岩手県内の巨石の紹介 - その1 〜 何故か岩手に巨石が多い


既に3ヶ月程前になりますが、私は、毎年、近所の中川の堤防沿いにある桜並木に「花見」に行きます。

今年も、子供たちは既に大きくなったので、一緒に「花見」には行ってもらえないため、妻と二人で、往復4Km程度の桜並木を散歩して来ました。

左の画像が、「花見」を行った堤防に、新たに設けられた「ビュースポット」から撮影した画像です。



スカイツリー」は解ると思いますが、左端に小さく見えるのが「東京タワー」で、その手前、斜めにワイヤーを張っている建造物は、首都高速中央環状線の「かつしかハープ橋」です。

この日は、気温が高く、少しガスっていたので駄目でしたが、この場所から「富士山」も見えるそうです。



そして、昼食を取った後、妻が、葛飾の観光名所(?)である【 立石様 】を見たことがない、と言う事で、葛飾税務署の裏手にある立石稲荷神社(現:立石児童遊園)に行ってきました。

この【 立石様 】、観光名所と言う割には、住宅街の一角に、ひっそりと隠れたように存在し、本当に「知る人ぞ知る」場所です。

そして【 立石様 】は、右の画像にように、石の鳥居と枠に囲まれた中に鎮座しております。



立石様 】と聞くと、何かデカイ石が、ど〜ん、と鎮座しているイメージを思い浮かべるかもしれませんが・・・その実態は、左の画像の黄色の枠で囲んだ、小さい石です。

はぁ〜、と思われるかもしれませんが、私も最初に【 立石様 】を見た時には、「何じゃ、こりぁ!」と思いました。

しかし、江戸時代後期(天保年間:1800年頃)、「斉藤 月岑(さいとう げっしん)」が描いた「江戸名所図会」には、大人の膝丈ほどの大きさになっています。



また、古くは、室町時代の応永5年(1398年)に書かれた「下総国葛西御厨注文」に、既に「立石」と言う地名が出ているそうです。

このため、既にその当時から【 立石様 】が存在していたと思われます。

そして、【 立石様 】には、次のような言い伝えが残っています。



・掘っても石の根が出てこないから「根有り石」と呼ばれている
・農地の邪魔になるから石を掘り出そうとしたら疫病が流行った(そのため立石稲荷神を建立した)
・石の根は、青戸まで続いている(約800m)
・付近を流れる中川が蛇行しているのは立石様を避けたため
立石様を削って持っていると病気にならない/戦争の時の弾除けになる
立石様の下には古墳がある
立石様は、冬に縮んで、夏に膨張する


立石様 】に関しては、現在では、もともとは古墳を作るために、千葉県の「鋸山(のこぎりやま)」から採掘された石で、石室の一部だったものが、平安時代に石室が壊され、残った石が道標(みちしるべ)として使われて来た、と言うのが通説になっています。

そして、本当に病除けや弾除けとして削られ、かつ度重なる洪水で土砂に埋まり、その結果、現在の様な大きさになってしまったみたいです。

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ところで、【 立石様 】を見た妻の感想は、やっぱり「何、これ!」でしたが、帰宅後、石の事をボーっと考えていたら、「そういえば、盛岡にも沢山、変な石があったな〜」と思い出しました。

ご存知の通り、弊社の盛岡事業所があるのは岩手県です。

県名に「岩」が付くからとは思えませんが、何故か、岩手県内には【 巨石 】が沢山あります。

盛岡市内でも、以前から私が知っている【 巨石 】関連の情報は、盛岡地方裁判所石割桜、盛岡天満宮の石割梅、三ツ石神社の巨石、桜山神社烏帽子岩、等があります。

そして、Webで岩手県内の【 巨石 】を調べてみると・・・あるわ、あるわ、続々と【 巨石 】の情報が出てきました。(下表参照)

そこで今回と次回との2回に分けて、「岩手県内の巨石の紹介」と言う内容で、下表の【 巨石 】の内、北から順に、太字で掲載した【 巨石 】情報を紹介したいと思います。

1 津波 田野畑村
2 姫神山頂上巨石群 盛岡市玉山区
3 三ツ石神社 盛岡市須川
4 烏帽子岩/櫻山神社 盛岡市内丸
5 石割桜 盛岡市大通
6 石割梅/盛岡天満宮 盛岡市新庄町
7 山王岩・浄土ヶ浜 宮古市/三陸海岸
8 アラハバキ大神の巨石(胎内石)/丹内山神社 花巻市東和町
9 蝙蝠岩(コウモリ岩)巨石群 花巻市浮田町
10 博打石 花巻市東和町
11 呼石 花巻市北小山呼石呼石大明神
12 立石神社/雨乞い石 東和町立石神社
13 羽黒岩 遠野市綾織町
14 続石 遠野市綾織
15 金勢様(コンセイサマ) 遠野市土淵町
16 呼ばれ石 遠野市上宮森
17 舌出岩 遠野市西内
18 亀の子岩 北上市稲瀬町
19 じじばば岩 北上市立花
20 夏油温泉/天狗の岩 北上市和賀町
21 五葉山/日の出岩 釜石市/大船渡市/住田町
22 愛宕神社 奥州市胆沢区
23 磐神社 奥州市衣川
24 源休館 奥州市伊手
25 重箱石 一関市千厩町
26 夫婦石 一関市千厩町
27 立石神社/立石 一関市藤沢町

今回は、上記の表の項番9の「蝙蝠岩(コウモリ岩)」までを紹介したいと思います。

ちなみに、「立石」とは、道標(みちしるべ)を意味していますので、全国各地に「立石」があり、岩手県にも沢山存在しているようです。

今回も宜しくお願いします。

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姫神山頂上巨石群:盛岡市玉山区


姫神山」は、盛岡市玉山区にある、標高1123.8mの独立峰です。

昔は「玉山村」だったのですが、知らない内に「盛岡市」になってしまっていましたが、市内に標高1,000mを超える山があるって・・・いったい、と言う感じです。

姫神山」は、画像の様に、頂上が極端に尖がっているのが特徴ですので、遠くからでも直ぐに確認できます。




この「姫神山」は、花崗岩が主体となる山ですので、頂上はもとより、登山道にも沢山の【 巨石 】が存在します。

画像を見る限り、一見、危険な山のようにイメージを抱きますが、実は、地元では、初心者にも登り易い山として有名です。

私も、小学校の遠足で登ったことがありますが、割と簡単に登れた記憶があります。




今は、どうなっているか解りませんが、私が盛岡にいた頃は、市内の小学校の遠足で、「姫神山」に登るのは当たり前の行事でした。

しかし、こんなに【 巨石 】があったかどうかは、正直覚えていません。

ちなみに、「岩手山」、「姫神山」、そして「早池峰山」は、岩手県では有名な山々ですが、この山々には、次のような伝説が伝えられております。




1.岩手山早池峰山は仲が悪く、姫神山を取り合った
2.岩手山早池峰山と親しくなり、「送り山」と言う山に、姫神山を遠くに送るように命令したが、「送り山」が役目を果たさなかったので、怒った岩手山が、剣を抜いて「送り山」の首をはねた(現:鞍掛山)

とにかく、「岩手山」、「姫神山」、そして「早池峰山」を巡る「三角関係」が主となる伝説のようです(笑)



■三ツ石神社:盛岡市須川


岩手県の地名の元になった「三ツ石」は、盛岡市須川町の、その名もズバリ「三ツ石神社」に存在します。

「三ツ石神社」は、盛岡駅から約2Km、徒歩だと25分位の場所にありますが・・・とっても地味で、こじんまりした神社です。

名前自体は非常に有名なのですが、行ってビックリ、この「三ツ石」と小さな社殿以外は、何にもありません。

このため、私が、この画像の様に、私の子供と行った時も、私達以外は誰もおらずシーンと静まり返っていました。

上の画像では、2個の【 巨石 】しか映っていませんが、右側の石の後ろに、しっかりと3個目の石が隠れています。




この【 巨石群 】、一番大きな石で、高さ6m、周囲9mとの事です。

ちなみに、「三ツ石神社」がある場所は、道幅が狭く、非常に入り組んでおり、駐車場もありません。車で行く場合、近くのお寺の駐車場を借りるのが良いと思います。

この「三ツ石」、および岩手県の件名の由来については、過去ブログに記載していますので、そちらをご覧下さい。

★過去ブログ:現在開催中の「盛岡さんさ踊り」について(http://msystm.co.jp/blog/20110802.html)



また、上記ブログにもある「鬼の手形」ですが、神社の説明板によれば、「三ツ石」の奥の石に、左の画像のように見えるそうですが・・・余程特殊な能力がないと見えないと思います。

ちなみに、この「三ツ石」には、別の伝説もあるようです。

その伝説によれば、『 坂上田村麻呂蝦夷の首領3名を捕らえた際、大和朝廷服従し、再びこの地に戻らない事を約束させ、その証として石に手形を押させた 』と言う物です。

こちらの伝説は、「鬼」の伝説よりマイナーなようです。私も、ブログを書くまで知りませんでした。

とにかく、盛岡市には、これから紹介する「烏帽子岩」、「石割桜」等、数多くの【 巨石 】が存在します。

ちなみに、「三ツ石」、「烏帽子岩」、「石割桜」は、半径500m位の場所に集中していますから、いかに盛岡市に【 巨石 】が多いのか解ると思います。

岩手県の中では、遠野市も【 巨石 】が多いのですが、この遠野市と「いい勝負」だと思います。


烏帽子岩/櫻山神社:盛岡市内丸


烏帽子岩」は、盛岡市内丸の「櫻山神社」の境内を入って、右奥の階段を少し上った場所に、ど〜んと鎮座しています。

そして、「櫻山神社」は、盛岡駅から約1.5Km、徒歩15〜20分位の距離にあります。

この「烏帽子岩」は、慶長年間(1596〜1615年)、盛岡藩初代当主「南部 利直(としなお)」が、盛岡城の築城後、三の丸の整備を行った所、地中から出てきた石とされ、「宝大石」と命名され、以来、この「櫻山神社」の社宝として祀られてきたそうです。





但し、「櫻山神社」に関しては、「烏帽子岩」の出現より、ずっと後、明治時代に建立されたものになります。

元々、この場所には「八幡社」があったそうです。

「櫻山神社」自体は、寛延2年(1749年)、盛岡藩第7代当主「南部 利視(としみ)」が、当時の「淡路丸」と言う城郭に社殿を建立し、この神社を「淡路丸大明神」としたのが始まりです。

その後、盛岡藩第10代当主「南部 利敬(としたか)」が、文化9年(1812年)、淡路丸城郭が「櫻山」と呼ばれていたのに因み「櫻山大明神」と改名したとされています。

そして、盛岡城が明治政府に接収されたのに伴い、ご神体を、盛岡市加賀野にあった「妙泉寺」に仮遷座し、さらに盛岡市北山の「聖寿禅寺跡」に新社殿を造営し再遷座したそうです。

ところが、明治23年(1890年)、当時は既に盛岡城は解体されてしまっていたらしいですが、明治政府より、盛岡城跡地が南部家に払い下げられた事を契機に、盛岡城の三の丸跡地(現在の地)に、再度、新社殿を建立して現在に至るそうです。


ところで、この「烏帽子岩」、どの位の大きさかと言いますと、高さ6.6m、周囲約20mとの事です。

比較対象となる人物が映った画像を用意しましたので、人物と比較して下さい。

盛岡城付近は、元々【 巨石 】が沢山産出したようで、盛岡城の築城の際には、城内に石切り場が存在したそうです。





このため、この「烏帽子岩」の他にも、かなり大きな石が石垣に使われていますし、今でも盛岡城の石垣、その他に【 巨石 】を見ることができます。

ちなみに、石垣に使われなかった【 巨石 】は、「残念石」と呼ばれているそうです。




石割桜盛岡市大通


石割桜」は、結構、全国的にも有名な観光スポットではないでしょうか?

この「石割桜」は、「盛岡地方裁判所」の敷地内にありますが、盛岡駅からは約1.5Km、歩いても15〜20分位の場所にあります。

盛岡市の見物がてら、駅からブラブラ歩くには、ちょうど良い距離だと思います。




盛岡地方裁判所」から、次章で紹介する「石割梅」がある「盛岡天満宮」まで、やはり約1.5Km位ですから、「石割桜」を見て、少し休憩してから「盛岡天満宮」に向かうのが良いかもしれません。

この「石割桜」に関しては、過去ブログでも紹介しています。
★過去ブログ:盛岡の花見の名所について(http://msystm.co.jp/blog/20120330.html)

石割桜」の由来等に関しては、過去ブログをご覧下さい。

と言ってしまうと、本章では、何も紹介することがなくなってしまうので、少し補足します。特に、過去ブログは「桜」の紹介でしたが、今回は「石」も紹介したいと思います。

石割桜」は、江戸時代から花を咲かせ、既に樹齢360年を超えていると言われています。

そして、時代は移り、昭和に入った昭和7年(1932年)、盛岡裁判所で火災が発生したのですが、庭師の一人が現場に駆けつけ、自身が着ていた半纏を水に付け、「石割桜」を守った話は、盛岡では有名です。

そして、この庭師の会社は、今でも存在し、無償で「桜守り」の仕事を行っているそうです。盛岡の人間にとって、この「石割桜」は、町の象徴でもあり、誇りにもなっているのだと思います。

そして、今回の主役「石」ですが、石質は花崗岩で長方形をしており、長さは7.5m×3.5mで、高さは1.5m程の大きさだそうです。ちなみに、石の周囲は21mとの事です。

また、亀裂に関しては、現在30cm位まで広がっているそうで、桜の成長と共に、年1mmずつ広がっているそうです。

そして、余り触れられていませんが、この石の横にも【 巨石 】が横たわっています。上の画像で確認できますが、「石割桜」の石より、少し小さめですが、それでも【 巨石 】です。

石割桜」は、今年も元気に花を付けたようですが、花を付けない枝も増えてきているそうで、平成12年(2000年)には、50年ぶりに樹木医による治療が行われたそうです。

しかし、特に今年は気温の変動が激しかったため、花はまばらで、若葉のままの状態が多かったようです。

前述の造園業社の社長も、「40年間、花を見てきたが、こんな状態は初めてだ。」と心配しているそうです。

石割桜」は、根元付近が石のため、土に比べて熱しやすく冷めやすいので、気温の変動を、より多く受けてしまったのではないか、との事です。

これからも、元気に花を付けてくれることを期待します。


■石割梅/盛岡天満宮盛岡市新庄町


「石割梅」は、盛岡市新庄町の「盛岡天満宮」に存在しています。

この「盛岡天満宮」は、盛岡駅からだと、弊社の盛岡事業所前の道を通り、約3.3Km、徒歩だと30分以上は掛かってしまいますから、駅から岩手県交通の水道橋行きバスを使えば(約15分)、天満宮前下車、徒歩約5分で着きます。

「盛岡天満宮」は、私の実家からも徒歩15分位で、私が通った小学校、中学校からも近く、縄張り圏内でした。

しかし、現在は解りませんが、当時の「盛岡天満宮」は、昼でも人影も無く、不気味に薄暗く、広場も何も無く、小高い丘の上にポツ〜ンとあっただけでしたから、余り遊びには行きませんでした。

この「盛岡天満宮」、境内の沿革によれば、南部氏が、現在の青森県の三戸に居を構えていた頃から祀ってあったものを、三戸から盛岡に移る際、盛岡市四ツ家(現:中央通り/本町付近)に社を移したが、その後、寛永2年(1625年)、現在の上ノ橋町に移し、次いで寛文6年(1666年)、現在の盛岡八幡宮に移し、そして最後に、延宝7年(1679年)、八幡宮の造営工事のため現在の場所に移された、との事です。

天神様も、引越し続きで大変だったみたいです。


ところで、「石割梅」ですが、「盛岡天満宮」の鳥居を潜ると、左側に存在します。

盛岡で「石割」と言えば、どうしても前述の「石割桜」となってしまいますが、「石割梅」もあります。

この「石割梅」、由来は定かではありませんが、石の方にも「銭湧石」と言う名が付けられています。









境内の案内板によると、何でも、その昔、この石の亀裂から、多くの古銭が掘り出されたところから、「銭湧石」と名付けられたそうです。

そして、その後、亀裂に梅が自生した、となっていますから、「銭湧石」の方が、歴史があるようです。

その他にも、この「盛岡天満宮」、地味な割には、見所があるようです。








狛犬」、「撫牛」、「芭蕉塚」、大宰府から飛んできたと言う「飛び梅」、鹿島神宮から分霊した「鹿島明神祠」、石川啄木の歌碑、そして「弁慶石」。

今回は、石が主役ですので、最後に、この「弁慶石」も紹介しておきます。

この「弁慶石」、由来は定かではありませんが、名前の通り、弁慶が投げ捨てた石と言われていますが、「弁慶石」は、日本全国に沢山ありますから、その内の1個と言うことになります。

前述の通り、子供の頃から「盛岡天満宮」には何度も来ていますが、この石に名前があったことを初めて知りました。



石よりも、この階段が結構キツくて、そっちばかり気にしていたせいだと思いますが、ちなみに反対側にも昇り階段がありますが、そっちの方が大変です。

昔、中学校のクラブ活動で、この石段を何往復もさせられた記憶が蘇りました。






アラハバキ大神の巨石(胎内石)/丹内山神社:花巻市東和町


丹内山(たんないさん)神社は、花巻と遠野の中間地点、国道284号線から、少し外れた場所にあります。

この神社は、平安時代の初期である承和年間(834〜848年)に、空海の弟子「日弘」が建立し、不動尊像を安置して「大聖寺不動丹内大権現」として祀ったことが始まりとされています。

その後、平安後期は、藤原清衡を初めとする藤原氏、中世は、安俵(あひょう)城主の小原氏、近世は盛岡藩南部氏の郷社として厚く加護されてきた旨が、神社の案内板に記載されています。

現在の神社は、江戸時代の文化7年(1810年)、盛岡藩藩主「南部利敬(としたか)」公の時代に、再建された物とのことです。

このように歴史のある神社ですが、しかし、一説には、飛鳥時代(592〜710年)、「蘇我氏」との政権抗争に敗れた「物部氏」が、この地に逃れてきて信仰の地とした、と言う話もあります。


飛鳥時代は、当然、仏教が、日本全土に広く流布される前の時代ですから、自然信仰が主流であり、この地にあった【 巨石 】をご神体として祀っていたと考えられます。

右の画像が、「アラハバキ大神の巨石」、別名「胎内石」と呼ばれている【 巨石 】になり、作家「高橋克彦」氏の有名な小説「火怨‐北の燿星アテルイ」では、「阿弖流為(アテルイ)」が、物部氏の巫女からご信託を受ける場面に登場しています。

アラハバキ大神」という神様ですが、現在でも、どのような神様なのかは不明なようです。


但し、「アラハバキ」を漢字で表すと「荒脛巾」となるようですが、「脛巾」は「脚絆(きゃはn)」を意味し、「すねあて」となりますから、「足」に関連した神様ではないかと考える向きもあるそうです。

そして、「荒脛巾」を祀る神社は、東北地方に数多く存在し、そのほとんどが、やはり下半身にご利益がある神社となっているようです。

他方、「胎内石」と呼ばれる石は、日本全国に存在しますが、アラハバキ大神の巨石も、石の中を潜ることで、安産、家内安全、商売繁盛・・・何でもござれのご利益があるそうです。


■蝙蝠(コウモリ)岩巨石群:花巻市浮田町


「蝙蝠岩」は、花巻市東和町毒沢の「弘法大師霊場」にあります。

この場所は、東北自動車道 花巻JCTから釜石自動車道に乗り換え、最終地点の東和ICから、いったん国道283号線に乗り、直ぐに456号線に入り、そのまま道なりに進むこと約6Km、10分程度の場所にあります。

道路沿いに「冠山 蝙蝠岩 弘法大師霊場」と言う看板がありますから、結構解り易いと思います。


この「東北自動車道 花巻JCTから釜石自動車道に乗り換え、最終地点の東和ICから、いったん国道283号線に入る」と言うパターンは、本章以降に紹介する遠野の【 巨石 】に向かうコースで、沢山出てきますから、覚えておきましょう(笑)

弘法大師霊場」の由来が案内板に書かれており、その記載に因ると「弘法大師空海が、遣唐使として唐に行く前に全国各地を行脚した際、この地を訪れて杖を立てたところ、清水が湧き出した霊場」とのことです。

しかし・・・空海が東北地方を訪れた記録はありませんから、この話も、日本全国に広がっている「弘法大師の杖立て伝説」に過ぎないと思われます。



とは言え、霊場内には、真言宗ということで上の画像の大師堂には、「大日如来」、「不動明王」、「弘法大師像」が安置されているとされ、問題の「清水」もあり、さらに「霊場の湯」なるものも存在しているようです。

この「霊場の湯」、内部は、どうなっているのか解りませんが、よく見ると【 巨石 】の下に、無理やり作られたようになっており、さらに、木が屋根を貫通しています。

大師堂の直ぐ後ろには、左の画像の様な【 巨石 】がゴロゴロしており、蝙蝠が住んでいたことから「蝙蝠岩」と呼ばれたそうです。



この【 巨石 】の下には、「弘法大師像」像が祀られています。

但し、石の大きさや、重量などの説明は一切ありませんので、どの位巨大なのかは説明できません。

弘法大師像」像の大きさから推定すると、この空間は、人が屈んで入れる程のスペースだと思われます。






ちなみに、上の画像の【 巨石 】に関しては、比較画像がありますので、掲載しておきます。

この画像も、人物が小さすぎて、と言うか、石が巨大過ぎて、人物が小さくなっていますが、しっかりと左端に写っています。

これで石の巨大さが解ると思います。




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今回は、ここまでの紹介となりますが、如何でしたか ?

盛岡市が【 巨石 】の宝庫と言う事が、お解かり頂けたかと思います。

次回は、もう1箇所の【 巨石 】の産地、遠野市を含む、県南地域に存在する、次の11箇所の【 巨石 】を紹介したいと思います。

●羽黒岩(遠野市)
●続石(遠野市)
●金勢(コンセイサマ)様(遠野市)
●呼ばれ石(遠野市)
夏油温泉/天狗の岩(北上市)
●五葉山/日の出岩(釜石市/大船渡市/住田町)
愛宕神社(奥州市)
●磐神社(奥州市)
●源休館(奥州市)
●夫婦石(一関市)
●立石神社/立石(一関市)

ご精読ありがとうございました。次回も宜しくお願い致します。

以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/)
・公益財団法人岩手県観光協会(http://www.iwatetabi.jp/)
・立石神社 - 菅原木工(http://mokkousan.web.fc2.com/mokkou-tateisijinnja.html)
・東北巨石番付のブログ(http://hamadas.exblog.jp/)
・巨石巡礼(http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/index.htm)
・羽蝶蘭のさいかち(http://yaplog.jp/saikachi/)
・日本のピラミッドと巨石を探る(http://www.gainendesign.com/taizan/)
・のぼろう隊Web(http://www.jalps.net/non/noborotai/index.html)
・ウチノメ屋敷(http://www.uchinome.jp/index.html)
・リップのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/anaterasuoukami_76)
・日本古典文学摘集 (http://www.koten.net/tono/gen/069.html)
・不思議空間「遠野」−「遠野物語」をWebせよ!−(http://dostoev.exblog.jp/)
・ひーさんの散歩道(http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001)

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