岩手の工芸品 〜 地味だけど丈夫で長持ち その3


今回の「岩手・盛岡」情報は、「岩手の工芸品」を紹介するシリーズの、第三弾として「琥珀」を取り上げたいと思います。


これまでは、第一弾で「漆器」を取り上げ、第二弾では「南部鉄器」を紹介して来ました。


★過去ブログ:岩手の工芸品 〜 地味だけど丈夫で長持ち その1(漆)
★過去ブログ:岩手の工芸品 〜 地味だけど丈夫で長持ち その2(南部鉄器)

漆器に関しては、縄文時代から日本で使われ続けた「漆」の歴史から始めて、海外での「漆」人気、岩手県における「漆器」の歴史などを紹介しました。

しかし、この「漆人気」に便乗した韓国人達に、まんまと騙されたしまうと言う残念な出来事もあったのですが・・・それでも岩手県は、国内における一大産地ですから、この苦い経験を踏み台にして、今後も、国内における「漆器」の名産地として、頑張って欲しいと思います。

「南部鉄器」に関しても、その歴史や、岩手県でなぜ「鉄」が産出されるのか等から始め、現在の状況や、製造工程を見学できる工場なども紹介しました。

「南部鉄器」は、丁寧に使えば、100年は使えると言われていますし、実際に、江戸時代末期に作成された「鉄瓶」は、ほとんどは展示品だけですが、中には、まだ現役で使われているケースもあります。

我が家でも、「鍋」や「鉄玉子」を購入して使っていたのですが・・・残念ながら、1年も持たずに廃棄されてしまいました。勿体無い。


と言う感じで、「岩手の工芸品」を紹介してきましたが、今回は、「琥珀」を紹介したいと思います。

琥珀」に関しては、前々回のブログにも記載していますが、過去ブログで、三陸海岸の北東部に位置する「久慈市」を紹介した際にも取り上げています。

★過去ブログ:NHK朝ドラの舞台となる「久慈市」近辺の情報について

このブログでも紹介しましたが、世界で産出される「琥珀」の約85%は、ポーランドやロシアの飛び地カリーニングラード等、バルト海沿岸で産出され、その他では、カリブ海ドミニカ共和国が有名です。

日本における「琥珀」の産地ですが、日本人が大好きな「三大産地」としては、岩手県久慈市、千葉県銚子市、そして福島県いわき市などで「琥珀」が産出されるようです。

その中でも、日本においては、久慈市は別格で、昭和初期には、1トン/日もの「琥珀」を産出していた記録も残っているそうです。

さて、そんな久慈市の「琥珀」ですが、今回は、次のような内容を紹介します。

●世界における琥珀の歴史
琥珀生成物
●DNA採取の可否
●その他諸々
●久慈「琥珀」の歴史
●各種琥珀の紹介


前述の通り、岩手県久慈市は、世界的に見ても、珍しい「琥珀」の産地になっており、現在でも、その昔に比べて産出量は減ってはいますが、「琥珀」を産出し続けています。

今回は、「琥珀」に関する雑学から始めて、最後は、珍しい「琥珀」等も紹介したいと思います。


それでは今回も宜しくお願い申し上げます。

■世界における琥珀の歴史

最初に、世界最古の「琥珀」は、何年位前の「琥珀」があるのかな〜と思い、色々と調べたのですが・・・Wikipediaの参考資料欄によると、2009年、アメリカの「サイエンス」誌に掲載された『Identification of Carboniferous (320 Million Years Old) Class Ic Amber』と言う論文に、次のような記載があったとされています。

『 私達は、約3億2千万年前の石炭紀堆積物中クラスI(ポリラブダノイド)琥珀を発見した。この結果により、これまで考えられてきたよりも早期に、原始的な針葉裸子植物が複雑なポリテルペノイド樹脂を生成する生合成機構を発達させていたこと、そして針葉樹には今日典型的に見出されるポリラブダノイド樹脂を生じる生合成経路と、被子植物に典型的な生合成経路が、石炭紀までに既に分化していたことが示された。 』


この論文は、「P.Sargent Bray」博士と「 Ken B.Anderson」博士の共著となっており、この論文が発表される前までは、ほとんどの「琥珀」は、2億5千万年前までの中生代、あるいは新生代に生成されているとされていた様です。

しかし、この論文の発表後は、世界最古の琥珀は、「3億2千万年前の石炭紀」と言うことになった様です。

さあ、それでは、3億2千万年前の「琥珀」は、どのような代物かと言うと・・・その実物は、残念ながら存在しないようです。


「はあ!?」となってしまいますよね。

それでは、画像に残る「最古の琥珀」となると・・・次々に「最古」の琥珀が発見されている様ですが、現在では、左の画像が、最古になっているようです。

この琥珀は、2012年8月29日に、イタリアのドロミーティ山脈から、大量に見つかった琥珀の中から発見された物で、2億3千年前の琥珀なのだそうです。

そして、それら琥珀の中に、二種類の新種の「ダニ」が閉じ込められていた事が判明した様です。


それぞれ、これらの新種の「ダニ」には、上の画像のダニが「Triasacarus fedelei」、そして下のダニが「Ampezzoa triassica」と名付けられたそうです。

このダニは、現在の「フシダニ」の仲間と考えられている様です。

右の画像が現在の「フシダニ」の仲間なのですが・・・まあ、似ていると言えば、そんな感じがしないでもないような・・・

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そして、この2億3千年前の琥珀が発見される前までの最古の琥珀としては、1億年前頃の琥珀が多い様です。

1億年前の琥珀には、数多くの昆虫や生物が閉じ込められた状態のまま発見されており、左の琥珀は、1億4000万年前の「クモの巣」が閉じ込められているそうです。

しかし、「世界最古」と言う表現ですが・・・

様々な使い方があり、「○○が閉じ込められた世界最古の琥珀」と言う琥珀が数多くあり、サイトを「世界最古の琥珀」と言うキーワードで検索すると、色々な種類の「世界最古の琥珀」が表示され、本当の「世界最古の琥珀」を探すのに苦労してしまいます。

ちなみに、上図の「クモの巣」の琥珀に関しては、「世界最古のクモの巣」と言うキャッチフレーズで紹介されています。

琥珀生成物


琥珀は、ご存知の通り、天然樹脂が、高温・高圧の環境で化学変化を起こし、化石化した物となります。

古くから「宝石」としても珍重されていますが、この様に「石」由来の「鉱物」ではなく、「植物」由来と言う、非常に珍しい「宝石」です。

「石」由来以外の「宝石」と言えば、その他にも「動物」由来の宝石として、真珠、珊瑚、べっ甲などがあります。

このように「樹脂」から生成された「琥珀」ですが、「樹脂」とは、元々は、樹木が傷付いた時に、その傷を治す事を目的に、樹木から流れ出す「粘液」です。

この「粘液」が、長い年月の内に硬化した物が「琥珀」となるのですが、「粘液」が流れ出て、長い年月が経過すれば、必ず「琥珀」になるのか、と言えば、そうとは限りません。

「粘液」、つまり「樹脂」の大部分は不安定で、ほとんどの「樹脂」は、時間の経過と共に硬化せずに分解してしまうそうです。


しかし、そのような「樹脂」でも、低品質の石炭の層である「褐炭(かったん)層」と呼ばれる「層」を形成する干潟や三角州の粘土等の泥や土の中に埋まり、かつ適切な化学変化を起こした物が、「琥珀」になる事ができると言われています。

現在流通しているほとんどの「琥珀」は、3千万年〜9千万年前となる、白亜紀や古第三紀の地層から採掘されているそうです。

琥珀」は、非常に固く、鉱物に匹敵する程の硬度なのですが、元々は、あのカブトムシやクワガタが大好きな「樹液」の固まりなのです。

■DNA採取の可否


アメリカのSF作家「マイケル・クライトン」が、1990年に出版し、1993年に映画化された「ジュラシックパーク」では、琥珀の中に閉じ込められた「蚊」の血液から恐竜のDNAを採取して復元し、欠損部分をカエルのDNAで補う事で、恐竜を復活させています。

しかし、実際に、琥珀の中に閉じ込められた昆虫や生物から、恐竜のDNAを復元させる事が可能なのかと言えば・・・現在の技術では不可能なのだそうです。

実際、琥珀の中に閉じ込められた昆虫や生物、あるいは発掘された化石から、生物のDNAを復活させる事は可能と言われています。


事実、ハーバード大学の「George M. Church」教授は、2016年2月、シベリアの凍土から発掘したマンモスのDNAを採取し、アジアゾウのDNAに組み込む研究を行っており、2018年頃までには、マンモスに近い形状のゾウを蘇られる事が出来る、と語っています。

しかし、これが恐竜となると、話は全く別のようです。

2012年、イギリスの科学雑誌「Nature」誌に、「DNA情報は521年で半減する。」と言うDNA研究者チームの論文が掲載されており、この結果、「-5℃」と言う、DNAを保存するには理想的な保存温度にある骨の中でも、最大でも680万年後には、全てのDNA連鎖は破壊されてしまう事になってしまうそうです。

それでは、恐竜は、どの位前まで行きていたのかと言うと・・・それは6500万年前となるので、この学説が正しいのでれば、もう恐竜のDNA復活は絶望的な様です。

ちなみに、マンモスは、約400万年前から1万年前まで生存していましたし、2013年には、やはり凍土から取り出したマンモスの皮膚から、血液が流れ出し、ロシアの科学者が採血した事が報告されていますので、DNAの復元は充分可能だと思われます。


ちょっと琥珀の話題から逸れてきましが、2003年、アメリカのモンタナ州で、「John("Jack") R. Horner」博士が、6800万年前のティラノサウルスの大腿骨を発掘したのですが・・・

何と、その大腿骨の中には、化石化した「ティラノサウルスの肉」が付着していたそうです。

その後、化石を調査/分析し、2005年には血管細胞が確認され、2007年にはタンパク質の一種コラーゲンも発見した事が報告されています。

その後、アミノ酸配列なども見つかったのですが、まだ、その配列がティラノサウルス固有の配列なのか否かは解らない状況が続いているので、DNAの確定は非常に難しいと思われます。


また、今年、2017年4月には、中米ドミニカ共和国で、アメリカのオレゴン州立大学の「George Poinar Jr」教授が、琥珀の中に閉じ込められた「マダニ」を見つけたそうです。

そして、この琥珀の中の「マダニ」から血液の採取に成功し、その化石化した血液を解析した所、「マダニ」が媒介する「バベシア症」と言う病気に感染していた事が解ったそうです。

今年は、日本でも、マダニが媒介する「重症熱性血小板減少症候群SFTS)」が話題になりましたが、この「バベシア症」も、マダニの体内にいる「バベシア原虫」と言う寄生虫が、血を吸った相手に寄生し、マラリアと似た症状を引き起こし、最悪、死に至る危険な病気との事です。

この琥珀は、2,000〜3,000万年前の物と推定されているので、この血液は、世界初、2,000〜3,000万年前の霊長類の血液の化石とされています。

そして、この化石化した血液から赤血球を採取する事に成功したので、この琥珀が、前述の例で言いますと「世界最古、そして世界初の霊長類の血液が閉じ込められた琥珀」、と言う事になります。

琥珀から恐竜のDNAを復活させるのは無理だとしても、今後も、琥珀の中から、何か新しい物が発見されたり、あるいは絶滅した昆虫や生物の特定に繋がる情報が発見されたりする事が出来るかもしれません。

■その他「雑学」諸々


ここまで、世界最古の「琥珀」から始まり、「琥珀」その物の生成方法、そして、「琥珀」からのDNAの採取等の情報を紹介して来ました。

そもそも「琥珀」と言う漢字ですが、「琥」は、トラの形をした玉石とか、黄色と黒色が混じった玉石、等と言う意味を持ち、「珀」も黄白色や卵色の玉石と言う意味を持つ漢字で、どちらの字も、玉石と言う意味を持っています。

また、古代中国では、「琥珀」とは、この漢字の生い立ちとも関連があると思いますが、トラが死後、石になったものだと考えられていたそうです。


さらに、「琥珀」は、英語では「Amber(アンバー)」と呼びます。

しかし、同じ「琥珀」であっても、半化石状態とされる3,000万年未満の「琥珀」は、「Amber」ではなく「Copal(コパール)」と呼ばれて区別されています。

日本語の場合、「コパール」に対する、正しい呼び方が存在しない様なので、ちょっと変な言い回しになってしまいますが、両者は、次の様になります。

・Amber :完全に化石化し、3000万年以上経過した樹液で、経年変化しない物
・Copal :完全に化石化しておらず半化石状態で、1,000万年程度しか経過していない樹液、経年変化する物

このため、「Copal(コパール)」と呼ばれている物は、時が経つにつれ劣化し、表面に「ヒビ割れ」が発生しますが、「Amber(アンバー)」は、完全に化石化しているので、劣化現象は現れません。

琥珀に関しては、その他にも、まだまだ様々な情報があります。

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例えば、現在は、前述の通り、琥珀と言えば「宝石」としての利用しか思いつきませんが、その昔、近代医学が発達する前のヨーロッパにおいては、琥珀は、医療用として、痛風、リウマチ、喉の痛み、歯痛、そして胃痛を和らげる「薬」として用いられていたようです。

さらに、ヨーロッパにおいては、「薬」以外にも、「魔除け」としても用いられた歴史もあり、子供に、琥珀のネックレスを付ける習慣も合ったそうです。

その他、中国においても、南北朝時代、5世紀中頃に、漢方薬の基礎を築いたと言われている医学者「陶 弘景(とう-こうけい)」によって書かれた『名医別録』には、「琥珀」の効能は、次のように書かれているとされています。

『 精神を安定させ、滞る血液を流し、排尿障害を改善する。』

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また、「琥珀」に関しては、古くから、布で磨くと「静電気」が発生することが知られていたようで、スウェーデン琥珀博物館によりと、現在から2,700年以上前、ギリシア人の哲学者「タレス」が、歴史上、初めて「琥珀」の摩擦帯電に言及したと言われています。

タレス」は、琥珀を布で磨くと火花を散らし、羽根や細かな木くずが付着する事に気が付き、この力を、ギリシア語で琥珀を意味する「elektron」に因み、「electricity(電気)」と名付けたとされています。

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一方、見た目は、「琥珀」に似ていますが、非常に危険な「白リン」と言う物質があります。

「リン」は、原子番号「15」の番号を持つ元素で、上記「白リン」の他にも、「赤リン」、「紫リン」等の同素体が存在しています。

この「白リン」は、見た目、そして重さも「琥珀」に非常に良く似ているのですが・・・何と、人が触ると発火発熱してしまうそうです。

「白リン」は、常温では上図の様に、少し黄色み掛かった白色の個体ですが、発火点が60℃と非常に低温なため、何かの拍子に自然発火してしまいます。

このため、室温でも徐々に酸化し、発熱したり、発火したりして、青白い光を発してしまうし、また、日光に当たっただけでも「赤リン」になってしまうので、通常は、水中で保存しておくのだそうです。


このように、危険で、非常に扱いにくい「白リン」ですが、「燃えやすい」と言う性質のため、その昔から「焼夷弾」として利用され、特に、第二次大戦以降は、「焼夷弾」以外にも、煙幕弾、手榴弾、等の爆弾として使用されました。

ところが、「琥珀」の産地「バルト海沿岸」においては、兵器庫や弾薬工場にあった「白リン弾」から、「白リン」が漏れ出してしまったそうで、周辺地域では、「白リン」を「琥珀」と間違えて触ってしまい、火傷を負う事故が、現在でも多発しているそうです。

ちなみに、「白リン」は、燃えやすいと言う性質の他にも、毒性が非常に強く、吸引すると意識障害を引き起こす様です。

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加えて、「琥珀」には、偽物が数多く存在する事が有名です。

まあ、「琥珀」は、宝石ですので、他の宝石同様、偽物、「フェイク」が数多く存在するのも仕方が無いのかもしれません。

琥珀」のフェイクとしては、フェノール樹脂と呼ばれる合成樹脂、つまりプラスティックが有名です。

フェノール樹脂の発見は、1872年(明治5年)と言われていますが、この樹脂の工業化に成功したのは、1907年(明治40年)で、アメリカ人の化学者「レオ・ヘンドリック・ベークランド(Leo Hendrik Baekeland)」で、この樹脂を「ベークライト」と名付けています。

合成樹脂の「ベークライト」が登場したことで、本物そっくりの「フェイク琥珀」を作れるようになったそうですが、「フェイク琥珀」としては、次の素材も、数多く用いられているそうです。

・ガラス
本物の「琥珀」は、手に持った時に「温かい」そうですが、ガラスの「フェイク琥珀」は持った時に、「冷たさ」を感じるそうです。

・ベークライト
ナイフで傷を付けてみると、偽物なら薄片が落ちるが、本物なら粉状となる。また、本物は塩水に浮かぶそうです。さらに本物は、手のひらですぐに温まる、との事です。

セルロイド
これも合成樹脂で、「象牙」の代用品として開発されたが、その他、「珊瑚」、「べっ甲」、「瑪瑙」、そして「琥珀」の模造品としても使用されています。見た目、質感、手触り等、本物と区別が付かないが、比重が本物と異なるので、やはり飽和食塩水に沈むそうです。

・プラスティック
上記以外のプラスティックも「フェイク」で使用され、「昆虫入り琥珀」を作る際に用いられる。現在も生存している昆虫が中に居る場合は、ほぼ全て「プラスティック・フェイク」と思った方が良い、との事です。

カイゼン
「改善」ではなく、牛乳に含まれるタンパク質の一種。別名「カイゼン・プラスティック」とも呼ばれ、乳白色の「フェイク琥珀」を作る時に使用される。見分けは、ほぼ不可能との事で、分かる人は、その重さで本物とフェイクの区別が出来る、との事です。


その他、フェイクと本物とを見分ける方法には、「飽和食塩水」や「温かさ/冷たさ」の他にも、次のような方法があるようです。

但し、店で販売している物に対して、このような行為を行うと、結局、売り物を傷付ける事になるので、購入する羽目になってしまいますので、注意願います。

●アルコールを付ける :エタノールを数滴垂らしてネバネバしたらフェイク。主にコパール
●ナイフ等で傷付ける :傷が付けば本物、付かなければフェイク。主にガラス
●熱したピンで触る :変なプラスティックの焦げる匂いがすればフェイク。主にプラスティック樹脂

商品を傷付けない鑑定方法ならば、やはり「飽和食塩水」を使う方法が良いかもしれませんが、コパールは、元々は「琥珀」なので、区別が付きません。

本物が欲しいのであれば、通販などではなく、信用出来る専門店で購入する事をお勧めします。

■久慈「琥珀」の歴史

ここまで、主に、ヨーロッパの「琥珀」を中心に、様々な「琥珀雑学」を紹介して来ました。

ここからは、日本における「琥珀」の歴史、特に、久慈市の「琥珀」に関する情報を紹介します。



世界的に見ると、最古の「琥珀」は、前述の通り、約3億2千万年前となりますが、ヨーロッパにおいて装飾品として使われ始めたと考えられえいるのは、約11,000年前のイングランド地域とされています。

その後は、バルト海沿岸、中央ヨーロッパアドリア海を経由する、いわゆる「琥珀の道(アンバールート)」を経てエジプトまで「琥珀」が渡り、ツタンカーメン等のファラオも「琥珀製品」を愛用していた事が解っており、数多くのファラオの墓から、埋葬品として「バルティック・アンバー」が発掘されています。



ところで、日本においては、「琥珀」が装飾品として使われた歴史は古いようで、詳しい資料や画像は確認されていませんが、国立歴史民俗博物館の名誉教授でもあった考古学者の「白石 太一郎」氏の著書「日本の時代史1」には、北海道千歳市の柏台遺跡や湯の里遺跡では、20,000年前の琥珀飾りが発見されたと記載されているようです。

ヨーロッパにおける「琥珀」の装飾品は、11,000年とされています。

古代日本人、当時は、旧石器時代になりますが、とても「オシャレさん」だったのだと思われます。

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しかし、縄文時代前期〜中期(約5,500年前〜4,000年前)にかけて、青森県青森市近郊に存在した、日本最大級の縄文遺跡集落である「三内丸山遺跡」からは、数多くの「琥珀」が出土していますが、その中には装飾品は見つかっていないそうです。

三内丸山遺跡」から出土した「琥珀」は、全て久慈市近郊の太平洋沿岸から産出した「琥珀」のようですが、何故か装飾品は見つからず、全て「琥珀」の原石のみとなっているそうです。



インターネットの検索結果には、「三内丸山遺跡」で「琥珀の装飾品」が発掘されている、という様な情報もありますが、どうも、証拠が無いように見受けられます。

三内丸山遺跡」の公式ホームページや掲載物を探しても、石や翡翠(ひすい)で作成した装飾品は数多く掲載されていますが、「琥珀」製は、全くありません。

それでは、何故、わざわざ久慈地方から「琥珀」を取り寄せていたのか ? と言う疑問が湧いてきます。

本ブログの最初の「雑学」で、「琥珀」が医療に用いられていた事を紹介しましたが、その他にも「香料」としても用いられる事もあります。

このため、縄文時代の本州においては、装飾品以外の目的で、「琥珀」が重用されていた可能性があると思われます。

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縄文時代」の後、北海道において発展した「続縄文時代」には、前述の画像の様な「琥珀」を用いた首飾りが数多く出土しています。


「続縄文時代」と云うのは、「縄文時代」の後、紀元前3世紀〜紀元後7世紀まで、北海道でのみ続いた時代で、本州における「弥生時代」と「古墳時代」、そして「飛鳥時代」までを含んだ時代となります。

そして、本州においては、前述の通り、「縄文時代」と「弥生時代」と、東北地方や関東地方で発見された遺跡の多くから「琥珀」が発掘されています。

さらに、「古墳時代」になると、「琥珀」製品は、奈良盆地周辺にある、当時の有力者の墳墓と思われる遺跡から数多く出土するようになります。

また、この発掘された「琥珀」を調査すると、奈良周辺で出土した「琥珀」製品のほとんど全てが、久慈地方から産出された「琥珀」であることが解明されています。



右の画像は、昭和40年、奈良県斑鳩町の「竜田御坊山3号墳」から発掘された「琥珀の枕」の復元品となります。

この「琥珀の枕」は、飛鳥時代(645〜715年)の皇族クラスの副葬品です。

琥珀枕」、当初は、大陸からの輸入品と考えられていたそうですが、その後の化学分析により、この「琥珀枕」も、久慈産の「琥珀」を使っていることが解明されたそうです。

ちなみに、この古墳に埋葬されていたのは、10代の若い青年で、地元の考古学者の見解では、埋葬年代や副葬品の豪華さから、埋葬者は「厩戸皇子(聖徳太子)一族」ではないかと言われ続けているようです。



さらに、奈良の先、今年(2017年)、「神宿る島」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された「沖ノ島」でも「琥珀」が発見されています。

こちらの「琥珀」は、まだ鑑定が行われていないので、産地は解らないようですが、琥珀製の「棗(なつめ)玉」や「勾(まが)玉」が数多く発見されているそうです。

これら、東北地方の久慈から産出した「琥珀」は、後に「奥州街道」と呼ばれる事になる道から「中山道」を経由して大和地方に運ばれた事が解っており、この道も、日本における「アンバールート」と呼ばれているそうです。

その後も、日本における「琥珀」の産出は行われ続け、その多くは「久慈」から産出された「琥珀」が日本中に流通していた様です。

飛鳥時代、中国、当時の「唐」に派遣された「遣唐使」では、「琥珀」が、皇帝への貢ぎ物として献上された記録も残っている様です。

中国の「宋代(960〜1127年)」に作成された、中国の「唐時代」の正式な史料となっている「新唐書(1060年完成)」には、飛鳥時代の「白雉4年(653年)」に派遣された第二回遣唐使に関して、次のような記述があるそうです。

『 永徽初(650年)、その王の孝紱が即位、改元して白雉(はくち)という。一斗升のような大きさの琥珀、五升器のような瑪瑙(めのう)を献上した。 』

ちなみに、「一斗升(ます)」とは、現在の「約1.8リットル」位の容量となりますが、この「琥珀」が、どこから産出された物なのかは不明な様ですが、現在では、久慈産と考えられている様です。

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奈良時代(715〜806年)には、地方から天皇への献上品として使用されるようにもなったようで、「聖武天皇/光明皇后」所縁の品を納めている「正倉院」にも、多くの「琥珀製品」が収蔵されています。

この画像は、教科書やポスター等によく掲載されているので、皆さんもご覧になった事があると思いますが、「螺鈿紫檀五弦琵琶(らでん-したんの-ごげんびわ)」と言う宝物です。



この「琵琶」の「赤い丸部分」は、琥珀が埋め込まれています。

その他にも、右の画像は、「琥珀双六子(こはく-すごろくし)」と言う、双六の駒ですが、琥珀や瑪瑙(めのう)等、貴重な「玉」で作成された収蔵品もあります。

そして、これら「琥珀製品」ですが・・・産地は、当然、久慈産との事です。

ちなみに、「双六子」は、元々は、169個もあったそうです。

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平安時代(806〜1185年)」になると、「琥珀」は、香料として用いられる機会が増えて行くことになった様です。

当時、日本では、貴族でさえも風呂に入る習慣が無かったので、香料を用いて体臭を隠していました。

琥珀」を燃やしたり燻したりすると、当然、元々は樹脂の化石ですから、松の木を燃したようなキツい匂いがするそうですが、体臭を隠すため、敢えてキツい匂いが好まれたと言われています。

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久慈市にある「琥珀博物館」を運営する「久慈琥珀株式会社」のサイト等によると、その後、時が流れ「室町時代(1336〜1573年)」の頃になると、久慈近郊における「琥珀」の産業化が始まり、「琥珀」を採掘するための専門職が誕生したと書かれていました。


しかし、その頃は、まだ装飾品としての利用は限定的で、どちらかと言えば、香料や薬用としての利用がメインだった様です。

そして、さらに時が経過して江戸時代になると、久慈における「琥珀」採掘は本格化し始めるようです。

江戸時代に入り、長らく続いた戦乱が終わって治安が落ち着いてくると、「琥珀」を装飾品として利用し始めることが流行り始めた様です。



その代表的な物が「根付(ねつけ)」です。

「根付」とは、煙草入れ、矢立て、印籠、等の小型の革製鞄、等を紐で帯から吊るして持ち歩くときに用いた留め具の事で、江戸時代から大正初期まで、男性の間で、大人気となりました。

現代で言う所の「携帯ストラップ」のような物です。

当初は、木製の「根付」だったのですが、その内に庶民に経済力が増して来ると、高価な宝石を用いた「根付」が流行りだした様です。

そして、その時に使用される宝石が、「琥珀」を始めとした、「象牙」や「翡翠」などで、木製の「根付」も、「黒檀」や「白檀」等、高価な木材を使用した物も現れました。

江戸時代後期になると、さらに「根付ブーム」は過熱し、高価な「根付」では、当時の「家一軒分」の値が付けらた「根付」もあったと言われています。

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また、ちょっと「琥珀」から脱線しますが、「根付」は、現在では、国内外の蒐集家の間では大人気です。

日本国内では、故「高円宮憲仁親王」が、蒐集家としては有名で、その膨大な遺品は、東京国立博物館に寄贈され、「親王」の名前を冠したコレクションとして、時々、公開展示されています。

また、海外でも、有名人が膨大なコレクションを持っており、「ルイ・カルティエ」も膨大なコレクションを持っていた事が知られていました。



近頃では、2010年に出版された「The Hare With Amber Eyes: A Hidden Inheritance(邦題:琥珀の眼の兎)」と言う「エドマンド・ドゥ・ヴァール(Edmund de Waal)」の小説が、イギリスで大ベストセラーとなり、「根付ブーム」が起きたそうです。

そして、その1年後の2011年、ロンドンのボナムス社で開催されたオークションでは、この「象牙の獅子の根付」が、約26万5500ポンド(当時3400万円)の値段で落札された事がニュースで話題になりました。

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さて、話を「琥珀」に戻しますと、江戸時代、久慈付近は盛岡藩の領地でした。


そして、「琥珀」の需要が高まってきた「正保元年(1645年)」、盛岡藩は、「琥珀」を特産品として藩外輸出禁止の品に定めました。

これは、以前、過去ブログで紹介した「漆」と同じです。
★過去ブログ:岩手の工芸品 〜 地味だけど丈夫で長持ち その1

この「琥珀」も「漆」同様に、「御留物」扱いとなり、藩外への持ち出し禁止となった事が、「漆」でも紹介した次の通達書に記載されています。

『 武具類、くろかね類、へにはな、むらさき根、蝋漆あぶら、綿麻糸付布、無手形人、商売之牛馬、箔椀、同木地、皮類、塩硝、くんろく香、右先年より御留物候之間、向後にをいても弥改可申候、若わき道かくれ通候ものとらへ上候ハ、為御褒美其物料可被下者也 』

当時、久慈地域では「琥珀」を「くんのこ(薫陸香)」と呼んでいましたので、上記文中の「くんろく香」が、「琥珀」に当たります。


その後も、「延宝元年(1673年)」には、採掘自体に税を課すようになり、さらに、「延宝7年(1679年)」には、「琥珀奉行」を設け、「琥珀」の採掘から販売までを厳しく管理するようになりました。

江戸時代の最盛期、久慈付近には、「琥珀細工師」が20人以上存在し、上記「根付」を始め、「かんざし」や「帯留」、そして数々の装飾品を創り出し、江戸や京都で販売していました。

これらの事から、当時、「琥珀」を、別名「ナンブ」と呼んでいた事もあったそうです。

まるで、「漆」が「japan」と呼ばれていた事と同じ様な事が、規模は小さいですが、「琥珀」でも起こっていた様です。

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久慈付近では、「琥珀」の採掘場所は激減しましたが、現在でも公に「琥珀」の採掘を行っているのは、下記の2箇所くらいではないかと思います。

琥珀博物館
●上山琥珀工芸

本ブログでも、過去に取り上げたNHKの朝ドラ「あまちゃん」関連の話題ですが、ストーリーに登場する「塩見三省」氏が演じる「勉さん」が、琥珀を採掘していた場面は、上記の「上山琥珀工芸」の「琥珀採掘坑道」です。

その他にも、数多くの「琥珀採掘場」がありますが、現在では使用されておらず、さらに、ほとんどが個人の所有地になってしまっていますので、勝手に中に入って「琥珀」を採掘すると、不法侵入で逮捕されてしまいます。


また、整備など、何も行っていないので、「落盤事故」が起きる可能性が高いので、とても危険です。(許可なく立ち入る事は止めましょう。)

その他、現在では、そのほとんどが操業を停止していますが、同じく久慈市枝成沢の「碁石地区」にも、数多くの「琥珀採掘場」がありました。

この「碁石琥珀」に関しては、盛岡藩、および盛岡藩から分離独立した八戸藩の記録にも記録が残っていることから、江戸時代から「琥珀」の採掘が行われていた事が明らかになっています。


上の画像の看板によれば、「その道」の方々には「ガニ穴」と呼ばれている坑道入口の上には、かつて「琥珀神社」があった事が記載されているそうです。

「ガニ穴」とは、このような手掘りの鉱山が無くなった事も影響し、今では余り用いられる事が無くなった言葉の様ですが、「カニの穴の様に、縦横、縦横無尽に拡がる採掘坑道の入り口」を意味しているそうです。

また、「琥珀」の採掘場の事を、地元では「くんのこほっぱ」と呼んでいるそうです。


「くんのこほっぱ」とは、前述の通り、「琥珀」を「くんのこ(薫陸香)」と呼んでいた事と、採掘場、つまり「堀場(ほりば)」を、「ほっぱ」と呼んだ事から付けられた、いわば地元の「方言」+「造語」です。

「くんのこ(琥珀)」 + 「ほっぱ(堀場)」 = 「くんのこほっぱ」、です。

碁石地区」を始め、久慈近辺の地層は、「久慈層群」と呼ばれる地層で、多量の琥珀が埋蔵されており、「久慈層群と琥珀」として「日本地質百選」にも選定されているそうです。


さらに、「久慈層群」は、中生代白亜紀後期(約8500〜9000万年前)、恐竜時代に属する地層なので、同時代の虫入り琥珀も多数発見され、学術的に各方面から注目されているとも言われています。

その一方、「久慈層群」から採れる「琥珀」には、「二酸化ケイ素(SiO2)」が多く含まれており、「脆い」と言う特徴もある様です。

右の「琥珀」に見られる「白く薄い膜」部分が、「二酸化ケイ素」なのだそうです。


所有者の許可を得た方が、ガニ穴から坑道の跡地に入り、中を見た時に画像が左の画像ですが、「手掘り」の坑道が続いています。

そして、左図の「黄色い丸」で囲んだ場所に、「琥珀」が沢山あります。

このように、坑道の至る所に「琥珀」があるそうですが、大きさは1〜2cmで、地層が脆いので指でも採れるようですが、とても加工など出来ない代物なのだそうです。


また、昭和初期、昭和12年(1937年)には、この「碁石地区」の傍に、昭和電工 (株)」の前身で、現在は、「理化学研究所」のグループとなっている「理研琥珀工業(株)」の鉱業部が、直営の採掘場を設け、本格的な商業採掘を開始しました。

久慈の「琥珀」は、この頃が最盛期で、近隣の村から、多くの人が「琥珀」の採掘に押しかけ、まるで「ゴールドラッシュ」ならぬ、「アンバーラッシュ」のようだったと伝わっているそうです。

この近辺で採取された「琥珀」は、装飾用ではなく、戦時中の軍用品として、絶縁体や船舶や航空機の代替塗料(琥珀ペイント)等に使用されたそうです。


と言う事で、この「碁石地区」ですが、古くは、「碁石」と言う性を持つ「碁石一族」が、この地を治めていたようです。

このため、この「琥珀」の採掘場である山は「碁石一族」が所有する持山で、「琥珀神社」も、「碁石一族」が勧請して創建した神社なのだそうです。

その後、「琥珀」の採掘が減少するにつれ、この「琥珀神社」も廃れてしまったようで、「御神体(大山祇命:おおやまずみ-みこと)」も行方不明になってしまったそうです。


しかし、その後、何十年か後に、この「琥珀神社」の「御神体」が、「碁石」近辺の山中で発見されたそうです。

そこで、現在では、前述の「琥珀博物館」の近くに、新しい「琥珀神社」を建立して安置しているそうです。

ちなみに、「大山祇命」は、「伊邪那岐/伊邪那美」の両神の間に生まれた男神で、山を司る神とされていますので、「くんのこほっぱ」に祀る神様としては最適だと思われます。

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久慈地域には、未だに数万トン、一説には6万トン以上の「琥珀」が埋蔵していると言われており、地層が露出している所には、小粒の「琥珀」が沢山見られるそうです。


また、三陸海岸に面する久慈市や、その隣の野田村付近の海岸、特に「野田玉川海岸」には、「琥珀」が流れ着くことでも有名です。

また、川岸でも、大雨の後や台風の後等は、崖が崩れて「琥珀」が流れ着く事があり、地元の子供達などは、昔は、よく「琥珀」を取りに行ったと言う書き込みがあります。

前述の「琥珀」の見分け方にも記載した通り、「琥珀」は非常に軽く、海水に浮くので、海岸には、よく漂着するのだそうです。

バルト海では、「白リン弾」があるので危険ですが、久慈や野田村には、「白リン弾」はないので安全ですが、久慈から野田村に続く海岸は、波が高いので、高波に注意する必要があるそうです。


久慈産の「琥珀」は、中生代白亜紀後期(約8500〜9000万年前)の地層から採掘される事は紹介しましたが、これはバルト海の「琥珀」よりも、4,000万年以上古い地層になります。

バルト海沿岸で産出される「琥珀」は、古第三紀新世後期(約4,000万年前)の地層から産出し、主に「マツ科」の針葉樹の樹液となります。

また、久慈付近では、大型の「琥珀原石」が数多く見つかっています。

現存する最大の「琥珀原石」は、昭和2年(1927年)に、地元「夏井鉱山」から採れた「琥珀」で、元々は、個人が所有していた物を、後に久慈市に寄贈し、現在では、久慈市の指定天然記念物となり「久慈市文化会館/アンバーホール」に常設展示されています。

この「琥珀原石」は、現在のところ、世界最大の「琥珀原石」となっているようで、高さ40cm、幅40cm、奥行き20cmで、重さは何と「19.879Kg」、約20kgにもなるそうです。

琥珀」は、何度も記載していますが、非常に軽い物なので、重量20Kgと言うのは、私は見たことがありませんが、ちょっと信じられない重量だと思います。


さらに、同じく「夏井鉱山」からは、昭和16年(1941年)に採れた重量16kg「琥珀原石」があったそうです。

この「琥珀原石」は、「東洋琥珀興業」と言う企業が採取して、後に国立科学博物館に寄贈したと言われていますが、残念ながら2個に割れてしまったそうです。

その他にも、「琥珀博物館」に展示されている「琥珀原石」は、寸法は解りませんが、重量10.4Kgと、10kg超えの巨大原石です。

さらに、現在は、行方不明になっているそうですが、明治29年(1896年)に発表された理学博士「鈴木 敏」氏の地学文献「琥珀に就て」には、次の様な記載があったそうです。

『 久慈枝成沢と夏井村鳥谷の琥珀第三紀層中産出し、10年前12貫(45kg)琥珀大塊を産し、両所虻入りの奇品、野田で美麗琥珀を産す 』

これが本当だとすると、45kgの「琥珀原石」と言うことになり、前述の「琥珀原石」の2倍以上の、本当に巨大な「琥珀原石」になります。何とも、凄い話です。

久慈の「琥珀」に関する情報は、以上の通りとなります。「久慈琥珀博物館」の情報に関しては、過去ブログに記載していますので、今回は割愛します。

★過去ブログ:NHK朝ドラの舞台となる「久慈市」近辺の情報について

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ところで、余談ですが、現在「カニ穴」と言えば、「土鍋でご飯を炊いた時、鍋の底に強い水蒸気の泡が湧き、それがお米を押しのけて上がった通気穴」の事を意味しているそうです。

坑道入口を意味する「ガニ穴」とは、ちょっと意味が異なる様ですが、確かに、こちらの方が、何となく正しい使い方の様な感じがします。

余計な話ですが、この「カニ穴」が出来たご飯は、強い火力で炊けているので、普通の電気炊飯器で炊いたご飯より美味しいと言われているそうです。

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その他、日本における「琥珀」情報としては、沢山あり過ぎて、全ては紹介出来ませんが、同じく、岩手県内の「琥珀」情報としては、「宮沢賢治」と「琥珀」の関係があります。

宮沢賢治」に関しては、下記のブログで、去年(2016年)が、生誕120年である事を紹介しました。
★過去ブログ:誰もが知ってる「宮沢 賢治」 - 今年は生誕・・・121年目

このブログでは、余り詳しくは紹介しませんでしたが、「宮沢賢治」は、実は、子供の頃から、大の「石オタク」で、子供の頃に付けられたアダ名が「石コ賢さん」・・・

入学した岩手県立盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)でも、学業はそっちのけで、鉱物採集や登山に熱中していたことが記録されています。

その後、数々の小説を作成しますが、その中に、「琥珀」を始め、多くの鉱物が登場し、空や太陽、月、星、海等を様々な石に例えており、短編童話「オツベルと象」や、いくつかの詩集などに「琥珀」という言葉を残しており、特に詩集では、30編もの詩の中に「琥珀」が登場しているそうです。

また、後に出版された「賢治」関連本では、賢治の小説に登場する「鉱物」と、登場シーンと共に紹介する本なども数多く出版されています。

少し、登場シーンを紹介して、本章を終わります。

春と修羅 :「正午の管楽よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき」
●自作短歌 :「あけがたの 琥珀のそらは 凍りしを 大とかげらの 雲はうかびて」
オツベルと象 :「そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀のパイプをくわえ、吹殻を藁に落さないよう、眼を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往ったり来たりする。」
水仙月の四日 :「まもなく東のそらが黄ばらのやうに光り、琥珀いろにかがやき、黄金に燃えだしました。丘も野原も新しい雪でいっぱいです。」

■各種琥珀の紹介

最後に久慈の「琥珀」の他にも、世界的に珍しい「琥珀」を紹介したいと思います。

●久慈近辺の琥珀


久慈の琥珀は、年代が古いこともあり茶褐色のきれいな地層のような線が入っていて、色が濃く、きれいな模様があり色合いが多いのが特徴らしいです。

色の種類は、中間色も含めれば、250種類以上あると言われているそうです。

そして、色の違いは、年代、木(樹脂)の種類、そして地質の違いによって異なるそうです。

上の画像は、久慈市の北側、種市町から出土した、約8,700万年前の「中生代白亜紀後期」の琥珀で、中に、「鳥類羽毛の後羽(こうう)」が入っている世界最古で、かつ世界初の琥珀なのだそうです。(出た ! 世界最古)

後は、久慈にある「琥珀博物館」や、その直営サイトで、様々な琥珀、「虫入り琥珀」等も販売していますので、特に珍しいものは無いと思います。

また、前に紹介した過去ブログに記載していますが、約8,700万年前の白亜紀琥珀で、日本最古のカマキリが入った琥珀が発見されたりしています。

もう、ここまで来ると、「虫入り」とか、「世界最古の〜」と言う琥珀を紹介しても仕方が無いと思いますので、割愛しますが、琥珀博物館の展示物を少し紹介します。


琥珀博物館には、何点か、大型の琥珀製の展示物があります。

右の作品は、平成10年、琥珀製品の製作技術の向上を目的に、ロシアから琥珀製作者を招き、博物館の職員と一緒に作成した「金色堂」です。

縦1.75m、横2.77m、総重量100kgの巨大な琥珀のモザイク画とされ、製作に3ヶ月掛かったそうです。



こちらは、後で紹介する「エカテリーナ宮殿博物館」から寄贈された、復元された「琥珀の間」の一部分との事です。

「エカテリーナ宮殿博物館」には、「琥珀の間」と呼ばれ、部屋全体の装飾が琥珀で出来ている一室があり、「琥珀」繋がりで、久慈の「琥珀博物館」とは、「姉妹博物館」になっています。

その関係で、この展示物は、琥珀博物館の新館オープンの際に、エカテリーナ宮殿博物館から寄贈された物です。

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●エカテリーナ宮殿「琥珀の間」


エカテリーナ宮殿は、ロシアのサンクトペテルブルク(旧:レニングラード)にあり、「ピョートル大帝」の妻であり、第2代ロシア皇帝となった「エカテリーナ1世(1730〜1740)」が、夏の間を過ごすための建てた離宮で、「夏の宮殿」とも呼ばれていました。

その後、増改築を繰り返し、「エカテリーナ1世」の娘である第6代皇帝「エリザベータ(1741〜1762年)」の時代となる、1756年に、現行規模の宮殿となったと言われています。



そして、「琥珀の間」に関しては、当初は「ピョートル大帝」が、プロイセンの「フリードリヒ・ヴィルヘルム1世」から譲り受けたそうですが、暫くは、組み立てられる事無く放置されていた様です。

その後、先の「エリザベータ」が、「冬の宮殿」と呼ばれた「エルミタージュ宮殿(現:エルミタージュ美術館)」の改装の際、放置されていた「琥珀の間」を見つけ出し、未完成だった部分も修復し、当初の構想より規模を拡大させて完成させたそうです。

ところが、その後、第8代皇帝「エカテリーナ2世(1762〜1796年)」の時代に、「冬の宮殿」から、現在の「夏の宮殿」に移されたそうです。



エカテリーナ2世」は、ことの外、この「琥珀の間」を愛し、自分以外の立ち入りを禁止していたそうです。

そして時は流れ、ロシア帝国は革命により崩壊してソビエト連邦となり、第二次世界大戦が始まります。

ソビエトとドイツは、不可侵条約を締結していたのですが、ご存知の通り、1941年、ドイツは、条約を破ってロシアのレニングラードに侵攻します。

レニングラードに侵攻したドイツ軍は、ヒトラーの命令のもと、エカテリーナ宮殿にも乱入して美術品を略奪しましたが、その際、「琥珀の間」も分解して、ケーニヒスベルク(現:カリーニングラード)に持ち去られて展示されていたそうです。



しかし、誠に残念な事に、1944年、イギリス軍が、ケーニヒスベルクに大規模な空爆を行い、この爆撃により、「琥珀の間」を展示していた「ケーニヒスベルク城」を始め、市街地の大半が壊滅状態となってしまったそうです。

そして、この「ケーニヒスベルク空襲」により、「琥珀の間」は、完全に焼失してしまったとされています。

しかし、一部の説では、「琥珀の間」は、空爆の前に、既にドイツ本土に運ばれていたのではないかと指摘する歴史学者も居るようです。

ケーニヒスベルク城」で「琥珀の間」を管理していたのは、ドイツの美術史家「アルフレッド・ローデ」と言う人物ですが、この人物は、後に「爆撃があった時には、琥珀の間は展示しておらず、分解して城の地下室で大事に保管していた。」と証言しているそうです。

これが事実であれば、「琥珀の間」は、焼失しておらず、誰かによって、何処かに持ち去られた事になります。

また、その他にも、「琥珀の間」は、ドイツではなくポーランドに持ち去られ、そこから南アフリカに持ちされたと言う説もあるそうです。

琥珀の間」に関しては、その他にも多くの説があり、何とも、興味深い話です。

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その後、第二次世界大戦終了後、破壊された「エカテリーナ宮殿」の修復作業が開始されたのですが、「琥珀の間」に関しては、そのもの自体が無くなっているので、修復のしようがありませんでした。

そこで、ソビエト連邦は、1979年から、修復ではなく、「琥珀の間」の復元作業を開始しました。

途中、1991年に、ソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が誕生しましたが、「琥珀の間」の復元は細々と続けられたそうです。

さらに、1998年には、無くなったとされた「琥珀の間」の一部となる「フィレンツェ風モザイク」と「琥珀箪笥」が、ドイツのブレーメンで発見され、その後、2000年に、正式にロシアに返還されると言う出来事もあったそうです。

その後も、ロシアの研究者と彫刻家、それにドイツの職人も加わって復元作業が続けられ、最終的、復元には、24年以上の歳月と、金額にして「1135万ドル(約12億5985万円)」の費用を掛け、2003年に復元作業が終了しました。

ちなみに、このエカテリーナ宮殿の「琥珀の間」再建修復委員会委員長は、ポーランド生まれの琥珀職人「アレクサンドル・アレクサンドロヴィッチ・ジュラヴリョフ」と言う人物なのですが、この人物が、前述の琥珀美術館に展示されている「金色堂」の作成において、日本の琥珀職人に、色々と指導をして下さったそうです。


今回は、久慈近辺の特産品「琥珀」に関する様々な情報を、紹介して来ましたが、如何でしたか ?

●世界における琥珀の歴史
琥珀生成物
●DNA採取の可否
●その他「雑学」
●久慈「琥珀」の歴史
●各種琥珀紹介

琥珀」は、「珊瑚」や「真珠」等、有機物由来の宝石として、古くから、日本のみならず、世界中で、珍重されてきた事が、今回のブログで、よく解りました。

琥珀」に関しては、その人気の高さに比例するように、本当に沢山の情報(雑学)があり、余裕があれば、もっと沢山の情報を紹介したかったので残念です。

例えば・・・

琥珀
琥珀
●人魚の涙
●太陽の石・・・等

琥珀」にまつわる話は、世界中にありますので、探せばキリが無いのかもしれません。


また、日本における「琥珀」の歴史は、そのほとんどが「久慈産琥珀」の歴史と言っても、過言では無いことが解ったのも興味深い事でした。

過去に紹介した二戸市浄法寺町の「漆」が、世界に流通して「japan」と呼ばれたように、世界レベルまでは到達出来なかったようですが、日本国内では、久慈産の「琥珀 = ナンブ」と呼ばれるまでになった事は、何か、岩手県出身者としては、何か、誇らしいような感じがします。

「南部鉄器」も、その昔、「コピー商品」が日本中に出回るほど人気になった訳ですから、やはり岩手県の工芸品は、本シリーズの最初に記載した通り、「小粒でもピリリと辛い」工芸品なのだと思います。

次回は、岩手の工芸品として「岩谷堂箪笥」を中心とした「木工品」を紹介したいと思っています。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・カラパイヤ(http://karapaia.com/)
・Nature(http://www.nature.com/news/dna-has-a-521-year-half-life-1.11555)
・映画「ジュラシックパーク」は、米「Amblin Entertainment」社の製作物です。
独立行政法人 情報処理推進機構(https://www2.edu.ipa.go.jp/)
・北三陸大地の恵み・ジオパーク推進連絡会(https://kitasanriku-geohistory.themedia.jp/)
八戸市立図書館(http://www.lib.hachinohe.aomori.jp/)

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