座敷童子 - 神か霊か、はたまた妖怪か ? (その1)

 皆さん、「座敷童子(わらし)」はご存知ですよね ?

 

見た事は無いにしても、様々なTV番組でも取り上げていますので、「座敷童子」と言う言葉だけは聞いた事があると思います。

 

「座敷童子」の容姿は、見た人や、その場所によって異なるようですが、「遠野物語」に記載されている内容を「柳田國男」に伝えた、遠野の収集家 兼 作家の「佐々木喜善」は、「座敷童子」が、『 赤顔垂髪の童子/童女 』と定義付けたようです。

 

上記の画像は、妖怪漫画で有名な故「水木しげる」氏が考えた「座敷童子」ですが、何か、ちょっと違うかな~と言う感じがします。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

また、「座敷童子」の正体に関しても、陸に上がった河童とか、その昔、飢饉の時に間引かれた子供であるとか、様々な「正体説」が語られています。

 

 それ以外にも、猿、妖怪、竜宮童子、あるいは火男(ひょっとこ)等、色んな「正体説」が取り上げられています。

 

これら、様々な「正体説」は、暇な大人が、適当な意見を喋っているだけなのかと思ったのですが、民族学者や文学者、あるいは作家等が、結構、真剣に調査して発表した内容になっています。

 

それにも関わらず、未だ、「座敷童子」の正体は謎のままですが、この点に関しては、後で詳しく紹介します。

 

まあ、世間一般、誰でも、そして何時でも「座敷童子」が見える訳ではありませんし、そもそも、その存在自体を否定する人も存在する訳ですから、「座敷童子」の正体など、突き止める事自体が無理な話です。

 

また、「座敷童子に会える」等と言う宣伝文句で客を集め、挙句の果てに、ボイラーの点検不備から火災を起こして全焼させてしまった某旅館もありますが、私個人としは、このような宣伝行為は、立派な「詐欺」ではないかと思っています。

 

今回は、このような迷信の真偽を含め、「座敷童子」に関して、次のような内容を紹介したいと思いますが、説明が結構長くなってしまったので、今回と次回の2回に分割して紹介致します。

 

【 第1回目 】

 

 

【 第2回目 】

  • 座敷童子の正体説(途中から)
  • 座敷童子がいるから裕福になるのか ?
  • 「異人」/「憑き物」の考え方
  • 座敷童子を見ると幸せになれるのか ?

 

 

何となく、一度は出会ってみたいと言う、夢とロマンを感じる「座敷童子」ですが、今回のブログを見ると「興醒め」してしまうかもしれません。

 

それでは今回も宜しくお願いします。

   

遠野物語における座敷童子

 

 それでは、本ブログの最初に、「遠野物語」に登場する「座敷童子」を紹介しますが、今回は、紙面の都合で、原文の紹介は割愛し、現代語に翻訳した内容を紹介します。

 

●第14話「家の神 - オクナイサマ、小正月の行事」

集落には必ず一軒の旧家があって、オクナイサマという神を祀る

その家を大同という

この神の像は、桑の木を削って顔を描き、四角い布の真ん中に穴を開け、これを上から通して衣裳とする

正月の十五日には小字中の人々がこの家に集まってきて、これを祀る

また、オシラサマという神がある

この神の像もまた同じようにして造り設け、これも正月の十五日に里人が集って、これを祀る

その儀式のときには、白粉を神像の顔に塗ることがある

大同の家には必ず畳一帖の部屋がある

この部屋で夜寝る者はいつも不思議な目に遭う

枕を反すなどは常のことである

あるいは誰かに抱き起こされ、または部屋から突き出されることもある

およそ静かに眠ることを許さない

 

●第17話「家の神 - ザシキワラシ」

 旧家にはザシキワラシという神の住み給う家が少なくない

この神は、多くは十二・三歳くらいの童子である

ときどき人に姿を見せることがある

土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家では、近頃、高等女学校にいる娘が休暇で帰っていたが、ある日廊下でばったりザシキワラシに遇ってたいへん驚いたことがあった

これはまさしく男の子であった

同じ村・山口の佐々木氏では、母親がひとり縫物をしていたところ、隣の間で、紙のがさがさという音がした

この室は家の主人の部屋で、そのときは東京へ行って不在の折だったので、怪しいと思って板戸を開いて見たが、何の影もない

しばらくの間座っていると、やがてまたしきりに鼻を鳴らす音がした

さては座敷ワラシだなと思った

この家にも座敷ワラシが住んでいるというのは、ずいぶん以前からのことである

この神の宿り給う家は富貴自在ということである

 

●第18話「家の神 - ザシキワラシ、家の盛衰」

ザシキワラシはまた女の子のことがある

同じ山口の旧家・山口孫左衛門という家には、童女の神が二人在すことが久しく言い伝えられていたが、ある年、同じ村の何某という男が町から帰るとき、梁のある橋のほとりで見慣れぬ二人のかわいい娘に会った

なんとなく憂わしい様子でこちらへ来る

お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門のところから来た、と答える

これからどこへ行くのかと聞けば、どこそこ村の何某の家に、と答える

その何某は、やや離れた村にある今も立派な暮らしの豪農である

さては孫左衛門の世も末だなと思ったが、それからあまり時を経ずして、この家の主従・二十数人、茸の毒に中たって一日のうちに死に絶え、七歳の女の子ひとりを残したが、その女もまた年老いて子がなく、近頃病で死んだ

 

●第19話「家の盛衰」

 孫左衛門の家では、ある日梨の木の周囲に見慣れぬ茸がたくさん生え、それを食おうか食うまいかと男たちが話し合っているのを聞いて、最後の代の孫左衛門、食わないほうがいいと制したが、下男の一人が言うには、どんな茸でも、水桶の中に入れて、麻の皮を剥いだ茎でもってよくかき回した後に食えば、決して中たることはないとのことだったので、一同この言葉に従い、家の者全員がこれを食った

七歳の女の子はその日外に出て遊びに気を取られ、昼飯を食いに帰ることを忘れたために助かった

不意の主人の死去で人々が動転している間に、遠い親類・近くの親類の人々が、あるいは生前に貸しがあったと言い、あるいは約束があったと言って、家の貨財は味噌の類まで持ち去ってしまうと、この村草分けの長者であったが、一朝にして跡形もなくなってしまった

 

●第20話「前兆」

 この凶変の前にはいろいろな前兆があった

男たちが、刈り置いた馬草を出すのに、三つ歯の鍬でかき回していると、大きな蛇を見つけた

これも殺すなと主人が制したのも聞かずに打ち殺すと、その跡には馬草の下に無数の蛇がいて、うごめき出てきたので、男たちはおもしろ半分に残らずこれを殺してしまった

そして、捨てる場所もないので、屋敷の外に穴を掘ってこれを埋め、蛇塚を作った

その蛇は草を運ぶざるに何杯ともなくあったという

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

以上が、「遠野物語」に収められている「座敷童子」関連の話ですが、次に「遠野物語拾遺」に収められている「座敷童子」の話も紹介します。

 

●第87話

綾織村砂子沢(いさござわ)の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。それがいなくなったら家が貧乏になった。

 

●第88話

遠野の町の村兵(むらひょう)という家には御蔵(おくら)ボッコがいた。籾殻などを散らしておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものがいなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。

 

●第89話

前にいう砂子沢でも沢田という家に、御蔵ボッコがいるという話があった。それが赤塗りの手桶などをさげて、人の目にも見えるようになったら、カマドが左前になったという話である。

 

●第90話

同じ綾織村の字大久保、沢某という家にも蔵ボッコがいて、時々糸車をまわす音などがしたという。

 

●第91話

 附馬牛村のある部落の某という家では、先代に1人の六部(巡礼僧)が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者がなかったなどという話がある。近頃になってからこの家に10になるかならぬくらいの女の児が、紅(あか)い振袖を着て紅い扇子(せんす)を持って現われ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家にはいったという噂がたち、それからこの両家がケエッチヤ(裏と表)になったといっている。

その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシがうずくまっていて、びっくりして戻って来たという話がある。

 

●第92話

遠野の新町の大久田某という家の、2階の床の間の前で、夜になると女が髪を梳いているという評判が立った。両川某という者がそんなことがあるものかと言って、ある夜そこへ行ってみると、はたして噂の通り見知らぬ女が髪を梳いていて、じろりとこちらを見た顔が、なんとも言えず物凄かったという。明治になってからの話である。

 

●第93話

遠野一日市(ひといち)の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それがだんだん強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴っている所を絵に描いてもらって、これを釜嶋神といって祭ることにした。今から20年余り前のことである。

 

●第94話

土淵村山口の内川口某という家は、今から10年ほど前に瓦解(がかい)したが、一時この家が空家になっていた頃、夜中になると奥座敷の方に幽(かす)かに火がともり、誰とも知らず低い声で経を読む声がした。往来のすぐ近くの家だから、若い者などがまたかと言って立ち寄ってみると、御経の声も燈火ももう消えている。これと同様のことは栃内の和野の、菊池某氏が瓦解した際にもあったことだという。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

こうして見ても、「座敷童子」は、一種類ではなく、複数のパターンがある事が解ります。

 

・十二・三歳くらいの童子

童女の神

・元御姫様の座敷ワラシ

・御蔵ボッコ

・10になるかならぬくらいの女の児

・髪を梳く女

 

「座敷童子」の正体に関しては、後述する章で詳しく紹介します。

 

しかし・・・幼い子どもなら、まだ許せるにしても、大人の女性で、髪を梳いていると言うのは、単なる「幽霊」か「物の怪」としか思えませんが、これも「座敷童子」なのでしょうか ?

 

 また、第93話に登場する「釜嶋神」ですが、これは、明らかに「座敷童子」とは異なる何かだと思います。

 

そして、何と!! 「鳴り釜」は、現在でも本物が存在するらしく、レプリカが、「とおの物語の館(旧:とおの昔話村)」に展示してあります。

 

岩手県で「釜」と言うと、「南部鉄器」を思い浮かべてしまいますが・・・「釜」と言うよりは「どんぶり」に近い形状をしているようです。

 

また、第91話に登場する「六部(ろくぶ)」とは、正しくは「日本回国大乗妙典六十六部経聖」と言い、これを略して「六十六部」とも呼んでいますが、元々は、全国六十六ヶ所の霊場に、一部ずつ納経するために書写された六十六部の「法華経(ほけきょう)」の事を意味していました。

 

その後、そのお経を納めて全国を巡礼する僧侶の事を意味するようになったのですが、この「六部」に関しては、「六部殺し」と言う日本全国に広がる怪談があり、この「六部殺し」と「座敷童子」が密接につながっているという説もあります。

 

この説に関しても、後ほど詳しく紹介します。

 

■座敷童子の立ち位置

次に、「座敷童子」の立場について考えて見たいと思います。

 

って、「座敷童子に立場なんかあるの ?」と思うのが当然だと思います。

 

しかし、まずは、「座敷童子」は、「座敷に居てこその座敷童子」であり、これが外に居ても「座敷童子」には成り得ません。この点が、まずは「座敷童子」の大前提です。

 

そして、次の前提条件として、「座敷童子は家の守り神である」、と言う点も重要だと思います。

 

家の中に居るだけで、何もメリットが無いのであれば、単なる妖怪や幽霊と同じ扱いになってしまいますし、さらに家に居る事がデメリットになってしまうのであれば、「守り神」ではなく、「貧乏神」になってしまいます。

 

このため、取り敢えずは、「座敷童子」としての大前提として、この2点が重要になります。

 

・家の中に居る

・家の守り神になっている

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

他方、家の中には、次のように、沢山の神様が居ます。

 

・壁土の神様       :石土毘古神(いわつちびこのかみ)、家宅六神の一柱

・岩砂の神様      :石巣比売神(いわすひめのかみ)、家宅六神の一柱

・入り口を守る神様 :大戸日別神(おおとひわけのかみ)、家宅六神の一柱

・屋上の神様      :天之吹男神(あめのふきおのかみ)、家宅六神の一柱

・屋根の神様      :大屋毘古神(おおやびこのかみ)、家宅六神の一柱

・風雨から守る神様 :風木津別之忍男神(かざもつわけのおしおのかみ)、家宅六神

・水の神様        :天之水分神(あめのみくまりのかみ)

・火の神様         :火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)、三宝荒神

・柱の神様         :大黒天

トイレの神様     :烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、弁財天

・家の門の神様     :天石門別神(あまのいわとわけのかみ)

 

 さらに、遠野地方では、前述の通り、家の中に祀る神様として「オクナイ様」や「オシラ様」等と言う神様もいらっしゃいます。

 

このように、家の中には、沢山の神様がいらっしゃって、私達の日々の暮らしを見守って下さっています。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

さて、そこで質問です。

 

これらの神様と、家の守り神になっている「座敷童子」とでは、大きな違いがあります。それは何でしょうか ? 皆さん、お解りになりますか ?

 

これらの神様と「座敷童子」との大きな違いは・・・先の神様達は、神棚等を設けて、人間が、日々ちゃんと祀っていますが、「座敷童子」に関しては、全く祀られていない点が違います。

 

どちらの神様も、家を守っている事に変わりは無いのに、一方は神棚等で祀られるのに、他方は全く見向きもされていません。一体、「座敷童子」だけ、何が違うのでしょうか ?

 

この点は、諸説あるようですが、「座敷童子」は、後からやってくる「来訪神」的な意味合いが強い事が影響していると考えられているようです。

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 「来訪神」とは、下記の過去ブログでも紹介しましたが、正月やお盆など、一年の様々な節目に、人間の世界を訪れ、怠け者を戒めたり、魔を祓い幸福をもたらしたりするとされる神々とされています。

 

★過去ブログ:岩手の世界遺産と無形文化遺産 -平泉ショックからの出発 その1

                         岩手の世界遺産と無形文化遺産 -平泉ショックからの出発 その2

 

つまり、「座敷童子」は、家に元々いらっしゃる神様とは異なり、後から家にやって来て住み着く事で、家を守ってくれたり、福をもたらしてくれたりする神様と言う事になります。

 

そして、「座敷童子」が居る間だけ、その家は栄えると言うのが通説になっているようです。

 

また、重要なのは、「座敷童子」が住んでいると言う事で、「座敷童子」を見る事ではありません。

 

本ブログの最初に記載した「座敷童子に会える宿」では、「座敷童子」を見ただけで幸運に恵まれる等と、まことしやかに宣伝していますが、本来の「座敷童子」は、見ただけでは意味がありません。

 

遠野物語」や「遠野物語拾遺」では、「座敷童子」が住んでいる家が栄えると伝えておりますが、「座敷童子」を見た人が幸せになるとは、一言も触れていません。

 

また、「座敷童子」を見て幸運になった人を何人か列挙していますが、それは、後付けの理論であり、「見た人全員」が幸運になった訳ではありません。

 

 

よく年末になると、「この売場で3億円の宝くじが発売されました !!」と宣伝している宝くじ売り場がありますが、それと同じです。

 

その売場で宝くじを購入すれば、全員に宝くじが当たる訳ではありません。

 

たまたま、その売場で発売された宝くじに、当選券があっただけの話です。

 

つまり、「座敷童子」も、たまたま、その旅館に宿泊した人が、後に有名人になっただけの話です。

 

「座敷童子」は、見ただけでは幸せにはなれないのです。

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 他方、「座敷童子」の存在は、地域社会での貧富の格差を納得させる方便として使われているのではないか、と言う説もあります。

 

つまり、「何故、あの家だけ豊かなのか ?」と言う疑問や不満に対する回答として、「あの家には座敷童子が住んでいるから仕方がない。」と言う形で、その他、一般の村人たちが納得すると言う事になります。

 

そして、更に、昔は裕福だった家系が、今では何故か没落してしまった際の理由としても、「あの家には、昔、座敷童子が居たから裕福だったけど、その後、座敷童子が逃げ出したから、今では没落してしまった。」と言う形で、家が没落した理由にも「座敷童子」が活用されていた事も明らかなようです。

 

この点は、前述の「遠野物語」の第18話~第20話を見れば明らかです。

 

山口の旧家「山口孫左衛門」という家の栄枯盛衰が、「座敷童子」をベースに語られています。

 

更に、「座敷童子」が家を去った理由に関しても、その前兆があった事までも詳しく語られています。

 

このように、「村」と言う地域社会の均衡を保つための道具、方便としても「座敷童子」は有効だったと思われます。

■座敷童子の正体説

さて次は、「座敷童子」の正体に、少し迫って見ようと思います。

 

前述の通り、「座敷童子」の正体としては、次のような物が取り上げられています。

→ 陸に上がった河童、飢饉の時に間引かれた子供、猿、妖怪、竜宮童子、火男(ひょっとこ)

 

河童、間引かれた子供、猿、そして妖怪に関しては、別段、説明する必要は無いと思いますが、「竜宮童子」や「火男」、それに「護法童子」に関しては、ほとんどの方は聞いたことも無いと思いますので、それぞれの説を紹介する際に、簡単に「何者なのか ?」を説明したいと思います。

 

「竜宮童子」も「火男」も、似たような内容の話になっており、また、今回紹介する話以外にも、似たような話は数多く伝えられえいるようです。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

●「河童」説

 

 それでは、個々の正体説を紹介しますが、最初に「座敷童子 = 河童」説を紹介します。

 

遠野物語」の内容を柳田國男に伝えた「佐々木喜善」は、座敷童子の正体が、陸に上がった「河童」であると言う説が、遠野で非常に多い事を伝えていたそうです。

 

また、彼の著書「奥州のザシキワラシの話」の第26話の中で、次のような内容を紹介しています。

 

『 その夕方下男の一人が、飼葉を遣(や)ろうと思つて馬舎へ行くと、不思議にも馬槽が引繰返つて伏さつているので、起こして見ると一疋(ぴき)の河童が潜んでいた。それから大騒ぎになり、たちまち多勢のために河童は捕われ(中略)どうぞ生命は助けてくだされと、涙を流して詫入つた。(中略)この家の主人、これからかような悪戯をせぬといふ証文を書いたなら宥(ゆる)してやろうと言ふと、河童は左の腕を嚙切つて指で詫証文を書いたそう(中略)この河童はこうして主人の情でやつと宥された後に、川から上つてこの家の座敷に入り、そのままザシキワラシになつたといふことである。 』

 

これは、遠野の土淵村栃内の「古屋敷米蔵爺」の話として紹介された一文ですが、明らかに「座敷童子 = 河童」と言う説を展開しています。

 

 さらに、同じく「奥州のザシキワラシの話」の一話にも、次のような話が掲載されています。

 

『 毎晩、一人の童子が出て来て、布団の上を渡り、又は頭の上に跨つて唸されたりするので、気味悪くかつうるさくて堪らなかつた。漆かきの男は、今夜こそあの童子を取押えて打懲らそうと、待伏していて角力を挑むと、かえつて見事に童子に打負かされてしまつた。その翌夜は同様にして、木挽の福もその者に組伏せられたのである。二人の男はいよいよ驚いて、その次の夜からは宿替をしたということである。もちろんこの家には昔からザシキワラシがおつて、それが後を流れている猿ヶ石川の河童だという噂があつたのである。 』

 

また、「遠野物語」にも、似たような話が掲載されていますので、そちらも合わせて紹介します。

 

遠野物語 第58話「河童」 】

小烏瀬川の姥子淵のほとりに、新屋の家という家がある。

ある日、淵へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子が外へ遊びに行った間に河童が現れて、その馬を引き込もうとし、逆に馬に引きずられて厩の前へ来て、馬の餌桶に覆われていた。

家の者が馬の餌桶が伏せてあるので、おかしいと思って少し開けてみたところ、河童の手が出てきた。

村中の者が集って、殺そうか許そうかと話し合ったが、結局、今後は村中の馬に悪さをしないという固い約束をさせてこれを放した。

その河童、今は村を去って相沢の滝の淵に棲んでいるという

 

 

同じ物体を、異なる名で呼ぶ事を「異名同体」と呼んでいますが、「佐々木 喜善」は、この「座敷童子 = 河童」説を信じていたように見受けられます。

 

 他方、この「佐々木 喜善」の「座敷童子 = 河童」説は、柳田國男の「海神少童(わたつみ)」説に影響を受けていると言う考えもあるようです。

 

柳田國男は、その著書「桃太郎の誕生」において、「桃太郎」、「一寸法師」等、日本の昔話は、それぞれが独立した昔話しではなく、その背後には、今では忘れ去られた一つの神話が存在していると言う説を提唱しています。

 

そして、その中の「海神少童」編では、記紀に始まる海神宮の信仰も、これら昔話しに通じる内容となっているとしており、魚を助けるとか、あるいは薪を淵に投げ入れる等の行為を行うと、美女が汚い黄金を生む童子を抱えて現れ、この童子を翁に託すと言う展開になるとしています。

 

ところが、一定の条件を守らなければ、この童子は黄金を産まなくなってしまう点、次のような点も全て共通しているとしています。

 

童子は、ハナタレ小僧、ヨケナイ、ウントク等の名を持つ汚いく醜い小僧。

・小僧の代わりに、子犬、黒猫等の小動物が出現するケースもある

・これら授かった物を育てるには一定の条件が必要になる

・さらに、福徳小槌や打出の小槌の場合もある

・これら授かった物から富を生み出すためにも一定の条件が必要になる

・条件を守らなかったり、より以上の物を望むと童子が去ったり死亡して富が消えてしまう

 

そして、何が「座敷童子」に通じるのかと言うと、「霊童や童神が人海に出現して福をもたらす」と言う点が、類似していると指摘されています。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

●「猿」説

 次に「座敷童子 = 猿」説を紹介したいと思いますが、この説は、柳田國男が唱えた説で、「佐々木 喜善」は、次の様に述べて反対しているようです。

 

『 当地の人は、猿と河童とを全く見分ける能力を有するやうに候。(中略)私も未だ河童を見しことあらず。その如何様の物なるかは存じ候はねど、猿なりとは一概にも信じ兼申候。 』

 

要は、「 河童は見たことは無いが、河童と猿の違いくらいは分かるので、馬鹿にするな ! 」と言っているのだと思います。

 

しかし、その半面、遠野物語の第45話「猿の経立(ふったち)」においては、「猿」の妖怪と考えられている「経立」が、人間や河童に似ていると紹介しています。

 

遠野物語 第45話「猿の経立」 】

猿の経立はよく人に似て、女色を好み、里の婦人を盗み去ることがよくある

松脂を毛に塗り、砂をその上に付けているため、毛皮は鎧のようで、鉄砲の弾も通らない

 

そして、この話を踏まえた上で、「佐々木 喜善」は、次のようにも述べています。

 

『 ザシキワラシのこと、御仰せに力を得て多く集め可申候。唯カッパが猿となりしやうにザシキワラシの神聖も地に堕ちはせずやと懸念に存じ候。 』

 

このように、「佐々木 喜善」は、「 カッパと猿が同一視される様に、座敷童子の神聖さが失われる事を恐れている。 」と、座敷童子の神聖さが失われる事を恐れています。

 

 

元々、「河童」の正体は、「猿」であると言う説が数多く唱えられており、中国/四国地方などでは、「猿猴(えんこう)」と呼ばれる河童が居るとされています。

 

つまり、「猿 = 河童 = 座敷童子」と言う三段論法的な考え方で、「猿 = 座敷童子」説が唱えられているのだと思います。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

●「竜宮童子」説

次は、本章の最初に紹介した「竜宮童子」が、「座敷童子」の正体であると言う説を紹介しますが、最初に「竜宮童子」とは何者なのかを紹介します。

 

【 竜宮童子

年の瀬に正月用の(あるいはなど)を売っていたおじいさんがいたが、一向に品物が売れなかった。

 

売れ残っても商売にならないため「龍宮に差し上げます」と言って水中に売れ残りを捨ててしまった。

 

帰ろうとした所、龍宮に招かれ、もてなしを受けた後、一人の子供(龍宮童子)を贈られる。

 

帰宅後、その子供がおじいさんとおばあさんの願う物を次々と出してくれるため、とても裕福になるが、その子供は非常に汚い(あるいは醜い)ため、邪険にされて追い出されてしまう。

 

すると、今まで出してくれた金品は全て失われてしまい、家は元のように貧しくなってしまった。

 

この説は、「富の源泉」に焦点を当てた考え方になっているように見受けられます。

 

「座敷童子」も、家に居着くことで、その家に「富」を与える存在として認識されていますので、「座敷童子 = 富の源泉」となります。

 

これまでに紹介した「河童 = 座敷童子」説や「猿 = 座敷童子」説では、容姿の類似性から「座敷童子」の正体説が唱えられていました。

 

ところが、「竜宮童子 = 座敷童子」説では、「竜宮童子」も「座敷童子」も、どちらも「富の源泉」としてとらえる事で同一視されています。

 

このため、「竜宮童子」のみならず「座敷童子 = 河童」説で紹介した下記の小僧達やこれも最初に紹介した「火男」も、「座敷童子」の正体として取り上げられています。

 

→海神少童、ハナタレ小僧、ヨケナイ、ウントク等の名を持つ汚いく醜い小僧

 

また、「醜悪な小僧達」からもたらされる「富」は、異界、あるいは外の世界からもたらされると言う点と、「座敷童子」自身が、「来訪神」として、外の世界から訪れると言う点も一致していると考えられているようです。

 

 

他方、これらの「小僧達」は、全て「汚く醜い容姿」となっていますが、「座敷童子」に関しては、どちらかと言うと「綺麗」、あるいは「かわいい」身なりをしているように見受けられます。

 

この見た目の違いに着目した場合、この「座敷童子 = 竜宮童子」説は、直ちに却下されると思われます。

 

●「護法童子」説

次は、「座敷童子 = 護法童子」説を紹介しますが、こちらも、まずは「護法童子」が何者なのかを紹介します。

 

【 護法童子

「護法童子」とは、密教の奥義を極めた高僧や修験道の行者/山伏達の使役する「神霊」や「鬼神」の別名とされています。

 

一般的に、「童子」形で語られることが多いため「護法童子」と呼ぶことが広く定着してしまったようですが、鬼や動物の姿で示されることもあるそうです。

 

 他方、平安時代前期の鎮守府将軍で「平 将門の乱」を平定した「藤原 秀郷」と言う人物がいます。

 

この「藤原 秀郷」は、別名「俵藤太(たわらとうた)」とも呼ばれており、彼が、琵琶湖の唐橋を通りかかった際、橋下に住む竜神から、三上山に住む百足(むかで)を退治して欲しいと頼まれ、その依頼を引き受けて百足を退治する話があります。

 

この伝説は、「俵藤太物語」と言う御伽草子に記載されており、この百足退治の話は、その中の「俵藤太の百足退治」として紹介されています。

 

その後、百足を退治したお礼として、「俵藤太」は、竜神から沢山の宝物をもらって、めでたしめでたしとなりますが、その宝物の中には、二人の童子が含まれており、この二人の内の一人が、「心得(こころえ)童子」と呼ばれており、この童子も「護法童子」と同類と考えられているようです。

 

ちなみに、「心得童子」は、何も命令しなくても主人の心の中を知り、それを叶えたり、用を足したりしてくれるのだそうです。

 

これら「座敷童子童子神」と言う点に重点を置いた「柳田國男」は、自身の著書の中で、「座敷童子」と「護法童子」、および「心得童子」に類似点が多いことから、「座敷童子 = 護法童子/心得童子」と言う説を展開しています。

 

「座敷童子」の正体に関しては、ここまで紹介した内容以外に、次のような正体説があります。

 

・火男

・間引かれた子供

・職人の呪い

 

今回は、ページの都合上、上記3個に関しては、次回ブログに掲載致しますが、特に「間引かれた子供」説は、座敷童子の正体としては、一番信憑性が高い説と考えられています。

 

 しかし、この「間引かれた子供」に関しては、「佐々木 喜善」は、「奥州のザシキワラシの話」と言う書物の中で、下記のような、とても気持ちの悪い話を紹介しています。

 

『 不時に死に、又は昔時無残な最期を遂げた童子の霊魂は、そのまま屋内に潜み留まり、主に梁の上などに棲んでいる。 』

 

何か、ホラー映画「呪怨」に登場した、白塗りの子供「佐伯俊雄」を彷彿とさせますが、この話以外にも、気味の悪い話が伝わっているようですので、それに関しては、次回、紹介致します。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

今回は、「座敷童子(わらし) - 神か霊か、はたまた妖怪か ? 」の「その1」として、次のような内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

 

 

遠野物語」、および「遠野物語拾遺」においては、計13話もの「座敷童子」が収録されていますので、遠野地域では、「座敷童子」の存在は、日常風景となっていたように思えます。

 

しかし・・・それ以上に凄いのは、今回は紹介できませんが、「佐々木 喜善」が、大正13年(1924年)に、雑誌「人類学雑誌」に寄稿した「ザシキワラシの話」です。

 

この「ザシキワラシの話」には、全国の「座敷童子」に関して、83個もの伝承が記載されています。

 

まあ、その内の66話は、奥州、つまり東北地方の「座敷童子」ですから、やはり東北地方においては、「座敷童子」は数多く目撃されていたのだと思います。

 

「ザシキワラシの話」は、余りにも掲載事例が多いので紹介出来ませんが、興味のある方は、下記情報提供元「J-STAGE」から参照して見て下さい。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

それにしても・・・東北地方において、66箇所以上の目撃情報があった「座敷童子」ですが、それらの「座敷童子」は、現在は、何処に行ってしまったのでしょうか ?

 

「座敷童子」が住み着いていた家が、壊されたり、あるいは改築されたりした事が原因で、どこか別な場所に引っ越してしまったのでしょうか ?

 

しかし、「座敷童子」が引っ越したのであれば、その引越し先の家では、新たに「座敷童子」目撃されているはずですから、新しい目撃情報が生まれるはずですが・・・

 

となると・・・やはり「座敷童子」は、最初から存在しない者だったのでしょうか ?

 

あるいは、「日本狼」や「日本カワウソ」のように、絶滅してしまったのでしょうか ?

 

しかし、そもそも「座敷童子」に関して、「絶滅」って事自体、有り得るのでしょうか ?

 

「座敷童子」は、何とも、話が尽きない存在です。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

という事で、次回の「その2」では、今回に引き続き、「座敷童子の正体」の残りの3個の説から始めて、下記の情報を紹介します。

 

  • 座敷童子の正体説(途中から)
  • 座敷童子がいるから裕福になるのか ?
  • 「異人」/「憑き物」の考え方
  • 座敷童子を見ると幸せになれるのか ?

 

次回は、TV等でよく取り上げられている「座敷童子に会える宿」に関しても、その真偽の程を検討してみたいと思います。

 

また、単に「座敷童子」が見えるとか居たとかの話だけではなく、遠野物語にも登場する「六部」の存在から、民俗学の視点で、「座敷童子」の存在意義を紹介します。

 

次回は、何か、少し難しい話になりそうな雰囲気ですが、次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

 

【 画像・情報提供先 】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

コトバンク(https://kotobank.jp/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

・探検コム(https://tanken.com/index.html)

・妖怪大好きブログ(http://blog.livedoor.jp/choupirako/)

J-STAGE(https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja)