オシンメイ様、オシラガミ
群馬県オシラサマ
山梨県:おしら様

また、何を守る神様か、と言うと、「桑の神」、「農業の神」、「馬の神」、「家の神」、「火の神」、「目の神」と、これも、その地方によって神様の種類が異なります。

これは、「オシラサマ」を祀ることで、何に御利益があったのか、また逆に、「オシラサマ」を粗末に扱ったことで、何に災いをもたらしたのかに因っても異なると推測されます。

例えば、【 遠野物語 】や【 遠野物語拾遺 】の内容、あるいは遠野の語り部の話の様に、「蚕」や「馬」関係の伝承であれば、それは「蚕の神様」、あるいは「馬の神様」となります。

また、「オシラサマ」を粗末に扱ったら、目の病気になったという伝承であれば、それは「目の神様」として語り継がれると推測されます。

オシラサマ」は、普段は、木箱に入れて床の間に祀られたり、あるいは神棚に祀られたりしますが、毎年旧暦の1月16日に取り出して新しい着物を着せるそうですが、この儀式を「オセンダク」と言うそうです。


この様に、地方により「オシラサマ」の内容が異なりますが、本ブログにおいては、【 遠野物語 】や【 遠野物語拾遺 】の地元である岩手・遠野の内容中心に紹介したいと思います。


●包頭型

これが、「包頭型」と呼ばれる「オシラサマ」になります。

ご神体自体は、幾重にも重ねた布の中に納められており、中身のご神体が女性なのか、馬なのか、あるいは男性なのかは判別できません。

●馬頭貫頭衣(かんとうい)型

これが、「貫頭衣(かんとうい)型」と呼ばれる「オシラサマ」になります。

見て解る通り、ご神体は「馬」です。貫頭衣とは、布の中央に孔をあけ、そこから頭を出して着る外套の様な着物です。

別名、チェニック、ポンチョとも言います。

●女性貫頭衣(かんとうい)型

これも「貫頭衣型」と呼ばれる「オシラサマ」ですが、ご神体は女性となります。




●男性貫頭衣(かんとうい)型

最後は、ご神体が男性の「オシラサマ」です。この「オシラサマ」は非常に珍しく、頭に「烏帽子」を被ります。

一説には、これは烏帽子を被った姫、つまり早池峰山の「烏帽子(えぼし)姫」だと言う話もあります。

また、「烏帽子姫」を「えぼし御膳」とすると、再度ジブリの映画につながりますが・・・


●御蚕神(オシラ)堂

まとめとして、遠野市にある「伝承園」を紹介したいと思います。

この「伝承園」は、昔の遠野の生活風景を、後世に伝えるための文化施設ですが・・・その中に、なんと一千体の「オシラサマ」を展示する「御蚕神(オシラ)堂」なる施設があります。

その中には、文字通り、1,000体の「オシラサマ」が展示されております。

画像で見ると、色とりどりの布のせいで華やかですが・・・訪問した方のブログによると、かなり不気味だそうです。

実際、感受性の鋭い(つまり霊感の強い)方など、吐き気がする程、気持ち悪いそうです。

遠野物語100周年記念ラムネ

最後に、オマケですが、2010年に、【 遠野物語 】発刊100周年記念として売り出された「遠野物語100周年記念ラムネ」も紹介します。

この商品は、現在は、もう販売が終了してしまったようですが、上述の様に、【 遠野物語 】の発刊100周年を記念して、下記会社が発売した商品です。

・トレボン食品株式会社(宮城県仙台市宮城野区小田原2-3-18)

この会社は、以前にも「太宰治生誕100周年記念ラムネ」と言う商品も発売したようです。

ビンのイラストは、見てお解りの様に、【 水木しげる 】先生のイラストです。右から順番に、座敷わらし、河童、オシラサマになります。


それと、【 水木しげる 】先生は、「水木しげる遠野物語」と言う漫画を作成しておられますし、この100周年記念のポスターも作成されたようです。

この画像は、遠野駅前に設置された「顔ハメ看板」ですが、以前は、映画「河童のクゥと夏休み」だったようです。

ちなみに、上記ラムネは、1本130円で発売されたそうです。

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以上が、【 遠野物語 】、および【 遠野物語拾遺 】に出てくる「オシラサマ」の紹介でした。

今でも謎だらけの「オシラサマ」ですから、どちらかと言うと、今回は、ミステリー系の話になってしまったような感じです。

しかし、私の個人的趣味から言うと、ミステリー系の話は大好きな方ですから、今後も、【 遠野物語 】の話を取り上げたいと思っております。次は、有名な「カッパ」かな・・・

最後になってしまいましたが、遠野市にある「伝承園」の情報をご紹介して、今回のブログを終わりたいと思います。

ご精読、ありがとうございました。次回も宜しくお願いします。

【伝承園の情報 】

●開園時間 :午前9時〜午後5時(入園受付は午後4時30分まで)
●入園料 :大人…310円 / 小・中・高校生…210円
●休園日 :年中無休
●駐車場 :無料駐車場有(バス8台・乗用車100台)
●URL :http://www.densyoen.jp/
●アクセス :〒028-0555 岩手県遠野市土淵町土淵6地割5番地1
TEL:0198-62-8655 FAX:0198-62-0164
レンタル自転車で遠野駅から30分

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E7%89%A9%E8%AA%9E)
・公益財団法人岩手県観光協会(http://www.iwatetabi.jp/)
・ウチノメ屋敷(http://www.uchinome.jp/index.html)
・いわての文化情報大事(http://www.bunka.pref.iwate.jp/)
遠野市立博物館 (http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/35,25002,166,1,html/)
・ロシアが気になる(http://amihappy.exblog.jp/)
・気圏オペラの役者たち(http://www.dekunobou.com/kiken-opera/kiken-opera-sasaki.htm)
・ぷれしゃす・もーめんと(http://shirow.asablo.jp/blog/)
・日本古典文学摘集 (http://www.koten.net/tono/gen/069.html)
・怪異・妖怪伝承データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB2/)
遠野物語発刊100周年記念のイラストは「水木プロダクション」の登録商標です(http://www.mizukipro.com/)
・岩手・遠野 伝承園 (http://www.densyoen.jp/)

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