岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの Vol.6


今回の「岩手・盛岡情報」は、9ヶ月ぶり、そして、恐らく最後となる「金勢様」の情報を紹介したいと思います。

これまで、5回に渡り、北は「二戸市」から、南は「西和賀町」まで、8箇所の自治体、合計で31箇所の「金勢様」を紹介して来ましたが・・・さすがに、もう息も絶え絶えです。


これまで紹介してきた「金勢様」に関しては、本ブログの最後に記載したいと思いますが、残りの「金勢様」は、次の4つの自治体にいらっしゃいます。


北上市 : みちのく民族村「金勢様」、諏訪神社「金勢社」
奥州市 : 衣川村「雌雄石」
陸前高田市 : 泉増時「ぽっくり観音」、仙婆巌「陽神岩/陰神岩」
・一関市 :千厩「夫婦石/子宝明神」

それ以外、画像以外は、全く情報が無い「金勢様」も次の場所にはいらっしゃるようですので、こちらも画像のみとなりますが、さらっと紹介します。

岩手郡岩手町(一方井/川口)
紫波郡紫波町

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今回は、上記4ヶ所の自治体で、次の9体の「金勢様」を紹介します。

●みちのく民俗村/北上市
諏訪神社/北上市
●衣川村の雌雄石/奥州市
●泉増寺「ぽっくり観音」/陸前高田市
気仙郡の陽神岩・陰神岩/陸前高田市
●天王社夫婦巨石/一関市
●その他3ヶ所

しかし、その中には、過去ブログにおいて、「巨石」として紹介した場所も、何箇所か含まれています。

★過去ブログ:岩手県内の巨石の紹介 - その2 〜 何故か岩手に巨石が多い

「巨石」と言えば、先日(2018/3/2)、NHKの「新日本風土記」という番組で、「岩手山」を特集した回があり、その中で、岩手山周辺は、「巨石が多いので有名だ。」と言う話がありました。

盛岡市の隣、かつては「日本一の人口の多い村」を誇っていた「滝沢村」。気が付いたら、いつの間にか「滝沢市」に移行していてビックリしたのですが・・・この「滝沢市」は、岩手山山麓に広がっていますが、今でも、畑を耕せば、かつての「火山岩」が、ゴロゴロ出てくるみたいです。

盛岡市は、岩手山からは、直線距離で約20km程度も離れているので、火山岩とは考え難いのですが・・・

この件は、また別の機会に取り上げたいと思います。

それでは、今回も宜しくお願いします。

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■みちのく民俗村/北上市


「みちのく民族村」は、岩手県内ではもちろん、日本全国でも有名な花見の名所「展勝地公園」の中、約7ha(ヘクタール)の敷地に、平成4年(1992年)に完成した東北最大級の野外博物館と言われています。

公式サイトの紹介文によると、この博物館には、かつて北上川周辺にあった、南部曲り家等の貴重な家屋や、歴史的建造物を移築復元してあるとの事です。


南部曲り家を始めとした「茅葺き民家」は10棟、昭和2年に建築された「黒沢尻高等女学校旧校舎」を始めとした歴史的建造物が18棟あり、それぞれ国指定や国登録の文化財となっています。

既に花見の季節は過ぎてしまいましたが、弊社の過去ブログでも「展勝地」の事は紹介していますので、機会があれば、訪れて見て下さい。

★過去ブログ:盛岡の花見の名所


そして、肝心の「金勢様」ですが・・・こんな感じで「展示」されています。

こちらの「展示物」、実は、「金勢様(金精様)」ではなく、「道祖神」として「展示」されている様です。

また、何度も「展示」と言う言葉を用いておりますが、この「金勢様 = 道祖神」・・・正直にお伝えしますと「復元展示物」です。

「何だ ! パチもんか・・・」と言う事になってしまいますが・・・

何分、この博物館の趣旨は、『 歴史的建造物の移築復元 』ですので、かつて、この地にあったと思われる、歴史的建造物(?)を復元させたのだと思われます。


この「展示物」の脇にある説明にも、下記のような説明が記載されています。

道祖神である事
・民族資料である事
・平成15年に寄贈された物である事

ちなみに、この説明にある「金勢様 = 道祖神」と言う考え方は、本来は、誤った考え方なのですが、現在では、様々な思想/信仰が習合してしまっています。

どの点に関しては、今回の「金勢様シリーズ」の初回に「金勢信仰とは」と題した項目を設けて説明していますので、そちらもご覧下さい。

★過去ブログ:岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの ? Vol.1(20161022.html)

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諏訪神社/北上市


北上市における二番目の「金勢様」は、北上市諏訪町にある、その名の通り「諏訪神社」の境内末社「金勢社」です。

この「諏訪神社」、その創建は古く、社伝では、平安時代初期、大同二年(807年)、「坂上田村麻呂」の東征の折りに、戦勝祈願、および当地の発展祈願のため、信州「諏訪大社」の御祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」を勧請したのが始まりとされています。

また、現在の地は、江戸時代中頃に遷宮した場所となっており、それ以前は、隣の「幸町」に鎮座していたそうです。

他方、「諏訪神社」の境内末社には「秋葉神社」が祀られており、そのため、これも今年は既に終了してしまったのですが、毎年4月末の土曜/日曜には「諏訪神社/末社秋葉神社火防祭」が盛大に催されます。


これら「諏訪神社」の由緒やイベントに関しては、岩手県内の「火防祭」を紹介した弊社過去ブログにおいて、詳しく紹介していますので、そちらをご覧下さい。

★過去ブログ:岩手県内の火防祭り

さて、肝心の「金勢様」ですが、右の画像の通り、境内末社の「金勢社」に祀られており、前述の「展示物」とは異なり、由緒正しい「金勢様」なのですが・・・

申し訳ございません、この「金勢社」 のご神体は、確認することが出来ませんでした。


しかし、この画像中の説明文にもあります通り、この「金勢社」は、「金勢様シリーズ」の原点とも言える、盛岡市玉山区の「巻堀神社」から分霊されているようです。

金勢信仰のルーツとも考えられている「巻堀神社」からは、前回紹介した大沢温泉「金勢神社仮宮」にも分霊されています。

「巻堀神社」の御神体も、分霊された「大沢温泉」の御神体も、立派な御神体でしたので、こちらの「金勢社」の御神体も、きっと立派な御神体なのだと思うのですが・・・済みません。

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また、その他の情報として、「山村民俗の会」の会報「あしなか」の144号(1974年刊)には、かつて、この北上市の黒沢尻付近の稲荷神社に「金勢様」が祀られていた、と言う話があるようです。

黒沢尻付近は、前述の過去ブログにも記載していますが、かつては、現在の北上市の中心地で、数多くの遊郭がありました。

そして、この「稲荷神社」も、遊郭に隣接した場所にあったそうで、遊郭で働く女性達が、「男根型造形物」を作って、神社に奉納した、と言う話が、伝わっているそうです。

その後、遊郭等の廃業/土地売却により、この「稲荷神社」も、何処かに遷宮された事までは記録されていますが・・・神社も金精様も、どこに行ってしまったか、分からなくなってしまったそうです。

ちなみに、北上市黒沢尻町は、前述の通り、村々が合併して北上市が出来た際の中核となった村で、「諏訪神社」がある諏訪町とは、2km程度しか離れていません。

そして、「諏訪神社」の境内末社には、右上の画像の通り「稲荷神社」があります。

このため、かつて黒沢尻にあった「稲荷神社」が、この「諏訪神社」の境内末社に・・・と思いたいのですが、残念ながら、こちらの「稲荷神社」の由緒は解りませんでした。

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それと、この「諏訪神社」に関する最後の情報として、「金精様」とは全く関係無いのですが、毎年7/14に「八坂神社宵宮祭」が開催されます。

この「諏訪神社」には、「金勢社」、「稲荷神社」、「秋葉神社」の他にも、「八坂神社」や「金比羅神社」の末社もあります。

そして、この「八坂神社」のお祭りは、別名「きゅうり天王さん」とも呼ばれ、この北上市の「八坂神社」以外、下記の場所でも開催されています。

山形県/谷地八幡宮末社「八坂神社」、福島県須賀川市福島県三春町/「八雲神社」、福島県いわき市/「八坂神社」、栃木県日光市/二荒山神社末社須賀神社」、等

この「きゅうり天王」を祀るお祭り「天王祭」は、「牛頭天王(ごず-てんのう)」という神様を祀るお祭りです。


牛頭天王」とは、仏教における釈迦の生誕地である「祇園精舎の守護神」とされていましたが、日本各地に拡がった後は、本地垂迹思想の元、「建速須佐之男命(スサノオ)」と習合された神様です。

しかし、「牛頭天王」は、「行疫神(ぎょうやくじん)」、俗に言う「疫病神」とみなされ、この神を祀れば、疫病などの災厄を免れる「祇園信仰」として広く信仰され、現在の「八坂神社」から勧請されて全国各地に広がったとされています。

「きゅうり」と言えば、「河童」を思い出してしまいますが、このような「牛頭天王」を祀るイベントがある事を初めて知りました。



ちなみに、地元「黒沢尻村」では、この「きゅうり天王さん」に関しては、次の様な言い伝えがるようです。

『 その昔、村で共同井戸を使っていた時代、「はやり病」が広まり、井戸が使えなくなってしまって困ってしまった時に、「きゅうり」を食べて水分補給をした事から、疫病退散と感謝の気持ちを込めて、八坂神社に「きゅうり」を奉納したのが始まり。 』


祇園信仰」とは、若干違う所が、京都と地方の違いなのだと思います。

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■衣川村の雌雄石/奥州市


北上市の次は、その南側に位置する「奥州市(旧・水沢市)」の「雌雄石(男石女石)」を紹介します。

「雌雄石(男石女石)」と言うことで、直接的な「金勢様」ではありませんが、「金勢信仰」に類似している「陰陽石/夫婦石」信仰の方ですので、合わせて紹介します。

と言いつつ、実は、この「衣川村の雌雄石」に関しては、「金勢信仰」や「民間信仰」を紹介する以前、今から4年も前に書いた「巨石信仰」で紹介済です。

「巨石信仰」、これは「磐座(いわくら)信仰」とも呼ばれていますが、全部引っくるめて「自然信仰/精霊信仰(アニミズム)」と呼ばれています。

この信仰は、日本に限らず、世界各国で見られる信仰で、巨木、巨石、あるいは高い山、等、人智の及ばない巨大な自然構造物には神が宿るとして、神社/神殿が建築される前までは、その自然物そのものを「神」として祀る信仰です。


この「男石」は、「男石大明神」として、奥州市衣川村にある「磐神社」のご神体となっています。

この「磐神社」の由緒等に関しては、過去ブログにも記載していますので、そちらをご覧下さい。

★過去ブログ:岩手県内の巨石紹介 - その2


本章最初に掲載した画像が、「男石大明神」ですが、これだけだと、どんだけデカイのか見当がつきませんよね。

上記、過去ブログには、このご神体に乗っかっている不届き者の画像を掲載していますので、その画像を見れば、どんだけデカイのか解ると思いますが、参考までに解説看板も掲載しておきます。

→ ご神体:東西10.2m × 南北8.8m × 高さ4.2m


そして、次は、「女石」の方ですが、こちらは、この「磐神社」から離れること西方に約1km、「衣川区女石」と言う場所にある曹洞宗の寺院「松山寺」の境内に「女石神社」があり、この神社のご神体となっています。

こちらの神社、見るからに新しく、そんなに歴史を感じませんが、実は、平成24年(2012年)に再建されたばかりなのだそうです。

ちなみに、再建前の画像も掲載しておきますが、再建前は、本当にボロボロですので、再建出来て良かったと思います。


こちらの「女石神社」に関しては、創建時期は不明となっているようですが、元々は、「磐神社」と、二社で一対となっているようですので、こちらも結構歴史があるのだと思います。

ちなみに、「松山寺」も創建時期は不明ですが、昭和2年に発行された「胆沢郡誌」によると、この「松山寺」、元々は天台宗の寺院だったそうです。

そして、その後、戦国時代の明応元年(1492年)、中興の祖と言われる「鉄牛(てつぎゅう)和尚」が再建して曹洞宗に改転したと伝わっています。


そして、肝心の「女石」ですが、周囲5m、高さ2mの割石となっており、見ての通りの・・・・「女石」です。

「男石」と比較すると、かなり小さめですが、その方が「女石」としては丁度良い大きさなのかもしれません。

しかし・・・その昔の人達は、かなり想像力が豊かだったのだと思います。

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■泉増寺「ぽっくり観音」/陸前高田市


奥州市の次は、三陸陸前高田市に移ります。

こちらは、「産形(みなかた)山 泉増寺」と言う真言宗の寺院跡、現在は、「子安観音堂」と呼ばれた祠に安置されていた「女陰石」なのですが・・・

「泉増寺」の場所が、気仙川の河口から2km程度、気仙川からは100m程度しか離れていない事が災いして、東日本大震災の被害にあってしまった様です。


右の画像が、震災発生時に、「泉増寺」の「観音堂」から撮影した映像との事です。

この「観音堂」は、寺号となっている「産形山」の中腹にあったので難を逃れたのですが、今回紹介する予定だった「子安観音堂」は、山の登り口付近にあったので、津波の被害を受けて流されてしまった様です。

津波は、山腹の「観音堂」の直ぐ下まで押し寄せたそうなので、本当に危機一髪だったそうです。


本当に、自然の力は恐ろしいものがあります。

参考までに、津波前の、この「泉増寺」の全景が移ったパンフレットがありますので、そちらを掲載しておきます。

このパンフレットを見て分かると思いますが、右側ページの画像の上にある「お堂の屋根」が、本章の最初に掲載した「観音堂」の屋根に当たります。


そして、紹介する予定だった「子安観音堂」は、画像中の「赤い屋根」を持った「お堂」です。

それが、現在は、この左側の画像の通り、「掘っ立て小屋」の様な状況となってしまっているようです。

この画像は、2016年5月、現在から2年前の画像ですので、少しは修復されている事を期待したいと思いますが・・・どうなのでしょうか ?


さて、肝心の「ぽっくり観音」ですが、現在では、右上の掘っ立て小屋の中に隠れてしまって見えにくくなってしまっていますが、これもパンフレットの画像から取得した画像なので、余り画質は良くないのですが、左の様に、不思議な形の「自然石」が祀られています。

小屋の中に、目を凝らせば、何となく、その輪郭は見えるのではないかと思いますが、地殻の隆起で出来た不思議な形の巨石です。

この「ぽっくり観音 = 子安観音」に関しては、諸説ありますが、次の様な由来が伝わっているようです。


【 子安観音の由緒 】

江戸時代初期となる「慶安年間(1648〜1652年)」に山麓を 整地した所、天然の怪石を発見したそうです。

石の形は、女性が子供を産む姿にそっくりだったので、地元の人は「子安観音」として祀っていたそうです。

その後、領主となる陸奥仙台藩の第4代藩主「伊達綱村」の時代、奥方の出産に際し、夫妻揃って、この「観音堂」の御本尊「聖観音像」を夢に見て安産した所から、家臣「白根沢 軍治」を普請奉行として、宝永2年(1705年)に、総朱塗りの堂宇を再建したそうです。

さらに、従来は「医王山千蔵寺」としていた寺号も、「産形山泉増寺」と改めさせたと伝わっているようです。

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「泉増寺」は、その縁起によると、「弘法大師」が付近を巡礼した折、この地を霊地と感じ、自ら「阿弥陀菩薩」、「薬師如来」、「聖観音菩薩」の三尊に、脇侍2体を付した9体の尊像を鋳造し、平安時代初期「弘仁元年(810年)」に祀ったそうです。

元々、この「泉増寺」がある山は、「三次森」と呼ばれていた事もあり、当初の「泉増寺」は、「三次森大権現」と称し、七堂の大伽藍を誇り、本坊医王山観音院、竹の坊、 沢の坊、西の坊、東の坊の五寺を営む聖域だったそうです。

しかし、その後、「阿弥陀菩薩像」は「月山神社」に、「薬師如来像」は「諏訪神社」に移って、それぞれの本地仏として祀られてしまい、結局「聖観音菩薩像」のみが、ここ三次森に残り、「秘仏」として祀られ、33年毎に「御開帳」されていたそうです。
さらに、その後、幾多の歳月を経て、お堂も老朽化して大破したので、南北朝時代となる「建武2年(1335年)」に修復され、さらに江戸時代に、上記「伊達綱村」により再建され、現在に至るそうです。


他方、平成28年、震災を契機とした被災地支援の一環で、奈良教育大学加藤久雄学長が、この「伝・聖観音菩薩立像」を調査したそうです。

その結果、この仏像は、高さ約16cmと小柄な鋳銅製ですが、仏像の素材や仕上げ方法、さらに内部をファイバースコープで詳しく調査した所、今から1,000年前以上、10世紀前後に製造された物であり、「旧陸奥国気仙郡」においては、最古の仏像であることが判明したそうです。

気仙郡」と言う郡名は、「続日本紀(弘仁2年/811年)」に初めて使われており、現在のこれは現在の宮城県北東部から岩手県南東部にまたがる地域となります。


貴重な仏像、まさに「秘仏」なので、出来れば、引き続き調査を行い、何らかの文化財登録を行った方が良いと思います。


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■陽神岩・陰神岩/陸前高田市


陸前高田市の最後は、前述の「泉増寺」から、西方に約8km、国道343(今泉街道)沿い、「仙婆巌(せんばがや)」と呼ばれる場所に、陰陽岩(男岩/女岩)があると言われているようですが・・・イマイチぱっとしません。

紹介しておいて「パッとしない」とは、申し訳ありませんが、こちら、左側の画像が「陽神岩(男岩)」との事です。

確かに、巨大な岩山になっている様で、この辺りの地層は、北上山地における「仙婆巌層」と呼ばれ、主に「火山砕屑物(さいせつぶつ)」が固結してできた「堆積岩(火砕岩)」との事です。


別角度からの「陽神岩(男岩)」画像も右側に掲載しておきますが、所々に「穴」が空いているようです。

また、この「陽神岩(男岩)」と対をなす「陰神岩(女岩)」は、その下を流れる「気仙川」を挟んで向かい側に位置しています。

参考までに、当地「仙婆巌」の地図も掲載しておきます。

そして、「陰神岩(女岩)」ですが、下図の通り、無残にも、中心をトンネルが貫通してしまっております。


トンネルがあった方が、「女岩」らしいという話もあるようですが、元々は、トンネルなど無かった訳ですから、それは、ちょっと違った意味での「女岩」となってしまいます。

この「陰陽岩(男岩/女岩)」の二岩は、これまで紹介してきた通り、「陽神岩」は旧国道を覆うように出ており、「陰神岩」は川を隔てて屏風状に切り立った形となっています。


他方、この「仙婆巌」と言う地名の由来ですが、様々な由来が、伝説として伝わっているようで、本ブログでは、その中から2つの伝説を紹介します。

【 千把萱(せんば-かや)伝説 】

自分の子を跡継ぎにしたいため、我が子を綿にくるみ、継子を千把の萱に包んで岩頭から投げ落とした所、綿にくるんだ我が子が死んで、母親は、そのおろかさに気づいたと言う伝説。


【 気仙風土草 (相原 友直) 】

数十丈の岩頭から、千把の萱に包まれて落ちるのと、傘二本を右左の手に持って落ちることが議論され、一人は萱に包まれ、一人は傘を持って飛び降りました。

唐傘を用いたる者がつつがなく、萱をほどいて見たら死んでいた。これより里人「千把萱」と云う。

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何か、失礼ですが、どちらの伝説も、「陰陽岩」と同じくパッとしない伝説の様に思えますが・・・

陸前高田市に関しては、この辺で終わりにしたいと思います。

ちなみに、この「陰陽岩」と類似した「岩系」の情報に関しては、岩手県の最北部、二戸市にある「馬仙峡の夫婦岩」を紹介した事があります。

★過去ブログ:岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの ? Vol.1

「岩系」の「陰陽岩」、あるいは「夫婦岩」等に興味がある方はご覧下さい。さらに、次も「夫婦」系の話になります。


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■天王社夫婦石/一関市


三陸陸前高田市の次は、その直ぐ西隣となる「一関市」に移ります。

但し、この場所は、「一ノ関駅」からは、電車の場合は「大船渡線」に乗り換えて1時間弱、車であれば国道284号線で25km、約35分程度の場所となる「千厩(せんまや)町」となります。

そして今回は、場所的には1ヶ所ですが、「夫婦」系と「子宝」系の2つの内容を紹介します。

最初に、「夫婦(めおと)」系の紹介しますが、今回は、前章と異なり、「夫婦岩」ではなく「夫婦石」となります。

そして、こちらの「夫婦石」に関しても、過去ブログ「岩手の巨石シリーズ」として紹介した事があります。

★過去ブログ:岩手県内の巨石の紹介 - その2 〜 何故か岩手に巨石が多い


この時は、当然、「巨石」の話がメインでしたので、こちらの「夫婦石」を中心に話を進めました。

しかし、実は、この石の横の階段を昇ると、「彌榮(やさかえ)神社(弥栄神社)」があります。

そして、この神社の、やはり境内末社に「子宝明神」が2つもあり、この神社には、ご神体として、「金勢様」と「女陰(淡島様 ?)」が祀られています。

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と言うことで、「夫婦石」に関しても、形が形だけに、その詳細をお伝えしたいのですが、過去ブログでも、「夫婦石」の説明を記載しておりますので、今回は、追加情報だけ紹介します。

この「夫婦石」、何時の頃から、この地に祀られていたのか解りませんが、その昔、大正時代には、まだ砂に埋まっており、全体が、現在のようには露出していなかったそうです。

その後、全体を掘り出したそうですが、当時は、「首の部分」、先頭を支えている箇所が細かったので、「首石」と呼ばれていたそうです。

現在の「夫婦石」、特に「男石」に関しては、この「首部分」を、コンクリートで補強しているのだそうです。

また、時代は遡りますが、明治時代になった時に、当時の官吏が、この石を「猥褻物(わいせつぶつ)」と認定し、石を取り去ろうとしたそうです。

しかし、地元の住民が、昔から大切に祀ってきた旨を説明し、どうにか撤去は免れた事が伝わっているそうです。


全く・・・今も昔も、「役人 = 公務員」は、どうして、普通の人には理解出来ない行動を取るのでしょか ?

恐らくは、「役人 = 公務員」と言う生物は、人間とは違う「公務員」と言う種類の生き物なのだと思います。

皆さん、「ネコ」の行動を理解できますか ? 「役人 = 公務員」も、ネコや犬と同様、「人間には理解出来ない行動を取る生き物」だと思えば、どうにか納得出来ます。

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さて、話を前に進めますと、この「天王寺公園」入り口の階段を登り、上記の鳥居をくぐり抜けると、左に「彌榮(やさかえ)神社」、右に「子宝明神」が鎮座しています。

この「彌榮(やさかえ)神社」、散々調査しましたが、御祭神が、何の神様なのか地元でも解らない様です。

しかし、全国の「彌榮(弥栄)神社」を調べてみると、そのほとんどの御祭神は、先の「八坂神社」と同様、祇園信仰の「建速須佐之男命牛頭天王」になっています。


祇園信仰に基づく神社の名称は、「やさかえ(彌榮/弥栄) = やさか(八坂) = やぐも(八雲)」としている所が多いようです。

そして、この場所の名前も、「天王山公園」と言う名前になっていますので、つまりは「牛頭天王」に由緒がある公園なのだと思われます。

と言う事で、あくまでも推測ですが、やはり御祭神は、「建速須佐之男命牛頭天王」なのだと思います。


ところで、この「彌榮神社」脇にある、2つの「子宝明神」ですが、残念ながら、由緒/起源は全く解りませんでした。

また、「本殿(小屋 ?)」の周りには、「本殿」に収まりきらない「金勢様」も、多数見受けられますが・・・何か、可哀想です。

そして、上図、朱塗りの本殿の中には、金色の、そしてご立派な「金勢様」が祀られています。


こちらの本殿、施錠されている様に見受けられますが、たまに開ける事も出来るようで、中を拝見すると、中には、可愛い「リトル」が、何体か納められているようです。

「金色の金勢様」と言えば、「諏訪神社」の章でも紹介した、「金勢信仰」のルーツとも伝わる「巻堀神社」のご神体を思い浮かべるのですが・・・

「金勢様」をアップで見てみると、「巻堀神社」のご神体とは異なり、金色のビニールのような物で覆っているだけの様です。

「巻堀神社」のご神体は、ちゃんと「塗装」されているとの事なので・・・ちょっと残念に思えます。


そして、右隣の本殿には、木製の「陰陽物」が祀られているようです。

どちらの「金勢様」もご立派なご神体だと思いますが、はやり由緒/起源が明らかになっていないと、せっかくのご利益も半減してしまうのではないかと思ってしまいます。

由緒/起源が明らかになれば、子授けパワーもアップすると思います。

地元の方で、何か由緒/起源をご存知の方は、歴史に埋もれてしまう前に、成り立ちを記録しておいた方が良いと思います。

私の推測ですが、恐らくは、「夫婦石」 → 「子宝地蔵」 → 「金勢様」となったのではないかと思いますが・・・どうなのでしょうか ?

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他方、今は、既に閉館してしまったようですが、平成9年(1997年)までは、この「夫婦石」の近くに「夫婦石おいとこ館」と言う施設があリました。

しかし、経費の関係で閉館してしまい、現在は、広大な空き地になってしまっている様です。

そして、在りし日の「夫婦石おいとこ館」は、次の様な作りになっていたようです。


・1階 :夫婦石関連展示
・2階 :馬事資料館

千厩町」は、下記過去ブログでも、ちょっと触れていますが、「源 義経」の愛馬「太夫黒(たゆうぐろ)」の産地としても有名な「南部馬」の産地でした。

「千厩(せんまや)」と言う地名自体も、「千の厩(うまや)がある」と言う意味です。

★過去ブログ:岩手/盛岡と「馬」の関係 〜 本当に「お馬様様」です! - 前編


その中でも、1階の「夫婦石」関連の展示物には、全国各地の「夫婦」系の石や岩の紹介コーナーがあったり、上図のような「高さ70cm × 外周91cm」、重さ20kgの「チョメチョメ型のスタンプ」があったりしたようです。

スタンプを押すこと自体は無料のようですが、専用色紙が200円もした様です。


現在は、同じ千厩町内の「千厩酒のくら交流施設」に置かれており、「ひなまつり」等のイベントで展示されている様です。

その他、「夫婦石おいとこ館」には、左のような木製の「女陰」のような物も展示されていたようですが、現在は、「夫婦石おいとこ館」の展示物が、様々な施設に分離してしまっているようです。

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ちなみに、「おいとこ」とは、諸説あるようですが、宮城県北部から岩手県南部に当たる、旧・伊達藩の領地で歌われていた民謡「おいとこ節」と言う事なのですが・・・

その他にも、この唄は、『千葉県多古町(たこまち)に伝わる白桝粉屋(しらますこなや)と呼ばれる唄で、「おいとこそうだよ」と歌い出す所から、「おいとこ節」とも呼ばれている。』と言う説や、その他の説もあるそうです。

とにかく、東日本地域で、広く歌われている民謡との事らしいです。

このため、歌詞も複数あり、「故・江利チエミ」氏は、次の様な歌詞で歌っていたそうです。

『 おいとこそうだよ 紺ののれんに 伊勢屋と書いてだんよ お梅十六 十代伝わる 粉屋の娘だんよ
 なるたけ朝は早起き のぼる東海道は五十と三次 粉箱やっこらさとかついで あるかにゃなるまい
 おいとこそうだんよ 』

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■その他
それでは、最後に、詳しい情報が全く解らない「金勢様」を紹介します。

●岩手町一方井「個人宅」


こちらの「金勢様」は、「岩手郡岩手町一方井(いっかたい)」と言う変な名前の場所にあるそうです。

「一方井」と言う場所は、東北新幹線沼宮内(ぬまくない)」駅と言う、これも変な名前の駅から約5kmの場所なのですが、そこの、個人の庭の一角に、この「金勢大明神」があったそうですが・・・

現在では、手入れがされていなく、庭が荒れ放題で、どこにあるのか分からなかったそうです。


●岩手町川口「豊城稲荷神社」


その次も、同じく「岩手郡岩手町」ですが、こちらは、いわて銀河鉄道岩手川口」駅から、約1km離れた場所にある「豊城(とよしろ)稲荷神社」の境内に鎮座している「金勢大明神」です。

この神社、地元では、山車等も出るほど賑やかな例大祭が開催されているのですが・・・何故か、神社を紹介する記事が全く見当たりません。

江戸時代初期、寛永2年(1625年)創建で、その後、正徳年間(1711〜1716年)に、山城国紀伊郡(現・京都府)にあった稲荷本宮、つまり「伏見稲荷」から分霊してもらった由緒正しい「正一位稲荷大明神」なのですが・・・全く情報がありませんでした。

何か、禁忌を犯しているのでしょうか ? 不思議な神社です。


紫波町沢田前「太子堂


最後は、全く情報がありませんが、紫波町沢田前にある、恐らくは「聖徳太子」を祀った「太子堂」の脇にある「金勢様」です。

この場所は、個人の敷地だったようで、全く情報がありません。

近くに、「太子堂」と言うバス停があるので、やはり「太子堂」なのだと思いますが・・・

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今回は、恐らく、岩手県内の「金勢様」を紹介するシリーズの最後になると思いますが、次の情報をお伝えしました。

●みちのく民俗村/北上市
諏訪神社/北上市
●衣川村の雌雄石/奥州市
●泉増寺「ぽっくり観音」/陸前高田市
気仙郡の陽神岩・陰神岩/陸前高田市
●天王社夫婦巨石/一関市
●その他(3ヶ所)

最後は、情報不足のため、尻切れトンボのような形になってしまいましたが、きっと、この他にも、由緒/起源が解らない「金勢様」は、沢山いらっしゃると思います。

本ブログの最初に記載したとおり、「金勢様」シリーズでは、今回を含め、全6回に渡り、当初の予定とは異なる箇所もありましたが、下記41ヶ所の「金勢様」を紹介しました。


【 第1回】
二戸市
1 枋ノ木(こぶのき)神社 金勢様
2 蒼前(そうぜん)神社/中沢の虫まつり 人形/虫送り
3 高清水稲荷社/人形まつりと金精神 人形/虫送り
4 馬仙峡の夫婦岩 夫婦岩

八幡平市
5 藤七温泉/金勢神 金勢様
6 横間虫追い祭り 人形/虫送り

【第2回目】
盛岡市
7 淡島明神社/淡島・金勢祭り 金勢様
8 智和伎(ちわえ)神社/淡島・金勢祭り 金勢様
9 巻堀(まきぼり)神社 金勢様
10 盛岡八幡宮/金勢神社 金勢様
11 櫻山神社 夫婦岩
12 芋田産土(いもだ-うぶすな)神社 男根/女陰

【第3回目】
宮古市
13 日影の沢/金勢社 金勢様

紫波町
14 走湯(そうとう)神社 金勢様
15 新山金勢神社 金勢様

遠野市
16 山崎/金勢明神 金勢様
17 伝承園/金勢様 金勢様
18 たかむろ水光園/金勢様 金勢様
19 遠野ふるさと村 人形
20 春風祭り 人形

【第4回目】
遠野市
21 綾織(あやおり)/駒形神社/オコマ様 金勢様
22 程洞(ほどてい)/金勢明神 金勢様
23 多賀神社 金勢様
24 乳神様と金精様 金勢様
25 達曽部(たっそべ)/熊野神社 陰陽石
26 早池峰神社 金勢様

【第5回目】
花巻市
27 大沢温泉/金勢神社仮宮 金勢様
28 鼬幣(いたちべい)稲荷神社 金勢様
29 花巻御柱神社/早坂稲荷神社 金勢様
30 成島毘沙門堂 /三熊野神社 男根/女陰

西和賀町
31 湯川温泉高繁旅館 金勢様
32 白木野/疫病送り 人形

【第6回目】
北上市
33 みちのく民俗村 金勢様
34 諏訪神社 金勢様

奥州市
35 雌雄石(男石女石) 陰陽石

陸前高田市
36 産形(うぶかた)観音堂産形石 男根/女陰
37 陽神岩・陰神岩 夫婦岩

●一関市
38 天王社夫婦巨石/子宝明神 夫婦石/金勢様

●その他
39 岩手町一方井「個人宅」 金勢様
40 岩手町川口「豊城稲荷神社」 金勢様
41 紫波町沢田前「太子堂」 金勢様

こうして一覧表にしてみると壮観な感じがしますが、やはり「遠野市」だけは特別と言う事が良く分かります。

また、盛岡市も、「巻堀神社」がある事が影響しているのかもしれませんが、盛岡藩の中心地と言う事もあり、それなりに多くの「金勢様」が、いらっしゃいました。

本シリーズは、今回が最後になると思いますが、また新たな発見があれば、折を見て紹介したいと思います。

これまで、ご精読、ありがとうございました。

また、次回の「岩手・盛岡情報」も宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・公益財団法人岩手県観光協会(https://iwatetabi.jp/index.php)
・よねちゃんの車中泊旅行記(https://blogs.yahoo.co.jp/shigeaki0430)
・東京ぶらぶらり(http://cheeringup.blog35.fc2.com/)
東海新報(https://tohkaishimpo.com/)
・南三陸滝見隊(http://takimitai.blog.fc2.com/)
江利チエミファンのひとりごと(https://blog.goo.ne.jp/udebu60827)
・石田道場(http://ishidadojo.blog.fc2.com/)


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