盛岡市近郊「お盆の風景」 〜 他とは一味違うお盆


皆さんのお住まいの場所、あるいはご実家のある地域では、「お盆」と言えば、何を思い浮かべますか ?


また、「お盆」の時期は、何時ですか ? 7月 or 8月 ?


そもそも、「お盆」とは、何のためにあると思いますか ? 夏休みため ?


上の画像は、本ブログでも、何回も紹介している「盛岡さんさ踊り」の風景で、盛岡近郊で行われていた「盆踊り」を、観光のために商業化したイベントです。


現在の「お盆」は、仏教の「盂蘭盆(うらぼん)」を略して「お盆」と呼んでいると考えられていますが、元々は(過去ブログ「岩手県山岳信仰」でも紹介しましたが)、仏教が広まる前から、日本各地で行われてきた自然崇拝の行事がベースになっていると思われます。


つまり、人間が死ぬと、その魂は、山、巨岩(巨石)、大木(巨木)、海・池・川、等と言った、神が宿る「神域」へと行って「先祖霊」となり、「神域」に居る「先祖霊」を拝むことで、やがて「先祖霊」が「神」となり、村や子孫を守ってくれる、と言う考え方がベースになっていると思われます。


また、その考えの中では、年に二回、春と秋に、「先祖霊」が、「神域」から、村に住む子孫の元に帰ってくるので、その期間は、大切にお迎えして崇め、その期間が過ぎると、また「神域」に帰って行くと考えられていました。


そして、その後、仏教が広まると、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の考え方と、上記の自然崇拝の考え(古神道)が習合し、現在の「お盆」と「正月」の行事が行われるようになったと考えられています。


仏教の「盂蘭盆会」とは、旧暦7月15日を「盂蘭盆」と呼び、父母等の先祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦(※1)から救う事を目的に行われる行事とされています。


「お盆」と言う呼び名も、上記「盂蘭盆」を省略したと言う考え方と、文字通り、霊に供物を捧げるための容器である「盆」を、霊の呼称としたと言う考え方等、様々な説があるそうです。


さらに、開催時期に関しては、春に行われていた行事が、神格化されて「正月」になり、秋に行われていた行事が「盂蘭盆」と習合し、仏教の行事である「お盆」になったと言われています。


このように、自然崇拝、古神道、あるいは仏教が習合したのが「お盆」なので、「お盆」の開催時期も、地方により大幅に異なり、だいたい、次の3パターンの何れかで、行われるケースが多いそうです。


(1)旧暦7月15日
現在でも、沖縄県奄美地方等で用いられているそうで、毎年、開催日が異なるそうです。


(2)新暦7月15日
東京都、横浜市、および静岡県が、この日を用いるケースが多く、その他にも函館市金沢市等も、この日を「お盆」としている。この時期にお盆を開催する地域では(3)のお盆を「旧盆」と呼んでいる。


(3)新暦8月15日
明治時代の新暦採用に伴い、旧暦7月15日に行われていた「お盆」を、1ヶ月、月遅れで開催するようになったもの。日本で一番多く採用されている「お盆」開催日。



また、「お盆」期間中の風習としては、次のような行事があるそうです。


●釜蓋朔日(かまぶた-ついたち)
お盆の開催される月の「1日」目を、「釜蓋朔日」と読んでいます。この日には、「地獄の釜の蓋が開く日」として、お墓の掃除や、山や川等の神域から帰ってくるご先祖様のために、山道の草刈り等を行うそうです。また、この日以降、お盆期間が終わるまでは、「地獄の釜の蓋が開いた状態」なので、海、川等の水辺には近づいてはいけないとも言われています。



●7月7日(七夕)
「七夕」は、元々は「棚幡」と表記し、先祖霊をお迎えするための棚(たな)と幡(はた)を用意した日の事でした。このため、本来「七夕」は、「お盆」行事の開始日とされていました。このため、新暦8月15日にお盆を行う地域では、「七夕」も、月遅れの8月7日に開催する地域もあります。



●迎え火/送り火
・13日に行う野火を「迎え火」と呼び、先祖霊を迎えることを意味しています。お盆期間中は、七夕で用意した(精霊)棚に供物を捧げる事になります。
・16日に行う野火を「送り火」と呼び、先祖霊に、神域やお墓に帰って頂く事を意味します。「五山の送り火」が有名ですが、この場合は、先祖霊を山に送ることを意味しています。その他にも、先祖霊に、川や海に帰って頂く場合には、「精霊流し/灯篭流し」が行われます。



●盆踊り
お盆の翌日、16日の夜に、寺社の境内に、地域の人達が集まって踊る事です。元々は、平安時代に始まった「念仏踊り/踊り念仏」が、「盂蘭盆」の行事と結びつき、死者を弔うための踊りとなったと考えられています。また、この踊りの様は、「地獄で苦難を逃れた亡者が喜んで踊っている」様を現しているとも言われています。



●新盆/初盆
親族が亡くなり、49日法要が終わった後、次に迎えるお盆を、特別に「初盆(はつぼん)/新盆(にいぼん)」と呼び、特に手厚く供養する風習があります。地域によって行う行事は異なりますが、多くは、軒下に「提灯」を吊るして、「新盆/初盆」であることを周知したりします。



このように、その地域により、「お盆」の期間や行事は異なりますが、今回は、盛岡市近郊の、次のようなお盆の風景や行事を紹介したいと思います。


●高灯篭
●迎え火
●町家の風景
●黒川さんさ(さんさ踊り)


それでは今回も宜しくお願いします。


※1 倒懸(とうけん)の苦:頭と足が逆さ吊りになったような苦しみを意味し、仏教の「餓鬼道」に落ちた者の苦しみを表す言葉として使われています。

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■高灯篭


左の画像は、盛岡市太田地区で、お盆の期間中に見られる光景です。


何だと思いますか ?


これは、電飾を、クリスマスツリーの様に、高い棒から吊り降ろした「迎え火」で、地元では、「高灯篭」とか「盆ツリー」と呼んでいます。


作り話だと思いますが、過去には、ビアガーデンと間違えて、庭先まで車で入って来た人も居た、との事です。


一見、適当に電飾を吊るしている様に見えますが、人生「四苦八苦」と言う事で、1ライン当たり「4 X 9 = 36」個の電球を3ラインつなげて合計108個(煩悩の数)、あるいは「8 X 9 = 72」個の電球を付ける等の決まりがあるそうです。


上図は、ピラミッド型ですが、単に、横に並べて付けている家もあるそうです。


元々、この太田地区には、新盆から3年間は、「迎え火」として、48個の提灯を、門前から玄関まで下げる風習があったそうです。


しかし、この方法の場合、手間が掛かるのと、風で提灯に火が燃え移る等の危険性があったので、地元の電気屋さんが、50年程前に、提灯を止めて電飾にしたのだそうです。


ところが、この方法が、付近住民に受け入れられ、どの家でも電飾に切り替え、今では、太田地区のみならず、他の地区にも、この電飾が広がってきているそうです。


確かに、私も高校生の頃、夜に友達とドライブをして太田地区付近を走った時に、何でこの辺りは、お盆なのに、電飾が多いのかと驚いたと言うより気味が悪かった記憶があります。


まあ、同じ盛岡でも、色々な風習があるようです。


■迎え火


次も「迎え火」の話ですが、皆さん、「迎え火」として燃やす物が、地方や地域によって異なる事はご存知ですよね ?


盛岡市でも、私の実家がある地域では、「迎え火」として、左の画像の様な「白樺の木の皮」を使います。


ちなみに、私の実家の地域とは、盛岡市の南部になりますし、前述の太田地区は、盛岡市の西部になります。


そして、これを「樺(かば)」と呼び、この「樺」を燃やす事を「樺火」と呼んでいた記憶があります。


一方、同じ盛岡で、比較的近い場所でも、「苧殻(おがら)」と呼ぶ、麻の皮を剥いだ幹の部分を燃やしたり、松明のように、松の木を燃やしたりする場所もあります。


全国的に見ると、「苧殻(おがら)」を使う風習が多いようですが、正直、私は「苧殻」と言う言葉自体、このブログを書くまで知りませんでした。


後述する「町屋」付近は、「松明」系の「迎え火」みたいですが、ここは、私の実家からも比較的近く、私の実家の菩提寺がある場所ですが、何故、これほど同じ地域でも、「迎え火」の方法が違うのでしょうか ?


さらに、「送り火」に使う火も、わざわざお寺まで取りに行く所もあるみたいです。


ちなみに、前述の「樺火」に関してWebを検索したところ、長野県に「樺火」を使う所が数多く存在しているようです。


盛岡と長野・・・何か関係があるのでしょうか ?



■町家の風景


盛岡市には、「盛岡まち並み塾」と言う民間団体があり、この団体が、地方自治体等と連携して、盛岡の「町屋」の調査を行い、文化財登録や保全制度の活用支援等の助言をしています。


そして、この団体が支援している町家に、盛岡市「鉈屋町(なたや-ちょう)界隈」の町家があります。


この「鉈屋町」に関しては、過去にも、本ブログで、「盛岡町家/旧暦のひなまつり(http://msystm.co.jp/blog/20140222.html)」として紹介しています。


そして、お盆の時期には、この「盛岡まち並み塾」と「鉈屋町」が、お盆の風景を後世に伝える取り組みを行っています。


盛岡市は、新暦の8月7日に「七夕」を行い、同じく新暦の8月15日を「お盆」としていますので、この「鉈屋町」でも、次のスケジュールで迎え火、送り火を行います。


・迎え火:8月14/15日
送り火:8月16日


「鉈屋町」は、盛岡市内でも、寺社が集中している「大慈寺町」の隣に位置し、現在でも、古い町家の雰囲気を残す場所となっています。


明治時代の地誌「盛岡砂子」と言う文献には、この「鉈屋町」は、京都の豪商「鉈屋 長清」と言う人物が盛岡に下向し、この地に「釶屋山(しゃおくさん)菩提院」と言う寺社を建立したことに由来した町家と記載されているそうです。


戦前の盛岡市内では、お盆の時期には、各町内で申し合わせて、道路の中央で、一斉に薪を燃やして迎え火を行っていたらしいです。


ところが、戦後は、人口減少や各種の規制等の影響で、道路での迎え火は禁止され、現在では、各家の軒下で迎え火を燃やす様になってそうです。


こうやって、夜に、テクニックのある方が写真を撮ると、本当に綺麗で、幻想的な風景になりますよね。


しかし、昼間に、普通の人が写真と撮ると・・・この画像は、せっかくの雰囲気が台無しになるので、今回は、掲載は見合わせます。


■「黒川さんさ」の門付け(さんさ踊り)


さんさ踊り」に関しては、今回のブログのトップにも画像を掲載しましたし、過去にも何度か紹介しています。


・「盛岡さんさ踊り」について(http://msystm.co.jp/blog/20110802.html)


この「盛岡さんさ踊り」は、盛岡市内各地で行われていた「さんさ踊り」を、商業的に1個にまとめた踊り「統一さんさ」となります。


また、「さんさ踊り」の由来に関しても、一般的な情報や、本ブログでも紹介している通り、『 鬼の羅刹と三ツ石様との戦い 』としています。


しかし、実は、この由来以外、別の由来を持つ「さんさ踊り」も存在します。その一つが「黒川さんさ」です。


この「黒川さんさ」は、盛岡市の黒川地区(昔で言う「都南村」)と呼ばれる場所に伝わる「さんさ踊り」でした。


このように個別の伝統がある「さんさ踊り」を、「統一さんさ」とは区別して、「伝統さんさ」と呼んでいるそうです。


上記で、「でした。」と言うのには理由があり、この「黒川さんさ」は、【 門付け 】と呼ばれる、現在で言うところの「大道芸」として伝承されてきた歴史があります。


そして、この地域における「門付け」は、地域に、豊作等、何か良いことがあるときに開催されてきたそうですが、時代が昭和に入り、戦争等で世相が暗くなって行くにつれ「黒川さんさ」は廃れていき、遂には、その伝統が途絶えてしまったそうです。


その後、昭和43年(1968年)、地元の「乙部(おとべ)中学校」において、43年振りに「黒川さんさ」を復活させ、現在に至っているそうです。


一方、「黒川さんさ」は、平安時代末期に起こった「前九年の役」に由来しているそうです。


前九年の役」では、「源 義家(八幡太郎義家)」が、安部氏を討伐するために、黒川集落に兵を進めたのですが、安部氏の守りが堅く、なかなか守りを崩す事が出来なかったそうです。



そこで関東武士達は、兵士達の士気を鼓舞するために、夜通し踊り明かしたそうです。


その後、敵ながらも、見事な激しい動きと、豪快で派手な響きのお囃子や踊りを見ていた集落の村人達は、戦が終わった後、見て覚えた踊りを、五穀豊穣への祈りを込めて踊り継いだのが、「黒川さんさ」の由来とされています。


また、関東武士の一団が陣を構えたと伝わる「高陣山」の馬小屋があったと伝わる場所には、今でも大きさ9m程の岩があり、そこに「馬蹄」の跡が残されていると伝わっています。



ところで、この「黒川さんさ」は、高度な技術を要する古風色濃い踊りで、「伝統さんさ」の花形として、地域の誇りとして伝承されてきたそうです。


4人で組む「4つ踊り」等、他の「さんさ踊り」にはない高度な組踊りを持ち、腰を低く保ちながら上体を捻り曲線で踊るダイナミックな至芸として県内外のみならず、国外にも多くのファンが存在します。


踊り組は、太夫、唄かけ、太鼓打ち、笛吹き、道化役一八、踊り手、世話役で構成され、踊りは、「輪踊り」が基本で、33種あったと伝えられています。


提灯を持った太夫を先頭に「歩き太鼓」で入場し、輪ができ「庭ならし」から始まり、「引き庭」で踊りを収めるそうです。


この「黒川さんさの門付け」も、鉈屋町において、8/14の夜に、付近の道路を通行止めにして行われます。


参考までに、2012年の「町家のお盆行事」と言うパンフレットを用意しました。


★町家のお盆行事:

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■その他


その他、盛岡市近郊のお盆の風景としては、これも過去にブログで紹介した「舟ッこ流し」や、各種花火大会があります。


この「舟っこ流し」は、「送り火」や「精霊流し」の一種だと言われています。


詳しくは、過去ブログをご覧下さい。


★「盛岡舟っこ流し」:http://msystm.co.jp/blog/20110903.html


そして、「舟っこ流し」が終わると、ほぼ同じ会場で、花火大会が開催されますが、この花火大会は、本当に小規模で、15分程度で終わってしまうものです。


東京等で開催される有名な花火大会のように、1時間近い時間で、何万発もの花火を期待していると、ガックリ来てしまいます。


花火大会に関しては、この「舟っこ流し」の後に開催される花火大会ではなく、8月の第一土曜日に開催される「盛岡花火の祭典」の方が、花火大会らしいです。


こちらは、1万発位の花火を打ち上げるので、盛岡で花火を見るならば、こちらの方をお勧めします。

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今回は、「お盆」の期間中に見られる、盛岡近郊の風景について紹介してきましたが、如何でしたか ?


「高灯篭」に関しては、日本国内でも、あんな風習があるのは、盛岡市太田地区以外では、存在しないと思います。


また、町家のお盆の風景は、確かに、夜は綺麗なので、後世にも残しておいた方が良いと思いますが・・・実際に町家に住んでいる方達は、結構、住み辛いと思いますので、もしも本気で後世に残したいと思っているのであれば、地方自治体等の援助が必要だと思います。



一方、岩手県内の盆踊りとしては、「さんさ踊り」が有名になってしまいましたが、当然、それ以外にも、地域独特の盆踊りは存在します。


特に、岩手県の県北や、旧南部藩の領地付近において、現在でも行われている「ナニャドヤラ(ナニャトヤラ)」と言う盆踊りは、今でも謎が多い盆踊りとして、知る人ぞ知る名物になっています。


この「ナニャドヤラ」は、起源は定かではないのですが、「遠野物語」を書いた「柳田 國男」は、この「ナニャドヤラ」は、日本最古の盆踊りであるとしています。


また、「ナニャドヤラ」の歌詞は、今でも意味不明なのですが、単純に聞いていると、「ニャーニャー」と猫の鳴き声のように聞こえるので、別名「南部の猫唄」とも呼ばれています。


そして、「ナニャドヤラ」の歌詞を、無理やり「カナ文字」にすると、ヘブライ語になるそうで、一説には何故か、岩手県の県北にヘブライ語の行進曲が伝わり、その後、大和民族アイヌ民族を掃討する時にも、行進曲として歌われた、と言う説があります。


【 ナニャドヤラの歌詞 】

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ
ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ
ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー
ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド


至るとことに「ニャ」がありますね(笑)、それにしても、全く意味不明な歌詞です。


本当に不思議な話で、現在でも諸説入り乱れているので、「ナニャドヤラ」に関しては、また別の機会に紹介したいと思います。



それでは、今後も宜しくお願いします。


以上

【画像/動画・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・公益財団法人岩手県観光協会(http://www.iwatetabi.jp/)
・これが知りたい大百科(http://xn--fdkc8h2a1876bp0k.biz/)
・太田つれづれ(http://blog.livedoor.jp/ootaturedure/)
・盛岡まち並み塾(http://machijuku.org/)
・盛岡心情3(http://shinjyo3.exblog.jp/)
・morioka暇人日記2(http://teamfk2.exblog.jp/)
・「さんさ踊り」とその指導法に関する一考察(http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/1757)

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