岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの Vol.5

岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの Vol.5

今回の「岩手・盛岡情報」では、「金勢様シリーズ」の第五弾を紹介したいと思います。

この「金勢様シリーズ」では、これまでに、過去4回、下記の通り、岩手県の北から順番に、(割りと)有名な「金勢様」を紹介して来ました。

岩手県内における金勢信仰 〜 何でこんなに沢山あるの ? Vol.1
何でこんなに沢山あるの ? Vol.2
何でこんなに沢山あるの ? Vol.3
何でこんなに沢山あるの ? Vol.4


二戸市 :4箇所(枋ノ木神社、蒼前神社、高清水稲荷神社、等)
八幡平市 :2箇所(藤七温泉、横間虫追い)
盛岡市 :6箇所(淡島明神社、智和伎神社、巻堀神社、等)
宮古市 :1箇所(日影の沢金勢様)
紫波町 :2箇所(走湯神社、新山金勢神社)
遠野市 :11箇所(山崎金勢様、駒形神社、多賀神社、早池峰神社、等)


遠野市は、本当に「金勢様」が沢山いらっしゃり、紹介する方も大変でした。



そこで、第五弾の今回は、これも、とても癖がある、次の5箇所を紹介したいと思います。

大沢温泉「金勢神社仮宮」
●鳥谷崎神社末社「金勢神社」
●三熊野神社末社「金勢神社」
●鼬幣稲荷神社末社「金勢神社」
●湯川温泉「高繁旅館」

今回は、上から4箇所が花巻市の「金勢様」で、最後の1箇所だけが西和賀町の「金勢様」になります。

最初の「大沢温泉」の「金勢様」は強烈ですが、それ以外は、ちょっと小粒かもしれません。

それでは今回も宜しくお願いします。


大沢温泉「金勢神社仮宮」


いきなり、トンデモナイ画像で済みません。でも・・・何か、女性の皆さん、とても楽しそうです。


こちらは、今回、最初に紹介する「大沢金勢神社仮宮」がある、花巻市の「大沢温泉」で毎年4月末、GWの期間に開催されている「金勢まつり」の画像です。


大沢温泉」は、東北新幹線新花巻駅」からタクシーで35分、東北自動車道「花巻南IC」から車で15分、かなり山合の一軒宿の温泉です。


「山合の一軒宿」と言うと、秘湯の小さな温泉宿の様なイメージを抱きますが、この「大沢温泉」は全く違います。


建物だけでも、新館「山水閣」、160年前に創建された「菊水館」、200年以上の歴史がある「湯治屋」の3箇所もあり、総勢で600名位は宿泊できるキャパを持つ、大きな温泉宿です。


また、温泉も、混浴や女性専用風呂を含めて6箇所もある、大規模な温泉施設になります。


言い伝えでは、いつも登場する「坂上田村麻呂」が平安時代に発見したと伝わっており、江戸時代には、南部藩の藩主もたびたび訪れ、上記「菊水館」が定宿となっていたそうです。


また、前回のブログで紹介した「宮沢賢治」もお気に入りで、教師時代に、生徒を引き連れて通っていたそうですし、戦時中には、花巻に疎開していた「高村光太郎」もお気に入りだったそうです。


温泉の紹介に関しては、別シリーズとなる「岩手の温泉」シリーズで紹介したいと思いますので、今後にご期待下さい。



さて、そんな「大沢温泉」ですが、ここには、「大沢金勢神社」の仮宮となる「金勢神社仮宮」が有ります。


「大沢金勢神社」の本社は、温泉の背後にある「大久保山」の中腹に有ります。


御神体となる「金勢様」ですが・・・残念ながら、実は、それほど歴史がある「金勢様」ではないようです。


本宮にある説明看板によると、昭和46年8月20日、本シリーズの「Vol.2」に登場した、現在、日本における「金勢信仰」のルーツではないかと言われている「巻堀(まきぼり)神社」から分霊された物とのことです。


実際の御神体は、地元「大沢」に住んでいた「照井政弘」と言う人物が、ケヤキで製作した木製の御神体で、長さ「1.4m」、重さ「150kg」もある、立派な御神体とのことです。



この御神体ですが、冬季だけ、この「大沢温泉」の仮宮に安置され、5月に本宮にお戻りになるそうです。

そして、4月末に開催される前述の「大沢温泉金勢まつり」で、御神体が本宮にお戻りになる前に、神事を行い、その後、御神体を温泉に入れて、洗い清めてから本宮にお戻りになって頂くのが決まりの様です。


と言う事で、この「大沢温泉金勢まつり」の模様を紹介します。



まず、前述の画像の通り、仮宮で神事を執り行った後、御神体を仮宮から持ち出して、神輿に移し、温泉内を練り歩き、温泉施設内にあるロータリーに安置します。


なお、その際には、御神体のオプションとも言うべき「タマタマ」も一緒に持ち運日ます。


この画像は、人間が持って運んでいますが、現在では、台車に乗せて運んでいる様です。見るからに辛そう・・・



そして、ロータリーで開会式が行われた後、神楽や金勢太鼓なるものが奉納されている様です。


さらに、普通の祭りなら、餅や豆が来場者に撒かれるのですが、この祭りでは、穀物生産高日本一を誇る、花巻の「雑穀」が撒かれるそうです。


しかし、この「金勢太鼓」ですが、太鼓のバチが、非常にヤバイ・・・


これら儀式が終了すると、いよいよ御神体の「清めの儀式」と「ご入浴の儀式」が始まります。



今度は、御神体を、温泉内「自炊部」の露天風呂まで運び、ここでも神事が執り行われ、その後、入浴前の「清めの儀式」が執り行われます。


これは、参加者が、御神体をタオルで磨き上げることになります。


そして、「清めの儀式」が終わると、次は「入浴の儀式」に移ります。



「入浴の儀式」は、本章のトップ画像のように、一人の女性が御神体に跨ったまま温泉内を一周します。


そして、当然、後には、オプションの「タマタマ」が続く事になりますが、これで、一連の儀式が終了となります。


その後、この御神体は、GWが終了する5月5日まで仮宮で過ごされ、翌6日には本宮に移され、11月までは本宮に安置されるそうです。



ところで、儀式に参加する女性達ですが、当初、温泉関係に務める地元の女性なのかと思ったのですが、毎年、一般の女性を募集している様です。


大沢温泉のスタッフ・ブログを拝見したところ、(ちょっと古い内容ですが)2009年には、東京から3名、岩手、宮城、神奈川、広島、富山から各1名と、全国各地から「子宝」を祈願する女性が参加したそうです。


「金勢様」が入った温泉に入力すると、縁結びや子宝に恵まれると伝わっていますので、その結果どうなったのかと言うと・・・翌年、2名の方が、「子宝」に恵まれたと言う報告が届いたそうです。



「25%」の確率と言う事は、まあまあの結果だと思います。


もともと、過去ブログにも記載しましたが、「温泉」と「金勢様」は愛称が良いと言われています。


つまり、「温泉 = 女陰」で、温泉が枯れないように、「金勢様」を祀っているとも言われています。


ちなみに、この「大沢温泉」は、敷地内に「大沢温泉神社」もあり、こちらにも石の「金勢様」が祀られています。



この「大沢温泉神社」は、御神体は「薬師如来」となっています。


これは、温泉の「薬効」と「薬師如来」が、密接に繋がっているからで、全国各地にある温泉神社では、そのほとんどが「薬師如来」が御神体です。


大沢温泉神社」の例大祭は、毎年4月8日となっており、「金勢まつり」より、一足先に行われているそうです。



また、境内末社として「お稲荷様」、「子安観音菩薩」なども、祀られているそうです。


但し、こちらの「温泉神社」に関しては、由来/縁起等は、全く解りませんでした。


また、この「温泉神社」、前に、この石の「金勢様」が安置されている事から、こちらを「金勢神社」と勘違いしている人も沢山いるみたいです。


■鳥谷崎神社末社「金勢神社」


次も、同じ花巻市にある「鳥谷崎(とやがさき)神社」の境内末社になる「金勢神社」になります。


この「鳥谷崎神社」、創建時期は解らないそうですが、鎌倉時代となる「正和二年(1313年)」、当時の領主となる「稗貫(ひえぬき)氏」が、現在の「吹張(ふつぱり)町」にあった「八幡社」を、当時の「鳥谷崎城」の城内に遷宮した事が解っているそうです。


そして、その後、戦国時代となる「天文五年(1536年)」に、「八幡社」と鳥谷崎城内に勧請していた他の二社(鳥谷崎神社/稲荷神社)と一緒に合祀し、社号を「鳥谷崎座三柱神社」と改称したのだそうです。


さらにその後は、安土桃山時代の「天正十九年(1591年)」、「稗貫氏」は、「小田原征伐」に参加しなかった事から、秀吉による奥州仕置で所領没収となり滅亡し、この地は「南部氏」の領地となりました。



南部氏は、一族の「北 秀愛(きた ひでちか)」を城代として赴任させると共に、城の名前も「花巻城」と改称したそうですが、「鳥谷崎座三柱神社」に関しては、引き続き、南部氏や北氏も崇敬したそうです。


江戸時代の「宝永元年(1704年)」には、「花巻三社祭」と称して、領内全てを休日とする盛大な神輿渡御を行い、この祭りが、現在では「花巻まつり」となり、山車10数台、神輿も100数十台参加する、豪勢な祭りとなっています。


「花巻まつり」に関しては、岩手の秋祭りとして過去に紹介していますので、そちらもご覧下さい。


★過去ブログ:岩手の秋祭り


近代になると、明治末に、町内の三社を合祀した上で、現在の社号「鳥谷崎神社」に改称されると共に、境内の一角に、花巻城の建物の中で唯一現存していた「円城寺門」を移築/保存しているそうです。




さて、そんな由緒正しい神社の末社に「金勢神社」が有ります。


この「金勢神社」に関しては、何時、誰が、何のために勧請したのか等、全く解りませんでした。


但し、ご覧になって解る通り、この神社、出来て間もない様に見受けられます。



実際、Web上には、「平成21年(2009年)」に建立された神社、と言う記事も見受けられます。


神社の中には、このような御神体が祀られていますが・・・確かに、新しい御神体のようにも見えますし、何か、自然に作られたものではなく、人工物の様な感じがします。


但し、現在では、これも情報が定かではありませんが、毎年5月に「花巻金勢神社例大祭」なる催しが開催されている様です。



そして、この例大祭では、ちゃんと神楽も奉納されているようですので、それなりに、ちゃんと祀られているのではないかと思われます。


が・・・花巻観光協会等、花巻のイベントが記載されている、どのホームページの情報を見ても、「花巻金勢神社例大祭」なるイベントは掲載されていませんでした。


何か、「秘密結社」ではないと思いますが、不思議なイベントです。


それと、この画像は、「金勢神社」の脇に建ててある説明ですが・・・一体、誰の言い伝えなのでしょうか ?



■三熊野神社末社「金勢神社」


今度も、同じ花巻市にある、「三熊野神社」に安置されている金勢様の紹介になります。


先程の「鳥谷崎神社」は、花巻城の跡地にあるので、花巻市の中心地になるのですが、こちらは、市内中心地から約12Km離れた山合にある神社となります。


正式名称は、お解りの通り「熊野神社」です。


しかし、タマタマではなく、またまた登場する「坂上田村麻呂」が、蝦夷との戦いの際、山に登って、遠く紀伊国にある「熊野三山」に戦勝を祈願した事から「三熊野神社」と呼ばれているそうです。


この「三熊野神社」は、実は、「金勢様」に関しては全く無名で、「泣き相撲」発祥の地として全国的に有名な神社なのです。


この神社に関しては、もう2年以上も前になりますが、本ブログで紹介しています。


★過去ブログ:毘沙門まつり 〜 全国泣き相撲大会


「泣き相撲」等、この神社に関する詳しい情報は、過去ブログをご覧になって頂ければと存じますが、「泣き相撲」も、やはり「坂上田村麻呂」に起源があるとされています。



また、神社境内にある「毘沙門堂」に安置されていた「兜跋(とばつ)毘沙門天立像」も有名で、国指定重要文化財になっています。


ここに安置されていた「兜跋毘沙門天立像」は、高さ4.73mもある、ケヤキの一本彫立蔵としては日本一の高さで、京都東寺、九州太宰府の2体と共に、「日本三大兜跋毘沙門天」と呼ばれているそうです。


本当に、日本人は、「三大何とか」が好きですよね ?! これらの情報も、上記、過去ブログに記載しています。



さてと、いよいよ「金勢様」の紹介ですが・・・簡単に終わってしまいそうです。


右の画像が、「泣き相撲」の土俵となりますが、その中央に、何か物体が安置されているのが解ると思います。


そう、これが「金勢様」、そして、その後ろの木が「女陰」になるそうです。



そして、何故、そして何時から、この場所に「金勢様」が安置されているのかと言うと・・・全く解りませんでした。


恐らくは、全くの推測ですが、江戸時代から、この地で「泣き相撲」が開催され、子供との縁が深かった事から、左の画像にもある通り、「子宝祈願」のため、「金勢様」が安置されたのではないかと思われます。



しかし・・・神聖な土俵の中に、「金勢様」は、まだ良いとしも、「女陰」は、如何なものなのでしょうか ?


特に、土俵においては、現在でも「女人禁制」ですから、「女陰」は、マズイのではないかと思いますが・・・どうなのでしょうか ?


まあ、ここは、正式な土俵では無いと思いますし、元々、男女の区別なく「泣き相撲」を行っている訳ですから問題が無いのかもしれませんネ。


この「金勢様」と「女陰」は、今であ常識になりつつある「ダイバーシティ(多様性)」を体現しているのかもしれません。



とは言え、過去ブログにも記載していますが、この「泣き相撲」には、イベントとして行う「全国泣き相撲」と、神事として行う「泣き相撲」の2種類があります。


そして、イベントの方は、前述の通り、男女の区別無く参加可能ですが、9月の例大祭の時に、神事として行われる「泣き相撲」は、地元の氏子の「長男」しか参加出来ません。


やはり、そこは「神事」なので、厳しい決まりがあるようです。


しかし、何れにしても、何故、「金勢様」と「女陰」が安置されているのかは、全く解りませんでした。



■鼬幣稲荷神社末社「金勢神社」


花巻市の最後を飾るのは、「鼬幣稲荷神社」の境内末社となる「金勢神社」となります。


しかし、この「鼬幣」と言う漢字・・・なんと読むか解りますか ?


色々なサイトで「いたちべい」や「いたちへい」と読んでいるサイトもあれば、「いたちべ」と読んでいるサイトもあり、混乱しているようです。


しかし、地元、花巻市の中央コミュニティ会議では、「いたちべい」と読んでいるので、恐らくは、「いたちべい - いなり」と読むのが良いのかもしれません。


また、地元では、単に「いたち神社」と呼ぶケースも有るようです。


さて、神社の名前はさて置き、この「鼬幣稲荷神社」は、またまた出てくる「南部藩三大稲荷」の一つ、南方向を守る稲荷神社なのだそうです。



北方向を守るのが、二戸市福岡にある「呑香(とんこう)稲荷神社」、真ん中、中央を守るのが紫波郡紫波町にある「志和稲荷神社」となっているそうです。


このように、盛岡藩の南を守る稲荷神社として、歴代藩主も崇敬していたことから、神社の敷地は広く、社殿も朱塗りで豪華な造りとなっています。


非常に珍しい造りで、本殿には、屋根が付けられています。


この変な、と言ってはバチが当たりそうですが、変わった名前の「お稲荷さん」には、ちゃんとした由緒があるそうです。


昭和2年から昭和5年に出版された「南部叢書(そうしょ)」と言う、江戸時代における南部藩の史料を集めた書籍の第9巻「二郡見聞私記」に、この「鼬幣稲荷神社」の起源が書かれています。


「南部叢書」は、岩手銀行常務や岩手日報社社長も務めた郷土歴史家「太田孝太郎」氏が編集した書籍で、当時の風土記、地理紀行、詩文、伝奇、漂流記等、多岐に渡る文献を収録しているそうです。


そして、「鼬幣稲荷神社」の起源が、次のように記載されています。


当時の花巻郡代「野々村字右ェ門」なる者が、ある日、夢の中に白髪の老人が白狐に乗ってきたり「われは稲荷なり、汝支配する下根子に垂跡せん」とのお告げがあった。


夢が覚めた翌日、水ごりを取って現地(下根子)を訪れて見ると、「石神五郎助」と言う者の土地にある川端の大石に、白紙一帳あり、そこへ「鼬」がはせ来たり、その白紙を咥えて西方に走り出した。


後をついて行くと、白紙は「御幣」となり、現在の神社の場に置き、「鼬」は消え失せた。


この神体が鎮座された時、山が二つ割れ、清水が湧き出たという。現在も本殿の後ろが割れて、沢になって水が湧いて居ります。


鼬幣と申所以是也



歴史的には、江戸時代が始まった「元和(げんな)元年(1615年)」に、この地に鎮座した後、「天和(てんな)元年(1681年)」、盛岡藩第四代「南部 重信」から社地が寄進され、社殿が創建された事になっているようです。


その後、「享保十年(1726年)」の6月9日に、当時の「中御門天皇」より正一位を授けられており、現在の本殿は、江戸時代後期の「文化十年(1813年)」に、「高橋甚七」と言う棟梁により再建された事が棟札に記録されています。



先の「縁起」は、何とも不思議な話で、非常に興味深く、実際、縁起にもある通り、境内には、湧水で出来た池も有ります。


しかし、史実に照らし合わせて見ると、何か、辻褄が合わない箇所もあるようです。


花巻郡代として登場する「野々村字右ェ門」ですが、彼が花巻郡代になったのは、江戸時代中期の「宝永六年(1709年)」の7月2日だった事が、盛岡藩家老が記載していた盛岡藩「雑書」に記載されています。


なので、稲荷神社が、この地に鎮座してから、およそ100年も後の話となってしまいますので、前述の縁起は「後付け」の話なのではないかと思われます。



また他方、この神社の神主の息子に「阿部 孝」と言う高知大学の学長にもなった英文学者が居るそうですが、あの「宮沢 賢治」の親友だった様で、「宮沢 賢治」が詠んだ短歌に、次のような詩があるそうです。


『 這ひ松の なだらを行きて 息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る 』
『 これはこれ 水銀の海のなぎさにて あらわれ泣くは 阿部のたかしら 』



まあ、そんなこんなで、歴史のある「鼬幣稲荷神社」ですが、他の古い神社と同様、様々な神様が合祀されており、その中の一柱が「金勢様」となっています。


主祭神は、稲荷神社なので、当然「宇迦之御魂命」と「豊受姫命」ですが、その他にも「熊野神社」、「八雲神社」、「水天大滝神」、「三宝荒神」等が合祀されています。



そして、肝心の「御神体」ですが・・・残念ながら、お隠れになってしまっています。


左の画像が拝殿内部なのですが、奥の布の中に隠れている様です。


色々と情報を探ったのですが、ここの「金勢様」の画像は見つける事が出来ませんでした。う〜ん、残念・・・


今回で、シリーズ5回目となりますが、御神体が隠されているのは初めてです。



■湯川温泉「高繁旅館」


今回の最後は、岩手県北上市秋田県横手市の間にある西和賀町湯田温泉峡 の一つ 湯川温泉「高繁旅館」となります。


この温泉は、JR北上線ほっとゆだ」駅から、県道215号を、10分ほど南下したところにあり、大正時代に創業した老舗の温泉旅館です。


この温泉には、露天風呂を含め、8個の温泉があり、露天風呂には、「金勢大明神」と初代当館主人が山奥で発見したと伝えられる「本女滝」を再現した湯口があるそうです。


この湯田温泉は、古くからある湯治場で、この温泉峡(「郷」ではなく「峡」)は、江戸時代初期となる「万治元年(1658年)」に、「湯本温泉」が発見されたことから始まっています。


「湯本温泉」と言う旅館施設はなく、この付近の旧地名「湯田」付近一体の温泉を指しています。


この「湯田」付近は、岩手県内でも、一二を争う「豪雪地帯」で、毎年、「北日本雪合戦」が開催される事で有名な場所です。


★過去ブログ:Yukigassen / ほっとゆだ北日本雪合戦大会



さて、「金勢様」の話ですが・・・


旅館のホームページには、「金勢がよくなる、豊作、子宝、良縁、安産などのご利益があり、繁栄につながる有難い明神様」と書かれていますが、何故、ここに「金勢様」があるのか等の説明は、一切ありませんでした。


また、「本女滝」は、明確に「再現」と言っていますので、人工物だと思いますが、その隣の「金勢大明神」は、自然石のようにも見えますが・・・



ちょっと問題があるかもですが、アップにすると、自然石には見えないような感じがします。


そもそも、この露天風呂の場所に、偶然を装って、忽然と現れているのが不自然です。


「本女滝」と同様、自然石を運んで加工したか、あるいはセメントで製作したのではないかと思われます。


また、館内にも、「金勢様」を祀っている場所があるようです。



そして、ここに「金勢様」の由緒を記載した物があるのですが、何を書いているのかは解りませんでした。


また、ホームページには、6月7日には「金勢まつり」も行われているような事が書かれていましたが、これも詳細は解りませんでした。


まあ、今回の最初の「大沢温泉」の章にも記載しましたが、温泉と金勢様は相性が良いので、この「高繁旅館」も、それと同様の効果を狙ったのだと思います。



湯治場にもなっていますから、温泉の質としては良いのだと思います。


ちなみに、この画像は、「金勢様」と同じ、この旅館の「売り」の一つである、「黄金風呂」です。


それで、何故、「黄金風呂」なのかと言うと・・・これも特に理由は無く、その昔、近くに金鉱山があった事と、平泉の「金色堂」にあやかっただけの事の様です。


別に、この「黄金風呂」に入る事で、特別な効能がある訳でな無いようです。


この旅館は、「茶目っ気」たっぷりの旅館のようにお見受け致しました。



また、西和賀町には、過去に何度も紹介している「白木野の疫病送りの藁人形」と言う、人形系の「金勢様」が有ります。


しかし、この「白木野の人形送り」に関しては、過去のに「冬の歳時記」として、別枠で紹介してしまったので、今回は、詳しい紹介は割愛します。


詳細を知りたい方は、過去ブログをご覧になって下さい。


★過去ブログ:冬の歳時記〜寒いのにご苦労様です(20150124.html)



今回は、下記5箇所の「金勢様」を紹介しましたが如何でしたか ?


大沢温泉「金勢神社仮宮」
●鳥谷崎神社末社「金勢神社」
●成島毘沙門堂・三熊野神社
●鼬幣稲荷神社末社「金勢神社」
●湯川温泉「高繁旅館」


最初の「大沢温泉」は強烈だったと思いますが、段々とインパクトが弱くなり、最後は、「オマケ」みたいになってしまった感が有ります。


まあ、これも、シリーズ5回目ですから、致し方無いのかもしれません。済みません。


この「岩手の金勢様」シリーズも、第1回となる、岩手県の最北「二戸市」から始まり、今回は、花巻市/西和賀町と、県南部に突入しました。


あと紹介していないのは、北上市奥州市、一関市などになりますが・・・皆、ちょっとインパクト的には弱い感じがします。


これまで紹介してきた「金勢様」のインパクトが強すぎたのかもしれません。



次回も宜しくお願いします。


以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
・一般社団法人花巻観光協会公式サイト(http://www.kanko-hanamaki.ne.jp/index.html)
・ウチノメ屋敷レンズの目(http://www.uchinome.jp/index.html)
・知識の塵の中に蟄居していても宇宙の秘密を知悉することはできない(http://papurutentakuru2.hatenablog.com/)
大沢温泉ホームページ(http://www.oosawaonsen.com/)
岩手県神道青年会(http://ganshinsei.jp/)
・湯川温泉高繁旅館(http://www.takashige.net/top.php)
盛岡市中央公民館(http://www.city.morioka.iwate.jp/kurashi/kokyoshisetsu/kominkan/chuo/index.html)

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