「盛岡舟っこ流し」について

今回は、既に終わってしまいましたが、「盛岡舟っこ流し」について、その由来と内容を記載したいと思います。

「盛岡舟っこ流し」は、簡単に言いますと、「お盆の送り火」や「精霊船」の一種です。良く似たお盆の行事としては、長崎県の海沿いで行われている「精霊流し」があります。

盛岡の「舟っこ流し」は、全長2〜3メートルの舟を、町内会、あるいは寺院単位で作るところから始まります。舟は、船首を「龍」の頭にして、船体には寺院の札や故人の遺影を張り、船内には「墓石」を模した飾りを置いたり、提灯を飾ったりします。これを「舟っこ」を呼んでいます。

派手な「舟っこ」は、龍の目を電飾にしたり、口から煙を吐いたり、まるでアトラクションの飾りのようにした物まで登場します。



最終的には、全部で15艘位の「舟っこ」が作られ、送り盆の夕方、盛岡市内を流れる北上川明治橋付近に集められ、読経の後、褌姿になった関係者により川まで運ばれ、火を付けて流されることになります。近頃では、男性のみでなく、女性も参加していますが、こちらは褌姿ではありません(笑)



「舟っこ」の中には、(当然)花火や爆竹が仕込まれていますので、周囲が明るいうちは、煙だらけで良く見えませんが、日が暮れると、炎に包まれた「舟っこ」は幻想的になります。

また、今年は特に、東日本大震災がありましたので、犠牲者の霊のご供養も行われたようです。



このような「盛岡舟っこ流し」ですが、江戸時代の享保年間(1716〜1736年)に、南部氏三十代当主で南部(盛岡)藩第四代藩主「南部行信」の娘が、「川施餓鬼法要」を行った事が起源とされています。

その後、1815年、現在の盛岡市近郊「津志田」の売れっ子芸者十数名が、氾濫した北上川を渡船しようとした際に転覆して溺死、この芸者達の霊を慰めるために、舟に位牌と供物を乗せて流して以降、盛岡市近郊の人々の間で、「舟っこ流し」が盛んになっていったようです。

現在では、前述のように明治橋のみで開催されていますが、昔は、少し上流の夕顔瀬(ゆうがおせ)橋付近でも「舟っこ流し」が行われていました。

また、昔は、火を付けた「舟っこ」は、そのまま流されていましたが、現在では環境保護の観点から、少し下流の浅瀬で止めて、舟が燃え尽きてから回収しているそうです。

そして「盛岡舟っこ流し」が終わると、ほぼ同じ地点で、花火の打ち上げが行われます。これは規模も小さく、15分程度で終わってしまうので、花火を期待していると、ガックリしていまします。


花火に関して付けくわえると、毎年8月の第1土曜日に、「盛岡花火の祭典」が開催され、約10,000発の花火が打ち上げられるのですが・・・今年は、やはり東日本大震災の影響で中止になったそうです。

さんさ踊り」は開催したのですから、「花火の祭典」も開催し、ただでさえ元気が無い地域を活性化して欲しかったと思います。


来年は、8月に入ったら、「さんさ踊り」、「花火の祭典」、「舟っこ流し」と東北の夏を楽しめますので、是非盛岡にいらして下さい。