現在開催中の「盛岡さんさ踊り」について

今回は、昨日8月1日から4日まで、盛岡市中央通りで開催される「盛岡さんさ踊り」について、ちょっと触れたいと思います。

江戸時代 南部藩の頃から、盛岡市近郊各地で行われていた伝統的な様々な「さんさ踊り」を統合し、観光イベント化して1978年から開催を継続しているのが現在の「盛岡さんさ踊り」との事です。


さんさ踊り」は、伝承過程で名称や装束、踊り方等、地域によりタイプが異なるので、「さんさ踊り」の名称を使っていない「さんさ踊り」もありますが、現在は各地に伝わる踊りを基本に「統合さんさ」、「七夕くずし」、「栄夜差踊り」が統一された踊りとして「盛岡さんさ踊り」になったようです。


このため、私自身、高校時代まで盛岡市で過ごして来ましたが、「さんさ踊り」なる物の存在を、全然知りませんでした(笑)。


また、東北の祭りは「勇ましさ」が売りなのですが、比較的歴史が浅いのと、少し「地味な踊り」のため、開始当初は知名度が低く、「東北夏祭り」には仲間入りできなかったようです。


しかし、2007年のNHK朝の連続テレビ小説どんど晴れ』では、地元の協力で「盛岡さんさ踊り」が再現され、劇中エピソードの舞台として描かれましたし、今年の4月にもスペシャル版として放送されたのは記憶に新しいところです。


それに、2007年6月には、世界一の和太鼓の数の祭りとしてギネス世界記録に登録されたました。ちなみに、踊り手の総数は17,000人を超え、太鼓は10,600個、笛は700本で、参加者総数は延べ30,000人を数えるそうです。


このような開催者や地元マスコミの涙ぐましいPR等の結果、近頃では、ようやく「東北夏祭り※1」の仲間入りが出来つつあるようです。


さんさ踊り」の起源は、日蓮上人が伝えたもの、あるいはどこかの寺の念仏僧が教えた等と諸説がありますが、中でも最も有名なのは、「鬼の手形」で知られる盛岡市那須川町にある三ツ石神社の『三ツ石神社伝説』です。


この三ツ石伝説がいつごろから語り継がれてきたのかははっきりしませんが、「岩手」や「不来方(こずかた)」の地名の由来とともに伝えられてきました。

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昔々、岩手山が噴火したときのこと。三つに割れた巨岩がこの地方に飛んできました。その巨岩を人々は「火の中から飛んできた尊い石だ」と、あがめるようになりました。


その頃、この地方には羅刹(らせつ)という鬼がたびたび現われては、悪行の限りを働き、農民たちを苦しめていました。困り果てた人々が三ツ石様に鬼退治をお願いしたところ、三ツ石様は神通力で鬼を捕らえ、巨岩に縛り付けました。鬼は、「もう二度と悪さをしないし、この地にも二度と来ない」と必死に命乞いをし、許してもらいました。


その時、誓いの証しとして「今日以後良民に仇するなかれ」と岩の上に大きな手形を押させたのです。


それが、「岩手(岩に鬼の手形)」と、盛岡の別名「不来方」の地名の起源になりました。鬼の退散を喜んだ里人たちは大いに喜び祝い、三ツ石のまわりを「さんさ、さんさ」と感謝のまごころを捧げて踊ったのが、さんさ踊りの始まりだといわれています。

今でも、三ツ石神社には「鬼の手形」が残っており、雨上がりには、はっきりと手形が浮かび上がるそうです。

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と言う話を聞いて、私も家族と見に行きましたが、全然解りませんでした。皆さんも、一度「鬼の手形」を見にいらして下さい。

また「さんさ踊り」には、自由参加可能な日時があるそうですので、皆さんも参加されてはいかがですか。


※1東北夏祭り:青森ねぶた祭り、盛岡さんさ踊り秋田竿燈まつり仙台七夕 まつり、山形花笠まつり福島わらじまつりを加えて「東北六大夏祭り」とも言われています。