盛岡の「裸参り」について

今回は、盛岡の「裸参り」についてご紹介したいと思います。

「裸参り」、あるいは「裸祭り」は、日本全国、北は北海道から南は九州まで、約70箇所で開催されています。

その内、12月から翌年の2月の冬季に開催されているのが約40箇所(57%)ですので、冬季に開催されているケースが多いようです。(何故か沖縄には「裸参り」の風習はありませんが、やはり暖かいからですかね?)

そして冬季に開催されている全国の「裸参り」の内、全体の1/4、20%である8箇所が岩手県で開催されています。

さらに、驚くべき事は、岩手県の「裸参り」8箇所の内、なんと7箇所が盛岡市に集中しているのです。整理すると、日本全国の「裸参り」の内、盛岡の「裸参り」が、全体の10%を占めているのです!!

ちなみに、岩手県の「裸参り」の残り1箇所は、JRのポスターで話題となった奥州市黒石寺の「蘇民祭」です。


何故、盛岡市に「裸参り」が集中しているのかは不明ですが、この行事も盛岡藩の藩政時代から伝えられてきた行事になります。決して、盛岡市民が「裸」好きと言う訳ではないと思います。

一般的に「裸参り」は、1年間の「無病息災」や「五穀豊穣」を願うものや、「厄払い」の意味を持つものが多く、盛岡の場合も同様です。

噂では、盛岡の「裸参り」の起源は、江戸中期に、松尾神社(松尾町)へ南部杜氏(※1)らが祈願した事が始まりとありますが、ひょっとしたら、この事が、盛岡で「裸参り」が多い理由かもしれません。(松尾神社は後述する盛岡八幡宮の隣にあります)


ところで、盛岡の「裸参り」は、氷祥院(材木町)、不退虚空蔵堂(仙北町)、教浄寺(北山)、盛岡八幡宮(八幡町)、夕顔瀬浅草観世音(夕顔瀬町)、桜山神社(内丸)、および加賀野大日如来(加賀野)で開催されますが、今回は、その中でも一番規模が大きく有名な、盛岡八幡宮の「裸参り」をご紹介します。

盛岡八幡宮の「裸参り」は、毎年1月15日の16時30分から、お風呂で心身を清めた氏子や消防団、あるいは町内の若者等100人以上が、盛岡市肴町を起点に、八幡宮までの約1Kmを、各組に分かれて参拝します。



その「いでたち」は、頭に鉢巻き、背中に注連縄(しめなわ)を負い、腰に「けんだいわら(※2) 」を垂れ、トウガラシを入れた紙を口にくわえ、素足に「わらじ」を履き、鈴振りや提灯、紙の「はさみ」、あるいは供物の三宝を持ちながら、一列に隊列を組みながら、独特の歩調で、一歩一歩ゆっくり歩いて参拝します。


「独特の歩調でゆっくり」と書きましたが、本当にゆっくりです。1Km位の行程なので普通に歩けば10分位ですが、「裸参り」の場合は、ゆうに一人20〜30分位は掛ると思います。それが100人以上ですから・・・見ている方は「エンドレス」の気分です。

私も、子供の時に見に行きましたが、寒空の中(軽く氷点下10℃位)、いつまで経っても終わらない行列に、見ている私の方が、寒過ぎてガタガタ震えていたのを覚えています。

「裸参り」は、参加される方は非常に大変ですが、見る方にも注意すべき点があります。

「裸参り」は、前述の様に、「無病息災」や「五穀豊穣」等のいわゆる「願掛け」をしています。

故に、隊列の途中を横切ると、「願掛け」が途切れるとして忌み嫌われていますので、注意して下さい。

道を横切る場合には、必ず団体の通過を待ってから行う様にして下さい。団体の先頭は、目印である「高張提灯(たかはりちょちん)※3」を掲げています。


それと、盛岡八幡宮の場合、同時に「どんと祭り」も開催されます。

これも他の地方と同様、お正月に使った「お飾り」を燃やして「無病息災」を願う行事で、こちらは10時頃から開催していますので、寒さが苦手な方は、「どんと祭り」の方が良いかもしれません。

しかし・・・盛岡の1月は、1年で最も寒い時期ですので、日中でも氷点下となる「真冬日」となる可能性も高く、どちらにしても完全防寒で見物に参加した方が良いでしょう。

「裸参り」も「どんと祭り」も、震災の影響も無く開催されますので、冬休みを利用して盛岡に来られる方は、完全防寒で、見物にいらして下さい。

※1 南部杜氏:通称「南部藩」と一括して呼ばれる領内(盛岡藩/八戸藩/七戸藩)から出身した杜氏
※2 けんだいわら:稲わらでつくった腰蓑のようなもの
※3 高張提灯:高く竿を掲げた提灯