「盛岡秋まつり」について

今回は、前回のメルマガでも少し触れた「盛岡八幡宮」で開催される、【盛岡秋まつり】を紹介したいと思います。

  ●http://msystm.co.jp/blog/20120731.html

【盛岡秋まつり】、正式には【盛岡八幡宮例大祭】と言うのですが、江戸時代から300年間以上続けられ、毎年9/14〜9/16の3日間に渡って行われる、【盛岡八幡宮】の年中行事です。

【盛岡八幡宮】は、(以前も説明しましたが)1062年(康平5年)に創建され、前九年合戦時、【源 頼義】が戦勝祈願した事が始まりとされていますが、その後、南部氏が【盛岡城】築城の際、鎮守社として再建され現在に至っています。そして、【盛岡八幡宮例大祭】では、次の様なイベントが開催されます。

■9/13:宵宮祭
■9/14:神輿渡御(みこしとぎょ)、奉祝社参、お稚児さん参り
■9/15:山車(だし)大絵巻パレード
■9/16:神事流鏑馬(しんじやぶさめ)

【盛岡八幡宮例大祭】自体は、新八幡宮が完成した翌年の1681年(延宝9年)、旧暦の8/14から3日間開催されたのが始まりとされています。


まず9/14に、盛岡城内の八幡社から御神霊を神輿に移し、新八幡宮(盛岡八幡宮)まで渡御の御列を配して進み、新八幡宮に到着すると、御本殿にお祀りすることから祭事がスタートします。これが『神輿渡御』となります。


その後の1709年(宝永6年)、南部藩の街造りが完成した際に、『神輿渡御』に山車や丁印(ちょうじるし)がお供するようになったそうです。

『丁印』とは、当時の盛岡では、「町」を「丁」と書いていたことから『丁印』と呼ばれるようになったそうですが、謂わば「町のシンボル/標識」のことだそうです。


元々は、町の『丁印』を八幡宮に奉納することから始まったものなのですが、その後、各町が『丁印』の豪華さを競うようになり、それが『山車』になったと言われています。(右の山車は去年の物で「ねこバス」と有名になったものです)


最盛時、1803年(享和3年)頃には、盛岡城下23丁から『山車』が奉納され、『山車』を飾る人形が余りに大き過ぎたために、盛岡城の城門を入れずに、脇で待機させられた、と言う珍事もあったそうです。


昔は、山車は、高く、そして大きく作るのが主流でしたが、時が流れ、電線や高架等が張り巡らされるにつれ、山車も小型化していったようです。

過去には、9メートル以上もある山車も実在し、現在では「もりおか歴史文化館」に、その大物の復刻版が常設展示されています。(現在は、展示だけで、実稼働は無理みたいです。)

この【盛岡山車】は、京都祇園祭や江戸三社祭の出し物の長所を取り入れて作られた、と言われており、制作物には、次の4つ要素を取り入れる決まりがあるそうです。

■天:松・桜・藤
■人:人形
■地:岩、あるいは牡丹や竹
■海:波・シブキ・滝

下図の写真を見てみると、確かに「松」、「人」、ちょっと不明確ですが「岩」、そして「波」が組み込まれています。

ちなみに、山車1台に付き約200万円の作成費用が掛かるそうです。当然、寄付金だけでは作成できないので、盛岡市からも僅かながら補助金が出ているようです。

長い歴史があるので、とても全ては紹介できませんが、『山車』の題目としては、次のような演題が多いようです。


【歌舞伎物】歌舞伎十八番の「暫」や「矢の根」が中でも多く、次いで「鳴神」や「助六」、「押戻」、「勧進帳」も取り上げられます。他にも、「連獅子」、「鏡獅子」、「碁盤忠信」、「吉例 寿曾我対面」等、数多くの歌舞伎物があります。



【軍記物】岩手県に縁のある源義経源平合戦にちなんだ演題は、過去大変多く山車の演題として取り上げられてきました。源義経だけを見ても、「牛若丸」、「一の谷の合戦」、「屋島合戦」、「壇ノ浦の合戦」と数多くの演目があります。


【神話物】神話を取り上げた演題は、江戸時代から残る大変歴史の深い演題の一つです。山車自体が、【盛岡八幡宮】への奉納物であるため、神の依り代として神を模した演題を飾ることは、考えてみれば理にかなうことだと思われます。



【先人物】先人を称える演題も、江戸時代から残る演題です。南部藩主(南部信直公、南部利直公、南部重直公、南部重信公)が主に取り上げられたり、他にも、前九年の役後三年の役に関連して、安倍貞任・宗任兄弟等も取り上げられたりします。


【その他】動物を飾った山車や奉納物の山車も、かつて演題として大いに取り上げられました。明治期から昭和期にかけて、蛸や蛾、蝶、鯛等を張子細工で飾ったという傾向が記録に残っております。恐らく、これも山車自体が「奉納物」という考え方から、山車に「神様への捧げ物」としての飾り付けを施したのだろうと思われます。(右図は大正初期の番付け)


『番付け』とは、毎年の山車の演目を掲載した絵図になります。通常は、「丁印」毎に、有料で購入することができるようになっています。現在でも「番付け」は販売されており、だいたい500円〜とのことです。



そして、【盛岡八幡宮例大祭】の最後を飾るのが「神事流鏑馬(しんじやぶさめ)」となります。この「流鏑馬」にも決まりがあり、次の様な手順を踏んで実施されます。




【川原祓儀】流鏑馬の当日早朝、盛岡市内を流れる中津川の川原で弓を射るなどの奉仕員と馬が祓い清められます。

流鏑馬神前の儀】八幡大神様に本儀を執り行う旨の祭詞を奏上します。


【馬場清めの儀】馬場を祓い清め、更に一の的、二の的、三の的を特に念入りに祓い清めます。

【馬場入れの儀】太鼓役に続いて、素襖(すおう:江戸時代の武士の礼服)に侍烏帽子(さむらいえぼし)の装束をまとって、馬に悠然とまたがる総奉行が登場します。射手奉行3名、介添奉行3名も馬にまたがり、馬場を確認します。


【本儀】「本儀」にあたっては、総奉行はまず、乗出から静かに進み乗止に至り、 下馬して床几(しょうぎ)に腰掛けます。各的奉行が的を点検し、総奉行の合図で一の射手奉行から駆け出し、 馬上より一の的、二の的、三の的の順に射って乗止で駆を止め、静かに裏馬場に廻ります。 そこで一の介添奉行が乗出より駆け出し、馬上で扇を開き両手を上げて、前の射手奉行を賞賛して 「ヨウイタリヤ」と高らかに声を上げて走り、乗止めに至って馬を止め裏馬場へ廻ります。 一の射手奉行と介添奉行が乗出に戻ると、二と三の射手奉行と介添え奉行が同様に続けます。各々三度繰り返すと、奉仕員一同神前に向かい、馬上より拝礼し本儀は総て終了します。

これで全ての行事が完了しますので、9/16の夕方には、再び神輿に乗って八幡社にお帰り頂くことで、【盛岡八幡宮例大祭】は終了となります。

3日間と短いですが、この期間の盛岡は、祭り一色になります。普段は、物静かな盛岡ですが、是非この期間に盛岡を訪れて、普段は味わえない盛岡の熱気を楽しんで下さい。

《写真・資料提供》

■盛岡八幡宮ホームページ(http://www.morioka8man.jp/index.html)

■もりおか歴史文化館(http://www.morireki.jp/)

※本記事は、弊社ホームページでもご覧になれます。(http://msystm.co.jp/)