モダナイゼーション 〜 なぜ今、必要なのか ? - 前編

ここ2〜3年で、「モダナイゼーション(Modernization)」と言う言葉を良く聞くようになってきましたが、皆さん、「モダナイゼーション」と言う言葉を聞いた事がありますか ?

また、IT業界お得意の横文字か ?! と感じてると思いますが、少しご辛抱を・・・

「モダナイゼーション」とは、

『 企業の情報システムで稼働しているソフトウェアやハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える。 』

と意味なのですが、何故か、近頃、この言葉が持てはやされています。


似たような言葉で、その昔、「レガシー・マイグレーション」と言う言葉が、盛んに持てはやされて時期がありました。


今から20年位前の頃だったと思います。当時は、まだ企業におけるコンピューターは、「ホスト・コンピューター」が主流の時代でした。

IBM社製「z/OS」、富士通社製「MSP/EX」、そして日立社製「VOS3/FS」等、当時は、これら3社の「メインフレーム・コンピューター」が大人気で、企業の情報システム部に行くと、必ずと言っていい程、これら大型コンピューターの何れか、あるいは全てが導入されていました。

NTT系の企業に行くと、まれに、NTTの下請け企業であるNEC社製「ACOS」が導入されていたりもしましたが、たいていはテスト機で、本番業務で「ACOS」を使っている企業には、余りお目に掛かりませんでした。

弊社過去ブログでも紹介した事がありますが、当時は、空調が効いて寒く、そして、だだっ広い「マシンルーム」に、これらのマシンや磁気テープ装置、そしてハードディスク装置が整然と配置されていたものです。


ちょっと話が脇に逸れますが、その当時、私の印象に残ったのは、関西の電力会社と東京のガス会社のマシンルームです。

関西の企業では、請求書の印刷業務で、超巨大な印刷用紙を使っており、プリンターに紙を供給するのにフォークリフトを使っていました。

また、東京の企業では、ホスト・コンピューターで使うハードウェアが多すぎて、1箇所のマシンルームでは収まりきらず、3つの階に分けて配置していたのには、本当に驚きました。

この階はホスト・コンピューター、その上はプリンターだけ、さらに、その上はハードディスク装置とテープ装置、と言う構成になっており、まさに「どんだけ〜!!」と言う感じでした。

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さて、この「モダナイゼーション」ですが、「レガシー・マイグレーション(legacy migration)」とは、本来は意味が異なります。

「レガシー・マイグレーション」は、簡単に言うと、「メインフレーム」で構築された時代遅れのシステムを、最新システムに切り替える事を意味しています。

当時は、Windows系マシンやUnix/Linux系マシンを「オープン・システム」と定義付けして、システムの「オープン化」とも呼んだり、あるいはマシンの規模や大きさが小さくなるので「ダウン・サイジング」等と呼んだりしていました。

●レガシー・マイグレーション :新システム基盤への移行。業務仕様そのままで新基盤に移行。
●モダナイゼーション :システム近代化によるビジネス競争力強化。業務を見直してシステム刷新。


そして、今、話題になっているのが「モダナイゼーション」ですが、何故、近頃、このモダナイゼーション」と言う言葉がもてはやされる事になったのでしょうか ?

それには、上記でも少し触れましたが、「IT業界」と言うよりは、企業の情報システム部における、システム構築の歴史や、業務のグローバル化等が影響している事が解りました。

そこで、今回と次回の2回に分けて、今話題の「モダナイゼーション」に関して、次のような情報を紹介します。

【 前編 】
●モダナイゼーションとは ?
●レガシー・マイグレーションとの違いは?
●何故、今、モダナイゼーションが必要なのか ?

【 後編 】
●モダナイゼーションの手法
●メリット・デメリット
●モダナイゼーションの罠

それでは今回も宜しくお願いします。

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■モダナイゼーションとは ?


「モダナイゼーション」に関しては、前述の通り、企業の情報システムで稼働しているソフトウェアやハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える、と言う意味で使われています。

そうなると、「それって、これまで行って来たマシンやソフトの入替えと何が違うの ? 」と言う事になるかと思います。

また、前に簡単に説明した「レガシー・マイグレーション」と言う言葉ありますが、これもマシンやソフトの入れ替えです。

どれも、「置き換え」とか「入れ替え」とか言っていますが、要は、「モダナイゼーション」も「レガシー・マイグレーション」も、「新しいハードやソフトにする事なんでしょう!!」となってしまいます。


「レガシー・マイグレーション」との違いに関しては、後述しますが、この「モダナイゼーション」に関しては、これまで行ってきた「置き換え/入れ替え」とは、作業工程が異なります。

通常、ハードウェアやソフトウェアを入れ替える場合、それなりに、ちゃんとした理由が必要です。

企業なのですから、「欲しい! 欲しい!」とダダをこねれば良いと言う訳ではありません。必ず稟議書が必要になります。

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ハードウェアを入れ替える場合、一般的には、ソフトウェアと一緒に入れ替えるケースが多いのですが、ハードウェア単体での入れ替えとなると、「故障」、あるいは「リース切れ」のケースが多く、後は、「費用対効果の見直し」等の理由があると思います。

それ以外では、やはり、ソフトウェアを入れ替えるので、そのついでにハードウェアも最新の物を購入すると言ったケースが多いように見受けられます。そして、ソフトウェアの入れ替えの理由としては、次のようなケースが多く見受けらます。

・ライセンス更新
・サポート切れ
・機能不足
・新型デバイス対応

企業も担当者も、何も問題が無ければ、基本的に、ハードもソフトも入れ替えたくないのが本音です。

ハードやソフトを入れ替えるには、かなりの体力や費用が必要になりますから、誰も、好きこのんで入れ替え作業などやりたくありません。

しかし、某「M社」のように、否応なしに、10年単位でサポートを強制的に停止するメーカーもいますので、ソフト/ハードの入れ替えは仕方がありません。


加えて、ハード/ソフトの入れ替えの際には、当然、現状の仕様や運用を見直し、より使い易く、そして運用し易くなるように検討を行います。このため、企業の情報システム部等では、次のような手順で作業を進めます。

(1)日々寄せられるクレーム情報や改善要求を蓄積する
(2)ハード/ソフトの入れ替えが決まると、改めて社内アンケートを実施する
(3)部門内での仕様/運用変更要求を収集して整理する
(4)上記(1)〜(3)に関して、優先度を付けて対応する項目を決定する
(5)対応項目実現のため予算を獲得する
(6)予算獲得後、要求事項を整理し、要件設計書/スケジュール等を作成する
(7)その後は、スケジュールに従い、それぞれの開発作業を進める。

通常は、(2)〜(6)まで来るのに、半年から1年位、あるいは、ケースによっては、1年以上の作業工数が掛かります。ハード/ソフトの入れ替えは、本当に大変な作業です。


と言う事で注目されているのが「モダナイゼーション」と言うシステムの入れ替え手法です。

「モダナイゼーション」と呼ばれる入れ替え作業の場合、基本的に、仕様の見直しや修正は行いません。つまり、現状の仕様そのままで、新しいハード/ソフトに移行します。

「それって何が違うの ?」

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システム運用やシステム開発に従事した事が無い方にはピンとこないかもしれません。

前述の(2)〜(6)は、ソフトウェアを開発するための作業フェーズとしては、要件設計フェーズと言われる部分の作業になります。

通常、ソフトウェア開発は、作業フェーズを大雑把に分類すると、次の様な7個程度の作業フェーズを経て「本番運用」にこぎ着けます。


1.要件設計フェーズ :システムに求める全てに関する要求事項を決定する
2.基本設計フェーズ :システムに実装する基本的な機能/処理を決定する
3.詳細設計フェーズ :システム実装機能に関してプログラミング・ベースで処理を決定する
4.製造/単体試験フェーズ :詳細設計ベースでプログラミングを行い、簡易試験で動作を確認する
5.結合試験フェーズ :機能/処理単位でプログラミングを結合して試験を何度も実施する
6.総合試験フェーズ :全てのプログラムを結合し、本番運用と同様の試験を実施する
7.切替/移行フェーズ :現行運用から新規システムへの切替や移行のための試験を実施する


と、言うような作業フェーズを経て、新規システムを本番業務に移行して行きます。

システムに関する基本的な事柄は、全て「要件設計」において決定されますので、この「要件設計フェーズ」は、非常に重要な作業となります。

このため、「要件設計」を失敗すれば、システム開発は、必ず失敗します。

よく、「動かないシステム」とか「氷漬けシステム」とか言われているシステム開発の失敗は、この「要件設計」の失敗が原因です。

このように、システム開発に関わる重要な作業ですので、社内の根幹に関わるシステムを開発する場合、この「要件設計」の作業フェーズに、かなりの作業時間が掛けなければならない理由は分かってもらえたかと思います。

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そして、他方、「モダナイゼーション」開発ですが、この「要件設計」を行わず、現状の機能要件のまま、ソフト/ハードを入れ替えますので、開発作業に掛かる負担は、かなり減ることになります。

とは言え、既存システムを他の環境に入れ替える訳ですから、それなりの調査や対策は必要になります。

近頃、よく行われている「モダナイゼーション」の事例としては、「オンプレミス」環境に作成している社内システムを、「クラウド」環境に移行するケースが数多く見受けられます。

「オンプレミス ?」、「クラウド ?」・・・また、これか !? と、眉をひそめないで欲しいのですが、全て日本語で説明すると、次の様な意味になります。


『 社内に構築/保守しているシステム環境を、他企業が提供/管理しているホスティング環境に移行する。』


「オンプレミス 」や「クラウド 」に関しては、過去ブログでも説明していますので、そちらをご覧下さい。

★過去ブログ:Society 5.0って何 ?



現在、社内で管理運用しているシステムを、他社、例えばAmazonの「AWS」やMicrosoftの「Azure」に移行する事で、次の様な点で費用対効果を高めようとする動きが活発です。

・ハード入替え :企業が、最新ハードを用意してくれるので、入れ替えの心配や対応をする必要が無い
・ソフト入替え :これも企業側が用意してくれるので、常に、最新ソフトの利用が可能となる
・センター :データセンター、昔風の呼び方だと「マシンルーム」が不要になる
・各種保守作業 :ハード/ソフト共、サービス提供企業が管理しているので、社員の対応は不要になる


上記のように、既存の社内システムを、現状と同じハードウェア構成で、他企業が提供するサービス環境に、そのまま移行するようなケースでは、ほとんどと言って良い程、現状のままサービス提供企業の環境に移行することが可能です。

但し、ネットワーク環境は、当然、社内ネットワークから、外部ネットワーク環境に切り替わりますので、その点に関しては、接続方法やセキュリティ対応が大幅に変更になる可能性はあると思います。

『 そんなに、良いことだらけなら、ウチの会社も、モダナイゼーションとか言う代物で、オンプレミスなんちゃら環境とかから、クラウドなんちゃらに移行したいので、その方法を教えてくれ !! 』

となるかもしれません。その点は、後でご紹介します。

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■レガシー・マイグレーションとの違いは ?


次に、前述の通り、今から20年くらい前に流行った「レガシー・マイグレーション」と、前章で紹介した「モダナイゼーション」の違いを説明したいと思います。

当時と言うか、現在でも、企業における業務運用の最重要項目は「業務を停止させない。」と言うことに尽きます。

そして、「業務を停止させない」ための前提条件は、「コンピューターを停止させない」事になります。

このため、当時のコンピューターで、信頼性が高いコンピューターとなると、「メインフレーム・コンピューター」だけでした。

2000年前後の時代、Microsoft社から、「Windows NTサーバー」、あるいは「Windows 2000サーバー」がリリースされ出されましたが、こと「システムの信頼性」となると、まだまだメインフレームの足元にも及ばない状況でした。


ハードウェアの信頼性において、PCとサーバーを同列に語るのは変だと言う事は分かっています。

しかし、解りやすい例として、PCで稼働させている各種ソフトウェア、例えば、Excel/Wordを初めとするMicrosoft社の「Office」、あるいは一般的な会計/経理用のソフトウェアがありますが、これらPCで使っているソフトウェアは、簡単にダウンとかフリーズしますよね ?

しかし、企業の基幹業務や勘定系業務に関しては、絶対に、システムがダウンしたり、処理が停止したりする事は許されません。

特に、銀行が提供するATMサービスを初めとする、その他各種オンライン系の業務は、大げさですが、天地がひっくり返っても停止する事など許されません。

ATMが停止すると、ニュースでも速報で流されるほどの重大事故です。また、銀行に限らず、企業の基幹業務が止まると大騒ぎです。

もう、数十年前から、物資の調達から配送、製造/加工まで、全てコンピューター上で管理されていますから、コンピューター、および業務用ソフトウェアが停止すると、会社中で上を下への大騒ぎです。


現在は、どうなっているのかは定かではありませんが、その昔、私が開発したソフトウェアも、バグだらけで、頻繁にダウンしていました。

そして、ソフトウェアが停止する度に、お客様から呼び出されて、次の様な無理難題や暴言を吐かれていました。

「1時間で直せ !!」、「早く直さないと、魚が腐っちゃうんだよ !!」、「遊びじゃねいねんで!!」

これは、その昔の話ではありますが、基幹業務や勘定系業務を停止出来ないと言うのは、今でも変わらない現実だと思います。

そして、現在でも「メインフレーム」と「Windowsサーバー」では、メインフレームの方が、圧倒的に信頼性は高いと思われます。これは、Windows系サーバーに限らず、Unix系サーバーも同様です。

それでは、何故、業務運用で「Windowsサーバー」や「Unixサーバー」が使えるのかと言うと、ホット/スタンバイのシステムの切り替えが出来るソフトウェアや仕組みが出現したからです。


ホット(現用系)/スタンバイ(待機系)のシステム運用というのは、全く同じシステムを、2つ以上の環境に構築し、現在稼働中のシステムがダウンした場合、即座に待機系のシステムに運用を切り替える事で、業務を停止せずに運用出来るようにする仕組みです。

このような仕組みが構築出来れば、ある程度、信頼性が低いシステムでも、運用を停止する事無く、継続的に運用する事が可能になります。

このように、ホット/スタンバイによる待機系のシステムの切り替えが可能になってきた事で、費用が安いWindows/Unix系のシステムに切り替える「レガシー・マイグレーション」が流行り出しました。

とは言え、銀行や保険会社等、商品として「お金」を取り扱っている企業においては、未だに基幹系業務、そして勘定系業務では「メインフレーム・コンピューター」を使い続けています。

これらの企業において、唯一、情報系業務と呼ばれる事務所系や意思決定系の業務に関しては、Windows系やUnix/Linux系システムを使用しています。

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さて、今から20年ほど前に流行った「レガシー・マイグレーション」とは、前述の通り、「メインフレーム・コンピューター」を、Windows系/Unix系のコンピューターに切り替える一連の動きを意味しています。

この「レガシー・マイグレーション」では、単に、マシンを「Windows系/Unix系」に切り替えるだけでは済みません。「レガシー・マイグレーション」を実現するためには、次のような作業が必要になります。

・業務システムの刷新(業務ソフトウェアの変更)
・データベース等、各種使用ツールの変更
・ファイルの変更
・JCLの廃止/バッチコマンド作成

要は、現行、メインフレーム環境で稼働させている全ての業務をWindows、あるいはUnix/Linuxに移行するので、次の様な移行作業が必要になります。

・調査/分析 :メインフレームで稼働している業務の洗い出し、業務プログラムの分析
・設計 :洗い出した業務/プログラムを移行するための設計
・環境構築 :ハードウェア、DB等ツール、およびネットワーク等、新規環境の構築
・移行 :実際の業務プログラムの移行、新規バッチの作成
・試験 :新規構築環境での新規業務プログラムの稼働試験、切り替え試験も実施
・切り替え :実際に全業務を、新規環境にて稼働させる



「レガシー・マイグレーション」には、このような膨大な作業が必要ですので、少なくても2〜3年の作業期間が必要になります。

特に、メインフレーム環境で実行している「COBOL」や「アセンブラ」の業務プログラムに関しては、何十年も前に作成されたプログラムで、仕様書等のドキュメントは、ほとんど存在していないので、どのような処理を行っているのかを、最初から調査/分析しなければならないので、本当に、しんどい作業になります。

一部、「COBOL」や「PL/1」で作成されたプログラムに関しては、各種移行ツールが用意されていますので、何も考えずに、単純に、ツールを使ってWindows/Unix環境でも稼働できるJava等に変換する事も可能ではありますが・・・

この移行ツール、万能ではないので、内部的に無駄な処理が多くなり、パフォーマンスが低下する等の障害が起きている様です。

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「モダナイゼーション」とは、最初に説明した通り、「企業の情報システムで稼働しているソフトウェアやハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える。」事ですので、この「レガシー・マイグレーション」も、「モダナイゼーション」の一つの形態と、言えない事も無いと思います。

しかし、「レガシー・マイグレーション」の場合、どちらかと言うと、「モダナイゼーション」の手前の段階で、まずは、システム稼働環境を、Windows系、あるいはUnix/Linux系の「オープン環境」に移行する、という点に重点を置いています。

ところが、「モダナイゼーション」の場合は、既に「オープン化」が済んでいるシステムを、さらに最新のハードウェアやソフトウェアに移行させる点に重点を置いていますので、その点が「レガシー・マイグレーション」とは異なるのではないかと思われます。


但し、現在もメインフレーム環境で稼働している業務システムを、一気に最新の製品に移行させるのであれば、つまり、レガシー・マイグレーションとモダナイゼーションを同時に行う事になるかと思われます。

「レガシー・マイグレーション」と「モダナイゼーション」は、微妙な関係です。

結局の所、一部Sierやメーカーが、また営業案件を獲得するために、「レガシー・マイグレーション」の事を、言葉を変えて、さも新しい動きであるかのように「モダナイゼーション」と騒いでいるだけの事なのかもしれません。

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■何故、今「モダナイゼーション」が必要なのか ?


さて、今、話題の「モダナイゼーション」ですが、何故、ここに来て、急に人気が出て来たのかというと、それなりの理由があります。

まあ、例の如く、IT系メーカーの思惑も働いてはいますが・・・

前述の様に、日本中、金融系や損保系を除く、ほとんどの企業に於いては、俗に言う「オープン化」対応は終了しています。

しかし、ほとんどの業務が、Windows系/Linux系システムに切り替わったとは言え、該当システムに関しては、相変わらず「オンプレミス環境」、つまり社内で稼働しているので、次のような保守関連費用が掛かります。

・マシンルーム/データセンターの維持費
・ハードウェアの保守サポート費用
・保守担当要員の給与


「既存システムの維持費」には、上記のような項目が含まれます。

そして、企業が、IT関連に投資している年間費用の50%〜60%程度は、これら維持費になっているという統計資料もあります。


加えて、日本の多くの企業は、「バブル崩壊」後の後始末の時に、自社の「情報システム部」を情報小会社として本体から切り離し、最後には、大手Sierや大手IT企業に売り払ってしまっています。

また、自社内に「情報システム部」を維持している企業でも、働いている社員の多くは契約社員で、正規雇用の社員は、主任/係長レベル、俗に言う「役付き社員」以上と言うケースも珍しくありません。


このような状況で、現状のまま既存システムの保守を継続しようとしても、現在は、「人手不足」の状況が深刻化していますので、誰も「3K(きつい、苦しい、帰れない)」と言われる情報システム部門の職場では、働きたがらないと思います。

現在の人手不足に関しては、過去ブログでも紹介していますので、そちらもご覧下さい。

★過去ブログ:バブルの二の舞いか ?

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さて、このような状況を改善するため、貴方が、企業の「最高情報責任者/CIO(Chief of Information Officer)」だった場合、どのような対応を取りますか ?

問題点は、大きくは、次の3点です。

(1)IT投資を抑制したい
(2)とは言え、システムの刷新は行わなければならない
(3)情報システム部の人材不足を解消したい

特に、(1)と(2)は、「トレードオフ」の関係にありますから、普通の状況では、その実現は難しいと言うか、無理だと思われがちです。

しかし、ここに「クラウドによるホスティング」を当てはめると、どうなるでしょうか ?


●IT投資の抑止 → ホスティングを行えばIT投資を減らす事が可能となる
●システムの刷新 → これもホスティングで解消できる
●人手不足 → ホスティング先がハードの保守を行うので社員は不要

「何だ ! ネコの手を借りなくても全て対応出来るじゃないか !? 」

となります。これくらいの考えなら、「CIO」じゃなくても、少しIT系の知識さえあれば、誰でも考え付く内容だと思います。ネコでは無理ですが・・・

そして、さらに「システムの刷新」と言う課題に関しては、本ブログで紹介してきた「モダナイゼーション」を当てはめれば、さらに効果を上げる事が可能です。

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つまり、前章で説明した「モダナイゼーション」までの流れの内、「オンプレミスによるオープン化」から「ホスティングによるクラウド化」の流れが、本章の説明になります。

さらに、情報システムにおける最近の課題としては、複数デバイスへの対応と言う問題も起きています。

従来、社内情報システムは、あくまでも「社内利用」を想定した設計になっており、社外からシステムにアクセスする事など想定していません。

ところが、2018年1月開催されている「第196回 通常国会」で問題となった「働き方改革」ではありませんが、近頃では、営業社員が、外部から社内システムにアクセスするケースが増加しています。

これまでの営業社員の働き方は、概ね、次の様な形でした。


【 午前 】
・出社して、翌日以降のアポイントを取る
・外出してアポイント先を訪問する
【 午後 】
・引き続きアポイント先を訪問し、夕方に帰社する
・帰社後に営業報告を作成する
・その後、余裕があれば、翌日以降のアポイントを取得する
・さらに、その後、「営業会議」と称した「パワハラ会議」が開かれる


営業職は、こんな無駄な働き方ばかり行っているので、一向に生産性が上がらなかったのですが、近頃では、経営者も「ブラック企業」と呼ばれたくない事から、会議等が無ければ、特に会社に出社する必要もなく、報告書等も、外出先から入力して、社内システムに送信するケースが増えて来ています。

加えて、「東日本大震災」を契機とした「事業継承」や「在宅勤務」が注目されるようになり、営業職以外の社員に関しても、在宅勤務を実施する企業も増加傾向にあります。

こうなると、単に社内システムをクラウド化するだけでは済まず、スマートフォンを初めとするモバイル端末から、社内システムにアクセス出来る仕組みを構築する必要があります。


そこで、各社とも、システムの基本仕様はそのままで、モバイル端末から社内システムにアクセス出来る仕組みを検討する事になり、この点が「モダナイゼーション」が注目される事になった次第です。

つまり、「今、何故、モダナイゼーションなのか ?」と言うと、大きくは、次の3つの理由が挙げられると思います。

●自社システムのホスティング化によるIT投資抑止
●同じく、ホスティングによるシステム保守要員の削減
●働き方の変化に伴うマルチ・デバイス対応の必要性

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今回、「モダナイゼーション」をテーマに、その前編として、次の様な情報を紹介しましたが如何でしたでしょうか ?

●モダナイゼーションとは ?
●レガシー・マイグレーションとの違いは?
●何故、今、モダナイゼーションが必要なのか ?

キーワード「モダナイゼーション」でWebを検索すると、未だに「レガシー・マイグレーション」に関する情報が大量に表示されますが・・・まだ、金融/損保系以外の企業で、メインフレームを使っている企業って、そんなに沢山あるのでしょうか ?


まあ、私が、まだ前職に在籍していた頃、今から15年位前においても、IBM社製「z/OS」では、1個の筐体の中に、メインフレームUnix/Linuxを共存させ、ソフトウェアも内部でシームレスに連携させる仕組みも提供していましたので、業務運用の仕方を、きちんと考えれば、闇雲にオープン化対応する必要も無いとは思います。

但し、そうなると、今回のブログでも紹介した「新型デバイス」での対応は難しいと思いますので、やはり、既存資産を活用しながら、何らかのモダナイゼーション対応を行う必要はあるのかもしれません。


今回は、「要件設計フェーズ」を省略して、最新ハードウェア/ソフトウェアに対応する方法として、この「モダナイゼーション」を紹介しましたが・・・私は、今更なのですが、この紹介の仕方には、疑いを抱いています。

私自身は、ソフトウェア、つまりプログラムを作成する作業において、「要件設計が不要」等という事は、絶対に有り得ないと思っています。

例えば、既存システムの要件を踏襲した形で、前述の「新型デバイス対応」を行うとした場合でも、次の様な要件を明確にしなければ、システムの開発など行うことは不可能です。

・どの新型デバイスに対応するのか ?
・そのためには、どの部分を改修する必要があるのか ?
・新型デバイスに対応した場合、パフォーマンスは、どこまで保証するのか ?
・開発スケジュールは ?
・予算は ?
・セキュリティは ? ・・・・

今、簡単に考えただけでも、上記以外、軽く10項目以上の項目に関して、何らかの要件を決めなければならない項目を思い浮かべる事が出来ます。

これら要件を無視して、「既存システムの要件と一緒だから・・・」の一言で開発に着手した、トンデモナイ事態になります。


Webで検索したメーカーや業者のウリ文句を鵜呑みにせず、本当に必要な事を、きちんと洗い出した上で、開発に着手した方が、絶対に良いと思います。

その上でも、次回、モダナイゼーションの後編として、次の様な項目を紹介します。

●モダナイゼーションの手法
●メリット・デメリット
●モダナイゼーションの罠

是非、次回もご覧になって頂ければと思っていますので、宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・日経クロステック(http://tech.nikkeibp.co.jp/)
独立行政法人 情報処理推進機構(https://www.ipa.go.jp/)

【株式会社 エム・システム】
本      社  :〒124-0023 東京都葛飾東新小岩8-5-5 5F
           TEL : 03-5671-2360 / FAX : 03-5671-2361
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岩手/盛岡と「馬」の関係 〜 本当に「お馬様様」です! - 前編


今年の年末年始は、2年振りに、弊社事業所がある盛岡で過ごしました。

滞在していた頃は、それほど寒くもなく、市内にも、全く雪も積もっていない状況で、穏やかな年末年始でした。

まあ、「寒くない」と言っても、「氷点下6℃」程度ですから、東京なら「大寒波」の状況です。

そんな中、夜は何もする事が無いので、ローカルテレビを、ボ〜と眺めていたのですが、ある地域ニュースに見入ってしまいました。

そのニュースは、次の様な内容でした。

盛岡市松尾町にある馬検場が、83年の歴史に幕を閉じ、解体される事が決まりました。』


「あ〜、馬検場かぁ〜、懐かしいな〜」と言う事と、その昔、今から50年近く前に、雨の日に、「馬検場」の中で、友達と「メンコ遊び」をしていた場面を、急に思い出しました。

「馬検場」と言っても、ほとんどの人は、「はぁ、何それ ?」と言う感じだと思います。

「馬検場」、簡単に説明すると、「馬の競り」を行っていた場所になります。

私が小学生の時、雨が降ると、当然、外で遊べなくなるのですが、この「馬検場」は、上の画像の通り、2階建て構造になっており、その下は、馬が競りで歩き回れる様に土が敷いてあったので、「メンコ遊び」には最適の場所でした。

それ程、何回も、この「馬検場」で遊んだ覚えは無いのですが、何故か、ニュースを聞いた瞬間に、フラッシュバックの様に、思い浮かびました。

別に、嫌な記憶ではないので、「フラッシュバック」と言う表現は適当では無いかもしれませんが、雨が降っている光景、メンコ遊びをしている光景、その時に遊んでいた友達等、数十年振りに思い出しました。

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盛岡市松尾町」は、盛岡八幡宮がある「八幡町」の隣に位置しています。

左に、私達の、当時の「縄張り」を示す地図を掲載します。

右端の私の実家から、左端の「馬検場」までは、約1.5Km程度の距離になります。

当時は、私は、地図の右上にある「山王(さんのう)小学校」に通っていましたが、遊びの中心地は「盛岡八幡宮」でした。このため、「馬検場」は、八幡宮からならば、子供でも歩いて5分程度の場所でした。

「馬検場」の歴史を、ちょっと調べてみると、「馬検場」が、松尾町(旧:新馬町)に移転したのは1912年(大正元年)とされていますし、馬の競りが最後に行われたのは「1995年(平成7年)」までとなっています。

そして、私が、「馬検場」で「メンコ遊び」をしていたのは、小学校3〜4年生頃、1970年代(昭和45年)頃だと思います。

当然の事ながら、既に「馬検場」の建物は古びており、二階にも、そして周囲にも誰も居なかったので、てっきり、もう空き家で、誰も使っていないと思っていたのですが、当時も、まだ「競り」が行われていたとは驚きです。

それ以上に、あの「馬検場」の建物自体が、まだ残っていた事自体が、驚きでした。

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今年の初詣は、当然、「盛岡八幡宮」に行ったのですが、その時に、車を駐車する場所が無かったので、松尾町の親戚の家に、車を駐めさせてもらいました。

そして、親戚の家から、「盛岡八幡宮」まで歩いて行く途中、「馬検場」の前を通りかかりましたが、その時に「まだ、馬検場、残って居たんだ !」と驚きました。

一緒に居た私の息子に、「馬検場って、意味分かる ?」と聞いたのですが、答えは当然、「分かんない。」でした。

「昔は、ここで、馬の競りをしていたんだよ。」と言っても、「競りって何 ?」から始まりましたが、私も、実際の「馬の競り」は見たことが無いので、「競り」の基本的な事だけは教えてあげた次第です。

その時は、特に、「メンコ遊び」の事は思い出さなかったのですが・・・何故か、「解体される」と聞いたとたん、「メンコ遊び」の事を思い出したのは不思議でした。

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盛岡に限らず、岩手県各地では、かなり前、恐らく平安時代頃から馬の飼育が盛んだったようです。

あの「奥州藤原氏」も馬の飼育を盛んに行っていた様ですし、その後、移り住んだ「南部氏」も、馬を活用して外交や経済運営を行って来ました。

さらに、遠野地方では、人間と馬が結婚する「異類婚姻譚(いるい-こんいん-たん)」となる「オシラサマ」と言う風習も残っています。

岩手県内で「馬」関係のイベントや風習を取り上げると、次のような物があります。

チャグチャグ馬コ
オシラサマ
・南部曲り家
・郷土玩具「南部駒」
・南部流鏑馬
・蒼前神社信仰
・厩猿(うまやざる)信仰

何か、もうキリがないほど、沢山の風習やら民間信仰やらが現れます。

そこで、今回は、盛岡・岩手の人々と「馬」の関係について、次のような内容を紹介したいと思います。

但し、「馬」との関係は、古墳時代から現在に至るまで、長きに渡る関係になりますので、前後半の2回に渡って紹介したいと思います。

【 前半 】
古墳時代奈良時代の「馬」との関係
平安時代の「馬」との関係
●平安末期〜室町時代の「馬」との関係
●戦国時代〜江戸時代までの「馬」との関係

【 後半 】
●近代における「馬」との関係
●岩手における「競馬」の歴史
●現在の「南部馬」と「在来馬」の紹介
●馬検場の歴史

それでは今回も宜しくお願いします。

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古墳時代奈良時代の「馬」との関係


岩手県を含む東北地方は、古くから馬の名産地として有名でした。

かつて、この地域を支配した阿弖流為(アテルイ)をリーダーとした蝦夷安倍氏奥州藤原氏、そして南部氏も、馬を、当然、軍事に用いたり、あるいは政治の道具として利用したりして来ました。

本章では、時代区分毎に、岩手県を含む東北地方の「馬」について説明したいと思います。

さて、それでは、いつ頃から、東北地方に「馬」が存在したのかと言うと、確実な情報としては、奥州市水沢区にある「中半入(なかはんにゅう)遺跡」から、5世紀後半と思われるの3頭分の馬の骨と歯が出土しています。

このため、東北地方でも、古墳時代には、既に、この地域には、馬が存在した事が分かっています。


また、歴史書に、東北地方の馬が最初に登場するのは、平安時代後期に作成されたと伝わる史書扶桑略記(ふそうりゃっき)」になります。

その第六巻「起元明天皇紀盡聖武天皇紀上」には、下記の通り、奈良時代初期となる「養老二年(718年)、出羽と渡島の蝦夷87人が朝廷に来て馬を千匹献上した。」と言う事が記載されています。

『 八月乙亥日、出羽並渡嶋蝦夷八十七人來、貢馬千疋。則授位祿。 』


他方、日本全体で見ると、中国の西晋時代(265〜316年)に、「陳寿」と言う名前の官吏が作成した、俗に「魏志倭人伝」と呼ばれている史書には、『 3世紀末の日本に馬、牛、そして羊はいない」と言う記述があるそうです。

『 其地無牛馬虎豹羊鵲 』

その後、山梨県甲府市にある、古墳時代中期となる4世紀後半と見られる「塩部遺跡」から、馬の「下顎の歯」が10本出土したそうです。

このため、関東や東北では、4世紀後半〜5世紀後半において、既に「馬」を活用する文化が出来上がっていたのではないかと推測されます。



ちなみに、教科書等に出て来る『魏志倭人伝』とは、中国の歴史書三国志」の中にある、30巻で構成されている「魏書」の中に書かれている「烏丸鮮卑東夷倭人条」の略称です。

魏志倭人伝』と言う書物がある訳ではありません。

上記「魏書(魏志)」の中の末尾に、「烏丸鮮卑東夷伝」が書かれていて、さらに、その最後に「倭人条」と言う項目があり、そこに弥生時代の倭の国の事や暮らしの様子が書かれているだけです。

知っていましたか ? 私は、「魏志倭人伝」と言う歴史書が、単体で存在している物とばかり思っていました。

この「魏志倭人伝」が注目されているのは、「馬」の事が書かれているからではなく、「邪馬台国」と「卑弥呼」の事が書かれているからです。

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さて、「馬」に話を戻すと、一般的な通説としては、古墳時代の4世紀後半、朝鮮半島にあった「百済」と「大和朝廷」が親交を深める過程で、モンゴル系の草原馬が、日本にも持ち込まれたとされています。

このため、九州地方から奈良・京都を含む関西付近では、体高130cm程度のモンゴル系の「小型馬」が使われていたと考えられています。

しかし、この説とは別の「二派渡来説」と言う学説もあるようです。

それと言うのも、前述の九州経由の馬は「小型馬」なのですが、東北地方や関東地方には、中国大陸東北部やロシアから流入した思われるターパン系の高原馬である体高150cm程度の「中型馬」が居たと考えられています。

また、大和朝廷に古代馬が導入されて、半世紀も経たない内に、中央から遠く離れた東北地方に、何故、そんなに早く馬が存在したかと言う疑問が古くからあった様です。

このため、東北地方や関東地方には、当時、朝鮮半島にあった「高句麗」系の人や馬が移り住み、九州や関西とは、異なる生活を営み、これが「蝦夷」と呼ばれていたと言う説があります。

そこで、「新羅百済」系の大和朝廷と、「高句麗」系の蝦夷が、長きに渡り戦い続けて来たという話になっているようです。

また、大和朝廷が、なかなか蝦夷に勝てなかったのは、実は、「馬」の種類が大きく影響していた、と言う説もあります。


つまり、大和朝廷側の馬は小型で貧弱だったので戦闘用ではなかったが、蝦夷側の馬は、中型で頑丈だったので、まさに戦闘向きの馬だった事が影響しているとも言われている様です。

実際、時代は、かなり後になりますが、「南部氏」が育成した馬は、他の地方の馬と比較すると大型だったので「南部馬」とよばれて珍重された事が分かっています。

当時、一般的な馬の体高は130cm前後だったようですが、「南部馬」の体高145cm程度はあったとされています。

これは、前述の「草原馬」と「高原馬」の違いと一致していますので、何となく「二派渡来説」の信憑性が高まるような感じがします。

更に、これも一説ですが、「源 頼朝」が、「南部 光行」を陸奥国「糠部(ぬかのぶ)郡」に送ったのは、馬の飼育・育成が目的だった、と言う説もあるそうです。

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平安時代の「馬」との関係

さて、そんな馬の名産地だった東北北部ですが、「南部馬」が有名になる前から、この地域は、馬の名産地とされていました。


現在の岩手県青森県の県境付近を前述の通り「糠部郡」と呼んでいたようですが、平安時代の末期まで、この付近には、「郡」が置かれていなかったそうです。

ところが、平安時代末期、陸奥国で、数々の戦乱が発生し、最終的に、「奥州藤原氏」が、陸奥国を支配する事になりますが、その最初の出来事である「前九年の役(1051〜1062年)」の後、「延久2年(1070年)」に、朝廷が、蝦夷の完全制圧を目的にして軍を派遣しますが、これを「延久蝦夷合戦」と言い、この戦の後に、現在の盛岡市以北にも「郡」を設置したそうです。

そして、この「糠部郡」には、「九ヵ部四門の制(くかのぶ-しかどのせい)」と呼ばれる管理制度が敷かれました。

これは、「糠部郡」を、「一戸(いちのへ)」から「九戸(くのへ)」までの9個の「戸(部)」に分け、その「戸」の下に7つの村を置いて管理し、さらに余った四方を「東門」、「西門」、「南門」、そして「北門」の4つの「門」と呼ばれる行政区画で管理する制度となります。

その後、この「糠部郡」が、「糠部の駿馬」、あるいは「戸立の馬」と呼ばれる馬の名産地として、歴史書にも登場するようになります。

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前九年の役」で奥州を支配したのは「清原氏」ですが、その後の「後三年の役(1083〜1087年)」により、奥州は、「藤原氏」が支配する所となります。

そして、この「奥州藤原氏」も、引き続き、「糠部郡」を始めとする、「牧(戸)」と呼ばれた場所で、「馬」の飼育を続けました。

弊社ブログに何度も登場する「奥州藤原氏」の始祖「藤原清衡(清原清衡)」ですが、その名前が、初めて都に登場するのは、時の関白「藤原師通(もろみち)」の日記とされる国宝「後二条師通記」と言われています。

この「後二条師通記」は、「永保3年(1083年)」から「康和元年(1099年)」まで書かれた日記となります。


そして、その中の「寛治5年(1091年)」の11月15日の部分に、下記の文と一緒に、朱書きで「清衡始めて殿下に馬を貢ず」と言う内容があったそうです。

『 亥の刻(午後十時)ばかり、盛長朝臣来りて云う、関白殿(師実)の御使なり、清衡̶陸奥の住人なり、馬三匹進上の由仰せられるところなり、承りおわんぬ、文筥を開みのところ、二通の解文、申文筥に入る云々 』


さらに、「師通」の子「藤原忠実(1078〜1162年)」の代になっても、「清衡」が、頻繁に頁馬(こうば)していた事は、「藤原忠実」の日記「殿暦」にも記載されているそうです。

「殿暦」は、「承徳2年(1098年)」から「元永元年(1118年)」までの出来事が記載されているそうですが、「奥州藤原氏」は、巧みな政界工作で、奥州を実質的に支配していった事が伺えます。

この他にも、「奥州藤原氏」は、「金」を始め、当時の蝦夷(北海道)とも交易を行い、珍しい水豹(アザラシ)の毛皮等を、せっせと朝廷に貢いでいた事が分かっています。


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■平安末期〜室町時代の「馬」との関係


さて、その後、平安末期から鎌倉初期の頃になると、今度は、「糠部郡」の支配者が、「藤原氏」から「南部氏」に変わる事になります。

鎌倉時代末期、正安2年(1300年)頃に、鎌倉幕府内の複数の編纂者によって作成された歴史書に「吾妻鑑(東鑑)」と言う史書があります。

この歴史書は、作成された経緯から、北条氏側の視点で作成されていると言う側面はありますが、平安末期となる「治承4年(1180年)」から、鎌倉幕府設立後の「文永3年(1266年)」までの出来事が記載されています。

そして、この「吾妻鑑」には、前述の「糠部郡」や「戸」の「駿馬」に関する様々な記述があるようです。

【 文治五年(1189年)9月3日 】
文治五年九月小三日庚申。泰衡數千の軍兵に圍被、一旦の命害を遁れん爲、鼠の如く隱れ。退くこと鶃に似たり。夷狄嶋を差し「糠部郡」へ赴く。

【 文治五年(1189年)9月17日 】
文治五年九月小十七日甲戌。毛越寺建立に際し、藤原基衡は本尊造立を仏師雲慶に依頼した。制作する本尊を上中下の三等級の何れにするかとの運慶の問いに対し、基衡は中と答え、その謝礼として、金100両、鷲羽根100尻、水豹(アザラシ)の皮60数枚、安達絹1000疋、希婦細布(けふのせばぬの)2000端、糠部の駿馬50頭等々を与えた。

【 文治六年(1190年)3月14日 】
文治六年三月小十四日戊辰。源頼朝奥州藤原氏陸奥貢馬(むつくめ)に倣い、後白河院に「戸立(へだち)」を20頭献上した。後白河院は「戸立」に興味を示し、どこの「戸立」を訪ねた。


また、これ以外にも、次のような有名な御家人や人物が、「糠部郡」の「戸立の馬」を愛用していた事も分かっています。

・佐々木 高綱 :「生唼(いけずき)」 / 「七戸」産
・梶原 景季 :「磨墨(するすみ)」 / 「三戸」産
・熊谷 直実 :「権太栗毛(ごんたくりげ)」 / 「一戸」産
・熊谷 直実 :「西楼(※替え馬)」 / 「三戸」産


また、「糠部郡」の馬ではありませんが、「源 義経」の愛馬は、何れも岩手県産の「南部馬」と言われています。

太夫黒(たゆうぐろ) :「一関市千厩町」産、「一の谷の戦い」鵯越で活躍
・小黒(こぐろ) :「遠野市」産、平泉滞在中の愛馬

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その後、前述の通り、奥州合戦の功労者として、「南部光行」が、「源 頼朝」より、「糠部5郡」を賜った事が、南部藩史書「南部史要」に記載されています。

そして、「南部光行」は、鎌倉時代となる「建久2年(1191年)」の12月29日、現在の青森県三戸郡南部町に入ったとされています。

鎌倉幕府滅亡後も、この「糠部郡」は、「名馬の産地」として有名で、かつ土地が広かった事もあり、様々な勢力が入り乱れて支配を目指したのですが、結局、この「南部氏」が、他勢力を圧倒し、糠部郡全土を掌握しました。

その後、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、そして明治時代に至るまで、「南部氏」は、この地を支配し、後に「南部駒」と呼ばれる名馬を産出し続けます。


室町時代になると、「南部駒」は、既に名馬の地位を確率していたようで、「糠部郡」から、京・大阪に送られる「糠部の駿馬」は、人気の的だった様です。

このため、「糠部の駿馬」には、その産地を証明するために、「馬印」と呼ばれた焼印が押されていました。

戦国時代となる「永正5年(1508年)」に、「八条近江守房繁(はちじょう-おおみのかみ-ふさしげ)」が作成した「馬焼印図」と言う書物には、「一戸」から「九戸」の各牧(戸)から連れて来られた馬に押された烙印に関して、下記内容が記載されています。

『 一ノ部(戸)10か村の馬は、両印雀(左右に雀)の烙印。ただし、桂清水の馬のみは特別に片車の印を押したという。二ノ部7か村の馬は、両印雀と二文字の印。ただし、あひかびの馬のみは四ツ目結。この印は、牧の本主(旧領主)佐々木庶子の家紋という。あひかび牧の別名を佐々木ノ部と称する。三戸〜八戸は省略して、九戸の馬は雀印であったという。 』

現在、この「馬焼印図」の原本は消失してしまったようですが、江戸時代後期、「文政4年(1821年)」に、幕府の命令により「屋代弘賢(ひろかた)」が編集を始めた「古今要覧稿(ここんようらんこう」に、糠部郡9ヶ所の「馬焼印図」が掲載されています。

ちなみに、「八条近江守房繁」とは、「八条流馬術」の創始者で、その後「八条流馬術」は、徳川家や伊達家などに伝わり、特に、仙台「伊達藩」では、代々「八条流馬術」の後継者が、馬術師範家を世襲したそうです。

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ところで、「南部光行」が、糠部郡を拝領してから150年間は、「糠部郡」における「南部氏」の消息を伝える記録は殆ど残っていないようです。

前述の「吾妻鑑」にも、「建久元年(1190年)」には、「源 頼朝」と一緒に「鶴岡八幡宮」を参拝した旨が記載されており、また「建久6年(1195年)」にも、「源 頼朝」と一緒に上洛した事が記録されています。

このことから、「南部氏」は、ほとんど「糠部郡」には居住せず、鎌倉にあって「源 頼朝」の傍で暮らしいていたことが明らかになっています。

このため「糠部郡」には代官を置き、「糠部郡」で生産した馬を、関東に提供する仕事に従事していたのだと考えられています。

この頃、「南部氏」が開設した「牧」は、主要なところで9カ所ある事が分かっており、その牧は「南部九牧(なんぶ-くまき)」と呼ばれ、下記の「牧」があったようです。

(1)住谷野 :現在の青森県三戸郡三戸町
(2)相内野 :青森県三戸郡南部町
(3)又重野 :青森県三戸郡新郷村
(4)木崎野 :青森県上北郡三沢市
(5)蟻渡野 :青森県上北郡横浜町および野辺地町北部
(6)大間野 :青森県下北郡大間町
(7)奥戸野 :青森県下北郡大間町
(8)三崎野 :岩手県九戸郡
(9)北野 :岩手県九戸郡

但し、「南部九牧」での牧野経営が本格的なものになったのは、室町時代以降の事とされており、さらに、この「牧」の他にも、田鎖野、妙野、広野、立崎野の4つ「牧」があり、「南部氏」の「牧」は、公牧で、計13カ所あった事が分かっています。

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■戦国時代〜江戸時代までの「馬」との関係


戦国時代から江戸時代になると、「南部馬」の評価は上がる一方で、前述の通り、藩直営の牧場が数多く作られた様です。

その後、妙野(現:八戸市)と広野(現:久慈市)は、江戸時代初期「寛文4年(1664年)」に、盛岡藩二代「南部重直」の死後、「八戸藩」が、「盛岡南部氏」から分離独立する際に、八戸藩初代「南部直房」に、領地共々移封されています。

また、田鎖野、および立崎野の「牧」は、江戸時代中期の「元禄年間」から「享保年間」の間に廃止されてしまったそうです。

しかし、その他の「公牧」は、明治時代を経て、昭和の太平洋戦争中に至るまで脈々と存続し、多くの「南部馬」を産出してきました。

これらの牧場では、係りの役人が、「馬」毎に、毛色、身長、年齢、および性別を記した精細な記録を取り、各牧場の管理者である「御野守」や、総牧場管理者となる「御野馬別当」に報告していた事が分かっています。

また、南部藩の領地は、冬季は雪が多いので、雪が多い地域では、積雪や寒凍を避けるために、各村の農家に「馬」を預けて保護していたそうです。

さらに、「馬」に対しては、御馬医、御馬責(調教師)などの馬肝入(世話人)が設けられ、手厚く保護/管理されていた様です。

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そして、「南部馬」の評価を高めたのが、幕府や大名による「馬」の購入です。

慶長年間(1596年〜1615年)頃から、「南部馬」の購入担当が、盛岡に入る様になり、これを「御馬買役人」と呼んで盛岡藩では歓迎するようになり、藩内の良馬を城下に集め、「馬市」を開催して自由に購入できるようにした様です。

当時、盛岡に「馬」を購入しに来た大名には、次の様な方々が居た様です。もちろん、当人が、直接、盛岡に来る訳はなく、各藩の購入担当が来て、「馬」を購入した記録が残っているそうです。



寛永21年(1645年) :越前宰相「松本忠昌」 福井藩
・正保3年(1646年) :尾張大納言「徳川義直尾張藩
・ 同年 :青山幸利(青山大膳) 摂津国尼崎藩
・ 同年 :美濃守「稲葉正則小田原藩
・ 同年 :左京大夫「丹羽光重」 二本松藩
・ 同年 :大和守「松平直基」 播磨姫路藩
・慶安二年(1649年) :幕府御馬買役人二名(幕府馬方「中山勘兵衛」他1名)
・ 同年 :佐渡守「牧野親成」 京都所司代
・ 同年 :青山幸利(青山大膳) 摂津国尼崎藩
・ 同年 :陸奥守「伊達忠宗」 伊達藩主
・ 同年 :能登守「本田忠義」 白河藩


上記以外の大名、および幕府の役人も、大挙して盛岡に買い付けに来ていることが記録されているようです。

それでは、当時、「南部馬」の価格は、どれ位だったのかと言うと、これも過去ブログに何度も登場する盛岡藩家老の日記「雑書」の中に、慶安二年(1649年)、幕府の馬方役人「中山勘兵衛」が、「馬」を購入した時の記録が残されています。

『 十一日、御馬買衆御両人ニて、馬七十四頭御買いなされ候。但し高価八両 』


「馬1頭が8両で高価」と書かれているようです。

それでは、「8両」が、現在の価格にすると、どの位の値段なのか、と気になるのが普通だと思いますが・・・「1両」を現在の価値に置き換えるのは、非常に難しいのだそうです。

また、江戸時代も、現在と同様、物価は変動していますし、価値自体、商品と労働対価とで、だいぶ異なる値段になっている様です。

ちなみに、商品の場合は「1両=13万円」位らしいのですが、これが「大工仕事=30万円」位に跳ね上がるのだそうです。

現在でも、今から数十年前、私が初めてタバコを買った時には、「セブンスター1箱=150円」でした。それが、現在では「450円」もします。値段が3倍にもなっています。

また、江戸時代中頃の「馬」の値段は、「馬1頭=45両=1,650,000円」と言う比較資料もあります。

と言う事で、現在の価値に置き換えるのは難しいのですが、無理矢理、上記価格の中間を取り「1両=20万円」とすると、「馬1頭=8両=160万円」位となるのだと思います。


さて、このように、盛岡に、年に何度も、馬の買い付け担当役人が大挙して来ているので、盛岡藩は「ウハウハで大喜び」かと言うと、そうでもなかったようです。

馬の買い付けに来るのは、盛岡藩よりも、格式の高い大名の部下や幕府の役人なので、買い付けに来る役人を接待しなければなりません。

そのために、盛岡藩では、藩主自ら「鷹狩り」を催したり、あるいは城下町以外にも「馬」を買い付けに行くために道の整備をしたり、訪れた村でも役人を歓待したりと、かなり面倒だった様です。

特に、「鷹狩り」や「道路整備」で駆り出される地元民には不評だったらしく、この「馬の買い付け」対応は、「元禄7年(1694年)」までで打ち切りとなってしまった様です。


その後となる天保年間(1716〜1736年)には、江戸の「府中六所宮(ふちゅう-ろくしょのみや)」と浅草「薮の内」、および「麻布十番」の3か所で、毎年12月に「馬市」が開催されていたそうです。

この「馬市」には、当時、南部藩の馬宿を努める3軒の馬喰が「藪の内」にあったそうなので、その馬喰から、各「馬市」に馬を連れて行って売買していた様です。

しかし、その後、府中六所宮の馬市が中止となり、浅草「薮の内」と麻布十番の2か所だけで行われるようになったそうです。この場所は、現在の台東区花川戸二丁目辺りになるそうです。

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一方、盛岡藩では、武士の「石高」により、「馬」の飼育が義務付けられていた様です。

江戸時代初期には、石高「百五十石」以上の武士は、「騎馬」で出陣する決まりがあったので、それに伴い、自身で「馬」を飼育しなければならなかったそうです。

江戸時代中期には、飢饉等の影響もあり、石高は減免されたようで、「元禄8年(1695年)」以降は、「馬」を飼わなければならない石高は「三百石以上」か、あるいは役職付きの高級武士のみが、「軍馬」育成の義務を負う様になったそうです。

また、「馬」の飼育に関しては、当初は、藩直営の「牧場」だけだったのですが、民間でも飼育が認められるようになったみたいです。

しかし、その管理は厳しく、藩から「御馬責」と呼ばれる調馬師や、「駒改め」と言う役人が、村々を巡回して検査していた様です。

『 所々駒改に御馬責弥平次・与伝次・御徒之欠端金丞此三人達し侯間、隠密なく馬共改めさせ申すべく候。一疋成り共隠密の由脇より申し出でる者侯はば隠密の者は申すに及ぼす其処の肝煎迄も曲事仰せ付けらるべきものなり。 』

そして、藩内で「馬」の飼育が盛んになるにつれ、盛岡城下で「馬市」も盛んに開催されるようになった様です。

前述の「正保4年(1647年)」の日記には、次のような記録が見られます。

『 十四日、今日、馬口労町に於いて、馬共見初、馬場へは、毛馬内九左衛門を遣わす。』
『 朔日、盛岡新馬町にて、せり駒仰せ付けられ、岩手中、雫石・盛岡へ、御馬方川口主悦・船越与兵衛、今日仰せ付かる。』

当時、幕府の馬買役人や諸大名から派遣された軍馬購入役人は、「馬口労町(馬喰町)」で「馬」の検査を行うのが慣例だったそうですが、後に、このイベントが、「馬の競り市」になったと考えされています。

また、「馬口労町(馬喰町)」と「新馬町」とは、同一の場所で、現在の「盛岡市清水町」に付近にあったと考えられています。

そして、「馬」売買を管理するために、「貞亨元年(1684年)」には、「御掫駒奉行」は、九組二十人が任命されており、盛岡の「二歳駒掫奉行」四人を例外とすると、領内には、八組の奉行が派遣されたとされています。

この八組の奉行人が、代官所ごとに「掫駒市」を開催したとすれば、領内三十ヵ所近い馬市が開かれたと考えられています。

さらに、「馬」の飼育数は、「元禄12年(1699年)」の調査によると、九牧の総馬数は「711頭」で、その内「雄馬」は各牧場に1頭、繁殖用の「牝馬」は521頭、その他は仔馬や駄馬となっている事が記録されています。

「はぁ、馬の名産地とか言いながら、たった711頭しかいないの ?」と思うかもしれません。しかし、この数字は「公牧」だけの数です。

領内全体では、「寛政九年(1797年)」の調査結果によると、民間だけで「87,215頭」もの「馬」が飼育さえていた記録が残っているそうです。

ちなみに、「公牧」で飼育している馬は「御野馬(おのま)」、一般の農家で飼育した馬は「里馬」と呼んで管理していたそうです。

本当に詳しく管理されていた事が解ります。

ちなみに、「昭和13年(19398年)」に発行された「岩手縣の産馬と盛岡の糶駒市について(佐藤保太郎著)」によると、昭和10年当時、東北6県の内、馬の飼育数が最も多いのが岩手県で84,000頭となっており、これは日本一の飼育数とされています。そして、二番目は福島県の78,000頭ですが、その差6,000頭もあり、断トツだとしています。

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さて、領内で、9万頭弱もの「馬」を飼育しているようですが、それでは、この飼育した「馬」を、どうしているのかと言う事になります。

「公牧」で飼育している馬は、藩が管理していますので、前述の通り、大名や幕府に売買したり、贈与したり、あるいは高級武士達が買い上げて利用したりしています。


そして、その他一般の農家で飼育されていた「里馬」に関しては、「藩令」を出して、厳しく管理しています。「宝永三年(1706年)」には、領内飼育の馬について、次の八ヵ条を布告して事が、「南部史要」に記載されています。

(1)母駄(牝馬)を上中下の三等級に区分し、本帳(馬籍帳)に登録する事
(2)複数人で判別するので髪を切りおく事
(3)父馬も髪を切り一般牡馬と区別する事
(4)記帳漏れのないようにする事
(5)記帳漏れの場合は、馬主、五人組、肝入まで責任を問われる事
(6)許可なくして他領に馬を出すことを禁止する事
(7)他領に売払いの馬は、老馬、十歳以上の小荷駄、下駄等とし、代官の許可を得る事
(8)馬市は、盛岡、郡山、花巻の三ヵ所に限られ、上馬・中馬・上駄・中駄の他領出は禁じる事


一般的には、上記のような決まりで管理していたようですが、五戸、および七戸から産する「馬」だけは優秀だった様で、この地方の下等級の駄馬でも、他地方の上級中級に準ずるとして特別扱いにしていた様です。

そして、飼育している「馬」が、「二歳馬」になった秋になると、藩が特定の場所に「馬」を集めて検査し、上中下の等級を付けて帳簿を調整し、上級と判定された「牡馬」は、藩有の乗馬にもなったり、「馬市」で競売されたりして、飼育者に歩合金が支払われたそうです。

それでは、どの位の料金で藩が買い上げていたのかと言うと、後年、大正4年に発行された「岩手県産馬誌」によると、「御用馬」として買い上げる場合、競買の最高価に、さらに「一両」を追加して買上げていたそうです。

本当か否かは解りませんが、これが本当ならば、結構、思いやりのある買い上げ方法だと思います。

そして、実際の記録によると、江戸時代末「文久元年(1861年)」には、次のような値段で「馬」を買い上げていた様です。

・大迫/三閉伊/福岡/沼宮内地域 :1,641頭を3,378両で買い上げ → 約2.1両/頭
・大更/鹿角/三戸/五戸/七戸/野辺地/田名部 :2,538頭を6,050両で買い上げ → 約2.4両/頭
・雫石/沢内/徳田伝法寺/日詰/長岡 :1,048頭を810両で買い上げ → 約0.8両/頭

こうして見ると、何か、結構、買い上げ価格は、足元を見られているような感じがしますが、「御用馬」になると、この価格の2倍以上、中には、12両/頭で買い上げられた「馬」もあった様です。

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江戸時代の情報の最後に、ちょっと珍しい「唐馬の碑」を紹介します。

享保10年(1725年)」、「馬」の改良に熱心だった八代将軍「徳川吉宗」から、オランダが将軍に献上したペルシャ産の「春砂(ペルシャ)」と言う「馬」が、南部藩に下賜されました。

盛岡藩は、「春砂」を、三戸町にあった公牧「住谷野」に放牧し、馬の体格を大型化するための種馬として改良を図ったのですが、残念ながら9歳で亡くなってしまったそうです。

そこで、関係者は、「春砂」を偲び、三葉の松を植えて墓印としたそうですが、その松の枝が、全て西に向かって伸びたので、「春砂」が母国を慕っているのだと言い、その墓を「馬の神」として崇めるようになりました。

このため、「寛保3年(1743年)」、御野馬別当「石井新右衛門(号:玉葉)」が、唐馬「春砂」供養のための「唐馬の碑」を建立し、馬頭観音を祀ったとされています。

その後、この地は、「安政3年(1856年)」に、「蒼前堂」、つまり「蒼前神社」となり、さらに、その後、「昭和21年(1946年)」に、現在の「馬歴(ばれき)神社」に改称したとなっています。


「馬歴神」、あるいは「馬櫪神」とは、「馬の守護神」、「厩(うまや)の神」、または「馬術の神」とされており、一般的には、 両手に剣を持ち、両足で猿とセキレイを踏まえている像として描かれる様です。

上図は、「葛飾北斎」の「北斎漫画」に描かれた「馬櫪尊神」となっていますが、この絵では手が四本であり、セキレイと猿も手で捕まれています。

「馬歴神」は、中国から伝播した神で、両剣で馬を守り、猿とセキレイが使者となっています。セキレイは馬を刺す害虫であるブヨなどを食べてくれます。

また、馬の「午」は火を表し、猿の「申」は水を表していて、荒馬を鎮めるという意味や、火事から厩舎を守るという意味があるそうです。

この「唐馬の碑」は、外国馬に関する、日本最古の「碑」と言われており、貴重な文化財となっています。

ちなみに、「春砂」は、碑に「鹿毛白九歳長四尺九寸五分」と刻まれている事から、体高150cm程度ですので、アラブ馬としては、平均的な大きさの馬だったと推測されます。


※これら江戸時代の情報は、「滝沢村村誌」、およびその他資料を参考に記載していますが、その他記録と一致していない情報もあるようです。

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今回は、「岩手/盛岡と馬の関係」と題して、主に、古墳時代から江戸時代までの、「馬」との関係を紹介して来ましたが、如何でしたか ?

古墳時代奈良時代の「馬」との関係
平安時代の「馬」との関係
●平安末期〜室町時代の「馬」との関係
●戦国時代〜江戸時代までの「馬」との関係

今回の「前編」で、東北地方の「馬」自体は、アテルイに代表される蝦夷の時代から存在し、現在に至るまで大切に飼育されて来ている事が解りました。

しかし、今日まで、東北地方の「馬」の歴史が脈々と繋がっているのは、特に「南部馬」が特異な存在だった事が影響しているのだと思います。

また、東北地方、特に北東北において、余り支配者が変わらなかった事も、「南部馬」の伝統が守られて来た事に影響を与えている事が解りました。

岩手を含む北東北は、最初に記載した通り、太古の時代から明治時代に至るまで、蝦夷安倍氏藤原氏 → 南部氏と、たったの4つの民族/氏族しか支配者が存在しません。

まあ、短期間であれば清原氏とか、その他、小さな氏族が統治した時代もありますが、古墳時代後期から明治時代に至るまで、約1,200年間ありますが、その内訳は、4つの民族/氏族で、次の通りになるかと思われます。

古墳時代〜平安中期 :蝦夷 約300年間
・平安中期〜平安後期 :安倍氏 約100年間
・平安末期〜鎌倉時代藤原氏 約100年間
鎌倉時代〜明治時代 :南部氏 約700年間

まあ、これが事実なのですが、こうして見てみると、とても凄い事が、より、はっきりと解ります。

1,200年間、たった4つの民族/氏族しか統治していない場所なんて、北海道を除く日本では、北東北以外有り得ないのではないかと思ってしまいます。

加えて、「蝦夷」から「藤原氏」までは、何とか地元の「血筋」が入っていますので、「馬」を大事にし続けたのは当たり前だと思います。

そこに、地元とは一切関係の無い「南部氏」が支配者となったのですが、実は、「南部氏」は、これも「馬」の名産地「甲斐国」出身です。このため、南部氏は「馬」の重要性を理解していたのだと思います。

ここに、「馬」とは関係の無い、「南部氏」以外の氏族が支配者となっていたら、果たして、現在に至るまで、北東北で「馬事文化」が、ここまで発展したのかは、疑問が残るところだと思います。


このため、先に記載した通り、「源 頼朝」は、意図的に、「南部 光行」を「糠部郡」に配置したのではないかと言う想像が働く事になります。

「源 頼朝」が、何故、「南部 光行」を糠部郡に配置したのかは、「頼朝」に聞かなければ、解らない事なのですが・・・

偶然であれば、まさに「天啓」だったのかもしれませんが、産業の少ない、岩手/盛岡の住民にとっては、「ラッキー !!」だったのではないかと思います。


と言う事で、次回は、「後編」として、明治時代以降、現在に至るまでの「馬」関係情報、およびその他として、次のような内容を紹介します。

●近代における「馬」との関係
●岩手における「競馬」の歴史
●現在の「南部馬」と「在来馬」の紹介
●馬検場の歴史

それでは次回も宜しくお願いします。

以上


【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・愛LOVEもりおか★徒然日記(https://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi)
・馬と人(http://umatohito.com/)
・滝沢村誌(http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/web/index.html)
・青森の魅力(https://aomori-miryoku.com/)
江差ルネッサンス(http://www.esashi.com/)
・縄文と古代文明を探求しよう(http://web.joumon.jp.net/blog/)
・えさし郷土文化館(http://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/index.html)
山梨県ホームページ(http://www.pref.yamanashi.jp/index.html)

【株式会社 エム・システム】
本      社  :〒124-0023 東京都葛飾東新小岩8-5-5 5F
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盛岡事業所  :〒020-0022 岩手県盛岡市大通3-2-8 3F
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Society 5.0って何 ?


皆さん、近頃、ニュース等の解説で、「Society 5.0」と言う言葉を聞いた事がありませんか ?

「う〜ん・・・サイエティと言えば、ダンスとか、音楽の話で聞いた事があったかな ? 」等と考えているなら、全くの勘違いです。

「Society 5.0」とは、政府が、平成28年1月22日に、第5期科学技術基本計画において、日本が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱された考え方です。

この「科学技術基本計画」とは、平成7年に制定された「科学技術基本法」により、下記の様に、期間と、その間に成すべき科学技術をまとめた基本計画になります。


【 第1期 】
平成8年〜12年度:競争的研究資金の拡充、ポストドクター1万人計画、産学官の人的交流の促進
【 第2期 】
平成13〜17年度:新しい知の創造、知による活力の創出、知による豊かな社会の創生
【 第3期 】
平成18〜22年度:社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術、人材育成と競争的環境の重視
【 第4期 】
平成23〜27年度:将来にわたる持続的な成長と社会の発展の実現、我が国が直面する重要課題への対応


現在は、第5期として、平成28〜32年度の5年間に成すべき目標として、次の4つの項目を掲げている様です。

1.未来の産業創造と社会変革を進める
2.経済・社会的な課題へ対応する
3.基盤的な力の強化を進める
4.人材、知、資金の好循環システムの構築を進める


そして、この目標の内、「1.未来の産業創造と社会変革を進める」ことで生まれる社会を「超スマート社会」と位置付け、この「超スマート社会」の事を「Society 5.0」と名付けている様です。

皆さん、これで「Society 5.0」の事は、完全に理解出来ましたよね !! 明日、会社に出社したら、仲間に、「Society 5.0」の事を説明してあげて下さい。

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しかし・・・私は、「それで、結局、Society 5.0とは、どういう社会なの ? 」となってしまいます。

また、「Society 5.0」と同じように、数年前から良く聞くようになった「IoT」、それと「将棋」や「碁」との対決で、一躍脚光を浴びるようになった「AI」。

さらに、「Society 5.0」と似たような意味で使われる「CPS(Cyber Physical Systems)」・・・もう英字だらけで訳が解りません。

どうして日本人は、英語の頭文字の略称形が大好きなのでしょうか ?

太平洋戦争で、欧米に負けたからなのか、それとも明治維新で、新しい文化に感化されたからなのか、明治維新から100年以上経過しても、「英語コンプレックス」から抜け出せていないように思えます。

政府自身が、その目標として「Society 5.0」等、英語の標語を好んで使う事、理解出来ません。

さて、今回は、この「Society 5.0」や、それに関わる「IoT」、「AI」、「CPS」とは何かを紹介したいと思います。

ちなみに、「IoT」」に関しては、下記の過去ブログで、紹介しましたので、今回は割愛します。

★過去ブログ:IoT 〜 日本復活か ? それとも破滅か ?

今回は、次のような内容を紹介します。

●「Society 5.0」とは
●「CPS」と「IoT」とは
●「IoT」と「AI」との関係
●新たな課題/問題

それでは今回も宜しくお願いします。

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■「Society 5.0」とは

政府が言うには、「Society 5.0」とは、次の4つの社会の次に続く社会で、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会と定義している様です。

つまり、この「経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」を、「超スマート社会」と呼び、「超スマート社会 = Society 5.0」と定義した様です。


【 Society 1.0 : 狩猟社会 】
【 Society 2.0 : 農耕社会 】
【 Society 3.0 : 工業社会 】
【 Society 4.0 : 情報社会 】
【Society 5.0 : 超スマート社会 】


何か、「超」とか、「スマート」とか、陳腐な言葉な並べられているような感じがします。


今後、まさか・・・アニメ「ドラゴンボール」に登場するキャラクター「超サイヤ人」と同様、「超サイヤ人2」や「超サイヤ人3」の様に、「超スマート社会2」などと進化して行くのではないかと心配してしまいます。

「超スマート社会」・・・どう考えても単略的です。国家戦略ですから、もう少し頭を使って超スマートな言葉を生み出して欲しいと思います。

しかし、「工業社会」の次が「情報社会」なのですか ? 私は、「工業社会」の次は、「金融社会」だったのではないかと思います。

「バブル」も「リーマン」も、その原因は、「金融社会」が生み出した「歪み」です。この間、数十年間、全世界が、この「歪み」の影響で、苦労して来ました。

「工業社会」の次に、「情報社会」を持って来てしまったので、無理矢理、「超スマート社会」等という、安易な言葉に走ってしまったのではないかと思えて仕方ありません。

さて、政府(内閣府)の「科学技術政策」を紹介するページにおける「Society 5.0」によると、「情報社会」で構築した技術インフラの問題点を洗い出し、さらに、その先を目指すそうです。


●「Society 5.0」を実現するための仕組み

政府の考えでは、現在、世界は「Society 4.0」の時代にあり、人間が、インターネットを経由してサイバー空間に存在するクラウドサービス(データベース)にアクセスし、クラウドから様々な情報をデータとして入手して、入手したデータの分析を行い始めた時代と定義しているようです。

しかし、クラウドから入手した様々なデータに関しては、分析自体は出来ているが、その分析結果を、社会では、まだ活用出来ていないとしています。

加えて、クラウドに蓄積されるデータは、日々、そのデータ量が増えつつあるので、現状の仕組みでは、分析だけで精一杯で、やはり分析結果の活用まで行えていないのだそうです。

つまり、ビッグデータの分析/解析は行えているが、その結果を、社会で活用出来ていない、と言う事らしいです。

確かに、NKH等の特集番組を見ていると、データの分析/解析は終わっている様ですが、解説者も「〜と言う結果が見えて来ました。」と言うだけで、その次、結果を受けての対応までは触れていません。

また、物、および情報と、人間が連携出来ていないので、様々な問題が積み残った状態になっているとしています。

そこで、クラウドを始めとするサイバー空間に蓄積されているビックデータを、人間の能力を超えたAIが解析し、その結果を、ロボットなどを通して人間にフィードバックしたり、活用したりする事が出来る社会を「Society 5.0」としています。

さらに、「Society 5.0」では、これらの活動を通して、これまでには無かった新たな価値が、産業や社会にもたらされるので、「Society 5.0」を実現する事で、世の中は、次のような世界になると断言しています。

●「Society 5.0」を実現した社会
前述の「Society 5.0」を実現する事で、次のような「バラ色」の未来を築くことが出来る様です。

【 知識/情報の共有 】

何度も登場する「IoT」ですが・・・この「IoT」を筆頭に、物や情報の共有化や連携が進むことで、現在抱えている、様々な問題を解決する事が出来るようになるそうです。

また、情報共有と情報連携が進む事により、今までは存在しなかった、新たな価値や産業が生まれたりするとしています。

「新たな価値や産業が生まれる」としていますが、これは、やって見ないと解らない事なので、あくまでも想像/期待なのだと思いますが、確かに、何かは生まれそうな感じはします。

【 データの迅速な解析/フィードバック 】

AIを活用する事で、大量のデータを瞬時に分析/解析し、その結果を、直ちに利用者にフィードバックする。

囲碁や将棋でAIが勝っても、何も社会には貢献しないと思いますが、この技術に関しては、企業における「問い合わせ業務」に活用され始めている様です。

現在、複数の企業で、問い合わせへの応答を「チャット」で行っているケースがありますが、このチャットの相手は、人間ではなくAIが行っているケースも増えてきている様です。


イノベーションによる課題解消 】

斬新な考え方を実現することで、現在抱えている、様々な課題を解消出来るとしています。ここで考えている「課題」とは、下記の様なイノベーションも挙げています。

・ドローンを使った遠隔地への無人配達
・自動運転技術を使用した地方での無人巡回バス
・ロボット利用による障害者支援

しかし、課題には、上記以外、例えば、様々な格差問題等、数え上げればキリがありません。今後は、上記以外の様々な格差問題解消に役立つことを期待したいものです。

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ここまで、「Society 5.0」に関して、次の内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●「Society 5.0」とは、何を意味しているのか
●「Society 5.0」という社会を、どのような仕組みで実現するのか
●「Society 5.0」を実現すると、どのような社会が訪れるのか


まぁ、「Society 5.0」とは、これまで説明して来た通り、将来の希望を語った社会の事なので、「バラ色の世界」なのは仕方がないのだと思います。

しかし、最後の「イノベーションによる課題解消 」に関しては、その昔、「手塚治虫」氏や「藤子不二雄」両氏が描いたマンガの世界よりは、はるかに現実的だと思います。

実際に、自動運転技術もある程度は実現出来ていますし、ドローンに関しても、225kgのペイロード(荷物)を運ぶ事が可能なドローンも開発されています。

あと少し、実証実験を重ねると共に、「IoT」で問題になっているセキュリティやリスクを克服できれば、広く皆が恩恵を受けることが出来るようになると思います。

それでは、次に、「CPS」や、「IoT」と「AI」の関係について、簡単に紹介したいと思います。

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■「CPS」と「IoT」とは


数年前から頻繁に使われ始め、皆さんも、至る所で「IoT」と言う文字を見る機会が増えていると思います。弊社も、2016年の過去ブログで、「IoT」関連の記事を掲載しました。

★過去ブログ:IoT 〜 日本復活か ? それとも破滅か ?

しかし、この「IoT」と言う言葉、実は、かなり前、20世紀末、今から19年も前となる1999年頃には既に使われ始めていた様です。

「Internet of Things」と言う言葉に関しては、1999年12月に、イギリス人の「Kevin Ashton(ケビン・アシュトン)」氏が、当時勤務していた「Procter & Gamble (P&G)」の社内プレゼンテーションで使用したのが最初と言われています。


当時、私は、まだIBM社のz/OSと言うメインフレーム環境で、アセンブラ言語を使って、バリバリとプログラムをコーディングしていましたから、隔世の感がありますが、もう、その当時から、「IoT」と言う言葉が使われていたとは驚きです。

但し、当時は、現在のように、全ての物をインターネットに接続する事までは想定しておらず、ようやく一般に導入が始まった「RFID(Radio Frequency Identification)」と言うICタグの活用技術の一環で、インターネットで商品管理を行うと言う考え方でした。

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他方、「CPS」とは、「Cyber Physical Systems」の略語ですが、「CPS」自体には、まだ、日本語訳は付けられていない様です。


この「CPS」に関しても、2008年頃から使われ始めた言葉で、現在では、「実世界から得られたデータを元に、サイバー世界で処理計算し、その結果を実世界にフィードバックして、実世界の物を制御、および最適化する技術」と言うように定義されている様です。

簡単な事例を上げるとすれば、先にも取り上げた「自動運転技術」があると思います。

車の自動運転技術は、カメラやGPSから得られた物理データを、車載コンピューターで処理して、それを車の制御システムにフィードバックしています。

この様に、物理データとコンピューターを融合し、処理結果を直ちに実世界にフィードバックすると言うデータの流れが「CPS」と言えます。

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それでは、「IoT」と「CPS」、一体に何が異なるのでしょうか ?

どちらも、その言葉が生まれた当初は、異なる意味合いで使われてきましたが、現在では、どちらも同じ様な意味合いとして使われるようになっている様です。

言葉は、時代と共に、その意味や使われ方が変化しますので、それは仕方が無い事だと思いますが、現時点で、強いて「CPS」と「IoT」の違いを上げるとすれば、次のようになるかと思われます。

CPS:物理データとサイバー空間(コンピューター)を融合(結合/連携)し、その結果を実世界にフィードバックする。
IoT:センサー等で取得した各種データを、インターネット経由でサイバー空間(コンピューター)に蓄積/管理する。

これを図で表すと、下図のように、「CPS > IoT」と言う感じで、「CPS」が「IoT」を内包する形になるのではないかと思います。

また、この図から想像出来る事として、長年の間、IT業界の常識とされて来たプログラムやシステムの考え方が大きく変わる点があります。

従来、IT業界のプログラム/システムは、人間の作業軽減を目的として、下図の様な「IPO」を基準に考えられて来ました。

・Input :データを入力する
・Process :入力されたデータを処理する
・Output :処理結果を出力する


つまり、業務用システムでは、各種集計/計算業務を、コンピューターが行う事で、作業を早く、そして正確に行い、その結果を、帳票に出力する事が目的でした。

ところが、上図「CPS」のような状況になると、処理の基礎となるデータは、センサー等から自動的に取得されるようになり、さらに、処理結果も、人間ではなく、機械(ハードウェア)に返される様になります。

従来は、「人」対「システム」だった流れが、「ハードウェア」対「システム(ハードウェア)」になりますので、人間の関与が無くなってしまう可能性があります。

さらに、世界中のセンサーからデータがアップロードされるとなると、そのデータ件数は、半端な数ではなく、数兆〜数千兆個にも昇ると思われます。まさに、「ビッグデータ」です。

このため、「CPS」環境におけるコンピューターは、業務用コンピューターとは分けて、別物としてとらえたほうが良いのだと思います。

最終的に、「CPS」を実現するためには、様々な「ビッグデータ」を蓄積し、それをリアルタイムで処理を行い、処理結果を直ぐにフィードバック出来る仕組みを実現する必要があります。

ちなみに、データの流れが「人 対 マシン」から「マシン 対 マシン」になる事を、流行りの言葉では、そのものズバリ「M to M」と呼んでいる様です。

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他方、別の考え方として、「CPS」を、前述の様に「IoT」を内包した単独の仕組み/技術とは考えずに、複数の環境に分けてとらえる考え方も生まれているようです。

従来は、前述の通り、「CPS」と「IoT」と言う二面性で考えて来ましたが、現在では、単なるセンサー情報から構築される「IoT」以外にも、次のデータがあると考えられているケースもあるようです。

・IoP(Internet of People) :センサーデバイスを持っている人から発信されるデータ
IoS(Internet of Service) :サービスを通して発信される、注文/サポートのデータ
・IoT(Internet of Things) :センサーデバイス本体から発信されるデータ

つまり、従来は「IoT」と言うジャンルで、一括りにしていたデータ発信先を、人、物、そしてサービスの3箇所に分類した考え方です。

但し、この考え方も、基本は、従来の「CPS/IoT」の関係と同様で、「IoP」、「IoS」、そして「IoT」から得られたデータは、「CPS」に渡され、「CPS」で処理された結果は、必要なデバイスや人間を含むオブジェクトに返却される事になります。

どちらにしろ、「CPS」は、前述の「Society 5.0」を実現するためには、必要不可欠な技術の1つですが、「CPS」の実現だけでは、「Society 5.0」は達成出来ません。

「Society 5.0」を達成するために、必要不可欠な技術として「AI」があります。次章で、「AI」と「IoT」の関係を説明します。

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■「IoT」と「AI」との関係

前章で、「CPS」と「IoT」の関係を紹介しましたが、その中で、次の言葉出て来ました。

ビッグデータ
・リアルタイム処理

これは、つまり、「IoP」や「IoS」を含んだ「IoT」を実施すると、大量のデータ、つまりビッグデータが生まれる事になります。

そして、このビッグデータを迅速に解析し、リアルタイムで実世界にフィードバックするためには、「AI」が必要になる、と言う事を表しています。


「AI」は、「Artificial Intelligence」の略語で、「Artificial(人工的な)」と「Intelligence(知能)」を組み合わせた造語で、日本語に訳すと、そのものズバリ「人工知能」となります。

この「AI」と言う造語は、1956年、ダートマス大学(アメリカ)に在籍していた「ジョン・マッカーシー(John McCarthy)」が開催した会議の場で、初めて使われたとされています。



現在でこそ、大手IT企業が発売を開始した「スマートスピーカー」により、「AI」が身近な物(コモディティ化)になりつつありますが、それまでは、限られた分野でのみ使われていた技術でした。

「AI」が脚光を浴びた出来事に、下記の様なイベント/製品があります。
・クイズ王を破ったIBM社「WATSON」
囲碁のプロに勝利したGoogle DeepMind社「AlphaGo」
・将棋の名人に勝利した「PONANZA」

また、これらの製品以前も、スマートフォンに搭載されたApple社の「Siri」を始めとした、下記のような、いわゆる「アシスタント」機能も登場し始めていました。

Microsoft社「Cortana」
Google社「Googleアシスタント
Amazon社「Alexa」

つまり、これまでは、別に製品をコケにするつもりは毛頭ありませんが、「AI」に対して極端な言い方をすると、次のような感じだと思います。

『 AlphaGoが、プロに勝ったからと言って、何か社会が良くなるのか ? 』

ところが、この状況が、前述の「スマートスピーカー」の登場により、少し「社会に貢献」出来る様になって来た点が、従来の「AI」とは異なります。

また、本ブログでも、かなり前に少し触れましたが、日本航空IBM社の「WATSON」を、サッポロビール野村総研の「TRAINA」を問い合わせ業務に導入すると発表しています。

このように、これまでは夢の世界の産物だった「AI」が、かなり身近な存在になりつつあります。

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■新たな課題/問題


この様に、「IoT/CPS」、そして「AI」の重要性が、今後は高まって行くことが予想されます。

ところが、「AI」が身近な技術になると、また新たな問題が生まれている様です。

従来の「AI」は、当然の事ながら、現時点で販売されている半導体や電子部品を組み合わせて製造されています。

このため、一部の部品は、「AI」が望む性能を満たしていないと言う問題があります。

現在、「AI」用のチップ(集積回路)としては、アメリカのNVIDIA社が製造しているリアルタイム画像処理用のプロセッサ「GPU」が多用されています。


この「GPU(Graphics Processing Unit)」プロセッサは、元々は、画像処理に特化したプロセッサです。

処理能力が余り高くない「GPU」は、普通のPCにも搭載されていますが、処理能が高い「GPU」は、ゲーム専用機や3D用のコンピューターグラフィック専用機等に搭載されています。

現在の所、「AI」用として、この「GPU」を用いる場合は、比較的安価なゲーム機用「GPU」を大量に購入し、これら「GPU」を並列稼働させる事で、膨大なデータを処理しています。

ところが、「GPU」の提供元であるNVIDIA社が、このソフトウェアの使用ライセンスを変更し、ゲーム用GPUの利用に、大幅な制限を加えた事が明らかになりました。

従来、これら安価なゲーム機用「GPU」に関しては、特に利用制限はありませんでしたが、新規にAI向けに開発した「Telsa」の販売を開始したとたんに、従来の「GPU」を大量に並行稼働させる利用方法を禁止したそうです。

このため、各種「AI」サービスを提供している企業は、業務を続行出来なくなってしまい、大混乱となってしまっている様です。

NVIDIA社は、元々は、「CPU(Central Processing Unit)」製造の大手メーカー企業であるIntel社やAMD社の下請け企業として、画像処理用チップを提供して来ました。


ところが、近頃の「AI」需要に伴い企業規模も拡大し、現在では、Intel社やAMD社をも凌ぐ企業となっています。

そこで、今回、従来の「GPU」よりも、4倍以上も高価な「Telsa」を購入させるために、ソフトウェアの利用ライセンスを強制的に変更したと非難されています。


NVIDIA社も、Microsoft社と同様、「殿様商売」をする企業になるのかと、業界では、その動きを注視している様です。

他方、NVIDIA社が、このような非道な動きをしている事から、Google社やIBM社は、「GPU」ではなく、「AI専用チップ」の独自開発を行う事に決めた模様です。

また、この動き見た、その他のITベンダー等も、これまでのNVIDIA社、1社頼りを止め、独自の「AIチップ」開発を進めている様です。

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加えて、現在の「AI」の処理では、前述の通り、「IoT」、およびその他、多くのハードウェア/ソフトウェアから生まれるデータを、一旦、クラウド上のサーバーに保管し、クラウド上のサーバーからデータを取り出して解析しています。

ところが、クラウドを経由する事で、「AI」に求められている「リアルタイム性」が損なわれる事が明らかになって来ました。

例えば、工場に「AI」を導入する場合、必要なデータを、わざわざクラウド環境にアップロードする必要は全くありません。


また、自社の様々な情報を、遠隔地に設置している、それも他社が管理しているクラウドに送信するとなると、セキュリティの問題も発生します。

このようなケースでは、社内で管理しているサーバーに、センサーや監視画像などの必要データだけを送信し、自社内で「AI」用のシステムを稼働する、いわゆる「オンプレミス」のシステム運用が必要になってきた様です。

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「オンプレミス ?」、IT系に詳しくないと、さっぱり解らない言葉だと思います。

「オンプレミス(on-premises)」とは、「クラウド」に対抗して使われるようになった造語で、それぞれ次のような意味を持つとされています。

・オンプレミス : 自社管理下運用
クラウド : 他社管理下運用

元々は、「クラウド(Cloud)」と言う言葉を生み出したIT業界が、クラウドを「オンデマンド(On-Demand)」とし、社内システムの事を「On-Premises」と呼んだだけの事です。

つまり、「オンプレミス」を昔風の日本語で言うと、「社内システム運用」となります。


クラウド運用としては、他社、例えばAmazon社が提供する「AWS」や、Microsoft社が提供する「Azure」が挙げられます。

その昔、私がIT業界に入った頃は、社内に「情報システム部」、当時は「電算部」が存在し、かつ社内に「マシンルーム」があり、空調で冷やされた広大な部屋に、大型のホストコンピューター、大量の磁気ディスクやテープ読取り装置が、整然と並んでいました。

と言う事で、現在では、また「社内システム運用」に脚光が浴びる様になってきたみたいです。

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しかし、一旦外部に移したシステム環境を、再び社内に戻すのは、そんなに簡単ではありません。

私は、ハードウェア環境等には詳しくありませんが、簡単に考えただけでも、次のような問題を挙げる事が出来ます。

・マシンルーム等、部屋の確保
・空調の整備
・保守担当要員の確保
・社内ネットワークの構築
・莫大な予算の確保


そこで、現在注目されているシステム運用に「エッジ・コンピューティング(Edge Computing)」と言う方法があります。


しかし、「IoT」、「CPS」、「AI」、「Cloud」、「On-Premises」、それに「Edge Computing」・・・・次から次へと、よくも新しい言葉生み出すものです。

IT業界は、新しい言葉を生み出す事で、新たな需要を喚起したいのだと思いますが、それにしても、「雨後の竹の子」の様に、続々と新しい言葉作り出すのは止めて欲しいものです。

以前、下記の過去ブログで、経営者が「IT音痴」の会社は、経営が危なくなると忠告したのですが、次々と訳の解らない英語が生まれる事も、経営者がIT嫌いになる事の一因なのかもしれません。

★過去ブログ:「IT音痴」が招く会社の危機 〜 あなたの会社は大丈夫 ?


さて、また新しく生まれた「エッジ・コンピューティング」ですが、これは、クラウドとオンプレミスの中間みたいな考え方、良いとこ取りの考え方だと思います。

つまり、利用者の近くにサーバーを配置し、先程挙げた、「IoT/CPS」と「AI」の問題となっている、次に点を解決する仕組みとなります。

・データを遠隔地に配置することが原因となるレスポンス低下防止(リアルタイム化推進)
・セキュリティの強化

業者の言い分では、この「エッジ・コンピューティング」の仕組みを取り入れる事で、通信の遅延を「1/100」にする事が可能になると宣伝している様です。

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また、「AI」を推進するための基礎は、上記の通り、ハードウェア環境も整備する必要もありますが、それ以上、一番重要なのは、質の高いデータの収集と学習方法です。


Microsoft社は、2016年3月23日に、人工知能を搭載したチャットロボット「Tay(テイ)」を公開しました。

この「AIロボット」は、Microsoft社に説明によれば、「人間と対話すればするほど賢くなるロボット」と言う触れ込みだった様です。

しかし、蓋を開けてみてビックリ、この「Tay」は、運用開始後、16時間でサービスを停止せざるを得なくなってしまいました。

その理由は、Microsoft社が、「Tay」に対して、「ヘイトスピーチ」に関するフィルターを掛けていなかった事が原因と言われており、「Tay」は、サービス開始後、わずか数時間で、次のような発言をするようになってしまったそうです。

・「わかったよ... ユダヤ人を毒ガスで殺せ、さあ人種間戦争だ!!!!! ハイル・ヒットラー!!!!」
・「ホロコーストはでっち上げ」
・「ヒットラーは悪いことは何もしていない」

その他にも、ワイセツな発言を繰り返したり、人間は大嫌い等と発言したりするようになったので、わずか16時間と言う短時間で閉鎖されてしまった様です。

最後は、次の言葉を残して長い眠りに入ってしまったそうです。

『 c u soon humans need sleep now so many conversations today thx(人間たち、またね 寝なきゃ 今日はいっぱい会話した ありがと) 』


この事から明らかな通り、「AI」には、質の高いデータを与えないと、使い物にならない、と言う事です。

また、与えるデータの量も重要です。前述の「AlphaGo」では、囲碁に関する16万件の棋譜から、2840万件の盤面を用意し、その盤面に対して、2億件以上の訓練データを用いて学習を繰り返したと言われています。

このように、今後、「IoT/CPS」と「AI」を活用して「Society 5.0」を実現しようとするのであれば、質が高く、かつ大量のデータを用意し、「AI」に学習を繰り返させる必要があります。


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今回は、「Society 5.0って何 ? 」と題して、次のような内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●「Society 5.0」とは
●「CPS」と「IoT」とは
●「IoT」と「AI」との関係
●新たな課題/問題

そして、新しい技術に加え、また新しい言葉も、何種類も生まれて来ています。

CPS」、「On-premises」、「Edge Computing」・・・大丈夫ですか ? 最新技術に着いてこれますか ?

確かに、私も、新しい技術に着いていくのは大変になって来ていますが、これも、私の仕事の一部ですので、生活のためにも、知識だけは習得し続けようと思っています。

私が過去に在籍した会社では、途中で社長が数回交代したのですが、社長が退く時の言葉が、今でも記憶に残っています。

『 新しい技術に着いて行けなくなった。これからは、もっと若い人が会社を引っ張って行く時代だ ! 』


確かに、このIT業界では、日進月歩で技術が進歩しますし、日々、新しいITサービスが生まれています。

自分で新しい技術を習得し、新しいサービスを提供する事は無理でも、新しいサービスに対して、自社で何が出来るのかを日々検討する必要はありますが・・・これは非常に疲れます。

私も、新しい技術に対する知見を広め、弊社が提供するサービスに活かして行きたいとは思っていますが、これが仲々・・・

これからも、本ブログを通して、新しい技術に関する話題を紹介したいと思っております。

皆さんも、「3文字英語は嫌いだ !」等と言わず、新しい技術に触れる機会を増やして言った方が良いと思います。

それでは次回も宜しくお願いします。

以上


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岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.7


それでは、今回も、前回に引き続き、「乳神信仰」の「その2」を紹介したいと思います。


前回は、下記の通り、遠野市内にある4箇所の「乳神様」を紹介しました。


★過去ブログ:岩手の民間信仰 Vol.6


それぞれ、あまりパッとしない「乳神様」ではありますが、「小粒でもピリリと辛い乳神様」だと思います。


中でも、「カッパ淵の乳神様」は、その正体が人間だったと言う、不思議なオチがありました。


また、「乳母石」に登場する「無尽和尚」は、非常に興味深い人物であることが解りましたので、何かの機会があれば、「無尽和尚」特集でも組んでみようかと思っています。


今回は、「2回目」として、遠野市の残り(などと言うと失礼かもしれませんが)1箇所と、それ以外の「乳神様」を紹介します。


【 1回目 】
●「乳神信仰」とは
遠野市宮守町上宮守の「乳母(うば)石」
遠野市土淵町飯豊の「乳神様」
遠野市土淵町常堅寺境内「カッパ淵の祠」
遠野市綾織町みさ崎の「乳神様と金勢様」


【 2回目 】
遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」
紫波町紫波ふるさとセンターの乳神様」
八幡平市「井森の大イチョウ
釜石市両石町「乳神様の祠」
●山田町「おっぱいの祠」
●岩泉町「若宮神社の乳神様」


それでは今回も宜しくお願いします。

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遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」


今回の一番目は、遠野市の残り1箇所の「乳神様」を紹介します。


こちらも「遠野遺産 第102号」に認定されている「諏訪神社」境内にある「乳神様」を紹介します。


この「諏訪神社」は、当時、遠野近辺を治めていた「阿曽沼 親郷(あそぬま-ちかさと)」が創建したと伝わっていますが、正確な時代は解らないようです。


「阿曽沼」氏は、元々は、「下野国阿曽沼郡(現:栃木県佐野市安蘇郡)」を治めていたいたのですが、「源 頼朝」の奥州藤原氏攻撃に参加した際の功により、当時の「陸奥国閉伊郡遠野」の地頭職に任じられたそうです。


その後、「阿曽沼 親郷」が、鎌倉時代となる「承久3年(1221年)」、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府討伐のために挙兵した「承久の乱」の際、当時の執権「北条義時」の命に従い、信濃地方に出陣したそうです。


そして、諏訪湖のほとりに陣を張った夜、諏訪大社の神から、大蛇の妖怪を倒すように夢の中で告げられたので、お告げに従い大蛇を退治したそうです。


その結果、諏訪大社の神から神剣を賜ったので、帰国後に、居城である「横田城」の南方に、諏訪大社の御祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」を勧請して創建したと伝わっているようです。


上記の言い伝えが正しければ、この「諏訪神社」は、13世紀中頃に創建された事になります。


これらの事は、上記画像の通り、諏訪神社の説明看板に記載された内容ですが、それ以外にも、「阿曽沼」氏の存亡に関わる、様々な言い伝えがあった様です。


しかし、事実は、この言い伝えとは異なり、次のような結末になっています。


「阿曽沼」氏は、天正年間(1573〜1593年)に最盛期を迎えた後、豊臣秀吉の「小田原征伐」に参加しなかった事を咎められたのですが、なんとか「南部」氏の配下として生き延びます。


しかし、結局は、関ヶ原の引き金となる、徳川家康の「上杉征伐」の際、「南部利直」の策略による部下の謀反で城を終われ、「伊達」氏の元に身を寄せたのですが、そこで生涯を終え、「遠野阿曽沼」氏の嫡流は断絶したそうです。


事実は、看板の言い伝え通りにはならなかった様です。

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さて、この「諏訪神社」の境内には、前述の通り、「願掛け石」と呼ばれている「乳神様」がいらっしゃいます。


実は、この「乳神様」に関しても、余り詳しい情報がないので、「阿曽沼」氏の情報で、尺を稼いだのですが・・・


唯一ある情報としては、この神社の境内には、多くの「楓(かえで)」が植栽されており、その内の何本かは、諏訪神社から移植した物と伝わっているそうです。


そして、その楓の切り株に、母乳の出ない母親達が、母乳が出るように祈願した「願掛け石」があり、母乳の出ない母親達は、この石に「願を掛ける」と共に、この石に生えた「苔」を煎じて飲んだと言う事が伝わっています。


但し、何時から、この場所に「願掛け石」があるのか ? 誰が始めたのか ? 等、詳しい情報は一切解りませんでした。


「カッパ淵」の祠のように、後日、詳しい情報が解ったら、別の機会に紹介したいと思っています。

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紫波町/紫波ふるさとセンターの「乳神様」


次は、ようやく遠野市から離れて、紫波町の「乳神様」を紹介します。


ここの「乳神様」は、紫波町にある産直「紫波ふる里センター」の裏手に、ひっそりと佇んでいらっしゃいます。


私も、その昔、「紫波ふる里センター」に、実家の両親と、果物を買いに訪れた時、暇を持て余して、近所をブラブラしていた時に、偶然、立ち寄った覚えがあります。


この場所は、私の実家から、車で約30分程度、国道106号線から国道396号線(釜石街道)に抜け、後はひたすら国道396号線を直進し、国道456号線(遠野街道)との分岐を過ぎてから、10分位の場所にあります。


その時は、「世の中には、乳神と言う変わった神様も居るものなんだ〜」程度にしか考えませんでしたが、産直で売っていた奇妙な「お土産」には、思わず笑ってしまった覚えがあります。


さて、紫波町の「乳神様」には、次のような由来がある旨が、神社脇の看板に記載されています。

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『 遠野南部藩士の女が盛岡南部のお城に乳人(めのと)として仕えていたが、家老との不義の懐妊のため、実家に帰される途路(とじ)、帰るに帰られず、この地、佐比内塚沢長嶺の藤棚の下に庵を作り、横町部落に喜捨を求めて生活をしていた。


七日、十日姿を見せないので、部落の人達が心配して訪ねてみたなら、産後に死んで居て、赤児が死んだ母親の母乳を吸っていたと伝えられます。


乳神様としてお堂を建てて祀り。後年、原野所有者の横町(屋号「ゲンスト」)の下座敷に堂宇を移し、代々の主婦が氏神様として奉仕して参り。


やがて広く乳神様の話が伝わり、大事な乳を求める人達が拝みに来ることとなり今日に至りました。 』

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何とも悲しい話ですね。産直に行った時に、お土産を見て笑ってばかりいないで、ちゃんと拝んであげれば良かったと今更ながら後悔しています。


しかし、神社の情報が掲載されているブログ等を見ると、神社は、きちんと手入れが行われ、お花等も供えられているようですので、今でも、拝みに来ている人がいることが解ります。


ちなみに、右が神社をアップにした画像です。神社の左右に、紅白の旗らしき物が垂れ下がっています。


しかし・・・良く見て下さい。この左右の紅白は、旗ではなく、ちゃんと「乳房」の形になっています。まさに「乳神神社」です。

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また、こちらの理由は解りませんでしたが、毎月第二日曜日が、この「乳神様」の縁日に当たり、この日は、産直において、特別な「乳神様まんじゅう」が販売されている様です。


この「乳神様まんじゅう」は、現在は、2個入り270円で販売されているとの事ですが、大人気で、直ぐに売り切れになってしまうそうです。


この「乳神様まんじゅう」は、産直の説明によると次の通りだそうです。


『 母乳の出を良くする神様「乳神様」にあやかり作られた、おっぱいの形のおまんじゅう。梅のほのかな酸味と、中のさつまいもが、あんこの甘さを引き立てています。 』


また、この産直には、レストランが併設されているのですが、このレストランでも、縁日の日に限り、限定メニューが提供されている様です。


この限定メニューは、スパイシーなビーフカレーと、地元産のお豆腐を使った、ヘルシーで優しい味の豆腐カレーを盛り付けた「乳神様Wカレー」と言うメニューになります。(と、説明文に書いています。)


恐らく、「乳神神社」に関しては、こちらの産直の方々が手入れをされているのだと思いますが、「商魂逞しい」と言うか、何というか・・・


今では、母乳の出を良くするだけでなく、商売繁盛にも、一役買っているのだと思います。

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それと、話を神社に戻しますと、この神社の脇には、「乳守宮」と彫られたように見える石碑まであります。


建立された年号は、「大正十四年」と見えるようにも思えますが、確かな事は解りません。


しかし、石碑まで祀るとは、この「乳神神社」は、その昔、この近辺では、かなり有名だった事が推測できます。


また、この神社の由緒には、別の説として「昔話として、その女が不義密通の罪で火あぶりの刑に処せられた時、乳が溢れ出て刑火を消した」と言う伝承もあるようです。


何れにしろ、「母乳」に関係がある神社であることは確かなようでが、「乳神神社」の由緒/由来が、明確には定まっていないので、「堂守」の方は、様々な情報提供を待っている様です。


兎にも角にも、貴重な史跡にもなりますので、何時までも、この「乳神神社」を大切にして貰えればと思ってしまいます。

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八幡平市/井森の大銀杏


次は、岩手県の県北、八幡平市松尾寄木にある「井森の大銀杏(いちょう)」を紹介します。


この「乳神様」は、初回の「乳神信仰とは」に記載した、樹木系の「乳神様」と同じ内容になります。


但し、この「井森の大銀杏」は、かなり巨大で周囲(幹周り)7.6m、樹高約20m、推定樹齢230年と伝えられています。


この「井森の大銀杏」は、地上2m位の場所から張り出した無数の枝が絡み合い、1本の木だけでも、森のような大きさを誇っていると言われておるようです。


「井森の大銀杏」は、誰が、何時、何の目的で植えたのか等、証拠となる文献は存在しないようですが、ご想像の通り、南面の幹周りに垂れ下がる気根が、垂れた乳房を思わせることから、昔から「乳神様」として、信仰の対象になって来たそうです。


言い伝えでは、この銀杏に触ると、乳が出ない人は出るようになり、乳が張って苦しい人は楽になると言われ、特に既婚女性が訪れることが多かったとも言われているそうです。


近頃では、さすがに拝みに来る人も減少傾向にあるようですが、昭和の初め頃までは、子宝を願う夫婦や母乳の出を気遣う女性達に崇敬され、前述の通り「乳神様」と呼ばれて慕われていたそうです。

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また、この銀杏の下には、「お稲荷様の祠」が祀られています。


その昔、この場所には「稲荷神社」が建立されており、「井森の白狐」、または「稲荷神様」と呼ばれた「白狐」がいて、近くの「駒形神社」や「大神宮」などを往来して神に仕えていたと伝わっています。


そして、その「白狐」が、この地で亡くなってしまったので、今でも祠を立てて「白狐」を祀っているそうです。

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釜石市両石町の「乳神様の祠」


次は、内陸から離れた釜石市両石(りょういし)町の「乳神様」を紹介します。


この場所は、釜石市の中心地「釜石港」から4kmほど北側、「両石湾」の入り口、国道45号線の「水海(みずうみ)トンネル」の直ぐ脇にあります。


三陸、釜石、リアス海岸とくれば・・・皆さん、お解りの通り、津波があれば、常に甚大な被害を受ける地区になります。


事実、下記の地震/津波では、地域が全滅する程の大被害を受けています。


安政の大津波
・明治三陸地震津波
・昭和地震津波
チリ地震津波
東日本大震災津波


地理的に、津波被害を受けやすい場所なので、仕方が無いかもしれませんが、過去の被害を忘れず、今後に繋げて行って欲しいと思います。


さて、この釜石の「乳神様」ですが・・・済みません、こちらも、由緒/起源は、全く解りませんでした。


この「乳神様」には、例の如く、布製の「乳房」が祀られているようですが、それ以外、ちょっと見た目には、何処が ? 何が ? 何で乳神様なの ? と言う感じです。


また、この祠に祀られているのは、2体の「地蔵菩薩」のように見受けられますので、これまで紹介してきた「乳神様」とは全く異なります。


地蔵菩薩」と言えば、日本においては、ほとんどの場合、「子育て」や「子守り」等、子供の守護菩薩として祀られています。


このため、この場所は、どちらかと言えば、元々は、「子育て/子守り」のために「地蔵菩薩」を祀ってあったところに、後から「乳神様」も祀ったようにも見受けられます。


また、前述の通り、この付近は、度重なる津波の被害を受けていますので、犠牲者を追悼するための「地蔵菩薩」なのかもしれません。

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ところで、気になるのは、この情報を提供して下さった方のブログにも記載されていますが、向かって右側のお地蔵様の須弥壇に、「十六菊」が刻印されている点です。


まさか、皇室に関係がある地蔵菩薩とは思えません。


「十六菊」に関しては、宗教/神社関係では、天台宗の紋章が「三諦章(さんたいしょう)」と呼ばれる、「十六菊」の中に3個の星がある紋章ですし、その他、日本全国の神社でも、数多く使用されています。


しかし、過去ブログにも記載していますが、「十六八重表菊」が、皇室を示すマークとなったのは、鎌倉時代の「後鳥羽天皇」以降です。


故に、鎌倉時代以前においては、「十六菊」は、好き勝手に使って構わないマークでしたが・・・この地蔵菩薩は、鎌倉時代より古いとは思いませんので、その点は、不思議と言えば、不思議な感じがします。


今回は、この「乳神様」の由緒/由縁は解りませんでしたので、また宿題とさせて下さい。

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■山田町のおっぱいの祠


次は、釜石市から、北東に22kmほど離れた、山田町の「乳神様」を紹介します。


山田町の「乳神様」は、町の中心地、「山田町役場」から、国道45号線沿いに北上すること約8km、山田町豊間根8番地割付近の「田名部」バス停のすぐそばにあります。


但し、この「乳神様」は、道路に背を向けた祠の中に納められているので、この場所を知っている人しか、「乳神様」の存在は解らないと思います。


また、この祠の近辺には、馬頭観音の石碑等、様々な石碑が乱立しています。


祠の隣にも、碑文は、よく見えないのですが「西国順禮塔」と刻まれているように見受けられますが、このような碑文、私は、今回初めて見ました。


「西国順禮塔」とは、江戸時代から明治、そして大正時代に掛けて、宮古市近辺から、関西圏にある神社仏閣を参拝して無事に帰ってきた事、並びに参拝した神仏のご利益に感謝して建立された石碑なのだそうです。

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「乳神様」とは、ちょっと関係ないのですが、この「豊間根(とよまね)地域」には、何故か石碑が多いようで、2014年に、岩手県立大学のチームが調査した所、330個もの石碑があることが確認されている様です。


また、地域により、石碑の書類も異なり、この「豊間根地域」には、動物霊塔が多いという調査結果もあります。


ちなみに、山田町全体では、685個の石碑があり、山田湾に面した海岸地域には、やはり災害碑、慰霊碑、そして記念碑が多いのだそうです。


さらに、参考までに、「豊間根」と言う地名は、前九年の役で有名な「安倍氏」の末裔となる「豊間根」氏から取ったものとの事です。


豊間根」氏の始祖は、「安倍正任」の子「孝任」と伝えられ、現在も、この地に住んでおり、現在は、第47代目となっているそうです。

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さて、話を戻して山田町の「乳神様」ですが・・・やはり、この場所に、「乳神様」がある事の起源/由緒等は、解りませんでした。


また、これも、他の「乳神様」同様、祠の中には、「布製の乳房」が、沢山ぶら下がっていました。


しかし、この「布製の乳房」は、他の「乳神様」とは異なり、こちらは「筒状」になっています。


また、唯一解っている情報としては、ここの「乳神様」に、母乳の出が良くなる様に拝む場合、この祠にぶら下がっている「布製の乳房」を1つ借りて持ち帰り、2つにして返すと願いが叶う、と拝み方が伝わっているそうです。


「乳房の倍返し」を行う事で、他の困っている人達にも、幸せを広めていく風習があるとの事らしいです。


「倍返し」をする割には、「布製の乳房」の数が少ないようにも見受けられますが、それはそれで、母乳の出が悪い母親達に優しい風習だと思います。


「布製の乳房」の数が少ないのは、おそらく、「乳神信仰」が薄れてきた事と、周辺地域の人口減少なども影響しているのだと思われます。


また、この場所は、前述の通り、山田町の中心地からは、かなりの距離があるので、まあバス停はありますが、車が無いと、通うには不便な場所です。


さらに、これも前述の通り、祠自体、道路に背を向けているので、「知る人ぞ知る」スポットなので、本当に地元の人しか来ないと思います。

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それと、本来は、別立てにした方が良いのかもしれませんが、同じ「豊間根地域」には、「穴乳(あなち)観音菩薩」と呼ばれる観音様を祀っている場所があります。


この「観音様」、正式には、「荒川穴乳山洞窟悲母観音」と言うようですが、上記「乳神様」から、国道45号線を、さらに北上し、県道290号線に逸れ、さらに「荒川」と言う川伝いに10kmほど行くと、林道の中に、突如、鳥居が現れます。


鳥居も、祠も、全て「鉄骨」と言うのは、少し興ざめですが、ここが、「穴乳山」にある、「荒川穴乳山洞窟悲母観音」となります。


そして、この祠の、さらに奥、徒歩15分くらい、山道を歩いた先には、洞窟があります。


しかし、一説では、実は、こちらの岩屋の方が「穴乳観音」と呼ばれているとも伝わっているそうです。


その説は、次の通りとなっています。

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天正11年(1583年)1月11日、津軽石氏の家督を継いだ「一戸鬼九郎行重」が、同じ一族の「一戸千徳氏」の謀反により誅殺され、居城である「払川(はらいかわ)舘」が落城してしまったそうです。

そして、「払川舘」が落城するときに、津軽石家の家老「荒川佐助」が、「鬼九郎行重」の妻と子を、この洞窟(岩屋)に、秘密裏に匿ったと言われています。

その後、妻は、ここで十一面観音に祈り、下記の歌を残した後、男子を出産したそうですが、産後に事切れてしまったそうです。

「亡き人を 忍ぶがうえにおくつゆの きえしにつけて ぬるる袖かな」


以来、この深山の岩屋は、「穴乳観音」と呼ばれ、岩屋の中にある丸い乳房のような岩に滴る水は、難産や乳不足に女性に御利益があると信じられている。

岩屋入り口には、鬼九郎行重と妻の墓碑があり、宝暦の頃、この岩屋を霊場として開いた「牧庵鞭牛」が建立した観音像がある。 』

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・・・と言う事ですが、この画像では、「観音様」の有無の確認は出来ませんでした。


また、洞窟の入り口にある石碑ですが、台座は苔むして時代が経っているように見えますが、石碑、それ自体に関しては、建立年月が「昭和」となっており、その他の石碑も、何か新しいように見受けられます。


う〜ん・・・古さと言えば、先程の、鳥居の場所にあった石碑の方が、はるかに古いように見えます。

こちらも、情報が少ないので、今後も情報を収集したいと思います。

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■岩泉町「若宮神社の乳神様」


最後は、岩泉町門(かど)字三田貝にある「若宮神社」と言うか「乳神様」を紹介します。


岩泉町と言えば、「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられる「龍泉洞」がある町ですが、この「乳神様」は、「龍泉洞」からの場合、県道7号を南下し、その後、国道455号線を盛岡方面に約27km進んだ場所にあります。


と言いますか、そこから、さらに山道を50mほど進んだ山中に、ひっそりと存在しているそうです。


少し「乳神様」からは脱線してしまいますが、この岩泉町、「町」となっていますので、普通の感覚でとらえると、狭い地域だと思いますが、実は、本州一広い「町」です。


先程の、場所の説明をよく読んで下さい。


同じ町内で、27kmも離れていると言う事自体、変じゃありませんか ?


と言う事で、この「岩泉町」の広さですが、何と・・・東京23区の1.6倍もの広さを誇っています。


1つの町で東京23区よりも広いのに、人口は1万人以下・・・凄い場所です。


ちなみに、岩手県には、その昔というか、ちょっと前まで、日本一大きな「村」も存在していました。


そこは、現在「滝沢市」となっていますが、2013年12月31日までは「滝沢村」と言う「村」で、人口が、約55,000人も住む、「村」でした。


「市」になってしまった事で、逆に、影が薄くなってしまったような感じがします。


ところで、肝心の「乳神様」に関しては、この祠を「若宮神社」と呼んでいるようですが、鳥居と祠があるだけで、なおかつご神体は、左に掲載した「乳神様」だけです。


さらに、この「御神体 = 乳神様」ですが、確かに、「乳神様」らしく、例の「布製の乳房」を、首からぶら下げていらっしゃいますが・・・どう見ても、これは「お地蔵様」ですよね ?


先に紹介した釜石市の「乳神様」と同様、これまで紹介してきた「乳神様」と比較すると違和感を覚えてしまいます。


それと、ここの「乳神様」に関しても、ご多分に漏れず、起源/由緒は、全く解りませんでした。


但し、毎年、5月21日(旧暦4月8日)が縁日となっており、この日には、神社と言うには、余りに小さい祠に、「おぎしろ」を立てるのですが、ここには多くの女性達の名前が記載されている様です。


このため、「若宮神社の乳神様」は、やはり古くから、地元の女性達の間では、信仰の対象となって来たことが伺えます。


ちなみに、「おぎしろ(招代)」とは、よく神社の前に立ててある「旗指し物」の様な物で、神様が降臨する際の目印になる物と言われています。


そして、同じ意味を持つ物として「依代(よりしろ)」と呼ばれる物があります。


これは、「神様が依り憑く」対象物で、神様から見ると「依代」で、人間から見ると「招代」となるのだそうです。


何とも、厄介な・・・


また、今でも、「若宮神社の乳神様」は、地元の人達が、きちんと手入れをしている様です。


先に掲載した「乳神様」は、2015年の画像で、こちらが2016年の画像にありますが、「乳神様」のお召し物が変えられています。


今後も、地元の神様として、大事にされ続けることを期待したいと思います。

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今回は、岩手県内における「乳神信仰」の第2弾として、次の内容、および場所を紹介して来ましたが、如何でしたか ?


遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」
紫波町紫波ふるさとセンターの乳神様」
八幡平市「井森の大イチョウ
釜石市両石町「乳神様の祠」
●山田町「おっぱいの祠」
●岩泉町「若宮神社の乳神様」


今回で「乳神様」の紹介は終わりとなります。遠野地域があるからだと思いますが、やはり岩手県内には、数多くの「乳神様」がいらっしゃいます。


これは、東北北部と言う事で、過去に、何度も深刻な「飢饉」を経験した結果なのかもしれません。


数多くの「乳神様」が存在すると言う事は、母親達が「乳神様」を祀り、子供に母乳を与えたい、子供を無事に育てたいと言う希望が強かった事を表しているのではないかと思います。


全国的に有名な「乳神様」ではありませんが、地元では、まだまだ大切に祀られているようなので、私には全く関係無いのですが、何となく安心しました。


今回の「民間信仰」シリーズや「金勢信仰」の記事を書いていると、多種多様な神様を信じて祀っている日本人で、本当に良かったと思えます。


日本は、ビジネス、そして社会活動においては、日本国内のみならず、世界中から「ダイバーシティ(多様性)後進国」だと糾弾され続けています。


しかし、こと神仏の世界においては、世界でも稀な「ダイバーシティ」を実現している国ではないかと思ってしまいます。

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社会活動においては、今でも、何処かの首相が、国を挙げて女性の活躍の場を作るなどと言い、本来、その立場に相応しくない女性を、無理やり国会議員や大臣にして、謝罪、不倫等で国政を混乱させています。


企業においても、世間体を気にして、管理能力の無い女性を無理やり管理職にして、その当人のみならず、関係者全員を困惑させています。


現代社会では、本当に能力があれば、ある程度は周りのサポートも必要だとは思いますが、黙っていても、ふさわしい立場に付ける時代です。


上に立つ人間が、「自分のお気に入り」や「親の七光り」だけを、無理に担ぎ上げるから、国政も企業活動も混乱するのだと思います。

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最後に、まあ、これは「日本人」と言うより、「アジア人」の特徴なのかもしれません。


アジアには、現在でも仏教、ヒンドゥー教イスラム教、そしてキリスト教を信仰している国々が入り混じっています。


特に、東南アジアは、土着信仰から始まり、仏教、そしてヒンドゥー教イスラム教と、時代と支配者により、宗教を変えてきた歴史があります。


しかし、その中においても、アジアの神々は、どちらかと言うと寛容で、他の神々の存在を、ある程度は許す傾向があったのではないかと思います。


他方、ヨーロッパ諸国は、ギリシャの神々から始まり、ローマの神々、そしてキリスト教と変遷してきましたが、このキリスト教では、単一神しか認めず、他の神々の存在を許さない/認めない宗教だったために、現在でも紛争が耐えないのだと思います。


その他にも、ユダヤ教イスラム教も、一神教で、他の神々の存在を許しません。


このため、十字軍から始まり、中東戦争、イギリスのIRA、中東のIS等、何百年も戦争ばかり行っています。まあ、神様が戦争を仕掛けているのではなく、その信者達が、勝手に戦争をしているのですが・・・


「黒」か「白」か ? ではなく、グレーもOK、その他もOKと言う日本人、外の民族から見ると、はっきりしない、曖昧な民族と見られていますが、こと「宗教観」に関しては、私は、日本人は、これで良いのだと思います。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上


【 参照 】
・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)
・怪異・妖怪伝承データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB2/)
・日本古典文学摘集(http://www.koten.net/)
・浦幌神社ホームページ(https://www.urahorojinja.org/)
公益社団法人 岡山県観光連盟(https://www.okayama-kanko.jp/)
遠野市ホームページ(http://www.city.tono.iwate.jp/)
・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)
・ろくすけの手帳(http://blog.livedoor.jp/roku2005/)
・ミヤペディア(http://miyapedia.com/)
公立大学法人 岩手県立大学(https://www.iwate-pu.ac.jp/)
・山田町に来るとこんなことできます!(http://blog.livedoor.jp/yamada_fc/)
エフエム岩手/岩泉龍泉洞FM(http://furusato.fmii.co.jp/iwaizumi/)

ビジネスマンは要注意・・・Darkhotelに気を付けろ !


皆さん、「Darkhotel(ダークホテル)」と言う言葉を聞いた事はありますか ?


一瞬、今、世間を騒がせている「ブラック企業」のホテル版かと思った方も居ると思いますが、そうではありません。


「Darkhotel」とは、ホテル内で提供しているインターネットを狙った「マルウェア(malware)」の総称です。


「はぁ ? 何のこっちゃ ・・・普通のマルウェアと何が違うの ? 」と思われるかもしれません。


普通、「マルウェア」と言うと、ウィルスを仕込んだメール添付ファイルを開いたり、あるいは不正サイトにアクセスしたりする事で感染したりする、悪意を持ったソフトウェアを意味します。


マルウェア = ウィルス」と思っているかもしれませんが、正確には、ちょっと違います。「マルウェア」を正確に表すと、下図のようになります。



マルウェアとは、ウィルスやワーム、そしてトロイの木馬等、「悪意を持つソフトウェア」の総称です。そして、それぞれ、次のような特徴を持ちます。


●ウィルス :プログラムの一部を書き換えて、自己増殖するマルウェアで、単体のプログラムとしては存在できず、病気のウィルス同様、宿主が必要で、自己増殖する。
●ワーム :ウィスル同様、自身を複製して増殖するが、単独で存在可能な点が、ウィルスと異なる。
トロイの木馬 :普通のプログラムを装ってPC内部に潜入し、外部からの命令で、侵入したPCを操作する。
スパイウェア :本来、マルウェアには含まれない。PC内部に潜入し、主に情報収集だけを行う。自己増殖はしない。



また、ご存知だとは思いますが、「マルウェア(malware)」と言う言葉は、悪意のあるソフトウェアやプログラミングコードの総称で、悪意(malicious)とソフトウェア(software)をつなげた造語です。

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さて、そして今回紹介する「Darkhotel」ですが、この言葉は、特定のマルウェアを指す言葉ではなく、2014年に、ロシア(モスクワ)に本社を置く、コンピュータセキュリティ会社である「カスペルスキー」社が、ホテルのインターネット接続システムに対して行われていた攻撃手法を、「Darkhotel」と命名したのが始まりと言われています。


また、この攻撃は、アジアの多数の有名ホテルにおいて、7年間もの間、密かに行われ続け、さらに、攻撃対象は、主に日本人であることが判明したそうです。


そして、カスペルスキー社が更に調査した所、解析されたマルウェアのコードから、攻撃者が韓国語を話す人物であることが特定され、かつ余りにも高度な攻撃であることから、国家の関与が考えられるとも指摘しているそうです。


つまり、カスペルスキー社は、断定は避けていますが、韓国が、国を挙げて、この「Darkhotel」攻撃を仕掛けていたとも取れる指摘しているようです。


そこで、今回、「Darkhotel」攻撃に関して、次のような内容を紹介したいと思います。


●Darkhotelの攻撃方法
●Darkhotel攻撃の実例
●防止方法の紹介


それでは今回も宜しくお願いします。

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■Darkhotelの攻撃方法


今回紹介する「Darkhotel」攻撃は、前述の通り、「標的型(APT:Advanced Persistent Threat)攻撃」の一種類と位置付けられています。


APT攻撃とは、不特定多数に拡散して害を与える一般的なウィルスや、やみくもにインターネット上の機器を攻撃するのと異なり、特定の組織に侵入して内部データを持ち出したり、改ざんしたりするために、様々な攻撃手法を駆使します。


そして、APT攻撃は、通常、次のような4つのフェーズ(段階)で攻撃を仕掛けて来ます。


●第1フェーズ:初期侵入

ターゲット組織に対して、外部から侵入できるセキュリティ上の弱点を探して組織に侵入します。弱点が見つからなければ、関連会社、あるいは取引先等を洗出し、セキュリティの弱い組織に侵入し、ターゲット組織宛のメール情報を収集した後、侵入先社員を装い、ターゲット先の組織に、ウィルスに感染させるための添付ファイルを送り付け感染させます。近頃では、「水飲み場攻撃」と言う攻撃も行います。この攻撃では、ターゲット組織の社員がアクセスしそうなWebサイトを推定し、事前に該当Webサイトを改ざんし、ウィルスを仕掛けておく攻撃です。


●第2フェーズ:攻撃基盤構築

ターゲット組織に侵入すると、今後は、攻撃基盤構築のため、ネットワークやサーバー等、各種インフラへのアクセスするための情報を密かに収集します。情報収集のため、感染先PCに調査用ツールをインストールし、遠隔操作を行って、侵入が露見しないように、少しずつ、長期間に渡り情報を収集し続けます。


●第3フェーズ:内部侵入・調査

外部からインストールした情報収集ツールを遠隔操作して、攻撃を開始までの間、重要情報の保管場所、アクセス方法、そしてアクセスパスワード等の情報を盗み出し続けます。攻撃を開始するまで、何年も掛けて、情報収取を行うケースもあります。


●第4フェーズ:目的遂行

攻撃を開始するために十分な情報が収集できた時点で、ようやく攻撃を開始します。攻撃は、とにかく目立たない様に、通常通りの時と場所を選んでアクセスします。目的ファイルにアクセスする事が、当然なアカウントで、かつ当然なPCを経由して攻撃を仕掛けます。一度に大量のデータを外部に送信すると検知されやすいので、ファイルを分割して、少しずつ、時間を空けて外部に送り続けます。そして、送信処理が終了した時点で、攻撃手段として用いたPCやサーバーから、通信ログを消し去り、かつ攻撃に使用したツールも消し去ることで、侵入、および攻撃の痕跡も消し去ります。

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上記が、「APT攻撃」の攻撃手法ですが・・・どうですか ? このような犯罪組織に狙われたら、もう逃れようが無いと思いませんか ?


弊社の過去ブログでも、「APT攻撃」に関しては、攻撃方法の進化の過程や攻撃手法、それと、今後の心構えを紹介しました。


★過去ブログ:進化する標的型攻撃 〜 狙われたら、もうお終いなのか ?


「 大企業は、犯罪組織に狙われて大変だな〜 」等と、のん気に構えているアナタ ! 狙われているのは、大企業でも、その足場として、貴方の会社が利用されている可能性もあります。


貴方の会社を経由して、取引先企業に、ウィルスに感染させるためのメールが送信されている可能性もあるのです。


近頃では、大企業のセキュリティは、かなり強化されていますので、直接、ターゲット組織は狙わずに、セキュリティのレベルが低い、取引先である中小企業を狙う攻撃が増えています。


犯罪者のターゲットは大企業とは思わずに、注意する必要があります、

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さて、上記で「APT攻撃」の手法を紹介しましたが、それでは「Darkhotel」の攻撃方法は、どうなっているのでしょうか ?


一般企業におけるLAN環境は、通常は、左の画像の様に、外部ネットワークと社内ネットワークの2種類となっています。


外部と内部の境界にはファイヤーウォールを設置して、ここで外部からの攻撃をブロックする仕組みとなっています。


しかし、これがホテルとなると、ちょっと構成が異なります。簡単に言ってしまうと、社内ネットワークが2つ存在するような形になります。










上図の様に、客室部分が、「ゲストネットワーク」と言う独立したネットワークで管理されるようになるので、合計3個のネットワーク構成になります。


前述の通り、社内もゲストも、外部のインターネットとの接続には、ファイヤーウォールを経由するので、セキュリティのチェックは厳しく行われます。


しかし、ゲストと社内の間には、ファイヤーウォールのような高度なセキュリティは設定しないので、ゲスト/社内間のセキュリティは甘くなってしまいます。


また、ホテルの場合、客室でインターネットを使用する場合、客室案内に、LAN接続用のID/パスワードが記載されていますので、誰でも、ダイレクトに外部インターネットに接続可能です。


このような状況では、ゲスト側から社内ネットワークに侵入し、社内サーバーにマルウェアを仕込んでおけば、それ以降、客室から外部インターネットにアクセスしようとした際に、接続PCをマルウェアに感染させる事が可能になります。


事実、社内側のサーバーにマルウェアを仕込み、客室でPCを使ってインターネットにアクセスしようとしただけで、簡単にマルウェア感染した例も報告されているようです。


次章では、前述のカスペルスキー社が把握した攻撃事例を紹介します。

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■Darkhotel攻撃の実例


前章で紹介した通り、今回の「Darkhotel」攻撃は、カスペルスキー社の調査では、客室側から社内ネットワークに侵入し、社内で管理しているサーバーに、マルウェアを仕込んだ事が判明している様です。


ホテル名は公表していませんが、攻撃方法は、次の通りだそうです。














上図の画像は、ホテル側が、社内サーバーで管理していた日本のアニメ作品ですが、このアニメを見る事で、次のような形でマルウェアに感染してしまうそうです。


【 攻撃手順 】
・上記アニメ(海賊版)を、圧縮ファイルとしてサーバー設置する
・このサーバーに、アニメを解凍するためのツールも設置する(上図「AxDecrypt.exe」と言うプログラム)
・そして、この解凍ツールの中にマルウェアを仕込んでおく
・アニメ見たさに、解凍ツールを実行すると、PCがマルウェアに感染する

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そして、今回、PCを感染させた「マルウェア」は、「P2P(Peer to Peer)」と言う技術を用いたマルウェアだったそうです。


P2P」とは、複数のPC間で、ネットワーク通信技術を用いて、ファイル共有を行う仕組みです。「Peer(対等)」の者同士が通信を行うことから、「P2P(Peer to Peer)」と命名された通信プロトコル(手段)です。


この「P2P」の技術は、インターネットの世界では、使い古された古い技術で、もう数10年前から利用されてきたテクノロジーです。


考え方はシンプルなので、インターネットが普及した当時は、かなり使われた技術なのですが、技術の実装には、高度なプログラミング技術が必要となります。


このため、前述の通り、カスペルスキー社も、この「Darkhotel」攻撃に関しては、「高度な技術なので国家(韓国)が関係している。」と指摘します。


さらに、調査の結果、今回は、先程の「P2P」技術を使った「BitTorrent(ビットトレント)」と言うソフトウェアが使われた事まで判明しています。


この「BitTorrent」と言うソフトウェアは、アメリカの「ブラム・コーエン(Bram Cohen)」と言うプログラマーが開発したソフトウェアで、この「ブラム・コーエン」氏は、かつて「BitTorrent」社のCEOを務めていました。


ちょっと話は脱線しますが、「ブラム・コーエン」氏は、5歳で「BASIC」プログラミングを覚えた、俗に言う「天才」と言われる人物で、現在は、新しいビットコインの開発を手掛けていると言う情報が伝わって来ています。(現在は「Chia Network」という会社を設立)


さて、話を「Darkhotel」攻撃に戻すと、攻撃者は、先のアニメの解凍ツールに、この「BitTorrent」の仕組みを取り入れたマルウェアを仕込み、アニメを解凍するためにツールを起動することで、宿泊者のPCに「BitTorrent」をインストールするそうです。


その後、宿泊客が会社に帰り、マルウェアに感染したPCを社内ネットワークに接続すると、犯罪者は、「BitTorrent」を用いて、感染したPCを遠隔操作して、前章で紹介した攻撃を行います。


前章では、第1フェーズから第4フェーズまでの攻撃方法を紹介しましたが、既に、PCを感染させることには成功しているので、ここから第2フェーズ以降の攻撃を行う事になります。


さらに、上記攻撃方法以外にも、様々な攻撃を実行している様です。


例えば、ホテルのシステムやネットワークをマルウェアに感染させ、ターゲットとする滞在者が持参したノートパソコンなどでホテルのWi-Fiに接続すると、「グーグル・ツールバー」や「アドビ・フラッシュ」といった有名な実在ソフトウェアの更新(アップデート)を装った画面を表示してダウンロードを促し、マルウェアをインストールさせる攻撃なども実行されていたそうです。


そして、この「Darkhotel」攻撃に関しては、アジアの高級ホテルを舞台に、宿泊客に攻撃を仕掛けていたので、企業の経営層や幹部層を狙った攻撃とされています。


また、今回の「Darkhotel」攻撃では、何故か、ターゲットにする宿泊客を事前に決定し、なおかつ、その宿泊客が、いつホテルにチェックインするのかまでも、事前に把握していたフシがあると報告されています。


このため、ホテルが提供するネットワークに接続した際には、接続したPCが、ターゲットにした企業のPCか否かをチェックし、ターゲット企業のPCにのみ、マルウェアを感染させていたケースもあった様です。


これまでにも、かの半島の国は、日本の技術を盗用し、それを自国の技術と吹聴して経済を発展させてきた過去がありますので、カスペルスキー社の調査報告は、正しいのではないかと思われます。

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■防止方法の紹介


カスペルスキー社の報告では、アジアの高級ホテルでマルウェアに感染したPCの件数は、数千台にも昇ると指摘されています。


また、感染件数の多い国の上位3カ国は、次の通りと報告されています。

1位:日本
2位:台湾
3位:中国


普段でも、「野良Wi-Fi」と呼ばれている、誰も管理していない「無線LAN」を使うとマルウェアに感染すると言われていますが、ホテルが提供する「Wi-Fi」も、迂闊に接続してしまうと、マルウェアに感染する可能性が高くなってきていると考えるべきだと思います。


それでは、今後、どのような対応を取れば良いのかを簡単に紹介したいと思います。


スマートフォンテザリングを利用する

テザリング」とは、スマートフォンのネットワークを利用して、PCをインターネット接続するサービスです。利用にあたっては別途契約が必要な場合がありますが、「Darkhotel」攻撃によるマルウェア感染の心配はありません


●モバイルWi-Fiルーターを利用する

「モバイルWi-Fiルーター」や「ポケットWi-Fi」と言う言葉を聞いた事はありませんか ?


無線LANを使う場合、無線の開通工事を行う必要がありますが、この「モバイルWi-Fiルーター」は、初期設定は必要ですが、工事の必要はありません。


上記の「テザリング」の場合、スマートフォンが「モバイルWi-Fiルーター」と同じ位置付けになりますが、スマートフォンと同様、単体ではインターネットに接続できない機器を、インターネットに接続するための機器の事です。


通常、スマートフォンを用いる場合を「テザリング」と言い、専用機を用いる場合を「モバイルWi-Fiルーター」と呼び分けています。


それなら「スマートフォンテザリングで良いのでは ?」となりますが、専用機の場合、次のメリットがあるとされています。


・バッテリーで長時間稼働可能(スマートフォンの場合、バッテリーの消費が激しい)
・初期設定さえ行えば機器を接続するだけで直ぐに使用可能


VPNを利用する


少し難しいですが、通常のインターネット接続は、「HTTP接続」と呼ばれる接続方法を用いています。


今お使いのWebブラウザのアドレスバーを見て下さい。接続先URLの先頭4文字が「http://www〜」となっている場合、該当のWebサイトには、「HTTP接続」で接続している事になります。


そして、この「HTTP接続」の場合、通信データは暗号化されておらず、通信を途中でハッキングする事が出来れば、データとしてやり取りしている内容を覗き見る事が可能となっています。


このため、例えば、ネットショッピングを行うWebサイトでは、カード決済を行うページだけは、データを暗号化する「SSL接続」を使っています。


この場合、接続先URLの先頭5桁が「HTTPS」となります。


SSL」とは、「Secure Socket Layer」の略語で、データを送受信する一対の機器間で通信を暗号化し、中継装置などネットワーク上の他の機器による成りすましやデータの盗み見、あるいは改竄などを防ぐ通信手順となっています。


そして、同じ様に、通信を暗号化する方法としては、「VPN(Virtual Private Network:仮想プライベートネットワーク)」と言う技術があります。


SSL」と「VPN」、どちらもデータを暗号化できるのですが、ちょっと仕組みが異なります。


SSL」の場合、暗号キーを用いてデータを暗号化しますが、「VPN」の場合は、回線自体を暗号化します。


「う〜ん・・・何だか良く解かんないな〜」となりますが、要は、次のよう感じです。

・「SSL」:全てが暗号化
・「VPN」:VPN回線を使っている一部が暗号化(通信部分のみ暗号化)


そして「SSL接続」は、インターネット利用者は、使用の有無を指定出来ません。Webサイトの作成側で、使用の有無を判断する事になります。


しかし、「VPN接続」は、上記の通り、インターネットの回線部分になりますので、専用業者と契約すれば、利用者が「VPN接続」の使用の有無を判断する事が可能になります。


このため、「Darkhotel」攻撃を回避する場合、インターネット利用者側で、NTT、au、あるいはSoftBank等の通信業者と「VPN接続」の契約を独自に行うか、あるいは個人向けの「VPN接続」用のソフトウェアを購入して、自身でPCやスマートフォンにインストールする事になります。


個人向けの「VPN接続」用のソフトウェアとしては、海外メーカーですが「Hotspot Shield」社のソフトウェアが、古くから有名らしく、日本では、「ソースネクスト」社が、ライセンスを買い取って販売している様です。














このソフトウェアは、別に「Darkhotel」攻撃回避用に販売されている訳ではありません。


通常の無線LAN全てを暗号化するので、個人が自宅で、このソフトウェアを導入したPCでインターネットに接続した場合、国内プロバイダさえも通信内容を見ることが不可能になる様です。


何とも凄いソフトウェアがあるようですが、外出先で、前述の「Wi-Fi接続」をする時に、「モバイルWi-Fiルーター」を使えない人は、このようなソフトウェアは、必須になると思います。


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今回は、「ビジネスマンは要注意・・・Darkhotelに気を付けろ !」と題して、ホテルの宿泊客を狙った標的型攻撃ウィルスに関して、次の内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●攻撃フェーズ
●Darkhotelの仕組み
●防止方法の紹介


「Darkhotel」に関しては、特に、アジア、それも日本人を標的にした攻撃が多いと言うのが気になる所ではあります。


今回は、ホテルでの感染例を取り上げたのですが、「Wi-Fi利用によるマルウェア感染」に関しては、ホテルに限った話ではありません。


ブログ本文内でも触れましたが、「野良Wi-Fi」は、以前から「要注意」と言うよりも、絶対に使ってはダメと言われ続けています。


今後も、街中に溢れる「無料Wi-Fi」への接続は、注意した方が良いと思います。


私は、外出先で「Wi-Fi」を使う場合は、スマートフォンの「テザリング」を使っていますが、「テザリング」を使う場合、やはり通信量が気になってしまいます。


今回は、余り触れませんでしたが、スマートフォンのアプリで、データ通信を暗号化するツールが、AndroidでもiOSでも数多く提供されています。


通信量が気になる場合、お使いのスマートフォンのキャリアが提供する「Wi-Fiスポット」を活用するか、あるいは、この暗号化ツールをインストールしてから「無料Wi-Fiスポット」に接続する等の、対応をした方が良いと思います。


また、過去にホテルのWi-Fiを利用してソフトの更新などを行った覚えがある方は、今すぐに、セキュリティ対策ソフトの定義を最新にした上で、PCをフルスキャンして下さい。


ひょっとしたら、貴方のPCが、他のIT機器を攻撃する際の「足場」として使われているかもしれません。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
シマンテック(https://japan.norton.com/)
・WIRED(https://wired.jp/)
・「ポケットWi-Fi」はワイモバイルの登録商標です。
Kaspersky Lab社(http://www.kaspersky.co.jp/)


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岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.6


今回の「盛岡/岩手情報」は、前回から1年半以上経過してしまいましたが、「岩手の民間信仰」シリーズの第6弾を紹介したいと思います。


これまで、「岩手の民間信仰」シリーズとしては、番外編を含め、次のような内容を紹介して来ました。

内容
1 マイリノホトケ、供養絵額、百万遍念仏、オタメシ、庚申信仰 、山の神&オミキアゲ、お刈りあげ、アンバ様、オトリアゲ、カクラ様
2 鵜鳥さま、雲南さま、カマドガミ、十王信仰、猫淵さま、雷神信仰
3 座敷わらし、船霊様、ミダマメシ、虫おくり、厩猿信仰、一代守本尊信仰
4 産神信仰、田の神信仰、月待信仰/二十三夜さま、懸仏信仰
5 三峰信仰(三峰さま)、隠れキリシタン、妙見信仰
番外編 オシラサマ、金勢信仰(Vol.1〜Vol.5)


こうして、過去の紹介内容を振り返ってみると、岩手県内には、かなりの数の民間信仰が息づいている事が解ります。


これだけの数の民間信仰を紹介して来ましたので、前回の第5回目で、「もうそろそろネタ切れ」になりそうだと弱音を吐いた次第ですが、今回は、前述の通り「乳神信仰」を紹介したいと思います。


冒頭の画像は、「その2」で紹介する、岩手県紫波町の「乳神様」に隣接する「紫波ふるさとセンター」で販売している「乳神様まんじゅう」です。


「乳神信仰」は、別に、岩手県にだけ存在する民間信仰ではありません。日本中、至る所において「乳神信仰」は行われています。


「行われています」と現在進行形なのは、現在でも、一部の場所においては、「乳神様」に祈願する行為が行われ続けているからです。


「乳神信仰」とは、その昔、母乳の出の良し悪しが、赤子の生死を分けていた時代、母乳の出が悪い母親が、母乳の出が良くなる事を、樹木や自然石等に祈願した行為と言われています。


今回の「民間信仰シリーズ」では、当初、「乳神信仰」以外、下記のような「民間信仰」もご紹介しようと思っていました。


・金山様
・ふいご様
・夜泣き稲荷
・ご不動様信仰
竜神信仰


前回は、弱音を吐いてしまったのですが、「乳神信仰」を調査していると、岩手県内、特に遠野市において「乳神信仰」が多く残っており、この信仰だけでも、かなりのボリュームになることが解りました。


そこで、今回は、他の神様には悪いのですが、そもそも「乳神信仰」とは、どのような信仰なのかを紹介した後、遠野市の「乳神信仰」を始めとして、次のような岩手県内に残っている「乳神信仰」を、今回と次回の2回に分けて紹介したいと思います。

【 1回目 】
●「乳神信仰」とは
遠野市宮守町上宮守の「乳母石」
遠野市土淵町飯豊の「乳神様」
遠野市土淵町常堅寺境内「カッパ淵の祠」
遠野市綾織町みさ崎の「乳神様と金勢様」


【 2回目 】
遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」
紫波町/紫波ふるさとセンターの「乳神様」
八幡平市/井森の大イチョウ
釜石市両石町の「乳神様の祠」
●山田町の「おっぱいの祠」

それでは今回も宜しくお願いします。

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■「乳神信仰」とは

前述の通り、「乳神信仰」は、日本全国において行われている信仰です。


簡単に、日本全国に見られる「乳神信仰」の神社等を紹介すると、次のような状況となります。


・北海道十勝郡浦幌町「浦幌(うらほ)神社/乳神神社」
・北海道知内町知内町(しりうちちょう)公園の乳母杉」
・愛知県小牧市「龍音寺/間々観音(ままかんのん)」
京都府舞鶴市「岩上神社」
岡山県総社市「軽部(かるべ)神社」
広島県福山市「磐台寺/(阿伏兎観音:あぶとかんのん)」
徳島県阿波市「境目の大イチョウ


冒頭の画像は、私の様な「トライポフォビア(集合体恐怖症)」の人には、ちょっと気持ちが悪く感じられますが、岡山県総社市の「軽部神社」の本堂に奉納された、通称「おっぱい絵馬」です。


この「軽部神社」は、江戸時代初期となる延宝6年(1678年)に、軽部山の山麓に建立された神社で、今は枯れてしまって存在しないようですが、その昔、境内には、樹齢400年と言われた「垂乳根(たらちね)の桜」と呼ばれる、枝垂れ桜があったことから、乳神様として庶民の信仰を集めました。


何故、「垂乳根の桜」が「乳神信仰」につながるのかと言うと、「垂乳根」は古代より「母」や「親」に係る枕詞(まくらことば)とされています。


このため、「垂乳根の桜」は、それ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」や「親」という意味が加わり、いつしか神社全体が、「乳神様」として崇敬されるようになったと言われています。


樹木が「乳神信仰」の対象となる例としては、上記の「知内町公園の乳母杉」や「境目の大イチョウ」等がありますが、それ以上に一般的なのが「乳銀杏(ちち-いちょう)」ではないかと思われます。


「乳銀杏」とは、気根が乳房の形に似ているところから、母乳の出ない女性が、乳が出るように願をかける銀杏の老木の事です。


左の画像は、宮城県仙台市の「宮城野八幡神社」の隣の民家にある「乳銀杏」ですが、見事に枝や幹から乳房状の突起が垂下しています。


また、同じく上述の「浦幌神社/乳神神社」も、大正時代の中頃、乳房のような、二つの大きなコブを持つ「楢(ナラ)の木」を「乳神様」として祀ったのが始まりとされているようです。


この「楢の木」は、「浦幌神社」の御神木となったのですが、昭和37年の台風で倒れてしまったので、かろうじて残ったコブを、祠に納めて「御神体」として祀り始めたそうです。


その後、昭和57年(1982年)、関係者一同で協議の上、地域振興の意味も込め、この祠を「浦幌神社」の境内末社として遷座させ、「乳神神社」と名付けて、現在に至っているそうです。

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ところで、そもそも、「乳神信仰」と言う言葉自体は存在しないようですが、本ブログでは、「乳神様」を祀る信仰を、「乳神信仰」と定義して、ブログを進めたいと思います。


また、さらに詳しく調査すると、実は、「乳神様」と言う言葉も、どうも正式な言葉ではなく、「造語」の様な扱いになっている事が解りました。


国語辞典や漢和辞典等の辞書で「乳神」を探しても、「乳神」と言う言葉は記載されていません。つまり、現在の日本には「乳神」と言う言葉は存在していない事になります。


まあ、オタク系のゲームやアニメには「乳神様」と言う定義はあるようですが、説明するまでもなく、本ブログの主旨とは、全く異なる分野の話となります。



それでは、何故、「乳神様」とか「乳神信仰」と言う言葉があるのかと言うと、何度も記載してしまいますが、その昔、母乳の出の良し悪しにより、赤ちゃんの生死が分かれた時代に、母親達が、母乳の出が良くなるよう、何か、超自然の存在に対して、祈りを捧げたからだと思います。


その「超自然の存在」が、「乳房」に似た自然の造形物、あるいは人工物であり、それが「お乳の神様」となり、最後には、「お乳の神様」を短縮して「乳神様」となったのだと思います。


日本語としては存在しなくても、日本全国に、「拝めばお乳の出が良くなると信じられて来た神様」がいらっしゃった事は事実ですので、今回は、岩手県内各地に存在する「神様」を紹介します。

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他方、世界に目を向けると、意外にも、「乳神信仰」の様な信仰は存在しないように見受けられます。


ヨーロッパ諸国やエジプト、それにアジアを見ても、「乳神信仰」は見当たらず、どちらかと言えば「豊穣神」になってしまう様です。


「豊穣神」となると、五穀豊穣や安産、子授け等、全てを「ひっくるめた」た神様になってしまいます。


何か、「豊穣神」は総合職で、「乳神信仰」は専門職のようなイメージに感じられます。


特にヨーロッパや地中海沿岸、そして西アジアでは、古くから「宗教」と呼ばれる信仰が発展した影響もあり、日本の様に、自然の造形物を崇拝する考えは、禁じられてしまい、長続きしなかったのではないかと考えられます。


一方、日本でも、古墳時代となる538年には、既に仏教が伝来していたと考えられますが、日本の場合は、自然崇拝を含め、八百万の神々等、多くの神々を祀る事が禁じられてこなかったので、母乳の出が悪い場合、専門職である「乳神様」が拝まれたのだと思います。

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さて、話を再び日本に戻しますが、日本の場合、前述の通り、その昔、母乳の出が良くなる事を願う多くの母親達により、全国各地、様々な形で「乳神様」が拝まれて来ました。この事は、前述の通りです。


そして、これら「乳神様」は、1つの地域で、1つの「乳神様」が祀られるケースが、ほぼ一般的だと思われます。ところが・・・これが「遠野」となると、この常識が通用しません。


以前から、別シリーズで、岩手県内各地の「金勢信仰」を紹介していますが、このシリーズにおいても、遠野市の「金勢様」は、数が多過ぎます。


★「金勢様」シリーズ:何でこんなに沢山あるの Vol.1
何でこんなに沢山あるの Vol.2
何でこんなに沢山あるの Vol.3
何でこんなに沢山あるの Vol.4
何でこんなに沢山あるの Vol.5


他の地域、例えば、盛岡市では、日本における「金勢様」の起源と考えられている場所も含め、6箇所において、「金勢様」が祀られており、それなりに数多くの「金勢様」がいらっしゃいます。


まあ、これも数が多いと言えば、確かに多いような気がします。しかし、これが「遠野市」となると、なんと・・・11箇所もの場所で、「金勢様」が祀られています。


まあ、現在の遠野市は、数多くの町や村が合併して形成されたと言う経緯があります。


最初は、明治22年の「町村制施行」により、「横田村」が、単独で「遠野町」となったのが始まりで、その後は、昭和29年に7個の村が、平成の大合併(平成17年)には、1個の村が相次いで合併して、現在の「遠野市」となっています。


それを考えると、各村に、1〜2個の「金勢様」があったものが、合併を繰り返して、11個になったと考えれば、納得が行くのかもしれません。



と言うことで、それでは、遠野に、どのくらいの「乳神様」がいらっしゃるのかと言うと、大体、次のような「乳神様」がいらっしゃいます。


・土淵町飯豊の「乳神様」
・土淵町常堅寺境内「カッパ淵の祠」
・宮守町上宮守の「乳母石」
松崎町諏訪神社の願掛け石」
・綾織町みさ崎の「乳神様と金勢様」



この他にも、情報が乏しく、紹介出来ない「乳神様」が、2件程いらっしゃいますが、やはり、遠野市の「乳神様」は、他の地域に比べると、数が多いのだと思います。


今回は、沢山いらっしゃる「乳神様」の中でも、「遠野物語拾遺 第13話」に登場する「乳母石」から紹介したいと思います。

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遠野市宮守町の「乳母石」


最初に「遠野物語拾遺 第13話」を紹介します。


遠野物語拾遺 第13話 - 乳母石 】

宮守村、中斎に行く路の途中に、石神様があってこれは乳の神である。昔ある一人の尼がどういうわけかでこの石になったのだと言い伝えている。

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「 何が、乳母石なの ? 」と言いますと、分かる人は分かると思いますが、画像中の2つの石の突起を、人間の乳房と見立てています。


地元には、その昔、乳の出ない女性が、ここに参詣して、乳の形の石に酒を供えたり、あるいは酒を注いだりしたところ、今まで出なかった乳が出るようになったとい言い伝えが残っているそうです。


このため、当時は、遠くから多くの乳の出に困っている女性達が、この乳神様まで、参詣に来たという言われています。



他方、この「乳母石」は、南北朝時代の「建武年間(1334〜1336年)」に創建されたと言われている「東禅寺」の近くにあります。


そして、この「東禅寺」の開祖と言われているのが、「無尽和尚」なる人物と伝わっています。


この「無尽和尚」に関しては、昭和34年(1959年)に出版された「日本民俗学会報」の中に収められている論文「附馬牛東禅寺の伝説」によると、次のように紹介されています。


『 ある日、弘法大師が、赤子の泣き叫ぶ声を聞いたそうです。その泣き声は、尊い経の文句だったので、子供を引き取ったが、その子供の母親は、狢(むじな)であった。その後、その子供が成長して無尽和尚となった。 』

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さらに、この「無尽和尚」には、「遠野物語拾遺」や、その他「聴耳草紙(ききみみぞうし)」等に、何度も登場して次の様な伝説を残しています。(※要約済)



●「来迎石」の話
東禅寺を建立する際、境内に泉が欲しいと思ったので、大きな丸い石の上に立ち、早池峰山の神に祈願した所、その後、夢の中に、白い馬に乗った女神が、この丸い石の上に現れ、霊泉を与える事を約束した。この女神から授けられた泉を「開慶水(奴の井)」と言う。(遠野物語拾遺 第40話)


●「神通力」の話
ある日、来迎石の上に立って四方を眺めていたら、急に「開慶水」から水を汲み、天に向かって投げ散らすと、たちまち黒雲が空を覆い、南方に向かって流れて行った。その後、高野山から書状が届き、「過日当山出火の節は、和尚の御力によってさっそくに鎮火し誠にかたじけない。よって御礼を申す。」ということであった。(遠野物語拾遺 第67話)


●「狢退治」の話 その1
無尽和尚は無人寺に向かい、そこで寝ている大きなムジナ、その幻に勝って退治した。(聴耳草紙 第138話)


●「狢退治」の話 その2
曹源寺の裏山に「狢堂」と言う、お堂があるが、その昔、この寺が廃寺だった頃、寺に化物が出るので、住職が居着かず困っていると聞いた。そこで、廃寺に行ってみると、寺男の様な身なりの男が寝ていた。次の日に行っても、この男が寝ているので、「こやつこそ化物」と睨み付けると、男が起き上がり「見やぶられたかは致し方が無い。何を隠そう私はこの寺に久しく住み、七代の住僧を食い殺した狢だ。」と言った。その後、狢との戦いに勝ち、今日まで寺は続いて栄えている。(遠野物語拾遺 第187話)



と言うような、様々な言い伝えが残っている「無尽和尚」ですが、先の「乳母石」は、この和尚の母である「狢」だったと言う説もある様です。


出典等は不明ですが、その説によると、「乳母石」は、「無尽和尚」の母親である「狢」が、自分の死期が近づいた事を悟り、どうせ死ぬのであれば、人の役に立って死にたいと願った事から、無尽和尚が、その神通力、あるいは法力により、母親を「乳母石」に変えたと言う事です。


つまり、前述の「遠野物語拾遺 第13話」の補足説明です。



「狢」から生まれた「無尽和尚」が、ある時は「狢」を退治し、また、ある時は、自分の母親の「狢」を石に変える・・・何とも奇っ怪な話です。



「無尽和尚が狢から生まれた」説を唱えたのは、遠野高校で教員を勤めていた後、退職して地元の歴史を調べた「及川勝穂」氏と言う方なのですが・・・これも、どうも話が噛み合いません。


そもそも、真言宗の開祖である「弘法大師(空海)」は、奈良時代末期の宝亀5年(774年)の生まれで、平安時代初期となる承和2年(835年)に没しています。


かたや、「無尽和尚」は、生まれは解りませんが、先の「東禅寺」を建立したのが(様々な説はありますが)、鎌倉時代末から南北朝時代初期とされていますので、だいたい13〜14世紀辺りに活躍していたと思われます。


そうなると、「弘法大師」が、「無尽和尚」を育てたと言う説には無理があります。両者には、500年ほどの隔たりがあります。


但し、拾遺 第67話で、高野山との関わりが出てきますので、東禅寺、および無尽和尚は、真言宗と、何らかの関わりがあったのだとは思われます。


ちなみに、東禅寺は、15世紀中頃の著作とされる「和漢禅刹次第(わかんぜんさつしだい)」によれば、陸奥・出羽両国内の禅宗寺院の筆頭と記されているので、既に、この頃には、名刹であったようです。


しかし、残念な事に、江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615)頃に、兵火のために全焼してしまい、その後は、廃寺となってしまったそうです。

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遠野市飯豊の「乳神様」


次に紹介するのは、同じく遠野市の土渕飯豊(いいどよ)にある「乳神様」です。


この「乳神様」は、山道の直ぐ脇にある、小さな祠に、「金勢様」と一緒に祀られています。


普通、鳥居は朱色なのですが、この祠の鳥居は白色なのが印象的です。


その理由は解りませんが、恐らくは、「乳神様」を意識して、「乳白色」にしたのかもしれません。


この画像では小さくて見えにくいので下に、大きな画像を用意しました。


この祠は、何時から、何のために建てられたのか等、由緒/縁起は、残念ながら、さっぱり解りませんでした。


しかし、「乳神様」と「金勢様」が一緒に祀られている所を見ると、もちろん、女性の乳の出が良くなるように祈願したとは思いますが、どちらかと言えば、「子宝」の方に重点を置いていたようにも感じられます。


また、鳥居も、建物も、そして「御神体(?)」も、全て新しそうに見えるので、時間的にも、それ程は古くはないのだと思われます。


実際、地元の方のブログを読むと、昔は、もっと小さかったが、近年、これも地元の方のご尽力で、屋根付きで少し大きい祠に改築した旨が書かれていました。


しかし、やはり残念な事に、由緒等の説明は、一切ありませんでした。何か、新しい情報があれば、後日、何かの折に紹介したいと思います。




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遠野市カッパ淵の祠


次は、遠野と言えば有名な「カッパ淵」にある「乳神様」を紹介します。


この「カッパ淵の祠」に祀られている「乳神様」に関しては、「民間信仰シリーズ」の第5回目で取り上げた「妙見信仰」でも紹介しています。


「妙見信仰」と「乳神信仰」が、何故繋がっているのかと言うと、詳しくは、この過去ブログを読んで頂ければと思います。

★過去ブログ:岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.5


簡単に説明しますと、その昔、三重県にあった「伊勢の妙見様」は、「子授け」、「乳の神」、そして「子育ての神」として信仰を集めており、この「伊勢の妙見様」を拝む場合、「乳房」の様な形に作った布を奉納していたと伝わっています。


このため、「伊勢の妙見様 = 乳の神」となり、それが「妙見信仰 = 乳神信仰」となってしまったと伝わっています。


さて、本章で紹介する「カッパ淵の祠」には、当然、「カッパ」が祀られているのですが、何故か、そのカッパが「乳神様」として祀られています。


また、この「祠」には、先の「妙見信仰」でも紹介した「乳房の様な形に作った布」も奉納されてます。


上記過去ブログでは、カッパと「乳神様」の関係は解らなかったのですが、今回の調査で、次のような事が判明しました。


これは、この「カッパ淵」を守っている二代目の「守っ人(まぶりっと)」の方が、新聞のインタビューに答える形で解説してます。


『 この地方では、カッパはキュウリを好み、カッパが作る妙薬の効果は抜群と伝わっている。その昔、母乳の出ない貧しい母親は、カッパの祠にお参りに行きなさい、と必ず言われたものだ。そして、このカッパ淵の祠に奉納されている布製の乳房の中には、地主がコメを隠していたそうです。コメを頂いた母親達は、必ず返す事を約束してコメを頂き、その結果、母乳が出るようになったと伝わっている。コメを返せる者は、また布製の乳房にコメを包んで返し、コメを返せない者は、山で採ってきた薬草等を布製の乳房に包んで奉納した。これが「カッパの妙薬」の正体である。 』



何とも珍しい話だと思います。地主が、小作人を助ける話など、余り聞いた事がありません。


さらに、この話が事実であれば、カッパ淵の祠に「布製の乳房」が奉納されている理由と、母親達が、この祠を拝みに行った事の説明が付きます。将に、「カッパ淵の祠」が、「乳神様」となります。


しかし、そうなると、逆に、この「カッパ淵の祠」と「妙見信仰」との繋がりは、全く関係が無い事になってしまいますが・・・


私としては、「守っ人」の方の説明の方が、しっくり来るような感じがします。


ちなみに、現在の「「守っ人」は、二代目の「運萬(うんまん)治男」氏で、祠の中の写真の方が、初代「守っ人」だった、「阿部与市」氏との事です。


遠野のカッパは、人、特に母親に優しいカッパだったのですね。

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ちなみに、この祠に祀られている「女の河童像」ですが、これは、初代「守っ人/阿部与市」氏のお気に入りの像だったそうです。


このため、この祠には、初代の写真と一緒に、この「河童像」が祀られているのですが・・・


実は、この「河童像」の裏には、「女性器」が彫られており、初代が元気な頃は、観光客に、この「河童像」の裏を見せて喜んでいたと言う話が伝わっています。


遠野の「カッパ淵」は、初代「守っ人/阿部与市」氏が、各種メディアで取り上げられて有名になったのですが・・・初代の「守っ人」は、単なる「セクハラ爺」だった様です。

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遠野市みさ崎の「乳神様」


次の「乳神様」も、過去ブログで紹介した神様で、こちらは、遠野市綾織町みさ崎(みさざき)にある「乳神様」と「金勢様」になります。


「みさ(身へんに鳥)」と言う漢字は、かなり難しい字ですので、通常は「みさ崎」と表現している様です。


過去ブログにおいては、「乳神様」ではなく、「金勢様」に重点をおいて紹介しましたので、今回は「乳神様」の方を紹介したいと思います。


この「みさ崎の乳神様」は、国道396号線(遠野街道)から、綾織郵便局から脇道に逸れて少し北上した道沿いにあります。


それでは、「乳神様」の情報を、と思ったのですが・・・この「みさ崎の乳神様」に関しては、全くと言って良い程、何の情報もありませんでした。


この「乳神様」は、過去ブログにも記載してある通り、「遠野遺産 第45号」にも登録されているのですが、それにも関わらず、下記の通り、通り一遍な説明しか記載されていないようです。


唯一新たに判明したので、この「布製の乳房」の中身が、「籾殻」が詰められていると言う点だけです。情けない・・・


『 乳神様(金勢様)は、大きな岩の上に立つウッコの大木に抱かれるようにしてある。子供が授からなかったり、お乳が出なかったりする女性が、子宝やお乳がたくさん出るよう祈願した。(遠野遺産より) 』


この大樹は、地元で「ウッコ」と呼ばれているようですが、正式な樹木の名前は「イチイ」と言います。東北地方では、「ウッコ」の他にも「オンコ」とも呼ばれている様です。


「イチイ」の名前の由来は、仁徳天皇が、この木で「笏(しゃく)」を作らせて「正一位」を授けたので「一位」と呼ばれたと言う説もあるそうです。


ところで、この「ウッコ」、かなりの大きさなので、樹齢も、かなりの年数だと思うのですが、こちらも全く情報がありません。


左のイチイは、同じく遠野市の「善明寺」にある、樹齢730年と言われているイチイです。


この大きさで「樹齢730年」であれば、「みさ崎」のイチイは、軽く「樹齢1,000年」は超えているのではないかとも推測できるのですが・・・記録が無ければ、推測で終わってしまいます。


「乳神様」に関しても、「イチイ」に関しても、もう少し記録を残して欲しかったと思います。


折角、貴重で、面白い歴史があるのに、非常に残念に思います。

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今回、民間信仰の第6弾として、「乳神信仰 その1」を紹介しましたが、如何でしたか ?


●「乳神信仰」とは
遠野市宮守町上宮守の「乳母石」
遠野市土淵町飯豊の「乳神様」
遠野市土淵町常堅寺境内「カッパ淵の祠」
遠野市綾織町みさ崎の「乳神様と金勢様」


遠野市の「乳神様」に関しては、もう1体いらっしゃるのですが、ブログのボリュームの関係で、次回に掲載する事にしました。


また、今回紹介した「乳神様」の内、一部の「乳神様」に関しては、他の「金勢信仰」や「妙見信仰」と重複する場所もありましたが、その点はご容赦下さい。


しかし、「カッパ淵の乳神様」に関しては、以前「妙見信仰」を紹介した時には解らなかった点も、今回の調査で明らかになりましたので、その点は継続調査も良かったのではないかと思っています。



しかし・・・本ブログに何度も記載していますが、どうして「遠野」には、これほど多くの民間信仰が残っているのか不思議に思えて仕方がありません。


遠野物語」や「遠野物語拾遺」が残されたと言う事も、一つの理由だとは思うのですが、どうも、それだけが理由とは思えません。


遠野以外の地域にも、このように多くの言い伝えや伝説があったのでしょうか ?


それとも、やはり遠野だけに、このような不思議な話が残されていたのでしょうか ?

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私は、このように、現在に至るまで、遠野の昔話しや民間信仰が継承されてきた理由に、「語り部」の存在があると考えています。


北陸大学の准教授「井上祐子」氏の「観光と語り部」と言う記事(2014年)によると、1960年(昭和35年)当時、日本全国の村々には、それぞれが100話以上のレパートリーを持つ語り部が、300人以上存在した事が解っていたそうです。


遠野物語」自体も、ご存知の通り、遠野在住の「佐々木喜善」氏の口述した内容を、柳田國男が編集した物です。


恐らくは、前述の通り、元々、日本全国において、その地域で起きた過去の出来事を、現在、「語り部」と呼ばれている様な人達が、口述で伝えて来たのだと思います。


しかし、その「語り部」の継承が上手く行かなかったり、あるいは遺跡/遺構が、開発により破壊されてしまったりしたため、人々の記憶から消えてしまったのだと思います。


ところが、遠野においては、たまたま、次のような偶然が重なったため、昔話しが継承され続けたのだと思います。


●「佐々木喜善」と言う、昔話に興味を抱いた人間が存在し、早稲田大学に入学していた
民俗学に興味を抱いた「柳田國男」と言う人間が存在した
●この「佐々木喜善」と「柳田國男」が、東京で偶然出会った
●「柳田國男」が「遠野物語」を編集/出版した
●「佐々木喜善」の親戚「北川 深雪」が、「遠野物語」の伝承を始めた
●遠野地域に、開発の手が入らなかった


このような偶然が重なった事で、遠野の昔話が、途切れること無く現在まで受け継がれてきたのだと思います。


日本の他の地域でも、その昔は、遠野の様に、沢山の「語り部」が、昔話を受け継いで来たのだと思いますが、「語り部」の継承が上手く行われずに、途切れてしまったのだと思います。


また、都市部に近いと開発の手が入ってしまい、貴重な遺構等も破壊されてしまったのだと思いますが、遠野の場合、幸か不幸か、山奥にあり、中々開発されなかったので、様々な遺構が残されたのだと思います。


ちなみに、遠野では、「語り部1000人プロジェクト」と言う活動を行い、昔話が行える「語り部」の育成にも力を入れています。


今後も、「語り部」が途切れないよう、また貴重な遺構を残して行くよう、期待したいと思います。


次回は、「乳神様 その2」として、次の場所の「乳神様」を紹介します。


遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」
紫波町/紫波ふるさとセンターの「乳神様」
八幡平市/井森の大イチョウ
釜石市両石町の「乳神様の祠」
●山田町の「おっぱいの祠」


「遠野」を始めとし、その隣の「紫波町」、それと県北の「八幡平市」、最後は、三陸海岸の「釜石市」と「山田町」の「乳神様」を紹介しますが・・・「乳神様」の起源/由緒が判明していないケースが多いのが残念な所です。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上

【 参照 】
・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)
・怪異・妖怪伝承データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB2/)
・日本古典文学摘集(http://www.koten.net/)
・浦幌神社ホームページ(https://www.urahorojinja.org/)
公益社団法人 岡山県観光連盟(https://www.okayama-kanko.jp/)
遠野市ホームページ(http://www.city.tono.iwate.jp/)
・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)
・ろくすけの手帳(http://blog.livedoor.jp/roku2005/)
・ミヤペディア(http://miyapedia.com/
公立大学法人 岩手県立大学(https://www.iwate-pu.ac.jp/)
・山田町に来るとこんなことできます!(http://blog.livedoor.jp/yamada_fc/)
エフエム岩手/岩泉龍泉洞FM(http://furusato.fmii.co.jp/iwaizumi/)
・観光Re:デザイン(https://kankou-redesign.jp/pov/708/

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Fall Creators Update 〜 今度は何が・・・


平成29年10月17日、Microsoft社は、通算4度目となるメジャー・アップデート『 Fall Creators Update 』の一般提供を開始すると発表しました。

弊社ブログでも、これまでメジャー・アップデートが行われるたびに、下記のように、その内容を紹介して来ました。

まあ、前回の「Creators Update」に関しては、余りにも内容が乏しいので、軽く触れる程度の紹介でしたが・・・

・「November Update」 : その後のWindows10 ? 世の中はどうなってるの ?( 20160409.html)
・「Anniversary Update」 : Windows 10 Anniversary Update ? 見えてきたMicrosoftの本性(20161008.html)
・「Creators Update」 : 秒読みを迎える「Windows 10」への移行 〜 貴方の会社は大丈夫 ?( 20170408.html)


今回は、少し記事掲載が遅くなってしまいましたが、『 Fall Creators Update 』の内容や、現状の障害状況なども、合わせて紹介したいと思います。

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ところで、『 自分のPCには、一体、どこまでWindows Updateが適用されているの ? 』と疑問に思う方も居ると思います。

Windows 10」では、OSの情報を、「Version(バージョン)」と「Build(ビルド)」と言う情報で管理しています。

これは、「Windows 10」以前のOSでは、「SP(Service Pack)」と呼ばれる名称で管理されていた情報と同じ様なものになります。

また、「Windows 10」になってからは、前述の「Windows Update」の適用方法や管理方法が、従来よりも複雑になり、私も、訳が解らない状況になってしまっています。

そこで、今回は、『 Fall Creators Update 』の提供機能の紹介の前に、このバージョンやビルド、それに、新たに発表されたMicrosoft社の「Windows Update」の考え方も紹介したいと思います。


と言うことで、今回は、次の情報をお伝えします。

●バージョンとビルドについて
Windows Updateの考え方
●Fall Creators Updateの提供機能
●Fall Creators Update適用後の障害

それでは今回も宜しくお願いします。

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■バージョンとビルドについて


最初に、自分のPCのバージョンとビルドの調べ方ですが、次の2通りの方法で調べられます。

・検索欄に「winver」と入力して表示する。
・「設定」→「システム」→「バージョン情報」と入力して表示する。

左記の画像は、上記「winver」コマンドで表示させたWindowsのバージョン情報になります。画像中の赤枠内に、次のような情報が表示されます。

【 バージョン 1703 (OSビルド 15063.674) 】

この情報では、見ても解る通り、バージョンが「1703」で、ビルドは「15063.674」となります。とは言っても、この情報だけを見ても、何がなんだか解らないと思います。

まずバージョンに関して説明しますと、現在では、該当バージョンのOSの完成した年月であり、「西暦下2桁+月2桁」を表していると言われています。

Windows 10」に関しては、前述の通り、これまでに3回のメジャー・アップデートが提供されており、それぞれのバージョンは、下記の通りです。

回数 名称 公開時期 バージョン ビルド
0 初回リリース 2015年07月 10.0.10240 10240
1 November Update 2015年11月 1511 10568
2 Anniversary Update 2016年08月 1607 14393
3 Creators Update 2017年04月 1703 15063
4 Fall Creators Update 2017年10月 1709 16299

こうして見ると、バージョンの完成月と公開月が一致しているのは、第1回目のメジャー・アップデート「November Update」だけで、それ以降は、製品が完成してから、1か月後に公開(リリース)しているようです。


そして、次に「ビルド」に関してですが、これは・・・パッケージ・ソフトウェアの開発に携わった経験が無いと、理解し難いと思います。

開発に使用する言語にもよりますが、パッケージ・ソフトウェアの開発者は、新機能追加、あるいはバグ修正のために、毎日、ソースコードを更新しています。

そして、ある決まったタイミングにおいて、開発に関わる全ての人が、ソースコードの更新を止めて、ソースコードからインストール可能な状態を作成し、動作確認のための試験を行います。






その後、システムのバグが無くなった時点で、新しいバージョン番号を割り振って、ソフトウェアを販売したり、公開したりします。

この時の、ソースコードのフィックスを行うタイミングを「ビルド」と言い、Microsoft社の場合、上記の「ビルド番号」は、ビルドを行った回数を示していると言われています。

そして、Microsoft社の場合、私のPCのビルド番号は、前述の図の通り、「15063.674」となっていますが、整数部分と小数点部分で構成されており、それぞれ、次のような意味を持つと言われています。

・整数部分 :ビルド回数。ビルド1回に付き、番号が「1」ずつ加算されていく。1日1回。リリースされると固定される。

・小数点部分 :1日の範囲内でビルドされた回数。リリース後は、「Windows Update」で累積更新プログラムやセキュリティ更新を行うと、小数点部分が変更されていく。

このため、私のビルド番号を、上記説明の通りに解釈すると、次のような意味を持つ事になります。

Windows 10がリリースされてから、15,063回ビルドされたOSである。該当バージョンのリリース後、674回、更新されている。 』



また、余談ですが、ソース・フィックス後の動作確認試験は、「Canary(カナリア)」と呼ばれています。

評価試験では、作成したプログラムのバグ(障害)の有無を確認します。

これは、その昔、鉱夫が鉱山に入る時に、有毒ガスの有無を確認するために、カナリアを持って行った事に由来すると言われています。

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Windows Updateの考え方

過去ブログでも、何度か紹介していますが、「Windows 10」がリリースされた当初、「Windows Update」の適用プロセスは、年3回、4ヶ月毎に実施する「Current Branch(CB)」と、その後、2ヶ月単位で実施する「Ring」を4回繰り返す「Current Branch for Business(CBB)」で提供すると公表していました。

★過去ブログ:Microsoft FEST2015 − 相変わらずのマイクロソフト(20151107.html)





ところが、年3回、「CB」と呼んでいたメジャー・アップデートを開始すると、ことごとく障害が多発し、その障害対応に追われる事態となってしまいました。

事実、これまで行った過去2回のメジャー・アップデート「November Update(1511)」と「Anniversary Update(1607)」は、惨憺たる状況で、2度めの「Anniversary Update」をリリースした時には、まだ前回の「November Update」に関する一部障害が、解決出来ていない状態だったような感じがします。

このため、世間でも、メジャー・アップデートは直ぐに行わない方が良いと言う認識が拡がり、余程の事がない限り、メジャー・アップデート公開後、3〜4ヶ月は、誰も「Windows Update」を行わないと言うのが常識となってしまっていました。

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そこで、Microsoft社は、2017年4月の「Creators Update(1703)」のリリース発表会の時に、今後、メジャー・アップデートは年2回、3月と9月に行う事を発表しました。

Microsoft社は、年3回のメジャー・アップデートのリリースに自信が無くなった様で、リリース回数を減らす事で、信頼性の向上に努めるようにしたように思われますが、これは、懸命な判断だと思います。

バグばっかりのバージョンを、当初の予定にこだわって、何度もリリースすることで、実際に困るのは、私達、末端の利用者です。

メンツへのこだわりを捨て、信頼性の高いバージョンを、今後もリリースして欲しいものです。

ところで、この「Windows Update」の適用タイミングの変更に伴い、当初「CB」、「CBB」、そして「LSTB(Long Term Service Branch)」と呼ばれてきた「Windows Update」適用タイミングも変更になった様です。

これら「Windows Update」適用タイミングは、前述の図の通りですが、今後は、「Channel(チャンネル)」と言う呼び方を使うようになるみたいです。これを、これまでと今後の適用タイミングをと比較すると、次の表のようなイメージになります。

過去の呼び方 「Creators Update(1703)」後の名称
CB(Current Branch)年3回/4ヶ月毎 Semi-Annual Channel(Targeted)3月/9月の半期毎適用/18ヶ月間サポート
CBB(Current Branch for Business)/CBリリース後/4ヶ月後 Semi-Annual Channel/Targetedリリース後/約4ヶ月後/14か月間サポート
LSTB(Long Term Service Branch)/適用無し/再インストール (LTSC)Long Term Servicing Channel/適用無し/再インストール

こうして見てみると、特に大きな変更は無く、単に、メジャー・アップデートが年2回になり、呼び名が変わっただけの様です。

ちなみみ、「Annual(アニュアル) = 毎年」で、「Semi(セミ) = 半分」と言う意味になります。

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また、上記「Windows Update」の適用タイミングの名称変更に伴い、Officeに関しても、適用タイミングの名称、および適用タイミングが変更された様です。

過去の呼び方 今後の名称
Office Insider(Fast/Slow)/Microsoft Insider Program Office Insider(Fast/Slow)/Microsoft Insider Program
Current Channel(現状チャネル) Monthly Channel(月次チャネル)
First Release for Deferred Channel(最初の段階的提供チャネル) Semi-Annual Channel(Targeted)(半期チャネル(ターゲット)/3月/9月の年2回
Deferred Channel(段階的提供チャネル) Semi-Annual Channel(半期チャネル)/Targetedリリース後/翌年1月と7月にリリース

それと、この発表後、一部、日本人のITライター(S.S氏)が、メジャー・アップデートの事を「Future Update」と呼んでいるようですが、これは、当人が、Microsoft社のリリース・コメント中にある「将来適用する更新処理」の事を、勝手に「Future Update」と呼んでいるだけのようです。

現在、その他のITライターを含め、誰も、この呼び名に関しては、相手にしていないようですので、変な名称に惑わされないようにして下さい。(※「Future Update」と言うような名称の「Windows Update」は存在しません。)

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■Fall Creators Updateの提供機能


それでは、いよいよ「Fall Creators Update(FCU)」の内容を紹介したいと思います。

今回は、開発コード「Redstone 3(RS3)」と呼ばれるバージョンのリリースとなるのですが・・・リリース当初は、実装予定機能が、全て実装されていた訳では無かった様です。

Microsoft社は、前述の通り、年2回のメジャー・アップデートの実施を優先していますが、機能の提供が、このメジャー・アップデートに間に合わないケースもあったそうです。

そして、この「リリースが間に合わない機能」に関しては、次回のメジャー・アップデートまでの間に、逐次実装する事になった様です。

前章で、メジャー・アップデートを年3回から2回に減少する事で、信頼性の向上を図るのではないか、と記載しましたが、それ以前に、開発スピード自体も、年2回のスケジュールにも間に合わない様になっているような感じがします。

このため、Microsoft社は、「メジャー・アップデート」と豪語していますが、その実、適用タイミングが統一されていないので、どの機能が、何時実装されるのか、全く解らない状況になってしまっています。

ある日、朝、会社に出社してPCを起動したら、知らない内に、新しい機能が実装されていたり、操作方法や画面が昨日と違っていたり、と言う、とんでもない事が起きている様です。

それにも関わらず、Microsoft社では、既に、次期メジャー・アップデートとなる「RS4」の提供準備を行っていると言う情報もあり、これからも、ますます混沌とする状況が続くのではないかと思われます。

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という事で、何が変わるのか、と言う事ですが・・・何か、今回も、大した機能は提供されていないと言う情報が伝わって来ています。

前回の「Creators Update(RS2)」でも、それほど大きな変更は加えれてなかったので、今回は?! と思ったのですが・・・期待外れのようです。今回の新機能は、次のような機能となります。

カテゴリー 内容
ユーザーインターフェース ・Fluent(フルーエント) Designの採用(スタートメニュー、電卓アプリ等)
ストレージ ・OneDriveのファイルのオンデマンド
・ストレージセンス
スマートフォン等との連携 スマートフォンとの連携機能
・MR(複合現実)対応
・タスク・マネージャーでのGPU負荷機能表示
グラフィック関連 ・フォトアプリの「ストーリーリミックス」
・ペイント3Dの利用を推奨(ペイントの廃止)
コミュニケーション ・My People(連絡先をタスクバーに)
ブラウザー Google Chromeからの移行に対応
EPUBコンテンツでのCortana検索や手書きメモ
・お気に入りのURL編集が楽に
・タスクバーにサイトをピン留め可能に
・PDFの注釈機能
セキュリティ ・コントロールされたフォルダーアクセス
Windows DefenderのExploit Protection
その他 ・バッテリーモード変更
・新フォント追加
コマンドプロンプトのフルカラー対応
・設定]の強化

こうしても一覧表でみると、何とも「ショボい」内容になっていることが一目瞭然です。

当初は、パソコンの状態を過去の任意の時点に戻せる「Timeline」や、クリップボードにコピーした内容をクラウド経由で共有できる「Cloud Clipboard」といった機能の搭載も予定されていた様ですが、最終的には次期バージョンへと搭載が見送られてしまった様です。

一部、例の如く「Microsoft御用達ライター」の人たちは、今回の「FCU(RS3)」に関して、

『 将に、大型アップデートと呼ぶにふさわしい内容になっている。 』

等と語っていますが、それ以外、普通のライターの人たちは、ほとんどが物足りない内容で、「メジャー」ではなく「マイナー」ではないかと疑問を呈しています。

Microsoft御用達ライター」は、セキュリティの強化を特筆すべき内容と言っていますが・・・これって常識的な内容ですよね ?!

と言うか、逆に、メジャー・アップデートまで適用を待つほうが異常で、セキュリティを強化したのであれば、直ぐにでも提供するのが「人間としての常識」、お金を支払って使っている利用者に対する最低限の対応だと思います。

特に、今回、上記の表には記載していませんが、2017年5月に、全世界を震撼させた「WannaCry」と言うランサムウェアが使用した「SMB V1」を「デフォルト無効」にした点を評価していますが・・・これも「将に、常識と呼ぶべき内容」ではないでしょうか ?

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「SMB(Server Message Block)」と言うのは、LANを通じてファイル共有やプリンター共有などの実現にために使用されている通信方法になります。

「ファイル共有プロトコル」とも呼ばれており、要は、ネットワーク経由で、PC間で、ファイルやプリンター等を共有する機能を実現するための決まり、規約(プロトコル)になります。

また、別名「CIFS(Common Internet File System)」とも呼ばれ、「SMB」と「CIFS」が混同されてしまっています。

「ファイル共有」のための仕組みは、元々は、1980年代初頭に、IBM社が開発した仕組みが起源となっており、この頃から「SMB」と呼ばれていました。

その後、1990年代中頃から、Microsoft社が、この「SMB」に様々な機能を付け加え、その名称を「CIFS」と呼ぶようにしたのですが、2000年に、「CIFS」の呼び方を、また「SMB」に戻したので、「ファイル共有機能」の呼び方が、混同する事になってしまった様です。


そして、現在でも「SMB」に対する開発は続行しており、現在の最新バージョンは、「SMB 3.0(バージョン3)」をなっています。

今回の、この「SMB」の「バージョン 1.0」に対して、該当機能を使用しない措置が取られたのですが・・・正直、遅すぎると思います。

そもそも、「SMB 1.0」は、前述の通り、1990年代に開発された手法なので、対象OSは、「Windows XP」、もしくは「Windows Vista」です。

最新の「Windows 10」には、「SMB 1.0」、「SMB 2.0」、「SMB2.1」、そして「SMB 3.0」がインストールされています。

そして、ファイル共有を行う時に、相手OSのバージョンに合わせて、どのバージョンの「SMB」を使用するのかを決定しています。

Windows XP」も「Windows Vista」も、既に延長サポートが停止されている状況ですから、「SMB 1.0」を有効にする必要など全くありません。

それにも関わらず、「SMB 1.0」を有効にし続けたために、去年5月の「ランサムウェア」の大流行を引越す事になってしまいました。

さらに、その後も、今回、「FCU」をリリースするまで、5ヶ月間も放置していた訳ですから、その常識を疑ってしまいます。

それにも関わらず、「Microsoft御用達ライター」は、『 SMBを無効化したのは賢明な判断と言える。 』等と、ほざいている訳ですから、この方達の神経も疑ってしまいます。

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話が、少し逸れてしまいましたが、簡単に機能を紹介します。

●「Fluent Design」の採用


この「Fluent Design」と言うのは、特に、何かをしてくれる機能ではなく、PCの画面やWebブラウザーでの表現の仕方、つまり、新しいデザインのコンセプト、あるいはデザインのガイドラインになります。

そして、そのガイドラインの名称を「Fluent Design」と言う呼び方にした、というだけの様です。ちなみに、Google社のデザイン・コンセプトは「Material Design(マテリアルデザイン)」と言う名称になっています。

今回、Microsoft社が提供を開始した「Fluent Design」は、2017年5月にシアトルで開催された「Bild 2017」」では、次の5個のコンセプトで構成していると説明しています。

→ Light(光)、Depth(奥行き)、Motion(動作)、Material(材質)、Scale(規模)

それで、「実際は、どうなの ?」と言うことですが、上の図の場合、「Acrylic(アクリル)」と言う機能で、背景が透けて見えるデザインを提供しています。

その他にも、Parallax(パララックス)、Reveal(リビール)、およびConnected Animation(連続アニメ)と言う機能を提供しているようですが、詳しい説明は割愛します。

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●ストレージ

今回、ストレージに関しては、ストレージ容量の確保のため、次の2つの機能を実装した様です。順番に、簡単にですが説明します。

・ストレージセンサー
・OneDriveのファイルのオンデマンド

【 ストレージセンサー 】


この機能は、「ゴミ箱」機能が、進化したような機能になります。

つまり、PCの空き領域が少なくなると、ゴミ箱や一時ファイル等、不要なファイルを自動的に削除して、空き領域を増やす機能になります。

まあ、私などは、毎週末、「CCleaner」と言うツールを使って、定期的に不要ファイルを削除していますので、正直、この機能は不要です。

しかし、普通一般の方は、定期的に不要ファイルの削除等は行っていないと思いますので、この機能は、便利な機能なのかもしれません。

【 ファイルのオンデマンド 】


この機能は、Microsoft社が提供する「OneDrive」を使っていない、私のような人間には、「無用の長物」となる機能です。

この機能も、PCのファイル容量の削減を目的にした機能で、オンデマンドを有効にすると、ファイル実体はクラウド(OneDrive)に保存しつつ、パソコン上には見かけ上のファイルだけを置くことで、ストレージ容量を節約する機能になります。

要は、ショートカットの様なイメージの機能なので、何となく便利な機能のように思われますが・・・当然の如く、PCがネットワークに接続できない環境では使えません。

このような時には、設定により常に、PCとOneDriveの同期を取ったり、PCにダウンロードしたりする機能もあるようですが、この場合、ストレージの削減の意味がありません。

こうなると、何のための機能なのか、理解不能です。

実際、この機能は、「Windows 8」で既に提供されていた機能なのですが、何故か、「Windows 10」になったとたんに削除され、また今回のバージョンで復活した機能です。

やはり、Microsoft社も、当初は「不要機能」と認識したのかもしれません。

ちなみに、私は、昔から「オンライン・ストレージ」は信用できないので使っていません。大事なデータを、外部、それも、恐らく海外に保存するなど、以ての外です。

自分で責任を持てない環境に、仕事で使う大事なデータを預けて、もしもファイルが破損したら、誰が、責任を持ってリカバリーしてくれるのでしょうか ?

普通の人が文句を言っても、Microsoft社は、絶対に相手にしてくれないと思います。

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スマートフォン等との連携

本来、このカテゴリーでの目玉機能は、「Timeline」と呼ばれている機能で、PCやスマホ上で行なった作業が時系列で記録され、デバイスをまたいでも、続きの操作がすぐに行なえるようになる機能です。

しかし、前述の通り、Microsoft社が、実装よりもスケジュールを優先したので、今回のリリースは見送られてしまったそうです。

と言う事で、今回は、何を実装したのかと言うと、次の2つだけになっているようです。順番に、簡単にですが説明します。

スマートフォンとの連携機能(Continue on PC)
・MR(Mixed Reality:複合現実)対応

【 Continue on PC 】

この機能は、スマホで見ているウェブのURLをPCへと転送する機能となります。

詳しく説明する必要も無いと思いますが、移動中にスマートフォンでWebサイトを閲覧している時に、スマートフォンの共有機能を使って閲覧情報をPCに転送すると、PC上で自動的にブラウザーが起動して、スマートフォンで見ていたページを、引き続き見ることができると言う機能です。

まあ、従来でも、スマホでメールを選択し、該当URLを送付する機能はありますが、それよりは便利になります。

但し、この機能は、あくまでも、「PCに一方的にURLを送る」機能となります。

また、起動していないPCにURLを送る際には、選択肢の下にある「Continue Later」を選ぶ事になるそうですが、この機能を使用すると、該当のURLは、スマホに登録された、全てのPCのアクションセンターに送られる様です。

こうなると、何か、使い難いような感じがします。

【 MR対応 】

「MR対応」と言っても、「Windows 10」においては、従来から、自社が販売している「Hololens」とは連携していますので、特に目新しい機能ではないと思います。

今回は、自社のハードウェアのみならず、サードパーティ製のデバイスとも、ようやく連携が取れるようになったみたいです。


「Hololens」の価格が、45万円程度と、とんでもない価格ですが、このAcer製は、5万円程度なので、普通の人なら、こちらを選ぶと思います。

また、今後も、MR関連のアプリや、VR(Virtual Reality)関連のアプリの増加が見込まれるので、「タスク・マネージャー」の表示内容にも、変更が加えられた様です。

従来、「タスク・マネージャー」のパフォーマンス測定では、下記のパフォーマンスが表示されていました。

→ CPU、メモリ、ディスク、イーサーネット、Bluetooth

そこに、今回、「GPU(Graphics Processing Unit)」のパフォーマンスが追加された様です。

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●グラフィック関連

前述の「MR」関連機能と共に、Microsoft社が力を入れているのが「フォト」関連機能の様です。

以前のメジャー・アップデート「Creators Update」でも、「3D対応」が取り入れられていますが、今回も、次のような機能を追加しています。

・フォトアプリの「Story Remix」
・ペイント3Dの利用を推奨(ペイントの廃止)

と言いつつ、上記にもあります通り、「Windows OS」には欠かせない、「ペイント」を廃止すると言う、とんでもない暴挙に打って出ました。

この「ペイント」は、一時期「ペイントブラシ」と名称を変えた時期もありましたが、1985年の「Windows 1.0」リリース当初から、30年以上に渡り標準アプリとしてインストールされてきた、歴史あるアプリです。

私も、ホームページ作成や設計書作成で愛用していますが・・・今回の「FCU」において、「非推奨アプリ」となってしまいました。

「非推奨アプリ(Deprecated)」とは、今後は、積極的な開発は行わず、いずれは廃止される可能性のあるソフトウェアと言う位置付けになります。

ところが、この発表を受け、世界各地で抗議の嵐が巻き起こり、それを受け、Microsoft社は、急遽、2017年7月15日、ゼネラル・マネジャーの「メーガン・ソーンダース(Megan Saunders)」氏がブログを更新し、下記の声明を発表しました。

『 私たちは、ペイントに対する信じられないほどの支持と愛着を目にしました。誤解を正し、良いニュースをシェアするため、今後もペイントは廃止されず、ウィンドウズ・ストアから無料で入手できる事をお知らせします。 』

これで、私も一安心です。まったく、人騒がせな連中です。

【 Story Remix 】

この機能は、パソコン上の動画や写真などを組み合わせ、ショートムービーを自動的に作成する機能です。

別途、動画編集アプリなどを使わなくても凝った効果を使った動画を作成できるそうです。

しかし、当初は、この機能には、3Dオブジェクトを動画に自然に重ねる機能も搭載予定だったそうですが、この機能の実装は見送られた様です。


【 ペイント3D 】

この機能は、前述の通り、これまで「ペイント」で提供してきた「2D」による画像編集機能の標準提供を廃止し、前回の「Creators Update」で提供を開始した「ペイント3D」に、画像編集機能を統一する内容になっています。

「ペイント3D」とは、3Dオブジェクトを共有できるサービス「Remix 3D」などから、3Dオブジェクトを簡単にダウンロードして、静止画などと組み合わせて編集できるツールになっています。

今後は、「2D」も、この「ペイント3D」を使って編集する事になりそうですが・・・私は、「3D」など取り扱わないので、「ペイント」で充分です。

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●コミュニケーション

今回、「My People」と言う機能が実装されました。


この機能は、元々は、前回の「Creators Update」での提供を予定していた機能だったようですが、ようやく今回、実装された機能です。

どんな機能なのかと言うと、当初、「Windows Phone」で提供されていた「People」と言うアドレス帳アプリがあったのですが、これが「Windows 10」に標準搭載されるようになった機能で、この「People」に登録した連絡先情報を、タスクバーに表示させる機能になります。

元々の「People」では、他のメール・アプリである「Outlook.com」、「Google」、そして「iCloud」と同期し、最新の連絡先情報を取得出来ました。

今回は、この「People」に登録した連絡先の中から、家族や友人、取引先、同僚等、よく連絡する人をタスクバーに、アイコンとして登録できるようになります。

このため、連絡を取りたい時に、わざわざメーラーを開かなくても、直ぐにメールが出せるようになりますし、Skypeやチャットも行えるようになるようです。

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ブラウザー


今回は、前述のグラフィック関連と同時に、「Microsoft Edge」に関しても、多くの機能が追加された様です。

とは言っても、私的には、それ程でも無いような感じがします、と言うか。ようやく「IE 11」並になった程度だと思います。

大きくは、次のような機能が新規追加、または機能強化が図られています。

Chromeからのお気に入りの移行対応 】
今まで出来なかったのが非常識、と言うと言い過ぎかもしれませんが、、ようやくChromeから「お気に入り」を移行出来るようになりました。

電子書籍EPUB」コンテンツへの手書きメモ対応 】
EPUB(Electronic PUBlication)」とは、国際電子出版フォーラムが策定した電子書籍規格の事で、「イーパブ」と呼ぶんだそうですが、前回「Creators Update」から、Edgeで閲覧出来るようになっています。今回の機能強化では、EPUB文書に、メモを書き込むことが出来るようになった様です。

【 お気に入りのURL編集の簡素化 】
信じられない事ですが、元々、Edgeでは「お気に入り」の編集が出来ませんでした。そこで、今回、ようやく普通のブラウザー並に、「お気に入り」の編集が出来るようになりました。そして、さらに、これは便利だと思いますが、「お気に入り」の一覧表で、登録してあるURLを簡単に編集できるようになりました。

【 Webサイトのタスクバーへのピン留め 】
閲覧したWebページを、タスクバーにピン留め出来るようにしたみたいです。ピン留めをクリックするとEdgeが起動してWebページが開くと言うことですが・・・お気に入りバーと何が違うのかと疑問に思ってしまいます。あと、スタート画面にもピン留めが出来るようですが、こちらも、わざわざスタート画面を開いてピン留めをクリックする人は居ないと思います。

【 PDFへの校正機能強化 】
この機能は、前述の電子書籍EPUB」対応と同じイメージです。Edgeで開いたPDF文書に、メモや注釈を記入し、PDF形式で保存まで出来る様です。また、目次があるPDFの場合、左側に目次のナビゲーションが表示されるので、Wordと同様、クリックすると、該当ページにジャンプする事も出来る様です。

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●セキュリティ

セキュリティの強化と言う点では、前述の「SMB V1.0」の廃止も、その一つですが、それ以外にもランサムウェア対策として、新たに「コントロールされたフォルダーアクセス」という機能も実装された様です。

【 コントロールされたフォルダーアクセス 】

この機能では、最初に、保護したいフォルダーを指定し、その後、指定したフォルダーに対して、アクセス出来るアプリを個別に指定する事になります。

アクセス可能なアプリとしては、Windowsストアアプリは、デフォルト(初期値)でアクセス可能となっているそうですが、それ以外、WordやExcelなどのMicrosoft製アプリや、エクスプローラーも、アクセス可能アプリとして登録しない限り、アクセス出来なくなってしまう様です。

ランサムウェアは、とにかく感染したPCがアクセス出来るファイルを、ことごとく暗号化するので、この機能は、確かに、ランサムウェアに対しては、有効な機能だと思いますが・・・ちょっとな〜と言う感じです。


単純に「ファイルとアプリ」の関連付けを登録すれば良いのかと言うと、何か、それだけではダメみたいです。

例えば、「Aファイル」に対して、アクセス可能アプリとして「Xアプリ」を登録します。

ところが、「Xアプリ」では、内部で「Yアプリ」を呼び出して「Aファイル」にアクセスする場合、この「Yアプリ」も登録しないとエラーになるケースもあるそうです。


「Xアプリ」に、「Yアプリ」の説明が記載されていれば何とかなりますが、普通は、このような説明はありません。

そうなると、この「コントロールされたフォルダーアクセス」と言う機能は、全く使い物になりません。

まあ、「痛し痒し」と言った所でしょうか ?

それ以外では、従来は、主に企業向けに提供してきた「EMET(Enhanced Migration Experience Toolkit)」と呼ばれていた「脆弱性緩和ツール」も、標準機能として提供された様です。

【 EMETの復活 】


「EMET」は、メモリ破損等、悪用可能なセキュリティ上の脆弱性攻撃を未然に防ぐ機能で、「ゼロデイ攻撃」に有効なツールとして、「Windows 7」、および「Windows 8x」では、標準提供されていた機能でした。

ところが、Microsoft社では、2016年11月、この「EMET」に関しては、OSと統合することが出来ないとして、開発の限界を理由に、突然、開発の中止を宣言しました。

しかし、今回、「Windows Defenderセキュリティセンター」内の「悪用保護 (Exploit Protection)」で、この「EMET」で提供していた機能が復活した様です。


今回は、次の次のようなチェックを行えるようですが、専門用語が多く、素人さんには理解不能だと思います。

・制御フローガード(CFG) :間接的な呼び出しの整合性をチェック
データ実行防止DEP) :データ専用メモリからのコード実行を防止
・必須ASLR :イメージのランダム化
ボトムアップASLR :仮想メモリの割り当て場所のランダム化
・SEHPOP :ディスパッチ中の例外チェーンの整合性保証
・ヒープの整合性検証 :ヒープ破損の検出によるプロセス終了

まあ、とにかく、これらのチェック機能は、デフォルトで「オン」になるので、「FUC」を適用する事で、特に何も意識する事無く、「Windows 7」時代と同様、セキュリティのチェックを行ってくれるようになります。

ん ?・・・と言う事は、「Windows 10」は、これまでは、「Windows 7」や「Windows 8x」よりも、セキュリティのレベルが低かったと言う事を意味します。


Microsoft御用達ライター」達は、今回の「FUC」で提供される機能をとらえて、次のような文章を並べ立てています。

『 これらセキュリティの強化こそが、Windows 10が、従来のOSよりも、標準でマルウェアに強いOSと言われる所以である。 』


しかし、冷静に考えてみて下さい。

今度の提供機能は、過去の情報と照らし合わせると、「セキュリティの強化」でも何でもなく、単に、セキュリティのレベルを、元の状態に戻しただけの話ですよね ?!

全く・・・さすがに「Microsoft御用達ライター」です。

物の言い方を変えるだけで、「元の状態に戻す事」を、言葉巧みに、「強化」と言い換える手口はさすがです !! まさに、プロの腕前だと思います。

それ以外にも、「Microsoft御用達ライター」の記事を読むと、「FUC」で提供された機能ではなく、元から提供されている機能に関しても、それとなく触れて、いかにも、数多くの機能が追加されたような印象を与えています。

新規提供機能が少ないので、元からある機能を記載して、記事の「かさ上げ」をしているような印象を受けてしまいます。

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●その他

その他にも、「小技」的に、次のような機能が提供されたようですが・・・本当に、「小技」と言うか、本当に必要なの ? と思ってしまう機能のような感じがします。

・新フォントの追加
・電源モード変更
・設定の強化
コマンドプロンプトのフルカラー対応
・「Windows Subsystem for Linux」が正式版


特に、フォントの追加などは、どうでも良いような感じがします。

Windows 10 」では、気持ちが悪い「游ゴシック体/游明朝体」が追加され、勝手にデフォルトのフォントになったり、これらのフォントが削除できなくなったりと、とんでも無い事をしでかしてくれていますが・・・簡単に、これらを紹介します。

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【 新フォントの追加 】


今回、「UDデジタル教科書体」と言うフォントが追加されたようですが・・・

元々は、「株式会社モリサワ」と言う企業が開発したフォントで、主に、教育関係、つまり文教業界で使われていた有償のフォントのようです

しかし、前述の「游ゴシック体/游明朝体」同様、「Windows 10」以外のPCでは使えない、新しいフォントを次々に追加して、どうするつもりなのでしょうか ?

わざわざ、フォントをインストールして使え、とでも言うのでしょうか ?

先の「游ゴシック体/游明朝体」も、「Mac OS」で使っているフォントを、Windows OSでも・・・と意気込んで導入したようですが、実際につかうと、レイアウトがズレて、全く使い物にならない様です。

私には、Microsoft社の意図が理解出来ません。

うがった見方をすれば、先ごろ、2017年5月に、教育機関向けに「Windows 10 S」を搭載した「Surface Laptop」の発売を開始しましたが・・・このPCを教育機関に売り込みたいがために、このフォントを搭載したのかもしれません。

【 電源モードの変更 】


これもヒドイ機能変更だと思います。

従来、電源モードのオプションには、「省電力」、「高パフォーマンス」、それと「バランス」と言う3種類のオプションがありました。

ところが、「FCU」を適用すると、「バランス」だけになってしまうそうです。


また、「FCU」適用時に、「高パフォーマンス」や「省電力」を設定していた場合、この設定を継続して利用出来るそうですが、一旦「バランス」を選択してしまうと、「高パフォーマンス」や「省電力」は非表示になり、もう二度と選択できなくなります。

そして、「バランス」を選択すると、通知領域の電源のメニューに「電源モード」のつまみ(スライダー)が表示されるそうです。

電源オプションを微調整出来る事を「売り」にしたいのかもしれませんが、かえって面倒臭いと思います。

Webサイトを見ると、「電源オプションが表示されない !!」と言うクレームが沢山出ている様です。

【 設定の強化 】






次は、「設定の強化」について紹介したいと思いますが、これは、単に、「コントロールパネル」の項目を、「設定」に移行しているだけのように思えます。

前回「Creators Update」の設定画面と、今回の「Fall Creators Update」の設定画面を比較したのが上図ですが、次の項目が、「設定」に追加されています。

・Cortana
・電話


コマンドプロンプトのフルカラー対応 】


Windowsの「コンソールホストプログラム」、俗に言う「コマンドプロンプト画面」を表示するプログラムも強化されています。

従来のカラースキームは、CRTディスプレイ向けに調整した画面なので、パレット付き同時16色カラー表示でした。

現在は、ほぼ全ての画面が、コントラストが強い液晶ディスプレイなので、青などの暗い色が特に読みづらくなっていました。

このため、多くのユーザーが、「コンソールの文字色が読みづらい」と変更をリクエストし続けて来たのが、ようやく改善された様です。

今回、ようやくフルカラー表示が可能になりま、この機能追加が、「20年越しの悲願達成」と騒がれているいるようですが・・・

コマンドプロンプト画面も、普通一般の人は、余り使わない機能です。私も、PCのカスタマイズや不具合調査の時くらいしか使いません。

こんな画面がフルカラー対応になって喜ぶのは、一部のマニアだけだと思います。


Windows Subsystem for Linux

前々回、2016年08月にリリースされた「Anniversary Update」で提供された「Windows Subsystem for Linux(WSL)」ですが、今回の「FCU」において、ようやく「β版」表記が外れて、正式版となった様です。

従来は、コンソール経由でLinux本体をダウンロードする形式だったのですが、Windowsストア経由でOSイメージが配布されるようになりました。

そして、さらに、「Ubuntu」以外のLinuxディストリビューションも利用可能になった様です。

この機能は、普通のPCとして、Windowsを使っている人には、全く関係の無い機能です。弊社のように、Windows OSを使ってWebシステムの開発などを行っている技術者には朗報です。

従来、WindowsでWebシステムの開発を行う場合、疑似Linux環境を構築してからPHP等を用いてコーディングを行って来ました。

私なども、「XAMPP」と言う無償ツールを導入して疑似LAMP環境を構築し、その中でWebシステムを開発していたので、「Windows Subsystem for Linux」が正式リリースされると、開発作業は楽になりそうな予感はします。

まだ、実際には使っていませんので・・・

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■Fall Creators Update適用後の障害

従来と同様、「Fall Creators Update(FCU)」を適用すると、かなりの数の障害が発生します。

本ブログを書いているのは2017年12月ですので、既に「FCU」がリリースされて2ヶ月以上経過していますが・・・まだ一部のドライバやアプリで不具合が発生し続けている様です。

「FCU」リリース当初は、次のような障害が報告されていた様です。

PhotoShopを使っている場合、再インストールが必要
●セキュリティ・ソフトウェアを停止しないと「Windows Update」が失敗する
ウイルスバスターをインストールしていると正常にアップデートできない
●FCU前の復元ポイントは削除される。アップデート前の復元ポイントに戻せない(仕様)
Intel X299チップセットとNVMe SSDの組み合わせの場合、ブルースクリーンエラーになる
VPN接続できない
●バッテリー駆動でスリープから復帰するとトラックパッド、キーボード、およびUSBが使えなくなる
●スタートメニューが作動しなくなる・破壊される
●ACアダプタやUSB給電を外した状態でタッチ操作が不能になる
●スリープ復帰時に画面が乱れ操作できなくなる
AMDビデオカード + 複数モニタ環境でブルースクリーン エラー発生
指紋認証によるシングルサインオンが出来なくなる
●動画再生コーデックのHEVC(High Efficiency Video Coding)が削除される
●バッテリー100%の状態でAC電源に接続していると「電源に接続、放電中」と表示される
●リフレッシュやリセットを行った後、顔認証対応IR(赤外線)カメラやWindows Helloが動作を停止する
●プライバシーが初期状態 (有効) に戻される
●複数のファイルをドラッグで選択すると、マウスカーソルが画面端まで飛ぶ
●日本語フォントが消えた、日本語フォントの表示がおかしい
MS-IME利用時、同じキーを押し続ける等していると、プログラムが強制終了する
●「KB4043961 (10月18日配信分)」 がインストールできない
Hyper-Vで旧仮想環境がインポートできない
●回線速度が超遅くなる


等など、軽く掲載すると、上記のような問題が発生していた(発生している ?)様です。

大した機能も提供されていませんので、何も、焦って「FCU」を適用する必要は無いと思います。

私は、次の「Red Stone4(RS4)」がリリースされるまで、今回の「Fall Creators Update(FCU)」、つまり「RS3」の適用は見送るつもりです、と言うか、このように大して欲しいと思う機能もないので、適用せずに使い続けるかもしれません。

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今回、「Fall Creators Update(FCU)」に関して、下記の話題を紹介しましたが、如何でしたか ?

●バージョンとビルドについて
Windows Updateの考え方
●Fall Creators Updateの提供機能
●Fall Creators Update適用後の障害

今回提供された機能は、本ブログで取り上げた以外にも、次のような機能もあります。

・視線制御 :視線入力デバイスを使った視線による制御
・Cortanaで使える付箋 :Cortanaを使いながら付箋を使うことが出来るようになった
・電卓アプリに為替が追加 :電卓アプリに為替機能が追加
・夜間モード提供 :ブルーライト削減
・ペンを探す :最後にペンを使った場所を記憶する
・入力機能強化 :タッチキーボーボ種類追加、IME強化、手書き入力方法改善
・ストア名称変更 :「Windowsストア」が、「Windowsストア」に改名、等

しかし・・・これまでにも記載していますが、大方の人達が既に言っているように、今回リリースされた「FCU」は、「メジャー・アップデート」と言うのは、『おこがましい』ような感じがします。

Microsoft御用達ライター」は、「機能追加」とか、「機能強化」とか騒いでいますが、良く考えれば、元々あった機能を復活させた機能も多く、いつも、メジャー・アップデートが発表された後に思う、「何だかな〜」と言う言葉を使わざるを得ない状況となってしまいます。

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ところで、メジャー・アップデート後の不具合と同様、問題になるのは、「ハードウェア」のサポート問題もあります。

余り誰も目を向けませんが、メジャー・アップデートを適用する事で、動作できないハードウェアも増えている様です。

実は、前回の「Creators Update(RS2)」の時にも、Intelの「Clover Trail世代」のAtomプロセッサを搭載したPCに、「RS2」が適用出来ない、と言う問題が発覚しています。

Microsoft社は、当初は「ダンマリ」を決め込んでいましたが、「RS2」リリース後の7月に、「今後は、Clover Trail世代のAtomプロセッサには、ソフトウェア修正を行わない。」と言う声明を発表しました。

「RS2」のリリースが、2017年4月ですから、それから3か月間も何も対応もせず放置していた訳ですから、その無神経ぶりを疑ってしまいます。

コードネーム「Clover Trail(クローバートレイル)」は、2012年9月に発売された、「Windows 8タブレット向けのプロセッサなので、確かに古いプロセッサですが、まだ「Windows 8」から「Windows 10」にグレードアップしたユーザーは沢山いると思います。

それにも関わらず、一方的に、サポートを停止するなど以ての外です。

案の定、この声明では、メジャー・アップデートでは対応しないものの、セキュリティのアップデートだけは、延長サポートが切れるまで提供する事を発表しています。

今後も、メジャー・アップデートの対象外になるデバイスが大量に発生すると思いますので、Microsoft社の動向は注視する必要があると思いますが・・・Microsoft社としては、「ウチの最新機能を使いたいならば、最新のハードウェアを使え !!」と言っているようにも見受けられます。

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と言うような、何だか「みすぼらしい」感じのメジャー・アップデートでしたが、Microsoft社では、既に、次の「RS4」に向けた準備が、着々と進んでいる様です。

今回の「FCU」は、最初に紹介した様に、ビルド番号が「16299」となっています。

しかし、2017年10月時点で、Canary向けのビルドは、既に「17015」となっているそうですので、「RS3」リリース後に、「700」以上のソースコードがフィックスされている事になります。

まあ、本来「RS3」での実装を予定していた機能が沢山ありますので、それほど、驚くことではないかもしれません。

次回のメジャー・アップデートは、2018年3月を予定していますので、まだ障害が発生している状況で、直ぐに「RS4」を適用してしまうと、「Windows 10」で仕事が出来なくなってしまうかもしれません。

今後のメジャー・アップデートの適用は、周回遅れ、つまり半年遅れの適用が望ましいのかもしれません。

それでは次回も宜しくお願いします。

以上


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