出来る社員のPC整理術_まずは見た目の整理から - その1

  今回の「お役立ち情報」は、「出来る社員のPC整理術_まずは見た目の整理から」と題して、PCの中身を整理することで、仕事の効率化の一助になる情報を紹介します。

 

「PCを整理するだけで仕事を効率化出来るの ? 」と思うかもしれません。

 

しかし、弊社の過去ブログでも紹介したように、ウォール・ストリート・ジャーナル紙には、『 一般的なビジネスパーソンは、1年間に6週間分もの時間を探しものに費やしている。」と言う記事が掲載された事があります。

 

つまり、仕事に必要な情報を探し出すだけで、6週間分もの無駄な時間を使ってしまっていると言う事ですから、必要情報を素早く探し出すだけでも、仕事を効率化する事が可能になると言う事です。

 

6週間と言うと・・・1日8時間勤務とすると、「8時間 × (7日 × 6) = 336時間」と言う事ですかね ?

 

★過去ブログ:身の回り整理術~見た目スッキリで業務効率化 - その1

                      :身の回り整理術~見た目スッキリで業務効率化 - その2

 

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上記の過去ブログでは、「その1」では、机周りに積み上がっている紙の資料の整理術を紹介しましたし、「その2」で、主に、PC内のフォルダーやファイルの管理方法による業務効率化を紹介しました。

 

 

【 その1 】

・書類の整理方法

・会社としての規則化

・整理のイベント化

【 その2 】

・フォルダー管理方法

・ファイル管理歩法

・バックアップの重要性

 

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今回の「PC整理術」も、上記と似てはいますが、ちょっと趣旨が異なります。

 

前回は、フォルダー/ファイルへの名前の命名方法を規格/統一すると言う、いわば仕分け方法によるPCの整理術でした。

 

つまり、ドライブ内に、インデックスを作る事で、必要とする情報に、素早くアクセス出来る環境を構築し、必要な情報を探し出す時間を、大幅に短縮出来る仕組みを紹介しました。

 

今回は、これとは異なる、下記のような情報を、情報量が多いので2回に分けて紹介します。

 

【 第1回 】

  • 整理/整頓とは ?
  • 「5S」とは ?
  • デスクトップの整理方法
  • 「ドキュメント」フォルダーの整理方法
  • 不要ファイルの削除

 

【 第2回 】

  • PCの最適化
  • SSDの寿命
  • フォルダーの階層管理
  • ディスクの空き容量管理
  • Outlookのデータ整理

 

 

今回は、主に、PC内の整理/整頓に焦点を当てつつ、合わせて便利ツール等も紹介して行きたいと思っています。

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

■整理/整頓とは ?

 

今回は、前述の通り、PC内の整理/整頓に焦点を当てた情報を紹介しますので、最初に、「整理/整頓とは何ぞや」と言う話を紹介します。

 

一般的に「整理/整頓」と言うと、「物を片付ける。」、あるいは「見た目をキレイにする。」等と考えられていますが、本当に、それだけでしょうか ?

 

良く、「物を片付けても直ぐに散らかってしまう !!」と言う泣き言と言うか、言い訳を耳にしますが、それは、「整理/整頓」の意味を勘違いしているからだと思います。

 

「直ぐに元に戻ってしまう~」と言う人は、物を、揃えて並び替える事、見た目をキレイにするを「整理/整頓」だと思っているのではないでしょうか ?

 

物を並び替えて揃え、見た目をキレイにするだけでは、不要なデータも、そのまま残っていますので、必要な情報を直ぐに入手することが出来ません。

 

だから、必要な情報を入手するために、せっかくキレイに整えた資料を、ひっくり返して必要な情報を探し出すので、また物がゴチャゴチャになってしまうのです。

 

「整理/整頓」とは、「物をキレイに置く」ことではありません。「必要な物」と「不必要な物」を分けて、「不必要な物」を捨て、「必要な物」を使いやすいように置くことです。

 

もう少し詳しく説明しますと、そもそも「整理」と「整頓」は、全く異なる行動です。

 

・整理    :「必要な物」と「不必要な物」を分けて、「不必要な物」を捨てる行動

・整頓    :「必要な物」を何時でも、誰でも、直ぐに入手出来る状態にする行動

つまり、最初に物を「整理」し、その次に物を「整頓」する事になります。

 

[ ]「物」や「データ」、つまり「情報」は、「情報」が出来上がった時点から劣化が始まります。

 

「情報」は、劣化すると価値が低下しますので、価値が下がった「情報」は捨てられ、より新しくて利用価値の高い「情報」に置き換わります。

 

何時までも古い情報を持ち続けるからデータが増え、データが増えるから必要なデータを瞬時に入手する事が出来なくなってしまうのです。

 

加えて、情報の「整理/整頓」を行う事で、保持する情報の重要性や機密度を把握する事が可能になります。

 

情報の機密度を把握する事が出来れば、セキュリティの管理も正しく行う事が出来るようになります。

 

情報やデータの「整理/整頓」を行う事で、次のようなメリットが生まれます。

 

・情報を最新に保つ事が出来る。

・必要な情報を直ちに入手する事が出来る。

・必要な最新情報を直ちに入手する事で作業を効率化する事が出来る。

・情報の機密性を把握する事でセキュリティを管理する事が出来るようになる。

 

 

もうメリットだらけです。

  

■「5S」とは

「整理/整頓」のメリットが理解出来たと思いますので、それでは次に、「整理/整頓」に関する、基本的な「5S」を紹介したいと思います。

 

皆さん、ビジネスパーソンですから、「5S」と言う言葉自体は、これまでに1回くらいは聞いた事があると思います。

 

「5S」とは、製造業やサービス業等の職場において、作業員が働きやすい職場環境を、改善、維持、および管理するための行動を、5個の言葉で表したスローガン(標語)の略称です。

 

各職場において徹底すべき行動を5個掲げ、その5個の行動を表す標語が、全てローマ字の「S」で始まる言葉なので、「5個のS」、つまり「5S」と呼ばれるようになったと言われています。

 

そして、5個の「S」とは、次の5種類の行動を表しています。

→ 整理(Seiri)、整頓(Seiton)、清掃(Seisou)、清潔(Seiketsu)、躾(Sitsuke)

 

この「5S」は、元々は、製造業における工場で、仕事に必要なモノだけに絞り、仕事を行いやすいように整理整頓することによって、作業の効率化を図ったり、生産性を向上させたりするための、職場改善活動の一環として生まれた行動です。

 

どこの企業が最初に始めたのかは解らないようですが、現在では、様々な企業で「5S」活動が取り入れられると共に、さらに行動範囲を追加し、「6S」とか「7S」、あるいは「10S」まで広げている企業もあります。

 

・6S  :作法(Sahou)を追加。日本電産グループ

・7S  :しっかり(Sikkari)、しつこく(sitsukoku)を追加。東芝グループ

・10S :習慣(Syukan)、しつこく(sitsukoku)、しっかり(Sikkari)を追加。セガエンタテインメント

 

 

「整理/整頓」については前章で紹介しましたが、改めて、「5S」とは、どのような行動なのかを紹介します。

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【 整理 】

必要な物と不必要な物を分離し、不必要な物を捨てることです。現在、および将来に渡り、必要な物か否かを判断し、不必要を捨てる行動です。過去の視点は必要ありません。過去にどれだけ役に立った物であっても、現在や将来に役に立たないのであれば捨てる事になります。

 

【 整頓 】

必要な物を使いやすいように配置する事です。整理によって、自分が管理する物は、必要な物だけになります。必要な物を適切な場所に、適切な置き方で、適切な量だけ配置するのが整頓です。整理ができて、初めて整頓が可能になります。

 

【 清掃 】

身の回りの物や場所を綺麗にし、いつでも使えるようにする事です。「整理/整頓」された状態を維持するための行動です。「整理/整頓」された状態は、放置すれば直ぐに崩壊します。常に意識して崩れる予兆を見つけ、手を打って清掃する事が必要になります。

 

【 清潔 】

誰が見ても綺麗であり、綺麗な状態を保とうという気持ちにさせる事です。「整理/整頓」が維持されていることが一目瞭然で、崩れていればすぐに判る状態になることです。何も無い所のゴミや汚れは、小さなものでも目立つため誰もが気付けます。しかし、色々な物が散乱していれば、一つのゴミや汚れに気付くことはありません。清潔とは、このように誰もが汚れに気づく環境を作ることです。

 

【 躾(しつけ) 】

職場のルールや規律を守り、習慣付ける事です。ルールを守る習慣によって、信頼し合い、協力し合う組織風土を作り上げる事です。ルールは、文書で示すだけでなく、道具や環境を通したルールを守る仕掛けが必要です。細かなルールの全てを記憶する事は無理があるので、作業の随所で守るべきルールが解るようにします。自らチェックし、自ら直すことを、習慣化させます。人に指摘されて直すのではなく、自ら正しい状態にしようとする気持ちを醸成します。お互いに褒めて称え合うことで、やる気を導き出し、成長させる事にあります。

 

職場において、このような「5S」の行動を取る事で、次のメリットがあるとされています。

 

・業務効率化

・ミス/事故の防止等、安全性の向上

・生産性の向上

・職場の雰囲気の改善

 

しかし・・・一部企業では、「5S活動」の本質を見失ってしまう「目的と手段の履き違い」が発生していると言う指摘もあるようです。

つまり、「5S活動」の時間だけが増加し、逆に生産性が低下すると言う問題が発生していますが、これは、「5S活動」の本質を忘れてしまった事が原因です。

 

たとえ良い事でも、やり過ぎは良くありません。論語に「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う言葉ありますが、将に、この故事の通りだと思います。

 

 

 

 

 

■デスクトップの整理方法

それでは、ここからは、「整理/整頓」の具体例を紹介しますが、まずは、PCのデスクトップの「整理/整頓」から紹介します。

 

皆さんの同僚の中に、PCのデスクトップに、アプリケーションやファイルのアイコンを「山のように」貼り付けている方は居ませんか ?

 

私は、こんなデスクトップを見ると、もう、これだけでムカムカしてしまいます。

 

昔から、『 デスクトップには、そのPCを使っている人間の性格が現れる。 』とも言われています。

 

このように、何でもかんでも、一度使ったファイルやアプリケーションを、常にデスクトップに貼り付けている人は、何事に関しても、「整理/整頓」が出来ない人間と思われても仕方が無いと思います。

 

その昔、上記画像のようなデスクトップを持つ友人の家に遊びに行った時がありますが・・・本当に、部屋の中も、このデスクトップと同様、「ゴミ屋敷」一歩手前状態でした。

 

この時に、「あ~デスクトップを同じだ !」と、つくづく思った事を想い出しました。

 

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作業中のファイルや、あると便利だと思われるアプリケーションを、デスクトップに貼り付けておけば、次回、作業を開始する時は、簡単に作業を開始出来るので、確かに、その時は便利に感じるかもしれません。

 

しかし!! 一度その業務が終わったら、デスクトップから該当ファイルやアプリケーションを削除すれば良いのに、そのまま残して置くから、このような「カオス状態」になってしまうのです。

 

何度も言いますが、「整理」とは、『 必要な物と不必要な物を分離し、不必要な物を捨てること 』です。「整理」が出来ないから、こんな「カオス状態」になってしまうのです。

 

さて、このようなカオス状態のデスクトップに関しては、次の手順で「整理」すれば良いと思います。

 

(1)アプリケーションのインストール時に自動作成されたショートカット等、不要なファイルがあれば削除する。

(2)エクスプローラーを使って、文書は「ドキュメント」、写真は「ピクチャ」等と、適したフォルダーに(コピーではなく)移動する。

(3)何度も使用するファイルでも、一旦ドキュメント・フォルダーに移動し、デスクトップには「ショートカット」を作るようにする。ショートカットは元ファイルへのリンクが記されたアイコンです。ショートカットがあればファイルは簡単に開けるし、不要になれば元ファイルとは無関係に削除できるので、デスクトップの整理が楽にできます。

 

「ショートカット」の活用の仕方に関しては、過去ブログでも紹介していますので、こちらも参考にして下さい。

 

★過去ブログ:身の回り整理術~見た目スッキリで業務効率化 - その2

 

これで、デスクトップは、綺麗に「整理/整頓」されると思います。

 

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そして、本章の最後に、究極のデスクトップ整頓方法を紹介します。それは・・・デスクトップには、一切、アイコンやショートカットを貼り付けない方法です。

 

「はあ~ ?!  それじゃ、いちいちエクスプローラーやスタートメニューから、必要なファイルやアプリケーションを探し出さなきゃないから面倒でしょう !!」

 

となりますが、私は、近頃では、デスクトップには、一切、アイコンやフィルを貼り付けていません。

 

右の画像が、私のデスクトップですが、ご覧の通り、何も貼り付けていませんが、別段、特に問題なく仕事を行っています。

 

まあ、確かに、以前と比較すると、操作が1回だけ増えてしまいましたが、それも慣れれば問題ありません。

 

それでは、このデスクトップの管理方法を紹介します。

 

(1)デスクトップのタスクバーに「デスクトップ・ツールバー」を追加する。

①タスクバーの空白域にカーソルを移動する。

②右クリックで表示されるメニューで、「ツールバー」→「デスクトップ」をクリックする。

③タスクバーの左側に「デスクトップ >>」が表示される。

④「>>」部分をクリックすると「デスクトップ」フォルダーにある項目が表示される。

 

(2)デスクトップからアイコンを消す

①デスクトップの何も表示されていない箇所にカーソルを移動する。

②マウスを右クリックして「表示」に合わせる。

③「デスクトップ アイコンの表示」の「✓」をオフにする。

 

これだけです。

 

上記、(1)、および(2)の作業は、順番が逆でも問題ありません。デスクトップからアイコンが消えた後は、デスクトップに存在したアイコン群に関しては、タスクバーの「デスクトップ」をクリックするとメニュー形式で表示する事が出来ます。

 

従来は、作業中に、デスクトップからアプリケーションを起動させていた場合、「Windowsボタン + D」でデスクトップを表示させ、必要なアプリケーションのアイコンをクリックしていたと思います。

 

しかし、今後は、一旦デスクトップに戻る必要は無く、そのままの状態で、タスクバー内の「デスクトップ」をクリックするだけで、使いたいアプリケーションを起動させる事が出来るようになりますので、ある意味、この方が、PCが使いやすくなる感じもします。

 

どうでしょうか ?

 

 

 

 

 

■「ドキュメント」フォルダーも整理整頓

次に、「ドキュメント」フォルダーの整理方法を紹介します。

 

「ドキュメント」フォルダーとは、Windows 10に最初から用意されている個人用フォルダーの一つです。

 

Windows 10の個人用フォルダーには、次のようなフォルダーが用意されています。

 

→ 3Dオブジェクト、ダウンロード、デスクトップ、ドキュメント、ピクチャ、ビデオ、ミュージック

 

これら個人用フォルダーには、あるデータを保存すると、データの種類により、そのデータが自動的に保存されるフォルダーです。

 

例えば、データの種類により、次のような決まりでデータが保存されるようになります。

 

例1:Wordファイルを保存する。         → 「ドキュメント」フォルダーに保存される。

例2:動画(拡張子.mp4)を保存する。      → 「ビデオ」フォルダーに保存される。

例3:iTunesのデータを保存する。       → 「ミュージック」フォルダーに保存される。

例4:画像を保存する。                 → 「ピクチャ」フォルダーに保存される。

 

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私は、開発や営業で使う資料に関しては、それぞれのプロジェクトや案件毎に、Cドライブ以外の場所に、個別のフォルダーを作成して、そこに保存しています。

 

このため、私のPCの「ドキュメント」フォルダーには、Outlook等のアプリケーションが勝手に作成するデータ以外は保存されませんので、この「ドキュメント」フォルダーに関しては、特に、管理する必要はありません。

 

しかし、私のような資料管理を行わずに、作成した資料を個別のフォルダーに保存せず、ヤミクモに保存している人は、この「ドキュメント」フォルダーに、データが、ドンドン溜まって行く事になります。

 

このため、何も意識せずに資料を保存している人は、「ドキュメント」フォルダーを、ある一定期間毎に「整理/整頓」する必要があります。

 

ファイルの整理方法には、様々な方法があると思いますが、次のような手順で良いと思います。

 

(1)エクスプローラーで「ドキュメント」フォルダーを開く。

(2)ファイルを名前順に並び直す。

(3)ファイル名で内容が判断出来ない場合、中身を参照して相応しいファイル名に変更する。

(4)必要に応じて、ファイルを相応しいフォルダーに移動する。

(5)上記作業を行った後、不要なファイルは削除する。

(6)年代別、あるいは年度別のフォルダーを作成し、過去データを移動する。

 

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ちなみに、Cドライブ以外にデータを保存するのは、最近のPCは、CドライブがSSD(Solid State Drive)になっているからです。

 

SSDとは、半導体メモリを、ディスクドライブの様に扱えるようにした補助記憶装置で、次のようなメリットがあるとされています。

 

・読み書きの速度が非常に早い

・消費電力や発熱が少ない

・作動音が無い

 

つまり、CドライブをSSDにする事で、PCの起動や処理パフォーマンス、それに他アプリケーションのパフォーマンスもアップします。

 

このようにメリットが多いSSDですが、まだ単価が高いので、PCのCドライブに割当られる容量が少ないのが弱点です。

 

このため、貴重なSSDで構成されたCドライブに、不要なデータを沢山保存すると、Cドライブのファイル容量が不足しがちになってしまいます。

 

故に、私は、Cドライブには個別のフォルダーを作成せず、通常のHDD(Hard Disk Drive)で構成されている別ドライブに資料を保存するようにしています。

 

但し、この場合、通常のHDDに資料が保存される事になるので、データへの読み書きのアクセス速度は遅くなってしまいますが、単なる資料作成ですので、実際の業務運用には、何も影響はありません。

 

 

また、次回ブログで詳しく説明しますが、「SSD」には、書き込み回数の制限があり、ある一定回数以上の書き込みを行うと、それ以上は、データを書き込む事が出来なくなってしまいます。

 

つまり、「SSDには寿命がある。」と言う事です。

このため、「SSD」に対しては、必要最低限の回数しか書き込みを行わないように、PCのディスク構成を変更する必要があります。

 

と言う事で、デフォルト設定として、Cドライブに設定されている個人用フォルダーを、Dドライブに変更する方法を紹介します。

 

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Windows 10」の場合、次のような作業を行う事で、個人用フォルダーを、Cドライブ以外に移動する事が出来ます。

 

(1)スタートボタンをクリックしてアプリの一覧画面を表示する

(2)アプリの一覧から「Windowsシステムツール」をクリックしてサブメニューを表示し、「PC」をクリックして「PC」画面を表示する

(3)下記のような個人用フォルダーから、保存先を変更したいフォルダーを選択して右クリックを行う。

(4)表示されたメニューから「プロパティ」を選択する。

(5)選択したフォルダーのプロパティが表示されるので、「場所」タブを選択する。

(6)「場所」タブの画面中程「移動」をクリックする。

(7)移動先を選択するエクスプローラー画面が表示されるので、(例えば)Dドライブを選択する。

(8)Dドライブの内容が表示されるが、移動先フォルダーが存在しないので、右クリックして「新規作成」→「フォルダー」を選択して、新規フォルダーを作成する。

(9)新規作成フォルダーを移動先として選択する。

(10)プロパティ画面に戻るので、画面下「OK」ボタンをクリックする。

(11)「フォルダーの移動」画面が表示され、新しい保存先への変更を確認するメッセージが表示されるので、「はい」を選択する。

(12)データの移動処理が行われ、移動処理が終了するとプロパティ画面が消えて処理が終了する。

 

 

以上が、個人用フォルダーの移動処理となりますが・・・移動したフォルダーには、各種アプリが使用するデータが含まれていますので、該当アプリを起動すると、「ファイルが存在しません」等と言うワーニング・メッセージが出力されます。

 

例えば、「ドキュメント」フォルダーを移動した後、Officeの「Outlook」を起動すると、メールアドレス毎に保持している拡張子「pst」ファイルが見つからない、と言うメッセージが出力されます。

 

その場合、移動先の「Outlook」ファイルを選択して、エラーとなったメールアドレスに対して、拡張子「pst」ファイルの場所を指定する必要があります。

 

このため、私個人としては、本当は、「ドキュメント」フォルダーを移動したいのですが、「ドキュメント」フォルダーの移動は取りやめ、それ以外の個人用フォルダーだけを移動した方が良いと思います。

 

また、Apple社のアプリ「iTunes」を使っている場合、「ミュージック」フォルダーに、「iTunes」用のファイルが保存されていますので、「iTunes」を起動した場合、上記のようなファイルの再設定処理が必要になります。

 

 

 

 

■不要ファイルの削除

次は、不要データの削除です。

 

不要データにも様々な種類がありますが、今回は、「キャッシュ」データの削除の仕方を紹介します。

 

しかし、その前に「キャッシュ」データとは何かを、簡単に紹介します。

 

「キャッシュ」データとは、英語のスペル、「cash(現金)」ではなく、「cashe(隠し場所)」と言う意味の方を用います。

 

単純な和訳だと、この通り、「隠し場所」とか「貯蔵所」、あるいは「貯蔵物」と言う意味になってしまいますが、IT用語としての「キャッシュ」は、「貯蔵所」が近い感じがします。

 

コンピューターでは、データへのアクセスを行う場合、メモリを用いてデータの読み書きを行うと、HDDを使う読み書きよりも、何十倍もの速さで読み書きを行う事が出来ます。

 

コンピューターのCPU(Central Processing Unit:中央演算装置)の内部には、CPUから高速でアクセスする事が出来る「キャッシュメモリ」と言うメモリが内蔵されています。

 

この「キャッシュメモリ」は、メインメモリよりも、遥かに高速に読み書きできるため、使用頻度の高いデータを記録しておくことで、メモリからの読み込み時間を削減して通信パフォーマンスを向上する事が出来ます。

 

これはインターネットを使用した時の通信でも同じ事が言えます。

 

インターネットでWebページを閲覧した時に、訪問したWebページの情報も、ブラウザ用の「キャッシュ」に一時的に保存する事で、次に同じページを訪問する際に、ページ表示時間を大幅に短縮する事が出来るようになります。

 

「一時的に保存」と言いますが、この閲覧情報は、利用者が意識しないと、どんどん溜まって行ってしまいます。

 

「キャッシュ」が満杯になると、古いデータが削除されて新しいデータが書き込まれますが、表示速度の低下や、最悪、ページが表示されなくなる等の障害が発生するケースもあります。

 

このため、インターネットを快適に利用するためには、定期的に「キャッシュ」を削除(クリア)する必要があります。

 

このインターネットを閲覧した際に作成される「キャッシュ」ですが、作成方法、および作成場所は、インターネットを閲覧する際に使用する「ブラウザ」によって異なります。

 

インターネットを閲覧するために使われる「ブラウザ」としては、現在、次のようなブラウザが提供されています。

 

Google Chrome       :Google社が提供するブラウザ。国内外シャア1位

Internet Explorer(IE) :Microsoft社が提供する旧型ブラウザ。国内シェア2位

Firefox             :Mozilla Corporationによって開発/提供されているブラウザ。国内シェア3位

Microsoft Edge      :Microsoft社が提供する最新ブラウザ。国内シェア4位

Safari             :Apple社が提供するブラウザ。国内シェア5位

Opera              :ノルウェーOperaソフトウェアが開発したブラウザ。現在中国資本傘下。

 

 

そこで、例えば、日本国内、および海外においても利用シェア1位となっている「Google Chrome」における「キャッシュ」のクリア方法を紹介します。

 

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Google Chromeにおけるキャッシュのクリア方法 】

①画面右上の「」というボタンをクリックする。(「Google Chromeの設定」と表示)

②「その他のツール」 →  「閲覧履歴の消去」を選択する。

③閲覧履歴の消去パネルが開くので、任意の「期間」を選択する。

④今回はキャッシュのクリアなので、「キャッシュされた画像とファイル」をチェックする。

⑤「閲覧履歴データを消去する」ボタンをクリックする。

 

 

次に、Microsoft社が提供する「Microsoft Edge」でキャッシュをクリアする方法は、次の通りです。

 

Microsoft Edgeでキャッシュをクリアする方法 】

①画面右上の「…」というボタンをクリックする。(「設定など」を表示)

②表示されるメニューから「設定」を選択する。

③「設定」の右側のメニューから「プライバシーとセキュリティ」を選択する。

④そこで表示された画面で「クリアするデータの選択」をクリックする。

⑤「閲覧データの消去」の画面において、削除したいデータにチェックを付ける。

⑥その後、「クリア」ボタンをクリックすると選択したデータが消去される。

 

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今回は、手動で「キャッシュ」をクリアする方法を紹介しましたが、例えば、複数のブラウザを使い分けている場合、そのブラウザ毎に「キャッシュ」をクリアしなければならないので、非常に面倒です。

 

私なども、Chromeは、使いやすいブラウザなので、仕事でインターネットを使う場合には、Chromeを使っていますが・・・いかんせん、メモリを大量に消費するので、処理スピードが求められる場合とか、あるいはFlashを使う場合には、Edgeを使っています。

 

そして、このように、用途によってWebブラウザを使い分けている場合等は、使っているブラウザ毎に「キャッシュ」をクリアしなければならないので、非常に運用が面倒になってしまっています。

 

このようなケースで便利なのが、「CCleaner」と言うツールです。

 

この「CCleaner」と言うツールは、無償版と有償版があり、有償版には、ファイルのリカバリー機能等、様々な機能が付加されていますが、不要ファイルの削除だけ行いたいのであれば、無償版で十分です。

 

そして、この「CCleaner」には、キャッシュの削除機能があり、かつ使用しているPCにインストールされている全てのブラウザの「キャッシュ」を一括で削除する事が出来ます。

 

上の画像には、アプリケーションとして、私のPCにインストールされているFirefoxOperaSafariChrome等、全てのブラウザの情報が表示されていますし、別タブとなる「Windows」側には、EdgeとIEの「キャッシュ」の情報も表示されています。

 

この「CCleaner」と言うツール、無償版でも結構便利なツールなのですが・・・過去にマルウェアの踏み台となった経緯があります。

 

2017年7月、「CCleaner」の開発元である「Piriform」のサーバーにマルウェアが侵入したそうですが、その後、この「Piriform」が、別会社「Avast」に買収されました。

 

その後、買収先である「Avast」が、2017年9月に最新版をリリースしたところ、マルウェアが攻撃を開始し、日本を含む大手IT企業が標的型攻撃に会ってしまったそうです。

 

攻撃対象となったのは、SamsungIntelVMwareASUSなどのほか、日本ではNEC富士通、およびソニーも含まれていたそうです。

 

私が使っていたバージョンもマルウェアに感染していたようですが、何故か、私のPCには、マルウェアは侵入しなかったようです。

 

皆さんもフリーソフトを使用する際は、この「CCleaner」の例もありますので、注意が必要だと思います。

 

 

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ところで、ブラウザ毎に保持する情報としては、「キャッシュ」とは別に「Cookie(クッキー)」と言う一時情報もあります。

 

「CasheとCookie ?  それって同じデータじゃないの ?」と思っている方がいるかもしれません。

 

どちらもインターネットでWebページを閲覧した時に作成される一時データですが・・・データの内容と用途が異なります。

 

Cashe :閲覧したWebページの情報。次回以降、同一ページを訪問する際の処理スピードがアップする。

Cookie :訪問したユーザの情報。ID、パスワード、メールアドレス、訪問回数等が保存されている。

 

Cookie」は、ユーザ自身の情報を、ユーザのPCに保存します。ユーザ情報を保存しておくことで、Webページを再訪問した時に、ユーザを特定し、ユーザ情報を入力する手間が省く事が出来ます。

 

例えば、ショッピングサイトに訪問した時に、既にログイン状態になっていて、かつ以前カートに入れた商品が、そのままカートに残っているのは、Cookie機能が働いているからです。

 

さらに、この「Cookie」情報は、Webページの閲覧履歴として、利用者の趣味や嗜好を示す指標としても活用出来るので、ターゲティング広告に利用されています。

 

個人のPCに、このような個人情報が残っている分にはまだ大丈夫ですが、ネットカフェ等、家の外のPCに、このような個人情報を残して置くのはリスクがあります。

 

不特定多数が使用するPCを使った後は、必ず「Cookie」は削除した方が良いと思います。

 

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と言う事で、個人情報をターゲティング広告に使われたくない場合、Webブラウザを使用する度に、「Cookie」を削除する必要がありますが・・・これも面倒ですよね。

 

このため、Webブラウザには、「Cookie」を保存するか否かを設定する事が出来ますし、前述の「CCleaner」等のツールでは、使用している全てのブラウザに関して、「Cookie」を一括で削除する事が出来る機能も提供しています。

 

PCには、想像以上に個人情報が保存されていますので、注意した方が良いと思います。

  

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今回は、「出来る社員のPC整理術_まずは見た目の整理から - その1」として、次の内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

  • 整理/整頓とは ?
  • 「5S」とは
  • デスクトップの整理方法
  • 「ドキュメント」フォルダーの整理方法
  • 不要ファイルの削除

 

そもそも、私も、今回のブログを書くまで、正直なところ、「整理」と「整頓」の意味を正しく理解していなかった事に気が付いた次第です。情けない・・・

 

今回、偉そうに、「上から目線」で「整理/整頓」の意味をお伝えしましたが、実は私は、「整理」も「整頓」も、物を片付ける行為だと思っていました。

 

まさか、「整頓」が、必要な物を直ぐに入手出来る状態にする事だとは思っても見ませんでしたが、皆さんは如何でしたか ?

 

今更ですが、「整理」と「整頓」が同じ行為なら、何も、わざわざ言葉を分ける必要はありません。「整理」、あるいは「整頓」の、どちらかの言葉だけで事は足りると思います。

 

さすが日本語、その辺りは、奥が深いものがあります。

 

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次に紹介した「5S」、これは、製造業の工場でよく見かける標語ですよね !

 

工場見学とかに行くと、「安全第一」と一緒に「実践しよう職場の5S !」とか「5S運動を実施しよう!」とかのポスターが貼られているのを見たことがあるかと思います。

 

この「5S」は、トヨタが提唱した「改善(KaiZen)」と同様、「Five S」と言う言葉で、海外でも用いられるようになっています。

 

話は、脇に逸れちゃいますが、本当に、日本の工場等の現場では、世界に通じる様々な行動を生み出すものだと、本当に感心してしまいます。

 

・改善

・QC活動

・5S活動

・ラジオ体操

 

これらの活動は、そのオリジナルは日本だと思います。「ラジオ体操 ?」と思うかもしれませんが、工場や建設現場における「ラジオ体操」は非常に重要な活動です。

 

「ラジオ体操」と言うと、夏休みに、子供達が行う「ラジオ体操」を想像しがちですが、とある研究会が、建設現場でのラジオ体操実施率を調査したところ、半数以上、56.9%において、「ラジオ体操」を実施していると言う数値が得られたそうです。

 

そして、何故、これ程まで「ラジオ体操」が普及しているのかと言うと、その全てにおいて、次のような理由を挙げています。

 

・事故防止につながる

・健康維持・健康増進につながる

 

健康維持/増進は、理解しやすいと思いますが、何故、事故防止に役立つのかというと、朝、現場に出勤して、ボッーとしたまま作業を行うと、「チコちゃんに叱られる !」だけならまだしも、やはり事故を起こしやすいのだそうです。

 

このため、作業に入る前に「ラジオ体操」を行い、身体を目覚めさせた上で作業を開始すると、それだけで事故率が減少することが明らかになっています。

 

このような理由で、一時は、建設現場以外でも、会社の朝礼時に「ラジオ体操」を取り入れる企業が多かったのですが・・・現在では、普通の企業では「ラジオ体操」は、絶滅危惧種になってしまったようです。

 

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これら以降の情報は、実際のPCの「整理/整頓」術の話になりますので、今後のPC運用において、参考にして貰えればと思います。

 

そして、次回「その2」においては、次のような情報を紹介します。

 

  • PCの最適化
  • SSDの寿命
  • フォルダーの階層管理
  • ディスクの空き容量管理
  • Outlookのデータ整理

 

その中における「SSDの寿命」は、今回の主目的「整理/整頓」からは、ちょっと逸れた情報なのですが、私的には、非常に興味深い話でした。

 

SSD(Solid State Drive)」に関しては、今回のブログ中「ドキュメント・フォルダーも整理整頓」で紹介しましたが、しかし「SSD」に寿命があるなんて・・・今では都市伝説みたいになってしまいましたが、かつての「ソニータイマー(Sony Kill Switch)」を思い出してしまいました。

 

ソニータイマー」とは、皆さんもご存知だと思いますが、これは、『 ソニー製品は、1年間のメーカー保証期間終了直後に故障が頻発する。』と言う、実話に近い状況から生まれた都市伝説です。

 

この都市伝説に関しては、2007年、ソニーの社長(当時:中鉢良治氏)も株主総会で認めており、品質管理を徹底する旨の発言をしたとされています。

 

とは言え、(次回説明しますが)5年でPCが使えなくなってしまうのは、技術の進歩を考えると仕方が無いとも思えますが、何とも「やるせない気持ち」になってしまいます。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

【 画像・情報提供先 】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

Microsoftサポート(https://support.microsoft.com/ja-jp)

フリーソフト100(https://freesoft-100.com/)

 

奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その3)

 前々回、そして前回のブログでは、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」と題して、次のような内容を紹介しました。

 

【 前々回 - その1

 

【 前回 - その2

 

「その2」では、「安倍宗任」にのみスポットを当て、「宗任」本人と、その子供達についての伝説を取り上げました。

 

安倍宗任」は、捕虜となって遠方への配流となったのですが77歳まで生き延び、その子孫達も、各地で「名を成す」存在になっていますので、数多くの伝説が残っています。

 

「その1」では、兄「貞任」と一緒に語り継がれる伝説を3個紹介しましたが、単独、およびその子供達にかんする伝説は9個も残っているようです。

 

安倍宗任」は、文武両道に優れた武将と伝わっていますので、当時の武士ならず、庶民にも人気があったと推測されます。

 

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そして今回ですが、「その3」として、まあ、「番外編」みたいな感じになってしまいますが、「安倍貞任」の息子や娘達に関して、次の内容を紹介します。

 

  • 安倍時頼の子供に関する伝説
  • 安倍貞任の子供関する伝説

 

「安倍時頼」には、これまでにも紹介しています通り貞任/宗任以外にも7人の息子、合計9人の息子がいますが、その詳細が解っているのは、貞任と宗任だけです。

 

しかし、伝説と言う形で長男「良任」と八男「則任」の情報があるようですので、そちらを紹介します。

 

ちなみに、「安倍時頼」には、娘が3名おり、長女「有加一乃末陪(ありか いちのまえ)」が、奥州藤原氏の祖「藤原清衡」の母となっています。

 

そして、「安倍貞任」の子供は、正確には、何名いるのか解らないようですが、息子が3名いたとされていますが、娘の存在は確認されていません。

 

しかし、伝説としては下記の娘がいたとされていますので、今回、下記の子供達の伝説を紹介します。

 

・息子「高星(たかあき)丸」に関する伝説

・娘「卯の花姫」関する伝説

・娘「貞姫」に関する伝説

・娘「真砂姫」に関する伝説

・その他「金ケ崎地方」に伝わる伝説

 

安倍貞任」の娘は、「卯の花姫」、「貞姫」、「真砂姫」、そして「白糸姫」と複数名の名が挙げられていますが、伝説の内容は、どれも似たような内容になっていますので、本当は一人しかいなかったのかもしれませんが・・・今となっては何が本当なのかは、さっぱり解りません。

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

■「安倍頼時」の子供に関する伝説

ここまで、「安倍頼時」の息子の内、次男「貞任」、そして三男「宗任」に関する伝説を紹介してきましたが、前述の通り、「頼時」自身と、その長男に関する伝説を紹介します。

 

まずは、「安倍頼時」の伝説から紹介します。

 

●古賀稔康 著「松浦党祖考」

伊万里市にある「松浦党研究連合会」の会長だった故「古賀稔康(こが-やすとし)」氏が昭和52年(1977年)に出版した「松浦党祖考」には、次の内容が記載されているようです。

 

安倍宗任」は、父「安倍頼時」と共に、康平五年(1062年)、松浦に流配され、「頼時」は、松浦市志佐町白浜に、「宗任」は、小値賀島に流された。

 

「頼時」は、白浜に庵を結び、同地に祀られている「景行天皇」と「神功皇后」の妹「余等比咩命」の社に、日夜家運再興の祈願をこめ、庵で生れた六人の児の幸を祈った。

 

寛治二年(1088)に、一族流配の刑を解かれ、「宗任」は、松浦、彼杵二郡および壱岐島の司頭職となった。

 

「頼時」は、神助を感謝して淀姫神社を造営し、海浜に王島神社を建立、壱岐島より杜氏を招いて神酒を献じて家運再興を奉告し、六人の子に所領を分配した。

 

 

安倍頼時」は、天喜5年(1057年)に、鳥海柵(現:岩手県金ケ崎)で戦死した事になっていますので、この伝説では、その後も5年間、「源 頼義/義家」親子と戦い続けた事になりますが・・・何とも奇妙な話です。

 

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次は、この「安倍頼時」の長男「安倍良宗(よしむね)」に関する伝説を紹介しますが、この人物、実在し、かつ盲目であった事は、「吾妻鑑」や「陸奥話記」にも記載されています。

 

「安倍良宗」は、別名として「井殿」、「良任」、あるいは「安東太郎」とも呼ばれていたそうですが、生没年不詳で、何処に住んで、何をしたのか等、一切不明となっています。

 

このため、様々な話が、様々な場所で生まれているようです。

菅江真澄 著「にえのしがらみ(贄の柵)」

菅江真澄(すがえ-ますみ)」とは、江戸時代後期(1754~1829年)の旅行家/紀行家で、本名を「白井秀雄」と言い、信州、東北、そして蝦夷地を遍歴し、その土地の紀行文を数多く残しています。

 

菅江真澄」は、東北地方を、くまなく訪れているので、弊社ブログにも何度も登場する人物ですが、彼が、「藤原泰衡」が、旧臣だった「河田次郎」に裏切られて殺害された場所(秋田県大館市)を訪れた際に書いた「にえのしがらみ」に、「安倍良宗」について触れた箇所があるので、それを紹介します。

 

 

『 なお高く上れば、小さな堂がある。ここは安倍頼良の嫡男、厨河の次郎貞任の兄、井殿盲目安東太郎良宗が若くして身まかった塚だ。 

 

近くに十三森というのがあり、井殿冠者良宗のために、十三仏を置いたという。 

 

また堂屋敷というのがある。七ツ館、蝦夷館、また、ここにも桂清水の観音というのもあると案内が言う。 

 

盲目となった兄のために、これだけ祈った兄思いの貞任の人柄が偲ばれる 』

 

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胆沢町史「高山掃部長者」

岩手県胆沢郡が編纂した「胆沢町史」には、目が見えなかった「井殿」は、前九年の役から逃れて胆沢郡上幅村に住み着き、その子孫が「高山掃部長者」になったと言う伝説があるようです。

 

そして、これは「安倍氏」とは全く関係なのですが、この「高山掃部長者(たかやまかもんちょうじゃ)」に関しては、面白い「大蛇伝説」があるので、そちらも合わせて紹介します。

 

【 大蛇伝説 】

その昔、胆沢に慈悲深い長者がいた。しかしその女房は欲深く、やがて大蛇となって夫や子供を喰い、屋敷に火をかけ、止々井沼(とどいぬま)に住みついて、若い娘の生贄を求めて暴れた。

 

何度目かの生贄に、肥前の「さよ姫」が、郡司の娘の身代わりとなる。

 

しかし、観音信仰のあつい娘の前に、長者の女房であった大蛇は退治されてしまうといった話の筋である。

 

ちなみに。この「さよ(佐用)姫」に関しては、これ以外にも、と言うか、次のような多くの伝説が残されており、どちらかと言うと、こっちの伝説の方が有名なようです。

 

百済救済を命じられた大伴狭手彦が遠征の途上に佐用姫を妻とし、佐用姫は出征のために船出する夫を見送るため領巾を降り嘆き悲しんだ。その後、あまりの悲しみのために石になった。』

 

大伴狭手彦と別れて後も思い続けていると、夜ごと大伴狭手彦に似た男が通うので、後をつけると、それは山の沼にすむ大蛇で、姫をさらって沼に入ったという。』

 

「さよ姫」は、「佐用姫」、「小夜姫」、「佐夜姫」、あるいは「小夜媛」等と、様々な字で書かれていますが、すべて同一人物です。

 

また、上記「石になった」とか、「蛇の飲み込まれた」等の伝説は、日本各地に広がっているようです。

 

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他方、江戸時代中期の安永年間(1772~1781年)に、仙台藩内の様子を記した「安永風土記(風土記御用書出)」には、長者の屋敷跡から「焼米(炭化米)」が出ると紹介されています。

 

このため、昭和33年(1958年)に、岩手大学「板橋教授」等によって発掘調査も行われたそうですが、炭化米が数カ所で発見された以外、建物跡などを証明する遺跡なども発見されなかったそうです。

 

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●佐藤弥六 著「陸奥評林」

津軽藩士「佐藤弥六」の著書「陸奥評林」には、「安倍頼時」の長男「安倍良宗」は、盲目であったため「前九年の役」から逃れる事ができて「津軽十三(とさ)」に住んだと記載されているようです。

 

そして、その後、「奥州藤原氏」の二代「基衡」の次男であり三代「秀衡」の弟「秀栄(ひでひさ)」が、初代「十三藤原氏」となったとされています。

 

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ちょっと「安倍氏」からは話が逸れますが、元々、「津軽十三(現:五所川原市)」には、「安倍頼時」の八男「安倍則任(のりとう)」が、白鳥城を築いて治めていた土地でもあります。

 

「安倍則任」は、白鳥城に因み、自らを「安倍白鳥八郎則任」と称していましたし、また「十三左衛門尉」とも名乗りっていましたが、子供が居なかったので前述の二代「基衡」の次男「秀栄」を養子に迎えたとの事です。

 

そして、「津軽系図」によると、この「十三秀栄」は、自らを「御館次郎」と名乗り津軽六郡を支配して「津軽氏」の祖になったと伝えています。

 

しかし、「津軽氏の祖」に関しては諸説あり、別の説では「南部氏」の分家「南部久慈氏」の流れをくむ「大浦光信」を「津軽大浦家」の家系を祖とする説もあるようです。

 

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津軽十三」は、別名「十三湊」ともよばれ、天然の良港だったのですが、現在は「十三湖」として汽水湖になってしまっています。

 

津軽十三」に関しては、平安時代末は、前述の通り「十三藤原氏」が支配していましたが、その後「十三藤原氏」は衰退して行き、鎌倉時代後期には、「安倍貞任」の次男と言われる「高星丸」を祖とする「安東氏」が周辺一帯を支配したとされています。

 

「高星丸」に関しては、次章で紹介しますが、室町時代以降は、「南部氏」が勢力を伸ばし、「安東氏」は、南部氏に敗れて蝦夷地に退いてしまったそうです。

 

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このように、津軽においても、「安倍氏」や「藤原氏」の子孫達が活躍していたようですが、鎌倉幕府を開き、当時の日本を支配していた「源氏」も、津軽までは影響力を及ぼすことは出来なかったようです。

 

 

 

 

■「安倍貞任」の子供に関する伝説

ここで、奥州安倍氏の家系を明らかにするために、家系図を用意しました。今回登場する人物には赤丸を付けてあります。

 

 

 

 

こうして「安倍氏」と「藤原氏」の家系を明らかにすると、「安倍氏」の血筋は、脈々と受け継がれていた事が明らかにあります。

 

ちなみに、「安倍貞任」の子供に関しては諸説あり、第二子は女の子と言う説もありますが、この子は行方不明となったと記録されているようです。

 

長男に関しても、「千代童子」、あるいは「千世寿丸」等と名前は諸説あるようです。また、戦後、まだ幼い事から(12歳前後)、助命も検討されたようですが、「清原武則」の諫言で処刑されてしまったようです。

 

それでは、本章では、「安倍貞任」の子供達に焦点を当てて、各地に伝わっている伝説を紹介したいと思います。

 

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●息子「高星(たかあき)丸」

青森県蓬田村の村史によると、前九年の役の末期、当時3歳だった「高星丸」が、乳母と共に厨川柵から逃げ延び津軽藤崎に辿り着いた。

 

その後、成長した「高星」は、藤崎城主となり津軽六郡と外ヶ浜、下北郡一帯を支配したと伝わっているようです。

 

また別の説では、当時、この津軽地域は、「安倍頼時」の八男「安倍白鳥三郎則任」が支配していました。

 

このため、厨川柵から逃れてきた「高星丸」は、叔父である「則任」を頼って津軽に逃れ、「則任」の庇護の元、藤崎城主となって「安東氏」を名乗るようになった、と伝わっています。

 

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次は、「安倍貞任」の娘の伝説となりますが・・・既にお解りの通り、「貞任」には女の子はいません。

 

それにも関わらず、「貞任」の娘に関しては、様々な伝説が語られていますので、今回は、その内、数件を紹介します。

 

●「卯の花姫」伝説

この伝説は、山形県長井市に伝わる話で、次の様な内容となっています。

 

東北を支配する安倍族の武将「安倍貞任は、弟の「宗任」と共に、この地を守っていました。

 

朝廷に背いたとして「源 頼義/義家」親子が、安倍一族を打つために東北に攻め入ってきました。

 

「貞任」には、「卯の花姫」という娘がいて、その娘は敵方である義家に恋をしてしまいました。

 

「義家」は、姫に手紙を送り、「貞任」側の手の内を盗み出そうとしました。

 

「義家」に騙された「卯の花姫」は、情報を漏らしてしまい、遂に父である「貞任」は、戦いに敗れて亡くなってしまいました。

 

父の死後、信じていた「義家」からの便りは途絶え、騙されていたことに気づいた「卯の花姫」は、三淵渓谷に身を投げました。

 

その後、「卯の花姫」は、竜神となり三淵を守る水神様となり、地元の「五所神社」に祀られたと伝わっています。

 

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●「貞姫」伝説

この話は、秋田県大仙市に伝わる話で、次の様な内容となっています。

 

奥羽征伐の「義家」は、神岡町神宮寺の鶴の羽形城に立て籠もった「安倍貞任」を攻めたが、前は玉川と雄物川の合流地で、雨期で水量があり、両軍は川をはさんで対峙していた。

 

馬で川原を歩む「義家」を遠目に見て「貞任」の娘「貞姫」は恋心を燃やし、川を渡り、「義家」の胸に抱かれた。

 

「貞姫」の懐胎を知った「貞任」は諦めさせようとしたが、姫の心は変わらず、怒った父は、姫を生きながらにして山頂に埋めた。

 

この城は、「義家」の猛攻で落ちた。「笛が沢」は、姫が笛を吹きつつ「義家」の元に通った沢であり、「カツラ沢」は、姫がカツラを落としたところ、「カモジ沢」は、姫が捕手にカモジを投げつけた沢、「忍び長根」は、忍ぶ恋路だった。

 

「白粉沢」は、姫が死出の化粧をした沢といわれ、毎年5月4日に姫神山の沢の水が白く濁るのは、姫が米をとぐため、5日に山頂に白旗がはためくのは、姫の体内の子が父義家を慕うためという。

 

山頂にある姫神の宮は、村人が姫の悲恋をあわれんでたてたものという。鶴羽形城の名は、元桜樹にとんでいたところからきたという。

 

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●「真砂姫」伝説

花巻市東和町砂子の「大沢瀧神社」に伝わる伝説となります。神社の由来によると、次のようになっています。

 

『 康平五年(一〇六二年)陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が、厨川柵を攻め滅ぼし、俘囚の長兼六郡の郡司安部頼時の長男安部貞任を戦死させた。源氏の基盤を固めた前九年の役である。

 

安部貞任が、一族の本拠地奥六郡から北の厨川へ、山峡を忍んで駒を進めたであろう、栄華の後の寂しい最後の逃避行となった。

 

安部貞任の娘「真砂姫」が父貞任の後を追いこの地大沢の滝川にさしかかった。父の身を案じ、父の身代わりとの思いだったのであろうか、この滝川に身を投じてしまった。

 

後に源頼義の子八幡太郎義家が「真砂姫」を哀れみ、現在の古滝大明神の地に社を建立して「瀬織津姫命」を勧請、姫の霊を弔ったと伝えられており、地区内外を問わず厚い信仰を集め今日に至っている。

 

現在の社殿は文政年間(一八一八~一八二九年)の建立で二度目の改築と伝えられ、「迦具土命」との合祀となっている。特に縁結びの神様として地域社会の心の結び合いの所縁として親しまれており、毎年九月九日賑やかに例大祭を行っている。

 

なお、当地「砂子」の地名は「真砂姫」に由来するとの説がある。 』

 

と言う伝説なのですが、もう少し脚色を加えると、次のようになっているそうです。

 

 

当初、真砂姫は、父「貞任」や、その他の一族郎党と一緒に厨川を目指していたそうですが、途中ではぐれてしまい、付き従う家臣は「直義」ただ1人となってしまったそうです。

 

そして、大澤の地に到着すると馬を降り、

 

「父は既に戦で死んでしまったかもしれない。自分1人生きていても仕方がありません。ただ、幼い弟、千代童丸の命だけは救って欲しいと義家公に伝えて下さい。」

 

と直義に伝えると、手紙を書き、切り取った自分の髪で、かつえ義家からもらった観音像を包み、それを直義に渡した。

 

それから、自分が乗ってきた愛馬「大鹿毛(おおかげ)」に、「よく、ここまで私と共に来てくれました。これから先は自由に生きなさい。」と言い、鞍と手綱を外したそうです。

 

それから姫は、大澤の瀧の石の上で法華経を唱えた後、川に飛び込み姿が見えなくなってしまったが、滝壺から白い光が飛び出して東の空に消えたそうです。

 

愛馬「大鹿毛」は、涙を流しながら山の上まで行き、西に向かって二度(or 三度)鳴いてから倒れて死んでしまったそうです。

 

この事から、その後、この山を「大鹿山」と呼ぶようになったそうですし、また、付けていた鞍を捨てた場所を「鞍沢村」と名付けたそうですが、現在は「倉沢」となっているそうです。

 

そして、残された家臣「直義」は、翌日、義家が陣を敷いている笹丘城に行き、姫からの手紙を渡して、一部始終を義家に話して聞かせたそうです。

 

義家は、姫を哀れに思い、真砂姫の霊を「瀬織津姫命」として祀ったと伝わっているそうです。

 

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●金ケ崎地方に伝わる伝説

次は、岩手県南部「金ケ崎町」に残っている伝承を紹介します。こちらの伝承も、上記で紹介した内容と似た話になっているようです。

 

・大林城(百岡城)伝説

林城は、その昔、百岡城とも言い、安倍氏の砦だった。この城には、「安倍貞任」の姉と妹も同居していたが、姉妹揃って「源 義家」に懸想(恋)し、城内の機密を漏らしたために落城したと伝わっています。

 

・菊が森伝説

安倍貞任」の娘(あるいは妹)である「お菊」と「お鶴」が、「源 義家」に自軍の機密を漏らしたので処刑された。この事から、後世の人達が「お菊」のために塚を建て、その塚が「菊が森」と呼ばれたが、今では、もう存在しない。

・つるべ落とし伝説

上記伝説で登場した「お鶴」に関しては、六原丸森の難所となっている深い谷に投げ落とされて処刑されたので、後世の人達は、この谷を「つるべ落とし」と名付けた。

 

・白糸姫伝説(その1)

安倍貞任」の娘「白糸姫」が、「源 義家」に軍事機密を漏らして生き埋めにされた。この姫を弔うために義家が建立したのが「本宮観音堂」である。あるいは、ここが「白糸姫」の墓所である。

 

・白糸姫伝説(その2)

別の「白糸姫伝説」では、この姫は、「安倍貞任」の娘ではなく、父「頼時」の妻となっており、次のような内容となっています。

 

 

江刺市伊手の山の中に、「田束(たつかね)山自生院」という天台宗のお寺があり、この寺に、背が高くて綺麗な女性が、屈強な武士達と一緒に暮らしていた。

 

いつ頃から、この寺で暮らし始めたのか村人達には分からなかったが、何時からか「御堂さま」と呼ぶようになったが、家来の武士達は「白糸姫」と呼んでいた。

 

この「白糸姫」、実は「安倍頼時」の妻で、元々は身分の低い生まれだったが、「頼時」に嫁ぐため、関白「藤原道長」の養子となり、その後「安倍頼時」と結婚したので、「御堂さま」と呼ぶようになったそうです。

 

なぜ、この様な高貴な姫が山中に隠れて暮らしているのかと言うと、義理の息子「安倍貞任」に捕まった「源 義家」を逃した事で、「貞任」から追われる身になってしまったそうです、

 

ところが、前九年の役で、夫は戦死し、養父も既に他界していたので、戦後、「義家」が、この姫を哀れに思い、金ケ崎に住まわせたと伝わっている。

 

そして、この姫が暮らしていた場所を「白糸城」と呼ぶようになったそうです。

・白糸姫伝説(その3)

前九年の役の最中、「源 義家」は、「安倍貞任」との戦に敗れ、鳥海柵に捕らわれてしまったそうです。

 

「源 義家」は、何とか柵から脱出しようと、「貞任」の娘「白糸姫」を次のような言葉で、たぶらかしたそうです。

 

『 俺を逃してくれれば夫婦になる。また、その時、貞任が持っている神通力の巻物も一緒に持って来てくれ。』

 

「義家」を信じた姫は、巻物を「義家」に渡して逃してしまったそうです。

 

巻物には、戦で勝つための秘策が書かれており、次の戦で、貞任軍は負けてしまったのですが、「白糸姫」が、「義家」に巻物を渡して逃した事を知った「貞任」は、「白糸姫」を生き埋めにしてしまったそうです。

 

これを知った「義家」は、「白糸姫」を哀れに想い、お堂を建立して十一面観音を祀ったそうですが、これが現在の「本宮観音堂」である。

 

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今回は、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」の第3回目として、次のような内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

今回、「安倍氏」に関する「実は生きていた」伝説を紹介しましたが、似たような伝説を聞いた事はありませんか ?

 

それは、弊社ブログで過去に紹介した「源 義経北行伝説」です。

 

★過去ブログ:岩手県内における義経伝説 ? 信じたくなる話ばかり Vol.2

 

「源 義経」の場合、上記ブログにも記載していますが、本当に良く出来た(と言えば変な話ですが)伝説で、ちゃんと、「義経」が出現した場所が線で繋がるのが不思議でした。

 

しかし、今回紹介した「安倍伝説」は、さすがに「義経北行伝説」に比べると質が落ちます。

 

「安倍一族」は、様々な場所に登場するのですが、全て、行き当たりばったりの感じです。

 

安倍氏」にかんしては、まだまだ伝説がありますので、機会があれば別の伝説を紹介したいと思います、

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

いわき市鹿島の極楽蜻蛉庵(https://blog.goo.ne.jp/ah8671)

・学校法人中村学園アーカイブ(http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/)

国文学研究資料館(https://www.nijl.ac.jp/)

・近代書誌・近代画像データベース(http://base1.nijl.ac.jp/~kindai/index.html)

・はてノ鹽竈(https://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513)

・千時千一夜(https://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo)

陸奥評林 - 国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)

七戸町ホームページ(http://www.town.shichinohe.lg.jp/index.html)

蓬田村ホームページ(http://www.vill.yomogita.lg.jp/index.html)

・秋田の昔話・伝説・世間話(http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/)

・遠野文化研究センター(http://tonoculture.com/)

 

進化し続けるサイバー攻撃 - サイバー空間は悪者ばかり ?

 今回の「IT系のお役立ち情報」では、久しぶりにサイバー攻撃についての情報を紹介したいと思います。

 

前回、サイバー攻撃マルウェア等のウイルスに関しては、2018年8月に、下記ブログで「セキュリティソフト」についての情報を紹介しました。

 

★過去ブログ:セキュリティ・ソフトウェアのアレコレ

 

このブログでは、自分のPCに、セキュリティソフトがインストールされているか否かを確認する方法から、セキュリティソフトで出来る事/出来ない事まで、結構様々な事を紹介しました。

 

しかし、犯罪者によるサイバー攻撃は、本当に際限なく行われ、かつ日々進化を遂げています。

 

弊社のお客様でもあった「IPA(Information-technology Promotion Agency/独立行政法人情報処理推進機構)」様では、毎月何件ものセキュリティ情報を発信しています。

 

 IPAによると、脆弱性(セキュリティホール)が多いのが、次のソフトウェアとなっているようです。

 

Microsoft社 :IE(Internet Explorer)

Adobe社     :Acrobat Reader、Flash Player

Oracle社    :Java

 

これら3社のソフトウェア製品に関しては、毎月、あるいは毎週のように脆弱性が報告されているようです。

 

Google社が、自社のWebブラウザChrome」から、JavaFlash Playerを締め出したのも納得が行く対応だと思います。

 

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 このように世の中では、相も変わらずサイバー攻撃が行われており、なおかつ、攻撃の手口も日々進化を遂げており、もう素人レベルでは、正規の動作なのか、それともサイバー攻撃なのかさえ、簡単には判断が出来ない状況になってしまっています。

 

そこで、今回は、次のようなサイバー攻撃を紹介したいと思います。

 

 

しかし、最後の善玉ワームは、名前の通り、マルウェアを駆逐してくれる良いウイルスです。

 

詳しくは、該当の章で説明しますが、このウイルス、現時点では、誰が作成したのか解らない謎のウイルスですが、確かに「IoT」機器に侵入したマルウェア「Mirai」の動きを抑止しようと頑張ってくれるようです。

 

現代では、人間の身体以外、ソフトウェアの中でも、善玉菌と悪玉菌が戦いを繰り広げる世の中になってしまったようです。

 

それでは今回も宜しくお願いします。

  

■人の目では識別不能な「ホモグラフ攻撃」

 皆さん、「ホモグラフ(Homo Graph)」と言う言葉はご存知ですか ?

 

「ホモ(homo)」は、ギリシャ語で「同じ」を意味し、「グラフ(graph)」は「文字」を意味していますので、両方合わせて『 同じ文字/同形異義語 』と言う事になります。(※同綴異義語:どうてつ-いぎご)

 

つまり、発音の仕方は問わず、スペルが同じ、次の様な文字が「ホモグラフ」となります。

 

・wind    :「風」      /    「巻く」

・down    :「下方向」  /    「鳥の綿毛」

・lead    :「鉛」      /    「導く/先行」

・sound   :「音」      /    「健全/堅実」

・bass    :「楽器バス」 /    「魚バス」

 

そして、「ホモグラフ攻撃」とは、WebサイトのURLを正規サイトと酷似した異なる文字で偽装し、Webサイト閲覧者を偽サイトに誘導する攻撃となります。

 

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通常、WebサイトのURL(Uniform Resource Locator)には、インターネット上のWebサイトの住所を指定する事になっており、弊社のホームページのURLは、次の様な形式となっています。

 

エム・システムのホームページ:http://msystm.co.jp/

 

また、より安全に通信を行う事が出来るURLには、「http」の後ろに「s」を付けた「https」と言うプロトコルがあります。(※正確には、SSL/TLSプロトコルにより提供されるHTTP通信)

 

・HTTP     :Hyper Text Transfer Protocol

HTTPS    :Hyper Text Transfer Protocol Secure / 通称「SSL通信)

 

HTTPは、インターネット内での通信を「平文」で行っているので、悪意のある第三者がインターネット通信を傍受した場合、通信内容を盗聴することが可能となってしまっています。

 

 このため、SSL通信は、当初、インターネット決済やネットバンキング等、インターネット内で電子決済を行う場合に、通信内容を暗号化する事で、個人情報の盗聴やデータ改ざんを防止する事を目的として利用されていました。

 

しかし、その後は、公衆無線LANの拡大や、アメリカ政府、特にNSAが2007年から運用を開始した「PRISM」と呼ばれる通信監視プログラムへの対抗措置として、SSL通信が拡大しています。

 

 このため、現在、Google社のWebブラウザChrome」では、SSL通信を行っていないWebサイトに関しては、意図的に、「保護されていない通信」と、嫌味の様に表示する仕様に変更されています。

 

また、SSL通信を行っている場合、WebブラウザのURL欄に「カギ」マークが付きます。

 

この「カギ」マークは、該当Webサイトがセキュア(安全)な環境で行われている事を示しており、「カギ」マークをクリックすると、このWebサイトを保証する証明書等の情報を参照する事が出来ます。

 

SSL    :Secure Sockets Layer

TLS    :Transport Layer Security

 

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このように、URL情報に、SSL通信を行っていると言うマークが表示されていれば、普通、誰でも、そのWebサイトは安全なサイトだと思ってしまいます。

 

しかし、次の画像を、よ~く見て下さい。

  

 

 

URL情報は「https://www.apple.com」と、アメリカのApple社のURLとなっており、なおかつSSL接続を示すカギマークまで付いています。

 

しかも、カギマークをクリックすると、ちゃんと証明書情報まで表示され、ちゃんとApple社のURLを表示し、安全な接続とまで表示されます。

 

   

 

 

にも関わらず、表示されているのはApple社のWebサイトではありません。これは、一体どういう事なのでしょうか ?

 

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   このサイトは、「The Hacker News」と言う、ソーシャル・ニュース・サイトの「Mohit Kumar」氏が、「ホモグラム攻撃」の危険性を啓発するために作成したデモサイトです。悪意のあるページではないので安心して下さい。

 

「ホモグラフ」と「ホモグラフ攻撃」の意味は、本章の最初に紹介した通りです。

 

今回、「Mohit Kumar」氏は、Apple社のURLを偽装したページを作成し、皆さんを偽ページに誘導しました。

 

このサイトの本当のURLは「https://www.xn--80ak6aa92e.com/」なのですが、一部、「ホモグラフ攻撃」対策を施していないブラウザでは、この通り「https://www.apple.com」と表示されてしまうのです。

 

    

 

 

今回、「Mohit Kumar」氏が行ったのは、「ホモグラフ攻撃」の進化版と言われています。

 

本来、「ホモグラフ攻撃」は、もっとシンプルで、例えば、下記のような偽装となるそうです。

 

ケース1:https://www.apple.com     → https://www.appie.com      「l」と「i」

ケース2:https://www.google.com/  → https://www.G0OGLE.com/   「O」と「0(ゼロ)」

ケース3:https://www.microsoft.com/  → https://www.rnicrosoft.com/ 「m」と「r / n」

 

ケース1は、英小文字「l(エル)」を英小文字「i(アイ)」で偽装し、ケース2は、英大文字「O(オー)」を数字「0(ゼロ)」で偽装、ケース3は、英小文字「r(アール)」と「n(エヌ)を連続させて「m(エム)」に見せかけて偽装しています。

 

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このように、通常は、よく見れば、人間の目でも、何とか偽造を見破れるのですが、先の「Mohit Kumar」氏の「ホモグラフ攻撃」は、(使用ブラウザによっては)人間の目では判別不可能です。

 

この「ホモグラフ攻撃」」は、前述の通り、進化型の「ホモグラフ攻撃」で、文字コードを悪用した攻撃です。

 

Webブラウザでは、通常、文字コードとして「Unicode(ユニコード)」が使われていますが、この文字コードとは別に「Punycode(ピュニコード)」と言う文字コードも存在します。

 

Punycode」とは、詳しく説明すると、かなり複雑な説明になってしまいますので、今回は簡単に説明しますが、現在、インターネットでは、日本語のドメインも使用可能となっています。

 

ところが、ドメインを管理するサーバー(DNSサーバー)では、日本語を、そのまま使用することは不可能となっています。

 

このため、英数字以外の言語で入力された文字列を、DNSサーバーで取り扱う事が出来るように、日本語のドメイン名を英数字コードに変換する必要があり、その際に使用する文字コードが「Punycode」となっています。

 

例えば、弊社のドメイン名を日本語ドメインで使用する場合、次のように日本語ドメインが「Punycode」に変換されます。

 

日本語「エムシステム」 → Punycode「xn--ick4ag6c5gd」

 

そこで、問題の「Mohit Kumar」氏の「ホモグラフ攻撃」ですが、このケースでは、次のように「Punycode」に変換されます。

 

Punycodehttps://www.xn--80ak6aa92e.com」 → Unicodehttps://www.аррӏе.com」

 

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現在、多くのブラウザでは、前述の進化型ホモグラフ攻撃にも対応しており、私が確認した所では、下記ブラウザでは、URL欄に「https://www.xn--80ak6aa92e.com」と入力しても、ちゃんと「Punycode(ピュニコード)」そのものが表示されるようになっているようです。

 

   Chrome

・Edge

Opera

Safari

Firefox

 

但し、ChromeFirefoxでも、古いバージョンでは、この「進化型ホモグラフ攻撃」に対応していませんので、早急に最新版にアップデートする事をお勧めします。

 

なお、古いバージョンでも、あるコマンドを入力する事で、Punycodeの自動変換をOFFにして、偽装サイトか否かを区別する事が出来るように、ユーザー側で対応策を打つことは可能な様ですが、それならば最新版にアップデートした方が簡単だと思います。

 

ちなみに、ChromeFirefoxも、「Mohit Kumar」氏からの指摘を受け、この攻撃への対応を行った事が記録されているようです。

 

 

 

マルウェア「Stuxnet」の脅威

    次は、過去にも本ブログでも過去に紹介したマルウェア「Stuxnet(スタックスネット)」の脅威を取り上げたいと思います。

 

本ブログでは、下記2つの記事で、このマルウェア「Stuxnet」を取り上げて紹介しています。

 

【 過去ブログ 】

IoT ~ 日本復活か ? それとも破滅か ?

新種のサイバー攻撃に備える ~ 感染したらもうお終い その2

 

このマルウェア「Stuxnet」に関しては、確認は取れてはいないですし、当事者も(当然)認めていないのですが、その筋の方々の話では、アメリカの「国家安全保障局(NSA)」とイスラエル参謀本部諜報局の情報収集部門の一部署「8200部隊」が共同で開発してイランの核施設を攻撃したと言う話が伝わっています。

 

この攻撃では、USBメモリマルウェア「Stuxnet」を仕込み、このUSBを、インターネットから隔離されたウラン濃縮のために使用する遠心分離機の制御装置に接続させることで、マルウェアを感染させたと言われています。

 

マルウェア「Stuxnet」に感染した制御装置は、遠心分離機の回転速度を急激に早めることで、大量の遠心分離機を破壊し、最終的に、イランの核開発を大幅に遅らせる事が出来たと言われています。

 

イランの核施設を攻撃したマルウェア「Stuxnet」に関しては、様々な実行条件を付加し、このイランの核施設の環境でしかマルウェアが動作しないような仕組みになっていた事が明らかになっています。

 

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    そして、このマルウェア「Stuxnet」は、Windows OSの脆弱性を攻撃する仕組みとなっており、この攻撃では、「Windows Shell(シェル)」に存在した脆弱性を攻撃しています。

 

この脆弱性は、今を遡ること約9年、2010年8月に検出され、「CVE-2010-2568」と言う番号で管理されており、修正パッチ番号「MS10-046」を適用する事で修正することが出来ます。

 

そして、この脆弱性ですが、下記のWindows OSに存在しています。

 

・PCの場合      : Windows XPWindows Vista、およびWindows 7

・Serverの場合  : Windows Server 2003、および2008

 

 

他方、マルウェアの攻撃対象が、「Windows Shell(シェル)の脆弱性」と言うことですが、これは・・・説明するのが難しいのですが、「Shell」とは、Windows OSを制御するための一種のコマンドです。

 

今回のケースでは、この「Shell」と言うコマンドの処理が不完全だったためにOSに脆弱性が生まれてしまい、犯罪者に、脆弱性を攻撃する機会を与えてしまった事になります。

 

このため、犯罪者が、この不完全さ(脆弱性)を悪用する攻撃用プログラムを埋め込んだWebサイトを作成し、ユーザーが、そのサイトを閲覧すると、犯罪者が、このユーザーのPCを制御できるようになってしまうと言うものです。

 

犯罪者が、社員の1台のPCを掌握してしまえば、その1台のPCを踏み台にして、次のような攻撃を仕掛ける事が可能になります。

 

・社内LANを経由して他のPCにも感染を拡げる

・社内の機密情報にアクセスして情報を盗み出す

・機密データを改ざんしたり、消去したりする

・取引会社にもマルウェアの感染を拡げる

 

社内に潜り込む事さえ出来れば、後は、犯罪者の意のままになってしまいます。

 

この修正パッチ「MS10-046」に関しては、詳しくは、Microsoft社が提供する下記情報をご覧下さい。

https://docs.microsoft.com/ja-jp/security-updates/securityadvisories/2010/2286198

 

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『 何だ~、攻撃対象は、古いOSばかりじゃん !! 』と思うのが当然ですが、未だに、この攻撃が猛威を振るっているそうです。

 

例えば、社内のPCのほぼ全て、95%が「Windows 10」に切り替わっていても、残りの5%で、まだ「Windows 7」を使っており、かつ該当の修正パッチ「MS10-046」を適用していない場合、社内には、5%の攻撃リスクが残っている事になります。

 

さらに、「IoT」機器や、工場等で使っている各種制御用のWindows OSは、未だに「Windows XP」とか「Windows Vista」を平気で使っています。

 

さらに、「Windows XP」や「Windows Vista」は、とっくの昔に、Microsoft社のサポート対象OSから除外されていますので、自動的に修正パッチも適用される事もありません。

 

利用者が、自ら修正パッチを探し出して、個々のPCに修正パッチを適用しなければならないのですが・・・

 

未だに、このようなサポート切れのPCを使っている、俗に言う「ITリテラシーの低い」会社において、このような面倒な作業を行うはずもありません。

 

このため、10年近く前に発見され、とっくの昔に修正用パッチが配布されているにも関わらず、いまだにマルウェア「Stuxnet」の攻撃は無くならないのです。

 

その上、このマルウェア「Stuxnet」には、数多くの亜種も確認されているので、余計にタチが悪い状況になってしまっているそうです。

 

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    元々、このマルウェア「Stuxnet」は、前述の通り、アメリカとイスラエルの非常に優秀な技術者が開発して生み出しているので、言葉は悪いですが、非常に高性能なマルウェアとなっています。

 

オリジナルの「Stuxnet」は、イランの核施設のみを攻撃対象にしていたので、自己複製機能は持ち合わせていなかったと考えられています。

 

しかし、その後に発生した「亜種」には複製機能が付け加えられたために、脆弱なネットワーク内を移動しながら、他のデバイスを攻撃し続けるようになってしまったそうです。

 

そして問題なのが、前に指摘した通り「IoT」機器と産業用制御システム、それと監視制御システムです。

 

これらのIT機器は、通常のPCとは異なり、最初から、非常に長期間の利用を想定して導入されているために、古いWindows OSが、サポート期間が終了した後でも平気で使われています。

 

他方、Microsoft社は、アメリカ軍や連邦政府のように、特別な料金を支払わない限り、サポート切れのOS用には更新プログラムは提供しません。

 

このため、「IoT」機器、産業用制御システム、あるいは監視制御システムに「Stuxnet」が感染すると、このマルウェアは、何年でも潜伏したままの状況となります。

 

そして、このIT機器に、誰かが別のPCを接続したとたん、自己複製機能を活性化して感染を拡げる事になります。

 

本当にウイルスと同じです。

 

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  マルウェア「Stuxnet」は、何度も紹介する通り、イラン核施設攻撃用のサイバー兵器として開発されたのですが、これを「NSA」から盗み出したのが「Shadow Brokers」と呼ばれているグループです。

 

そして、この「Shadow Brokers」は、実は、別のランサムウェア「WannaCry(ワナクライ)」を、同じく「NSA」から盗み出してリークしたハッカーグループでもあります。

 

ランサムウェア「WannaCry」に関しては、下記の過去ブログで紹介しています。

 

【 過去ブログ 】

新種のサイバー攻撃に備える ~ 感染したらもうお終い その1

セキュリティ・ソフトウェアのアレコレ ~ ソフトに無理を求めるな !

 

ランサムウェア「WannaCry」は、2017年5月頃から世界中に拡散し、多くの企業や政府を恐怖に陥れましたが、これも「NSA」から盗み出された下記2個のサイバー攻撃用ツールをベースに開発されていたとされています。

 

・EternalBlue :「Windows SMB1.0(SMBv1)」が特定リクエストを処理する際のセキュリティ上の欠陥

・DoublePulsar :NSAが開発したバックドアツール

 

しかし、これまで、本ブログでは、マルウェアを開発したのが「NSA」としていますが、本当は、別のハッカー集団「Equation Group(イクエーション・グループ)」と言うグループが開発したと言われています。

 

つまり、「Equation Group」とは、「NSA」の一部門と言うことです。

 

このハッカー集団「The Equation Group」に関しては、2015年、セキュリティ企業「Kaspersky」が、このグループの存在を明らかにしましたが、少なくても、2001年には、既に活動を開始していたと考えられており、現在では、世界で最も高度な知識を持つハッカーグループとされています。

 

「Equation Group」=「NSA」と言う確たる証拠は無いのですが、余りにも高度な技術を持ち過ぎているため、ここまで高度な技術を持つのは「NSA」以外に考えられないと言うのが、その理由となっているそうです。

 

ちなみに、この「Equation Group」が開発したマルウェア「nls_933w.dll」と言うプラグインは、感染するとハードドライブ内のファームウェアを再プログラミングする機能を保持しており、何より恐ろしいのは、検知がほぼ不可能で、かつディスクをフォーマットしても生き残り、さらにOSを再インストールしても消し去る事が出来ないのだそうです。

 

前述のカスペルスキー社のディレクター「Costin Raiu」氏は、自身のPCが「nls_933w.dll」に感染した可能性がありそうなら、もはやハードドライブを破壊するしか対応策は無いと言っています。

 

本当に「どんだけ~!!」と言う感じです。

  

 

スパイウェア「XKeyscore」と「MALLARD」

 次は、ウイルスの話ではなく、またもや「NSA(National Security Agency)」が使っていた上記2個のスパイウェアの情報を紹介します。

 

・XKeyscore :インターネット上のデータ検索分析システム

・MALLARD  :ネットワーク通信傍受システム

・PRISM    :アメリカの大手ネットワーク・プロバイダーのデータ監視

・Echelon  :軍事目的の通信(各種信号/電磁波/通信)傍受システム

 

参考までに、前章で紹介した「PRISM」や後で登場する「Echelon(エシュロン)」も記載しましたが、まあ、どれも似たような監視システムです。

 

規模で比較すると、「XKeyscore」が、一番大規模な仕組みのような感じがします。

 

「XKeyscore」システムは、個人名を入力すると、関連する個人のメール記録、電話通話記録、ネット閲覧記録を検索出来ますし、該当者のPCやスマートフォンにもアクセスして盗聴や盗撮までも行えるシステムと言われています。

 

もう、この監視システムは、「何でもござれ」的な監視システムで、アメリカと同盟関係にある一部の国に設置された700以上のサーバーの支援を受けて稼働し、1日に20テラバイト以上のデータを取得することが出来ると報告されているようです。

 

テラバイト(terabyte)とは、1兆990億(1,099,511,627,776)バイトとなり、写真が1枚5MBだとすると、約22万枚分の容量となります。

 

他方、「MALLARD」は、1時間当たり、50万回のネットワーク通信を傍受することが出来るシステムとなっているそうです。

 

そして、その分析結果によると、50万件の内、サイバー攻撃に関係するデータは、1件だけだったと暴露されています。

 

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 ところで、今回紹介したスパイウェア「XKeyscore(エックスキースコア)」と「MALLARD(マラード)」ですが、実は、この情報も元CIA(Central Intelligence Agency)職員だった「エドワード・ジョセフ・スノーデン(Edward Joseph Snowden)」氏が暴露した情報となっています。

 

この「スノーデン」氏は、数多くの機密情報を暴露しており、先の「PRISM」によるデータ監視の件も、彼が暴露した情報です。

 

そして、今回、スノーデン氏は、次の情報を、新たに暴露しました。俗に言う「スノーデンの日本ファイル」です。

 

・日本の「防衛省情報本部電波部(DFS)」とNSAは密接な協力関係にある

・しかし、日本は、アメリカにとって主要なパートナーではなく「サードパーティ」扱いである

・トップは当然アメリカで、セカンドパーティーには、イギリス、カナダ、オーストリアニュージーランドで、アメリカを含め、これら5カ国を「ファイブアイズ」と呼んでいる

・日本にも「MALLARD」の施設があり、それは福岡県にある「自衛隊太刀洗通信所」である

NSAとDFSは、日本で「MALLARD」を共同運営して通信を監視している

・日本政府はネットワーク通信傍受システムの構築を図っており、その中心は「内閣情報調査室」、俗に言う「内調」である

・「内調」のトップ「北村内閣情報官」が、NSAを訪れ協議を行っている

自衛隊は、自衛隊イラク派遣に反対する動きを監視するため一般市民までも監視対象としている

青森県三沢の米軍施設では「エシュロン(Echelon)」が運用されており、「9.11」直後、電話で「ビン・ラディン」等と言うと雑音が入った

アメリカの防諜活動を支援するために日本政府は経費負担を行っておりその原資は税金である

・日本にも「XKeyscore」が提供されている

・内調は、安倍首相の選挙対策のため、「XKeyscore」を用いて対立候補の情報を収集していた

大韓航空機撃墜事件では、日本が傍受したソ連の通信記録を、アメリカが国連に提出した。これにより、それ以降、日本ではソ連の通信傍受が困難になった

・日本が捕鯨活動を再開するための準備データがアメリカによって傍受され、得られたデータが反捕鯨国に渡されていた

 

以上が、日本ファイルの概要になりますが・・・日本でNSAの監視ツール「MALLARD」や「Echelon」、さらには「XKeyscore」までもが運用されている事が明らかになりました。

 

しかし、その半面、逆に、日本もNSAに監視されていたとは、何とも情けない話です。

 

これらの情報は、2018年5月31日(木)の「NHKスペシャル」で報じられたスクープ情報です。

 

この番組は、その後、各方面に影響を及ぼし、番組放送後、防衛省に対して、「MALLARD」に関する情報公開請求が行われたようです。

 

その結果は・・・当然の事ながら、情報不開示となったのですが、情報不開示となった事に対して審査会が開かれ、不開示の妥当性が審議されていますし、さらに不開示の取り消しを求める請求もあったようですが、結局、情報は公開されずじまいです。

 

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 何とも凄まじい情報戦争が行われていたようですが、日本国民は、全くの他人事、「上の空」状態です。

 

もう少し事態を深刻に受け止めるべきだと思います。

 

特に、アメリカに日本が監視されていたと言う点と、「XKeyscore」が首相の選挙戦で使われていたと言う点には恐怖を感じます。

 

今後、アメリカとは二国間の貿易協議を開催する事が決まっていますので、その協議のために「XKeyscore」や、その他監視ツールが使われると、機密情報が「筒抜け」になってしまいます。

 

先に挙げた2007年の「IWC(国際捕鯨委員会)」総会の件では、日本が総会のために用意したシナリオが、反捕鯨国であり、かつ「ファイブアイズ」のメンバーであるニュージーランドに事前に漏れていた事で、日本の立場が悪くなった事が明らかになっています。

 

その結果、「IWC」における日本の立場は悪化を辿り、とうとう2018年12月26日、日本政府は、「IWC」から脱退し、日本の領海と「EEZ(排他的経済水域)」内での商業捕鯨を、2019年7月から再開する事となってしまいました。

 

アメリカとの二国間協議でも、このような情報漏洩が起きないよう、細心の注意を払う必要があります。

 

と言っても、「XKeyscore」から逃れる手段ってあるのでしょうか ?

 

 

それと、「XKeyscore」が、安倍首相の個人目的のために使われたと言う点も非常に問題だと思います。

 

「内調」は、この事実を否定していますが、「内閣」と言う組織が関わっているので、疑わしいグレーと言うか、ほぼ真っ黒、確信犯だと思います。

 

一度、私用で監視ツールを使ってしまうと、もう歯止めが効かなくなります。

 

また、イラク派兵問題に関しても、防衛省が一般市民を監視すると言う事態も起きています。

 

もはや、日本においては、自衛隊文民統制(シビリアンコントロール)は、有名無実化してしまったのでは無いかと危惧しなければならない状況になりつつあるのかもしれません。

 

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 自衛隊で諜報活動を行うのは、「陸上幕僚監部第二部別室」、あるいは「陸上幕僚監部第二部」、俗に「陸幕二部」と呼ばれ、現在では、「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」、あるいは「別班」と呼ばれる組織です。

 

このため、通常、日本における諜報活動は、先の「内調」と「陸幕二部」が行っていることは、周知の事実でした。

 

ところが、2018年10月に発売された【 自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体 】と言う本では、とんでも事が暴露されています。

 

この本は、共同通信編集委員の「石井 暁」氏が書いた本なのですが、その中で、上記「別班(旧・陸幕二部)」が、国内のみならず、身分を偽装して海外で諜報活動を行っており、この活動に関しては、防衛大臣や首相には報告されていない、と言う事実が書かれています。

 

この活動は、第二次世界大戦後、冷戦時代(1947年~1991年)から、首相や防衛大臣に知らされず、独断でロシア、中国、韓国、そして東欧に活動拠点を設け、ビジネスマン等に身分を偽装した自衛官が、諜報活動を行っていたそうです。

 

陸幕の情報本部長経験者の話では、別班は「DIT(Defense Intelligence Team/防衛情報チーム)」とも呼ばれ、数十人存在するメンバーは、全員、陸自小平学校「心理戦防諜課程」の卒業者とされています。

 

 そして、この課程は、戦時中に、防諜活動を行っていた「陸軍中野学校」の後継課程とされているそうです。

 

活動報告は、情報の出所を明示しない形で、陸上幕僚長と本部長にのみ報告される体系となっているそうです。

 

この件に関して、石井氏は、防衛省陸自に問合せたそうですが、当然、どちらも「別班」の存在自体を認めていないそうです。

 

また、当時の小野寺防衛相にインタビューした際には、『 陸幕長に過去と今、そのような機関があるのかという確認をしたが、ないという話があった。 』と回答した上で、さらに『 長くても2年ぐらいしかいない大臣になんて言うはずがない。そういうことかなあ。 』と言う一言を口にしたとも記載されています。

 

 自衛隊法には、【 自衛隊文民である首相や防衛相が指揮監督する】、と明記 されていますが、やはり、日本は、当初から「文民統制(シビリアンコントロール)」が効かない国なのだと言うことを、改めて認識しました。

 

このような事をブログに書くと、私も、「XKeyscore」の監視対象になってしまうのかもしれません。

  

マルウェアと戦う善玉ワーム「Hajime」

 本ブログの最後は、ちょっと面白い話題を紹介します。

 

2016年9月から10月に掛けて、セキュリティ対策が手薄な「IoT機器」を踏み台にした、史上最大級と言われる「DDoS攻撃」が行われました。

 

DDos攻撃」とは、 『 Distributed Denial of Service attack 』の略で、日本語では、『 分散型サービス妨害攻撃 』と翻訳されている攻撃で、サーバーに大量データを送りつけることで、サーバーの処理能力をオーバーさせて、サーバーをダウンさせる攻撃です。

 

この攻撃では、次のサイトが攻撃対象となり、欧米のサイトは、一時恐怖に見舞われました。

 

アメリカのセキュリティ情報サイト「Krebs on Security」 :攻撃規模「620Gbps」

・フランスのインターネットサービスプロバイダー「OVH」   :攻撃規模「1.5Tbps」

アメリカのDNSサーバープロバイダの「Dyn(ダイン)」    :攻撃規模「1.2Tbps」

 

攻撃規模ですが、「Gbps」とか「Tbps」と言う表現になっていますが、それは下記の通りです。

 

・Gbps :Giga Bytes per Second/1秒当たりのギガバイト

・Tbps :Tera Bytes per Second/1秒当たりのテラバイト

 

つまり、1秒間当たり1テラバイトのデータが、Webサイトのサーバーに送りつけられた事を意味しています。1秒間に、これほど大量のデータを送りつけられたら、どんなに処理能力が高いサーバーでも瞬時にダウンしてしまうと思われます。

 

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  そして、その時に使用されたマルウェアが、日本のアニメ「未来日記」から名前を取った「Mirai」と言うマルウェアです。

 

   このマルウェア「Mirai」を開発した人物は、当初、「Anna-senpai(アンナ先輩)」と言うハンドルネームを名乗っていましたが、実際には、下記2名の人物です。

 

・Paras Jha(21歳)

・Josiah White(20歳)

 

この2名は、「Protraf Solutions LLC」と言うDDoS攻撃を沈静化させるサービスを提供していた会社の共同経営者だったそうです。

 

つまり、自分達でDDoS攻撃を仕掛け、それを沈静化させることで利益を上げていたことになりますので、まるで、放火犯と消防士が一体化したサービスを提供していた事になります。

 

全く、悪知恵が働くと言うか、何と言うか・・・ビジネスモデルとしては美味い考え方かもしれませんが、罪まで犯してビジネスを成立させるのは、許されない行為だと思います。

 

そして、2017年12月13日、上記2名に、もう一人「Dalton Norman(21歳)」という人物も加えて、これら3名に対して、司法省が有罪判決を下したと発表されています。

 

これで、マルウェア「Mirai」の攻撃は収まるかと思いきや、何と「アンナ先輩」は、「Krebs on Security」を攻撃した数日後、2016年の9月中に「Mirai」のソースコードを公開してしまったのです。

 

このため、全世界にマルウェア「Mirai」の亜種が拡散してしまい、もはや手が付けられない状況、カオスとなってしまったそうです。

 

 ヨーロッパでも、この「Mirai」の亜種による攻撃が発生し、ドイツ・テレコムやイギリスのプロバイダーが攻撃されたようです。

 

ちなみに、「アンナ先輩」は、日本のアニメが好きな「アニオタ(アニメオタク)」だったようで、前述の通り、マルウェアの名前は日本のアニメです。

 

・Mirai      :アニメ「未来日記

・アンナ先輩  :アニメ「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」に登場する「アンナ・錦ノ宮」

 

そして、かれら3名は、クリック詐欺も行っていた事も判明していますの、詐欺に関しては、懲役5年/250,000ドルの罰金、ソースコードの公開に関しては、5年以下の懲役/250,000ドルの罰金、および執行猶予3年と言う判決が下されています。

 

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全く、トンデモナイ事をしでかした2名ですが、このマルウェア「Mirai」の登場と時を同じくして、「Mirai」に似た別のマルウェア「Hajime」が、セキュリティ企業「Rapidity Networks」によって発見されています。

 

この「Hajime」は、「Mirai」に遅れる事1ヶ月、2016年10月頃に発見され、2017年春には、数十万台にまで感染を広げている事が確認されていたそうです。

 

マルウェア「Hajime」も、「Mirai」同様、Telnetポートが開かれ、デフォルトのパスワードを使っている無防備なIoTデバイスを通じて拡散しデバイスにログインします。

 

その後、デバイスに感染すると、複数の段階を経て実行プロセスを覆い隠し、ファイルシステム上に自らのファイルを隠す処理を行うので、「Mirai」よりもステルス性と先進性が高いと評価されているそうです。

 

  

 

 

そして、「Mirai」との大きな違いは、「Hajime」は、「DDoS攻撃」等は一切行わず、その代りに、次のメッセージを10分毎に表示するだけなのだそうです。

 

→ 『 Just a white hat, securing some systems(システム保護をめざす、善意のハッカー) 』

 

さらに「Hajime」は、その言葉通り、IoT機器に感染すると、「Mirai」が侵入を試みる、該当デバイスの23、7547、5555、および5358番ポートへのアクセスをブロックすることで、機器のセキュリティを強化しているそうです。

 

現時点でも、「Hajime」が、本当に「善玉ハッカー」か否かの確認は取れていないものの、その可能性はあると言う点で、専門家の意見は一致しているそうです。

 

但し、「Hajime」は、モジュール形式のプログラムなので、何時でも新機能を追加したり、あるいは処理を変更したりすることが可能となっているので、将来に渡り「善玉」でいるか否かは、作者以外、誰にも解らないとされています。

 

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さらに「Hajime」とは別に、やはり「Mirai」の侵入を防ぐ「BrickerBot」と言うマルウェアも発見されています。

 

このマルウェア「BrickerBot」も、「Mirai」や「Hajime」同様、初期設定のアカウントとパスワードを利用したブルートフォース(総当り)攻撃によってIoT機器に接続します。

 

ところが、マルウェア「BrickerBot」が「Hajime」と異なるのは、感染したIoT機器のストレージを破壊することによって、そのデバイスを恒久的なサービス妨害状態に陥れ、使い物にならなくしてしまう点です。

 

   

 

 

また、詳しい説明は省略しますが、マルウェア「BrickerBot」には、バージョン1~4まで存在する事が確認されているようです。

 

ところで、こちらのマルウェア「BrickerBot」に関しては、作者とコンタクトが取れ、取材も行われたようです。

 

この「BrickerBot」の作者は、ハンドルネーム「Janit0r」と名乗り、コンピュータヘルプサイト「Bleeping Computer」の取材に対して、マルウェアの作成意図を次のように語っています。

 

『 IoT機器のセキュリティ騒動は、セキュリティの知識が十分にないメーカーが、セキュリティの知識がまったくないユーザー向けに、パワフルなネット常時接続端末を開発していることに原因がある。ネットで市販のIoT機器を見てみたが、工場出荷時とほぼ同じ状態で使われているものが大半だ。 [中略]

 

例えば、Avtech製の防犯カメラ10台のうち9台は「admin/admin」というデフォルト設定のままで使われていた! 自動車や工具だったら即販売停止になるレベルだ。IoT機器だけ特別扱いなんておかしい。昨年のインターネットの惨状を見た後ではもう誰も、セキュリティの弱いIoT機器に問題がないなんて言えないはずだ。 [中略]

 

このプロジェクトのことは自分では「インターネットの化学療法」だと思っている。自分の役目はさしずめ(『ドクター・フー』の)「ザ・ドクター」だ。化学療法なんてきついもの健常者にすすめる医者はいない。しかしネットの病状は2016年第3四半期、第4四半期に進行し、普通の治療では立ちゆかなくなった。重篤な副作用も出るには出るが、DDoSに駆り出されるボットネットが数百万台規模ともなれば、放置するわけにもいかない。本当はもっとうまい方法で再発に対処できればいいのだけど。

 

自分の目的はDDoS攻撃に使われるゾンビのIoT機器の数を管理可能な数に抑えることともうひとつ、問題意識の向上を図ることにある。IoT問題はみんなが考えている以上に深刻な問題なんだ。ぞっとする話もいくつか知っている。 』

 

まあ、確かに、IoT機器が危ないと言うのは、私も3年位前から感じており、弊社過去ブログでも、その危険性を紹介しています。

 

★過去ブログ:IoT ~ 日本復活か ? それとも破滅か ?

 

   しかし、だからと言って、人様の持ち物を勝手に破壊するのは犯罪です。これでは、環境テロ集団「グリンピース」や「シー・シェパード」と同じです。

 

このような過激な行動を取る人物は、自分を神か何かと勘違いしているフシがありますが、困ったモノです。

 

しかし、これら「Hajime」や「BrickerBot」は、まだ前述の最強のマルウェア「Stuxnet」には及ばないようで、機器を再起動すればメモリ上のマルウェアは消えて無くなってしまうそうです。

 

やはり、本当にIoT機器のセキュリティを強化するのであれば、ファームウェア自体を修正するしか対応策は無いと思われます。

 

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今回は、「進化し続けるサイバー攻撃 - サイバー空間は悪者ばかり ?」と題して、次のような情報を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

しかし・・・いつも言っていますが、本当に、犯罪者は、「よくそんな事まで考えるよな~」的な事を実行します。

 

文字コードを悪用したり、HDDをフォーマットしても生き残ったり・・・一体、どうすれば、そんな事を思いつくのか ?  本当に頭が良いのか ? それとも考え方が普通とは異なるのか ?  凡人の私には、全く理解出来ません。

 

「XKeyscore」と「MALLARD」も同樣です。本当に、よくもまあ、こんな監視プログラムを作ったものです。

 

そして、日本国内でも「XKeyscore」や「MALLARD」が使われているとは・・・これも驚きでした。

 

アメリカの映画では、NSAが、監視衛星や人工知能を駆使して、一般市民を監視するストーリーはよく見られますが、まさか日本でも同様の事が行われているとは思いもよりませんでした。

 

2018年11月には、日本政府は、日本版の衛星利用測位システム(GPS/Global Positioning System)を担う衛星「みちびき」を4基打ち上げて本番稼働を開始しました。

 

日本でも「XKeyscore」が運用されているとすれば、恐らく、この衛星にも何らかの監視ツールが組み込まれているのだと思われます。

 

その半面、日本もアメリカから監視され、数多くの情報が、日本以外の「ファイブアイズ」に伝えられていたとは・・・何とも恥ずかしい限りです。

 

日本には、数多くの米軍施設があり、その中でも、青森県三沢基地で「Echelon」が運用されているのは、既に、10年以上も前から周知の事実となっています。

 

このため、赤坂にあるアメリカ大使館を始め、三沢基地以外にも、何らかの監視ツールが運用されているとは思っていましたが、全て「筒抜け」状態にあるとは思いもよりませんでした。

 

やはり日本人は、戦後は、ぬるま湯の中で暮らす、「茹でガエル」状態だったのだと、改めて気が付かされました。

 

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それにしても、マルウェアスパイウェア・・・サイバー空間は「悪者」だらけです。

 

まあ、「Hajime」や「BrickerBot」は、一見「善玉」に見えるかもしれませんが、「BrickerBot」は、客観的に見れば、他者の所有物を破壊している訳ですから犯罪者、「悪玉」です。

 

「Hajime」は、作者の意図が解りませんが、現状では「善玉」のように見られますが・・・何時キバを剥き出すか解らないので、その分だけ恐怖を感じます。

 

「Hajime」は、2017年当時、一時40万台以上感染したと見られていましたが、その後、感染数は減少し10万台まで減ったと思われていますので、現在は、数千~数万台規模に減少していると思われます。

 

そして、「BrickerBot」に関しては、感染数は確かでは無いようですが、一説では100万台とも200万台とも言われるIoT機器を破壊したと言われているようです。

 

もう、こうなるとサイバーテロと同じレベルです。何かを始めるのに、「思い込み」は必要ですが、こうなると、もはや手の付けようがありません。まさに、「狂信者」です。

 

今後も、サイバー空間は危険に満ちた空間になると思います。また、今後、サイバー空間は、さらに皆さんの身近な存在になって行きますので、常に注意しながらアクセスするようにして下さい。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

NHKオンライン(https://www.nhk.or.jp/)

Targeted Individuals IN JAPAN(https://tiinjapan.wordpress.com/)

・ギズモード・ジャパン(https://www.gizmodo.jp/)

GIGAZINE(https://gigazine.net/)

・THE ZERO/ONE(https://the01.jp/)

 

 

 

 

奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その2)

  前回のブログでは、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)」と題して、「安倍伝説」に関して、次のような内容を紹介しました。

 

 

★過去ブログ:奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)

 

その中では、北は岩手県から始まり、福島県山形県、長野県、群馬県京都府、そして福岡県と、「安倍氏」にまつわる伝説がある事が解りました。

 

  今回、「実は生きていた。」に焦点を当てたブログなのですが、私的には、京都府に伝わっている「安倍貞任がゾンビ(Zombie)になった。」と言う伝説が、非常に興味深かったです。

 

死体を切り刻んでも生き返って祟りをもたらすとは、本当に、ゾンビ以上の恐怖だと思います。

 

ゾンビは、映画では、クビを切り落とせば大人しくなりますが、「安倍貞任」は、それだけではダメだったようです。

 

また、「平 将門」や「崇徳天皇」も祟り神となったのですが、さすがに「ゾンビ化」はしなかったと思います。

 

日本において、「死体が生き返った」と言う伝説は、この「安倍貞任」以外、存在しないのでは無いでしょうか ?

 

イザナギ」は、死んだ妻「イザナミ」に会いに行きましたが、そこは死者が住む「黄泉国」ですから、「イザナミ」は生き返った訳ではありません。

 

死んだ後に祟りをもたらすケースは、上記、および前回も紹介した「平将門」、「崇徳天皇」、そして「菅原道真」等、数多くの「祟り神」は存在します。

 

しかし、死んでも生き返り、なおかつ祟をもたらす等、聞いたこともありません。

 

まるで「イエス・キリスト」のようです。しかし、念のために申し上げると、「キリスト」は、祟り神ではありませんが・・・

 

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さて、そんな最強の「安倍氏」に関してですが、今回は、「その2」として、「安倍宗任」のみが関わる伝説として、次の内容を紹介します。

 

 

 

 

まあ、「安倍宗任」は、戦死しておらず、当時としては異例の長生きで、77歳まで生きていたと伝わっていますので、今回のシリーズの主旨、「実は生きていた」とは少し異なりますが・・・

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

■「安倍宗任」とは

 

  貞任の弟「安倍宗任」は、何度も紹介している通り、岩手県胆沢郡金ケ崎にあったとされる「鳥海柵」の主とされていましたが、盛岡市「厨川柵」での敗戦後、「源 頼義/義家」親子に降伏し、都に連行されてしまいます。

 

そして、その後、伊予国に3年、次に筑前国宗像郡に配流され、水軍「松浦党」や「宗像氏」との間で重要な関係を築き、平安時代末「嘉承3年(1108年)」、77歳で死亡したとされています。

 

文武両道に秀でた武将とされ、平家物語には、都に連行され晒し者となっていた時に、都の貴族から、梅の花を指して「これは何か?」と嘲笑された際に、次のように答えたエピソードが記載されています。

 

『 わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ 』

 

  流された場所に関しては、上記の通り、伊予国筑前国と言うのが一般的なようですが、一説には、最初から筑前国と言う説もあるそうです。

 

何れにしろ、やはりカリスマ性を備えていたようで、流された先々で力を付け、そのため再流布されたと考えられています。

 

再流布先の宗像村(現:宗像市)では、大島(筑前大島)に拠点を作り、この地で、三男二女を設けたのち、77歳で没しています。

 

大島には、平成29 年(2017年)、世界遺産に登録されている宗像三社の一つ「中津宮」と、北側にある沖ノ島にある「沖津宮」を拝むための「沖津宮遥拝所」が存在しています。

 

宗像大社」と「宗像氏」に関しては、下記の過去ブログで、詳しく紹介していますので、そちらも合わせてご覧下さい。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その5

 

そして、「安倍宗任」の息子達も優れた才能を備えていたようで、中には、後世に名を残す人物もいたようです。

 

  ・長男「宗良(むねよし)」の家系

大島太郎・安倍権頭として、大島の統領を継ぐ。子孫は、九州の剣豪となり、その後、九州の氏族「秋月氏」に仕え、「安倍立剣道」と言う流派の開祖(安倍頼任)となった。ちなみに、「秋月氏」は、鎌倉時代から現在まで続く歴史ある一族である。

 

・三男「季任(すえとう)」の家系

肥前国松浦に渡り、水軍「松浦党」の娘婿となり、「松浦三郎大夫実任」と名乗った。その子孫「松浦高俊」は、「平清盛」の側近となり水軍を率いて活躍した。

 

 

さて、このような「安倍宗任」ですが、「実は生きていた」ではなく、本当に生きていた訳ですから、これも本ブログの趣旨からは、少し話が逸れてしまいます。

 

しかし、実際には「安倍宗任」が訪れていない地に、様々な異なる伝説が残されている事は、非常に興味深いと思います。

 

 


 

■母子石の伝説(塩竈市)

 

  江戸時代後期「文政5年(1822年)」に、仙台の儒学者舟山萬年」の記した「鹽松勝譜(えんしょうしょうふ)」と言う地誌に、宮城県塩竈市の「母子石」伝説が記載されています。

 

【 鹽松勝譜 】

母子澤 坪浦赤坂ノ西南ニアリ石ハ大サ八九尺アリテ。上ニ大小二足跡アリ。土人レヲ母子石ト名ツク。傳ヘ曰ク。古安倍宗任己ニ擒セラレ。

 

多賀城ニアリ。其妻一兒ヲ携ヘテ玆ニ流落スルヤ。徒行素跣流血淋漓シ。足跡石ニ痕ス。人見テ之ヲ哀ミ。此石ニ就テ石浮圖ヲ建テ。其血痕ヲ鐫ム。後浮圖破壊シテ獨リ此石ヲ存ス。

 

 【 現代語訳 】

坪浦赤坂の西南にある母子澤にある石は、大きさ約9尺ある。その上には、大小2つの足跡が残っている。

 

地元の人達は、これを「母子石」と名付けている。

 

言い伝えによると、前九年の役において投降した安倍宗任多賀城に囚われていた。

 

そのとき、宗任夫人が一児を連れて夫に会わんとこの地を彷徨い続けたようで、その際、裸足であったがために足が血まみれになり、件の石にもその血痕が残っていたとのことです。

 

  これを憐れんだ人々は足形に残っていた血痕を型どおりに彫り、傍らに石造りの卒塔婆を立てたのだそうです。ただ、後に卒塔婆は壊れてしまい、いわゆる母子石のみが残ったのだそうです。

 

但し、この石碑や足跡には、次の異なる言い伝えも残っているようです。

 

・人柱伝説(鹽竈神社)

  2005年(平成6年)6月に出版された「鹽竈神社(押木耿介著)」によると、多賀城が完成間近になった時、征夷大将軍大野東人」は、人柱をたてて城の永久の護りにする事を決めたそうです。

 

そして、人柱に選ばれたのは、親子3名で暮らしている地元の男だったそうです。男性が人柱になる日、その妻と娘は、近くの石の上に佇み、いつまでも泣いていたそうです。

 

そして、泣き声が止んだ時、母と娘は、死んでしまっており、二人が立っていた石の上には、母娘の足跡が残されていたそうです。

 

この地域を「母子沢(ぼしさわ)」と言うのは、この「母子石」に由来しているそうです。

 

親子の愛情伝説(奥鹽地名集)

  2010年(平成11年)、東北学院大学経営学部の斎藤善之教授によって編纂され「NPOみなとしほがま」が出版した江戸時代の塩竈の歴史を著した「新釈奥鹽地名集」に、この伝説の説明が記載されています。

 

「新釈奥鹽地名集」とは、作者は不明ですが、江戸時代中期「寛政4年(1792年)」に出版された「奥鹽(おうえん)地名集」と言う地誌の新訳版で、そこには、この石に関しては、次のように紹介されています。

 

【 新釈 】

母子沢堤の東の方で、西向きの畑の中にある。母子の足跡のある石である。

 

伝えて言うには、昔、貧家で母によく仕える子があった。その子が七、八歳の頃、母が病で食事を摂らなくなると、子も食事を摂らず、昼夜離れず、寝食を忘れ介抱したけれども、母はついに亡くなってしまった。

 

子は(母を)慕い、別れを悲しむことは普通でなかった。その後も母が生きているかのように、母への孝行の限りを尽くしたという。

 

天も感ずることがあったのだろうか、母恋しの縁が自然に備わり、母子の足蹟が今、石の表面に現れている。母子沢というのも、この石による名と申し伝えている。

 

白菊町にある。石の表面に大小の足形がみえることから、古来より名石・奇石とされ、地元の信仰を集めてきた。

 

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ちなみに、塩竈市教育委員会では、これら複数の伝説から、「人柱伝説」を採用し、「母子石」の紹介看板には、前述の内容を記載しています。

 

 


 

■思惑(おもわく)橋の伝説(多賀城市)

  昭和60年(1985年)に、多賀城市史編纂委員会が出版した「多賀城市史」によると、多賀城市留ヶ谷の玉川に架かる「おもわくの橋」に関しては、次のように紹介しています。

 

【 郷土の伝承 】

留ヶ谷の玉川に架かる橋が「思惑橋」または「安倍待橋」とも呼ばれている。

 

  昔、「安倍貞任」がこの地を過ぎるとき、見染めた女に通うため渡った橋なのでこの名があり、「貞任」が残した騎馬の蹄の跡を渡る者が踏むと、必ず踏み抜いたという

 

【 塩松勝概 】

安倍宗任」が虜となって都へ送られるとき、その妻がこの地まで追ってきたがおよばず、橋の上で涙を流した。

 

多賀城市塩竈市は、隣り合った自治体ですので、両者で、「安倍宗任」の妻が関係する伝説があるのは、ちょっと興味深い点かもしれません。

 

 

 

 

■宗任が母と再開(山形県鶴岡市)

  前九年の役の際に、「安倍頼時」の妻、つまり「安倍宗任」の母は、少数の従者と共に衣川から落ち延びたそうです。

 

このため、「安倍宗任」が、落ち延びた母を探しに出かけ、鶴岡市金峰山の近くの山麓の庵で、母と再開することが出来たと言う話が、鶴岡市の黄金地区(旧:黄金村)に伝わっているそうです。

 

そして、その後、その山は「母狩(ほかり)山」と呼ばれるようになったと伝わっており、黄金地区には「阿部」の姓が多いと言われています。

 

まあ、「奥州安倍氏」の方の字は「安倍」ですが、こちらの字は「阿部」となっている点は、ちょっと気になるところです。

 

また、「母狩山(標高751m)」の北には、「安倍貞任/宗任」兄弟が、鎧を納めたと伝えられている「鎧が峰(標高566m)」と呼ばれている山もあるそうです。

 

無事に母と再開した「宗任」は、母を連れて安倍氏再興を試みようとしたのですが、母に断られたので再起を諦め、近くの峰に登り、洞窟(or 寺)の中に自らの鎧を奉納したと伝わっており、この、鎧を納めた山が「鎧が峰」と呼ばれているそうです。

 

  

 

 

安倍宗任の涙石(福島県いわき市)

  福島県いわき市勿来(なこそ)町には、「安倍宗任」が流した涙が石になったと言う伝説があるようです。

 

但し、この「涙石」に関しては、、趣旨が全く異なる、2つの話が地元に残っているようです。

 

 

●「悔し涙」説

前九年の役で、八幡太郎源義家に討たれた「安倍貞任」の家来、太郎と次郎は、主君の敵討ちをしようと、義家の陣中に忍び入ろうとしたそうです。

 

しかし、それを貞任の弟である「安倍宗任」に見つけられてしまった。

 

宗任は、2人の家来の一途な忠義心に強く感動しながらも、それが無益なことであることを涙ながらに訴え、敵討ちを思いとどまらせた。

 

その時、宗任が流した大粒の涙が、この大きな石になったのだという。

 

●「別れの涙」説

その昔、「勿来の関」と言われてた場所で、「安倍宗任」が、戦地に赴く「源 義家」を見送った時に流した涙が石になった。

 

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この石は、高さ、幅、奥行きは、ともに約2メートルで、石は大きくふたつに割れているとの事です。

 

しかし、「悔し涙」説の方は、嘘にしても、まだ納得できますが、「別れの涙」に関しては、全く理解出来ません。

 

何で、一族を滅ぼした「源 義家」との別れで泣くのでしょうか ? 嘘にも程があると思います。

 

 

 

 

■宗任神社(茨城県下妻市)

  茨城県下妻市には、「安倍宗任」と「安倍貞任」を御祭神とした「宗任神社」があります。

 

前回ブログでも、安倍兄弟を御祭神とする「阿部神社」を紹介しました。

 

「阿部神社」は、貞任が主祭神ですが、「宗任神社」は、名前の通り、宗任が主祭神なので、今回のブログの方に記載しました。

 

茨城県神社庁の解説によると、この神社の由緒は、次の通りとなっています。

 

 

縁起記には、前九年の役(1051~1062年)が終わってからの47年後となる、平安時代末「天仁2年(1109年)」に、安倍氏の臣「松本七郎秀則」、および息子「八郎秀元」が、亡君主「宗任」公の神託により、旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地に来往して鎮齊した。

 

鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。

 

鎌倉時代には、豊田三十三郷幸嶋十二郷の総社として多くの人々から信仰され、地方の豪族小田氏治・豊田将基なども信仰した。

 

江戸時代、三代将軍「家光公」より代々、朱印地五石を与えられる。本殿拝殿寛永年間に家光公より寄進。明治6年4月1日村社に列格。同12年村内大火のため類焼。同17年再建造営。

 

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この話は、まあ、伝説というよりは、「安倍宗任」ゆかりの神社の話と言う事になると思います。

 

史実によれば、「安倍宗任」は、この神社が創建される前年、嘉承3年(1108年)に亡くなっていますので、何となく辻褄は合っているような感じはします。

 

が、何故、茨城県なのでしょうか ? その点に違和感を覚えます。

 

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  次の伝説は、全て大分県に伝わっている伝説ですので、北から順に伝説を紹介します。

 

由布院市  :安倍宗任の三男「季任」起源の「熊群(くまむれ)神社」

大分市    :白木地区、安倍宗任の子孫「安倍貞観」が開いた「龍雲寺」

竹田市    :宗任は地元の娘と結婚。息子は鎌倉武将「緒方三郎惟栄」

豊後大野市 :これも地元の娘と結婚。息子は鎌倉武将「緒方三郎惟栄」

 

■熊群神社(大分県由布院市)

  この「熊群神社」は、修験道の道場として有名な神社で、「恐怖の鎖場」があるようです。

 

そして、「安倍宗任」の三男「季任(実任)」が創建した神社となっているようです。

 

「安倍季任」に関しては、本章の最初に説明した通り、後に松浦水軍の一員となる人物です。

 

それでは、この神社の由緒を紹介しますが、「安倍季任」は、この地に住んでいた事になっているようです。また、由緒に関しては、微妙に異なる二つの説があるようです。

 

【 由緒 その1 】

  奥州の乱で有名な安倍宗任の三男三郎実任。野畑村加倉に住し狩を楽しみとす。

 

或時、山上に熊の群れを発見。是を射んと近付けば皆逃げ去り、その跡に釈迦・弥陀、観音の三尊像あり。実任これを持ち帰り尊崇。或夜、実任の夢枕に老翁現れ、我は彦山大権現なりと告げる。

 

よって、実任、山上に三尊をまつり、熊群大権現の起源とする。

 

神社の九十九の石段は、鬼が一夜で築いたと云われています。又、この山は、天正十一年田北紹鉄、国東の田原氏と謀りて大友に反し戦った古戦場でもあります。

 

【 由緒 その2 】

武将安倍宗任の末子実任は、理由があって熊群山麓の鹿倉に住みつき、狩猟に明け暮れていました。

 

ある日、獲物を追って山深く分けいったところ、熊が群れている所に行きあたりました。不思議に思った実任は、熊を追い払って近づいてみました。すると岩の間に阿弥陀如来薬師如来観音菩薩の仏像三体があったのです。

 

その夜、実任の夢枕に英彦山大権現が現れ、仏像三体をまつるようにとの御告がありました。こうして実任が村人と力を合わせて建立したのが熊群権現社だといわれています。 

 

 

まあ、どちらも、「安倍宗任」とは、直接関係がありませんが、その息子が創建者と言うことで、今回紹介しました。

 

 


 

宝珠山龍雲寺(大分県大町市)

  次は、大分県大町市白木にある「宝珠山龍雲寺」を紹介します。

 

しかし・・・この寺の創建に関する由緒は沢山あり、どれが真実なのか解らない状況になっているようです。

 

真偽の程は別として、取り敢えず、その由緒を紹介します。

 

ちなみに、、この白木地区には、「安倍姓」を名乗る一族が沢山あり、自らを「奥州安倍氏」の子孫と考えてるようです。

 

また、この「龍雲寺」ですが、創建当初は、この寺号ではなく、「龍岸寺」と言う寺号だったと伝わっていますが、何故、寺号を変更したのかまでは解りませんでした。

 

【 安倍貞観説 】

  この龍雲寺は、一説によると、開始時期は曖昧となっている南北朝時代(1331~1394年)ですが、この南北朝時代に、「安倍宗任」の子孫と言われる「安倍貞観」と言う人物が、江州(近江)から一族を引き連れて豊後国白木に着いて定住して開山したと伝わっています。

 

但し、「奥州安倍氏」の家系に「安倍貞観」なる人物の名は見当たりません。

 

安倍宗任説 】

 

そして、もう一説は、「安倍宗任」が伊予国に流された後、豊後国に渡り、そして白木の地に辿り着き、兄「安倍貞任」を弔うために建立したのが龍雲寺であると言う説です。

 

安倍貞任の子説 】

  さらに・・・もう一つ別の説もありますが、これは・・・空想物語のような内容ですが、それを紹介すると次のような内容です。

 

「厨川柵」の戦いの折り、「安倍貞任」の家来「山田太郎貞矩」が、貞任の次男「千賀麿(当時3歳)」を連れて柵から逃れ、越後を超えて佐渡に渡り、その地の有力者「安田蔵人光定」に身を寄せた。

 

「安田光定」は、「千賀麿」を養子として迎え、名を「安田三郎貞言」と改めた。

 

「安田貞言」が15歳になった時、叔父「安倍宗任」が筑前国に居ることを知り、その地を訪れ再開した。

 

その後、「安倍宗任」の命を受け、豊後国に住んでいた宗任の三男「安倍季任(実任)」を訪ね、暫く「安倍季任」の世話になった後、白木に移り住み、雲龍寺を創建した。

 

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  今となっては、どの説が本当か、また全て嘘なのか等、全く解りましたが、とにかく現在では、雲龍寺内に、通称「貞任堂」と呼ばれる建物「心殿窟」があり、その中には、「安倍貞任/宗任」の兄弟の戒名が書かれた位牌や像が祀ってある、と言う事です。

 

戒名が書かれた位牌は、上の画像の通りですが、戒名は、次の通りです。

安倍貞任   :宝山院殿月心常観大居士

安倍宗任   :珠林院殿中峰円心大居士

 

どちらも、俗に言う「院号居士」となっていますので、位牌が作られた時代が南北朝時代だとすると、摂家、あるいは将軍家並の称号だと思います。

 

さらに、この位牌を納めてある仏壇の奥、紫の幕の中には、「安倍貞任」と伝わる木彫りの像が安置されています。但し、この像は、江戸時代中期、明和3年(1766年)に作成された物との事です。

 

こうなって来ると、どれも「眉にツバ」を付けたくなる話のように思えます。加えて、この雲龍寺の向かい側には、「天満社鬼神社」と言う珍しい名前の神社があり、そちらも「安倍宗任」の創建と伝わっていますので、こちらも紹介します。

 

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  最後に、「宝珠山龍雲寺」に関して、少し気になる点があったので書き加えて置きますと・・・

 

位牌の後ろ、「貞任」像を納めている厨子の扉に描かれている家紋は、「三つ鱗(うろこ)」と呼ばれる家紋で、「北条氏」が用いていた家紋です。

 

また、同じ「北条氏」でも三角形部分の形が、正三角形と二等辺三角形とで、家系が異なります。

 

・正三角形      :北条氏の家紋。北条氏は、伊豆国出身の豪族で鎌倉幕府の執権職を世襲した一族。別名「鎌倉北条氏」、あるいは「執権北条氏」

二等辺三角形   :後北条氏の家紋。後北条氏は、伊勢平氏の一族である伊勢新九郎盛時(北条早雲)を祖とする関東の戦国大名

 

と言うことで、この家紋は「鎌倉北条氏」の家紋となるのですが、ここ大分県は、北条氏とは縁もゆかりも無いと思います。

 

何故、この龍雲寺に北条氏の家紋が付いた厨子があり、その中に「安部貞任」の像があるのか理解に苦しみます。

 

ひょっとしたら、この像は、「安部貞任」の像ではなく、「鎌倉北条氏」に縁のある武将の像なのかもしれません。

 


 

■天満社鬼神社(大分県大分市)

  この「天満社鬼神社」は、名前の通り、「天満社」と「鬼神社」が合体し、一つの神社となっています。

 

向かって左側が「鬼神社」で、右側が「天満社」となっています。

 

そして、御祭神ですが、「鬼神社」と言う事で、鬼を祀っているのかと思いきや、御祭神は「大巳貴命(おおなむじのみこと)」、つまり「大国主命」となっています。

 

  「天満社」」の方は、当然、御祭神は「菅原道真」です。

 

神社の由緒は、その由緒書によると次の通りです。

 

【 由緒 】

ときは南北朝の末世安部氏の末裔東方より来りこの地に住し邦拓きの神大巳貴命を産土神に祀り信仰す。

 

いくばくにして宗家に老媼あり。幼にして氣をやみ氏神に帰依し厚く神徳に浴す。

 

 

  長じて呪術を専らにしその名遠郷に聞え参ずるもの市の如し。

 

衆人皆畏む齢至りて白寿に達す。

 

老媼一夕偉を整へ板戸を塞ぎ神前に至る。家人大いに心痛す食なく祝詞すること四十余刻忽然息絶ゆ。

 

村人その面容の凄じきこと鬼人とはかくあらんかと噂しあいたりとぞ名門新太郎貞氏この老媼こそ神の化神ならんと敬して日ならずして傳来の鬼面を献ず。

 

後人これに做い繪馬鬼面を奉じ詣ずる者近郷より他国に及び神幸の厚きを皆嬉ぶ依って以後鬼神社と称す今まにまつわる社名及び繪馬鬼面これに由来する。

 

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これを、現代語に訳すと、次のような感じかと思います。

 

【 現代語訳 】

  時は、南北朝の末、安部氏の末裔が、東方よりこの地に来て大巳貴命を祀った神社を起こした。

 

この一族には老婆が居たが、小さい頃に精神を病んで氏神を篤く信仰するようになった。

 

さらに、この娘は、年を取ると呪術が得意となり、その名声は遠くまで聞こえるようになり、多くの人が集まるようになり、まるで、その様は「市場」のようだった。

 

この老婆は、皆が驚くほど長寿で、年を取り白寿(99歳)となった。

 

そして、ある日の夕方、老婆は身だしなみを整え、神社の出入り口を戸板で塞いで祈祷を始めた。

 

家族は、老婆が食事も摂らないので心配していると40刻(約20時間)過ぎた当たりで突然死んでしまった。

 

村人が、その凄まじい死に顔を見て、「鬼のような顔とは、このような顔の事を言うのだろう」と噂し始めた。それを聞いた新太郎貞氏は「この老婆こそ神の化身だ」として鬼の面を奉納した。

 

後の世では、この貞氏の真似をして鬼の面を奉納して詣でる者が、近隣の村や他国にまで及び、さらに、そのご利益が凄いので、それ以降は「鬼神社」と呼ばれるようになり、それが現在に至る社名と鬼絵馬に伝わっている。

 

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と言うのが、「鬼神社」に掲げられている由緒書の内容です。「安倍」が、「安部」と書かれているのが気になるところではあります。

 

  他方、神社に、このような由緒書が掲げられているにも関わらず、誰が言い出したのかは解りませんが、別の由緒もあるようですので、そちらも紹介します。

 

【 宗任の母親説 】

 

安倍宗任」の母は「新羅(しらぎ)」と言う名前だが、幼少時は「竜の乙女」と言う幼名だった。

 

宗任は、母の死後、祠を建てて祀った。

 

豪胆な「安倍宗任」であるが、母親の前に出ると別人のように大人しかったので、豊後の人々は、宗任の母親は、宗任よりも強い鬼神だと評判していた。

 

その宗任の母を祀った祠が、「鬼神社」の奥の院となっている。

 

また、「白木」と言う地名も、その起源は、宗任の母親「新羅」から付いたものであり。前述の雲龍寺の寺号も、その起源は、宗任の母親の幼名「竜の乙女」に因んで付けられたとされています。

 

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さらに、鬼神社に掲げられている由緒書に登場する「老婆」を、宗任の母親「新羅」に置き換えて紹介しているケースもあるようです。

 

  こちらも、「何がなんだか」状態になっているようです。

 

ちなみに、「鬼神社」は、明治10年頃までは、山の頂上に建立されていたそうですが、「頭痛に効く」事が有名となり参拝者が多いので、現在の地に遷座したそうです。

 

また、「鬼神社」の御神体は、元々は「御幣」だけだったそうですが、神社の拡張工事の際、木の根本から「土製の鬼面」が出土したので、これを御神体にしているそうです。

 

 

 

 

■「緒方三郎惟栄」の祖(竹田市/豊後大野市)

  平安時代末、豊後国大野郡緒方庄は、宇佐神宮の荘園であり、そこの荘官に「緒方三郎惟栄(これよし)」と言う人物が居ました。

 

この人物は、当初、「平重盛」と主従関係を結んでいましたが、「源 頼朝」の挙兵に際し、平家に反旗を翻し源氏方に付き、九州地方の地方豪族をまとめ、太宰府から平氏を追放しています。

 

その後、宇佐神宮平氏方に付いたので、これと対立し、宇佐神宮を焼き討ちにしたために、上野国流罪となるところでしたが、平氏追討の功により罪を許されて再び平氏と戦って功を上げたそうです。

 

ところが、「源 義経」と「源 頼朝」が対立した際には義経側に付き、義経と一緒に九州に渡ろうしたのですが嵐により失敗し、捕らえられて上野国流罪となっています。

 

その後、罪を赦されたのですが、再び豊後に戻ったとも、病死したとも伝えられており、最後は、その消息はわからないそうです。

 

そして、この「緒方三郎惟栄」に関しては、次のような伝説があるそうです。

 

【 竹田奇聞/大分県竹田市

  豊後に落ち着いた「安倍宗任」は、安倍家を再興するためには、地方豪族の娘を娶るのが得策と考え、万寿寺の住職に、嫁の斡旋を依頼したそうです。

 

その結果、緒方郷の豪族「四隠田大太夫」の娘で、30歳を超えても嫁がずにいた娘を見つけたそうです。

 

ところが、この娘は、「穴之森神」を信奉して良縁を望んでいたので、万寿寺の住職は、これを説得して、宗任に嫁がせたそうです。

 

そして生まれた男の子に「緒方郷」を与えたので、名を「緒方惟栄」とした。

 

【 大分の伝説/大分県豊後大野市

安倍宗任」は、土豪の大太夫に接近し、その娘の「花本」と結婚して「大弥太」と言う息子を授かったそうです。そして、その子孫が「緒方惟栄」となった。

 

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  さすがに、豊後国(現:大分県)は、「安倍宗任」の三男「季任(実任)」が住み着いて、「松浦水軍」として活躍した土地だけあり、「安倍伝説」が多く残っているようです。

 

また、豊後国以外の土地に関しても、「安倍宗任」の伝説が多く残っていると言う事は、日本全国において、いかに「安倍宗任」の人気が高かったのかを如実に物語っていると思われます。

 

文武両道に優れていたにも関わらず、囚われの身となり、都の貴族に馬鹿にされようとも、その才知により、見事に貴族を打ち負かす姿は、当時、および後世の武士に人気があるのも納得が行くものだと思われます。

 

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今回は、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」の第2回目として、次のような内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

安倍宗任」に関しては、最初に記載した通り、実際には、「前九年の役」では死んではいないので、前回分も含めて、数多くの伝説が残されています。

 

特に、最後に流された「豊後国(現:大分県)」には、多くの伝説が残されているようです。

 

しかし、逆に、最初に流された「伊予国(現:愛媛県)」には、伝説も、また何を行っていたのか等、全く記録が無いのが気になります。

 

ここまで数多くの伝説が残されている「安倍宗任」ですが、「伊予国」における記録が無いのは、意図的に、「安倍宗任」の記録が削除されたのではないかと疑ってしまいます。

 

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安倍宗任」を処刑せずに救った「源 頼義」は、賊軍討伐の恩賞として、正四位下「伊予守」に任ぜられていますので、「安倍宗任」と「源 頼義」は、ある期間一緒に「伊予国」で過ごしたと思われます。

 

記録では、「伊予守」任命後も、京都で家臣のために恩賞獲得に奔走しており、実際に伊予国に赴任したのは、任命された2年後となっていますので、「安倍宗任」と一緒に伊予国に居たのは、たった1年のようです。

 

安倍宗任」は、3年間、「伊予国」で暮らし、伊予国で力をつけてきた事を理由に「豊後国」に配流されてしまいますが、この3年間の記録は、恐らく「源 頼義」により消されてしまったのではないかと思われます。

 

ちなみに、「源 頼義」の長男「源 義家」は従五位下「出羽守」、次男「源 義綱」は「右衛門尉」に任ぜられているそうです。

 

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と言うことで、次回、3回目は、「安倍貞任」と「安倍宗任」以外、次の人物に関する伝説を紹介します。

 

→ 貞任の兄「安倍良宗」

 

→ 貞任の子「高星丸」

→ 貞任の娘「卯の花姫」、「貞姫」、「真砂姫」、白糸姫」

 

特に、「安倍貞任」に関しては、3名の子供が居たとされていますが、全て男の子であるにも関わらず、なぜが沢山の「姫」が存在したような状態になっています。

 

さっぱり訳が解りませんが、詳しくは次回で紹介したいと思います。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

いわき市鹿島の極楽蜻蛉庵(https://blog.goo.ne.jp/ah8671)

・学校法人中村学園アーカイブ(http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/)

国文学研究資料館(https://www.nijl.ac.jp/)

・近代書誌・近代画像データベース(http://base1.nijl.ac.jp/~kindai/index.html)

・はてノ鹽竈(https://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513)

・千時千一夜(https://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo)

陸奥評林 - 国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)

七戸町ホームページ(http://www.town.shichinohe.lg.jp/index.html)

蓬田村ホームページ(http://www.vill.yomogita.lg.jp/index.html)

・秋田の昔話・伝説・世間話(http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/)

・遠野文化研究センター(http://tonoculture.com/)

 

Telework(テレワーク) - そのメリット/デメリットと注意点

3月のブログで、今年4月から施行された「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案」、いわゆる「働き方改革」を取り上げて、次のような内容を紹介しました。

 

★過去ブログ:生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

 

その中で、日本の生産性が、直近10年間では、OECD(経済協力開発機構)に加盟している34カ国中21位と、かなり低い事を明らかにすると共に、その原因、および法改正への対応策を紹介しました。

 

しかし、これは私が考える対応策であり、日本政府としては、「働き方改革」に関しては、別の対応策を考えているようです。それは「テレワーク」の拡大です。

 

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「テレワーク」とは、日本では、つい最近流行って来た言葉のように思われがちですが、実は、今から50年、四半世紀も前に、アメリカの西海岸で生まれた言葉です。

 

「テレワーク」の歴史については、後述する章で、もう少し詳しく紹介しますが、何もつい最近生まれた言葉や考え方では無い事だけは確かです。

 

日本でも、1980年頃には、「サテライトオフィス」と言う呼び方で、本社/本部等から「離れた場所」に設置されたオフィスで働く働き方が注目されましたが・・・気が付いたら、そんな言葉も働き方も消えてしまっていました。

 

そんな状況だった「テレワーク」ですが、ここに来て「働き方改革」の一環として、また注目を集めるようになって来ました。

 

政府は、「テレワーク」の普及を「働き方改革」の有効な手段として位置付けており、2020年までに、テレワーク導入企業を、2012年度(11.5%)比で3倍にし、また週1日以上、終日在宅で就業する「雇用型テレワーカー」の割合を、2016年(7.7%)比で倍増させると言う目標を掲げています

 

とは言うものの、この「テレワーク」には、メリットもデメリットもありますし、また「テレワーク」には、様々なリスクも潜んでいます。

 

そこで、今回のブログでは、「テレワーク」に関して、次の情報を紹介します。

 

  • テレワークの歴史
  • テレワークの必要性
  • テレワークのメリット/デメリット
  • テレワーク実施時の注意事項

 

それでは、今回も宜しくお願いします。

 

 

 

■テレワークの歴史

「テレワーク」、これを英語で記述すると「Telework」となり、「Tele = 離れた場所」と「Work = 仕事」を組み合わせた造語で、直訳だと「離れた場所で働く」事を意味しています。

 

また、この「tele」を、接頭語として使う英単語としては、「Telephone」や「Television」と言う単語があります。

 

どちらも、音声を遠くに届ける事や、映像を遠くに届ける事から、「tele」を接頭語として使っています。

 

その他にも、類似語としては、次のような英単語がありますが・・・全く「tele」など意識せず、普通に使っている言葉が、沢山ある事に気が付かされます。

 

・Telegraph             :電報

・Telecommunication     :遠距離通信

・Telekinesis           :テレキネシス(遠隔移動)

・Telepathy             :テレパシー(精神感応)

・Telescope             :望遠鏡

 

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私が、「テレワーク」と言う単語を聞いたのは、社会人となってから5年後の1990年頃だったと思います。

 

その頃、家庭の事情で、1年間ほど実家のある盛岡に帰り、盛岡の実家に東京から仕事を持ち帰って作業を行っていた時期があったのですが、その時に、このように遠隔地で仕事をする事を「テレワーク」と呼ぶ事を知りました。

 

今となれば恥ずかしいのですが、その当時は「テレワーク」とは、東京と遠隔地との間で、電話で話しながら打ち合わせを行うので、「Tell-Work」だと思い込んでいました。情けない・・・

 

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ところで、「テレワーク」を、もう少し詳しく解説すると「情報通信技術(ICT)を活用し、時間や場所の制約を受けずに柔軟に働く勤務形態」と言う事になるようです。

 

日本では、先の「働き方改革」が唱えられ始めた事で注目を集めるようになったような感じがしますが、実は、それ以前、「東日本大震災」の時から「BCP(Business Continuity Plan/事業継続性計画)」の一環として関心を集めている勤務形態です。

 

しかし、元々は、1970年代に、アメリカの西海岸、ロス・アンジェルス近郊で、エネルギー危機と大気汚染の緩和を目指して始められた勤務形態と言われています。

 

そして、その後、1980年代になると、パソコンの普及と通信インフラが整備された事により、より注目を集めるようになり、さらに1989年の「サンフランシスコ地震」、その後1994年の「ノースリッジ地震」発生後は、リスク分散手法として、普通の勤務形態として定着し始めたとされています。

 

この勤務形態は、アメリカ、そして常にアメリカの真似をする日本では「テレワーク(Telework)」と呼ばれていますが、ヨーロッパでは「eWork」と呼ばれているそうです。

 

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アメリカは、「テレワーク先進国」の筆頭で、前述の通り、1990年台初頭からは、既に普通の働き方としての勤務形態が定着しています。

 

これは、連邦政府自体がテレワークを推進し、政府内に専門部署を設けて職員のテレワークを支援している事が大きな要因です。

 

さらに、連邦政府以外、州政府でもテレワークを推進していますし、テレワーク州法を整備し、テレワークを推進する企業に対し、数々のインセンティブを与えている州もあります。

 

このように、アメリカにおいては、政府、そして州レベルにおいて、積極的にテレワークを推進している事から企業においても、安心してテレワークを導入する事が出来るのだと思います。

 

そして、翻って日本の対応を見てみると、どうでしょうか  ?

 

日本政府は、毎度の事ながら「声を上げる」だけで、実際には、何の支援も行っていません。

 

後は、これも毎度の事ですが、恐らくは、「助成金を支給するから後は勝手に」と言う形の支援を行う事になると思います。

 

本当に、日本政府は、何をやっても中途半端だから、「官民」で進める政策は、必ず失敗するのだと思います。

 

 

■テレワークの必要性

前述の通り、ここ数年で注目を集める「テレワーク」ですが、何故、「テレワーク」が、それほど注目されるようになったのでしょうか ?

 

そこには、様々な理由があると思いますが、大きくは、次の4点があると思います。

 

・人材不足

・介護離職の増加

IT技術の進化

・ITインフラの拡充

 

ここ数年、産業界では、深刻な人手不足が続いています。

 

この状況は、戦後最長の景気拡大、および労働力人口の減少が原因と言われていますが、それに介護離職が拍車を掛けています。

 

家族や親族の介護を理由に仕事を辞める事を「介護離職」と言いますが、総務省統計局の調査報告によると、平成28年から平成29年の1年簡に、介護を理由に離職した人の数は、約10万人となっています。

 

この数字は、平成23年から横ばいとなっているようですので、毎年10万人ずつ労働力人口が減っている事になります。

 

貴重な人材の退職は、企業に大きなダメージを与えます。

 

特に中小企業の場合、1人の優秀なメンバーが欠けると業績低下に直結しますし、最悪、提供サービスを断念せざるを得なくなるケースもあります。

 

また、その逆に、1人の優秀なメンバーが入社することで、会社の業績が見る見るうちに上がり始める、という事もあります。

 

ただでさえ人手不足で社員を雇えない状況になっている状況で、そのうえ貴重な社員が介護離職となってしまっては、将に「泣きっ面に蜂」状態です。

 

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他方、ここ数十年で、様々な情報技術(IT)が進化を遂げています。特に、ネットワーク関係のソフトウェアには驚かされます。

 

無料通話、無料ビデオ通話、そしてデータ共有・・・私が遠隔地で仕事をしていた時とは大違いです。

 

あの頃は、週1回の電話会議を行うだけで、電話料金が数万円にもなってしまっていましたし、まだメールも普及していなかった時代でしたから、会社と連絡を取るにも一苦労でした。

 

しかし、現在では、遠隔地で仕事を行う場合でも、数多くのコミュニケーション手段が、それも無償で用意されていますので、ビジネスを行う上では、相互の距離は、余り問題にならなくなっています。

 

そして、これらのツールを使えるようになったのは、通信インフラが整備された事が大きな要因を占めます。

 

いくら便利なツールが沢山あっても、そのツールを使える環境が整備されていなければ、何にもなりません。

 

現在では、余程の山奥か、地下、あるいは海底にでも居ない限り、どこでもネットワークが繋がります。

 

現在のビジネスでは、もう時間と場所の制約は、ほとんど無くなったと考えても良いと思います

 

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このように、貴重な社員が何かしらの事情で働けなくなった場合でも、ITの力を駆使する事で、社員が会社を辞めること無く継続的に働いてもらう事が可能となっています。

 

また、介護離職だけでなく、出産/子育てのための離職も同様です。

 

数年前に、「保育園落ちた日本死ね」と言う話が話題になりましたが、出差、そして子育てを行っている社員にとっては、テレワークは、問題解決のための有効な手段と成り得ます。

 

さらに、先にアメリカでは、地震を契機にテレワークが定着したと紹介しましたが、これは日本も同様です。

 

平成7年に発生した「阪神淡路大震災」では、データセンターやマシンルールを分散させる「リスク分散」に注目が集まりました。

 

この時は、テレワークよりも、「企業のデータを、どうやって守るのか。」と言う事に焦点が当てられました。

 

東京と大阪、東日本と西日本と言うように、離れた拠点にデータをミラーリングして保存する事で、どこで災害が発生しても、企業活動が継続できる仕組みが構築されました。

 

このように、阪神淡路大震災では、人間と言うソフトウェアより、データやマシンと言ったハードウェアへの対応ばかり行われたように思われます。

 

しかし、平成23年に発生した「東日本大震災」発生後は、阪神淡路でハードウェアへの対応が済んでいたせいもあるのでしょうが、今度は、社員が、どこに居ても仕事が継続出来る仕組み、つまり「テレワーク」に注目が集まりました。

 

弊社でも、Web環境にネットワーク・サーバーを構築し、自宅でも社内データにアクセス出来る仕組み自体は構築してあったのですが・・・何せ、盛岡市自体が2日間も「停電」してしまったので、自宅のPCさえ起動できない状況になってしまいましたので、全く話になりませんでした。

 

大企業であれば、社内に自家発電設備を構築し、周囲が停電しても何とか業務を継続する事が出来ると思います。

 

しかし、それは、あくまでも会社ビルだけであり、個人では対応のしようがありません。大企業の社員といえども、自宅に発電設備は持っていないので、いくらテレワーク環境を準備してあっても、停電してしまえば何も出来ないと思います。

 

しかし、停電さえ解消すれば、会社に出勤しなくても、テレワークにより仕事を行う事は可能になりますので、テレワークが行える環境を、会社として提供することは、これからますます求められていくことでしょう。

 

今後は、テレワークのような、柔軟な仕組みを持った会社に、多くの優秀な従業員が引き付けるようになると思います。

 

 

 

 

 

■テレワークのメリット/デメリット

テレワークには、様々なメリットがある事が解りましたので、そのメリットを整理して紹介します。

 

また、世の中のメディア等は、メリットやデメリットの、どちらか片方しか伝えないケースが多いのですが、当然、テレワークにもデメリットがあります。そこで、このテレワークのデメリットも紹介します。

 

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●メリット

1.通勤や往訪などの移動時間の無駄を削減し、時間を有効活用する事が出来るようになるので、結果的に、社員の生産性が向上する。

 

2.子育てや介護で働けなかった人も働けるようになるので、結果的に、企業はより多くの人材を確保することができる。

 

3.交通機関に支障が出たり、オフィスが使用不可になったりしても、自宅で仕事を行う事ができるので、結果的に災害対策になる。また、仕事のための外出が不要になるのでリクスも軽減する。

 

4.障害を抱えている方が出社しなくても働くことができるので、結果的に、障害者雇用に繋がる。

 

5.結婚や出産、あるいは親の介護のために離職する必要がなくなるので、結果的に、離職率が低下する。

 

6.社員がプライベートの時間を確保しやすくなるので、結果的に、ワークライフバランスが向上する。

 

7.「働きやすい会社」というイメージができるので、結果的に、企業イメージが向上する。

 

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●デメリット

1.自分で時間を管理しなければならない。

自宅で仕事をすると、早朝でも夜中でも仕事をしてしまう可能性があります。仕事を詰め込みすぎて長時間労働になったり、あるいは昼夜逆転の生活になってしまったりしないように、自分で時間管理を行う必要がある。

 

2.仕事内容が限定される。

基本的に、テレワークは、PCやタブレット端末、携帯電話等のIT機器を使って作業ができる事務仕事に限定される。工場勤務者や配送/配達業務などは、テレワークでは実現出来ない。

 

3.運動不足になりやすい。

通勤がないこと、またPC等の端末に向かう仕事のため、運動不足になりやすい。仕事中は、1時間に1回程度、軽い運動を行う必要がある。

 

4.セキュリティ管理が煩雑になる。

会社支給のPCを使わずに、個人用PCで仕事を行わせるとセキュリティが脆弱になるので、会社でPC等のハードウェアやセキュリティ・ソフトウェアを支給する必要がある。また、会社支給にPCに、個人用のアプリをダウンロードできないようにする仕組みも必要になる。これらを定期的に検査する必要もあり、結果的にセキュリティ管理が煩雑になる。

 

5.残業代が支給されない。

基本的に、テレワークの場合、勤務時間は個人任せになるので、残業代は支給されない。仕事を予定通りに完遂しないとサービス残業になってしまう。

 

6.停電になると仕事が出来ない。

前述の通り、地震等の災害で停電が発生すると、全く仕事が出来なくなる。PC等のバッテリーがあるが、それほど長時間使用する事が出来ない。災害発生時の「BCP(Business Continuity Plan/事業継続性計画)」の一環と考えられているが、実運用には無理があるように思われる。

 

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このように、テレワークも手放しで歓迎できる勤務形態では無い事が明らかです。

 

しかし、メリットに記載した通り、個人や企業にとっても良い事が沢山ありますので、デメリットばかりに目を向けて、「使えね~!」と言わずに、どのような業務でテレワークが使えるのか等を検討した方が良いと思います。

 

デメリットに取り上げた、セキュリティに関しては、非常に重要な課題ですので、次章で詳しく紹介します。

 

 

 

 

■テレワーク実施時の注意点

テレワークには、数多くのメリットがある事は、前章にて紹介した通りです。しかし、テレワークを実現する上で、一番問題になるのは、セキュリティです。

 

そこで、テレワークを実現するために必要なセキュリティに関して、まずは、どのような問題があるのかを説明した上で、その対応策を紹介します。

 

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何故、テレワークを行うとセキュリティが問題になるのかと言うと、それは、ひとえに遠隔地で仕事を行わなければならないからです。

 

社内で仕事を行う場合、社内の情報システム部、あるいは、それに類する人達が、社内ネットワークにファイアウォールを構築し、社員に支給するPCにはセキュリティ・ソフトウェアをインストールする等の対策を施しています。

 

ところが、自宅等、会社から離れた場所で作業を行うと、いくらセキュリティ・ソフトウェアをインストールしていたとしても、社員のPCがウイルスに感染する可能性は、かなり高くなります。

 

会社に出社した際に、気が付かない内にウイルスに感染したPCを社内ネットワークに接続すると、社内LANを経由して、全社員のPCがウイルスに感染してしまいます。

 

その結果、社内の機密情報が外部に漏洩したり、さらに会社の取引先にまでウイルス感染が広まってしまったりと、数々の問題を引き起こす可能性があります。

 

このように、テレワークを実施した事が契機となり、たった1台のPCがウイルスに感染しただけで、会社全体に、取り返しの付かない損害を与えてしまう可能性もある事を認識する必要があります。

 

IT活用によるメリットの裏側には、必ずリスクが付きまといます。テレワークを推進する企業は、必ずセキュリティ対策も同時に考える必要があります。

 

初めてテレワークを導入する企業が最低限取り組むべきセキュリティ対策は、大きくは次の3つの対策となりす。

 

・運用対策

・人的対策

・技術的対策

 

要は、誰が、何時、どのような形でテレワークを行うのかを決定する必要があります。また、そのためには、どのような技術的対策を取らなければならないのかを決める必要があります。

 

運用対策と人的対策は、企業により異なりますので、今回は、テレワークの基本となる技術的対策を紹介します。

 

テレワークを実施する時に、セキュリティ上考慮すべき技術的な要素は、次の2つです。

 

セキュリティホール(脆弱性)を作らない事

・情報漏洩を起こさない事

 

他方、セキュリティホールが出現したり、あるいは情報漏洩が発生したりするのは、次の3つのケースと考えられます。

 

・ケース1    :モバイルデバイスへの感染

・ケース2    :インターネットへの接続時の感染

・ケース3    :社内LANへの接続時の感染

 

それでは、個々のケースについて対応策を紹介します。

 

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●モバイルデバイスへの感染防止方法

 

モバイルデバイス(以下、デバイス)の感染防止には、次の対応が有効です。

・業務を行う場合、会社支給のデバイスを使わせる

・貸与デバイスには、会社で基本的なセキュリティ対策を施す

・(可能であれば)貸与デバイスでは、指定アプリ以外は使えないようにする

 

具体的な対策例としては、Windows OS搭載のPCを貸与する場合、以下のような対策を施す事になります。

 

・貸与するPCに市販のセキュリティ・ソフトウェアをインストールする。

NortonMcAfeeウイルスバスター、等

・セキュリティ・ソフトウェアの定義体を最新に更新する。

・貸与PCのUSBを使用禁止にする。(BIOS設定)

Windows Updateを実行して更新プログラムを最新状態にする。

・会社指定のブラウザの最新バージョンをインストールする。

・「Java」を最新にする。

・「Adobe Acrobat Reader DC」を最新版にする。

・「Adobe Flash Player」を使用禁止にする。

・会社認定のアプリ以外はインストール出来ないようにする。

・HDD(ハードディスクドライブ)を暗号化する。

・ログインID/パスワードは会社側が指定する。

 

最低限、上記対策を施す事で、貸与デバイスへの感染は防げると思います。

 

次は、自宅等の会社以外の場所で、インターネットに接続する場合の注意点を紹介します。

 

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●インターネットへの接続時の感染防止方法

 

社員が、自宅等、会社以外の場所において、無線LAN経由でインターネットにアクセスする場合、前述の「デバイスへの感染防止」策を施した上で、次の点に注意する必要があります。

 

・WEPなど脆弱なセキュリティプロトコルを使わない。

無線LANアクセスポイントのファームウェアを最新版にする。

・貸与デバイスでインターネットに接続する場合、アクセスできるWebサイトに制限を設ける。

・メール送受信の際、会社で指定したメールサーバ以外へのアクセスは出来ないようにする。

・メールフィルタリングソフトなどを用いて、不要な迷惑メールの閲覧をできないようにする。

・自宅以外の外出先では、Wi-Fiスポットにはアクセスさせない。どうしても外出先でインターネットを使いたい場合、暗号化されているスポットを利用する。また、暗号化されていてもWEPは安全性が低いので使わせない。

・外出先で暗号化されているWi-Fiスポットを利用する場合、会社リソースにはアクセスさせないようにする。

 

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●社内LANへの接続時の感染防止方法

 

社員が、外出先や自宅でモバイルデバイスを使った後、社内LANへアクセスする場合、前述の「デバイスへの感染防止」策を施した上で、次の点に注意する必要があります。

 

・貸与デバイスを社内LANに接続する際には、VPN接続を用いてセキュアに接続する。

・社内リソースへアクセスには、パスワードを入力させるようにする。

VPN接続の際にはワンタイムパスワードを利用するなど、2段階認証を施す

 

テレワークを実施する時に、セキュリティ上考慮すべき技術的対応策を紹介しましたが、上記以外にも、もっと厳しい条件を付ける事も可能です。

 

しかし、余りに厳しい運用手順を設けると、今度は社内で仕事が行い難くなります。セキュリティと仕事しやすさは、トレードオフの関係です。

 

どちらかを優先すると、どちらかが煩雑になったり、手薄になったりしますので、丁度よい加減を見つけ出す必要があります。

 

とは言え、やはり会社を優先して考える必要がありますので、セキュリティ重視で、仕事の仕方は二の次にする方が良いと思います。

 

 

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今回は、「TeleWork(テレワーク) - そのメリット/デメリット、注意点」と題して、「テレワーク」に関して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

  • テレワークの歴史
  • テレワークの必要性
  • テレワークのメリット/デメリット
  • テレワーク実施時の注意事項

 

日本には、「一般社団法人 日本テレワーク協会(JTA:Japan Telework Association)」なる団体が存在し、関係省庁と連携し、日本国内でのテレワークの推進を図っているようです。

 

この協会は、前述の歴史で紹介した「サテライトオフィス」の推進を図ってきた「日本サテライトオフィス協会」が前身となっているようです。

 

JTAの理事を見てみると、約2/3の理事が、情報通信関係企業で構成されていますので、まあ悪く言えば、業界のロビー団体のようにも見受けられます。

 

JTAには、現在、290企業(正会員92社/賛助会員198社)が参加しており、随時、入会募集を行っているようです。

 

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テレワークは、これまでの「働き方」、『 会社員は毎日会社に出社して会社で仕事をする。』と言う概念を変える働き方です。

 

また、テレワークは、「働き方を変える」だけでなく、「働ける人の範囲を広げる」効果もあります。

 

家庭の事情で会社に出社できない人でも、自分の働ける時間の範囲で仕事が出来るようになりますので、会社にとっても社員にとってもベストとまでは行かないかもしれませんが、ベターな働き方です。

 

今回、本ブログでは、テレワークのメリット/デメリットと、テレワーク運用時の注意点を紹介しましたが、実際の導入方法等の紹介は割愛しました。

 

テレワークの導入方法は、その企業や対象となる社員毎にケースが異なると思います。

 

しかし、上記「JTA」では、次のような情報を発信しています。

 

 

本ブログの最後に、「情報提供場所」を記載しますので、今後、テレワークの導入を考えている企業や組織の方は、一読することをお勧めします。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・世界最先端IT国家創造宣言(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/kettei/pdf/20170530/siryou1.pdf)

・一般社団法人 日本テレワーク協会(https://japan-telework.or.jp/)

 

 

 

奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)

  

以前、弊社ブログで「早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる」と言う題名で、5回に渡り「瀬織津姫命」に関する情報を紹介しました。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その5

 

そして、その中で、「瀬織津姫命」と「安倍氏」の関係に、ちょっと触れています。

 

安倍氏」が、「瀬織津姫命」や「荒覇吐(アラハバキ)神」を祀っていた、と言う噂があったので、その真偽の程を確かめようと思ったのですが・・・結局のところ、何の証拠も無く、「安倍氏」が何を祀っていたのか、さっぱり分かりませんでした。

 

しかし、「安倍氏」を調べている内に、史実では、「厨川の柵」で戦死したはずの「安部貞任(さだとう)」が、実は生き延びており、日本中の到るところに出没している事が判明しました。

 

また、「貞任」の弟「宗任(むねとう)」は、戦死はしなかったものの降伏して捕虜となり、伊予国流罪となり、さらに、その3年後には、筑前国宗像郡に再配流さたのですが、兄「貞任」と共に、信州や九州に現れたと言う伝承も残されています。

 

そして、さらには、一族の裏切りにより「鳥海柵」で死亡した貞任/宗任の父「安倍頼時」までも、生き延びて九州に逃れたと言う伝説もあります。

 

もう、何がなんだか、と言う感じです。

 

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上記の「実は生き延びた」伝説は、岩手県以外で伝わっている話です。

 

そして、当然の事ながら、岩手県内、特に遠野地域には、「実は生き延びた」伝説を始めとして、数多くの「安倍伝説」があります。

 

弊社ブログに何度も登場する「遠野物語」ですが、こちらにも何点か「安倍伝説」が記載されています。

 

特に多いのが、「安倍氏の子孫」の話と「安倍氏の館」の話です。

 

例えば、「遠野物語/第68話」には、「館の址」と言う題名で、下記のような内容が記載されています。

 

安倍氏という家ありて貞任の末なりと云う。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣、馬具あまたあり 当主は阿倍与右衛門、今も村にては二三等の物持にて、村会議員なり ~ 』

 

その他にも「安倍氏」関連の話があり、「遠野物語」では、第65話~68話が「安倍氏」関連ですし、「遠野物語拾遺」には、「第122話/安倍が城」が記載されています。

 

遠野以外ではと言うと、やはり、「安部氏」滅亡の場所である「厨川柵」がある関係なのだと思いますが、盛岡市内には、安倍氏に関係する遺跡や伝承が数多く残されており、また地名にも、安倍氏ゆかりの地名が現在でも残っています。

 

・安倍館(あべたて)

・館坂(たてさか)

・館向(たてむかい)町

・前九年町

・厨川町

 

と言いたい所ですが、実は、「前九年町」も「安倍館町」も、下記の通り、昭和になってからの命名された新しい地名です。

 

・安倍館町:昭和15年(1940年)に盛岡市編入されるまでは「厨川村字館」と言う地名。盛岡編入後、安倍氏にちなみ、昭和17年頃に掛けて現在の地名となる。

・前九年町:その昔は、「狐森」や「宿田後」と言う地名だったが、昭和41年(1966年)、住居表示法の施行に伴い、当時の町内会長が、安倍氏にちなんで命名した地名。

 

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そこで今回は、数多くの「安倍氏の伝説」の内、「実は生き延びていた」に焦点を当てて、日本の各地に伝わる伝承を、複数回に別けて紹介したいと思います。

 

また、「実は生き延びていた」伝説と一緒に、前述の「遠野物語」に伝わる安倍氏の伝説も紹介したいと思います。

 

【 第1回目 】

 

【 第2回目 】

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

遠野物語における安倍氏の伝説

まずは、「安倍伝説」が数多く残り、現在でも、遠野市民の多くは、「安倍氏は地元の英雄 !」、「オラホは安倍氏の子孫だ」と思っています。

 

そんな中で、「遠野物語」、あるいは「遠野物語拾遺」にも、「安倍氏」関連の話が数話、登場しますので、最初に、その内容を紹介します。

 

遠野物語

 

・第65話/姥神

 

  

早池峰御影石の山なり、此山の小国に向きたる側に阿倍ケ城と云ふ岩あり、険しき崖の中程にありて、人などはとても行き得べき処に非ず、ここには今でも阿倍貞任の母住めりと言伝ふ、雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖す音聞ゆと云ふ、小国、附馬牛の人々は、阿倍ケ城の錠の音がする、明日は雨ならん など云ふ

 

【現代語訳】

早池峰御影石の山である。この山の小国(おぐに)に向いた側に安倍ヶ城という岩がある 険しい崖の中程にあって、人などがとても行けるような所ではない。ここには今でも安倍貞任の母が住んでいると言い伝えられている。雨の降るような夕方など、岩屋の扉を閉ざす音が聞こえるという。小国、附馬牛の人々は、安倍ヶ城の錠の音がする、明日は雨だろうなどと言う。

 

・第66話/塚と森と

同じ山の附馬牛よりの登り口にも亦阿倍屋敷と云ふ巌窟あり、兎に角早池峰は阿倍貞任にゆかりある山なり、小国より登る山口にも八幡太郎の家来の討死したるを埋めたりと云ふ塚三つばかりあり

 

【現代語訳】

同じ山の附馬牛からの登り口にもまた安倍屋敷という巌窟がある。とにかく早池峰安倍貞任に縁のある山である。小国から登る山口にも、八幡太郎源義家の討死した家来を埋めたという塚が三つほどある。

 

・第67話/地勢、館の址

阿倍貞任に関する伝説は此外にも多し、土淵村と、昔は橋野と云ひし栗橋村との境にて、山口よりは二三里も登りたる山中に、広く平なる原あり、其あたりの地名に貞任と云ふ所あり、沼ありて貞任が馬を冷せし所なりと云ふ、貞任が陣屋を構へし址とも言ひ伝ふ、景色よき所にて東海岸よく見ゆ

 

【現代語訳】

安倍貞任に関する伝説はこの他にも多い。土淵村と、昔は橋野と言った栗橋村との境で、山口からは二・三里も登った山中に、広く平らな原がある。そのあたりの地名に貞任という場所がある。沼があって、貞任が馬を冷やした所であるという。貞任が陣屋を構えた跡とも言い伝えられている。景色のいい場所で、東海岸がよく見える。

 

・第68話/館の址

土淵村には阿倍氏と云ふ家ありて貞任が末なりと云ふ、昔は栄えたる家なり、今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず、刀剣馬具あまたあり、当主は阿倍与右衛門、今も村にては二三等の物持にて、村会議員なり

阿倍の子孫は此外にも多し、盛岡の阿倍館の付近にもあり、厨川の柵に近き家なり、土淵村の阿倍家の四五町北、小烏瀬川の河隈に館の址あり、八幡沢の館と云ふ、八幡太郎が陣屋と云ふもの是なり、これより遠野の町への路には又八幡山と云ふ山ありて、其山の八幡沢の館の方に向へる峰にも亦一つの館址あり、貞任が陣屋なりと云ふ、二つの館の間二十余町を隔つ、矢戦をしたりと云ふ言伝へありて、矢の根を多く掘り出せしことあり

此間に似田貝と云ふ部落あり、戦の当時此あたりは蘆しげりて土固まらず、ユキユキと動揺せり、或時八幡太郎ここを通りしに、敵味方何れの兵糧にや、粥を多く置きてあるを見て、これは煮た粥か、と云ひしより村の名となる、似田貝の村の外を流るる小川を鳴川と云ふ、之を隔てて足洗川村あり、鳴川にて義家が足を洗ひしより村の名となると云ふ

 

【現代語訳】

土淵村には阿倍氏という家があって、貞任の末裔であるという。昔は栄えた家である。今も屋敷の周囲には堀があって、水が流れている。刀剣・馬具がたくさんある。当主は阿倍与右衛門、今も村では二・三等の物持で、村会議員である。

安倍の子孫はこの他にも多い。盛岡の安倍館の付近にもある。厨川の柵に近い家である。土淵村の阿倍家の四・五町北、小烏瀬川の折れ曲っている所に館の跡がある。八幡沢の館という。八幡太郎源義家の陣屋というのがこれである。ここから遠野の町への道にはまた八幡山という山があって、その山の八幡沢の館の方に向う峰にもまた一つの館跡がある。貞任の陣屋であるという。二つの館の間は二十余町離れている。矢による合戦をしたという言い伝えがあって、鏃を多く掘り出したことがある。

この間に似田貝という集落がある。合戦の当時、このあたりは葦が茂って地面が固まらず、ユキユキと動揺した。あるとき八幡太郎源義家がここを通り、敵味方どちらの兵糧なのか、粥を多く置いてあるのを見て、これは煮た粥かと言ったことから、村の名となった。似田貝の村の外を流れる小川を鳴川という。これを隔てて足洗川村がある。鳴川で義家が足を洗ったことから、村の名となったという。

 

遠野物語拾遺

 

・第122話/安倍ヶ城

このタイマグラの河内に、巨岩で出来た絶壁があって、そこに昔安倍貞任の隠れ家があったといい、ここを安倍ヶ城とも呼んでいた。下から眺めるとすぐに行けそうに見えるが、実は岩がきつくて、特別の路を知らぬ者には行くことが出来ぬ。その路を知っている者は、小国村にも某という爺様しかいない。

土淵村の友蔵という男は、この爺様に連れられて城まで行ったことがあるそうな。その時もすぐ近くに見えている城までなかなか行けなくて、小半日か嘗てようやく行き着いた。

城の中は大石を立て並べて造った室で、貞任の使ったという石の鍋、椀、包丁や石棒等があった。昔は雨の降る時など、この城の門を締める音が遠く人里まで聞こえたものだそうなが、その石の扉は先年の大暴風の時に吹き落とされて、岩壁から五、六間下に倒れていたという話である。

 

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以上が「遠野物語」に登場する「安倍伝説」となります。しかし、遠野には、本当に、「安倍姓」を名乗る一族が多いようです。

 

遠野と言えば「カッパ」が有名ですが、この「カッパ」が出没すると言われる「カッパ淵」の、初代「カッパ爺さん」と呼ばれていた「安倍(阿部)与一(~2004年)」氏は、「安倍頼時(頼良)」の六男「安倍重任」の二十八代を名乗っていたそうです。

 

そして、真偽の程は確かではありませんが、氏が言うには、生家には、「三条宗近銘」の太刀が伝わっていたと話していたようです。

 

  

ちなみに、「三条宗近銘」とは、国宝「三日月宗近」を鋳造した刀鍛冶として有名です。

 

初代「カッパ爺さん」とか「カッパ淵の守っ人(まぶりっと)」とか呼ばれた「安倍与一」氏に関しては、過去ブログで、その人柄と言うか性格を紹介していますので、興味のある方は読んで下さい。

 

★過去ブログ:岩手の民間信仰 ~ 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.6

 

 

■「安倍貞任・宗任」兄弟関わる伝説

次には、それぞれ個別の伝説があるのですが、最初に、「安倍貞任/宗任」兄弟が、一緒に現れた伝説を、北から順に紹介します。

 

●貞任・宗任の供養塔(福岡県いわき市)

 

  

まずは、福島県いわき市鹿島に伝わっているとされる「安倍伝説」から紹介します。ここには、2つの伝説があるようです。

 

どちらも、盛岡市にある「厨川の柵」から安倍兄弟が逃れて来た事になっていますが、盛岡市からいわき市までは、直線距離でも300kmも離れていますので、「源 義家」軍の目をかいくぐって逃れるのは、ほぼ不可能だと思いますが・・・取り敢えず伝説を紹介します。

 

・伝説1

前九年の役の激戦地「厨川の柵」から逃れてきた「安倍貞任」だが、この地で病に罹ってしまった。そこで病を治すため小屋を建てて住んでいたが、その後、貞任の母も看病のために、この地に来て一緒に住んでいた。村の者達は、この小屋を「山の小屋」と呼ぶようになった。その後、病が治り、母子とも旅立つ時に、使っていた「鍋」を埋めて行ったので、その場所を「鍋塚」と呼ぶようになった。また、母子が住んでいた小屋には、現在、薬師堂が建立されている。

 

・伝説2

同じく、前九年の役の激戦地「厨川の柵」から逃れてきた「安倍貞任/宗任」兄弟は、坂下地内の山中に籠もり、追い討ちに出向いてきた「源 義家」軍を迎え撃った。

「源 義家」は、作戦を練るために、四方を見渡せる館山の頂上に陣を据え、そこで指揮を執りながら戦を行い、遂に叛く兄妹を征伐した。

その後、坂下地内の山腹に、高乾院「安倍貞任/宗任」の霊を慰めるため五輪の塔を2基造立した。

また、「源 義家」の陣所となった館山頂上には、八幡宮が祀られ、代々山伏の祈祷によって祭りが行われている。

八幡宮には、「文化2年(1805年)」の棟札や「弘化2年(1846年)」の棟札もあり、地元の人の日守りによって大切に保存されている。

 

●阿部神社(長野県大町市)

 

  

次は、直線距離で、いわき市から西南に280km、盛岡市から460km離れた長野県大町市にある「阿部神社」を紹介します。

 

「阿部神社」の創建時期は不明とされていますが、この地の豪族である「仁科氏」が、自身の祖である「安倍貞任/宗任」兄弟を祀るために建立したと言われています。

 

「仁科氏」は、平安時代末には、「木曽義仲」の挙兵に従い進軍し、京都の警護を行った武将として知られており、鎌倉時代には、この大町市を拠点として勢力を拡げ、一大勢力となったと伝わっています。

 

その後、「承久3年(1221年)」に起こった「承久の乱」の際は、上皇方として出陣しましたが、北条氏に大敗し没落してしまったそうですが、さらに、その後、室町時代復権し、武田方に帰属しますが、その内に嫡流は断絶し、最終的には、武田家に乗っ取られてしまったようです。

 

さて、この「阿部神社」、御祭神は、当然、「安倍貞任/宗任」兄弟となっています。

 

そして、「安倍伝説」としては、次のような話が伝わっているようです。

 

前九年の役(1061年)、奥州から落ちのびてきた「安倍貞任」は、越後国を経由して当地に逃れ「仁科姓」を名乗ったという伝承がある。

 

そして、森の城に住んでいた「安倍貞任」が、ある時、敵に追われて逃げ場を失い木崎湖の水中に潜って逃げた。

 

ところが、日ごろ城中で可愛がっていた「鶏」と「犬」が、主人の後を追って木崎湖に入り、それが目印となって、「安倍貞任」が岸へたどり着いた所を捕らえられ殺されたという。

 

この地にある「阿倍渡」という地名は、「安倍貞任」が岸に上がった場所とされ、「阿倍渡」周辺では、「鶏」と「犬」を祟りがあるとして飼わない風習が残っており、その結果、「トリ」の音を忌んで、この神社には鳥居がないと伝わっている。 』

 

と言う事ですが、現在では、この「安倍(阿部)氏」は、「奥州安倍氏」ではなく、別の「阿部氏」と考えられています。

 

奥州「安倍氏」を含む、全ての「阿部氏」の祖は、孝元天皇の皇子「大彦命(おおひこのみこと)」を始祖とする一族です。

 

この「阿部氏」は、複数の一族に別れていますので、「仁科氏」の祖は、現在では、「奥州安倍氏」」ではなく、別の「阿部氏」と考えられています。

 

「安倍(阿部)氏」については、下記の過去ブログで、その流れを紹介しています。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その4

 

また、この伝説では、「安倍宗任」が登場しませんが、御祭神が「安倍貞任/宗任」兄弟なので、一緒に登場するものとして紹介しています。

 

●宗任石(大分県杵築市)

 

  

最後は、大分県杵築市熊野加貫、国東半島の付け根にある「宗任石」を紹介します。

 

この「宗任石」、正式名称(?) は、「安倍宗任の腰掛石」と呼ばれているそうです。

 

多くの説では、名前の通り「安倍宗任」が腰掛けた石と言われていますが、一説には、「安倍貞任」も一緒に腰掛けたと言う説もあるので、ここに記載しています。

 

上記の通り、多くの伝承では、前九年の役の後、「安倍宗任」は、家来と共に大分県杵築市加貫に上陸し、そばにあった石に腰掛けたのが「宗任石」と呼ばれていると伝わっています。

 

しかし、早稲田大学が「宗任石」を調査した際、地元の古老から直接聞いた話では、「安倍宗任」は、家来と一緒に上陸したのではなく、「安倍貞任」と一緒だったとしています。

 

話を聞いた古老も、自身の祖母からの聞いた話と言う事ですが、その話では、加貫に上陸したのは「安倍貞任/宗任」兄弟で、二人とも石に腰掛けたと言う事でした。

 

  

また、大分県の高校が編纂した「日本史」には、石に腰掛けたのは「安倍貞任」と言う説もあるとの事ですから、加貫に上陸したのは、「安倍貞任/宗任」兄弟と言う説も捨てがたい話なのかもしれません。

 

ところで、この「宗任石」、加貫漁港のそばにある鎮座場所にあるのはレプリカで、本物は、現在、「宗任石」を守っている家が管理している林の中に移して祀っているそうです。

 

また、過去には、この「宗任石」を、殿様が持っていったところ、夜な夜な石が光ったり、殿様のお腹の調子が悪くなったりしたので、結局、元の場所に戻した、と言う話も伝わっているそうです。

 

 

■「安倍貞任」のみが関わる伝説

次は、主に「安倍貞任」のみが登場する伝説を、北から紹介します。

 

●貞任の妻が出産(山形県鶴岡市)

鶴岡市には、貞任/宗任の兄弟に関わる伝説が残されていますが、その内、「安倍貞任」に関する伝説を紹介します。

 

鶴岡市朝日の大平には、岩手の厨川で討死したはずの「安倍貞任」が、身重の妾を連れて源氏の名刀「雲切丸」を探しに来て、その時生まれた男児が村に住みついた、と言う話があるそうです

 

●貞任橋(山形県山形市)

 

  

山形市の柏倉八幡神社から南へ下ると、中林への道と三叉路になった場所があり、この三叉路の堰に架かっていた橋石を、その昔、「源 義経」に追われた「安倍貞任」が渡ったので、「貞任橋」と呼んでいるそうです。

 

現在では、「貞任橋」自体は残っておらず、橋の礎石の一部が残るのみとなっているようですが、橋があった辺り一帯を、現在でも「さだ」と呼んでいると伝わっているそうです。

 

なお、この「貞任橋」は、柏倉八幡神社の境内にある「義家橋」と一対になっていると言われています。

 

  

「柏倉八幡神社」は、山形新幹線山形駅から直線距離で西南に約5.7kmの場所にあり、社伝によれば、平安時代中期「康平6年(1063年)」に、「源義家」が、山城国「岩清水八幡宮」の分霊を勧請した創建したと伝わっている神社です。

 

その後、上杉家家臣「直江兼続」の山形攻めで焼失するも、その後、「最上義光」により再建されたのですが、平成24年(2012年)の火災により全焼してしまったそうです。

 

そして、火災の2年後、平成26年(2016年)4月には、早くも再建されています。

 

  

「義家橋」とは、現在は、もう橋は無くなってしまったのですが、この神社への東側登り口にあった川に掛かっていた橋の一部と言われています。

 

その昔、「安倍貞任」討伐のために、この地を訪れた「源 義家」の馬の足跡が残っていると言われています。

 

ちなみに、このような石は「馬蹄(ばてい)石」」と呼ばれ、「源 義家」に限らず、日本全国が数多く残っているそうです。

 

また、上記「貞任橋」とは、約1.5km離れているそうです。

 

●伊閑町(いかんちょう)に伝わる「鶴の墓」伝説(群馬県片品村)

 

  

「源 義家」が尾瀬を越える時に、鶴を放鳥したが、その鶴が死んでしまった。

 

他方、「安倍貞任」の部下、「文治保高(ぶんじ-やすたか)」は、貞任の子を預かって隠し育てていたが、病に罹ってしまった。

 

そこで、「文治保高」は、この死んだ鶴を盗み出し、病気治癒を祈願して、鳩待峠の辺に葬って墓を建てた。

 

その鶴には、黄金の丸印(ふだじるし)が付いていたと云う。

 

 

しかし・・・この伝説は、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な「奥州安達原」の内容とソックリです。

 

恐らく、江戸時代中期に、浄瑠璃の話をパクって、伝説に仕上げたのだと思われます。

 

●戸倉に伝わる「鶴の墓」伝説(群馬県片品村)

厨川柵の戦いに敗れた「安倍貞任」は、尾瀬に逃れて来て城を築いた。

 

しかし、食料が乏しくなったので、近くの尾瀬に食料を探しにきた所、「源 義家」の禁札が付いている三羽の鶴を見つけた。

 

これを幸いに、家来に鶴を討ち取らせ、なおかつ、鶴が討たれた事を見た旨を役所に届け出て賞金を貰い、家来の飢えをしのいだ。

 

しかし、その後、討った鶴を哀れんで、その墓を作った。

 

 

この伝説に類似した話は、各地に伝わっていますが、登場人物の名が「尾瀬大納言」であったり「中納言」であったり、殺した鶴が1羽であったりと、微妙に異なるようです。

 

湯檜曽温泉(群馬県みなかみ町)

 

  

次は、直接「安倍貞任」には関係無いのですが、貞任の子孫が発見した「湯檜曽(ゆびそ)温泉」を紹介します。

 

この温泉は、鎌倉時代(あるいは室町時代)、奥州安倍氏の子孫、一説には、「安倍貞任」の子孫と言われる「阿部貞通」の三男「阿部孫八郎貞次」が発見したと伝わっています。

 

当初は、「ゆのすそむ村」と言われ、それが「ゆびそ村」になったとも伝わっています。

 

 

しかし・・・「安倍貞任」には、息子が1人しかおらず、その人物は「安東高星」と伝わっていますし、奥州安倍氏に「安倍貞通」と言う人物は見当たりません。

 

この伝説も、ちょっと信憑性に欠けるような気がします。

 

安倍貞任の死体(京都)

これは、「安倍貞任は生き延びていた」伝説とは全く異なり、死刑に処せられた「安倍貞任」の死体の話になりますが、興味深いので、敢えて話を紹介したいと思います。

 

貞任の死体に関しては、京都の様々な場所で、様々な言い伝えが残っているようです。

 

 

  

安倍貞任」の亡きがらは、朝廷に送られ、都の占師の進言により「東西南北に川のある地」である「有頭(うつ)の地」(現:京都市右京区京北下宇津)に埋められた。

 

しかし翌朝、日の出とともに貞任は生き返り、祟りをなした。

 

そこで、体を二分、三分としたが、やはり生き返るので、最後は、体を七つに分けて埋め、下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやく祟りは静まったという。

 

  

亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、首を埋めたのが「貞任峠」と言う。

 

他にも、下肢を埋めた「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋めた「足手谷」など、下宇津周辺には、「安倍貞任」伝説にまつわる地名が残る。

 

中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は、歯痛封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。

 

  

さらに、下宇津から桂川を約20km下った南丹市八木町にも、「安倍貞任」の死体を祀った場所が点在する。

 

「船井神社」の入り口左横、竹垣に囲まれた場所にある「腕(かいな)守神社」内には、小さな祠と五輪塔があり、この五輪塔は、「腕(かいな)守」と呼ばれ、「安倍貞任」の腕を祀っています。

 

貞任の魂が、自分の体を元に戻そうとすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいくという。

 

この神社をお参りすると、腕の痛みに効くとされ、同神社前総代の「竹野忠夫」氏によると、「昔は農作業で腕を痛めた人が、よくお参りに来ていた。」そうです。

 

  

また、「安倍貞任」の子孫を名乗る人が、供え物を持ってくることもあった、と語っているようです。

 

八木町には他にも、「安倍貞任」の頭を埋めた「久留守(くるす)神社」があり、この神社は、頭痛に効く等の伝承があるそうです。

 

七つに切り分けられたという貞任の死体は、どのように切られ、どこに埋められたのか、全てを知る人はいないようです。

 

 

筑前国風土記

 

  

福岡藩の祐筆の息子として生まれた儒学者貝原益軒(1630~1714年)」が、元禄16年(1703年)、73歳の時に藩主に献上した「筑前国風土記」と言う地誌に、「安倍貞任」」にまつわる伝説が記載されています。

 

貝原益軒」と言えば、この「筑前国風土記」ではなく、人間の養生(健康法)について書かれた「養生訓」の方が有名です。

 

この「筑前国風土記」は、明治時代まで写本しか流通していないマイナーな本ではありますが、次のような「安倍伝説」が記載されています。

 

 

『 深山の内にある村也。下座郡三奈木村より、同郡荷原村の内、帝釈寺嶺といふ山を越して、此下流の田に入、それより川に随てのぼる。其の間、十六瀬を渡る。その道中に佛谷あり。三奈木より佐田村へ三里ばかりあり。

 

村民の言伝えには安倍貞任、流されて爰に来り住せし故に村の名を貞といふ。後に佐田と改む。

 

~中略~

 

この故に貞任より以来十三代を現人神に祝い、木像十三あり。第十三は孫太郎専当(あち)という。

 

今の庄屋はその子孫なり。およそ村中に安倍氏の者、十四、五家今にあり。また、貞任が産神となりとて。松島大明神を勤請せし社あり。貞任が子、りうせんと伝し人の墓とてあり。

 

されども、貞任は東国にて討死し西国には流されず。もしその後离有りて、爰に来り住みしける故、此の如き事跡あるにや。

 

安倍氏、十二月除日に、ここに流され来りし故、正月の用意なし。その子孫。その例にならひて、今に正月年縄、年木を用ひずといふ。 』

 

これを簡単に言語訳にすると次のような内容になるかと思われます。

 

  

『 村民の言い伝えによると、安倍貞任は流されてココに来て住んでいたので、村の名を貞という。後に佐田となった。

 

~ 中略 ~

 

このため、安倍貞任より十三代経過していることを祝って木像を十三体造ってある。第十三代目は孫太郎専当と言う、

 

今、村の庄屋となっているのは、その子孫と言われており、村には、安倍姓を名乗る家が、現在でも14~15件あり、安倍貞任が産神様となっている。また松島大明神を勧請した神社もある。そして、安倍貞任の子「りゅうせん」と言われている者の墓も残っている。

 

しかし、貞任は東国で討死して西国には流されていない。もしかしたら貞任の末裔がココに住んだので、この様な言い伝えがあるのかも。

 

安倍氏は、12月に、この地に流されてきたので、正月の用意が出来なかった。このため、その子孫達も、その例に習い、現在でも正月年縄や年木を使用しないと言われている。 』

 

 

まあ、「村人の言い伝え」と前置きしていますので、信憑性に関しては、かなり低い話なのだと思います。

 

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今回は、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」の第1回目として、次のような内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

遠野物語」に関しては、弊社ブログの民間信仰シリーズや山岳信仰シリーズ等、数多くの記事に登場しますが、本当に興味深い本です。

 

岩手県出身の私としては、この本が、佐々木喜善ではなく、柳田國男により編集/出版された事が残念でなりません。

 

遠野物語」は、知っている人は、当然、知っていますが、遠野出身の民話蒐集家「佐々木喜善」が語った物語を、民族学者「柳田國男」が整理/編集した説話集です。

 

このため、「佐々木喜善」も、自身で本を何冊も出版しているのですから、自分が集めた昔話を整理して出版すれば良かったのに~、と思ってしまいます。

 

しかし、「佐々木喜善」が書いた本は、余り有名では無いところから推測すると、彼の文章能力は、イマイチだったのかもしれません。

 

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それはさておき、今回「安倍伝説」を調査してみたのですが、これほど多くの「安倍伝説」があるとは思いも寄りませんでした。

 

正直な所、「安倍伝説」と言っても、せいぜい4~5個位の情報だろうと思い、このブログも、1回こっきりで終わるものだと考えていました。

 

ところが、調べて見ると、あるはあるはで、どんどん「安倍伝説」が出て来ます。

 

また、「安倍宗任」が四国と九州に流罪になり、その後、「松浦党」や「宗像氏」と関係を持った事は、過去に、ブログを書く時に調査済でしたので、四国、および九州地方に、「安倍宗任」関係の伝説が結構存在するであろう事は、ある程度予想していました。

 

しかし、盛岡で戦死したはずの「安倍貞任」関係の伝説まであることは驚きでした。

 

さらに、「安倍貞任」の死体が、蘇って祟りをもたらすとは・・・まるで「ゾンビ」、ではなく、「平 将門」伝説と同じ事になっているとは想像も付きませんでした。

 

平安時代の貴族達は、人間の持つ「恨み」や「怨念」が、余程怖かったのだと思います。

 

平安時代に、「平 将門」、「菅原道真」、「崇徳天皇」、そして「安倍貞任」と、怨霊となった人物は数多く存在します。

 

とは言え、「安倍貞任」は、その他の3名の怨霊と比較すると、それほど有名じゃないのは、ちょっと可笑しくも、そして悲しくもあります。

 

次回は、次の内容を紹介します。

 

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

いわき市鹿島の極楽蜻蛉庵(https://blog.goo.ne.jp/ah8671)

・学校法人中村学園アーカイブ(http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/)

国文学研究資料館(https://www.nijl.ac.jp/)

 

 

 

生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?

 

近頃、政治家やニュースでは、合言葉の様に「働き方改革」、「働き方改革」と言われ続け、ついに平成30年6月29日に国会で法改正が成立しましたが、皆さん、この法律って何が、どう変わるのかを、知っていますか ?

 

この法案の正式名称は、「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案」と言います。

 

この「働き方改革」では、通称「高プロ」と呼ばれていた「高度プロフェッショナル制度」の問題ばかりが国会やニュースで取り上げられ、その他の点に関しては、余りニュース等でも取り上げられなかった様な感じがします。

 

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高プロ」に関しては、当初「ホワイトカラー・エグゼンプション」と言う名称で、労働時間の規制緩和を目指したのですが、当然、「過労死」の問題を指摘され、導入出来ずに廃案となってしまいました。

 

しかし、それでも安倍政権は、2015年、労働時間に関する規制緩和を目指したのですが、これも審議が終わらずに、再度、廃案になっています。

 

ところが、安倍政権は、しつこいくらいに労働時間の規制緩和を試み、2018年の第196回の通常国会における「働き方改革」に「高プロ」を潜り込ませ、ようやく成立させた経緯があります。

 

この「高プロ」の受益者は、明らかに労働者ではなく、経営者側、特に「経団連」のロビー活動の賜物だと思われます。

 

まあ、私も経営者の端くれですから、「高い給与を払っているんだから、決められた時間内に、ちゃんと成果を出せよ!」と言いたくなる気持ちは分ります。

 

日本のビジネスマンは、欧米のビジネスマンと比較すると、作業効率が1/2だと指摘されていますので、高給取りが成果を出さない点は、経営者とすれば、頭の痛い問題だとは思います。

 

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と、このような、数々の矛盾を含んだまま成立した法改正ですが、2019年4月、つまり今年の来月から改正法が施行されます。

 

この法案に関しては、審議が不十分だった事から、法が成立した時点で、数多くの問題を抱えた状況となっています。

 

確かに、前述の「高プロ」の様に、経営者には嬉しい内容もありますが、その他、通常のビジネスマンに関しては残業時間の規制強化も盛り込まれていますので、単純に経営者だけが得をする法改正ではありません。

 

大枠で見ると、逆に、経営者にとっては、頭の痛い法改正となっています。

 

また、同じ経営者でも、大企業と中小零細、または仕事の発注者と受注者という立場の違いからも、その問題点は全く異なります。

 

今回、この「働き方改革」に関して、次の内容を紹介します。

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

 

■法改正の内容

 

 

今回の「働き方改革」は、1個の法律が制定された訳ではありません。「働き方」に関係している、次の8個の法律の内容が改正されています。

(1)労働基準法

(2)労働安全衛生法

(3)労働時間等の設定の改善に関する特別措置法

(4)じん肺

(5)雇用対策法

(6)労働契約法

(7)短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律

(8)労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律

 

個々の法律を説明してしまうと、「六法全書」になってしまいますので、当然、本ブログでは説明しません。

 

そこで、今回の法改正において、非常に重要と思われる次の8個の項目について、その内容を紹介します。

 

●時間外労働の上限規制

現行の労働基準法では、労働者の労働時間は、「1日8時間、週40時間」と決まっていますが、通称「36(サブロク)協定」を労働者との間で締結すれば、実質、無制限に働かせる事が出来る仕組みとなっています。

 

ところが、今回の法改正では、残業時間の上限の基本ラインを「月45時間、年360時間」と明確に定義しました。

 

繁忙期など、どうしても残業を行わなければならないケースでも、45時間を超えて残業出来るのは6ヶ月までと制限され、年間の残業時間の上限は720時間となりました。加えて、次の内容もガイドラインとして付加されています。

 

残業は、「連続する2カ月から6カ月平均で月80時間以内(休日労働含む)」

残業は、「単月で100時間未満(休日労働含む)」

 

しかし、この内容にも、実は「抜け道」が用意されています。

 

年720時間の残業時間には、休日の残業時間は含まれていません。このため、毎月、休日出勤をさせ、80時間までは残業が可能と言う解釈が成立します。

 

その結果、「毎月80時間の残業 × 12ヶ月 = 年間960時間の残業」が可能となります。

 

ちなみに、この法律の罰則は、「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金を科す。」となっています。

 

法律の施行に関しては、大企業は、2019年4月から、中小企業は、1年間猶予され2020年4月となっており、かつ、これまで時間制限が無かった建設業、自動車運送業、および医師には、5年間の猶予期間が設定されています。

 

また、現在、大企業では、月60時間を超えた残業の割増賃金率が「50%」となっていますが、2023年4月以降は、この賃金割増率は、中小企業にも適用されるようになります。

 

●有給休暇の消化義務

これは簡単です。「抜け道」もありません。

 

10日以上の年次有給休暇が与えられている労働者には、本人の希望を踏まえ、このうち時季を指定して、5日分取得させることを企業に義務付ける事になりました。

 

フレックスタイム制の見直し

フレックスタイム制」とは、「清算期間(現行、最長1か月)」で定められた所定労働時間の枠内で、労働者が、始業/終業時刻を自由に選べる制度です。

 

この結果、労働時間が長い日を設定出来ますし、逆に短い日も設定できるので、労働者は、あらかじめ定められている清算期間中の所定労働時間(総労働時間)に達するよう、自由に労働時間を調整して働く事が出来るようになります。

 

フレックスタイム制」を導入するためには、就業規則、その他これに準ずるものにおいて、始業及び終業の時刻をその労働者の決定にゆだねる旨を定めた上で、労使協定において、対象労働者の範囲や清算期間などの一定事項を定める必要がありますが、この労使協定は、締結のみで厚生省等への届出は不要です。

 

ところが、現行の「フレックスタイム制」では、清算期間の上限が、前述の通り1か月とされているので、1か月を超える期間についての労働時間の調整が出来ないと言う問題点がありました。つまり、月またぎの調整が出来ません。

 

例えば、月の前半に余分に働いて、月の後半を短めにする事は可能ですが、6月に余分に働いて、8月の労働時間を短めにすると言うことは、制度上は不可能でした。

 

そこで、今回の法改正で、「清算期間」を最長3か月に延長し、より柔軟な働き方を選択する事が可能となりました。

 

今回の法改正跡は、例えば、「6~8月の3か月」の中で労働時間の調整が可能となるので、子育て中の親が、8月の労働時間を短くすることで、夏休み中の子どもと過ごす時間を確保しやすくなる等のメリットがあると厚生労働省は宣伝しているようです。

 

裁量労働制への業務追加

通常の勤務形態の場合は、企業側が、日毎の始業時刻や終業時刻を記録する事で、労働者の労働時間を適正に把握します。

 

しかし、裁量労働制を採用した場合、労働者は実際の労働時間とは関係なく、何時間働いても、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされるようになります。(※みなし労働の一種)

 

裁量労働制は、業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある業務にのみ適用する事が許されており、次の2種類に分類されています。

 

・専門業務型裁量労働制 :研究開発、システムエンジニア、編集者、会計士、税理士、弁護士、等

・企画業務型裁量労働制 :各種企画業務 - 経営、人事、教育、財務、広報、営業、等

 

そこで、今回、上記2種類の裁量労働制の内、「企画業務型裁量労働制」の方に、次の2つの業務を追加しようと目論んだそうです。

 

(1)事業の運営に関する事項について繰り返し、企画、立案、調査、分析を行い、かつ、これらの成果を活用し、当該事項の実施を管理するとともにその実施状況の評価を行う業務

→ 品質管理系の業務

 

(2)法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用した商品の販売または役務の提供に係る当該顧客との契約の締結の勧誘または締結を行う業務

→ 取引先のニーズに応える形で新商品を企画・販売する営業職

 

ところが、「安倍ちゃん」が、国会で『 厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある。 』と言う虚偽答弁を行ってしまった結果、この法案は、「働き方改革」から削除されてしまいました。

 

裁量労働制は、「高プロ」と同様、「残業代カット法案」とされていますので、適用範囲が広がれば、労働者は、堪った物ではありません。削除されて良かったと思います。

 

このため、経済界からは、この法案が削除されて残念と言う声が多数聞こえています。

 

しかし、政府は、今回は削除しましたが、今後も、「厚労相の諮問機関の労働政策審議会で制度改革案を議論する」となっていますので、虎視眈々と提出の機会を伺っています。

 

高度プロフェッショナル制度

これは前述の通り、「過労死法」、そして「残業代カット法案」です。

 

この制度は、高度の専門的知識を必要とする業務に従事し、かつ職務の範囲が明確で、一定の年収(年収1075万円以上を想定)がある労働者で、本人が同意している場合、労働時間の規制から外す仕組みです。

 

同制度が適用された労働者は、年間104日の休日を確実に取得させることなどを要件として、労働時間、休日、深夜の割増賃金等の規定の適用が除外されるようになります。

 

また、次のような条件の何れかも実施する必要があります。

・勤務間インターバル

・働く時間の上限設定

・連続2週間の休日確保

・臨時の健康診断

 

しかし、事実上の残業時間制限が無くなりますので、法律では守ってもらえなくなります。

 

●勤務間インターバル

勤務間インターバル制度とは、「過重労働による健康被害予防のため、勤務の終業時間と翌日開始の間を、一定時間空けて休息時間を確保する制度」の事を言います。

 

現時点では、「普及促進」と言うお題目だけで、具体的なインターバル時間の規定はありません。

 

先行して導入している「ホンダ」等の企業では、8時間、8時間+通勤時間、10時間など、独自のガイドラインを設定して運用しています。

 

前述の「ホンダ」では、既に40年以上も前から運用しているようですが、現在運用している企業は「1.8%」程度しか存在せず、厚生労働省の調査では、従業員30名以上の企業3,697社を調査した所、「導入予定が無い」と回答したのは、全体の約90%(89.1%)の企業にも上ったとされています。

 

やはり、お題目だけでなく、助成金等の「アメ」が無いと、話にならないと思います。

 

同一労働同一賃金の推進

正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間で、職務内容が同一であるにもかかわらず賃金の格差が生まれていた状況を解消するため、雇用形態が如何に関わらず、どのような状況であっても、同一の貢献をした場合は、同じ給与/賃金が支給しなければならなくなります。

 

厚生労働省は、「有期雇用労働者の均等待遇規定を整備」することを指定しており、派遣労働者に対し、次の2点を義務化します。

 

「派遣先の労働者との均等・均衡待遇」

「同種業務の一般の労働者の平均的な賃金と同等以上の賃金であることなど一定の要件を満たす労使協定による待遇のいずれかを確保すること」

 

もしも格差が存在する場合、企業は、労働者に内容や理由を説明しなければなら無くなります。

 

この制度の施行日は、大企業が2020年4月1日、中小企業が2021年4月1日となっています。

 

●衛生管理の強化

企業が、労働者の健康を適切に管理するため、産業医を雇用したり、あるいは環境を整備したりする点を明記しており、企業は、下記の対応を取ることが求められています。

 

・「事業者における労働者の健康確保対策の強化」

・「産業医がより一層効果的な活動を行いやすい環境の整備」

 

具体的には、企業は産業医に、労働者の労働時間など必要な情報を提供しなければならなくなります。

 

また、産業医の面談に役立てるため、企業は、管理職や高度プロフェッショナル制度の対象者を含む全労働者の労働時間を把握しなければならなくなりますが、違反しても、特に罰則はありません。

 

産業医から労働者の健康管理について勧告を受けた場合は、企業は事業所ごとに労使で構成する衛生委員会で、その内容を報告しなければならない決まりとなったようです。

 

このように、「働き方改革」は、一部、残業時間の規制に罰則が付いた事は、労働者のためと言えますが、その他、大部分は、多くの「抜け道」が良いされており、経営者側に有利な法改正になっているように見受けられます。

 

 

 

■法改正に伴う影響

 

 

前述のような内容の「働き方改革」ですが、一番の注意点は、「残業時間の上限設置」と「罰則規定」だと思います。

それ以外は、「推進」だ、「強化」だと、お題目ばかりの「キレイ事」ばかりなので、特に、何の影響も無いと思います。まあ、「高プロ」の方は、大変かもしれませんが・・・

 

しかし、何故、今回、この「働き方改革」が問題になったのかと言う点を、皆さん、覚えていますか ?

 

事の発端は、「電通の女性社員の過労自殺」問題です。

 

それでは、何故、女性が過労自殺に追い込まれたのか ? と言うと、業務が効率化出来ていないと言う点に集約されると思います。

 

つまり、本ブログの冒頭でも触れましたが、日本の労働者の生産性は、欧米諸国の1/2 ~ 2/3と言われるほど、非効率的です。

 

それゆえ、この「働き方改革」の真の目的は「生産性の向上」なのです。労働者の生産性を向上させることで残業時間を減らす、と言うのが目的です。

 

ところが、多くの経営者達は、「生産性の向上」は一顧だにせず、「残業時間の削減」ばかりに目を向けています。

 

これでは「本末転倒」です。

 

 

そして、「残業時間を削減」するために何をするのか ? と言うと、業務のアウトソーシング化です。

 

「業務のアウトソーシング」と言えば聞こえは良いですが、その実態は、外注や下請け、あるいは子会社への「丸投げ」です。

 

つまり、仕事現場では業務の効率化が出来ていないので、残業時間を削減することは不可能です。いつもと同じ作業の仕方をしているのに、残業時間を減らすことなど出来るはずもありません。

 

「じゃあ、どうするんだ !」と言う事で、仕事を社外に「丸投げ」する訳です。

 

それでは、仕事を「丸投げ」された会社は、どうなるのかと言うと、前章の「上限規制」にも書いていますが、中小企業への法令の適用は、2020年からです。

 

つまり、外注、下請け、そして子会社では、あと1年間は、残業し放題の状況が続くので、大企業から仕事を「丸投げ」された企業では、相変わらず、社員が地獄を見続ける事になるかと思います。

 

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もう一つの解決策としては、「人員の追加投入」と言う手段もあります。つまり、1つの仕事を2人で行って作業時間を減らすと言うやり方です。

 

作業を効率化出来ないのであれば、1人では2日掛かる仕事を、2人で行って1日で終わらせる、と言う考え方です。

 

しかし・・・こんな対応策を取る企業は皆無でしょう。人件費ばかり掛かり、企業経営を圧迫しますし、第一、今の日本は、どこでも「人手不足」の状態ですので、そう簡単に、人は増やせません。

 

となると、やはり、他社への「丸投げ」が増えていくのだと思います。

 

 

 

 

■日本の現状

それでは、何故、日本の労働者の作業効率は低いのでしょうか ? 

 

参考までに、本当に日本の生産性が低いのか否かを、ちょっと古い資料ですが、OECD経済協力開発機構)に加盟する34カ国の中で見てみると、日本の生産性は21位と、本当に低い状態になっています。

 

順位

1980年

1990年

2000年

2010年

2016年

1

ルクセンブルク

ルクセンブルク

ルクセンブルク

ルクセンブルク

アイルランド

2

オランダ

ベルギー

アメリ

ノルウェー

ルクセンブルク

3

アメリ

アメリ

ノルウェー

アメリ

アメリ

4

ベルギー

イタリア

イタリア

アイルランド

ノルウェー

5

イタリア

オランダ

ベルギー

スイス

スイス

-

日本(19位)

日本(16位)

日本(22位)

日本(21位)

日本(21位)

 

この生産性とは、GDP(国内総生産)を就業者数(または就業者数×労働時間)で割って計算しています。

 

国によって産業構造や人口動態が違うので、一概に「生産性が低い」と言うのは無理があるかもしれませんが、参考にはなる資料です。

 

そして、日本の生産性が低い理由ですが、・・・まあ数々の理由はあるとは思いますが、私としては、次の4点が大きな理由ではないかと考えています。

 

  • 残業代が生活費になっている
  • 社内に「働かないオジサン」が大量に存在する
  • 無駄な会議が多すぎる
  • サービスの質が高過ぎる

 

それでは、何故、こうなっているのかを紹介します。

 

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  • 残業代が生活費になっている

 

私が、まだサラリーマンで、かつ平社員だった頃、今から30数年前の話になりますが、1ヶ月の残業時間は、軽く100時間を超えていました。

 

このため、基本給よりも残業代の方が多い生活が続いていましたので、当時、遊ぶ時は、結構派手に遊んでいましたが、元々、仕事ばかりで遊ぶ時間などありませんでした。

 

ところが、これが役付きになると、雀の涙のような「役職手当」が付くだけで、残業代はカットされましたので、途端に悲惨な生活になってしまった事を覚えています。

 

『 もう、こんな仕事やってられっか !! 』と言う感じでした。

 

これは前述の通り、30年以上も前の話ですが、恐らくは、今でも事情は似たり寄ったりではないかと思います。

 

つまり、現在の日本人は、「残業代」が入ることを前提に仕事をしているので、逆に、仕事を効率化して「残業代」が無くなると、生活できないんじゃないかと思います。

 

このような状況なので、残業しないで家に帰ると、奥さんに怒られてしまうのかもしれません。

 

しかし、これは笑って済む話ではありません。

 

言い換えれば、日本の消費経済は、「残業代」に支えられていると言う事になります。

 

政府は、消費を拡大させる事でデフレからの脱却を目指していますが、業務効率化で残業代が減ってしまうと、消費が冷え込む結果になってしまうかもしれません。

 

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  • 社内に「働かないオジサン」が大量に存在する

ここ4~5年、社内の「働かないオジサン」、「使えないオジサン」が増殖していると話題になっていますが、皆さんの周りにも、こんな「オジサン」は存在しませんか ?

 

 

この「働かないオジサン」ですが、別に、4~5年前から急に出現した訳ではありません。

 

私が社会人になった頃、バブルが始まるちょっと前、1987年には、OL(Office Lady)からの投稿をベースにした「おじさん改造講座」と言うコラムが週刊文春で始まっており、当時も「働かないオジサン」の存在が明らかになっています。

 

これら「働かないオジサン」は、会社に存在しているだけで何の仕事もしない人種です。

 

日がな一日、会社に来ては、新聞を読んだり、どこかに休憩に行ったり、昼ごはんを食べると、コックリ、コックリ、平気で船を漕いだりしている人達です。

 

私がサラリーマン時代に勤めていた会社にも、グループ会社から定年間近の「オジサン」と言うか、もう「オジイサン」状態の人間が役員として天下ってきたのですが・・・

 

これが・・・全く仕事をせず、朝から新聞を読み、その途中で居眠りを始め、そのまま午前中が過ぎ、午後も同じようなパターンで時間を潰し、定時になると帰ってしまうと言う生活を、毎日続けていました。

 

居眠りの最中に電話が掛かってくると、「誰が起こすんだよ !? 」と言うことで、皆んなで揉めた事を覚えています。

 

しかも、掛かってくる電話も、仕事の電話ではなく、家族、それも「アホな娘」からs,しょっちゅう電話が掛かって来て、皆んなで呆れていました。

 

ちょっと話はズレますが、この時の電話で強烈だった話を、少し紹介しますと、次のような事を大声で喋っていました。

 

『 ダメだよ、買ってに車なんか買っちゃ! だって、お前、免許が無いんだろう ! 免許が無いのに車買っちゃダメだって ! 』

 

こんな電話を大声で喋っているので、皆んな、聞こえない振りをするのが大変で、こらえきれない社員は、急いで廊下に出て笑っていました。

 

話は、少し逸れましたが、これらの「オジサン」が大量に存在するので、企業全体の生産性が低下する結果になってしまっています。

 

例えば、2人1組のペアで仕事を任されたとします。その内の1人が「働かないオジサン」の場合、もうそれだけで生産性が1/2に低下してしまいます。

 

これが3人1組のペアで、内2人が「働かないオジサン」だった場合、生産性は1/3に、そして1/4に・・・どんどん生産性は低下して行きます。

 

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  • 無駄な会議が多すぎる

本件に関しては、弊社ブログで過去に取り上げ、いかに日本中で無駄な会議が開かれているかを紹介した事があります。

 

★過去ブログ:効率的な社内会議の仕方(その1) ~ 無駄な残業を減らす方法

 

 

このブログの中では、プロジェクト・メンバー28名構成の場合、毎月、進捗会議、および会議資料作成のためだけに、メンバー全体で、748時間も無駄な時間を費やしている事例を紹介しました。

 

日本人の美徳として、「協調性」が取り上げられますが、この「無駄な会議」だけは、即刻、止めて欲しいと思っています。

 

日本の会議が無駄な理由を挙げれば、もうキリがありません。

 

・必ず決められた時間までグダグタと会議を行う

・定時過ぎに会議を行う

・不必要な人まで会議に参加させる

・事前準備をせずに会議に参加する

・開始時間に遅刻する

・部門長や社長の独演会になる

・必ず誰かを「吊るし上げる」進捗会議

・会議の終わりに、誰かが必ず「ちゃぶ台返し」をする

・会議のための会議を開く・・・・・etc.

 

会議を開催するたびに、社員のモチベーションを低下させています。部門長の意識一つで、無駄な会議は減らすことが可能です。

 

会議を開催することで、方向性の統一、(本来の意味での)進捗管理、そして問題点の洗い出しと修正、等、良い事もありますが、ほぼ全ての会議が、無駄に定例化されているように見受けられます。

 

「会議では何も産み出さない !」と言う点を再認識すべきだと思います。

 

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  • サービスの質が高過ぎる

また、サービスの質が高すぎる事も、生産性を低下させる原因の一つだと思います。

 

 

日本は、東京オリンピック誘致の際、意味不明な「おもてなし」とかいう言葉を使って、サービスレベルの高さをアピールしていましたが、過度なサービスは生産性を低下させます。解りますか ?

 

つまり、業務の適用範囲が不明確なままサービスを提供し続けるので、必然的に残業時間が増えてしまうのです。

 

「おもてなし」の業務範囲が明確になっていれば、この時間なら、このサービスまでと、無駄な仕事をしなくても済みません。

 

ところが、「あれも」、「これも」と、業務範囲が不明確なままサービスを行うので、自然と残業が増えてしまいます。

 

元々、「おもてなし」の業務範囲が不明確なのですから、生産性など関係ありません。仕事が非効率になるのは当たり前です。

 

「おもてなし」とは、実は、ただひたすら無駄な時間を費やしているだけなのかも、単なる自己満足なのかもしれません。

 

 

「本当に、日本の生産性は低いの ?」と疑問に思っている方も多いと思いますが、本当に、日本の生産性は低いのです。その生産性の低さを、これまでは「残業」がカバーしてきただけです。

 

その昔、私達の世代までは、「モーレツ社員」が大勢存在し、月100時間残業しても、何ともない時代でしたが、これからの日本では、もう、そんな事は許されません。

 

私も、ちょっと前までは、平気で、次のような事を言っていました。

 

『 俺が若い頃は、月300時間の仕事は当たり前だった。 それなのに、今の若いもんは何だ ! 月に100時間残業しただけで過労死とか言って・・・ 』

 

確かに、あの頃は、それが普通でした。

 

夜の10時に「お先に失礼しま~す。」と言うと、皆から「何だ !? 今日は早いな~」等と言われていた時代です。

 

仕事の仕方も生き方も、時代と共に変化する事を学ばなければなりません。

 

 

 

■今回の法改正への対応策

 

 

それでは、このような法改正対して、どのような対応を取れば良いのでしょうか ?

 

基本的には、前章で取り上げた「非効率な作業」を効率化、あるいは廃止することで、生産性は、かなり向上すると思います。

 

それでは具体的には、何を、どのように変えて行けば良いのでしょうか ? 以降に、私なりに考えた、次の3つの参考意見を紹介します。

 

  • 業務棚卸しと効率化
  • 「働かないオジサン」対策としての人員配置の見直し
  • 残業代減少に伴う給与体系の見直し

 

「会議の効率化」に関しては、前述の通り、過去ブログに掲載していますので、そちらを見て下さい。

 

●業務棚卸しと効率化

最初の「業務棚卸しと効率化」ですが、これは単純に考えると「業務のシステム化」の検討になってしまいます。

 

 

部門毎に、部門内で行っている全業務に対して、次のような作業を行う事で、問題点を洗い出します。

 

・全業務を書き出す

・業務毎に作業概要と作業時間を書き出す

・業務毎に問題点の洗い出しを行う

・洗い出した問題点に関して、対応策を検討する

 

この「対応策」ですが、最初からシステム化に向けた検討を行うのではなく、作業手順や作業タイミングの見直しを行うだけでも効率化出来る可能性もあります。

 

その上で、どうしても効率化出来ない部分に関しては、システム化の検討をした方が良いと思います。

 

特に、現在では、ほぼ全ての企業で、基幹系業務には、何らかのシステムが導入され、そこそこシステム化が進んでいると思いますので、これ以上、メイン業務に対するシステム化は、無理があるようにも思えます。

 

恐らく、システム化出来ていない部分は、基幹系業務から離れた「枝葉部分」の業務になると思います。

 

例えば、基幹システムから出力したデータを手作業で加工して別データを作成して他のシステムに渡しているとか、同じく、基幹システムから出力したデータを加工して、取引相手に渡しているとか言うケースになると思います。

 

このような「枝葉部分」の作業の効率化、システム化に関しては、弊社ブログで、過去に対応策を紹介していますので、そちらも参考にして下さい。

 

★過去ブログ:開発を依頼する前に - 外注会社に連絡する前に自社で行うべき事

 

●「働かないオジサン」対策としての人員配置の見直し

 

 

「働かないオジサン」への対応は、「リストラ」しかありません。

 

「リストラ」と言っても、アメリカの「ドナルド・トランプ」の様に単に「You are Fired!」と言って、社員をクビに出来れば、それに越したことはありません。

 

しかし、ここ日本では、アメリカと異なり、一度、雇用した社員に関しては、そう簡単に「クビ」にする事は出来ません。

 

「働かないオジサン」を、業務怠慢を理由にする場合、次の項目を満足させる必要があります。

 

(1)就業規則に職務遂行能力の不足や勤務態度不良等を解雇事由として記載しているか

(2)何度も勤務態度不良を繰り返しているか

(3)職務遂行能力の不足や勤務態度不良により会社に対する具体的な損失があったか

(4)本人に問題点を指摘して、書面により何度も是正勧告を何度も行っているか

(5)改善の見込みがあるか

(6)社員全員に同様の対応を取っているか

 

上記6点を満足していれば、たとえ裁判になった場合でも、解雇事由としては妥当と判断される可能性は、かなり高いと思います。

 

しかし、これに関しては、特に(2)がネックになります。上記6点を充足する行為が複数回発生している点が問題となります。つまり、時間が掛かると言う事です。

 

やはり、最初は、社員を「クビ」にするリストラではなく、本人の意向を汲んだ形での「配置転換」と言うリストラを検討した方が良いと思います。

 

そして、「働かないオジサン」の配置転換先ですが・・・基本的に、「働かないオジサン」は、どのような部署に配属されようと働かないと思います。

 

このため、給与と成果が連動する営業職に配置転換し、働かなければ給与が下がるようにすれば良いと思います。

 

 

但し、これも簡単には給与体系を変更することは難しいので、基本給は現状のままで、その他の手当部分を営業成果に連動させる形に変更させる必要があります。

 

配置転換で給与が減額されるとなると、裁判になった場合に不利になってしまう可能性があります。

 

配置転換された「働かないオジサン」を、営業職が普通に働いてもらう給与と同額になる様に調整する必要があると思います。

 

このような対応をする事で、社内に「働かざる者食うべからず」の雰囲気を作る事も大切だと思います。

 

●残業代減少に伴う給与体系の見直し

 

 

前述の通り、現在の日本は、「残業代 = 生活費」になってしまっています。まずは、この考え方、そして給与体系を、根本から見直す必要があると思います。

 

つまり、残業しなくても成果を出した社員には、成果報酬を出す形の給与体系に変える事が重要です。

 

何か、少し前に流行った「成果主義」みたいな感じですが、本来、「成果主義」とは、このように成果を出した社員には、手厚く報いる事を意味しています。

 

過去に流行った「成果主義」では、経営層や管理職が勝手に決めた目標を、社員に強制的に押し付ける形の「成果主義」でした。

 

それが顕著に表れたのが「東芝」です。

 

「チャレンジ」とか言って、実現不可能な課題を社員に押し付け、その結果、不正会計に手を染め、歴代3社長が辞任するハメになってしまいました。

 

これは「成果主義」でも何でも無く、単なる「パワハラ」です。

 

ちゃんと社員と業務課題を話し合い、どのような評価基準にするのかを双方で納得する必要があります。

 

営業職であれば、売上数字で判断できるので、評価基準を決めるのは比較的簡単ですが、これが技術職や総務/経理等の職種になると、評価基準を決めるのは、非常に困難になります。

 

しかし、社員に仕事を割り振る前に評価方法を考えれば事は簡単です。

 

要は、仕事を割り振る時点で、仕事の完成度と納期の早さをベースに評価方法を考えれば良いだけだと思います。手戻りが無ければ「高評価」、かつ納期が早ければ「高評価」を付ければ良いだけです。

 

その他の評価基準としては、該当業務の他に「プラスα」で他の業務もこなしたとか、あるいは部下や同僚を支援したとかも評価対象にすれば良いと思います。

 

今の企業は、仕事を割り振るだけで、その仕事の成果を評価しようと思わないの悪いのだと思います。

 

企業は、本当に、真剣になって、評価基準を決める必要があります。

 

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前述の「業務の棚卸しと効率化」と重複しますが、兎にも角にも、これからの企業には、業務を、いかにして効率化するかが問われる時代に入ります。

 

これからは、この法改正の影響もありますが、労働力人口の減少に拍車が掛かりますので、深刻な人で不足の時代となります。

 

外国人の雇用を増やすのも一つの対応策だと思いますが、外国人雇用の場合、単に外国人を雇用すれば良いだけでは済みません。

 

相手の文化や生活習慣等も考慮しなければ行けません。

 

 

例えば、ムスリムの人を雇用するのであれば、礼拝の時間を考えてあげたり、ドレスコードを変更したり、社員食堂があるならハラールを用意してあげたりと、業務以外に関しても注意を払う必要があると思います。

 

これは中小企業にとっては、かなりハードルが高いと思います。

 

一度、制度を整えれば、後は簡単だとは思いますが、それでも社内に専門部署を設けて対応する必要があるので、やはり大変な作業になると思います。

 

それよりは、やはり現状のままで、何が効率化出来るのかを検討した方が良いと思います。

 

まあ、業務の棚卸しも結構キツイ作業ではありますが、これも、いつかは着手しなければならない作業ですから、嫌な作業は前倒しで行う癖を付ける意味でも、明日からでも着手した方が良いと思います。

 

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今回は、「生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?」と題して、「働き方改革」に関して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

こうして改めて日頃の働き方を見てみると、日本人は、なんて非効率的な仕事の仕方をする民族なのかと、つくづく思い知らされました。

 

まあ、その昔から「和を以て貴しとなす」のが日本人の特性だから、仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれませんが・・・

 

今後は、「和の持ち方」を工夫する必要があると思います。

 

今回の「働き方改革」と同時に、「入国管理法改正案」も成立し、どちらも来月から法が施行される事が決まっています。

 

これにより、先も記載しましたが、外国人を雇用しやすくなるとは思いますので、「働かないオジサン」を駆逐して、オジサンよりも優秀で、かつ給料が安い外国人を雇用する事で、生産性を向上させることも対応策の一つとして検討した方が良いかもしれません。

 

しかし、「働き方改革 = 残業時間削減 = 仕事の丸投げ」と、本来の趣旨を取り違えて考えている経営者が多い事も事実ですので、中小企業や子会社の方は、これからの仕事の請け負い方を注意した方が良いと思います。

 

仕事が増えるのは売上が上がるので嬉しいかもしれませんが、今後は、自分の会社の社員が「過労自殺」してしまう可能性が高まります。

 

何れにしろ、大企業も中小企業も、「働き方改革 = 業務効率化」と言う意識を持ち、自分達の仕事の仕方を考えて見るべき時が来ている事を自覚して下さい。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

ITmediaビジネス(http://www.itmedia.co.jp/business/)

マイナビニュース(https://news.mynavi.jp/)