毘沙門まつり 〜 全国泣き相撲大会〜


今回は、全国各地で開催されている「泣き相撲」の内、「泣き相撲」発祥の地と言われている花巻市東和町北成島にある「三熊野神社」で開催される、その名も「全国泣き相撲大会」を紹介したいと思います。


この大会は、今年で第28回となっていますが、実際の歴史はかなり古く、幼児同士の相撲になったのが江戸時代の宝永七年(1706年)と伝えられていますので、今から300年以上も前の事になります。

もともとは、集落単位に若者が参加する、れっきとした大人の相撲だったようです。


これも言い伝えですが、奈良時代末の延暦年中(782〜806年)、「坂上田村麻呂」が、戦勝の祝宴をこの地で開いた際に、猿ケ石川を境とした南北・両成島の青年(22歳)に相撲を取らせ、相撲に勝った側の集落に、「坂上田村麻呂」が、豊作を約束した事に由来する神事であると言われています。


その後も、猿ケ石川を境とした南・北成島の青年による相撲は続けられたそうですが、勝利した方に豊作をもたらすという占いが、流血の争いとなったことから、先の宝永七年(1706年)、神社氏子の長男で、数え2歳の幼児による泣き相撲に変わり、南北にわかれ6組で取り組みを行い、先に泣き出した方が負けと決められたそうです。


現在は幼児成長と豊作を祈る行事として続けられていますが、江戸時代から続く民族行事であることから、平成5年(1993年)に町の無形民俗文化財に指定されています。


今回は、この「泣き相撲」の仕来り等と、相撲の開催場所である「三熊野神社」の由緒や、敷地内にある「毘沙門堂」にある木像一木彫では日本一大きな「兜跋毘沙門天(とばつ-びしゃもんてん)」等について紹介したいと思います。


それでは今回も宜しいお願い致します。

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■「泣き相撲大会」の内容


「泣き相撲」のルール、それは簡単、泣いた方の負けです。


簡単に説明すると、これだけになってしまいますが、本番と全国大会とではルールが違います。ここで言う「本番」とは、神社への奉納相撲を意味します。


実は、「全国泣き相撲大会」は、観光客向けに、5月のGW期間中に行われるイベントですが、神社への奉納相撲は、毎年9月19日に行われる「成島三熊野神社例大祭」で行われる神事になります。


「成島三熊野神社例大祭」は、れっきとした神事ですので、「一見さん」は参加できません。地域の氏子しか参加できない決まりがあります。


それでは、全国大会の内容と、例大祭の神事の内容を、それぞれ紹介したいと思います。

●全国泣き相撲大会


まずは、神社に関してですが、由来等の詳細は後の章で紹介しますが、神社自体が山の上の方にあるので、麓の駐車場から、無料のシャトルバスで、神社まで送迎してくれます。

神社境内に入ると、特製の鳥居ではなく、エア・アーチが用意されており、神官が鳴らす法螺貝の合図で、東西に別れた力士の内、東方の力士から、アーチをくぐって参道に入場します。

神主や検査役、全員でお出迎えしてもらえるようです。



神社到着後、東西の取り組み順に整列し、「相撲甚句」の唄の中、拝殿に向かいます。

そして、このまま拝殿内に進み、拝殿では、東方、西方に分かれたまま、力士の健やかな成長を祈って「成長祈願祭」が行われます。

当然とは思いますが、この入場の時点で、既に泣き出している力士も結構いるそうです。



ご祈願が終わると、いよいよ土俵入りとなります。

神官、親方を先頭に、「土俵入り花道」を通って、神社社殿隣の土俵に向かいます。

土俵内に入ると、北側に神官や主催者が着席し、土俵を挟んで南側には、東西の両側に、各二名の親方も着席します。



そして、次に力士と親の入場となります。

力士達は、土俵前に着くと、一礼をして、土俵小屋内に入りますが、この時、アナウンスにより、一人ずつ、東西の方、力士名、出身地、部屋名(苗字)が紹介されます。

例えば、「東京都千代田区の佐藤家の太郎君」の場合は、次の様になるそうです。「東方、太郎ちゃん、東京都千代田区出身、佐藤部屋」


そして、呼び出しが終わると、ちゃんと拍子木を1回鳴らして、土俵入りが完了します。

その後、力士の取り組みに入るのですが、その前に「扇取組」と「手取組」言う儀式があるようです。


この儀式は、奉納時にも行われる儀式のようですが、詳しい意味は解りませんでした。(済みません。)

どうやら、お塩で清められた土俵に4名の親方が上り、襟元に差した「扇」を取り出して東西南北の四方を拝み、扇同士や手同士を組み合わせる儀式の様です。

その際に、「よ〜、よ〜、扇取組と申します。」、「よ〜、よ〜、手取組と申します。」と言う口上を述べて、この儀式は終了するらしいです。

何か、言い伝え等があるのだとは思いますが・・・今回の調査では解りませんでした。



そして、いよいよ取組の始まりとなります。

呼び出しが、東西の力士の名を読み上げると、親方が土俵下の席に降りて子どもを受け取り土俵上に正面を向いて並びます。

この時の抱き方が決まっているそうです。東方の親方は、右手で幼児の上半身を抱き、左手で右ももを支えます。西方は、当然左右が逆となります。

力士は、このように親方に抱かれて土俵に登り、東西で顔を合わせて拝礼をし、「よぉ、よぉ」と掛け声を掛けて対決します。

しかし、「全国泣き相撲大会」の場合、1回目の「よぉ」で、お互いに向き合い、2回目の「よぉ」で、観客席の方を見る形での対決になります。

そして、最初に記載した通り、先に泣き出した方が負けとなります。至って単純です。

ちなみに、過去の「決り手」を紹介すると、次の様な「決まり手」があったそうです。

・目覚め泣き
・しらんぷり
・微笑み返し
・暴れ泣き
・泣きっぱなし
・泣き落とし
・ケタ笑い
・寝たもの勝ち(寝るが勝ち)
・眠り倒し
・もらい泣き
・泣き出し



よくもまあ、考えたものだと思いますが、これら決まり手は、行司である「景虎」が決めるそうですが、勝負がなかなかつかないときは、行司が赤ちゃんを驚かす事もあるそうです。

景虎」は、九重部屋に所属した元幕内力士であり、「千代の富士」の兄弟子だった方です。

全取組終了後に、検査役から、東方・西方の勝敗結果の報告があったのち、特別賞の抽選や発表があり、スポンサー各社からプレゼントが送られるそうです。


例大祭


例大祭に関しては、参加者が地元に限られるためか、余り紹介情報がありませんでした。

このため、ほとんどの情報が「Wikipedia」頼みとなってしまいました。済みません。

それでも、過去の情報を含め、集めるだけ集めて見ましたので、その内容を紹介します。

まず、「十二番角力式(じゅうにばん-すもうしき)」ですが、例大祭の儀式終了後に土俵入りを行い、古式に則った七五三の祝杯行司の後に行われているそうです。

Wikipediaから抜粋/微修正した内容 】


毎年、9月19日の例大祭に奉納される「十二番角力式」は、地元幼児による「泣き相撲」として知られる「角力(相撲)神事」です。

例大祭の開催場所となる「三熊野神社」の、鎮座地の南を西流する「猿ヶ石(さるがいし)川」を境に、南北に分かれる両方の「成島集落」から、長男で、かつ数え年2歳の幼児6名ずつを力士として選び、本殿脇の土俵上で対面させる事で対決させる神事となります。

本殿における例祭の後に土俵へ移り、正面に張った幕の前に宮司や検査役が着座し、南北両「成島集落」の力士が両親に抱かれて北方、南方、それぞれの位置に着座してから開始となります。

神事を行うための役職は、両集落から「相撲親方」各1名、「酒番」各1名、「酌立」各2名の計8名、および力士12名となります。

「親方」役は世襲で、紋付・袴に裃を着し、「酒番」は紋付・袴姿、「酌立」は過去に角力式を経験した12歳の男子が選ばれます。そして、「親方」と「酒番」は、襟元に扇子を差す形で登場します。

初めに、「酌立」による杯事が7度、5度、3度と3回繰り返される間に、「親方」が『扇取組行事』、および『手取行事』を行い、それが終わると「十二番角力」の取組となります。

「酒番」が、親から幼児を抱き取って「親方」へ渡すと、「親方」は、幼児を抱いて土俵中央に進んで向かい合い、「よぉ、よぉ」の掛け声で、2度(※)双方の抱く幼児の顔を合わせ、先に泣き出した側を負けとします。(※Wikipediaには3度とありますが、地元TV局の動画では2回しか対決していませんでした。)

6番の取組が終わると相手を替えて再度6番の取組を行い、合計12番の取組を終えると土俵から四方に餅が撒かれます。

両集落の勝敗は、12番試合を総合して判じ、勝った側の集落には豊作が約束されると伝えられています。

このため、本来は作占(豊凶占い)神事ですが、現在は、幼児の成長を祈願する意味の方が強いと思われます。


「全国泣き相撲大会」との違いは、次の通りです。

例大祭 全国泣き相撲大会
参加大前提 地元氏子の子供のみ 誰でも参加可能、海外もOK
参加資格 長男で、かつ数え年2歳の子 生後6ヶ月から1歳6ヶ月まで
試合数 12番の取組しかない 参加者により多数の取組
イベント 餅まき等のイベントもある ご祈祷と泣き相撲


最後に、前述の地元TV局の動画を掲載しておきます。

http://youtu.be/_Ox3Z14yPKk

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■「全国泣き相撲大会」参加方法



本ブログを書き始めた時(平成27年1月頃)には、まだ募集中だったのですが、2月の中旬に花巻市ホームページを見た所、既に「キャンセル待ち」のみの受付となっていました。

さすが人気イベントです。

「毘沙門まつり・全国泣き相撲大会」には、一生に一度しか参加できません。

このため、去年(平成26年)の11月以降に生まれた子供がいらっしゃるのであれば、来年の参加を検討されては如何でしょうか ?

それでは、来年のために参加方法を紹介します。(※上図ポスターは、過去のポスターです。)

【 とき 】 平成27年5月3日、4日、5日
【ところ】 熊野神社岩手県花巻市東和町北成島5区1番地
【参加資格】 平成26年11月1日から平成27年10月31日生まれのお子様ならどなたでも可
【参加料金】 お一人16,000円
祈祷料(着衣、お札等含み7,000円)、および参加記念品等含む
【募集期間】 平成28年2月1日(日曜日)から2月21日(土曜日)まで
【募集人数】 840名
※先着順となります。募集人数を超えた場合、募集期間中であってもキャンセル待ち登録となりますのでご了承ください。
【申込方法】 専用ファイルを指定サイトからダウンロードし、必要事項を記入のうえ、ファクス、E-mail、郵送、持参での申込み。(募集チラシにも参加申込書が印刷されています)
※お電話でのお申込みは受け付けません
※URL:http://www.city.hanamaki.iwate.jp/event/1603/p005698.html
【参加申込先】 熊野神社内 全国泣き相撲大会参加受付係
・持参/郵送:〒028-0116 岩手県花巻市東和町北成島5区1番地
・FAX番号:0198-29-4155
・Eメール:mikumano@jupiter.ocn.ne.jp
※平日に限り、持参による申し込みを花巻市東和総合支所地域振興課産業係でも受け付けているそうです
【問合わせ先】 ●三熊野神社内 全国泣き相撲大会参加受付係 : 電話:0198-42-3921
花巻市東和総合支所 地域振興課産業係 : 電話:0198-42-2110
【主催者】 毘沙門まつり実行委員会

【お申込みに関するご注意】
・参加希望が特定の日に集中した際は、実行委員会で取組を調整させていただきますのでご了承願います。
・参加について詳しい内容は、3月中に発送される通知書に記載されておりますので、通知前の参加日に関するお問い合わせはご遠慮ください。
・参加料は事前納入になります。通知書と一緒に送られる郵便振込用紙と記入例をご確認のうえ振込みをお願いします。
・「キャンセル待ち」として登録された方には、空きができ次第ご連絡します。
・上記情報は、今年の情報を元にした情報です。来年の参加に関しては、最新情報が発表されますので、そちらを参考にして下さい。

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■「三熊野神社」の紹介


「三熊野(みくまの)神社」、正式名称は、当然「熊野神社」となります。

「三熊野(みくまの)」とは、「熊野三社」の事を意味し、次の三社の事を表しています。

熊野本宮大社
・熊野速玉大社
熊野那智大社

この「三熊野神社」は、前述の「岩手県花巻市東和町北成島5区1番地」にありますが、JR花巻駅からだと距離にして約13Km弱、車で20分位の場所にあります。



元々の参道入口は、国道39号線沿いにあるのですが、この「一の鳥居」から拝殿までは、距離約1Km、高低差100m位はあるので、通常は、この「一の鳥居」から参拝する人はいないようです。

この場所は、徒歩専用道となりますので、拝殿下にある駐車場までは、別の道を通り、車で行くことになります。

しかし、この駐車場は、数台分しか駐車スペースが無いので、「泣き相撲大会」の時には、シャトルバスを利用する事となります。



拝殿下の駐車場には、この「二の鳥居」がありますので、ここから拝殿までは歩いて行くことになります。

途中、「三の鳥居」を過ぎると、「三熊野神社」と「毘沙門堂」とに別れることになります。

しかし、このように「神仏習合」の形が、ここまで残っている寺社は珍しいそうです。

「二の鳥居」の両脇には、「三熊野神社」と「毘沙門堂」の社号の石碑が残っています。

確かに、よく、明治の「廃仏毀釈」の嵐を逃れたものだと感心してしまいます。何か「コネ」、もしくは「重要な何か」があったのでは、と勘繰ってしまいます。

まあ、「三熊野神社」と「毘沙門堂」とも、元々は「熊野山成島寺(くまのさん-じょうとうじ)」を別当として管理されていたらしいのですが、「成島寺」に関しては、廃仏毀釈で「廃寺」になってしまったそうです。



さて、「三熊野神社」の由来ですが、神社の案内には、次のように記載されています。

坂上田村麻呂」が、蝦夷征討に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って紀伊熊野三山に戦勝を祈願し、戦勝後、奈良時代延暦21年(802年)に、この地に三山の神を勧請して創建したそうです。

また、平安時代となる康平5年(1062年)に、「源 義家」が、「前九年の役」で「安倍 貞任」を追撃した際に、鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたともいう。



坂上田村麻呂」や「源 義家」に関しては、まあ、この付近では、よく聞く言い伝えです。

そして、「三熊野神社」のご祭神は、次の三神となります。当然、「熊野三社」のご祭神と同じになります。

伊弉冉命(いざなみの-みこと)
・速玉男命(はやたまおの-かみ)
事解男命(ことさかの-かみ)



また、社殿左側には、「鎮守の森」への入り口となる鳥居があります。

この鳥居の中に、「お爺杉(おじいすぎ)」と呼ばれる日本最古の杉と伝えられている「ご神木」が存在します。

何故、この杉が、「日本最古の杉」なのかと言うと、それは・・・杉の脇に立っている案内に、「日本最古の杉」と書かれているからです!!


思わず、吹き出してしまいそうな理由です。

まあ、実年齢は解りませんが、恐らくは、樹齢200〜300年程度ではないかと考えられているらしいです。

資料によると、この「お爺杉」に関しては、次のようなデータとなっているようです。

・樹高:35m
・胴回:5.9m
・樹齢:300年(推定)


参考までに、人と一緒に写っている画像を掲載しておきます。

ご覧の通り、確かに、結構な大きさの杉です。

また、「三熊野神社」の境内には、これらの他にも、次のような「お堂」や「石碑」が祀られています。

【 お堂 】
多聞天
毘沙門堂(※後述)
・御味噌奉納堂(※後述)

【 石碑 】
出羽三山
・南昌山
・天照皇大神
・山神


本当に「三熊野神社」は、神様、仏様、そして山神様まで、民間信仰から神仏習合まで、ありとあらゆる神様を祀った宗教施設だと思います。

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■「兜跋毘沙門天立像」


毘沙門堂」は、神社境内、「三の鳥居」の突き当りを、右側に進んだ先にあります。

ちなみに、この「毘沙門堂」のある場所を、境内にある案内板によれば、「毘沙門山」と呼んでいるらしいです。

つまり、毘沙門山を開山し、そこに毘沙門堂を作って、毘沙門天像を奉納した、という言い伝えらしいです。



その辺りの諸事情が、右の案内板に記載されていますが、簡単に説明すると、次の通りらしいです。

この「毘沙門山」は、今より約一千二百余年前に、僧「行基」が開山し、その後、「慈覚大師」の働きで、一山十二坊、七堂大伽藍があり、大いに栄えたと伝えられている。

当山には、垣武天皇の命により、征夷大将軍坂上田村麻呂」が、延暦二十一年(802年)、東北の蝦夷平定に際し、日本の北辺の守護神として、この地(成島)に毘沙門天を奉り、「慈覚大師」によって開眼されたと伝えられる「兜跋毘沙門天立像(国重要文化財)」がある。



しかし、「毘沙門堂」自体は、室町時代後期の建築物ではないかと考えられており、上記「坂上田村麻呂」や「慈覚大師」の建立説とは矛盾しています。

が、「そんな事は関係無い」とばかりに、案内板には、堂々と二つの説を併記しています。

さすが「毘沙門天」、恐るべし・・・



さて「毘沙門堂」ですが、現在は、「兜跋毘沙門天立像」は、このお堂ではなく、別の「毘沙門総合管理センター」という場所で、保存/管理されているそうです。(※拝観は有料です)

このため、お堂内部は、右の画像の様になっており、「兜跋毘沙門天立像」が置かれていた場所に、鏡と密教法具が置かれているようです。

画像をちょっと見た限りでは、この場所に、5mもの「兜跋毘沙門天立像」が、本当に安置できたのか不思議に思えます。天井をぶち破ってしまうのでは、と思います。



さてお待ちかねの「兜跋(とばつ)毘沙門天立像」ですが、左の画像の様に、本当に立派なお姿をしております。

高さ4.73m、欅(けやき)の一本彫成仏としては、日本一高さの像とされています。

両隣に「吉祥天」と「阿弥陀如来」、前両脇には「二鬼」を従え、さらに「地天女(ちてんにょ)」が、その足元を支えています。

この「兜跋毘沙門天立像」は、元々は「平安京羅城門」の楼上にあったとされ、「羅城門」倒壊後は「東寺」に安置されている「兜跋毘沙門天立像」と、九州太宰府の「観世音寺」に安置されている「兜跋毘沙門天立像」、そして「成島毘沙門堂」に安置されているこの像との三体で、「日本三大兜跋毘沙門天」と呼ばれているらしいです。



毘沙門天」の前にいる二鬼は、向かって右側が「尼藍婆(にらんば)」、左側が「毘藍婆(びらんば)」と言う名前らしいです。

「尼藍婆」と「毘藍婆」・・・何じゃそれ ? と思う方も居ると思います。

しかし、両鬼とも、「十羅刹女(じゅう-らせつ-にょ)」の内の二人で、「十羅刹女」とは、釈迦による法華経の説法を聞いて改心した、十人の女性の「鬼神」らしいです。



つまり、元々は「鬼女」や「夜叉」だったのですが、「釈迦」の法華経を聞いて改心し、それ以降は、仏法の伝道者を守護する神となった者達なのだそうです。

鬼子母神」も、「十羅刹女」には含まれませんが仲間の一人です。

そして、この姿は、毘沙門天の法力により、改心した後の姿と言われています。





また、毘沙門天の両隣の「吉祥天」と「阿弥陀如来」ですが、こちらの「吉祥天」が非常に珍しい物なのだそうです。

何が珍しいのかと言うと、頭に「象」が乗っているのが、非常に珍しいのだそうです。

この像は、「伝吉祥天立像」と伝えられており、服装は通常の「吉祥天」とは異なり菩薩形であり、両手を胸の辺まで上げ、頭上に二つの象の頭を乗せる特殊な形をしています。

頭上の二頭の象は背中合わせになっているため、当初は「聖天の双体像」かと思われたこともあったそうです。


しかし、『乳海攪拌(にゅうかいかくはん)』と言うインド神話に、「吉祥天」が誕生した時に二頭の象が現れ、「吉祥天」の頭に聖水をかけたと言う逸話が残っているそうです。

このため、この像は、「吉祥天」であり、かつ頭上に二匹の象が居ることは、このインド神話が根拠となっているとされているそうです。

しかし、何故、平安時代前期に、このようなインド神話が岩手辺りにまで伝わり、かつ仏像まで作られたのか、という点は、未だに解らないそうです。



その他にも、この毘沙門堂近くには、「御味噌奉納堂」と言うお堂があり、中に「毘沙門天の足」が祀られており、「この足に味噌を付けると願いが叶う」という言い伝えもあるそうです。

これは民間信仰の一種ですが、この「毘沙門天の足」、本尊の「兜跋毘沙門天」の足のサイズと同じサイズなのだそうです。


ちなみに、「毘沙門天」は、別名「多聞天」と呼ばれており、四天王の中では最強と伝えられています。私は、毘沙門天多聞天は、別物だと思っていました。

また、「兜跋毘沙門天」とは、西域に「兜跋国(とばつ-こく)」という国があり、敵に攻め滅ぼされる寸前、「毘沙門天」が、「地天女」に押し出されるように突然地中から姿を現し、「兜跋国」を救ったという故事に拠るものとされています。

最後に、毘沙門総合管理センターの情報を記載して置きます。

【問い合わせ先】
・連絡先名 : 毘沙門総合管理センター
・利用時間 : 午前8時半〜午後4時半 年中無休
・入場料金 : 大人400円/小学生200円(※但し30名以上の団体は大人360円/小学生180円)

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ここまで、「全国泣き相撲大会」、および大会開催場所について、色々と紹介して来ましたが、如何でしたか ?

今となっては、手遅れですが、私も子供を参加させれば良かったと後悔しています。

実家が盛岡なので、比較的、費用も掛らずに簡単に行けたのに・・・

皆さんも、もしも、1歳の子供がいれば、あるいは、これから生まれる予定があれば、参加を検討してみては如何ですか ?

参加費用の「16,000円」。これが高いか否かは、皆さんの価値観によると思いますが、泣き相撲への参加に加え、


・ご祈祷
・お札
・法被・豆絞り
・泣き相撲まんじゅう
・泣き相撲こけし

これらの物が、参加記念品として付いて来ますので・・・どうでしょうか ?

それと、東京からですと、交通費や宿泊費が必要になると思います。こちらの方が高額ですね。

まあ、検討だけは「タダ」ですので、宜しくお願いします。


それでは、次回も宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】
花巻市ホームページ(http://www.city.hanamaki.iwate.jp/index.html)
・神社探訪(http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/index.html)
・ウチノメ屋敷(http://www.uchinome.jp/index.html)
YoutubeIBC岩手放送(https://www.youtube.com/watch?v=_Ox3Z14yPKk)
・人里の巨木たち(http://www.hitozato-kyoboku.com/ojiisugi.html)

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