岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.9


今回は、前回の「民間信仰」シリーズの第8弾で紹介した通り、第9弾として、次の民間信仰を紹介します。

●お立木(オタテギ)信仰
●お不動様信仰


確かに、もうネタ切れ直前の状況ではありますが、何とか情報を集めて、あと1回、10回までは、このシリーズを続けたいと思っています。

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今回紹介する「お立木(オタテギ)信仰」は、岩手県宮城県の一部、岩手との県境付近で行われている行事で、正月に飾る「門松(かどまつ)」と類似した信仰になります。


「門松」自体、現在は、単なる「正月飾り」と化してしまいましたが、元々は、「歳神(としがみ)様」をお迎えするために、建物の前に祀られた、神聖な「依代(よりしろ)」です。


このため、後述しますが、宮城県南三陸町では、門松の根元部分を「オタテギ」と呼んでいますので、これは「門松」と「お立木」が習合した結果なのだと思います。

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次の「お不動様信仰」、これは説明する必要もないと思いますが、「不動明王」を祀る信仰です。


不動明王」は、後でも説明しますが、「大日如来」の化身とされ、様々なご利益があるとされるので、多くの方が信仰している仏様ですが、特に「厄難消除」にご利益があるとされています。


日本中、全国各地に「不動明王」を祀っている有名な寺社がありますが、その中でも、岩手県内の地味な場所を数箇所紹介します。



そして、今回、実は、もう一つ、遠野地域で行われている言う「九頭竜信仰」を紹介しようかと思ったのですが・・・どうやら、これは「ガセネタ」だったようです。


「九頭竜信仰」とは、日本各地に残る「九頭竜(大神)」に関する伝承/伝説をベースにした信仰で、有名な伝説としては、次の4種類の伝説をベースにした信仰があります。


【 長野県「戸隠山」の九頭竜伝承 】

9世紀頃、修験僧「学問」が、法華経の功徳により、九つの頭を持つ鬼を、この地の岩戸に封じ込めたが、その後、この鬼は善神に転じて「水神」となった。このため、この神は「九頭竜権現」として祀られるようになった。


【 (当時)越前国「白山」の白山信仰

奈良時代の「養老元年(717年)」、白山を開山した「泰澄」が、白山の主峰「御前峰」で修行を行っていた時に、十一面観音の垂迹である「九頭竜王」が現れ、これが後に「白山権現」と呼ばれるようになった。


福井県黒竜大神信仰」 】

第26代「継体天皇(450〜531年)」の時代、越前国の治水工事を行ったが、中でも、特に暴れ大河だった「黒竜川」を鎮めるため「黒竜大神」と「白竜大神」の二柱を祀ったが、その後、「黒竜大神」のみが日本を守護する「四大明神(※鹿島明神/熊野権現/厳島大明神)」の内の一柱とされた。


さらに、その後、平安時代の「寛平元年(889年)」、福井県勝山市「平泉寺」に「白山権現」が現れ、尊像を「黒竜川」に浮かべた所、九つの頭を持った竜が現れ、尊像を頂くように川を流れ下り、「黒竜大明神」 の対岸に流れ着いた。以来、「黒竜川」を「九頭竜川」と呼ぶようになった。



【 箱根の九頭竜伝承 】

奈良時代以前、「芦ノ湖(万字ケ池)」には「毒竜」が住み着き、毎年、箱根の村から、若い娘を人身御供として差し出す慣わしがあった。


箱根神社」の創始者とされる「万巻上人」が、この事を聞き及び、この「毒竜」を法力により調伏し、地域一帯の守護神とさせた。


そして、奈良時代の「天平宝字元年(757年)」、この地に「九頭竜神社(本宮)」を建立し「九頭竜大明神」として祀る様になった。

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と言うのが、日本各地に伝わる「九頭竜伝承/伝説」と「九頭竜信仰」です。


そして、当初、「遠野地域には竜(大蛇)がおり、この竜(大蛇)を退治して三つに切り刻み、それらを祀った神社がある。」と言う噂があったのですが・・・どうやら、これは「ガセネタ」のようで、全く裏付けが取れませんでした。


このような事情もあり、今回は、前述の通り、「お立木(オタテギ)信仰」と「お不動様信仰」の二つだけになってしまいました。


それでは今回も宜しくお願いします。

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■お立木(オタテギ)信仰


「お立木(おたてぎ)信仰」とは、庭や境内に立てた木を、神聖なものとして信仰する行事になります。


右の画像は、「蘇民祭」で有名な、岩手県奥州市の「黒石寺」の「お立木」です。


蘇民祭」に関しては、下記の過去ブログで紹介していますので、そちらもご覧下さい。


★過去ブログ:蘇民祭について - 岩手県人は裸好き ?


この「お立木」は、やはり「蘇民祭」の開催に合わせて、寺の檀家が、12月13日に、山から柴木を切り出してきて作るそうです。


黒石寺の社務所の庭先に、柴木を直径2mぐらいに揃え立て、柴木の真ん中辺りを、「淡路結び」にした中帯で締めます。


「淡路結び」とは、水引での結び方で、別名「鮑(あわび)結び」とも呼ばれる結び方ですが、紐の両端を引っ張ると、より強く結ばれるので、「縁結び」の意味があるとも言われています。


そして、中央の笹竹の上方に、桑の葉で作った「鏑矢(かぶらや)」のような「依代(よりしろ)」を、「明きの方(あきのかた)」に向けて刺しています。


形としては、「鏑矢」を空に向けて引き絞っている様になっています。


ちなみに、「明きの方」とは、「恵方巻き」で有名になった「恵方(えほう)」と同じ、その年において、縁起の良い方向の事です。


さらに、「何で縁起が良いのか ?」と言うと、その方向に、陰陽道において、その年の「福徳」を司る神「歳徳神(としとくじん)」が居るからとされているそうです。


歳徳神」は、別名「歳神(年神)様」、あるいは「正月さま」等とも呼ばれており、右図の通り、王妃のような容姿で現されているようです。


歳徳神」の由来には諸説あり、陰陽道で有名な「安倍晴明」が編纂したとされる「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごく-そうでん-いんよう-かんかつ-ほきないでん-きんうぎょくとしゅう)」と言う長ったらしい名前を持つ、占いの実用書によると、「牛頭天王」の后で、陰陽道における「八将神(はっしょうじん)」の母である「頗梨采女(はりさいじょ)」としているそうです。


また、「依代」とは、「神が降臨した際に乗り移る物/依り憑く物」を意味しており、樹木や石、あるいは御幣なども「依代」として使われるケースがあります。


黒石寺の場合、蘇民祭当日、この「依代」を目印にして、神々が降りてくるとされているようです。

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他方、岩手県遠野市では、小正月の行事の一つとして「お立木」を飾る風習があるそうです。


遠野市小友町では、12月20日に栗の木を切って新しく杭を作り、1月14日に飾りつけを行うそうです。


この小友町では、庭などに立てた栗の木の杭に、三尺〜五尺(90cm〜150cn)の楢や松の薪を副木として飾って祀っているそうです。

その後、この地域では、二月に行われる年祝いの時に「お立木の帯とき」と言って、作った「お立木」を解体し、杭は稲架(はさ)として、副木は薪として使用するそうです。


遠野市内では、この小友町以外でも「お立木」行事を行う地区があるそうですが、「お立木」を立てる日、場所、そして解体の日は地区によって異なるようです。



ちなみに、「稲架(はさ)」とは、聞き慣れない言葉だと思いますが、刈り取った稲を掛けて乾燥させるために、木を組んで作った設備です。


私が育った盛岡市でも、子供の頃は、秋になると、家の周りの田んぼに数多くの「稲架」があったものです。


子供の頃は、この「稲架」の中に潜り込んで、「稲わら」だらけになった事を思い出します。


しかし、正直な所、この木の枠組みを「稲架」と呼ぶ事は、今回、このブログを書くための調査で始めて知りました。


なお、遠野地域で行われる「お立木」の画像を探したのですが・・・どうしても見つける事が出来ませんでした。


遠野地域の小正月の行事を調査すると、どうも「みずき団子」を飾り付ける「お作立て」の画像ばかり現れて、肝心の「お立木」は、全く見つかりませんでした。済みません。


中には、この「お作立て」を「お立木」と勘違いしている記事もあるようです。

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また、これも画像の紹介は出来ないのですが、岩手県立博物館の調査によると、その他にも、岩手県内では、下記の地域で「オタテギ」に関する行事を行う風習があるとされています。


【 大船渡市 】

大船渡市では、「お立木立て」と良い、11月15日にナラの木を伐り出し、それを割ったものを、庭の木の根元に立てかけて置く。夕食にはタテギにお神酒などを供え、家内でも簡単に祝い事を行います。また、大晦日に神仏への供え物を作る燃料とするため、木や柴を2 把か3 把、山から伐って来て庭に立てて置き乾燥させる。家によっては木や柴を結わえるための縄をなう人は身を清めてから行ったと伝わっている事から、この時の縄ないは、単なる仕事ではなかったと考えられているそうです。


【 川井村(現:宮古市) 】

川井村でも、11月15日に正月用の供え物を炊く燃料を準備するが、それを「たたき立て」と言っているそうです。


釜石市

唐丹町では12 月11 日にナラやクリの木の「オタテギ」を、庭先の毎年立てている場所に立てています。「オタテギ」1把の大きさは、高さ約1m、直径約30cmとされています。正月が終わると、家中の注連縄を集めて「オタテギ」の前に供えるそうです。この木は、春に田の神様への供え物を煮る時の薪にするそうです。


また、釜石市栗林町では、唐丹町よりも1 か月以上も早い11月15日に、「オタテギ」という正月準備が行われています。大晦日に作る門松の中心になる柱にするため栗の木を2本伐って来て、1間半くらいの間隔を取って庭に立てるようです。


【 山田町 】

山田町でも同様の行事を行う、この日を「門松節供」等と言っているそうです。

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最後に、これは岩手県ではなく、宮城県南三陸町の「門松」を紹介します。


この「門松」は、南三陸町の入谷地区で飾られているそうですが、正月には、この「門松」を、「信心棚」と呼んでいる神棚の正面に当たる母屋の前に立てるそうです。


この「門松」の建て方は、先ず軒を超える高さの「シノグイ」という杉の柱を一対立て、根元には「三本オタテギ」という楢材の割木を立て、縄を三カ所で結び、シノグイの間に垂を下げた注連縄を渡すそうです。


興味深いのは、もうお解りだと思いますが、この「門松」の根本の木を「オタテギ」と呼んでいることです。


このため、岩手県各地で飾られる「オタテギ」も、このような形になっているのではないかと推測されます。


■ご不動様信仰


「不動信仰」。これも別に岩手県だけで行われている信仰ではなく、日本全国、到る所で行われている信仰です。


不動明王」は、仏教の本場であるインドや中国では余り信仰されていないようですが、日本では、平安時代初期に始まった「密教」の興隆と共に、日本全国に拡がりました。


密教の根本尊である「大日如来」の化身として、種々の異形の「不動明王」を生み出しながら、数多くの像が作られ、種々の煩悩を焼き尽くし、悪魔を降伏し、行者を擁護して菩提を得させる明王として信仰されています。


不動明王」は、次の「五大明王」の一員とされ、「八大童子」と呼ばれる眷属を従えた形で現される場合があります。


五大明王:降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王不動明王


しかし、実際には、「矜羯羅(こんがら)童子」と「制吒迦(せいたか)童子」を両脇に従えた、三尊の形式で絵画や彫像に表されることが多く、これを「不動三尊」、あるいは「不動明王童子像」等と呼んでいます。


代表的な不動妙尊像としては、三不動(黄不動,赤不動,青不動)の他に、「弘法大師(空海)」の持仏と伝えられる「教王護国寺(東寺)」西院御影堂安置の秘仏弘法大師が唐からの帰路海上に顕現し、天慶の乱、蒙古襲来の際にも活躍したという高野山南院「波切不動」などがあります。


・黄不動 : 円城寺蔵「絹本着色不動明王像」
・赤不動 : 高野山明王院蔵「絹本着色不動明王童子像」
・青不動 : 青蓮院蔵「絹本不動明王童子像」


前述の通り、仏教の本場であるインドや中国では、余り信仰されていなかったようですが、こと日本においては、山岳信仰で祀られていた「蔵王権現」と習合した後、単独で「不動明王」が祀られるようになった事から、「不動明王信仰」が日本全土に拡がったと考えられています。

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岩手県にも多くの「不動明王」を祀る場所があり、下記の場所は、昭和62年(1987年)に設定された「東北三十六不動尊霊場」となっているようです。


永福寺(真言宗豊山派) :盛岡市下米内。南北朝時代の創建。南部氏の盛岡移住により当地に移転。
・長根寺(真言宗智山派) :宮古市長根。平安初期、大同元年、「坂上田村麻呂」が勧請した薬師堂に由来。
・福泉寺(真言宗豊山派) :遠野市松崎町。歴史は非常に浅く、大正元年(1912年)佐々木宥尊が開創。
・興性寺(真言宗智山派) :奥州市江刺区。元和八年(1622年)、宮城県栗原郡より移転。「岩城氏(岩谷堂伊達氏)」祈願寺
・達谷西光寺(天台宗) :平泉町。大同二年(807年)円珍の開山。「坂上田村麻呂」が毘沙門堂建立。
金剛寺(真言宗智山派) :陸前高田市。仁和四年(888)、歌人大江千里」が恩赦で帰洛が叶った事に感謝し創建。


このように、岩手県内各地に「不動尊」を祀る霊場と呼ばれる場所があるようですが、上記以外にも、「不動明王」を祀っている場所は何箇所かあるようです。


不動尊としては、矢巾の「竜(龍)泉寺」、二戸市下斗米の「安養寺」、奥州市衣川区の「運際寺」などが知られているようです。


「竜泉寺」の不動尊は、元々は、「北谷地山」と言う山の中腹にある「熊野神社」に安置されていた物を、明治3年(1870年)に、麓の「竜泉寺」に移した物と伝えられています。


また、平泉町の「西光寺」には、藤原秀衡が祀ったと伝えられる平安後期作の木造不動明王像が安置されています。


この「西光寺」には、奈良時代末となる延暦20年(801年)、例の「坂上田村麻呂」が、当地の蝦夷を討伐した記念に建立した伝わる「達谷窟毘沙門堂」と言うお堂があります。


この場所は、JR東北本線「平泉」駅から、県道31号線を西に約6Km、車で10分弱の場所にあります。


この堂に祀っているのは、名前の通り「毘沙門天」なので、今回の話からは、ちょっと脇に逸れてしまいますが、入り口には鳥居も設けられており、神仏混淆の特等を良く現した寺社となっています。


加えて、この建物の岩壁の上部には「大日如来」、あるいは「薬師如来」と思われる大きな「磨崖仏」が掘られています。


私も、平泉「中尊寺」を訪れた際に、ついでに寄って観たことがありますが中々のものです。

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ここまでは、どちらかと言うと寺社に祀られている「不動信仰」の紹介でしたが、民間信仰としては、八幡平市安代町釜石市栗林町などでは、12月には、神仏にお供えをして人間より早く年を取ってもらうという「年取り」の風習があり、12月3日、あるいは12月28日を、「不動様の年越し(年取り)」としているようです。


しかし、何で、この「不動明王」を始め、神仏の「年取り」を、大晦日ではなく、12月中旬に行うのは分かりませんでした。



そして、12月中旬、早目に神仏の「年取り」を行うのは、どうやら東北地方が多いようです。


また、岩手県内各地に、不動明王の石像や石碑が祀られています。


上図は、盛岡市の隣の自治体である紫波町の日詰と言う場所にある「不動明王絵像碑」です。


ちょっと実物を見ないと分かり難いとは思いますが、「不動明王」が線で彫られているとのことです。


銘文には、鎌倉時代末期となる「元亨3年(1323年)」の4月8日とあり、岩手県内最古の絵像碑とされています。


これら、露天に祀られている「不動明王」は、お堂で祀られることを嫌い、お堂で祀ると火災を起こすと恐れられ、「裸不動」等と呼ばれているそうです。


他方、民家の座敷に祀られる事を好む「不動明王」もおり、お堂では祀らない事から「座敷不動」等と呼ばれている「不動明王」もいるとされています。


また、梵字で表現された波切不動の掛け図も各地に残されているそうです。


実物を探し出す事は出来ませんでしたが、上図の掛け軸は、室町時代の作品で、梵字で描いた「不動明王」とされています。


遠野市小友町では、「不動講」を起源として伝承されてきた「裸祭り」が現在でも行われています。


江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)、「厳龍神社」の別当であった修験者「源龍院仙林」が、拝殿を造営した翌年の不動講の日(1/28)に、講の数名を名代として裸参りを行ったのが始まりと伝えられています。


「厳龍神社」は、創建年代は不明となっているようですが、小友村「常楽寺」の開祖「無門和尚」が、寺の鎮護として「不動明王」を勧請して「巌龍山大聖寺」としたのが始まりとされています。


「厳龍神社」の背後にそびえる「不動岩」は、高さ約54mもあり、岩の割れ目が、龍がうねった形に似ていると言われ、岩の麓に「不動明王」を祀ったので、その名が付いたとされています。


その昔、修験者は、この岩の割れ目を、読経しながら頂上まで昇って修行をしたとも伝わっています。


しかし、現在では、残念な事に、明治5年の「神仏混淆禁止令」により、御祭神が「不動明王」から「日本武尊」に改められ、かつ寺社名も「巌龍神社」に変更されたと記録されています。

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また民間には、火を司る神様としての「不動信仰」があり、陸前高田を始めとした三陸地方では、不動様は炉の近くに住むとされ、その周囲は常に綺麗にしておかなければいけないと伝えられて来たそうです。


三陸の山田町には、その昔は「関口不動尊」呼ばれ、現在では「関口神社」となってしまった神社が、火伏せの神様として有名なようです。


山田町の関口地区には、宮古/下閉伊地方における「不動信仰」の本山とされている「金湯山関口神社」があります。


そして、この神社から道なりに林道を約4Km分け入った山中には、関口不動尊神社「奥宮」があります。


神仏混合の時代は、修験の寺であった「関口不動尊」は、「不動岩」とよばれる岩を本尊とした修験霊場として信仰されました。


さらに、里宮から奥宮まで「関口川渓谷」と呼ばれる清流が流れており、この渓流に身を浸すと、どんな難病でも治癒すると信じられていたようです。


戦前、釜石の製鉄所で働く工員たちは、「不動明王」の背後で燃え上がる炎にあやかり、危険な作業の安全のため「関口不動尊」を厚く信仰したとも伝えられます。


右の画像が、その昔は御神体となっていた「不動岩」で、現在は、この岩の窪みに「不動明王像」が祀られているようです。


不動明王」が小さくて分かり難いと思いますが、岩の中の「御幣」の後ろに、「不動明王像」が安置されています。


不動明王」を祀る神社らしく、多くの「剣」が奉納されているようです。


この「剣」は、「不動明王」が右手に持つ「剣」とされていますが、アニメの影響で、一部の人からは「降魔剣」等と呼ばれているようですが、本当の呼び名は「倶利伽羅剣(くりから-けん)」です。


この「倶利伽羅剣」は、密教における「三毒(三つの煩悩)」を打ち破る「知恵の剣」とされているようです。


また、この「剣」、密教においては、この「倶利伽羅剣」こそが、「不動明王」を象徴する物とされるほど、重要な持物となっています。


ちなみに、剣に巻き付いている龍は「倶利伽羅龍王」と呼ばれているようです。



また、どうでも良い、余計な話ですが、山田地方の銘菓「山田せんべい」も、「不動明王」の肌の色に似ていることから信仰の菓子として伝わったものとも言われているようです。


この「せんべい」は、江戸時代後期に、保存食として考案された食べ物だったようで、黒ゴマを練り込んで半乾燥させた「半生」状態で販売されているようです。


菓子の由緒としては、その昔、山田地方が大飢饉となった時、老婆の枕元に「飢饉に備え胡麻や米の粉、胡桃でせんべいを作れ」と神仏の託宣があったそうです。


その後、老婆が、ご託宣に従って真っ黒な「せんべい」を作り、飢饉から免れたという言い伝えがあるそうです。


そして、さらにその後は、前述の通り、地元の漁師や釜石製鐵所で働く作業員が、関口地区の関口不動尊を信仰するようになると共に、「山田せんべい」の真っ黒な色が、不動様の御神体の色と同じだという事で御利益があると噂になり、山田町の銘菓となって行ったとされています。

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また、「不動明王」は、「滝(瀧)」と強く結び付けられてようです。


不動明王」と「滝」が結びついた理由は諸説あり、どれもが「なるほど」と思いたくなる理由が付いていますが・・・結局の所、その理由は解っていないようです。


もっともらしい理由を何個か紹介しますと、


密教の修行方法との関係 】

密教では、「滝修行」を勧める傾向が強く、その中でも密教の経典「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」の中に、


『 静かな山林に入って清らかな地を求め、そこに霊場を作って修行をし、真言を唱える修行をすれば不動明王の姿を見ることができ、願いがかなう。また、河水に浸かって真言を唱え、また山の頂や樹の下、宗教的な施設内で真言を唱えれば願いがかなう。 』


と言う一説がある事から、「不動明王」と「滝」が結び付けられたと言う説です。


倶利伽羅剣との関係 】

前述の通り、「不動明王」と同一視される「倶利伽羅剣」には、「倶利伽羅龍王」が巻き付いています。


そして、「龍」と言えば「水神」です。


このことから、「不動明王倶利伽羅剣 = 倶利伽羅龍王 = 水神 = 滝」と言う感じで、習合して行ったと言う説です。



と言う事で、最後に、岩手県内で「滝」に祀られている「不動明王」を紹介したいと思います。


今回は、八幡平市高畠にある「不動の滝」を紹介します。


こちらは、下記ブログでも紹介した「瀬織津姫命」を祀る「櫻松神社」境内奥に位置する滝で、「日本の滝百選」の他、「岩手の名水二十選」にも認定されている滝となります。


★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 〜 謎多き姫神に触れる その5


高さ15mの滝が、白い飛沫を上げて垂直に流れ落ちる様は圧巻とのことです。


また、この「不動の滝」は、その昔は修験者の道場だったといわれ、森閑とした一帯は今なおその雰囲気が漂っており、滝の中程には「石彫不動明王」が祀られています。


その他にも、大船渡や大槌町など、様々な場所に「不動滝」があるようです。


やっぱり、「不動明王 = 滝」なのだと思います。

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今回、数は少ないですが、次のような民間信仰をご紹介しましたが、如何でしたか ?


●お立木(オタテギ)信仰
●お不動様信仰


「お立木信仰」は、まあ岩手県独特の民間信仰だと思われるので、このシリーズで紹介しても、余り抵抗は無いかと思います。


そして、この「お立木信仰」と「門松信仰」が習合したと言うのは、中々興味深い事だと思います。


しかし・・・「お不動様」に関しては、余りにも有名な民間信仰で、全国各地、到るところで信仰されていますので、「何だかな〜」と言う感じです。


本当は、「お不動様の年越し」について詳しい情報を紹介したかったのですが、こちらも意味や起源が全く解らず、何も紹介出来ませんでした。


岩手県では、12月に入ると大晦日まで、毎日のように「神仏の年越し(年取り)」が行われるそうです。


対象となる神仏は、お不動様を始め、お稲荷様、大黒様、恵比寿様、お薬師様、疱瘡神、山の神様、虚空蔵様、オカノカミ、八幡様、オシラサマ、子安様、蒼前様、馬頭観音、イモンバ様、厄病神様、大工神様、イタチ、聖徳太子、明神様・・・


もう、何が何だか訳が解らない神様の「年越し(年取り)」が行われているようです。特に、「イモンバ様」とは? とか「オカノカミ」「いたち」とか・・・


そもそも「イモンバ様」とは、一体、どんな神様なのでしょうか ? 何で、「いたち」を祀る対象にするのか ?


これらの事に関しては、引き続き調査する必要はあるかもしれません。ちなみに、「オカノカミ」とは、「田の神様」と同類の神様のようです。


それでは次回も宜しくお願いします。


以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・遠野文化研究センター(http://tonoculture.com/)
コトバンク(https://kotobank.jp/)
岩手県立博物館研究報告書(第31号/2014年3月)
・不動信仰辞典/宮坂宥勝
紫波町観光協会(http://www.shiwa-kanko.jp/)
・菓子工房「川最」(http://senbei.kawasai.net/)
・みやこ百科事典 ミヤペディア(http://miyapedia.com)