「中津川への鮭の遡上」について

この季節、盛岡市の【中津川】に掛かる橋の上では、立ち止まって、川面を眺めたり、カメラを構えたりしている人をよく見かけます。

これは、川の水量をチェックしているのではなく、【鮭の遡上】を見物している人たちです。今回は、すっかり秋の風物詩として盛岡に定着した「中津川への鮭の遡上」についてご紹介したいと思います。

【中津川】は、総延長は約34.5Kmとなる北上川の支流の一つで、北上山地の複数の山(御大堂山/岩神山/阿部舘山等)の沢が源流となっている一級河川です。盛岡市を東から西に横断するように流れており、ちょうどJR盛岡駅付近で、北上川に合流しています。

また【中津川】は、本当に綺麗な川で、下流域にはコイ、ウナギ、アユ、中流域にはウグイ、ナマズ、上流域にはヤマメ、イワナ、カジカ、等、多種多様な魚が生息しており、平成の名水100選、および盛岡城跡とともに都市景観100選にも選ばれている盛岡を代表する川です。私も、小学生から大学生まで、よくこの川で釣りを楽しみました。

この【中津川】には、毎年9月下旬から11月上旬にかけて、【鮭】が遡上して産卵します。YouTubeに、遡上した鮭が、縄張り争いを繰り広げている動画があったので掲載します。(1分46秒)


昨年は、東日本大震災の影響で、北上川の河口である宮城県石巻市が大変な事になったので、鮭の遡上も危ぶまれたのですが、どうやら無事に遡上したようです。自然の力は偉大ですね。


よく、中津川への鮭の遡上に関して、『 県庁所在地の中心部を流れる河川に鮭が遡上するのは珍しい 』と紹介されますが、実は・・・次の様な箇所でも鮭の遡上が確認されています。

・北海道札幌市 :豊平川
青森県青森市 :天田内川
秋田県秋田市旭川
山形県山形市高瀬川
宮城県仙台市七北田
福島県福島市阿武隈川
茨城県水戸市那珂川

北海道/東北地方を中心に、ほとんどの河川に鮭が遡上しているのですね! また、東京の多摩川にも鮭の遡上は確認されています。

違う魚ですが、多摩川に遡上するアユも増えているようですので、日本全体で、河川が綺麗になってきている証拠だと思います。

とても良い事です!


しかし、河川を綺麗にし、維持するのは大変な事です。

鮭は、上記の石巻市から北上川を経由して、200Km以上の距離を遡上してきますが、この北上川も、かつては松尾鉱山の廃液の影響で「死の川」と呼ばれていました。

松尾鉱山についての説明は「盛岡・北上川ゴムボート下り」をご覧下さい(2012/06/28版)

長い年月と、人間の努力により、アユが泳ぎ、鮭が遡上できる川を取り戻したのです。


また、現在、中津川に遡上している鮭に関してですが、鮭が自然に遡上している訳ではありません。

戦前は、本当に鮭が自然に遡上していたそうです。しかし、戦争直前から戦後にかけて、川岸で陸軍が演習を行ったり、上述の松尾鉱山の廃液が北上川に流れ込んだりした影響で、鮭の遡上は行われなくなったそうです。

その後、昭和49年(1974年)、今から38年前、岩手日報社の新聞記者が鮭の産卵現場をスクープし、それから盛岡市が鮭の放流を行ったり、地元の商店街の人たちが放流会を行ったりと、行政と市民が一体となって取り組んだ結果、現在のように、毎年鮭が遡上するようになったそうです。

私も小学生の頃、「中津川に鮭がいる」と言う噂を聞き付け、夜中に友達と鮭を釣りに行きましたが・・・辺り一面真っ暗で、鮭がどこに居るのかも解らず、自分のエサも、どこにあるのかも解らず、ただひたすら釣竿を振って空しく帰ってきた記憶があります(笑)

実際、河川で鮭を釣るのは、(詳しい罰則等は解りませんが)条例で禁止されていたと思いますので、釣れなくて良かったのかもしれません。ちなみに、河口の海側なら、鮭を釣ってもOKだと思いますが・・・詳しくは各県の条例を調べてみて下さい。


現在では、先の商店街の人達や学校、その他地域の人達や、企業までもが鮭の放流に尽力しています。トヨタ等の有名企業も、今年から鮭の放流を支援し始めたみたいです。

ちなみに、鮭は、放流後4年間は海で過ごし、その後、放流された川に遡上するみたいです。

今後も、鮭が遡上する綺麗な川であって欲しいものです。


それと、話は横に逸れますが、上記写真や動画で、橋の欄干が写っていますが、欄干の先に、「たまねぎ」のような物が付いているのに気が付きましたか?


これは【擬宝珠(ぎぼうしゅ・ぎぼし)】と言って、本来は、天皇の居るところにしか付けてはいけない装飾なのだそうです。


明治時代以降、天皇は東京に住まわれていますが、昔は、天皇、と言えば京都の御所に住まわれていたので、京都の橋にしか、この【擬宝珠】の装飾は許されていませんでした。

しかし、1336年(延元元年)に、当時の南部藩第12代藩主「南部政行(まさゆき)」の詠進した和歌が後村上天皇の御心に叶い、その恩賞の一部として、賀茂川の橋を模したものを、南部藩城下に架けることを許されたので、それ以降、南部藩城下の橋には、【擬宝珠】が付けられるようになったそうです。

そして、それから後の1609年(慶長14年)、南部藩第27代藩主「南部利直(としなお)」が、盛岡城築城時に中津川に橋を架ける時に取り付けたのが、現在の【擬宝珠】となります。


ここで1点注意して欲しいのは、現在 橋に付いている【擬宝珠】が、慶長14年当時の物、その物だと言うことです。模造品ではありません! 凄いですよね。

とは言え、さすがに全部が当時の物と言う訳ではありません。盛岡城の築城当時、盛岡城に入るために【下の橋】、【中の橋】、および【上の橋】と言う「盛岡三橋」が中津川に架けられました。

そして、その3つの橋、全てに【擬宝珠】が付けられていたのですが、川への流出等で、現在では慶長14年の物が8個、慶長16年の物が10個、合計18個の【擬宝珠】が残っているだけです。


しかし、現在の日本で、これだけ古い【擬宝珠】が残っているのは、「盛岡三橋」の内、【下の橋】、および【上の橋】と、京都の【三条大橋】のみで、全て国の重要美術新に指定されています。

こうして今も残っている重要な【擬宝珠】ですが、過去には撤去寸前の危機がありました。

ご想像のとおり、第二次世界大戦時に、軍への金属供出で没収寸前の危機に見舞われたのですが、当時の実業家「太田孝太郎」氏の必死の尽力で、拠出直前に重要文化財になり、難を逃れたそうです。

しかし、その反面、盛岡城天守閣跡地にあった、南部藩第42代藩主の「南部利祥(としなが)」の銅像は、文化的価値ゼロと言う事で、軍に拠出されてしまったのは皮肉なものです。


また、この【擬宝珠】は、400年近く経過して腐食が進んだことから、小さな穴に「ムクドリ」が巣を作り、 文化財保護か野鳥保護かとマスコミを賑わしたこともあったそうです。

結局、人の騒ぎを傍目に、「ムクドリ」自らが出て行ったそうですが・・・何とも滑稽な話です。


ですが、このような「笑い話」も、自然を愛し、文化を愛して育んで行こうという、盛岡人の心情の表れだと思います。要は、真面目過ぎるんですね、盛岡の人は。

もしも、この季節、盛岡を訪れる機会があれば、橋の下と欄干をご覧下さい。【鮭】と【擬宝珠】が貴方をお待ちしています。

但し、覗き込み過ぎて、橋から転落しない様に気を付けて下さいね。それでは今後も宜しくお願い致します。


以上

※動画提供元:ji7dbmtii様(http://www.youtube.com/user/ji7dbmtii?feature=watch)

※写真提供元:岩手観光協会(http://www.iwatetabi.jp/)

※写真提供元:盛岡経済新聞(http://morioka.keizai.biz/)

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