座敷童子 - 神か霊か、はたまた妖怪か ? (その2)

 今回は、前回に引き続き、「座敷童子」の話題を紹介します。

 

★過去ブログ:座敷童子(わらし) - 神か霊か妖怪か ? (その1) 

 

前回ブログでは、次のような内容を紹介しました。

 

 

遠野物語」には5個、「遠野物語拾遺」には8個、合わせて13個もの「座敷童子」関連の話が掲載されていますので、その昔は、結構、多くの目撃談があったことが忍ばれます。

 

さらに、前回も紹介した通り、大正13年(1924年)に発行された別の雑誌「人類学雑誌」には、83個(東北:66個/東北以外:17個)もの目撃談が掲載されていますので、本当に、江戸時代末から大正期に掛けては、東北地方には、数多くの「座敷童子」が居たと推測されます。

 

しかし・・・その昔は沢山居た「座敷童子」、今では、何処に行ってしまったのか ? 日本狼のように既に絶滅してしまったのでしょうか ?

 

他方、これら「座敷童子」は、実際には存在せず、地域社会における貧富の格差を納得させる道具としてのみ存在した、と言う考え方もあるようです。

 

確かに、自分の家が貧乏な理由として、次のような事を言われれば、もう納得するしかありませんよね !!

 

「ウチは貧乏だけど、あの家には、座敷童子が住んでいるから裕福なのは仕方が無い。」

「あの家には、昔は座敷童子が住んでいたから裕福だったけど、今は居ないから没落しても仕方がない。」

 

 「座敷童子」は、不可抗力や自然災害みたいな感じです。もう、人智の及ばない存在として、受け入れるしかありません。

 

これは、当時の地域社会においては、非常に便利な存在、方便だったと思います。

 

今、現在、「あの家には座敷童子が住んでいるから裕福なんだ !」と言われても、誰も納得しないと思います。

 

しかし、まあ、それにも関わらず、「座敷童子」の正体を突き止めたくなるのは人間の性だと思います。

 

河童、猿、何とか童子、大工の呪い・・・沢山の正体を考えていますが、やはり、一番納得し易いのは、「間引かれた子供」説だと思います。

 

今回は、前回の情報を引き継いて、「座敷童子の正体」から継続し、次のような情報を紹介します。

 

 

【 第2回目 】

  • 座敷童子の正体説(途中から)
  • 座敷童子がいるから裕福になるのか ?
  • 「異人」/「憑き物」の考え方
  • 座敷童子を見ると幸せになれるのか ?

 

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

以上

  

■座敷童子の正体説

今回の最初は、前回に引き続き、「座敷童子」の正体の残り、3説を紹介します。

 

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●「火男」説

それでは、最初に「火男」の伝説を紹介します。

 

【 火男 】

 爺さんが柴刈りの最中に穴を見つける。

穴は災いをもたらすので塞いでしまおうと、大量の柴を押し込んでいると中から呼び声がして、立派な御殿のある世界に連れて行かれる。

呼んでいたのは美女で、更に白髪の翁から褒美としてヘソから金(きん)を生む、奇妙な顔の子供を譲り受ける。

爺さんは子供を気に入って育てたが、欲張りな婆さんはより大きな金を欲しがり、ヘソを火箸で無理やりつついたため、子供は死んでしまう。

悲しむ爺さんに、自分に似せた面を竈の前に架けておけば、家が富み栄えると夢枕に立った。

その子の名前が「ひょうとく」であった事から、「ひょっとこ」と呼ばれた。

 

この「火男(ひょっとこ)」については、登場する子供の名前が「うんとく」であったり、あるいは「したり」であったりするケースもありまし、子供ではなく「若者」となるケースもあるようですが、ストーリーは、ほぼ同じとなっているようです。

 

そして、「火男(ひょっとこ)」に関しても、「富の源泉」と言う事で、「座敷童子」の正体として取り上げられる事が多い存在です。

 

このため、「火男」に関しては、前回紹介した「竜宮童子」、および「護法童子」と同類としてとらえられています。

 

「火男」に関しては、弊社過去ブログにおいて、「カマドガミ(竈神)」との関係で紹介しています。

 

★過去ブログ:岩手の民間信仰 ~ 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.2

 

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●「間引かれた子供」説

 「座敷童子」の正体に関する最後は、「座敷童子 = 間引かれた子供」説を紹介します。

 

東北地方は、昔から数多くの飢饉に襲われ、安土桃山時代となる「慶長5年(1600年)」から「明治2年(1869年)」までの269年間に、17回もの飢饉に見舞われています。

 

その中でも、下記の飢饉は「四大飢饉」と呼ばれ、数多くの餓死者を出しています。

 

・元禄飢饉  :元禄年間(1688~1704年)に起こった飢饉。元禄8年と元禄15年の飢饉では数万人が餓死。

・宝暦飢饉  :宝暦5年(1755年)に起こった飢饉。餓死者5万人と伝わる。

天明飢饉  :天明3年(1783)~7年(1787年)に起こった飢饉。1783年の浅間山岩木山の噴火が原因。

天保飢饉  :天保3年~9年(1832~1838年)に起こった飢饉。

 

そして、このような飢饉が起こるたびに、農村では、人々が生き残るために、「口減らし」を行って来ました。

 

 「口減らし」とは、文字通り、「食物を食べる口を減らす」事で、子供を「間引く = 殺す」事を意味していますし、また歳を取った老人を山に置き去りにする「姥捨て」等が行われて来ました。

 

その内、「間引き」は、「臼殺(うすごろ)」とも呼び、「間引く(殺す)」子供を、石臼の下に置いて圧死させる方法が取られたと伝わっており、「圧殺」した子供は、決して家の外には出さず、家の土間の縁台の下とか、あるいは石臼場の下など、人が踏みつける場所に埋めたそうです。

 

そして、このようにして「間引かれた(殺された)」子供の霊魂に関して、「佐々木喜善」は、「奥州のザシキワラシの話」の中で、次のように紹介しています。

 

『 不時に死に、又は昔時無残な最期を遂げた童子の霊魂は、そのまま屋内に潜み留まり、主に梁の上などに棲んでいる。 』

 

また、この説を裏付けるような話も掲載しています。

 

『 土淵村字火石の庄之助という家で、一族二十人ばかり集まっている夜に、桁の上から女子の小櫛が落ちて来たので、皆上を見たが何も見えなかったという。しかし、ある者の目には、髪を乱した女子の顔が梁にくっついていて、じっと下を見つめていたのだと。それは恐らく、飢饉の年に餓死した召使の少女の魂魄が梁の上に留まっている為だとされた。 』

 

『 土淵村の山口では、天明の飢饉の時に盗み癖のあった子供を山に連れて行き、斧で斬殺した霊魂が家に帰り、梁にくっついで、悲しそうな声で最後の語を呟いている事があるという。その最後の語とは「父(トト)、何をする。」という言葉であったようだ。 』

 

 

何とも、悲しくも恐ろしい話ですが、この「間引かれた子供の霊」の事を、佐々木喜善や、柳田國男の弟子とされる「折口信夫」等は、「若葉の霊(魂)」と呼んでいたようです。

 

そして、この「若葉の霊」に関しては、「時々雨の降る日など、ぶるぶる慄(ふる)えながら縁側を歩くの見る。」と紹介しています。

 

更に、次の点が、「座敷童子」と類似していると報告しています。

 

・子供の姿である

・屋内を移動する

・悪戯をする

・祀られていない

 

このような類似点から、「座敷童子 = 間引かれた子供」と言う説が唱えられ、現在では、この説が多くの支持を集めているようです。

 

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●「職人の呪い」説

 岩手県龍泉洞がある場所として有名な岩泉町出身の作家「高橋 貞子」氏は、その著書「座敷わらしを見た人びと」の中で、「座敷童子」の正体は、家を建てる際に、工事に関わった職人達の呪いと言う説を唱えています。

 

この説では、その昔は、建築に携わった大工や各種職人達が、気持ち良く仕事が出来なかったり、あるいは施工主から無礼な扱いを受けたりした場合、その家に呪いをかける習慣があったとしています。

 

そして、この「呪い」とは、木片で作った人形を、柱と梁の間に挟み込んだり、あるいは家の要所に埋め込んだりしたと伝わっているそうです。

 

「高橋 貞子」氏は、こうした「呪い」の行為が、「座敷童子」と言う不思議な現象を生んだとしていますが、この説では、「座敷童子」と「福」や「富」の結び付きは生まれませんので、ちょっと無理がある説かもしれません。

 

■座敷童子が居るから裕福になるのか ?

次に、「座敷童子」が居る理由について、これまでと異なる説を紹介したいと思います。

 

これまでの諸説では、次のような話が定説として語り継がれて来ました。

 

・座敷童子が住み着いているから、その家が裕福になる。

・座敷童子が去ると、その家は没落する。

 

これらの定説は、ある家、遠野地域で言うと、「大同と呼ばれる旧家」が、何故裕福なのかを、「座敷童子」の存在を理由として語っているに過ぎないと考えられています。

 

つまり、次のようなストーリーが展開される訳です。

 

・「大同の家は、何故か裕福である。」

・「大同の家には、座敷童子が住み着いているから裕福になったに違いない。」

・「山口の旧家・山口孫左衛門という家が没落したのは、座敷童子が去ったからに違いない。」

 

この説は、現在では、遠野地域の普通の家、と言うか貧乏な家が、「何故、大同」の家だけが裕福なのか ?」を、そして、裕福だった家が、何故没落したのかを、自分たちなりに納得させるための方便だったと考えられていますが・・・この考え方は正しいのでしょうか ?

 

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東北地方を舞台にした数多くの小説を書いている「高橋克典」氏は、上記とは別の説を唱えています。

 

「 座敷童子が住み着いているのは大同の家が裕福だから。 」

 

と言う説です。

 

 つまり、「座敷童子は、裕福な家にしか住み着かない。その家が没落するから他の裕福な家に避難する。」と言う考え方です。

 

まるで、「性善説」と「性悪説」、あるいは「鶏が先か/卵が先か」と言うような関係になってしまいましたが、実際、先に紹介した「遠野物語拾遺」の中でも、この話は取り上げられています。

 

その話は、「拾遺91話」の中にある、「六部」の存在です。

 

『 附馬牛村のある部落の某という家では、先代に1人の六部(巡礼僧)が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者がなかったなどという話がある。 』

 

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この「六部」とは、その章でも説明しています通り、正しくは「日本回国大乗妙典六十六部経聖」と言う「六十六冊の法華経」を意味する言葉が、その後、そのお経を納めて全国を巡礼する僧侶を表すようになったものです。

 

そして、この「六部」に関しては、日本全国に「六部殺し」と言う民話と言うか「怪談」が伝わっており、それは次のような内容になっています。

 

 『 ある村の貧しい百姓家に六部がやって来て一夜の宿を請う。その家の夫婦は親切に六部を迎え入れ、もてなした。

 

その夜、六部の荷物の中に大金の路銀が入っているのを目撃した百姓は、どうしてもその金が欲しくてたまらなくなる。そして、とうとう六部を謀殺して亡骸を処分し、金を奪った。

 

その後、百姓は奪った金を元手に商売を始める。田畑を担保に取って高利貸しをする等、何らかの方法で急速に裕福になる。

 

夫婦の間に子供も生まれた。ところが、生まれた子供はいくつになっても口が利けなかった。

 

そんなある日、夜中に子供が目を覚まし、むずがっていた。小便がしたいのかと思った父親は便所へ連れて行く。

 

きれいな月夜(もしくは月の出ない、あるいは雨降り)の晩、ちょうどかつて六部を殺した時と同じような天候だった。

 

すると突然、子供が初めて口を開き、「お前に殺されたのもこんな晩だったな」と言ってあの六部の顔つきに変わっていた。 』

 

話の細部は、その土地々々で微妙に異なりますが、大体の荒筋は上記の通りです。

 

「六部」とは、前述の通り、全国を行脚しますので、当然、「路銀(旅に必要な金銭)」を持っています。そして、この「路銀」目当てに「六部」を殺して、「路銀」を奪って裕福になる、と言うのが当初のストーリーです。

 

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遠野物語拾遺 91話」では、この「六部殺し」と「座敷童子」が結合した話として伝えられています。

 

つまり、この話では、次のようなストーリー展開になっています。

 

1.附馬牛村のある部落の某という家に「六部」が宿泊する。

2.その「六部」を殺害して金品を奪う。

3.奪った金を元手に商売を始めて裕福になる。

4.その後、この某家から10歳位の紅い振り袖を来て紅い扇子を持った女の子が踊りながら出ていった。

5.この女の子は、下窪の家に入った。下窪の家では神棚の下に座敷童子が居る。

6.その結果、附馬牛村の某家は没落し、下窪の家は裕福になると言う逆転現象(ケエッチヤ)が起きた。

 

 

この話は何を意味しているのかと言うと、先の「六部殺し」と「座敷童子」が融合しているのですが、それ以外にも、「附馬牛村の某家」に座敷童子が住み着いたのは、「附馬牛村の某家」が裕福になったから、と言う事を意味しています。

 

さらに、この話を読み解くと、次の点も重要になって来ます。

 

・地方の村にも、その昔から貧富の格差があり、裕福な家は、それ以外の家から妬まれていた。

・その家が裕福になったのは「座敷童子の存在」や「六部殺し」を行ったのが理由としている。

・その半面、成り上がり者の家には座敷童子はおらず、もっぱら旧家にのみ存在している。

・このため、これらの事は、裕福な家や旧家への陰口として使われるケースが多いと思われる。

・座敷童子や持ち物が紅くなると、その家は没落すると言われるが、これも妬みの一種と思われる。

・つまり、元々「座敷童子」や「六部殺し」とは、地域社会における貧富の差や暗部の象徴だった。

 

このように、現在では、何か、一種のファンタシーや幸せの象徴のように語られている「座敷童子」ですが、その本質は、地方における暗部、ダークサイドの象徴だったと思われます。

 

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「座敷童子」や「六部」、およびそれらに伴う「富」は、地域社会の外部から来る物としてとらえられ、これら外部から来た物が、社会に格差を生み出す物と考えられていたのかもしれません。

 

そして、「富」とは移動する物と考えられ、一種の期待値として、「富」が自身の所に来ることを期待していたからこそ、「座敷童子が移動する。」と言う伝説が生まれたのかもしれません。

 

こうなると、やはり、「座敷童子が居るから裕福になる。」のではなく、「裕福だから座敷童子が居ると考えられた。」とするのが正論のような感じがしてきます。

 

 このように、「遠野物語」や「遠野物語拾遺」における「座敷童子」とは、江戸時代に入り、「貨幣経済」が地域社会にも浸透した事で地域社会にも「貧富の差」が生まれ、その「富の源泉」となる「貨幣」や「財産」は移動すると言う現象を、「座敷童子」や「六部殺し」に例えて伝えた内容だと考えられます。

 

そうなると、「座敷童子」の正体としては、「座敷童子 = 貨幣/財産」とも考えられるような感じもします。

 

 

他方、「座敷童子」や「六部」は、元々、地域社会には存在しない「異人」として扱われるケースもありますが、この場合でも「貨幣経済」が重要な地位を占めています。

 

 

 

■「異人」や「憑き物」の考え方

 

前章で紹介したように「座敷童子」を、地域社会の外部から来た「異人」としてとらえる考え方も存在します。

 

地域社会における「異人」に関しては、関西学院大学の研究によると、次の4つのカテゴリーがあるとされています。

 

第1カテゴリー :外部から一時的に地域に侵入し、用事が済めば立ち去る異人

第2カテゴリー :外部から地域に侵入し、そのまま定着する異人

第3カテゴリー :地域社会内部において作り出された異人

第4カテゴリー :噂は聞いて知っているが、実際には全く会った事も無い異人

 

 前述の「異人殺し」の場合、まずは、第1カテゴリーの「異人」が登場するが、次には「異人」を殺害した家が、第3カテゴリーの「異人」となってしまうそうです。

 

「六部」を殺害して裕福になる事で、地域社会から妬みを買い、地域社会に内部で孤立し、地域社会内の「異人」になってしまうのです。

 

これは、何とも皮肉な展開です。

 

そして、「座敷童子」が住み着いた家も、また地域社会内における「異人」となってしまう点も興味深い点です。

 

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他方、地域社会における第3カテゴリーの「異人」を創り出す仕組みとして「村八分」と言う仕組みもあります。

 

 「村八分」になるには、様々な理由が考えられますが、大きくは、次の2つの理由があります。

 

・地域社会のルールや暗黙の了解を守らない事

・「憑きもの筋」に家になってしまった事

 

村八分」とは、地域社会における「100%の付き合い」の内、「80%の付き合いを遮断する」と言う事を意味しています。

 

地域社会における付き合いには、次の10種類の付き合いがあるとされています。

 

→  葬式、火事の消火、成人式、結婚式、出産時の世話、病気の世話、新築/改築の世話、水害時の世話、年忌法要、旅行

 

そして、これら10種類の共同作業の内、葬式と消火活動は、そのまま放置すると、地域社会全体に悪影響を及ぼすので対応するが、それ以外の8個の共同作業に関しては、一切の交流を絶つ事が、「村八分」とされています。

 

村八分」にされる理由の内、第1の理由は、よく分かると思いますが、第2の理由「憑きもの筋」について、少し紹介します。

 

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 「憑きもの筋」とは、俗にいう「狐憑き」等と呼ばれ、これら「憑き物」は、家系や血筋によって起こると信じられており、地域社会においては、この「憑きもの筋」の家系との婚姻は、厳しく忌避されていました。

 

また、「憑きもの筋」の血筋の者は、憑きものを使役して、他人から財物を盗んでこさせるので、総じて富裕な家が多く、また、憑きものを他人に憑けたりすることもあると考えられ、忌み嫌われていました。

 

まるで「陰陽師」と、「陰陽師」が使役する「式神(しきがみ)」、あるいは、前に紹介した密教の高層や修験者が使役する「護法童子」との関係のようです。

 

さて、このような「憑きもの筋」の家ですが、何かと似ているとは思いませんか ?

 

そうです、「座敷童子」です。

 

この「座敷童子」も、ある説では「憑依する神」と考えられていますので、一種の「憑き物」と同じ扱いになるケースもあります。

 

「憑きもの」が憑依するのに明確な理由はありません。

 

「あの血筋だから」、「あの家だから」、「大同だから」・・・とにかく、何らかの理由を付けて、裕福な家を「異人」として、地域社会から除け者にしようとしているだけだと思われます。

 

つまり、前述の第3カテゴリーの「異人」が発生する原因の一つして、地域社会への「貨幣経済」の流入、および「貨幣経済」の流入による「貧富の格差」の発生が挙げられると思います。

 

「座敷童子」の発生が、「貨幣経済」と関係するとは思っても見ませんでした。

 

 

 

■座敷童子を見ると幸せになれるのか ?

 

 さて、最後に、前述の「立ち位置」の章でも紹介しましたが、「座敷童子を見ると幸せになる。」と言う点について、再度、検討してみたいと思います。

 

前述のように、「座敷童子に会える」等と言う宣伝文句で客を集め、挙句の果てに、ボイラーの点検不備から火災を起こして全焼させてしまったある旅館もありますが、私個人としは、このような宣伝行為は、立派な「詐欺」ではないかと思っています。

 

・座敷童子に会える

・座敷童子に会うと幸せになれる

・実際に座敷童子会った人は必ず幸運になる

・座敷童子は祖先の「亀麿」

 

もう、これだけで立派な詐欺行為のような気がします。

 

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日本の法律に、「不当景品類及び不当表示防止法」、通称「景表法」と言う法律があります。

 

この法律は、詳しい説明は割愛しますが、商品に対して、実際より良く見せかける表示が行われたり、過大な景品付き販売が行われたりする事で、過大広告につられて、消費者が実際には質の良くない商品やサービスを購入する事で不利益を被る事を防止する法律です。

 

この旅館は、存在さえ確かではない「座敷童子」に関して、「座敷童子に会える。」、さらに「座敷童子会うと必ず幸せになる。」等の宣伝を行っていますので、立派な過大広告だと思います。

 

「座敷童子に会うと幸福になる。」とか「座敷童子が居る家は裕福になる。」と言うのは、これまで説明して来た通り、結果論だと思われます。つまり「後付け」の理論です。

 

「後付け」理論では、良しにつけ悪しきにつけ、何か事(イベント)が起こった後、その理由を後付けで当てはまる理論です。

 

幸運の兆しを「吉兆」、不幸の兆しを「凶兆」と呼んでいますが、「座敷童子」の場合、「吉兆」となるのでしょう。

 

【 吉兆 】

・流星を見て願い事をすれば願いが叶う。

四葉のクローバーを見つけると幸福になる。

・白蛇を見ると大金持ちになる。

・彩雲が出ると良いことがある。

【 凶兆 】

・黒猫が前を横切る。

・彗星は災いをもたらす。

・竹の花が咲くと悪い事が起こる。

・雷が落ちると悪いことが起こる。

 

今回、「座敷童子」は「吉兆」とされていますので、「吉兆」について考えてみますと・・・例えば、「四葉のクローバー」を見つけた人は、必ず幸せになれるのでしょうか ?

 

そんな事はありませんよね。 何か良い事が起こった後で、「そう言えば四葉のクローバーを見つけたからだ !」となるのが普通です。

 

つまり、これは、何か良い事があった後で、そう言えば・・・となる「後付け」理論となります。

 

「座敷童子」の場合、たまたま、その旅館に宿泊した人達の内、事業や政治、あるいは研究等で、何らかの成果を挙げた人が、ほんの数名存在したと言うだけの話です。

 

その旅館の場合、創業が1955年(昭和30年)とされており、火事で全焼してから5年後に再建していますので、これまで約59年間営業をしている事になります。

 

毎日、1泊2日で2名の人が宿泊したと考えると、年間730人が宿泊し、これが59年間だと約43,000人が、その部屋に宿泊したことになりますが・・・

 

果たして、その内、何名が「座敷童子」と遭遇し、さらに、その中から何名が幸せ、と言うか、有名人になったのでしょうか ?  恐らくは、ゼロだと思います。

 

「幸せ」の定義は、個人によって異なりますので、宿の判断からは除外して良いと思いますが、やはり、「座敷童子を見ると幸せになる。」と言う宣伝文句は、嘘っぱちだと断定出来ると思います。

 

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そもそも、この旅館が営業を始めたのは、昭和、それも戦後になってからです。

 

本章以前で紹介した「座敷童子」に関しては、江戸時代末から明治、大正期にかけての話で、さらに、その中には、「座敷童子を見た。」と言う話は沢山ありますが、「座敷童子を見たから、その人が裕福になった。」等と言う話は一切ありません。

 

 この点が、「遠野物語」や「遠野物語拾遺」とは、全く異なる話です。

 

さらに、「佐々木 喜善」が、大正13年(1924年)、雑誌「人類学雑誌」に寄稿した「ザシキワラシの話」には、「座敷童子」に関して、83個もの伝承が記載されていますが、その中の、どこにも「座敷童子に会った人が裕福になった」等と言う話は掲載されていません。

 

そもそも、先の「ザシキワラシの話」には、奥州に関しては66箇所、奥州以外では17箇所に現れた「座敷童子」の話を掲載していますが、面白い事に、全焼した旅館がある「二戸市金田一」に関しては、1件も「座敷童子」が現れた事例は紹介されていません。

 

これらの事からも、「二戸市金田一」の「座敷童子」に関しては、【 眉につば 】を付けた方が良い話の可能性が非常に高いと思われます。

 

そもそも、冷静になって考えれば、これまで紹介した定説によれば、「座敷童子」が住み着く家が火事になり、全焼するなど有りえません。

 

少なくても、「火事が起きても虫の知らせで直ぐに消火した」とか、「座敷童子が火事を知らせてくれた。」等と宣伝して欲しいところです。

 

旅館関係者は、火事で全焼したけど怪我人も出なかった、隣接する神社が燃えなかった等、苦し紛れの言い訳を並べ立てていますが、全く話にならないと思います。

 

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 もう1件、盛岡市神町にも、「座敷童子」に会えると言う宣伝をしている旅館があります。

 

こちらの旅館、現在の大女将の実家に居た「座敷童子」が、嫁入り後も、現在、営業している場所(盛岡)まで付いて来たと言う事をウリ文句にしているようですが・・・大女将の実家が何処か解りませんし、何時から盛岡で営業を開始したのかも解りません。

 

また、「座敷童子」の信憑性を高めるための手段だと思われますが、実家があった村で火災が発生した際、村の大半が焼失したのに、この実家は火災を免れたとも伝えています。

 

この点、二戸市の旅館は、全焼してしまいましたので、盛岡市の「座敷童子」の方が、力が強いのもかもしれません(笑)が、何時、何処で、どのような火災が発生したのか等、裏付けとなる説明が全然ありません。

 

全て、当人達の言っている事だけが頼りですので、こちらも「胡散臭さ」は、二戸市の旅館と同等だと思います。

 

 但し、この旅館の「先先先代」となる「小笠原謙吉」氏と言う人物は、「佐々木喜善」や「柳田國男」とも親好があり、自ら「岩手県紫波郡昔話集」と言う書籍を出版したり、または「小笠原謙吉」氏から聞いた話を、またもや「柳田國男」が編纂した「日本昔話記録」と言う書籍を出版したりしています。

 

この話を聞くと、この旅館の「座敷童子」は、少しは信憑性が高いような雰囲気を醸し出していますが・・・

 

しかし、こちらの「岩手県紫波郡昔話集」には、「座敷童子」の話は、1件も収録されていませんので、この旅館が宣伝している話とは、全く関係の無い「こじつけ」だと思われます。

 

ちなみに、前述の「ザシキワラシの話」には、次のような目撃例が掲載されています。

 

盛岡市加賀野新小路、住吉紳社前に古き家がある。昔から此家には不思議な物が居るこて借手が何れも永住しなかつた。君し人が入るさ、夜縁側をトタトタご歩く足音がし、また隣室なごで布團を敷くやうな音をさせ、さうしてもう寝たかなざ、聲をかける。此物に就いて近所ではザシキワラシだこ言ふて居る(大正十年九月四日盛岡で聴く) 』

 

 この旅館がある「天神町」と、雑誌に登場する「加賀野新小路、住吉神社前」というのは、非常に近く、隣接した町となっていますので、ひょっとしたら・・・

 

と言う事は絶対に無いと思います。そもそも時代が違うと思います。

 

また、この旅館、失礼な言い方かもしれませんが、「座敷童子」が住み着いている割には、貧相な旅館です。

 

素泊まりしか出来ない旅館です。客室も全部で6部屋しかありません。

 

これまでの定説通りならば、この旅館に「座敷童子」が住み着いているならば、もっと裕福になっていると思います。

 

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何れにしろ、「座敷童子」を見ただけでは何も起きないと思います。

 

二戸市や盛岡の旅館が、「座敷童子に会える/見える」等を宣伝文句にして客を集めていますが、全くのデタラメだと思います。

 

「座敷童子」は、家に憑依しないと効果がありませんし、また、裕福な家にしか「座敷童子」は憑依しませんので、私のような貧乏人が「座敷童子」を見たところで、話のネタにしかならないと思います。

 

皆さんも「座敷童子」に踊らされないよう注意して下さい。

 

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今回は、「座敷童子(わらし) - 神か霊か、はたまた妖怪か ? 」の「その2」として、次の内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

  • 座敷童子の正体説(途中から)
  • 座敷童子がいるから裕福になるのか ?
  • 「異人」/「憑き物」の考え方
  • 座敷童子を見ると幸せになれるのか ?

 

私個人としては、座敷童子の正体は、やはり「間引かれた子供」の霊だと思いますが・・・普通、殺された人間であれば、その家に祟りをもたらす存在になると思います。逆に、「富」をもたらす存在になるのは、ちょっと納得出来ない点でもあります。

 

しかし、日本では、その昔から、「祟り神」を祀って「神」にすることで、「幸福」や「富」、あるいは「権力」をもたらす存在に祀り上げる行為が数多く行われて来ました。

 

時代は前後しますが、菅原道真崇徳天皇平将門・・・これら三名は、日本における「三大祟り神」とされています。

 

このため、当時の貴族連中は、これら「祟り神」を鎮めるために、必死に、彼らを拝んだのだと思います。

 

過去に弊社ブログで取り上げた「安倍一族」の伝説で紹介した「安部貞任」も、死後に「祟り神」と言うかゾンビ化し、七つに切り刻んで埋めて、その場所に神社を立てたと言う伝説が残っています。

 

★過去ブログ:奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編

 

このように、中世の日本においては、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり、あるいは非業の死を遂げたりした人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊(ごりょう)」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとしてきました。

 

そして、このような信仰を「御霊信仰」と呼んでいます。

 

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しかし、他方「座敷童子」に関しては、これまで紹介してきた通り、神棚等で祀られる存在にはなっていません。

 

この点に関しては、今回は、紹介しませんでしたが、ある説では、次のように紹介しています。

 

『 座敷童子とオクナイ様/オシラ様は、表裏一体の神様である。 』

『 本来、座敷童子は、竈(かまど)神と同類であるが、社会の暗部に埋没してしまった神である。』

 

つまりは、「座敷童子」は、地域社会においては、暗黙の了解のもとで存在する神であり、このため、敢えて祀り上げる必要もない存在だった、と言う説です。

 

「若葉の霊」を、暗黙の了解のもと、無意識の内に神として祀り上げる「御霊信仰」を行い、その結果として「座敷童子 = 富」の象徴になってしまったのではないかとしています。

 

まあ、確かに面白い説ではありますが、何か「こじつけ」のような感じもします。

 

「座敷童子」に関しては、東北地方に伝わる他の信仰や伝説と結び付いて、様々な説が唱えられていますので、今では、もう何がなんだか解らなくなってしまったように思えます。

 

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他方、それを良い事に、自分達の都合の良い存在として、「座敷童子」を宣伝に用いる「小賢しい」連中も存在します。

 

これら旅館から、「お前に何か迷惑を掛けたのか ? 何か、被害に遭ったのか ?」と言われると、全く何もありませんが・・・しかし、存在が明らかになっていない者を利用して客を集める行為に対しては、何だかな~と言う感じがします。

 

 ところが、そう考えると、「じゃ、神様の存在は確実なのか ?」と言う話にもなって来ちゃいそうです。

 

存在が明らかではない「天照大神」を始めとする「八百万の神々」を祀る神社は、どなるのでしょうか ?

 

私は、「無神論者」では無いので、「神」かどうかは解りませんが、それに近い存在は居るのではないかと思っています。

 

言っている事の筋が通らないかもしれませんが、やはり「八百万の神々」を祀る神社と、「座敷童子」を宣伝に用いる旅館とでは、その存在意義は、全く違うと思います。

 

 

最後は、哲学論に近い状況になってしまいましたが、今後も、「座敷童子」に関して、何か新しい情報が入手出来たら(恐らくは無理だと思いますが)、追加情報を紹介したいと思います。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

【 画像・情報提供先 】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

コトバンク(https://kotobank.jp/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

・探検コム(https://tanken.com/index.html)

・妖怪大好きブログ(http://blog.livedoor.jp/choupirako/)

J-STAGE(https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja)

関西学院大学・人権研究(https://www.kwansei.ac.jp/r_human/index.html)

・「座敷わらし」の絵は「つのだじろう」氏が描き、旅館「緑風荘」に送った作品です。

会津美里町教育委員会(http://www.town.aizumisato.fukushima.jp/030/050/index.html)

・獺祭書屋(http://dassaishooku.p2.weblife.me/)