岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.3

今回も、「岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.2」に続き、岩手県内の伝わる民間信仰の第3回目として、次の民間信仰をお伝えします。

  • 座敷わらし
  • 船霊
  • ミダマメシ
  • 虫送り
  • 厩猿信仰
  • 一代守本尊信仰


上の画像は、漫画家「つのだじろう」氏が、岩手県二戸市にあった旅館「緑風荘(※1)」に寄贈した「座敷わらし」のイメージです。


「座敷わらし」は、青森県秋田県岩手県、および宮城県、中でも特に岩手県に多く伝えられる妖怪/精霊と言われており、民族学者「柳田國男」が、遠野市出身の「佐々木喜善」から聞いた話をまとめた「遠野物語」では、次のように紹介されています。(※2)


遠野物語 第17話:家の神 – ザシキワラシ (現代語訳) 】

旧家にはザシキワラシ一という神の住み給う家が少なくない この神は、多くは十二・三歳くらいの童子である ときどき人に姿を見せることがある

土淵村大字飯豊の今淵勘十郎という人の家では、近頃、高等女学校にいる娘が休暇で帰っていたが、ある日廊下でばったりザシキワラシに遇ってたいへん驚いたことがあった これはまさしく男の子であった

同じ村・山口の佐々木氏では、母親がひとり縫物をしていたところ、隣の間で、紙のがさがさという音がした この室は家の主人の部屋で、そのときは東京へ行って不在の折だったので、怪しいと思って板戸を開いて見たが、何の影もない しばらくの間座っていると、やがてまたしきりに鼻を鳴らす音がした さては座敷ワラシだなと思った この家にも座敷ワラシが住んでいるというのは、ずいぶん以前からのことである

この神の宿り給う家は富貴自在ということである

遠野物語 第18話:家の神 – ザシキワラシ/家の盛衰 (現代語訳)

ザシキワラシはまた女の子のことがある

同じ山口の旧家・山口孫左衛門という家には、童女の神が二人在すことが久しく言い伝えられていたが、ある年、同じ村の何某という男が町から帰るとき、梁のある橋のほとりで見慣れぬ二人のかわいい娘に会った なんとなく憂わしい様子でこちらへ来る

お前たちはどこから来たと問えば、おら山口の孫左衛門のところから来たと答える これからどこへ行くのかと聞けば、どこそこ村の何某の家にと答える

その何某は、やや離れた村にある今も立派な暮らしの豪農である さては孫左衛門の世も末だなと思ったが、それからあまり時を経ずして、この家の主従・二十数人、茸の毒に中たって一日のうちに死に絶え、七歳の女の子ひとりを残したが、その女もまた年老いて子がなく、近頃病で死んだ




上記のように、「座敷わらし」は、家に居てくれることで家が栄え、家から去ると衰退するものと信じられてきました。


このため、わざわざ、「座敷わらし」用の部屋を用意し、その部屋に、「座敷わらし」用のオモチャやお菓子を置いて祀ったりする風習がありました。


この「座敷わらし」ですが、地域によって、様々な呼び名があり、次のような名前でも呼ばれています。

  • 座敷ボッコ
  • 座敷童
  • 座敷童衆
  • 御蔵ボッコ
  • 座敷小僧・・・・・・etc.


本当に、色々な名前で呼ばれており、岩手県内でも、場所により名前が異なっています。


「座敷わらし」の起源も、様々な起源が紹介されていますが、その中でも、代表的な起源としては、その昔、飢饉の時に「間引き」された子供の霊と言う説が、一般的な起源と考えられています。


その他の起源としては、「河童」説、「大工の呪い」説、等が紹介されていますし、また、前述の旅館「緑風荘」においては、「座敷わらし」は一族の先祖霊だとして旅館内に神社まで作っている始末です。


今回の主旨からは少し脱線しますが、旅館「緑風荘」が全焼したのは、「座敷わらし」を見世物扱いしたせいではないか、と言う人までいるようですが・・・果たして「座敷わらし」は、今、何処にいるのでしょうか ?


と言うことで、最初に「座敷わらし」を紹介しましたが、引き続き、その他の民間信仰を紹介します。

※1:旅館「緑風荘」は2009年10月に全焼/現在2015年中の再開に向けて工事中
※2:遠野物語拾遺 第87話にも「御姫様の座敷ワラシ」が登場する

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船霊

船霊(ふなだま)様」とは、漁師等、海で生活をする人達が、航海の安全を願う神様の事で、岩手に限らず、日本全国に広まっていた信仰です。


この神様は、「船玉様」とも表され、古くは、【続日本書紀」に、天平宝字七年(763年)、嵐に遭遇した遣渤海使船「能登」で、無事の帰国を「船霊様」に祈った事が次のように記載されているそうです。


「初遣高麗国船。名曰能登。帰朝之日。風波暴急。漂蕩海中。祈曰。幸頼船霊、平安到国。必請朝廷。酬以錦冠」


このように、日本においては、古くから海の民の神様でしたが、「船霊様」は、女性の神様と伝えられており、女性が船に乗ると嫉妬するので、女性が船に乗るのは禁止されていたそうです。


唯一、女性が船に乗れるのは、船の進水式の時に、船主の娘等が、船に「船霊様」を祀る飾り付けを行う時だけだったそうです。



三陸海岸には、江戸期の廻船航路に沿って信仰が伝播したり、あるいは船大工が修行先から「秘儀」を持ち帰ったりしたことで、「船霊様」信仰が伝えられたようです。


宮古市の北村造船所には、『船大工秘事之事(ふなだいくひじのこと)』と言う船造り技術や知識を伝える巻物が伝えられています。


また、巻物には、「船霊御夫婦納様事」、あるいは「十二船霊ノ事」といった「船霊様」信仰に関する記述も見受けられるそうです。


そして、巻末には、摂津、伊勢、筑前、江戸、尾張の船大工らしい人名が記され、巻物が筆写されて、三陸海岸まで伝来してきた事実を裏付けています。



また、三陸海岸では、山と海が隣接しており、船が木で作られたことから、その木を切り出す山の神への信仰も強く、新しい船を造る際には、山の神への礼拝を行ったと言います。


釜石市付近では、毎月12日は、「山の神の日」にあたり、この日は山へ登ったり、木を切ったりしてはいけないと言われ、さらに、正月の12日には、特に船造りに関係する職種の人々は、木を切り出す人々も含め一所に集まり山の神を祀ったそうです。


この風習は、以前お伝えした「山の神/オミキアゲ」と同じ民間信仰だと思われます。
★過去ブログ:岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり




船が完成して初めて海に浮かべられる時には、お船霊様に祈りを捧げて湾内を漕いで回り、港に戻って来ると船頭に水をかぶせたり、船頭を海に投げ込んだりする風習があったようです。


また、「船霊様」は、船の中に祀られており、その祀り方は、地方によって異なるらしいです。本章の最初の画像が「船霊様」です。


またご神体(船に装着する護符としての物)も地方によって異なり、次のような物をご神体としていたそうです。

  • 女の毛髪(三歳児まで)
  • 男女の人形
  • 銭十二銭
  • サイコロ二つ



また、これらの物を、一緒に祀る場合もあり、サイコロを祀る場合には、サイコロの面は「天(1)地(6)、表(3)あわせ艫(4)あわせ、中に(2)どっさり(5)」になるように据えたそうです。


そして「船霊様」は、船の「ドーナカ」と呼ばれる部分に埋め込まれるそうです。


そして、不漁が続くと、「船霊様」を入れ換えたり、あるいは神官に依頼して、再度祈祷を行ったりもしたそうです。


大漁が続く船を売買する時には、船は高額で取引されるそうですが、その時に「船霊様」を「抜く/抜かない」で、モメることもあるそうです。


船霊様」は、海という大自然のなかに漕ぎ出す船を守護し、それに乗る人間を励ましてくれる存在でした。


そして、そうした船を作り出す船大工が、「船霊様」を船に祀る重要な役割を果たしてきたようです。


船大工は船を作る技術ばかりではなく、船を守る呪術(じゅじゅつ)をも担っていましたが、造船技術や動力機関の発達や変遷によって急激に忘れられてしまったようです。

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■ミダマメシ


「ミダマメシ」とは、大晦日から元旦、あるいは正月期間に行われていた行事で、ご先祖様の霊を、家に迎えて祀る風習です。


かつては、岩手県内を含め、全国各地で行われていたようですが、今では、ほとんど行われなくなってしまったようです。


この行事は、「ミダマメシ」と呼ばれ、漢字で書くと「御霊飯」や「御魂飯」となるようですが、地域によっては、次のようにも呼ばれているようです。



岩手県における「ミダマメシ」は、大晦日に、箕に稲藁を敷き、その上に握り飯12 個(閏年には13 個)を並べ、それぞれに箸1 本ずつ挿し、仏壇に箕の口を向けて供える方法で、ご先祖様を祀っていました。


今では、ご先祖様を祀るのは「お盆」の期間中とされています。


しかし、過去ブログ「盛岡市近郊「お盆の風景」 〜 他とは一味違うお盆(20150620.html)」にも記載しましたが、もともと日本では、春と秋の年二回、ご先祖様が神域から子孫の元に帰ってくると考えられていましたので、春と秋にご先祖様を祀る行事を行っていました。


ところが、その後、仏教が広がることにより、春の行事が「お盆」に、秋の行事が「正月」になったと考えられています。


このため、この「ミダマメシ」は、正月に、ご先祖様を迎えて祀る行事が、今も残っていることの証拠だと考えられます。


また、「ミダマメシ」でご先祖様を祀る方法は、やはり、その地方毎に異なるようです。


前述のように、ご飯に箸を刺して仏壇に供える地域もありますし、神棚に供える地域もあるそうです。岩手県内では、もっぱら仏壇に供える地域が多いようです。




また、お供え物は、一週間くらい供えたら、そのあとは「わらつと」と言う物に入れて風通しのよいところに吊るして保存している地域もあるそうです。


ちなみに、その後、保存した「ミダマメシ」は、そのまま食べるようです。


岩手県西根町では、年に2度、お盆と年末に行われる先祖祭りを「御魂祭り」といい、その年末に供えるものを一般に「御魂飯」といったそうです。



そして、岩手県西根町では、おむすびを神棚の下に並べ、一年の感謝をすると言うそうですが、もともとは同じ風習が形を変えたものと考えられています。


また、小正月には「ミズキダンゴ」と称して、大きめの団子を竹に刺し、家族の人数分のお膳に並べて出したり、「メダマ」と呼ぶ団子を、部屋の角のワラに団子をつけて吊るしたりする習慣もあったそうです。


お正月は、天体の運行と暦によって一年の始まりとされます。


また稲作文化との結びつきも深く、ご先祖様が「田の神」となり、そのよりしろとして「松」があるところから、暮れの十三日に松迎えをし、お迎えする神様を「ミダマサマ」、お供えを「ミダマメシ」と言う様に、ご先祖様や神様、そして自然に対して心から捧げるという慣わしが残っているもののようです。

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■虫おくり


「虫おくり」も、日本全土で行われている伝統行事です。


主に、春から初夏にかけて、ワラ人形を作って悪霊を型取り、太鼓を叩きながら村外れまで行列を作って行進し、ワラ人形を川に流したり、あるいは焼き払ったりして、村の悪霊退散、害虫駆除、および五穀豊穣等を祈願する行事です。


農薬が普及する戦前までは全国で行われてきましたが、農薬の普及とともに衰退し、現在では、火事の危険があると言うことで、行われなくなってしまいました。


岩手県内では、毎年7月下旬に、二戸市上斗米中沢地区で行われる「中沢虫追いまつり」が有名です。



「中沢虫追いまつり」は、江戸時代より、明治、大正を経て途絶えることなく続いてきた農山村の五穀豊作、悪虫退散、更には悪病よけの祈願としてのお祭りで、農村地方に伝わる最大の年中行事です。


毎年、7月24日前後の土用入りの日を選んで地区総出で行います。


当日は、蒼前神社の境内に、稲ワラ(昔は麦ワラだったそう)で作った男女1体の人形に悪神・悪霊払いの祈願をこめた後、幟を立て、笛や太鼓で踊りながら町中を歩き回ります。



最後に、氏子総代が村はずれでこの人形に御神酒をかけ、火を付けて幟共々焼き払います。


悪神や悪霊を村外に追い出すことにより、五穀豊穣、無病息災を祈願するために行われています。



西日本では、平家物語において、「斎藤 実盛(さねもり)」が、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを「源 義仲」に討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)なったとの言い伝えが残っている。


このため、稲虫(特にウンカ)は、「実盛虫」とも呼ばれ、虫送りのことを「実盛送り(または実盛祭)」とも言い、実盛人形を作ることでその霊を慰め害虫がいなくなることを祈るようになったとも伝えられているそうです。


左の画像は、高知県仁淀川町で行われている「椿山(つばやま)虫送り」の模様です。


この集落には、壇ノ浦の戦いで敗れた平家と幼帝「安徳天皇」が、阿波の国から吉野川沿いに土佐へ入り、韮生郷、本川郷などを経てこの地に入って、3年の歳月を過ごされたという伝説が残されています。


このため、椿山虫送りの時に奉納される椿山の太鼓踊りは、安徳(あんとく)幼帝の子守歌、平家のゆかりの霊を慰める踊りとして椿山集落に受け継がれ、町の無形民俗文化財になっているそうです。


岩手県民間信仰とは関係無いのですが、興味深い「虫送り」だったので、紹介させて頂きました。

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■厩猿信仰


「厩猿(うまやざる)信仰」とは、右の画像のように、厩(うまや)に猿の「頭蓋骨」や「手」などを祀り、厩の火災防止、衛生、牛馬の無病、安産などを祈願したものとされています。


右図の日本猿の頭蓋骨は、2009年の2月に、奥州市前沢区生母で発見された物だそうです。


「厩猿信仰」は、かつては日本各地にあった民間信仰ですが、今では殆ど忘れられたものとなっています。


京都大学霊長類研究所の「中村民彦(岩手県滝沢村在住)」氏によれば、今回発見された藁苞の厩猿は、全国では秋田県由利本荘市鳥海町に続く2例目だそうです。


全国ではこれまで78例の厩猿の発見があり、そのうち岩手県では頭骨は63例中28例、手は15例中4例と突出して多く発見されていす。



中でも奥州市からは手1例を含む9例の頭骨が見つかっているそうです。


昔の農家にとっては、馬は牛と並んで重要な労働力であり、家族同然に大切に扱われていました。そして、人間を守る神と同様、馬を守る存在として生まれたものが「厩神信仰」とされています。


特に岩手県では、人と馬が、一つ屋根の下で暮らす「南部曲り家」等もあり、他の地方よりも、馬を大切に扱ってきた歴史があります。



「厩神信仰」に起源は定かではありませんが、平安時代末期に編まれた歌謡集である「梁塵秘抄」には、厩の隅に飼っているサルのことが書かれています。


この事から、平安時代の末期から室町時代の初頭には、既に、厩の中にサルが飼われていと思われます。


厩神を祀る多くの地方では猿が馬の守り神とされており、厩の柱の上に厩神の祠を設け、そこに猿の頭蓋骨、または猿の手足を神体として納めていたそうです。



頭蓋骨等のご神体を祀れない場合には、猿の絵を描いた絵馬やお札を魔除けとして貼っていたそうです。


江戸時代に大衆芸能となった猿回しも、元々は厩祈祷で行われてきたもので、牛馬の災いを猿が鎮静させると信じられていたことによります。


厩に猿を祀るのは「天竺(てんじく)から猿が飛んできて厩のお祓(はら)いをする」と古書に由来する説や、陰陽道など諸説ありますが、起源は中国やインドまで遡(さかのぼ)るとされています。



右図は、日光東照宮にある有名な「三猿の彫刻」の彫刻ですが、この彫刻がある場所は解りますか ?


「三猿」が飾られているのは「神厩舎(神馬をつなぐ厩)」です。


ここにも「厩猿信仰」の影響が見て取れます。



一方、東北の民間信仰と言えば、必ず出てくる「遠野物語」ですが、こと「厩猿信仰」に関しては、「遠野物語」では、一切触れられていません。


誠に興味深い事ですが、どうやら遠野地方では、馬や牛の神様としては「オシラサマ」が存在したので、猿は不要だったみたいです。


★過去ブログ:オシラサマについて



「厩猿信仰」は、「山王信仰」や「庚申信仰」等、様々な信仰の影響を受けていると考えられており、現在でも、まだまだ調査が続いている研究対象となっているそうです。


ちなみに、「山王信仰」とは、 最澄比叡山天台宗を開いた時に、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」を真似し、既に比叡山の守護神としてご鎮座していた日吉大神を、「山王権現」と呼んで祀ることにした神仏習合の信仰で、「猿」を神の使い「神使(しんし)」としています。


また「庚申信仰」とは、中国の道教が伝える「三尸(さんし)説」から生まれた行事で、過去ブログ「岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり」でも紹介していますが、この信仰においても、室町時代の後期頃からは、「猿」を描くようになってと伝えられています。


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■一代守本尊信仰


「一代守本尊信仰」とは、平安時代中期以降に広まった神仏習合の流れから生まれた信仰で、主に密教系の宗派で伝えられているようです。


そして、この信仰では、「十二支には、守護してくれる本尊さま(仏様)がいる」と言う考えのもと、十二支に仏教の八大尊を対応させた信仰で、別名「十二支信仰」とも言われている民間信仰です。



そして、守護してくれる本尊を大切にお参りすれば、一生(一代)ご利益を授けてくれると伝えられ、古来より福を招き、厄災を避け、「開運」「長寿」「無病息災」「家内安全」「交通安全」などさまざまな守護をもたらしてくれると言われています


この信仰も、日本全国で信仰されたものですが、やはり、岩手県でも盛んに信仰され、県内主要都市の神社仏閣には、守り本尊が割り振られていたようです。


各十二支に割り振られた守り本尊は、上の画像のようになっており、本来なら十二支それぞれに守護本尊が居れば良いのですが、中国の易である「八卦」に守護本尊を割り当てたことから、守護本尊は八体しか存在しない仕組みになってしまったようです。

項番 十二支 守り本尊
1 子(ね) 千手観音菩薩
2 丑(うし)/寅(とら) 虚空蔵菩薩
3 卯(う) 文殊菩薩
4 辰(たつ)/巳(み) 普賢菩薩
5 午(うま) 勢至菩薩
6 未(ひつじ)/申(さる) 大日如来
7 酉(とり) 不動明王
8 戌(いぬ)/亥(い) 阿弥陀如来

何か、無理がある信仰のように思えますが、元々、仏教の考え方には、次の様に、後付けで、色々な考えを付け加えていますので、この「一代守本尊信仰」も、その内の一つだと思われます。


・東西南北を守る「四天王」が居る
・十二支に、それぞれを守る「十二神将」が居る
・諸尊12種にあたる「十二天」も居る



ちなみに、その昔、日光の「輪王寺・三仏堂」を訪れた際、ここでは、「守り本尊」のアクセサリーを販売していたので、私の「守り本尊」である「虚空蔵菩薩」のペンダントを購入しました。


書かれている文字は、サンスクリッド語(梵字)との事でした。


また、この「一代守本尊信仰」は、地域により、呼び名も異なり、次のように呼ばれているそうです。

  • 家来神
  • ケレェ様
  • 御一代様
  • 一代様
  • ケダイ神
  • けたいがみ
  • けでーがみ
  • 守り本尊


天台宗の僧侶の説明によると「一代守本尊信仰」とは、次の通りだそうです。

『 ケダイ、それはカリ、假という字。それからダイは諦。だから天台語と日本語の合まぜが假諦神さん。人生観と言うような、いわゆる止観という天台哲学。天台では人生を三つに分けて、過去、現在、未来ですね。真諦、假諦、中諦と三つに分ける。過去が真諦、現在が假諦、未来が中識。だから、人生即天台で言う假諦、仮りの諦め。まあ姿と言ったふうにみればいいかもしれない。(中略)天台で言うその三観の概略を。つまり、一代守本尊信仰とは、ケダイを守って下さると言うことで、現世の幸福を守って下さる神様と言うことになる。 』


そして、ご利益を得るためには、明治期頃までは、それぞれの縁日にお参りしていたらしいですが、その後は、初詣は、一年間の幸福を願いに行くのだから、ということで、初詣において、家来神を参拝するようになってきたそうです。

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今回は、次の6個の民間信仰を紹介しました。

  • 座敷わらし
  • 船霊
  • ミダマメシ
  • 虫送り
  • 厩猿信仰
  • 一代守本尊信仰


やはり、一番興味深いのは「座敷わらし」ですか ? このブログを書いていると、子供の頃に、山奥にある祖母の家に行った時の事を思い出しました。


お盆とか正月に祖母の家に行くと、『 座敷わらしが居るから気をつけろ! 』と言われ、かなりビビった事を思い出しました。


また、「一代守本尊信仰」も、「守り本尊」と言う言葉で、私も信仰していた事を、初めて知りました。


皆さんも、別の呼び名で、民間信仰を行っているかもしれませんよ。


あと、岩手県内で盛んだった民間信仰としては、次のものが残っています。

  • 日待・月待/二十三夜さま
  • 懸仏
  • 田の神
  • 竜神信仰

機会があれば、これらの民間信仰も紹介したいと思います。


それでは、次回も宜しくお願い申し上げます。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
岩手県立水産科学館蔵(http://www.city.miyako.iwate.jp/suisan/suisan_kagakukan.html)
・「座敷わらし」の絵は「つのだじろう」氏が描き、旅館「緑風荘」に送った作品です。
・「座敷童子」のブロンズ像は、漫画家「水木しげる」氏の著作物です。
・日本古典文学摘集(http://www.koten.net/)
・楽しく散歩(http://sanpo.lolipop.jp/)
牛の博物館(http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/07_tomo/mayazaru/main.html)

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