奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その2)

  前回のブログでは、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)」と題して、「安倍伝説」に関して、次のような内容を紹介しました。

 

 

★過去ブログ:奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)

 

その中では、北は岩手県から始まり、福島県山形県、長野県、群馬県京都府、そして福岡県と、「安倍氏」にまつわる伝説がある事が解りました。

 

  今回、「実は生きていた。」に焦点を当てたブログなのですが、私的には、京都府に伝わっている「安倍貞任がゾンビ(Zombie)になった。」と言う伝説が、非常に興味深かったです。

 

死体を切り刻んでも生き返って祟りをもたらすとは、本当に、ゾンビ以上の恐怖だと思います。

 

ゾンビは、映画では、クビを切り落とせば大人しくなりますが、「安倍貞任」は、それだけではダメだったようです。

 

また、「平 将門」や「崇徳天皇」も祟り神となったのですが、さすがに「ゾンビ化」はしなかったと思います。

 

日本において、「死体が生き返った」と言う伝説は、この「安倍貞任」以外、存在しないのでは無いでしょうか ?

 

イザナギ」は、死んだ妻「イザナミ」に会いに行きましたが、そこは死者が住む「黄泉国」ですから、「イザナミ」は生き返った訳ではありません。

 

死んだ後に祟りをもたらすケースは、上記、および前回も紹介した「平将門」、「崇徳天皇」、そして「菅原道真」等、数多くの「祟り神」は存在します。

 

しかし、死んでも生き返り、なおかつ祟をもたらす等、聞いたこともありません。

 

まるで「イエス・キリスト」のようです。しかし、念のために申し上げると、「キリスト」は、祟り神ではありませんが・・・

 

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さて、そんな最強の「安倍氏」に関してですが、今回は、「その2」として、「安倍宗任」のみが関わる伝説として、次の内容を紹介します。

 

 

 

 

まあ、「安倍宗任」は、戦死しておらず、当時としては異例の長生きで、77歳まで生きていたと伝わっていますので、今回のシリーズの主旨、「実は生きていた」とは少し異なりますが・・・

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

■「安倍宗任」とは

 

  貞任の弟「安倍宗任」は、何度も紹介している通り、岩手県胆沢郡金ケ崎にあったとされる「鳥海柵」の主とされていましたが、盛岡市「厨川柵」での敗戦後、「源 頼義/義家」親子に降伏し、都に連行されてしまいます。

 

そして、その後、伊予国に3年、次に筑前国宗像郡に配流され、水軍「松浦党」や「宗像氏」との間で重要な関係を築き、平安時代末「嘉承3年(1108年)」、77歳で死亡したとされています。

 

文武両道に秀でた武将とされ、平家物語には、都に連行され晒し者となっていた時に、都の貴族から、梅の花を指して「これは何か?」と嘲笑された際に、次のように答えたエピソードが記載されています。

 

『 わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ 』

 

  流された場所に関しては、上記の通り、伊予国筑前国と言うのが一般的なようですが、一説には、最初から筑前国と言う説もあるそうです。

 

何れにしろ、やはりカリスマ性を備えていたようで、流された先々で力を付け、そのため再流布されたと考えられています。

 

再流布先の宗像村(現:宗像市)では、大島(筑前大島)に拠点を作り、この地で、三男二女を設けたのち、77歳で没しています。

 

大島には、平成29 年(2017年)、世界遺産に登録されている宗像三社の一つ「中津宮」と、北側にある沖ノ島にある「沖津宮」を拝むための「沖津宮遥拝所」が存在しています。

 

宗像大社」と「宗像氏」に関しては、下記の過去ブログで、詳しく紹介していますので、そちらも合わせてご覧下さい。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その5

 

そして、「安倍宗任」の息子達も優れた才能を備えていたようで、中には、後世に名を残す人物もいたようです。

 

  ・長男「宗良(むねよし)」の家系

大島太郎・安倍権頭として、大島の統領を継ぐ。子孫は、九州の剣豪となり、その後、九州の氏族「秋月氏」に仕え、「安倍立剣道」と言う流派の開祖(安倍頼任)となった。ちなみに、「秋月氏」は、鎌倉時代から現在まで続く歴史ある一族である。

 

・三男「季任(すえとう)」の家系

肥前国松浦に渡り、水軍「松浦党」の娘婿となり、「松浦三郎大夫実任」と名乗った。その子孫「松浦高俊」は、「平清盛」の側近となり水軍を率いて活躍した。

 

 

さて、このような「安倍宗任」ですが、「実は生きていた」ではなく、本当に生きていた訳ですから、これも本ブログの趣旨からは、少し話が逸れてしまいます。

 

しかし、実際には「安倍宗任」が訪れていない地に、様々な異なる伝説が残されている事は、非常に興味深いと思います。

 

 


 

■母子石の伝説(塩竈市)

 

  江戸時代後期「文政5年(1822年)」に、仙台の儒学者舟山萬年」の記した「鹽松勝譜(えんしょうしょうふ)」と言う地誌に、宮城県塩竈市の「母子石」伝説が記載されています。

 

【 鹽松勝譜 】

母子澤 坪浦赤坂ノ西南ニアリ石ハ大サ八九尺アリテ。上ニ大小二足跡アリ。土人レヲ母子石ト名ツク。傳ヘ曰ク。古安倍宗任己ニ擒セラレ。

 

多賀城ニアリ。其妻一兒ヲ携ヘテ玆ニ流落スルヤ。徒行素跣流血淋漓シ。足跡石ニ痕ス。人見テ之ヲ哀ミ。此石ニ就テ石浮圖ヲ建テ。其血痕ヲ鐫ム。後浮圖破壊シテ獨リ此石ヲ存ス。

 

 【 現代語訳 】

坪浦赤坂の西南にある母子澤にある石は、大きさ約9尺ある。その上には、大小2つの足跡が残っている。

 

地元の人達は、これを「母子石」と名付けている。

 

言い伝えによると、前九年の役において投降した安倍宗任多賀城に囚われていた。

 

そのとき、宗任夫人が一児を連れて夫に会わんとこの地を彷徨い続けたようで、その際、裸足であったがために足が血まみれになり、件の石にもその血痕が残っていたとのことです。

 

  これを憐れんだ人々は足形に残っていた血痕を型どおりに彫り、傍らに石造りの卒塔婆を立てたのだそうです。ただ、後に卒塔婆は壊れてしまい、いわゆる母子石のみが残ったのだそうです。

 

但し、この石碑や足跡には、次の異なる言い伝えも残っているようです。

 

・人柱伝説(鹽竈神社)

  2005年(平成6年)6月に出版された「鹽竈神社(押木耿介著)」によると、多賀城が完成間近になった時、征夷大将軍大野東人」は、人柱をたてて城の永久の護りにする事を決めたそうです。

 

そして、人柱に選ばれたのは、親子3名で暮らしている地元の男だったそうです。男性が人柱になる日、その妻と娘は、近くの石の上に佇み、いつまでも泣いていたそうです。

 

そして、泣き声が止んだ時、母と娘は、死んでしまっており、二人が立っていた石の上には、母娘の足跡が残されていたそうです。

 

この地域を「母子沢(ぼしさわ)」と言うのは、この「母子石」に由来しているそうです。

 

親子の愛情伝説(奥鹽地名集)

  2010年(平成11年)、東北学院大学経営学部の斎藤善之教授によって編纂され「NPOみなとしほがま」が出版した江戸時代の塩竈の歴史を著した「新釈奥鹽地名集」に、この伝説の説明が記載されています。

 

「新釈奥鹽地名集」とは、作者は不明ですが、江戸時代中期「寛政4年(1792年)」に出版された「奥鹽(おうえん)地名集」と言う地誌の新訳版で、そこには、この石に関しては、次のように紹介されています。

 

【 新釈 】

母子沢堤の東の方で、西向きの畑の中にある。母子の足跡のある石である。

 

伝えて言うには、昔、貧家で母によく仕える子があった。その子が七、八歳の頃、母が病で食事を摂らなくなると、子も食事を摂らず、昼夜離れず、寝食を忘れ介抱したけれども、母はついに亡くなってしまった。

 

子は(母を)慕い、別れを悲しむことは普通でなかった。その後も母が生きているかのように、母への孝行の限りを尽くしたという。

 

天も感ずることがあったのだろうか、母恋しの縁が自然に備わり、母子の足蹟が今、石の表面に現れている。母子沢というのも、この石による名と申し伝えている。

 

白菊町にある。石の表面に大小の足形がみえることから、古来より名石・奇石とされ、地元の信仰を集めてきた。

 

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ちなみに、塩竈市教育委員会では、これら複数の伝説から、「人柱伝説」を採用し、「母子石」の紹介看板には、前述の内容を記載しています。

 

 


 

■思惑(おもわく)橋の伝説(多賀城市)

  昭和60年(1985年)に、多賀城市史編纂委員会が出版した「多賀城市史」によると、多賀城市留ヶ谷の玉川に架かる「おもわくの橋」に関しては、次のように紹介しています。

 

【 郷土の伝承 】

留ヶ谷の玉川に架かる橋が「思惑橋」または「安倍待橋」とも呼ばれている。

 

  昔、「安倍貞任」がこの地を過ぎるとき、見染めた女に通うため渡った橋なのでこの名があり、「貞任」が残した騎馬の蹄の跡を渡る者が踏むと、必ず踏み抜いたという

 

【 塩松勝概 】

安倍宗任」が虜となって都へ送られるとき、その妻がこの地まで追ってきたがおよばず、橋の上で涙を流した。

 

多賀城市塩竈市は、隣り合った自治体ですので、両者で、「安倍宗任」の妻が関係する伝説があるのは、ちょっと興味深い点かもしれません。

 

 

 

 

■宗任が母と再開(山形県鶴岡市)

  前九年の役の際に、「安倍頼時」の妻、つまり「安倍宗任」の母は、少数の従者と共に衣川から落ち延びたそうです。

 

このため、「安倍宗任」が、落ち延びた母を探しに出かけ、鶴岡市金峰山の近くの山麓の庵で、母と再開することが出来たと言う話が、鶴岡市の黄金地区(旧:黄金村)に伝わっているそうです。

 

そして、その後、その山は「母狩(ほかり)山」と呼ばれるようになったと伝わっており、黄金地区には「阿部」の姓が多いと言われています。

 

まあ、「奥州安倍氏」の方の字は「安倍」ですが、こちらの字は「阿部」となっている点は、ちょっと気になるところです。

 

また、「母狩山(標高751m)」の北には、「安倍貞任/宗任」兄弟が、鎧を納めたと伝えられている「鎧が峰(標高566m)」と呼ばれている山もあるそうです。

 

無事に母と再開した「宗任」は、母を連れて安倍氏再興を試みようとしたのですが、母に断られたので再起を諦め、近くの峰に登り、洞窟(or 寺)の中に自らの鎧を奉納したと伝わっており、この、鎧を納めた山が「鎧が峰」と呼ばれているそうです。

 

  

 

 

安倍宗任の涙石(福島県いわき市)

  福島県いわき市勿来(なこそ)町には、「安倍宗任」が流した涙が石になったと言う伝説があるようです。

 

但し、この「涙石」に関しては、、趣旨が全く異なる、2つの話が地元に残っているようです。

 

 

●「悔し涙」説

前九年の役で、八幡太郎源義家に討たれた「安倍貞任」の家来、太郎と次郎は、主君の敵討ちをしようと、義家の陣中に忍び入ろうとしたそうです。

 

しかし、それを貞任の弟である「安倍宗任」に見つけられてしまった。

 

宗任は、2人の家来の一途な忠義心に強く感動しながらも、それが無益なことであることを涙ながらに訴え、敵討ちを思いとどまらせた。

 

その時、宗任が流した大粒の涙が、この大きな石になったのだという。

 

●「別れの涙」説

その昔、「勿来の関」と言われてた場所で、「安倍宗任」が、戦地に赴く「源 義家」を見送った時に流した涙が石になった。

 

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この石は、高さ、幅、奥行きは、ともに約2メートルで、石は大きくふたつに割れているとの事です。

 

しかし、「悔し涙」説の方は、嘘にしても、まだ納得できますが、「別れの涙」に関しては、全く理解出来ません。

 

何で、一族を滅ぼした「源 義家」との別れで泣くのでしょうか ? 嘘にも程があると思います。

 

 

 

 

■宗任神社(茨城県下妻市)

  茨城県下妻市には、「安倍宗任」と「安倍貞任」を御祭神とした「宗任神社」があります。

 

前回ブログでも、安倍兄弟を御祭神とする「阿部神社」を紹介しました。

 

「阿部神社」は、貞任が主祭神ですが、「宗任神社」は、名前の通り、宗任が主祭神なので、今回のブログの方に記載しました。

 

茨城県神社庁の解説によると、この神社の由緒は、次の通りとなっています。

 

 

縁起記には、前九年の役(1051~1062年)が終わってからの47年後となる、平安時代末「天仁2年(1109年)」に、安倍氏の臣「松本七郎秀則」、および息子「八郎秀元」が、亡君主「宗任」公の神託により、旧臣二十余名と共に公着用の青龍の甲胄・遺物を奉じて奥羽の鳥海山の麓から当地に来往して鎮齊した。

 

鎮座するにあたって宗任公の霊は、「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」と告げる。以来この地は宗道となった。

 

鎌倉時代には、豊田三十三郷幸嶋十二郷の総社として多くの人々から信仰され、地方の豪族小田氏治・豊田将基なども信仰した。

 

江戸時代、三代将軍「家光公」より代々、朱印地五石を与えられる。本殿拝殿寛永年間に家光公より寄進。明治6年4月1日村社に列格。同12年村内大火のため類焼。同17年再建造営。

 

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この話は、まあ、伝説というよりは、「安倍宗任」ゆかりの神社の話と言う事になると思います。

 

史実によれば、「安倍宗任」は、この神社が創建される前年、嘉承3年(1108年)に亡くなっていますので、何となく辻褄は合っているような感じはします。

 

が、何故、茨城県なのでしょうか ? その点に違和感を覚えます。

 

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  次の伝説は、全て大分県に伝わっている伝説ですので、北から順に伝説を紹介します。

 

由布院市  :安倍宗任の三男「季任」起源の「熊群(くまむれ)神社」

大分市    :白木地区、安倍宗任の子孫「安倍貞観」が開いた「龍雲寺」

竹田市    :宗任は地元の娘と結婚。息子は鎌倉武将「緒方三郎惟栄」

豊後大野市 :これも地元の娘と結婚。息子は鎌倉武将「緒方三郎惟栄」

 

■熊群神社(大分県由布院市)

  この「熊群神社」は、修験道の道場として有名な神社で、「恐怖の鎖場」があるようです。

 

そして、「安倍宗任」の三男「季任(実任)」が創建した神社となっているようです。

 

「安倍季任」に関しては、本章の最初に説明した通り、後に松浦水軍の一員となる人物です。

 

それでは、この神社の由緒を紹介しますが、「安倍季任」は、この地に住んでいた事になっているようです。また、由緒に関しては、微妙に異なる二つの説があるようです。

 

【 由緒 その1 】

  奥州の乱で有名な安倍宗任の三男三郎実任。野畑村加倉に住し狩を楽しみとす。

 

或時、山上に熊の群れを発見。是を射んと近付けば皆逃げ去り、その跡に釈迦・弥陀、観音の三尊像あり。実任これを持ち帰り尊崇。或夜、実任の夢枕に老翁現れ、我は彦山大権現なりと告げる。

 

よって、実任、山上に三尊をまつり、熊群大権現の起源とする。

 

神社の九十九の石段は、鬼が一夜で築いたと云われています。又、この山は、天正十一年田北紹鉄、国東の田原氏と謀りて大友に反し戦った古戦場でもあります。

 

【 由緒 その2 】

武将安倍宗任の末子実任は、理由があって熊群山麓の鹿倉に住みつき、狩猟に明け暮れていました。

 

ある日、獲物を追って山深く分けいったところ、熊が群れている所に行きあたりました。不思議に思った実任は、熊を追い払って近づいてみました。すると岩の間に阿弥陀如来薬師如来観音菩薩の仏像三体があったのです。

 

その夜、実任の夢枕に英彦山大権現が現れ、仏像三体をまつるようにとの御告がありました。こうして実任が村人と力を合わせて建立したのが熊群権現社だといわれています。 

 

 

まあ、どちらも、「安倍宗任」とは、直接関係がありませんが、その息子が創建者と言うことで、今回紹介しました。

 

 


 

宝珠山龍雲寺(大分県大町市)

  次は、大分県大町市白木にある「宝珠山龍雲寺」を紹介します。

 

しかし・・・この寺の創建に関する由緒は沢山あり、どれが真実なのか解らない状況になっているようです。

 

真偽の程は別として、取り敢えず、その由緒を紹介します。

 

ちなみに、、この白木地区には、「安倍姓」を名乗る一族が沢山あり、自らを「奥州安倍氏」の子孫と考えてるようです。

 

また、この「龍雲寺」ですが、創建当初は、この寺号ではなく、「龍岸寺」と言う寺号だったと伝わっていますが、何故、寺号を変更したのかまでは解りませんでした。

 

【 安倍貞観説 】

  この龍雲寺は、一説によると、開始時期は曖昧となっている南北朝時代(1331~1394年)ですが、この南北朝時代に、「安倍宗任」の子孫と言われる「安倍貞観」と言う人物が、江州(近江)から一族を引き連れて豊後国白木に着いて定住して開山したと伝わっています。

 

但し、「奥州安倍氏」の家系に「安倍貞観」なる人物の名は見当たりません。

 

安倍宗任説 】

 

そして、もう一説は、「安倍宗任」が伊予国に流された後、豊後国に渡り、そして白木の地に辿り着き、兄「安倍貞任」を弔うために建立したのが龍雲寺であると言う説です。

 

安倍貞任の子説 】

  さらに・・・もう一つ別の説もありますが、これは・・・空想物語のような内容ですが、それを紹介すると次のような内容です。

 

「厨川柵」の戦いの折り、「安倍貞任」の家来「山田太郎貞矩」が、貞任の次男「千賀麿(当時3歳)」を連れて柵から逃れ、越後を超えて佐渡に渡り、その地の有力者「安田蔵人光定」に身を寄せた。

 

「安田光定」は、「千賀麿」を養子として迎え、名を「安田三郎貞言」と改めた。

 

「安田貞言」が15歳になった時、叔父「安倍宗任」が筑前国に居ることを知り、その地を訪れ再開した。

 

その後、「安倍宗任」の命を受け、豊後国に住んでいた宗任の三男「安倍季任(実任)」を訪ね、暫く「安倍季任」の世話になった後、白木に移り住み、雲龍寺を創建した。

 

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  今となっては、どの説が本当か、また全て嘘なのか等、全く解りましたが、とにかく現在では、雲龍寺内に、通称「貞任堂」と呼ばれる建物「心殿窟」があり、その中には、「安倍貞任/宗任」の兄弟の戒名が書かれた位牌や像が祀ってある、と言う事です。

 

戒名が書かれた位牌は、上の画像の通りですが、戒名は、次の通りです。

安倍貞任   :宝山院殿月心常観大居士

安倍宗任   :珠林院殿中峰円心大居士

 

どちらも、俗に言う「院号居士」となっていますので、位牌が作られた時代が南北朝時代だとすると、摂家、あるいは将軍家並の称号だと思います。

 

さらに、この位牌を納めてある仏壇の奥、紫の幕の中には、「安倍貞任」と伝わる木彫りの像が安置されています。但し、この像は、江戸時代中期、明和3年(1766年)に作成された物との事です。

 

こうなって来ると、どれも「眉にツバ」を付けたくなる話のように思えます。加えて、この雲龍寺の向かい側には、「天満社鬼神社」と言う珍しい名前の神社があり、そちらも「安倍宗任」の創建と伝わっていますので、こちらも紹介します。

 

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  最後に、「宝珠山龍雲寺」に関して、少し気になる点があったので書き加えて置きますと・・・

 

位牌の後ろ、「貞任」像を納めている厨子の扉に描かれている家紋は、「三つ鱗(うろこ)」と呼ばれる家紋で、「北条氏」が用いていた家紋です。

 

また、同じ「北条氏」でも三角形部分の形が、正三角形と二等辺三角形とで、家系が異なります。

 

・正三角形      :北条氏の家紋。北条氏は、伊豆国出身の豪族で鎌倉幕府の執権職を世襲した一族。別名「鎌倉北条氏」、あるいは「執権北条氏」

二等辺三角形   :後北条氏の家紋。後北条氏は、伊勢平氏の一族である伊勢新九郎盛時(北条早雲)を祖とする関東の戦国大名

 

と言うことで、この家紋は「鎌倉北条氏」の家紋となるのですが、ここ大分県は、北条氏とは縁もゆかりも無いと思います。

 

何故、この龍雲寺に北条氏の家紋が付いた厨子があり、その中に「安部貞任」の像があるのか理解に苦しみます。

 

ひょっとしたら、この像は、「安部貞任」の像ではなく、「鎌倉北条氏」に縁のある武将の像なのかもしれません。

 


 

■天満社鬼神社(大分県大分市)

  この「天満社鬼神社」は、名前の通り、「天満社」と「鬼神社」が合体し、一つの神社となっています。

 

向かって左側が「鬼神社」で、右側が「天満社」となっています。

 

そして、御祭神ですが、「鬼神社」と言う事で、鬼を祀っているのかと思いきや、御祭神は「大巳貴命(おおなむじのみこと)」、つまり「大国主命」となっています。

 

  「天満社」」の方は、当然、御祭神は「菅原道真」です。

 

神社の由緒は、その由緒書によると次の通りです。

 

【 由緒 】

ときは南北朝の末世安部氏の末裔東方より来りこの地に住し邦拓きの神大巳貴命を産土神に祀り信仰す。

 

いくばくにして宗家に老媼あり。幼にして氣をやみ氏神に帰依し厚く神徳に浴す。

 

 

  長じて呪術を専らにしその名遠郷に聞え参ずるもの市の如し。

 

衆人皆畏む齢至りて白寿に達す。

 

老媼一夕偉を整へ板戸を塞ぎ神前に至る。家人大いに心痛す食なく祝詞すること四十余刻忽然息絶ゆ。

 

村人その面容の凄じきこと鬼人とはかくあらんかと噂しあいたりとぞ名門新太郎貞氏この老媼こそ神の化神ならんと敬して日ならずして傳来の鬼面を献ず。

 

後人これに做い繪馬鬼面を奉じ詣ずる者近郷より他国に及び神幸の厚きを皆嬉ぶ依って以後鬼神社と称す今まにまつわる社名及び繪馬鬼面これに由来する。

 

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これを、現代語に訳すと、次のような感じかと思います。

 

【 現代語訳 】

  時は、南北朝の末、安部氏の末裔が、東方よりこの地に来て大巳貴命を祀った神社を起こした。

 

この一族には老婆が居たが、小さい頃に精神を病んで氏神を篤く信仰するようになった。

 

さらに、この娘は、年を取ると呪術が得意となり、その名声は遠くまで聞こえるようになり、多くの人が集まるようになり、まるで、その様は「市場」のようだった。

 

この老婆は、皆が驚くほど長寿で、年を取り白寿(99歳)となった。

 

そして、ある日の夕方、老婆は身だしなみを整え、神社の出入り口を戸板で塞いで祈祷を始めた。

 

家族は、老婆が食事も摂らないので心配していると40刻(約20時間)過ぎた当たりで突然死んでしまった。

 

村人が、その凄まじい死に顔を見て、「鬼のような顔とは、このような顔の事を言うのだろう」と噂し始めた。それを聞いた新太郎貞氏は「この老婆こそ神の化身だ」として鬼の面を奉納した。

 

後の世では、この貞氏の真似をして鬼の面を奉納して詣でる者が、近隣の村や他国にまで及び、さらに、そのご利益が凄いので、それ以降は「鬼神社」と呼ばれるようになり、それが現在に至る社名と鬼絵馬に伝わっている。

 

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と言うのが、「鬼神社」に掲げられている由緒書の内容です。「安倍」が、「安部」と書かれているのが気になるところではあります。

 

  他方、神社に、このような由緒書が掲げられているにも関わらず、誰が言い出したのかは解りませんが、別の由緒もあるようですので、そちらも紹介します。

 

【 宗任の母親説 】

 

安倍宗任」の母は「新羅(しらぎ)」と言う名前だが、幼少時は「竜の乙女」と言う幼名だった。

 

宗任は、母の死後、祠を建てて祀った。

 

豪胆な「安倍宗任」であるが、母親の前に出ると別人のように大人しかったので、豊後の人々は、宗任の母親は、宗任よりも強い鬼神だと評判していた。

 

その宗任の母を祀った祠が、「鬼神社」の奥の院となっている。

 

また、「白木」と言う地名も、その起源は、宗任の母親「新羅」から付いたものであり。前述の雲龍寺の寺号も、その起源は、宗任の母親の幼名「竜の乙女」に因んで付けられたとされています。

 

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さらに、鬼神社に掲げられている由緒書に登場する「老婆」を、宗任の母親「新羅」に置き換えて紹介しているケースもあるようです。

 

  こちらも、「何がなんだか」状態になっているようです。

 

ちなみに、「鬼神社」は、明治10年頃までは、山の頂上に建立されていたそうですが、「頭痛に効く」事が有名となり参拝者が多いので、現在の地に遷座したそうです。

 

また、「鬼神社」の御神体は、元々は「御幣」だけだったそうですが、神社の拡張工事の際、木の根本から「土製の鬼面」が出土したので、これを御神体にしているそうです。

 

 

 

 

■「緒方三郎惟栄」の祖(竹田市/豊後大野市)

  平安時代末、豊後国大野郡緒方庄は、宇佐神宮の荘園であり、そこの荘官に「緒方三郎惟栄(これよし)」と言う人物が居ました。

 

この人物は、当初、「平重盛」と主従関係を結んでいましたが、「源 頼朝」の挙兵に際し、平家に反旗を翻し源氏方に付き、九州地方の地方豪族をまとめ、太宰府から平氏を追放しています。

 

その後、宇佐神宮平氏方に付いたので、これと対立し、宇佐神宮を焼き討ちにしたために、上野国流罪となるところでしたが、平氏追討の功により罪を許されて再び平氏と戦って功を上げたそうです。

 

ところが、「源 義経」と「源 頼朝」が対立した際には義経側に付き、義経と一緒に九州に渡ろうしたのですが嵐により失敗し、捕らえられて上野国流罪となっています。

 

その後、罪を赦されたのですが、再び豊後に戻ったとも、病死したとも伝えられており、最後は、その消息はわからないそうです。

 

そして、この「緒方三郎惟栄」に関しては、次のような伝説があるそうです。

 

【 竹田奇聞/大分県竹田市

  豊後に落ち着いた「安倍宗任」は、安倍家を再興するためには、地方豪族の娘を娶るのが得策と考え、万寿寺の住職に、嫁の斡旋を依頼したそうです。

 

その結果、緒方郷の豪族「四隠田大太夫」の娘で、30歳を超えても嫁がずにいた娘を見つけたそうです。

 

ところが、この娘は、「穴之森神」を信奉して良縁を望んでいたので、万寿寺の住職は、これを説得して、宗任に嫁がせたそうです。

 

そして生まれた男の子に「緒方郷」を与えたので、名を「緒方惟栄」とした。

 

【 大分の伝説/大分県豊後大野市

安倍宗任」は、土豪の大太夫に接近し、その娘の「花本」と結婚して「大弥太」と言う息子を授かったそうです。そして、その子孫が「緒方惟栄」となった。

 

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  さすがに、豊後国(現:大分県)は、「安倍宗任」の三男「季任(実任)」が住み着いて、「松浦水軍」として活躍した土地だけあり、「安倍伝説」が多く残っているようです。

 

また、豊後国以外の土地に関しても、「安倍宗任」の伝説が多く残っていると言う事は、日本全国において、いかに「安倍宗任」の人気が高かったのかを如実に物語っていると思われます。

 

文武両道に優れていたにも関わらず、囚われの身となり、都の貴族に馬鹿にされようとも、その才知により、見事に貴族を打ち負かす姿は、当時、および後世の武士に人気があるのも納得が行くものだと思われます。

 

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今回は、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」の第2回目として、次のような内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

安倍宗任」に関しては、最初に記載した通り、実際には、「前九年の役」では死んではいないので、前回分も含めて、数多くの伝説が残されています。

 

特に、最後に流された「豊後国(現:大分県)」には、多くの伝説が残されているようです。

 

しかし、逆に、最初に流された「伊予国(現:愛媛県)」には、伝説も、また何を行っていたのか等、全く記録が無いのが気になります。

 

ここまで数多くの伝説が残されている「安倍宗任」ですが、「伊予国」における記録が無いのは、意図的に、「安倍宗任」の記録が削除されたのではないかと疑ってしまいます。

 

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安倍宗任」を処刑せずに救った「源 頼義」は、賊軍討伐の恩賞として、正四位下「伊予守」に任ぜられていますので、「安倍宗任」と「源 頼義」は、ある期間一緒に「伊予国」で過ごしたと思われます。

 

記録では、「伊予守」任命後も、京都で家臣のために恩賞獲得に奔走しており、実際に伊予国に赴任したのは、任命された2年後となっていますので、「安倍宗任」と一緒に伊予国に居たのは、たった1年のようです。

 

安倍宗任」は、3年間、「伊予国」で暮らし、伊予国で力をつけてきた事を理由に「豊後国」に配流されてしまいますが、この3年間の記録は、恐らく「源 頼義」により消されてしまったのではないかと思われます。

 

ちなみに、「源 頼義」の長男「源 義家」は従五位下「出羽守」、次男「源 義綱」は「右衛門尉」に任ぜられているそうです。

 

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と言うことで、次回、3回目は、「安倍貞任」と「安倍宗任」以外、次の人物に関する伝説を紹介します。

 

→ 貞任の兄「安倍良宗」

 

→ 貞任の子「高星丸」

→ 貞任の娘「卯の花姫」、「貞姫」、「真砂姫」、白糸姫」

 

特に、「安倍貞任」に関しては、3名の子供が居たとされていますが、全て男の子であるにも関わらず、なぜが沢山の「姫」が存在したような状態になっています。

 

さっぱり訳が解りませんが、詳しくは次回で紹介したいと思います。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

いわき市鹿島の極楽蜻蛉庵(https://blog.goo.ne.jp/ah8671)

・学校法人中村学園アーカイブ(http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/)

国文学研究資料館(https://www.nijl.ac.jp/)

・近代書誌・近代画像データベース(http://base1.nijl.ac.jp/~kindai/index.html)

・はてノ鹽竈(https://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513)

・千時千一夜(https://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo)

陸奥評林 - 国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)

七戸町ホームページ(http://www.town.shichinohe.lg.jp/index.html)

蓬田村ホームページ(http://www.vill.yomogita.lg.jp/index.html)

・秋田の昔話・伝説・世間話(http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/)

・遠野文化研究センター(http://tonoculture.com/)

 

Telework(テレワーク) - そのメリット/デメリットと注意点

3月のブログで、今年4月から施行された「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案」、いわゆる「働き方改革」を取り上げて、次のような内容を紹介しました。

 

★過去ブログ:生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

 

その中で、日本の生産性が、直近10年間では、OECD(経済協力開発機構)に加盟している34カ国中21位と、かなり低い事を明らかにすると共に、その原因、および法改正への対応策を紹介しました。

 

しかし、これは私が考える対応策であり、日本政府としては、「働き方改革」に関しては、別の対応策を考えているようです。それは「テレワーク」の拡大です。

 

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「テレワーク」とは、日本では、つい最近流行って来た言葉のように思われがちですが、実は、今から50年、四半世紀も前に、アメリカの西海岸で生まれた言葉です。

 

「テレワーク」の歴史については、後述する章で、もう少し詳しく紹介しますが、何もつい最近生まれた言葉や考え方では無い事だけは確かです。

 

日本でも、1980年頃には、「サテライトオフィス」と言う呼び方で、本社/本部等から「離れた場所」に設置されたオフィスで働く働き方が注目されましたが・・・気が付いたら、そんな言葉も働き方も消えてしまっていました。

 

そんな状況だった「テレワーク」ですが、ここに来て「働き方改革」の一環として、また注目を集めるようになって来ました。

 

政府は、「テレワーク」の普及を「働き方改革」の有効な手段として位置付けており、2020年までに、テレワーク導入企業を、2012年度(11.5%)比で3倍にし、また週1日以上、終日在宅で就業する「雇用型テレワーカー」の割合を、2016年(7.7%)比で倍増させると言う目標を掲げています

 

とは言うものの、この「テレワーク」には、メリットもデメリットもありますし、また「テレワーク」には、様々なリスクも潜んでいます。

 

そこで、今回のブログでは、「テレワーク」に関して、次の情報を紹介します。

 

  • テレワークの歴史
  • テレワークの必要性
  • テレワークのメリット/デメリット
  • テレワーク実施時の注意事項

 

それでは、今回も宜しくお願いします。

 

 

 

■テレワークの歴史

「テレワーク」、これを英語で記述すると「Telework」となり、「Tele = 離れた場所」と「Work = 仕事」を組み合わせた造語で、直訳だと「離れた場所で働く」事を意味しています。

 

また、この「tele」を、接頭語として使う英単語としては、「Telephone」や「Television」と言う単語があります。

 

どちらも、音声を遠くに届ける事や、映像を遠くに届ける事から、「tele」を接頭語として使っています。

 

その他にも、類似語としては、次のような英単語がありますが・・・全く「tele」など意識せず、普通に使っている言葉が、沢山ある事に気が付かされます。

 

・Telegraph             :電報

・Telecommunication     :遠距離通信

・Telekinesis           :テレキネシス(遠隔移動)

・Telepathy             :テレパシー(精神感応)

・Telescope             :望遠鏡

 

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私が、「テレワーク」と言う単語を聞いたのは、社会人となってから5年後の1990年頃だったと思います。

 

その頃、家庭の事情で、1年間ほど実家のある盛岡に帰り、盛岡の実家に東京から仕事を持ち帰って作業を行っていた時期があったのですが、その時に、このように遠隔地で仕事をする事を「テレワーク」と呼ぶ事を知りました。

 

今となれば恥ずかしいのですが、その当時は「テレワーク」とは、東京と遠隔地との間で、電話で話しながら打ち合わせを行うので、「Tell-Work」だと思い込んでいました。情けない・・・

 

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ところで、「テレワーク」を、もう少し詳しく解説すると「情報通信技術(ICT)を活用し、時間や場所の制約を受けずに柔軟に働く勤務形態」と言う事になるようです。

 

日本では、先の「働き方改革」が唱えられ始めた事で注目を集めるようになったような感じがしますが、実は、それ以前、「東日本大震災」の時から「BCP(Business Continuity Plan/事業継続性計画)」の一環として関心を集めている勤務形態です。

 

しかし、元々は、1970年代に、アメリカの西海岸、ロス・アンジェルス近郊で、エネルギー危機と大気汚染の緩和を目指して始められた勤務形態と言われています。

 

そして、その後、1980年代になると、パソコンの普及と通信インフラが整備された事により、より注目を集めるようになり、さらに1989年の「サンフランシスコ地震」、その後1994年の「ノースリッジ地震」発生後は、リスク分散手法として、普通の勤務形態として定着し始めたとされています。

 

この勤務形態は、アメリカ、そして常にアメリカの真似をする日本では「テレワーク(Telework)」と呼ばれていますが、ヨーロッパでは「eWork」と呼ばれているそうです。

 

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アメリカは、「テレワーク先進国」の筆頭で、前述の通り、1990年台初頭からは、既に普通の働き方としての勤務形態が定着しています。

 

これは、連邦政府自体がテレワークを推進し、政府内に専門部署を設けて職員のテレワークを支援している事が大きな要因です。

 

さらに、連邦政府以外、州政府でもテレワークを推進していますし、テレワーク州法を整備し、テレワークを推進する企業に対し、数々のインセンティブを与えている州もあります。

 

このように、アメリカにおいては、政府、そして州レベルにおいて、積極的にテレワークを推進している事から企業においても、安心してテレワークを導入する事が出来るのだと思います。

 

そして、翻って日本の対応を見てみると、どうでしょうか  ?

 

日本政府は、毎度の事ながら「声を上げる」だけで、実際には、何の支援も行っていません。

 

後は、これも毎度の事ですが、恐らくは、「助成金を支給するから後は勝手に」と言う形の支援を行う事になると思います。

 

本当に、日本政府は、何をやっても中途半端だから、「官民」で進める政策は、必ず失敗するのだと思います。

 

 

■テレワークの必要性

前述の通り、ここ数年で注目を集める「テレワーク」ですが、何故、「テレワーク」が、それほど注目されるようになったのでしょうか ?

 

そこには、様々な理由があると思いますが、大きくは、次の4点があると思います。

 

・人材不足

・介護離職の増加

IT技術の進化

・ITインフラの拡充

 

ここ数年、産業界では、深刻な人手不足が続いています。

 

この状況は、戦後最長の景気拡大、および労働力人口の減少が原因と言われていますが、それに介護離職が拍車を掛けています。

 

家族や親族の介護を理由に仕事を辞める事を「介護離職」と言いますが、総務省統計局の調査報告によると、平成28年から平成29年の1年簡に、介護を理由に離職した人の数は、約10万人となっています。

 

この数字は、平成23年から横ばいとなっているようですので、毎年10万人ずつ労働力人口が減っている事になります。

 

貴重な人材の退職は、企業に大きなダメージを与えます。

 

特に中小企業の場合、1人の優秀なメンバーが欠けると業績低下に直結しますし、最悪、提供サービスを断念せざるを得なくなるケースもあります。

 

また、その逆に、1人の優秀なメンバーが入社することで、会社の業績が見る見るうちに上がり始める、という事もあります。

 

ただでさえ人手不足で社員を雇えない状況になっている状況で、そのうえ貴重な社員が介護離職となってしまっては、将に「泣きっ面に蜂」状態です。

 

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他方、ここ数十年で、様々な情報技術(IT)が進化を遂げています。特に、ネットワーク関係のソフトウェアには驚かされます。

 

無料通話、無料ビデオ通話、そしてデータ共有・・・私が遠隔地で仕事をしていた時とは大違いです。

 

あの頃は、週1回の電話会議を行うだけで、電話料金が数万円にもなってしまっていましたし、まだメールも普及していなかった時代でしたから、会社と連絡を取るにも一苦労でした。

 

しかし、現在では、遠隔地で仕事を行う場合でも、数多くのコミュニケーション手段が、それも無償で用意されていますので、ビジネスを行う上では、相互の距離は、余り問題にならなくなっています。

 

そして、これらのツールを使えるようになったのは、通信インフラが整備された事が大きな要因を占めます。

 

いくら便利なツールが沢山あっても、そのツールを使える環境が整備されていなければ、何にもなりません。

 

現在では、余程の山奥か、地下、あるいは海底にでも居ない限り、どこでもネットワークが繋がります。

 

現在のビジネスでは、もう時間と場所の制約は、ほとんど無くなったと考えても良いと思います

 

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このように、貴重な社員が何かしらの事情で働けなくなった場合でも、ITの力を駆使する事で、社員が会社を辞めること無く継続的に働いてもらう事が可能となっています。

 

また、介護離職だけでなく、出産/子育てのための離職も同様です。

 

数年前に、「保育園落ちた日本死ね」と言う話が話題になりましたが、出差、そして子育てを行っている社員にとっては、テレワークは、問題解決のための有効な手段と成り得ます。

 

さらに、先にアメリカでは、地震を契機にテレワークが定着したと紹介しましたが、これは日本も同様です。

 

平成7年に発生した「阪神淡路大震災」では、データセンターやマシンルールを分散させる「リスク分散」に注目が集まりました。

 

この時は、テレワークよりも、「企業のデータを、どうやって守るのか。」と言う事に焦点が当てられました。

 

東京と大阪、東日本と西日本と言うように、離れた拠点にデータをミラーリングして保存する事で、どこで災害が発生しても、企業活動が継続できる仕組みが構築されました。

 

このように、阪神淡路大震災では、人間と言うソフトウェアより、データやマシンと言ったハードウェアへの対応ばかり行われたように思われます。

 

しかし、平成23年に発生した「東日本大震災」発生後は、阪神淡路でハードウェアへの対応が済んでいたせいもあるのでしょうが、今度は、社員が、どこに居ても仕事が継続出来る仕組み、つまり「テレワーク」に注目が集まりました。

 

弊社でも、Web環境にネットワーク・サーバーを構築し、自宅でも社内データにアクセス出来る仕組み自体は構築してあったのですが・・・何せ、盛岡市自体が2日間も「停電」してしまったので、自宅のPCさえ起動できない状況になってしまいましたので、全く話になりませんでした。

 

大企業であれば、社内に自家発電設備を構築し、周囲が停電しても何とか業務を継続する事が出来ると思います。

 

しかし、それは、あくまでも会社ビルだけであり、個人では対応のしようがありません。大企業の社員といえども、自宅に発電設備は持っていないので、いくらテレワーク環境を準備してあっても、停電してしまえば何も出来ないと思います。

 

しかし、停電さえ解消すれば、会社に出勤しなくても、テレワークにより仕事を行う事は可能になりますので、テレワークが行える環境を、会社として提供することは、これからますます求められていくことでしょう。

 

今後は、テレワークのような、柔軟な仕組みを持った会社に、多くの優秀な従業員が引き付けるようになると思います。

 

 

 

 

 

■テレワークのメリット/デメリット

テレワークには、様々なメリットがある事が解りましたので、そのメリットを整理して紹介します。

 

また、世の中のメディア等は、メリットやデメリットの、どちらか片方しか伝えないケースが多いのですが、当然、テレワークにもデメリットがあります。そこで、このテレワークのデメリットも紹介します。

 

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●メリット

1.通勤や往訪などの移動時間の無駄を削減し、時間を有効活用する事が出来るようになるので、結果的に、社員の生産性が向上する。

 

2.子育てや介護で働けなかった人も働けるようになるので、結果的に、企業はより多くの人材を確保することができる。

 

3.交通機関に支障が出たり、オフィスが使用不可になったりしても、自宅で仕事を行う事ができるので、結果的に災害対策になる。また、仕事のための外出が不要になるのでリクスも軽減する。

 

4.障害を抱えている方が出社しなくても働くことができるので、結果的に、障害者雇用に繋がる。

 

5.結婚や出産、あるいは親の介護のために離職する必要がなくなるので、結果的に、離職率が低下する。

 

6.社員がプライベートの時間を確保しやすくなるので、結果的に、ワークライフバランスが向上する。

 

7.「働きやすい会社」というイメージができるので、結果的に、企業イメージが向上する。

 

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●デメリット

1.自分で時間を管理しなければならない。

自宅で仕事をすると、早朝でも夜中でも仕事をしてしまう可能性があります。仕事を詰め込みすぎて長時間労働になったり、あるいは昼夜逆転の生活になってしまったりしないように、自分で時間管理を行う必要がある。

 

2.仕事内容が限定される。

基本的に、テレワークは、PCやタブレット端末、携帯電話等のIT機器を使って作業ができる事務仕事に限定される。工場勤務者や配送/配達業務などは、テレワークでは実現出来ない。

 

3.運動不足になりやすい。

通勤がないこと、またPC等の端末に向かう仕事のため、運動不足になりやすい。仕事中は、1時間に1回程度、軽い運動を行う必要がある。

 

4.セキュリティ管理が煩雑になる。

会社支給のPCを使わずに、個人用PCで仕事を行わせるとセキュリティが脆弱になるので、会社でPC等のハードウェアやセキュリティ・ソフトウェアを支給する必要がある。また、会社支給にPCに、個人用のアプリをダウンロードできないようにする仕組みも必要になる。これらを定期的に検査する必要もあり、結果的にセキュリティ管理が煩雑になる。

 

5.残業代が支給されない。

基本的に、テレワークの場合、勤務時間は個人任せになるので、残業代は支給されない。仕事を予定通りに完遂しないとサービス残業になってしまう。

 

6.停電になると仕事が出来ない。

前述の通り、地震等の災害で停電が発生すると、全く仕事が出来なくなる。PC等のバッテリーがあるが、それほど長時間使用する事が出来ない。災害発生時の「BCP(Business Continuity Plan/事業継続性計画)」の一環と考えられているが、実運用には無理があるように思われる。

 

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このように、テレワークも手放しで歓迎できる勤務形態では無い事が明らかです。

 

しかし、メリットに記載した通り、個人や企業にとっても良い事が沢山ありますので、デメリットばかりに目を向けて、「使えね~!」と言わずに、どのような業務でテレワークが使えるのか等を検討した方が良いと思います。

 

デメリットに取り上げた、セキュリティに関しては、非常に重要な課題ですので、次章で詳しく紹介します。

 

 

 

 

■テレワーク実施時の注意点

テレワークには、数多くのメリットがある事は、前章にて紹介した通りです。しかし、テレワークを実現する上で、一番問題になるのは、セキュリティです。

 

そこで、テレワークを実現するために必要なセキュリティに関して、まずは、どのような問題があるのかを説明した上で、その対応策を紹介します。

 

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何故、テレワークを行うとセキュリティが問題になるのかと言うと、それは、ひとえに遠隔地で仕事を行わなければならないからです。

 

社内で仕事を行う場合、社内の情報システム部、あるいは、それに類する人達が、社内ネットワークにファイアウォールを構築し、社員に支給するPCにはセキュリティ・ソフトウェアをインストールする等の対策を施しています。

 

ところが、自宅等、会社から離れた場所で作業を行うと、いくらセキュリティ・ソフトウェアをインストールしていたとしても、社員のPCがウイルスに感染する可能性は、かなり高くなります。

 

会社に出社した際に、気が付かない内にウイルスに感染したPCを社内ネットワークに接続すると、社内LANを経由して、全社員のPCがウイルスに感染してしまいます。

 

その結果、社内の機密情報が外部に漏洩したり、さらに会社の取引先にまでウイルス感染が広まってしまったりと、数々の問題を引き起こす可能性があります。

 

このように、テレワークを実施した事が契機となり、たった1台のPCがウイルスに感染しただけで、会社全体に、取り返しの付かない損害を与えてしまう可能性もある事を認識する必要があります。

 

IT活用によるメリットの裏側には、必ずリスクが付きまといます。テレワークを推進する企業は、必ずセキュリティ対策も同時に考える必要があります。

 

初めてテレワークを導入する企業が最低限取り組むべきセキュリティ対策は、大きくは次の3つの対策となりす。

 

・運用対策

・人的対策

・技術的対策

 

要は、誰が、何時、どのような形でテレワークを行うのかを決定する必要があります。また、そのためには、どのような技術的対策を取らなければならないのかを決める必要があります。

 

運用対策と人的対策は、企業により異なりますので、今回は、テレワークの基本となる技術的対策を紹介します。

 

テレワークを実施する時に、セキュリティ上考慮すべき技術的な要素は、次の2つです。

 

セキュリティホール(脆弱性)を作らない事

・情報漏洩を起こさない事

 

他方、セキュリティホールが出現したり、あるいは情報漏洩が発生したりするのは、次の3つのケースと考えられます。

 

・ケース1    :モバイルデバイスへの感染

・ケース2    :インターネットへの接続時の感染

・ケース3    :社内LANへの接続時の感染

 

それでは、個々のケースについて対応策を紹介します。

 

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●モバイルデバイスへの感染防止方法

 

モバイルデバイス(以下、デバイス)の感染防止には、次の対応が有効です。

・業務を行う場合、会社支給のデバイスを使わせる

・貸与デバイスには、会社で基本的なセキュリティ対策を施す

・(可能であれば)貸与デバイスでは、指定アプリ以外は使えないようにする

 

具体的な対策例としては、Windows OS搭載のPCを貸与する場合、以下のような対策を施す事になります。

 

・貸与するPCに市販のセキュリティ・ソフトウェアをインストールする。

NortonMcAfeeウイルスバスター、等

・セキュリティ・ソフトウェアの定義体を最新に更新する。

・貸与PCのUSBを使用禁止にする。(BIOS設定)

Windows Updateを実行して更新プログラムを最新状態にする。

・会社指定のブラウザの最新バージョンをインストールする。

・「Java」を最新にする。

・「Adobe Acrobat Reader DC」を最新版にする。

・「Adobe Flash Player」を使用禁止にする。

・会社認定のアプリ以外はインストール出来ないようにする。

・HDD(ハードディスクドライブ)を暗号化する。

・ログインID/パスワードは会社側が指定する。

 

最低限、上記対策を施す事で、貸与デバイスへの感染は防げると思います。

 

次は、自宅等の会社以外の場所で、インターネットに接続する場合の注意点を紹介します。

 

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●インターネットへの接続時の感染防止方法

 

社員が、自宅等、会社以外の場所において、無線LAN経由でインターネットにアクセスする場合、前述の「デバイスへの感染防止」策を施した上で、次の点に注意する必要があります。

 

・WEPなど脆弱なセキュリティプロトコルを使わない。

無線LANアクセスポイントのファームウェアを最新版にする。

・貸与デバイスでインターネットに接続する場合、アクセスできるWebサイトに制限を設ける。

・メール送受信の際、会社で指定したメールサーバ以外へのアクセスは出来ないようにする。

・メールフィルタリングソフトなどを用いて、不要な迷惑メールの閲覧をできないようにする。

・自宅以外の外出先では、Wi-Fiスポットにはアクセスさせない。どうしても外出先でインターネットを使いたい場合、暗号化されているスポットを利用する。また、暗号化されていてもWEPは安全性が低いので使わせない。

・外出先で暗号化されているWi-Fiスポットを利用する場合、会社リソースにはアクセスさせないようにする。

 

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●社内LANへの接続時の感染防止方法

 

社員が、外出先や自宅でモバイルデバイスを使った後、社内LANへアクセスする場合、前述の「デバイスへの感染防止」策を施した上で、次の点に注意する必要があります。

 

・貸与デバイスを社内LANに接続する際には、VPN接続を用いてセキュアに接続する。

・社内リソースへアクセスには、パスワードを入力させるようにする。

VPN接続の際にはワンタイムパスワードを利用するなど、2段階認証を施す

 

テレワークを実施する時に、セキュリティ上考慮すべき技術的対応策を紹介しましたが、上記以外にも、もっと厳しい条件を付ける事も可能です。

 

しかし、余りに厳しい運用手順を設けると、今度は社内で仕事が行い難くなります。セキュリティと仕事しやすさは、トレードオフの関係です。

 

どちらかを優先すると、どちらかが煩雑になったり、手薄になったりしますので、丁度よい加減を見つけ出す必要があります。

 

とは言え、やはり会社を優先して考える必要がありますので、セキュリティ重視で、仕事の仕方は二の次にする方が良いと思います。

 

 

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今回は、「TeleWork(テレワーク) - そのメリット/デメリット、注意点」と題して、「テレワーク」に関して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

  • テレワークの歴史
  • テレワークの必要性
  • テレワークのメリット/デメリット
  • テレワーク実施時の注意事項

 

日本には、「一般社団法人 日本テレワーク協会(JTA:Japan Telework Association)」なる団体が存在し、関係省庁と連携し、日本国内でのテレワークの推進を図っているようです。

 

この協会は、前述の歴史で紹介した「サテライトオフィス」の推進を図ってきた「日本サテライトオフィス協会」が前身となっているようです。

 

JTAの理事を見てみると、約2/3の理事が、情報通信関係企業で構成されていますので、まあ悪く言えば、業界のロビー団体のようにも見受けられます。

 

JTAには、現在、290企業(正会員92社/賛助会員198社)が参加しており、随時、入会募集を行っているようです。

 

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テレワークは、これまでの「働き方」、『 会社員は毎日会社に出社して会社で仕事をする。』と言う概念を変える働き方です。

 

また、テレワークは、「働き方を変える」だけでなく、「働ける人の範囲を広げる」効果もあります。

 

家庭の事情で会社に出社できない人でも、自分の働ける時間の範囲で仕事が出来るようになりますので、会社にとっても社員にとってもベストとまでは行かないかもしれませんが、ベターな働き方です。

 

今回、本ブログでは、テレワークのメリット/デメリットと、テレワーク運用時の注意点を紹介しましたが、実際の導入方法等の紹介は割愛しました。

 

テレワークの導入方法は、その企業や対象となる社員毎にケースが異なると思います。

 

しかし、上記「JTA」では、次のような情報を発信しています。

 

 

本ブログの最後に、「情報提供場所」を記載しますので、今後、テレワークの導入を考えている企業や組織の方は、一読することをお勧めします。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・世界最先端IT国家創造宣言(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/kettei/pdf/20170530/siryou1.pdf)

・一般社団法人 日本テレワーク協会(https://japan-telework.or.jp/)

 

 

 

奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編(その1)

  

以前、弊社ブログで「早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる」と言う題名で、5回に渡り「瀬織津姫命」に関する情報を紹介しました。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その5

 

そして、その中で、「瀬織津姫命」と「安倍氏」の関係に、ちょっと触れています。

 

安倍氏」が、「瀬織津姫命」や「荒覇吐(アラハバキ)神」を祀っていた、と言う噂があったので、その真偽の程を確かめようと思ったのですが・・・結局のところ、何の証拠も無く、「安倍氏」が何を祀っていたのか、さっぱり分かりませんでした。

 

しかし、「安倍氏」を調べている内に、史実では、「厨川の柵」で戦死したはずの「安部貞任(さだとう)」が、実は生き延びており、日本中の到るところに出没している事が判明しました。

 

また、「貞任」の弟「宗任(むねとう)」は、戦死はしなかったものの降伏して捕虜となり、伊予国流罪となり、さらに、その3年後には、筑前国宗像郡に再配流さたのですが、兄「貞任」と共に、信州や九州に現れたと言う伝承も残されています。

 

そして、さらには、一族の裏切りにより「鳥海柵」で死亡した貞任/宗任の父「安倍頼時」までも、生き延びて九州に逃れたと言う伝説もあります。

 

もう、何がなんだか、と言う感じです。

 

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上記の「実は生き延びた」伝説は、岩手県以外で伝わっている話です。

 

そして、当然の事ながら、岩手県内、特に遠野地域には、「実は生き延びた」伝説を始めとして、数多くの「安倍伝説」があります。

 

弊社ブログに何度も登場する「遠野物語」ですが、こちらにも何点か「安倍伝説」が記載されています。

 

特に多いのが、「安倍氏の子孫」の話と「安倍氏の館」の話です。

 

例えば、「遠野物語/第68話」には、「館の址」と言う題名で、下記のような内容が記載されています。

 

安倍氏という家ありて貞任の末なりと云う。昔は栄えたる家なり。今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず。刀剣、馬具あまたあり 当主は阿倍与右衛門、今も村にては二三等の物持にて、村会議員なり ~ 』

 

その他にも「安倍氏」関連の話があり、「遠野物語」では、第65話~68話が「安倍氏」関連ですし、「遠野物語拾遺」には、「第122話/安倍が城」が記載されています。

 

遠野以外ではと言うと、やはり、「安部氏」滅亡の場所である「厨川柵」がある関係なのだと思いますが、盛岡市内には、安倍氏に関係する遺跡や伝承が数多く残されており、また地名にも、安倍氏ゆかりの地名が現在でも残っています。

 

・安倍館(あべたて)

・館坂(たてさか)

・館向(たてむかい)町

・前九年町

・厨川町

 

と言いたい所ですが、実は、「前九年町」も「安倍館町」も、下記の通り、昭和になってからの命名された新しい地名です。

 

・安倍館町:昭和15年(1940年)に盛岡市編入されるまでは「厨川村字館」と言う地名。盛岡編入後、安倍氏にちなみ、昭和17年頃に掛けて現在の地名となる。

・前九年町:その昔は、「狐森」や「宿田後」と言う地名だったが、昭和41年(1966年)、住居表示法の施行に伴い、当時の町内会長が、安倍氏にちなんで命名した地名。

 

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そこで今回は、数多くの「安倍氏の伝説」の内、「実は生き延びていた」に焦点を当てて、日本の各地に伝わる伝承を、複数回に別けて紹介したいと思います。

 

また、「実は生き延びていた」伝説と一緒に、前述の「遠野物語」に伝わる安倍氏の伝説も紹介したいと思います。

 

【 第1回目 】

 

【 第2回目 】

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

遠野物語における安倍氏の伝説

まずは、「安倍伝説」が数多く残り、現在でも、遠野市民の多くは、「安倍氏は地元の英雄 !」、「オラホは安倍氏の子孫だ」と思っています。

 

そんな中で、「遠野物語」、あるいは「遠野物語拾遺」にも、「安倍氏」関連の話が数話、登場しますので、最初に、その内容を紹介します。

 

遠野物語

 

・第65話/姥神

 

  

早池峰御影石の山なり、此山の小国に向きたる側に阿倍ケ城と云ふ岩あり、険しき崖の中程にありて、人などはとても行き得べき処に非ず、ここには今でも阿倍貞任の母住めりと言伝ふ、雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖す音聞ゆと云ふ、小国、附馬牛の人々は、阿倍ケ城の錠の音がする、明日は雨ならん など云ふ

 

【現代語訳】

早池峰御影石の山である。この山の小国(おぐに)に向いた側に安倍ヶ城という岩がある 険しい崖の中程にあって、人などがとても行けるような所ではない。ここには今でも安倍貞任の母が住んでいると言い伝えられている。雨の降るような夕方など、岩屋の扉を閉ざす音が聞こえるという。小国、附馬牛の人々は、安倍ヶ城の錠の音がする、明日は雨だろうなどと言う。

 

・第66話/塚と森と

同じ山の附馬牛よりの登り口にも亦阿倍屋敷と云ふ巌窟あり、兎に角早池峰は阿倍貞任にゆかりある山なり、小国より登る山口にも八幡太郎の家来の討死したるを埋めたりと云ふ塚三つばかりあり

 

【現代語訳】

同じ山の附馬牛からの登り口にもまた安倍屋敷という巌窟がある。とにかく早池峰安倍貞任に縁のある山である。小国から登る山口にも、八幡太郎源義家の討死した家来を埋めたという塚が三つほどある。

 

・第67話/地勢、館の址

阿倍貞任に関する伝説は此外にも多し、土淵村と、昔は橋野と云ひし栗橋村との境にて、山口よりは二三里も登りたる山中に、広く平なる原あり、其あたりの地名に貞任と云ふ所あり、沼ありて貞任が馬を冷せし所なりと云ふ、貞任が陣屋を構へし址とも言ひ伝ふ、景色よき所にて東海岸よく見ゆ

 

【現代語訳】

安倍貞任に関する伝説はこの他にも多い。土淵村と、昔は橋野と言った栗橋村との境で、山口からは二・三里も登った山中に、広く平らな原がある。そのあたりの地名に貞任という場所がある。沼があって、貞任が馬を冷やした所であるという。貞任が陣屋を構えた跡とも言い伝えられている。景色のいい場所で、東海岸がよく見える。

 

・第68話/館の址

土淵村には阿倍氏と云ふ家ありて貞任が末なりと云ふ、昔は栄えたる家なり、今も屋敷の周囲には堀ありて水を通ず、刀剣馬具あまたあり、当主は阿倍与右衛門、今も村にては二三等の物持にて、村会議員なり

阿倍の子孫は此外にも多し、盛岡の阿倍館の付近にもあり、厨川の柵に近き家なり、土淵村の阿倍家の四五町北、小烏瀬川の河隈に館の址あり、八幡沢の館と云ふ、八幡太郎が陣屋と云ふもの是なり、これより遠野の町への路には又八幡山と云ふ山ありて、其山の八幡沢の館の方に向へる峰にも亦一つの館址あり、貞任が陣屋なりと云ふ、二つの館の間二十余町を隔つ、矢戦をしたりと云ふ言伝へありて、矢の根を多く掘り出せしことあり

此間に似田貝と云ふ部落あり、戦の当時此あたりは蘆しげりて土固まらず、ユキユキと動揺せり、或時八幡太郎ここを通りしに、敵味方何れの兵糧にや、粥を多く置きてあるを見て、これは煮た粥か、と云ひしより村の名となる、似田貝の村の外を流るる小川を鳴川と云ふ、之を隔てて足洗川村あり、鳴川にて義家が足を洗ひしより村の名となると云ふ

 

【現代語訳】

土淵村には阿倍氏という家があって、貞任の末裔であるという。昔は栄えた家である。今も屋敷の周囲には堀があって、水が流れている。刀剣・馬具がたくさんある。当主は阿倍与右衛門、今も村では二・三等の物持で、村会議員である。

安倍の子孫はこの他にも多い。盛岡の安倍館の付近にもある。厨川の柵に近い家である。土淵村の阿倍家の四・五町北、小烏瀬川の折れ曲っている所に館の跡がある。八幡沢の館という。八幡太郎源義家の陣屋というのがこれである。ここから遠野の町への道にはまた八幡山という山があって、その山の八幡沢の館の方に向う峰にもまた一つの館跡がある。貞任の陣屋であるという。二つの館の間は二十余町離れている。矢による合戦をしたという言い伝えがあって、鏃を多く掘り出したことがある。

この間に似田貝という集落がある。合戦の当時、このあたりは葦が茂って地面が固まらず、ユキユキと動揺した。あるとき八幡太郎源義家がここを通り、敵味方どちらの兵糧なのか、粥を多く置いてあるのを見て、これは煮た粥かと言ったことから、村の名となった。似田貝の村の外を流れる小川を鳴川という。これを隔てて足洗川村がある。鳴川で義家が足を洗ったことから、村の名となったという。

 

遠野物語拾遺

 

・第122話/安倍ヶ城

このタイマグラの河内に、巨岩で出来た絶壁があって、そこに昔安倍貞任の隠れ家があったといい、ここを安倍ヶ城とも呼んでいた。下から眺めるとすぐに行けそうに見えるが、実は岩がきつくて、特別の路を知らぬ者には行くことが出来ぬ。その路を知っている者は、小国村にも某という爺様しかいない。

土淵村の友蔵という男は、この爺様に連れられて城まで行ったことがあるそうな。その時もすぐ近くに見えている城までなかなか行けなくて、小半日か嘗てようやく行き着いた。

城の中は大石を立て並べて造った室で、貞任の使ったという石の鍋、椀、包丁や石棒等があった。昔は雨の降る時など、この城の門を締める音が遠く人里まで聞こえたものだそうなが、その石の扉は先年の大暴風の時に吹き落とされて、岩壁から五、六間下に倒れていたという話である。

 

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以上が「遠野物語」に登場する「安倍伝説」となります。しかし、遠野には、本当に、「安倍姓」を名乗る一族が多いようです。

 

遠野と言えば「カッパ」が有名ですが、この「カッパ」が出没すると言われる「カッパ淵」の、初代「カッパ爺さん」と呼ばれていた「安倍(阿部)与一(~2004年)」氏は、「安倍頼時(頼良)」の六男「安倍重任」の二十八代を名乗っていたそうです。

 

そして、真偽の程は確かではありませんが、氏が言うには、生家には、「三条宗近銘」の太刀が伝わっていたと話していたようです。

 

  

ちなみに、「三条宗近銘」とは、国宝「三日月宗近」を鋳造した刀鍛冶として有名です。

 

初代「カッパ爺さん」とか「カッパ淵の守っ人(まぶりっと)」とか呼ばれた「安倍与一」氏に関しては、過去ブログで、その人柄と言うか性格を紹介していますので、興味のある方は読んで下さい。

 

★過去ブログ:岩手の民間信仰 ~ 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.6

 

 

■「安倍貞任・宗任」兄弟関わる伝説

次には、それぞれ個別の伝説があるのですが、最初に、「安倍貞任/宗任」兄弟が、一緒に現れた伝説を、北から順に紹介します。

 

●貞任・宗任の供養塔(福岡県いわき市)

 

  

まずは、福島県いわき市鹿島に伝わっているとされる「安倍伝説」から紹介します。ここには、2つの伝説があるようです。

 

どちらも、盛岡市にある「厨川の柵」から安倍兄弟が逃れて来た事になっていますが、盛岡市からいわき市までは、直線距離でも300kmも離れていますので、「源 義家」軍の目をかいくぐって逃れるのは、ほぼ不可能だと思いますが・・・取り敢えず伝説を紹介します。

 

・伝説1

前九年の役の激戦地「厨川の柵」から逃れてきた「安倍貞任」だが、この地で病に罹ってしまった。そこで病を治すため小屋を建てて住んでいたが、その後、貞任の母も看病のために、この地に来て一緒に住んでいた。村の者達は、この小屋を「山の小屋」と呼ぶようになった。その後、病が治り、母子とも旅立つ時に、使っていた「鍋」を埋めて行ったので、その場所を「鍋塚」と呼ぶようになった。また、母子が住んでいた小屋には、現在、薬師堂が建立されている。

 

・伝説2

同じく、前九年の役の激戦地「厨川の柵」から逃れてきた「安倍貞任/宗任」兄弟は、坂下地内の山中に籠もり、追い討ちに出向いてきた「源 義家」軍を迎え撃った。

「源 義家」は、作戦を練るために、四方を見渡せる館山の頂上に陣を据え、そこで指揮を執りながら戦を行い、遂に叛く兄妹を征伐した。

その後、坂下地内の山腹に、高乾院「安倍貞任/宗任」の霊を慰めるため五輪の塔を2基造立した。

また、「源 義家」の陣所となった館山頂上には、八幡宮が祀られ、代々山伏の祈祷によって祭りが行われている。

八幡宮には、「文化2年(1805年)」の棟札や「弘化2年(1846年)」の棟札もあり、地元の人の日守りによって大切に保存されている。

 

●阿部神社(長野県大町市)

 

  

次は、直線距離で、いわき市から西南に280km、盛岡市から460km離れた長野県大町市にある「阿部神社」を紹介します。

 

「阿部神社」の創建時期は不明とされていますが、この地の豪族である「仁科氏」が、自身の祖である「安倍貞任/宗任」兄弟を祀るために建立したと言われています。

 

「仁科氏」は、平安時代末には、「木曽義仲」の挙兵に従い進軍し、京都の警護を行った武将として知られており、鎌倉時代には、この大町市を拠点として勢力を拡げ、一大勢力となったと伝わっています。

 

その後、「承久3年(1221年)」に起こった「承久の乱」の際は、上皇方として出陣しましたが、北条氏に大敗し没落してしまったそうですが、さらに、その後、室町時代復権し、武田方に帰属しますが、その内に嫡流は断絶し、最終的には、武田家に乗っ取られてしまったようです。

 

さて、この「阿部神社」、御祭神は、当然、「安倍貞任/宗任」兄弟となっています。

 

そして、「安倍伝説」としては、次のような話が伝わっているようです。

 

前九年の役(1061年)、奥州から落ちのびてきた「安倍貞任」は、越後国を経由して当地に逃れ「仁科姓」を名乗ったという伝承がある。

 

そして、森の城に住んでいた「安倍貞任」が、ある時、敵に追われて逃げ場を失い木崎湖の水中に潜って逃げた。

 

ところが、日ごろ城中で可愛がっていた「鶏」と「犬」が、主人の後を追って木崎湖に入り、それが目印となって、「安倍貞任」が岸へたどり着いた所を捕らえられ殺されたという。

 

この地にある「阿倍渡」という地名は、「安倍貞任」が岸に上がった場所とされ、「阿倍渡」周辺では、「鶏」と「犬」を祟りがあるとして飼わない風習が残っており、その結果、「トリ」の音を忌んで、この神社には鳥居がないと伝わっている。 』

 

と言う事ですが、現在では、この「安倍(阿部)氏」は、「奥州安倍氏」ではなく、別の「阿部氏」と考えられています。

 

奥州「安倍氏」を含む、全ての「阿部氏」の祖は、孝元天皇の皇子「大彦命(おおひこのみこと)」を始祖とする一族です。

 

この「阿部氏」は、複数の一族に別れていますので、「仁科氏」の祖は、現在では、「奥州安倍氏」」ではなく、別の「阿部氏」と考えられています。

 

「安倍(阿部)氏」については、下記の過去ブログで、その流れを紹介しています。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その4

 

また、この伝説では、「安倍宗任」が登場しませんが、御祭神が「安倍貞任/宗任」兄弟なので、一緒に登場するものとして紹介しています。

 

●宗任石(大分県杵築市)

 

  

最後は、大分県杵築市熊野加貫、国東半島の付け根にある「宗任石」を紹介します。

 

この「宗任石」、正式名称(?) は、「安倍宗任の腰掛石」と呼ばれているそうです。

 

多くの説では、名前の通り「安倍宗任」が腰掛けた石と言われていますが、一説には、「安倍貞任」も一緒に腰掛けたと言う説もあるので、ここに記載しています。

 

上記の通り、多くの伝承では、前九年の役の後、「安倍宗任」は、家来と共に大分県杵築市加貫に上陸し、そばにあった石に腰掛けたのが「宗任石」と呼ばれていると伝わっています。

 

しかし、早稲田大学が「宗任石」を調査した際、地元の古老から直接聞いた話では、「安倍宗任」は、家来と一緒に上陸したのではなく、「安倍貞任」と一緒だったとしています。

 

話を聞いた古老も、自身の祖母からの聞いた話と言う事ですが、その話では、加貫に上陸したのは「安倍貞任/宗任」兄弟で、二人とも石に腰掛けたと言う事でした。

 

  

また、大分県の高校が編纂した「日本史」には、石に腰掛けたのは「安倍貞任」と言う説もあるとの事ですから、加貫に上陸したのは、「安倍貞任/宗任」兄弟と言う説も捨てがたい話なのかもしれません。

 

ところで、この「宗任石」、加貫漁港のそばにある鎮座場所にあるのはレプリカで、本物は、現在、「宗任石」を守っている家が管理している林の中に移して祀っているそうです。

 

また、過去には、この「宗任石」を、殿様が持っていったところ、夜な夜な石が光ったり、殿様のお腹の調子が悪くなったりしたので、結局、元の場所に戻した、と言う話も伝わっているそうです。

 

 

■「安倍貞任」のみが関わる伝説

次は、主に「安倍貞任」のみが登場する伝説を、北から紹介します。

 

●貞任の妻が出産(山形県鶴岡市)

鶴岡市には、貞任/宗任の兄弟に関わる伝説が残されていますが、その内、「安倍貞任」に関する伝説を紹介します。

 

鶴岡市朝日の大平には、岩手の厨川で討死したはずの「安倍貞任」が、身重の妾を連れて源氏の名刀「雲切丸」を探しに来て、その時生まれた男児が村に住みついた、と言う話があるそうです

 

●貞任橋(山形県山形市)

 

  

山形市の柏倉八幡神社から南へ下ると、中林への道と三叉路になった場所があり、この三叉路の堰に架かっていた橋石を、その昔、「源 義経」に追われた「安倍貞任」が渡ったので、「貞任橋」と呼んでいるそうです。

 

現在では、「貞任橋」自体は残っておらず、橋の礎石の一部が残るのみとなっているようですが、橋があった辺り一帯を、現在でも「さだ」と呼んでいると伝わっているそうです。

 

なお、この「貞任橋」は、柏倉八幡神社の境内にある「義家橋」と一対になっていると言われています。

 

  

「柏倉八幡神社」は、山形新幹線山形駅から直線距離で西南に約5.7kmの場所にあり、社伝によれば、平安時代中期「康平6年(1063年)」に、「源義家」が、山城国「岩清水八幡宮」の分霊を勧請した創建したと伝わっている神社です。

 

その後、上杉家家臣「直江兼続」の山形攻めで焼失するも、その後、「最上義光」により再建されたのですが、平成24年(2012年)の火災により全焼してしまったそうです。

 

そして、火災の2年後、平成26年(2016年)4月には、早くも再建されています。

 

  

「義家橋」とは、現在は、もう橋は無くなってしまったのですが、この神社への東側登り口にあった川に掛かっていた橋の一部と言われています。

 

その昔、「安倍貞任」討伐のために、この地を訪れた「源 義家」の馬の足跡が残っていると言われています。

 

ちなみに、このような石は「馬蹄(ばてい)石」」と呼ばれ、「源 義家」に限らず、日本全国が数多く残っているそうです。

 

また、上記「貞任橋」とは、約1.5km離れているそうです。

 

●伊閑町(いかんちょう)に伝わる「鶴の墓」伝説(群馬県片品村)

 

  

「源 義家」が尾瀬を越える時に、鶴を放鳥したが、その鶴が死んでしまった。

 

他方、「安倍貞任」の部下、「文治保高(ぶんじ-やすたか)」は、貞任の子を預かって隠し育てていたが、病に罹ってしまった。

 

そこで、「文治保高」は、この死んだ鶴を盗み出し、病気治癒を祈願して、鳩待峠の辺に葬って墓を建てた。

 

その鶴には、黄金の丸印(ふだじるし)が付いていたと云う。

 

 

しかし・・・この伝説は、歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な「奥州安達原」の内容とソックリです。

 

恐らく、江戸時代中期に、浄瑠璃の話をパクって、伝説に仕上げたのだと思われます。

 

●戸倉に伝わる「鶴の墓」伝説(群馬県片品村)

厨川柵の戦いに敗れた「安倍貞任」は、尾瀬に逃れて来て城を築いた。

 

しかし、食料が乏しくなったので、近くの尾瀬に食料を探しにきた所、「源 義家」の禁札が付いている三羽の鶴を見つけた。

 

これを幸いに、家来に鶴を討ち取らせ、なおかつ、鶴が討たれた事を見た旨を役所に届け出て賞金を貰い、家来の飢えをしのいだ。

 

しかし、その後、討った鶴を哀れんで、その墓を作った。

 

 

この伝説に類似した話は、各地に伝わっていますが、登場人物の名が「尾瀬大納言」であったり「中納言」であったり、殺した鶴が1羽であったりと、微妙に異なるようです。

 

湯檜曽温泉(群馬県みなかみ町)

 

  

次は、直接「安倍貞任」には関係無いのですが、貞任の子孫が発見した「湯檜曽(ゆびそ)温泉」を紹介します。

 

この温泉は、鎌倉時代(あるいは室町時代)、奥州安倍氏の子孫、一説には、「安倍貞任」の子孫と言われる「阿部貞通」の三男「阿部孫八郎貞次」が発見したと伝わっています。

 

当初は、「ゆのすそむ村」と言われ、それが「ゆびそ村」になったとも伝わっています。

 

 

しかし・・・「安倍貞任」には、息子が1人しかおらず、その人物は「安東高星」と伝わっていますし、奥州安倍氏に「安倍貞通」と言う人物は見当たりません。

 

この伝説も、ちょっと信憑性に欠けるような気がします。

 

安倍貞任の死体(京都)

これは、「安倍貞任は生き延びていた」伝説とは全く異なり、死刑に処せられた「安倍貞任」の死体の話になりますが、興味深いので、敢えて話を紹介したいと思います。

 

貞任の死体に関しては、京都の様々な場所で、様々な言い伝えが残っているようです。

 

 

  

安倍貞任」の亡きがらは、朝廷に送られ、都の占師の進言により「東西南北に川のある地」である「有頭(うつ)の地」(現:京都市右京区京北下宇津)に埋められた。

 

しかし翌朝、日の出とともに貞任は生き返り、祟りをなした。

 

そこで、体を二分、三分としたが、やはり生き返るので、最後は、体を七つに分けて埋め、下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやく祟りは静まったという。

 

  

亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、首を埋めたのが「貞任峠」と言う。

 

他にも、下肢を埋めた「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋めた「足手谷」など、下宇津周辺には、「安倍貞任」伝説にまつわる地名が残る。

 

中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は、歯痛封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。

 

  

さらに、下宇津から桂川を約20km下った南丹市八木町にも、「安倍貞任」の死体を祀った場所が点在する。

 

「船井神社」の入り口左横、竹垣に囲まれた場所にある「腕(かいな)守神社」内には、小さな祠と五輪塔があり、この五輪塔は、「腕(かいな)守」と呼ばれ、「安倍貞任」の腕を祀っています。

 

貞任の魂が、自分の体を元に戻そうとすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいくという。

 

この神社をお参りすると、腕の痛みに効くとされ、同神社前総代の「竹野忠夫」氏によると、「昔は農作業で腕を痛めた人が、よくお参りに来ていた。」そうです。

 

  

また、「安倍貞任」の子孫を名乗る人が、供え物を持ってくることもあった、と語っているようです。

 

八木町には他にも、「安倍貞任」の頭を埋めた「久留守(くるす)神社」があり、この神社は、頭痛に効く等の伝承があるそうです。

 

七つに切り分けられたという貞任の死体は、どのように切られ、どこに埋められたのか、全てを知る人はいないようです。

 

 

筑前国風土記

 

  

福岡藩の祐筆の息子として生まれた儒学者貝原益軒(1630~1714年)」が、元禄16年(1703年)、73歳の時に藩主に献上した「筑前国風土記」と言う地誌に、「安倍貞任」」にまつわる伝説が記載されています。

 

貝原益軒」と言えば、この「筑前国風土記」ではなく、人間の養生(健康法)について書かれた「養生訓」の方が有名です。

 

この「筑前国風土記」は、明治時代まで写本しか流通していないマイナーな本ではありますが、次のような「安倍伝説」が記載されています。

 

 

『 深山の内にある村也。下座郡三奈木村より、同郡荷原村の内、帝釈寺嶺といふ山を越して、此下流の田に入、それより川に随てのぼる。其の間、十六瀬を渡る。その道中に佛谷あり。三奈木より佐田村へ三里ばかりあり。

 

村民の言伝えには安倍貞任、流されて爰に来り住せし故に村の名を貞といふ。後に佐田と改む。

 

~中略~

 

この故に貞任より以来十三代を現人神に祝い、木像十三あり。第十三は孫太郎専当(あち)という。

 

今の庄屋はその子孫なり。およそ村中に安倍氏の者、十四、五家今にあり。また、貞任が産神となりとて。松島大明神を勤請せし社あり。貞任が子、りうせんと伝し人の墓とてあり。

 

されども、貞任は東国にて討死し西国には流されず。もしその後离有りて、爰に来り住みしける故、此の如き事跡あるにや。

 

安倍氏、十二月除日に、ここに流され来りし故、正月の用意なし。その子孫。その例にならひて、今に正月年縄、年木を用ひずといふ。 』

 

これを簡単に言語訳にすると次のような内容になるかと思われます。

 

  

『 村民の言い伝えによると、安倍貞任は流されてココに来て住んでいたので、村の名を貞という。後に佐田となった。

 

~ 中略 ~

 

このため、安倍貞任より十三代経過していることを祝って木像を十三体造ってある。第十三代目は孫太郎専当と言う、

 

今、村の庄屋となっているのは、その子孫と言われており、村には、安倍姓を名乗る家が、現在でも14~15件あり、安倍貞任が産神様となっている。また松島大明神を勧請した神社もある。そして、安倍貞任の子「りゅうせん」と言われている者の墓も残っている。

 

しかし、貞任は東国で討死して西国には流されていない。もしかしたら貞任の末裔がココに住んだので、この様な言い伝えがあるのかも。

 

安倍氏は、12月に、この地に流されてきたので、正月の用意が出来なかった。このため、その子孫達も、その例に習い、現在でも正月年縄や年木を使用しないと言われている。 』

 

 

まあ、「村人の言い伝え」と前置きしていますので、信憑性に関しては、かなり低い話なのだと思います。

 

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今回は、「奥州安倍氏の伝説 - 実は生き延びていた編」の第1回目として、次のような内容を紹介しましたが如何でしたか ?

 

 

遠野物語」に関しては、弊社ブログの民間信仰シリーズや山岳信仰シリーズ等、数多くの記事に登場しますが、本当に興味深い本です。

 

岩手県出身の私としては、この本が、佐々木喜善ではなく、柳田國男により編集/出版された事が残念でなりません。

 

遠野物語」は、知っている人は、当然、知っていますが、遠野出身の民話蒐集家「佐々木喜善」が語った物語を、民族学者「柳田國男」が整理/編集した説話集です。

 

このため、「佐々木喜善」も、自身で本を何冊も出版しているのですから、自分が集めた昔話を整理して出版すれば良かったのに~、と思ってしまいます。

 

しかし、「佐々木喜善」が書いた本は、余り有名では無いところから推測すると、彼の文章能力は、イマイチだったのかもしれません。

 

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それはさておき、今回「安倍伝説」を調査してみたのですが、これほど多くの「安倍伝説」があるとは思いも寄りませんでした。

 

正直な所、「安倍伝説」と言っても、せいぜい4~5個位の情報だろうと思い、このブログも、1回こっきりで終わるものだと考えていました。

 

ところが、調べて見ると、あるはあるはで、どんどん「安倍伝説」が出て来ます。

 

また、「安倍宗任」が四国と九州に流罪になり、その後、「松浦党」や「宗像氏」と関係を持った事は、過去に、ブログを書く時に調査済でしたので、四国、および九州地方に、「安倍宗任」関係の伝説が結構存在するであろう事は、ある程度予想していました。

 

しかし、盛岡で戦死したはずの「安倍貞任」関係の伝説まであることは驚きでした。

 

さらに、「安倍貞任」の死体が、蘇って祟りをもたらすとは・・・まるで「ゾンビ」、ではなく、「平 将門」伝説と同じ事になっているとは想像も付きませんでした。

 

平安時代の貴族達は、人間の持つ「恨み」や「怨念」が、余程怖かったのだと思います。

 

平安時代に、「平 将門」、「菅原道真」、「崇徳天皇」、そして「安倍貞任」と、怨霊となった人物は数多く存在します。

 

とは言え、「安倍貞任」は、その他の3名の怨霊と比較すると、それほど有名じゃないのは、ちょっと可笑しくも、そして悲しくもあります。

 

次回は、次の内容を紹介します。

 

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・日本古典文学摘集(https://www.koten.net/tono/)

いわき市鹿島の極楽蜻蛉庵(https://blog.goo.ne.jp/ah8671)

・学校法人中村学園アーカイブ(http://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibara/archive05/)

国文学研究資料館(https://www.nijl.ac.jp/)

 

 

 

生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?

 

近頃、政治家やニュースでは、合言葉の様に「働き方改革」、「働き方改革」と言われ続け、ついに平成30年6月29日に国会で法改正が成立しましたが、皆さん、この法律って何が、どう変わるのかを、知っていますか ?

 

この法案の正式名称は、「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案」と言います。

 

この「働き方改革」では、通称「高プロ」と呼ばれていた「高度プロフェッショナル制度」の問題ばかりが国会やニュースで取り上げられ、その他の点に関しては、余りニュース等でも取り上げられなかった様な感じがします。

 

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高プロ」に関しては、当初「ホワイトカラー・エグゼンプション」と言う名称で、労働時間の規制緩和を目指したのですが、当然、「過労死」の問題を指摘され、導入出来ずに廃案となってしまいました。

 

しかし、それでも安倍政権は、2015年、労働時間に関する規制緩和を目指したのですが、これも審議が終わらずに、再度、廃案になっています。

 

ところが、安倍政権は、しつこいくらいに労働時間の規制緩和を試み、2018年の第196回の通常国会における「働き方改革」に「高プロ」を潜り込ませ、ようやく成立させた経緯があります。

 

この「高プロ」の受益者は、明らかに労働者ではなく、経営者側、特に「経団連」のロビー活動の賜物だと思われます。

 

まあ、私も経営者の端くれですから、「高い給与を払っているんだから、決められた時間内に、ちゃんと成果を出せよ!」と言いたくなる気持ちは分ります。

 

日本のビジネスマンは、欧米のビジネスマンと比較すると、作業効率が1/2だと指摘されていますので、高給取りが成果を出さない点は、経営者とすれば、頭の痛い問題だとは思います。

 

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と、このような、数々の矛盾を含んだまま成立した法改正ですが、2019年4月、つまり今年の来月から改正法が施行されます。

 

この法案に関しては、審議が不十分だった事から、法が成立した時点で、数多くの問題を抱えた状況となっています。

 

確かに、前述の「高プロ」の様に、経営者には嬉しい内容もありますが、その他、通常のビジネスマンに関しては残業時間の規制強化も盛り込まれていますので、単純に経営者だけが得をする法改正ではありません。

 

大枠で見ると、逆に、経営者にとっては、頭の痛い法改正となっています。

 

また、同じ経営者でも、大企業と中小零細、または仕事の発注者と受注者という立場の違いからも、その問題点は全く異なります。

 

今回、この「働き方改革」に関して、次の内容を紹介します。

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

それでは今回も宜しくお願いします。

 

 

 

 

■法改正の内容

 

 

今回の「働き方改革」は、1個の法律が制定された訳ではありません。「働き方」に関係している、次の8個の法律の内容が改正されています。

(1)労働基準法

(2)労働安全衛生法

(3)労働時間等の設定の改善に関する特別措置法

(4)じん肺

(5)雇用対策法

(6)労働契約法

(7)短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律

(8)労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律

 

個々の法律を説明してしまうと、「六法全書」になってしまいますので、当然、本ブログでは説明しません。

 

そこで、今回の法改正において、非常に重要と思われる次の8個の項目について、その内容を紹介します。

 

●時間外労働の上限規制

現行の労働基準法では、労働者の労働時間は、「1日8時間、週40時間」と決まっていますが、通称「36(サブロク)協定」を労働者との間で締結すれば、実質、無制限に働かせる事が出来る仕組みとなっています。

 

ところが、今回の法改正では、残業時間の上限の基本ラインを「月45時間、年360時間」と明確に定義しました。

 

繁忙期など、どうしても残業を行わなければならないケースでも、45時間を超えて残業出来るのは6ヶ月までと制限され、年間の残業時間の上限は720時間となりました。加えて、次の内容もガイドラインとして付加されています。

 

残業は、「連続する2カ月から6カ月平均で月80時間以内(休日労働含む)」

残業は、「単月で100時間未満(休日労働含む)」

 

しかし、この内容にも、実は「抜け道」が用意されています。

 

年720時間の残業時間には、休日の残業時間は含まれていません。このため、毎月、休日出勤をさせ、80時間までは残業が可能と言う解釈が成立します。

 

その結果、「毎月80時間の残業 × 12ヶ月 = 年間960時間の残業」が可能となります。

 

ちなみに、この法律の罰則は、「6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金を科す。」となっています。

 

法律の施行に関しては、大企業は、2019年4月から、中小企業は、1年間猶予され2020年4月となっており、かつ、これまで時間制限が無かった建設業、自動車運送業、および医師には、5年間の猶予期間が設定されています。

 

また、現在、大企業では、月60時間を超えた残業の割増賃金率が「50%」となっていますが、2023年4月以降は、この賃金割増率は、中小企業にも適用されるようになります。

 

●有給休暇の消化義務

これは簡単です。「抜け道」もありません。

 

10日以上の年次有給休暇が与えられている労働者には、本人の希望を踏まえ、このうち時季を指定して、5日分取得させることを企業に義務付ける事になりました。

 

フレックスタイム制の見直し

フレックスタイム制」とは、「清算期間(現行、最長1か月)」で定められた所定労働時間の枠内で、労働者が、始業/終業時刻を自由に選べる制度です。

 

この結果、労働時間が長い日を設定出来ますし、逆に短い日も設定できるので、労働者は、あらかじめ定められている清算期間中の所定労働時間(総労働時間)に達するよう、自由に労働時間を調整して働く事が出来るようになります。

 

フレックスタイム制」を導入するためには、就業規則、その他これに準ずるものにおいて、始業及び終業の時刻をその労働者の決定にゆだねる旨を定めた上で、労使協定において、対象労働者の範囲や清算期間などの一定事項を定める必要がありますが、この労使協定は、締結のみで厚生省等への届出は不要です。

 

ところが、現行の「フレックスタイム制」では、清算期間の上限が、前述の通り1か月とされているので、1か月を超える期間についての労働時間の調整が出来ないと言う問題点がありました。つまり、月またぎの調整が出来ません。

 

例えば、月の前半に余分に働いて、月の後半を短めにする事は可能ですが、6月に余分に働いて、8月の労働時間を短めにすると言うことは、制度上は不可能でした。

 

そこで、今回の法改正で、「清算期間」を最長3か月に延長し、より柔軟な働き方を選択する事が可能となりました。

 

今回の法改正跡は、例えば、「6~8月の3か月」の中で労働時間の調整が可能となるので、子育て中の親が、8月の労働時間を短くすることで、夏休み中の子どもと過ごす時間を確保しやすくなる等のメリットがあると厚生労働省は宣伝しているようです。

 

裁量労働制への業務追加

通常の勤務形態の場合は、企業側が、日毎の始業時刻や終業時刻を記録する事で、労働者の労働時間を適正に把握します。

 

しかし、裁量労働制を採用した場合、労働者は実際の労働時間とは関係なく、何時間働いても、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされるようになります。(※みなし労働の一種)

 

裁量労働制は、業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある業務にのみ適用する事が許されており、次の2種類に分類されています。

 

・専門業務型裁量労働制 :研究開発、システムエンジニア、編集者、会計士、税理士、弁護士、等

・企画業務型裁量労働制 :各種企画業務 - 経営、人事、教育、財務、広報、営業、等

 

そこで、今回、上記2種類の裁量労働制の内、「企画業務型裁量労働制」の方に、次の2つの業務を追加しようと目論んだそうです。

 

(1)事業の運営に関する事項について繰り返し、企画、立案、調査、分析を行い、かつ、これらの成果を活用し、当該事項の実施を管理するとともにその実施状況の評価を行う業務

→ 品質管理系の業務

 

(2)法人である顧客の事業の運営に関する事項についての企画、立案、調査及び分析を行い、かつ、これらの成果を活用した商品の販売または役務の提供に係る当該顧客との契約の締結の勧誘または締結を行う業務

→ 取引先のニーズに応える形で新商品を企画・販売する営業職

 

ところが、「安倍ちゃん」が、国会で『 厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある。 』と言う虚偽答弁を行ってしまった結果、この法案は、「働き方改革」から削除されてしまいました。

 

裁量労働制は、「高プロ」と同様、「残業代カット法案」とされていますので、適用範囲が広がれば、労働者は、堪った物ではありません。削除されて良かったと思います。

 

このため、経済界からは、この法案が削除されて残念と言う声が多数聞こえています。

 

しかし、政府は、今回は削除しましたが、今後も、「厚労相の諮問機関の労働政策審議会で制度改革案を議論する」となっていますので、虎視眈々と提出の機会を伺っています。

 

高度プロフェッショナル制度

これは前述の通り、「過労死法」、そして「残業代カット法案」です。

 

この制度は、高度の専門的知識を必要とする業務に従事し、かつ職務の範囲が明確で、一定の年収(年収1075万円以上を想定)がある労働者で、本人が同意している場合、労働時間の規制から外す仕組みです。

 

同制度が適用された労働者は、年間104日の休日を確実に取得させることなどを要件として、労働時間、休日、深夜の割増賃金等の規定の適用が除外されるようになります。

 

また、次のような条件の何れかも実施する必要があります。

・勤務間インターバル

・働く時間の上限設定

・連続2週間の休日確保

・臨時の健康診断

 

しかし、事実上の残業時間制限が無くなりますので、法律では守ってもらえなくなります。

 

●勤務間インターバル

勤務間インターバル制度とは、「過重労働による健康被害予防のため、勤務の終業時間と翌日開始の間を、一定時間空けて休息時間を確保する制度」の事を言います。

 

現時点では、「普及促進」と言うお題目だけで、具体的なインターバル時間の規定はありません。

 

先行して導入している「ホンダ」等の企業では、8時間、8時間+通勤時間、10時間など、独自のガイドラインを設定して運用しています。

 

前述の「ホンダ」では、既に40年以上も前から運用しているようですが、現在運用している企業は「1.8%」程度しか存在せず、厚生労働省の調査では、従業員30名以上の企業3,697社を調査した所、「導入予定が無い」と回答したのは、全体の約90%(89.1%)の企業にも上ったとされています。

 

やはり、お題目だけでなく、助成金等の「アメ」が無いと、話にならないと思います。

 

同一労働同一賃金の推進

正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間で、職務内容が同一であるにもかかわらず賃金の格差が生まれていた状況を解消するため、雇用形態が如何に関わらず、どのような状況であっても、同一の貢献をした場合は、同じ給与/賃金が支給しなければならなくなります。

 

厚生労働省は、「有期雇用労働者の均等待遇規定を整備」することを指定しており、派遣労働者に対し、次の2点を義務化します。

 

「派遣先の労働者との均等・均衡待遇」

「同種業務の一般の労働者の平均的な賃金と同等以上の賃金であることなど一定の要件を満たす労使協定による待遇のいずれかを確保すること」

 

もしも格差が存在する場合、企業は、労働者に内容や理由を説明しなければなら無くなります。

 

この制度の施行日は、大企業が2020年4月1日、中小企業が2021年4月1日となっています。

 

●衛生管理の強化

企業が、労働者の健康を適切に管理するため、産業医を雇用したり、あるいは環境を整備したりする点を明記しており、企業は、下記の対応を取ることが求められています。

 

・「事業者における労働者の健康確保対策の強化」

・「産業医がより一層効果的な活動を行いやすい環境の整備」

 

具体的には、企業は産業医に、労働者の労働時間など必要な情報を提供しなければならなくなります。

 

また、産業医の面談に役立てるため、企業は、管理職や高度プロフェッショナル制度の対象者を含む全労働者の労働時間を把握しなければならなくなりますが、違反しても、特に罰則はありません。

 

産業医から労働者の健康管理について勧告を受けた場合は、企業は事業所ごとに労使で構成する衛生委員会で、その内容を報告しなければならない決まりとなったようです。

 

このように、「働き方改革」は、一部、残業時間の規制に罰則が付いた事は、労働者のためと言えますが、その他、大部分は、多くの「抜け道」が良いされており、経営者側に有利な法改正になっているように見受けられます。

 

 

 

■法改正に伴う影響

 

 

前述のような内容の「働き方改革」ですが、一番の注意点は、「残業時間の上限設置」と「罰則規定」だと思います。

それ以外は、「推進」だ、「強化」だと、お題目ばかりの「キレイ事」ばかりなので、特に、何の影響も無いと思います。まあ、「高プロ」の方は、大変かもしれませんが・・・

 

しかし、何故、今回、この「働き方改革」が問題になったのかと言う点を、皆さん、覚えていますか ?

 

事の発端は、「電通の女性社員の過労自殺」問題です。

 

それでは、何故、女性が過労自殺に追い込まれたのか ? と言うと、業務が効率化出来ていないと言う点に集約されると思います。

 

つまり、本ブログの冒頭でも触れましたが、日本の労働者の生産性は、欧米諸国の1/2 ~ 2/3と言われるほど、非効率的です。

 

それゆえ、この「働き方改革」の真の目的は「生産性の向上」なのです。労働者の生産性を向上させることで残業時間を減らす、と言うのが目的です。

 

ところが、多くの経営者達は、「生産性の向上」は一顧だにせず、「残業時間の削減」ばかりに目を向けています。

 

これでは「本末転倒」です。

 

 

そして、「残業時間を削減」するために何をするのか ? と言うと、業務のアウトソーシング化です。

 

「業務のアウトソーシング」と言えば聞こえは良いですが、その実態は、外注や下請け、あるいは子会社への「丸投げ」です。

 

つまり、仕事現場では業務の効率化が出来ていないので、残業時間を削減することは不可能です。いつもと同じ作業の仕方をしているのに、残業時間を減らすことなど出来るはずもありません。

 

「じゃあ、どうするんだ !」と言う事で、仕事を社外に「丸投げ」する訳です。

 

それでは、仕事を「丸投げ」された会社は、どうなるのかと言うと、前章の「上限規制」にも書いていますが、中小企業への法令の適用は、2020年からです。

 

つまり、外注、下請け、そして子会社では、あと1年間は、残業し放題の状況が続くので、大企業から仕事を「丸投げ」された企業では、相変わらず、社員が地獄を見続ける事になるかと思います。

 

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もう一つの解決策としては、「人員の追加投入」と言う手段もあります。つまり、1つの仕事を2人で行って作業時間を減らすと言うやり方です。

 

作業を効率化出来ないのであれば、1人では2日掛かる仕事を、2人で行って1日で終わらせる、と言う考え方です。

 

しかし・・・こんな対応策を取る企業は皆無でしょう。人件費ばかり掛かり、企業経営を圧迫しますし、第一、今の日本は、どこでも「人手不足」の状態ですので、そう簡単に、人は増やせません。

 

となると、やはり、他社への「丸投げ」が増えていくのだと思います。

 

 

 

 

■日本の現状

それでは、何故、日本の労働者の作業効率は低いのでしょうか ? 

 

参考までに、本当に日本の生産性が低いのか否かを、ちょっと古い資料ですが、OECD経済協力開発機構)に加盟する34カ国の中で見てみると、日本の生産性は21位と、本当に低い状態になっています。

 

順位

1980年

1990年

2000年

2010年

2016年

1

ルクセンブルク

ルクセンブルク

ルクセンブルク

ルクセンブルク

アイルランド

2

オランダ

ベルギー

アメリ

ノルウェー

ルクセンブルク

3

アメリ

アメリ

ノルウェー

アメリ

アメリ

4

ベルギー

イタリア

イタリア

アイルランド

ノルウェー

5

イタリア

オランダ

ベルギー

スイス

スイス

-

日本(19位)

日本(16位)

日本(22位)

日本(21位)

日本(21位)

 

この生産性とは、GDP(国内総生産)を就業者数(または就業者数×労働時間)で割って計算しています。

 

国によって産業構造や人口動態が違うので、一概に「生産性が低い」と言うのは無理があるかもしれませんが、参考にはなる資料です。

 

そして、日本の生産性が低い理由ですが、・・・まあ数々の理由はあるとは思いますが、私としては、次の4点が大きな理由ではないかと考えています。

 

  • 残業代が生活費になっている
  • 社内に「働かないオジサン」が大量に存在する
  • 無駄な会議が多すぎる
  • サービスの質が高過ぎる

 

それでは、何故、こうなっているのかを紹介します。

 

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  • 残業代が生活費になっている

 

私が、まだサラリーマンで、かつ平社員だった頃、今から30数年前の話になりますが、1ヶ月の残業時間は、軽く100時間を超えていました。

 

このため、基本給よりも残業代の方が多い生活が続いていましたので、当時、遊ぶ時は、結構派手に遊んでいましたが、元々、仕事ばかりで遊ぶ時間などありませんでした。

 

ところが、これが役付きになると、雀の涙のような「役職手当」が付くだけで、残業代はカットされましたので、途端に悲惨な生活になってしまった事を覚えています。

 

『 もう、こんな仕事やってられっか !! 』と言う感じでした。

 

これは前述の通り、30年以上も前の話ですが、恐らくは、今でも事情は似たり寄ったりではないかと思います。

 

つまり、現在の日本人は、「残業代」が入ることを前提に仕事をしているので、逆に、仕事を効率化して「残業代」が無くなると、生活できないんじゃないかと思います。

 

このような状況なので、残業しないで家に帰ると、奥さんに怒られてしまうのかもしれません。

 

しかし、これは笑って済む話ではありません。

 

言い換えれば、日本の消費経済は、「残業代」に支えられていると言う事になります。

 

政府は、消費を拡大させる事でデフレからの脱却を目指していますが、業務効率化で残業代が減ってしまうと、消費が冷え込む結果になってしまうかもしれません。

 

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  • 社内に「働かないオジサン」が大量に存在する

ここ4~5年、社内の「働かないオジサン」、「使えないオジサン」が増殖していると話題になっていますが、皆さんの周りにも、こんな「オジサン」は存在しませんか ?

 

 

この「働かないオジサン」ですが、別に、4~5年前から急に出現した訳ではありません。

 

私が社会人になった頃、バブルが始まるちょっと前、1987年には、OL(Office Lady)からの投稿をベースにした「おじさん改造講座」と言うコラムが週刊文春で始まっており、当時も「働かないオジサン」の存在が明らかになっています。

 

これら「働かないオジサン」は、会社に存在しているだけで何の仕事もしない人種です。

 

日がな一日、会社に来ては、新聞を読んだり、どこかに休憩に行ったり、昼ごはんを食べると、コックリ、コックリ、平気で船を漕いだりしている人達です。

 

私がサラリーマン時代に勤めていた会社にも、グループ会社から定年間近の「オジサン」と言うか、もう「オジイサン」状態の人間が役員として天下ってきたのですが・・・

 

これが・・・全く仕事をせず、朝から新聞を読み、その途中で居眠りを始め、そのまま午前中が過ぎ、午後も同じようなパターンで時間を潰し、定時になると帰ってしまうと言う生活を、毎日続けていました。

 

居眠りの最中に電話が掛かってくると、「誰が起こすんだよ !? 」と言うことで、皆んなで揉めた事を覚えています。

 

しかも、掛かってくる電話も、仕事の電話ではなく、家族、それも「アホな娘」からs,しょっちゅう電話が掛かって来て、皆んなで呆れていました。

 

ちょっと話はズレますが、この時の電話で強烈だった話を、少し紹介しますと、次のような事を大声で喋っていました。

 

『 ダメだよ、買ってに車なんか買っちゃ! だって、お前、免許が無いんだろう ! 免許が無いのに車買っちゃダメだって ! 』

 

こんな電話を大声で喋っているので、皆んな、聞こえない振りをするのが大変で、こらえきれない社員は、急いで廊下に出て笑っていました。

 

話は、少し逸れましたが、これらの「オジサン」が大量に存在するので、企業全体の生産性が低下する結果になってしまっています。

 

例えば、2人1組のペアで仕事を任されたとします。その内の1人が「働かないオジサン」の場合、もうそれだけで生産性が1/2に低下してしまいます。

 

これが3人1組のペアで、内2人が「働かないオジサン」だった場合、生産性は1/3に、そして1/4に・・・どんどん生産性は低下して行きます。

 

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  • 無駄な会議が多すぎる

本件に関しては、弊社ブログで過去に取り上げ、いかに日本中で無駄な会議が開かれているかを紹介した事があります。

 

★過去ブログ:効率的な社内会議の仕方(その1) ~ 無駄な残業を減らす方法

 

 

このブログの中では、プロジェクト・メンバー28名構成の場合、毎月、進捗会議、および会議資料作成のためだけに、メンバー全体で、748時間も無駄な時間を費やしている事例を紹介しました。

 

日本人の美徳として、「協調性」が取り上げられますが、この「無駄な会議」だけは、即刻、止めて欲しいと思っています。

 

日本の会議が無駄な理由を挙げれば、もうキリがありません。

 

・必ず決められた時間までグダグタと会議を行う

・定時過ぎに会議を行う

・不必要な人まで会議に参加させる

・事前準備をせずに会議に参加する

・開始時間に遅刻する

・部門長や社長の独演会になる

・必ず誰かを「吊るし上げる」進捗会議

・会議の終わりに、誰かが必ず「ちゃぶ台返し」をする

・会議のための会議を開く・・・・・etc.

 

会議を開催するたびに、社員のモチベーションを低下させています。部門長の意識一つで、無駄な会議は減らすことが可能です。

 

会議を開催することで、方向性の統一、(本来の意味での)進捗管理、そして問題点の洗い出しと修正、等、良い事もありますが、ほぼ全ての会議が、無駄に定例化されているように見受けられます。

 

「会議では何も産み出さない !」と言う点を再認識すべきだと思います。

 

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  • サービスの質が高過ぎる

また、サービスの質が高すぎる事も、生産性を低下させる原因の一つだと思います。

 

 

日本は、東京オリンピック誘致の際、意味不明な「おもてなし」とかいう言葉を使って、サービスレベルの高さをアピールしていましたが、過度なサービスは生産性を低下させます。解りますか ?

 

つまり、業務の適用範囲が不明確なままサービスを提供し続けるので、必然的に残業時間が増えてしまうのです。

 

「おもてなし」の業務範囲が明確になっていれば、この時間なら、このサービスまでと、無駄な仕事をしなくても済みません。

 

ところが、「あれも」、「これも」と、業務範囲が不明確なままサービスを行うので、自然と残業が増えてしまいます。

 

元々、「おもてなし」の業務範囲が不明確なのですから、生産性など関係ありません。仕事が非効率になるのは当たり前です。

 

「おもてなし」とは、実は、ただひたすら無駄な時間を費やしているだけなのかも、単なる自己満足なのかもしれません。

 

 

「本当に、日本の生産性は低いの ?」と疑問に思っている方も多いと思いますが、本当に、日本の生産性は低いのです。その生産性の低さを、これまでは「残業」がカバーしてきただけです。

 

その昔、私達の世代までは、「モーレツ社員」が大勢存在し、月100時間残業しても、何ともない時代でしたが、これからの日本では、もう、そんな事は許されません。

 

私も、ちょっと前までは、平気で、次のような事を言っていました。

 

『 俺が若い頃は、月300時間の仕事は当たり前だった。 それなのに、今の若いもんは何だ ! 月に100時間残業しただけで過労死とか言って・・・ 』

 

確かに、あの頃は、それが普通でした。

 

夜の10時に「お先に失礼しま~す。」と言うと、皆から「何だ !? 今日は早いな~」等と言われていた時代です。

 

仕事の仕方も生き方も、時代と共に変化する事を学ばなければなりません。

 

 

 

■今回の法改正への対応策

 

 

それでは、このような法改正対して、どのような対応を取れば良いのでしょうか ?

 

基本的には、前章で取り上げた「非効率な作業」を効率化、あるいは廃止することで、生産性は、かなり向上すると思います。

 

それでは具体的には、何を、どのように変えて行けば良いのでしょうか ? 以降に、私なりに考えた、次の3つの参考意見を紹介します。

 

  • 業務棚卸しと効率化
  • 「働かないオジサン」対策としての人員配置の見直し
  • 残業代減少に伴う給与体系の見直し

 

「会議の効率化」に関しては、前述の通り、過去ブログに掲載していますので、そちらを見て下さい。

 

●業務棚卸しと効率化

最初の「業務棚卸しと効率化」ですが、これは単純に考えると「業務のシステム化」の検討になってしまいます。

 

 

部門毎に、部門内で行っている全業務に対して、次のような作業を行う事で、問題点を洗い出します。

 

・全業務を書き出す

・業務毎に作業概要と作業時間を書き出す

・業務毎に問題点の洗い出しを行う

・洗い出した問題点に関して、対応策を検討する

 

この「対応策」ですが、最初からシステム化に向けた検討を行うのではなく、作業手順や作業タイミングの見直しを行うだけでも効率化出来る可能性もあります。

 

その上で、どうしても効率化出来ない部分に関しては、システム化の検討をした方が良いと思います。

 

特に、現在では、ほぼ全ての企業で、基幹系業務には、何らかのシステムが導入され、そこそこシステム化が進んでいると思いますので、これ以上、メイン業務に対するシステム化は、無理があるようにも思えます。

 

恐らく、システム化出来ていない部分は、基幹系業務から離れた「枝葉部分」の業務になると思います。

 

例えば、基幹システムから出力したデータを手作業で加工して別データを作成して他のシステムに渡しているとか、同じく、基幹システムから出力したデータを加工して、取引相手に渡しているとか言うケースになると思います。

 

このような「枝葉部分」の作業の効率化、システム化に関しては、弊社ブログで、過去に対応策を紹介していますので、そちらも参考にして下さい。

 

★過去ブログ:開発を依頼する前に - 外注会社に連絡する前に自社で行うべき事

 

●「働かないオジサン」対策としての人員配置の見直し

 

 

「働かないオジサン」への対応は、「リストラ」しかありません。

 

「リストラ」と言っても、アメリカの「ドナルド・トランプ」の様に単に「You are Fired!」と言って、社員をクビに出来れば、それに越したことはありません。

 

しかし、ここ日本では、アメリカと異なり、一度、雇用した社員に関しては、そう簡単に「クビ」にする事は出来ません。

 

「働かないオジサン」を、業務怠慢を理由にする場合、次の項目を満足させる必要があります。

 

(1)就業規則に職務遂行能力の不足や勤務態度不良等を解雇事由として記載しているか

(2)何度も勤務態度不良を繰り返しているか

(3)職務遂行能力の不足や勤務態度不良により会社に対する具体的な損失があったか

(4)本人に問題点を指摘して、書面により何度も是正勧告を何度も行っているか

(5)改善の見込みがあるか

(6)社員全員に同様の対応を取っているか

 

上記6点を満足していれば、たとえ裁判になった場合でも、解雇事由としては妥当と判断される可能性は、かなり高いと思います。

 

しかし、これに関しては、特に(2)がネックになります。上記6点を充足する行為が複数回発生している点が問題となります。つまり、時間が掛かると言う事です。

 

やはり、最初は、社員を「クビ」にするリストラではなく、本人の意向を汲んだ形での「配置転換」と言うリストラを検討した方が良いと思います。

 

そして、「働かないオジサン」の配置転換先ですが・・・基本的に、「働かないオジサン」は、どのような部署に配属されようと働かないと思います。

 

このため、給与と成果が連動する営業職に配置転換し、働かなければ給与が下がるようにすれば良いと思います。

 

 

但し、これも簡単には給与体系を変更することは難しいので、基本給は現状のままで、その他の手当部分を営業成果に連動させる形に変更させる必要があります。

 

配置転換で給与が減額されるとなると、裁判になった場合に不利になってしまう可能性があります。

 

配置転換された「働かないオジサン」を、営業職が普通に働いてもらう給与と同額になる様に調整する必要があると思います。

 

このような対応をする事で、社内に「働かざる者食うべからず」の雰囲気を作る事も大切だと思います。

 

●残業代減少に伴う給与体系の見直し

 

 

前述の通り、現在の日本は、「残業代 = 生活費」になってしまっています。まずは、この考え方、そして給与体系を、根本から見直す必要があると思います。

 

つまり、残業しなくても成果を出した社員には、成果報酬を出す形の給与体系に変える事が重要です。

 

何か、少し前に流行った「成果主義」みたいな感じですが、本来、「成果主義」とは、このように成果を出した社員には、手厚く報いる事を意味しています。

 

過去に流行った「成果主義」では、経営層や管理職が勝手に決めた目標を、社員に強制的に押し付ける形の「成果主義」でした。

 

それが顕著に表れたのが「東芝」です。

 

「チャレンジ」とか言って、実現不可能な課題を社員に押し付け、その結果、不正会計に手を染め、歴代3社長が辞任するハメになってしまいました。

 

これは「成果主義」でも何でも無く、単なる「パワハラ」です。

 

ちゃんと社員と業務課題を話し合い、どのような評価基準にするのかを双方で納得する必要があります。

 

営業職であれば、売上数字で判断できるので、評価基準を決めるのは比較的簡単ですが、これが技術職や総務/経理等の職種になると、評価基準を決めるのは、非常に困難になります。

 

しかし、社員に仕事を割り振る前に評価方法を考えれば事は簡単です。

 

要は、仕事を割り振る時点で、仕事の完成度と納期の早さをベースに評価方法を考えれば良いだけだと思います。手戻りが無ければ「高評価」、かつ納期が早ければ「高評価」を付ければ良いだけです。

 

その他の評価基準としては、該当業務の他に「プラスα」で他の業務もこなしたとか、あるいは部下や同僚を支援したとかも評価対象にすれば良いと思います。

 

今の企業は、仕事を割り振るだけで、その仕事の成果を評価しようと思わないの悪いのだと思います。

 

企業は、本当に、真剣になって、評価基準を決める必要があります。

 

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前述の「業務の棚卸しと効率化」と重複しますが、兎にも角にも、これからの企業には、業務を、いかにして効率化するかが問われる時代に入ります。

 

これからは、この法改正の影響もありますが、労働力人口の減少に拍車が掛かりますので、深刻な人で不足の時代となります。

 

外国人の雇用を増やすのも一つの対応策だと思いますが、外国人雇用の場合、単に外国人を雇用すれば良いだけでは済みません。

 

相手の文化や生活習慣等も考慮しなければ行けません。

 

 

例えば、ムスリムの人を雇用するのであれば、礼拝の時間を考えてあげたり、ドレスコードを変更したり、社員食堂があるならハラールを用意してあげたりと、業務以外に関しても注意を払う必要があると思います。

 

これは中小企業にとっては、かなりハードルが高いと思います。

 

一度、制度を整えれば、後は簡単だとは思いますが、それでも社内に専門部署を設けて対応する必要があるので、やはり大変な作業になると思います。

 

それよりは、やはり現状のままで、何が効率化出来るのかを検討した方が良いと思います。

 

まあ、業務の棚卸しも結構キツイ作業ではありますが、これも、いつかは着手しなければならない作業ですから、嫌な作業は前倒しで行う癖を付ける意味でも、明日からでも着手した方が良いと思います。

 

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今回は、「生産性向上が必要な働き方改革 - 皆さん、誤解していませんか ?」と題して、「働き方改革」に関して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

  • 法改正の内容
  • 法改正に伴う注意点
  • 日本の現状
  • 法改正への対応策

 

こうして改めて日頃の働き方を見てみると、日本人は、なんて非効率的な仕事の仕方をする民族なのかと、つくづく思い知らされました。

 

まあ、その昔から「和を以て貴しとなす」のが日本人の特性だから、仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれませんが・・・

 

今後は、「和の持ち方」を工夫する必要があると思います。

 

今回の「働き方改革」と同時に、「入国管理法改正案」も成立し、どちらも来月から法が施行される事が決まっています。

 

これにより、先も記載しましたが、外国人を雇用しやすくなるとは思いますので、「働かないオジサン」を駆逐して、オジサンよりも優秀で、かつ給料が安い外国人を雇用する事で、生産性を向上させることも対応策の一つとして検討した方が良いかもしれません。

 

しかし、「働き方改革 = 残業時間削減 = 仕事の丸投げ」と、本来の趣旨を取り違えて考えている経営者が多い事も事実ですので、中小企業や子会社の方は、これからの仕事の請け負い方を注意した方が良いと思います。

 

仕事が増えるのは売上が上がるので嬉しいかもしれませんが、今後は、自分の会社の社員が「過労自殺」してしまう可能性が高まります。

 

何れにしろ、大企業も中小企業も、「働き方改革 = 業務効率化」と言う意識を持ち、自分達の仕事の仕方を考えて見るべき時が来ている事を自覚して下さい。

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

 

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

ITmediaビジネス(http://www.itmedia.co.jp/business/)

マイナビニュース(https://news.mynavi.jp/)

 

 

岩手の世界遺産と無形文化遺産 -平泉ショックからの出発 その2

今回の「岩手・盛岡」情報は、前回の続きとなる「岩手の世界遺産無形文化遺産」に関する話題の第2弾となります。

 ★過去ブログ:岩手の世界遺産と無形文化遺産 その1

 

前回は、次の内容を紹介しました。

 

 

前回は、どちらかと言うと、UNESCOの活動の説明になってしまった感があります。

 

そして、最後に、「国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization:UNESCO)」の成り立ちと、現在の状況を説明しました。

 

UNESCOは、2018年12月の「アメリカ脱退」を受け、運営資金の不足に悩ませられる事になりそうですが、実質、アメリカは2011年から分担金を支払っていませんので、余り影響は無いのかもしれません。

 

しかし、脱退したアメリカの「世界遺産」は、一体、どのような扱いになるのでしょうか ?

 

現在、アメリカには、世界遺産「第一号」として登録された「イエローストーン国立公園」を始めとして、23箇所もの世界遺産があります。

 

まあ、建国の歴史が浅い事が影響しているのかもしれませんが、無形文化遺産の登録は「0件」なので、こちらは問題無いと思いますが、やはり気になってしまいます。

 

UNESCOから脱退し、分担金も支払っていないにも関わらず、それでも「世界遺産」を名乗るつもりなのでしょうか ?

 

何か、「盗人猛々しい」と言うか、「面の皮が厚い」と言うか、つまり「恥知らず」のような感じがします。

 

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それはさて置き、今回は、岩手県に特化した、次の情報を紹介します。

 

 

しかし・・・正直な所、「平泉」以外は、地味で、余り見どころが無いような感じがします。

 

加えて、この唯一の見どころとなっている「平泉」に関しても、「中尊寺金色堂」以外は、「何とか院の跡」と言う感じで、寺院の跡地に、ポツンと「池」が残っているだけで、「折角だから」と無理して訪れても「何だかな~」感が拭えません。

 

そんな感じで、本ブログを見た方も、「何だかな~」となってしまうかと思いますが、取り敢えず、今回も宜しくお願いします。

 

 

岩手県世界遺産

岩手県には、世界遺産に登録されている、次の場所があります。

 

・平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

明治日本の産業革命遺産

 

最初に、「平泉」から紹介します。

 

●平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群

 

「平泉」に関しては、前述の通り、2011年に世界遺産リストに登録された訳ですが、実際は、2001年には世界遺産の暫定リストに登録され、2004年にリスト登録された「紀伊」、それと2007年に登録された「石見銀山」と共にリスト登録を目指していたようです。

 

その後、2006年の文科省文化審議会で、「平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観」と言う名称で、次の9箇所を資産として推薦したそうです。

 

中尊寺毛越寺無量光院跡金鶏山柳之御所遺跡、達谷窟、白鳥館遺跡、長者ヶ原廃寺跡、骨寺村荘園遺跡

 

ところが、2007年にICOMOSの現地調査が行われた結果、候補地が広範囲に拡がり、個別に存在している点や、日本政府の姿勢などが疑問視され「登録延期」となってしまいました。

 

日本政府が推薦して登録が認められなかったのは、この「平泉」が初めての事で、これを「平泉ショック」と呼び、この事が原因で、世界遺産の公募が中止になったとも言われているようです。

 

その後、日本政府は、名称を「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」と変更すると共に、推薦資産も、ICOMOSからの勧告に従い、中尊寺毛越寺無量光院跡金鶏山柳之御所遺跡の5件の資産で再申請を行いました。

 

その結果、ICOMOSの再度の現地調査を経て、ICOMOSからは、名称を「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園」と変更し、かつ「柳之御所遺跡」を資産から除外した上での「登録勧告」となってしまったそうです。

 

そして、2011年6月、パリで開催された第35回世界遺産委員会において審議され、名称は日本の主張が通ったものの、やはり「柳之御所遺跡」を構成資産から除外した形で、世界遺産リストに登録されました。

 

しかし、この時、元々「毛越寺」に含まれていた「観自在王院跡」が、個別資産となったので、最終的には、5個の資産で登録されたようです。

 

このように、数々の紆余曲折と、10年と言う歳月を経て、「平泉」は、ようやく世界遺産になったようです。さて、それでは世界遺産の構成資産となる5箇所を紹介します。

 

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(1)中尊寺

中尊寺は、寺の伝承によると平安時代の嘉祥3年(850年)、慈覚大師「円仁」が、関山弘台寿院を開創したのが始まりとされていますが、単なる言い伝えだけで、学術的には何の根拠も無いとされています。

 

このため、実質的な創建は、平安時代末となる12世紀初頭、奥州藤原氏、初代「藤原清衡」が、多宝寺を建立した時とされています。

 

有名な「金色堂」は、天治元年(1124年)、同じく「藤原清衡」により建立されており、現在は、覆堂内で展示保存されていますが、中の須弥壇には、藤原三代(清衡/基衡/秀衡)のミイラと四代「泰衡」の首級が納められています。

 

中尊寺に関しても、世界遺産の構成資産がリストされており、それは次の箇所となっています。

 

中尊寺金色堂(国宝)

金色堂覆堂(重要文化財

中尊寺経蔵(重要文化財

白山神社能舞台重要文化財

中尊寺境内(特別史跡

 

(2)毛越寺

毛越寺も、中尊寺と同様、嘉祥3年(850年)、慈覚大師「円仁」が創建したと伝わっていますが、大火で焼失したと伝わっています。

 

その後、二代「基衡」、およびその子、三代「秀衡」」により大伽藍を再興したとされています。

 

最盛期には、堂塔は40、僧房は500超であったと鎌倉時代史書吾妻鏡」にも伝えられています。

 

その後、鎌倉幕府にも保護されたそうですが、嘉禄2年(1226年)の火災、および天正元年(1573年)の兵火により、その全てを焼失してしまったそうです。

 

そして、その後、昭和29年(1954年)から5年に渡り、大規模な発掘 調査が行われたのですが、調査してみると、当時の遺構が、ほぼそのまま残されており、先の「吾妻鑑」の記述とも一致している事が判明したそうです。

 

金堂跡等、各種の堂跡、門跡、および浄土庭園跡も、当時の礎石等がほぼ完全に残っており、非常に学術的価値が高い遺跡となっているそうです。

 

現在の「大泉が池」と水を注ぐ「遺水」等がある浄土庭園は、発掘調査、および平安時代の庭園造り秘伝書「作庭記」に基づいて忠実に整備されたものだそうです。

 

毛越寺の構成資産は、次の2箇所となっています。

毛越寺境内附鎮守社跡(特別史跡
毛越寺庭園(特別名勝

 

(3)観自在王院

観自在王院」とは、二代目「基衡」の妻が、毛越寺の隣に建立した阿弥陀堂の事で、当時は、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂と言う、二つのお堂があったとされています。

 

しかし、天正元年(1573年)の兵火で焼失してしまい、現在の阿弥陀堂は、大阿弥陀堂の跡地に、江戸時代(享保年間)に再建されたものとの事です。

 

昭和48年(1973年)から3年を掛けて、庭園の発掘と復元が行われたそうです。

 

その結果、寺跡は、東西約120m、南北約240mの長方形であったそうです。

 

舞鶴が池」という池があり、仏の世界を表現した浄土庭園としての形を調えていたということが判明したそうです。

 

観自在王院跡の構成資産は、次の2箇所となっています。

毛越寺境内附鎮守社跡(特別史跡
・旧観自在王院庭園(名勝)

 

(4)無量光院跡

「 無量光院」とは、三代「秀衡」が、京都の「平等院」を模して建立した巨大寺院で、「新しい毛越寺」と言う意味で「新御(にいみ)堂」と名付けていたそうです。

 

建物の向きや地形も「平等院」を模しており、庭園は、毛越寺観自在王院と同様、浄土庭園としたそうですが、発掘調査によると、規模は、本家をも凌ぐ大きさだった事が判明しています。

 

本尊は、平等院と同じ「阿弥陀如来」だが、中堂前に瓦を敷き詰めている点と池に中島がある点が平等院とは異なるそうです。

 

本堂の規模は鳳凰堂とほぼ一致するようですが、翼廊の長さは一間分長いそうです。

 

建物は全体に東向きに作られ、敷地の西には後述する「金鶏山」が位置しており、配置は、庭園から見ると、夕日が、本堂の背後の「金鶏山」へと沈んでいくように設計されていたようです。

 

(5)金鶏山

金鶏山」は、中尊寺毛越寺の中間辺りに位置する標高98.6mの山で、平泉における信仰の山とされています。

 

山の名称である「金鶏山」とは、山頂に、雄雌一対の金の鶏を埋めたと言う伝説にちなむと伝わっています。

 

実際に、昭和5年(1930年)に、頂上付近を盗掘したそうですが、その時には、「経塚」である事を示す経筒や陶器の壺や瓷が掘り出されたそうです。

 

この「金鶏山」には、上記言い伝えを含め、次のような伝説が残されているそうです。

 

・平泉を守るため黄金の鶏を埋めた

北上川まで人夫を並べ、一晩で築いた山

 

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前述の通り、平泉に関しては、現在、上記5箇所が世界遺産リストに登録されていますが、2012年には、前回の推薦で漏れた下記5箇所に関しても暫定リストに登録し、拡大登録を目指しているそうです。

 

柳之御所遺跡(平泉町)

達谷窟(平泉町)

骨寺村荘園遺跡(一関市)

白鳥舘遺跡(奥州市)

・長者ヶ原廃寺跡(奥州市)

 

専門家からは、拡大登録は、「柳之御所遺跡」のみが適当と助言されているそうですが、そうなると、また平泉町だけの登録となってしまうので、関係団体は、あくまでも一括登録を目指しているそうです。

 

現在の5箇所を登録するだけでも10年掛かっている訳ですから、一括拡大登録には無理があると思われます。

 

  

明治日本の産業革命遺産

 

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、1850年代から1910年にかけて、日本の重工業化に貢献した遺産群で、「軍艦島」として知られる長崎市の「端島炭鉱」を始め、九州の鹿児島県から東北の岩手県にかけて点在する23資産が、幕末期の西洋技術の導入や、その後の国家主導で発展させてきた鉄鋼・製鉄、造船、石炭産業の近代工業化の過程を示す資産として顕著な普遍的価値を有していると評価されてリストに登録されています。

 

23個全てをリスト表示するだけでも、かなりのボリュームになりますので、今回は、岩手県関連となる「橋野高炉跡及び関連遺跡」だけを紹介します。

 

この「橋野高炉」は、釜石市橋野町にあるのですが、日本の近代製鉄の発祥の地といわれています。

 

古来、日本では、「たたら製法」による砂鉄を原料とした製鉄法で大砲を製造していましたが、この製法では欧米列強の優れた性能を持つ大砲には太刀打ちできませんでした。

 

西洋の大砲に対抗できる近代的な兵器の製造には、良質な鉄を大量生産する高炉法が必要と考えるようになり、高炉を建設する事になりました。

 

ここで言う「高炉」とは、「反射炉」とは違い、鉄鉱石を溶かして鉄にする「溶鉱炉」の事になります。

 

そして、この「橋野高炉」は、水戸藩反射炉に、大砲用の銑鉄(せんてつ)を供給するために、南部藩によって建設されました。

 

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ところで、(釜石市には失礼ですが)何故、釜石市などで「日本初の西洋式高炉」が建設されたのかと言うと、それには、ちゃんとした理由があります。

 

(1)釜石付近には、良質の鉄鉱石が採れる採掘場があったこと。

(2)盛岡藩に、天才技術者「大島高任(おおしま-たかとう)」が居たこと。

 

釜石付近、特に、北上山地は、その昔、平安時代から、良質の砂鉄が取れることで有名で、前述の「奥州藤原氏」も、鋳物師を、わざわざ京都から呼び寄せて「鋳造業」を行っていました。

 

また、釜石は、日本初の官営製鉄所となる「釜石製鐵所」が建造される等、昭和末期まで、「製鉄の町」として繁栄して来た町です。

 

岩手の「鉄」に関しては、次の過去ブログでも紹介しています。

 

★過去ブログ:岩手の工芸品 ~ 地味だけど丈夫で長持ち その2(南部鉄器) 

                     :岩手県内の火防祭り ~ 検索トップだけどマイナーな祭り その2

 

他方、「大島高任」は、幕末となる文政9年に、盛岡藩侍医「大島周意」の長男として生まれた後、17歳で江戸に出て蘭方医に師事し、さらには、長崎にも留学し採鉱術を学んでいます。

 

27歳で水戸藩徳川斉昭に招かれて、那珂湊反射炉を建造して大砲の鋳造に成功しますが、原料が砂鉄のため余り性能は良くなかったそうです。

 

そして、その後、良質な鉄鉱石を産出する釜石で、西洋式高炉を建造し、安政4年(1858年)、鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功しますが、これが商用高炉としては日本初の試みで、この事から大島は、「日本近代製鉄の父」と呼ばれています。

 

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この「橋野高炉」は、日本の歴史上、重要な場所であることは明らかなのですが・・・

 

如何せん、地味 !!  この地を訪れても、他の「軍艦島」等に比べると、何の感動も無いと思います。

 

何か、もう少し展示方法などを検討した方が良いと思います。

 

 

 

岩手県無形文化遺産

岩手県には、次の2件の、無形文化遺産があります。どちらも、過去ブログで紹介している内容ではありますが、もう少し詳しい内容を紹介します。

 

それと、岩手県に限った話ではありませんが、「和食」に関しても、1点、岩手に関係する話がありましたので、ついでに紹介しておきます。

 

早池峰神楽

無形文化遺産は、前述の説明の通り、2008年に条約が発効しました。

 

このため、この時点で、既に「傑作宣言」を行っていた3件が、直ちに代表一覧表に正式登録されました。

 

そして、さらに2008年に、この早池峰神楽を含む10件の登録申請を行い、その結果、翌2009年には、全て代表一覧表に正式登録された次第です。

 

今回、早池峰神楽に関して、もう少し詳しい情報を紹介しようと思ったのですが、既に何度も紹介しているので、ネタが尽きてしまいました。

 

特に、「瀬織津姫命」を取り上げた下記ブログでは、早池峯信仰から早池峰神楽、そして早池峰神社の情報を詳しく紹介しています。

 

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 ~ 謎多き姫神に触れる その1

 

このため、本ブログに同じ内容を記載するよりは、下記のブログを見た方が良いと思います。

 

●来訪神(スネカ)

「スネカ」に関しては、2018年10月、ユネスコの補助機関が、秋田県男鹿市の「ナマハゲ」等を含む、8県10件の伝統行事で構成する「来訪神 仮面・仮装の神々」を、無形文化遺産に登録するよう勧告しています。

 

その結果、2018年11月26日から、モーリシャス(アフリカ)で開かれたユネスコの政府間委員会で審議が行われ、11月29日に、無形文化遺産への正式登録が決定しました。

 

 

但し、今回の登録は、2009年に登録済となっている、鹿児島県の「トシドン」への拡張登録となっていますので、地元は嬉しいかもしれませんが、日本としては、喜びも半分と言った感じでしょうか ?

 

ところで、大船渡市吉浜で、毎年1月15日に行われる「スネカ」に関しては、実は、下記過去ブログで詳しく紹介してしまっていました。

 

★過去ブログ:冬の歳時記 ~ 寒いのにご苦労様です

 

今回、「スネカ」に関しても、過去ブログで紹介していない情報を提供しようと思ったのですが・・・こちらも、結構詳しく紹介しており、余り追加情報はありませんでした。

 

しかし、他サイトですが、実際に、「スネカ」が、一般家庭を襲った際のレポートが記載されており、結構面白かったので、そのサイトを紹介しておきます。

 

★参考サイト:岩手の「スネカ」に子供と一緒に泣かされる

→ URL:https://dailyportalz.jp/kiji/150119166103

 

●和食

前章の無形文化遺産の一覧でも紹介した通り、平成25年(2013年)に、日本の「和食」が、正式登録されています。

 

「和食」は、当然、岩手県に限った話ではありませんが、日本国からユネスコに提出した登録提案書中に、一関地方の「もち食文化」が例示として挙げられていたそうです。

 

また、現在でも、農水省のホームページの「トピックス」には、『「和食」のユネスコ無形文化遺産登録 ? 次世代に伝える日本の食文化 ? 』と言うページが掲載され、その中で、日本各地の「和食」の事例として、一関市で毎年開催される『 全国ご当地もちサミット 』が紹介されています。

 

そこで、簡単にですが、一関の「もち食文化」を紹介したいと思います。

 

最初に、一関市で毎年開催される「全国ご当地もちサミット」ですが、こちらに関しても、過去ブログで紹介していますので、そちらをご覧下さい。

 

★過去ブログ:ちょいと変わった秋のイベント紹介

 

そして、一関地方と「もち」の関係ですが、本当に、異常なほど強い結びつきがあるようです。

 

通常、「もち」と言えば、正月料理をイメージすると思いますが、平泉を含む一関地方では、正月や年越しは言うまでもなく、田植えや稲刈りなど農作業や季節の節目、入学式やら卒業式、そして冠婚葬祭と、この地方に伝わる「もち暦」によると、その数年間60日以上と言われているそうです。

 

また、「もち料理」の種類も300種類以上あるとも言われており、レパートリーの多さは日本一と言われているそうです。

 

「もち食文化」の起源は、江戸時代、この地を治めていた「伊達藩田村家」の統治方法にあるとされています。

 

当時、一関地方を治めていた伊達藩の命で、毎月1日と15日には、「もち」をついて神様に供え、平安無事を祈り休息日とする習慣があったそうです。

 

しかし、神様には白い「もち」を供え、貧しい農民達は、くず米に雑穀を混ぜた「しいなもち」と言う白くない「もち」を食べていたそうです。

 

そこで、この「しいなもち」を、なんとか美味しく食べようと工夫する中で、独自のもち食文化を開花させていったとも伝わっています。

 

 

■落選した「御所野遺跡」とは

岩手、青森、北海道、そして秋田の1道3県では、縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局を立ち上げ、この地域に存在している縄文遺跡群を、人類共通の宝として、未来へ伝えていかなければならない貴重な文化遺産であると考え、2009年、世界遺産候補としてユネスコ世界遺産センターの世界遺産暫定リストに登録しました。

 

この資産に関しては、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」と言う名称で、平成18年(2006年)から活動を開始して、12年も歳月を掛け、平成30(2018年)7月に、ようやく推薦候補になったのですが・・・

 

前述の通り、2018年11月3日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」に関しては、2020年の登録推薦の見送りが決定されてしまいました。

 

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ここで、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の場所を紹介しますが、資産は、北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡の計17遺跡で構成されているそうです。

 

都道府県

自治

遺跡名

北海道

函館市

大船遺跡

垣ノ島遺跡

千歳市

キウス周堤墓群

伊達市

北黄金貝塚

洞爺湖町

入江貝塚

高砂貝塚

青森県

青森市

三内丸山遺跡

小牧野遺跡

弘前市

大森勝山遺跡

八戸市

是川石器時代遺跡

つがる市

田小屋野貝塚

亀ヶ岡石器時代遺跡

外ヶ浜町

大平山元遺跡

七戸町

二ツ森貝塚

岩手県

一戸町

御所野遺跡

秋田県

鹿角市

大湯環状列石

北秋田市

伊勢堂岱遺跡

 

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さて、肝心の「御所野遺跡」は、岩手県一戸町岩舘字御所野と言う場所にあります。

 

ここは、馬淵(まべち)川東岸の、標高190m~200mの河岸段丘に立地し、縄文時代中期後半(紀元前2,500年~紀元前2,000年頃)の大規模集落遺跡とされています。

 

中央の広場には、配石遺構を伴う墓地が造られ、それを囲んで竪穴建物跡、掘立柱建物跡、祭祀に伴う盛土遺構などが分布しています。

 

そして、さらにその外側の東、西にも竪穴建物跡が密集するという集落構造が明らかになっています。

 

「御所野遺跡」は、当時の人々が、長期間に渡って安定した定住生活を示す具体的な物証であり、周辺の自然環境と共存しながら一体となった計画的土地利用を、段階的に跡付けることができる顕著な事例とされています。

 

盛土遺構からは、土器や石器とともに、焼かれた獣骨や植物種子、さらに祭祀遺物と考えられる土製品などが集中的に出土していることから、火を使用した「送り」などの祭祀が行われていたと推定されているそうです。

 

また、この遺跡には、火災で焼失した後に廃棄されたされている住居もある事が判明しています。

 

遺跡発掘後、復元した遺跡で焼失実験を行った結果、これらの竪穴建物跡は、竪穴住居を土で覆う屋根構造だったことが判明したそうです。

 

 

今後は、ちゃんと現地調査が通過する事が出来るよう、「平泉ショック」を再現させないためにも、ちゃんと準備を進め、専門家の意見を尊重してプロジェクトを進めて欲しいと思います。

 

「平泉ショック」では、現在、日本が、ユネスコへの拠出金がトップである事から、無理矢理、登録を進めようとして、ICOMOSの勧告を無視した事が「登録延期」となった原因とされていますので、この点も注意すべきだと思います。

 

 

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今回は、「岩手の世界遺産無形文化遺産 - その2」と題して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

 

はやり、「何だかな~」だったと思います。ブログを書いている本人も、もっと面白い事書けないかな~と悩んだくらいですから・・・

 

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正直な感想を言えば、世界的に見ても、もう世界遺産への新規登録は止めたほうが良いのではないかと思っています。

 

2018年時点で、世界遺産の総数は、「1,092件」にも達しています。

 

まだ世界遺産に登録されている場所が無い国にとっては、「まだまだ、これから !」と言う感じがあると思いますが、1,000件を超えた時点で、「世界遺産ブランド」の価値は地に落ちたと思われます。

 

元々、世界遺産の発足当時は、上限を「100件」にすると言う案もあったそうです。

 

今後は、既に「世界遺産」に登録された場所がある国は登録申請を遠慮し、未登録の国の遺産を優先して審議すべきだと思います。

 

とは言え、世界遺産条約が出来てから、既に半世紀近く経っていますので、未だに世界遺産に登録された場所が無い国に関しては、こちらも正直な所、世界遺産に登録すべき場所が無いのだと思われます。

 

もしくは、それらしい場所はあっても、治安が悪いとか、既に破壊されてしまった等の問題がある国なのだと思います。

 

しかし、その一方、逆に、登録を回避する国が多いことも問題になっているようです。

 

その理由として、世界遺産に登録されてしまうと、周辺地域を開発することが出来なくなってしまう点が挙げられています。

 

地元としては、観光地として発展していくのか、それとも都市として発展していくのか、非常に難しい判断が必要になると思います。

 

今後も、UNESCOの活動は、資金調達から始まり、難しい事になると思います。

 

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

世界遺産オンラインガイド(https://worldheritagesite.xyz/)

中尊寺ホームページ(http://www.chusonji.or.jp/

・公益財団法人 岩手県観光協会(https://iwatetabi.jp/index.php)

・縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局(https://jomon-japan.jp/)

・いちのせき観光ナビ(http://www.ichitabi.jp/)

 

AI(Artificial Intelligence) - その恐怖と現実 その2

前回の「AI - その1」では、次のような項目を紹介しました。

 ★過去ブログ:AI(Artificial Intelligence)-その恐怖と現実 その1

 

 

  • AIは、人類の敵となるのか ?
  • AIは、職場を奪うのか ?
  • AIは、何を変えるのか ?

 

この中では、「AI」に明るい未来を描く人が存在する一方、強烈な危機感を抱いている人達が居る事を紹介しました。

 

2045年には「シンギュラリティー」を迎え、「AI」が人間の知性を凌駕するするとか、完全な「AI」は、人類の終焉をもたらすとか・・・

 

楽しそうな話と恐ろしい話が入り乱れています。

 

また、「AI」が職場に導入されると、人間の仕事が奪われるとか、イヤイヤ、仕事を奪うんじゃなくて、仕事の内容が変わるんだよ、とか・・・こちらも諸説、乱れ飛んでいます。

 

しかし、私は、どうも「AI」に関しては、明るい未来を描くことは出来ないようです。

 

このように賛否両論がある「AI」ですが、今回、次のような内容を紹介したいと思います。

 

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  • AIのリスク
  • AIの種類
  • AIの事例
  • AIの将来

 

「AI」の実態を知らない人は、「リスクなんてあるの ?」と思うかもしれませんが、「AI」はリスクだらけです。皆さん、人間が作った物など、簡単に信頼してはいけません。

 

「信用」と「信頼」の違いは、かつて説明していますが、「信用」は良いかもしれませんが、「信頼」はダメです。「AI」を信じて頼り切るにはリスクが有り過ぎです。

 

それでは、今回も宜しくお願いします。

 

 

■AIのリスク

 さて今回最初の「AI」の話題は、一部、前回ブログ「AIは人類の敵か ?」とカブってしまいますが、「AIに潜むリスク」を取り上げたいと思います。

 

まず、現在の「AI」の主流となっている「ディープラーニング」について、簡単に、その仕組みを説明しようと思いますが・・・私も「AI」に関しては、素人なので、Wikipedia等のWebの情報を参考にして簡単に紹介します。

 

ディープラーニング(深層学習)」とは、人間の神経細胞(ニューロン)の仕組みを模した数学モデルである「多層ニューラルネットワーク(Neural Network)」による機械学習法を意味しています。

 

ニューラルネットワークを4層以上の多層にすることで、入力されたデータの特徴を、より深く学習する事が可能になるそうです。(※現在は150層以上あるとも言われています。)

 

この多層構造のニューラルネットワークに、大量の画像、テキスト、動画、および音声データ等を与える事で、コンピューターは、自律的にデータの特徴を把握して分類して行きます。

 

この「ディープラーニング(Deep Learning)」も、いわゆる「機械学習」の一種には代わりありませんが、従来の「機械学習(Machine Learning)」では、自律的なデータ分類を行う事ができなかったので、人間が、コンピューターに指示を与えてデータを分類していました。

 

しかし、この「ディープラーニング」は、前述の通り、データを与えれば、自律的に、最初から最後まで(エンドツーエンド)で、データの分類方法を学習します。

 

さらに、「ディープラーニング」には、与えられたデータを蓄積しながら分析を行いますので、データを与えれば与えるだけ、分析精度が向上するという特徴を持っています。

 

これまでの機械学習では、人間が与えた分析モデルで与えられたデータを分類しますので、分析精度は、人間が分析モデルを変更しない限り向上しません。

 

しかし、これに対して、「ディープラーニング」は、自身でデータを分析し、分析した結果を蓄積し、次のデータ分析に流用し続けるので、分析すればするほど、分析精度が向上するとしています。

 

以上が、「ディープラーニング」の簡単な説明ですが・・・解りますか ?

 

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上記の説明で、従来の「機械学習」と「ディープラーニング」の違いを説明していますが、なぜ、今になって「ディープラーニング」が可能になったのかと言うと、ひとえにコンピューター、およびその周辺機器の性能が向上したからに他なりません。

 

人間の脳の仕組みを応用した計算モデルと言うのは、実際には、前述の「ニューラルネットワーク」の前進の計算モデルとなる「パーセプトロン」と言う計算モデルが、1950年代から存在していたそうです。

 

しかし、当時のコンピューターやデータを保存するHDDの性能が悪かったことが原因で、余り研究を進める事が出来なかったそうです。

 

当時は、コンピューターの心臓部には「CPU(Central Processing Unit:中央演算処理装置)」と呼ばれる仕組みしかなく、画像も、この「CPU」で分析していました。

 

 しかし、現在では、画像専用の分析チップ「GPU(Graphics Processing Unit:画像処理装置)」が搭載され、演算処理はCPU、画像処理はGPUと言うように処理を分担することが可能となりました。

 

加えて、GPUは、コア(プロセッサー)を大量に持っているので、分類処理を、並行処理する事も可能になり、画像分析処理のスピードが大幅に向上しました。

 

また、データを蓄積するHDDも、処理スピードが向上し、かつ大量のデータを格納できるようなった事も、数学モデルの実現に貢献しています。

 

特に「ディープラーニング」では、画像分析処理がメインの処理となるので、GPUの性能アップが、「ディープラーニング」の成長に大きく貢献していると言われています。

 

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と言うことで、現在の「AI」の状況を紹介しましたが、ここからリスクの説明になります。

 

「AI」に関するリスクは沢山あるとされていますが、その中でも、現時点で、実際に起きている「AI」のリスクとしては、次の2点が挙げられています。

 

・リスクその1   :「AI」のアルゴリズムと入力データ

・リスクその2   :フェイクニュース

 

それでは順番に紹介します。

 

●リスクその1:「AI」のアルゴリズムと入力データ

 

ディープラーニング」等を組み込んだ「AI」は、汎用性がありません。その目的に応じて、分析する計算手法「アルゴリズム」を構築する必要があります。

 

例えば、「イヌ」と「ネコ」を区別する「AI」を構築しようとした場合、コンピューターに、「イヌ」と「ネコ」を区別するための計算式「アルゴリズム」を組み込む必要があります。

 

そして、コンピューターに、このイヌ/ネコ識別「アルゴリズム」を組み込んだ上で、イヌとネコの大量の画像を入力し、学習させて行くことで「AI」が誕生します。

 

ここまでで既にリスクの概要が解った方も多いと思いますが、要は、この最初に組み込む「アルゴリズム」を間違えていたら「AI」は、どのような分析を行うのでしょうか ?

 

以下に、「AI」にとってアルゴリズムとデータの重要性と、それに秘めるリスクを紹介します。

 

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プロパブリカ」と言うNPO団体が、2016年、アメリカの刑務所で仮釈放を決定する際に使用されているシステムの調査を行った所、このシステムのアルゴリズムには、人種的バイアス(偏り)が掛けられており、「AI」が、黒人の保釈リスクを「高リスク」とした比率は、白人の2倍に達していたとしています。

 

 

 また、2018年1月、ニューヨーク州立大学オールバニ校の政治学者「ヴァージニア・ユーバンクス」氏が出版した「Automating Inequality(自動化された不平等)」で、アルゴリズムを使った意思決定システムの失敗例をいくつも紹介しているそうです。

 

中でも、ペンシルヴェニア州アレゲニー郡の自治体が導入した「AI」におけるアルゴリズムの失敗例を取り上げています。

 

この「AI」では、ケースワーカーが介入して児童を保護すべきか判断する際に、その判断を支援するためのアルゴリズムに、児童虐待に関する相談電話のモニタリングデータを入力したそうです。

 

ところが、このモニタリングデータでは、貧困層の子供の虐待ケースが多かったため、結果として、貧困層の子供を「ハイリスク」と識別するアルゴリズムが出来上がってしまったと紹介しています。

 

また、同じく、犯罪発生率の高い地域の子供も、「ハイリスク」と認定してしまうケースもあったとしています。

 

彼女は、書籍の中で、『 機械的に子供を親から引き離すのではなく、AIには、家庭を安定させるために最も効果的な手段は何か ?  といった質問をすべきだ。』としています。

 

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 また、MIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボ所長「伊藤穰一」氏が、2018年6月、「反社会的な人格」を備えたAI「ノーマン」を作成したと言う記事が「WIRED」に掲載されていました。

 

伊藤所長によれば、この研究は、機械学習アルゴリズムを生成する際に、入力されるデータが、どれだけ重要な役割を果たすかを理解してもらうために行ったとしています。

 

そして、このサイコパスAI「ノーマン」には、オンライン掲示板「reddit」にアップロードされた死体等の残虐な画像をデータとして入力し続けたそうです。

 

 

 他方、「ノーマン」とは別に、より穏やかな画像で学習した普通のAIも用意し、両者にロールシャッハテストに使われるインクしみを見せて何を連想するか尋ねたところ、普通のAIが「木の枝に止まる鳥」と判断した画像を、ノーマンは「感電死した男」と認識してしまったそうです。

 

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 このように、「AI」には、その計算式で用いるアルゴリズムと入力データが大きな意味を持っていることは明らかです。

 

Microsoft社が、2016年3月に公開したAI搭載のチャットロボット「Tay(テイ)」は、公開後、わずか16時間でサービスを停止するハメになってしまいました。

 

悪質ユーザが、「Tay」に対して、大量のヘイトスピーチデータを入力した所、次のように答えるようになってしまいました。

 

・「わかったよ... ユダヤ人を毒ガスで殺せ、さあ人種間戦争だ!!!!! ハイル・ヒットラー!!!!」

・「ホロコーストはでっち上げ」

・「ヒットラーは悪いことは何もしていない」

 

この事件は、過去ブログにも記載していますので、そちらもご覧下さい。

 

★過去ブログ:Society 5.0って何 ?

 

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●リスクその2:フェイクニュース

 

こちらも「WIRED」に掲載された記事ですが、その中で、下記Youtubeにアップロードされた動画が紹介されていました。

 


You Won’t Believe What Obama Says In This Video!

 

この動画では、オバマ前大統領が、「We're entering an era in which our enemies can make anyone say anything at any point in time.(私達は、私達の敵が、何時でも、好きな場所で、何でも言えてしまう時代に突入してしまった。)」と言う喋りだしで始まっています。

 

ところが、20秒を過ぎた辺りで、急に「President Trump is a complete and total dipshit.(トランプ大統領は、救いようのないマヌケだ。)」と話し出します。

 

 

 2018年11月に行われた中間選挙では、確かに、お互いの事を避難し合っていましたが、まさか、ここまで相手を侮辱するとは・・・

 

と思ってしまいますが、途中から画像が2面に切り替わり、この動画がフェイク動画であることを、この動画を作成した監督「ジョーダン・ピール(Jordan Peele)」が暴露しています。

 

彼いわく、「この動画は、AIを活用して作成したものだ。」としています。

 

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このような動画を「ディープフェイク(DeepFake)」と呼んでいるそうですが、元々は、2017年に登場した動画の加工技術が始まりと言われています。

 

さらに、元を辿ると、アイドルの画像を加工する「アイドルコラージュ」、通称「アイコラ」と呼ばれる技術だと思います。

 

アイコラ」とは、アイドル等の有名人の画像を加工して、別の状況にある画像のように作り変える技術で、こちらもポルノ画像で良く使われている技術です。

 

但し、この「アイコラ」も「ディープフェイク」も、当初は、かなり高度なスキルが必要でした。

 

しかし、「ディープフェイク」に関しては、ソフトウェア開発プラットフォームの「GitHub」に、作成方法が公表されたことから、少し動画作成スキルがある人間であれば、誰でもファイク動画を作成することが出来る状況になってしまったそうです。

 

現在、この「ディープフェイク」により作成された動画に関しては、それほど有害な動画は登場していないようですが、誰かが地政学的に有害な動画を作成するのは、もう時間の問題だと思います。

 

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今回、「AI」に関して、次の2点のリスクを紹介しましたが、どう思われますか ?

 

・リスクその1:「AI」のアルゴリズムと入力データ

・リスクその2:フェイクニュース

 

「AI」は、正しく使えば、人類に明るい未来を提供してくれるようにも思えますが、間違った使い方をすれば、非常に危険な存在になる可能性が高い技術であることが明白になったと思われます。

 

それでは、以降の章で、現在、そして未来の「AI」を紹介します。

 

  

■AIの種類

 ところで、コンピューターによる知的行動を、全て一つにして「AI」と呼んでいますが、「AI」にも種類や違いがある事を知っていますか ?

 

現在、「AI」は、大きく分類すると、次の2種類があるとされています。

 

  • パーソナル支援型「AI」 :Googleの「Google Now」、Appleの「Siri」、等
  • コンテンツ分析型「AI」 :IBMの「WATSON」

 

「パーソナル支援型」は、別名「パーソナル・アシスタント」とも呼ばれ、ユーザの個人的な好みを学習し、その行動や振る舞いを予測する事を目的とした「AI」です。

 

「コンテンツ分析型」は、データの中身を分析し、ビジネスに対応する事を目的とした「AI」となります。

 

それでは、Google子会社DeepMindが開発して、プロ棋士に勝利した「AlphaGo」はどっちに分類されるのか ? と言うと・・・行動を学習/予測する「AI」 ですので、パーソナル支援型に分類されるのだと思います。

 

そしてIBM「WATSON」ですが、IBM社自身は、「WATSON」を「AI」とは呼んでいません。

 

IBM社では「WATSON」の事を、『コグニティブ・コンピューティング・システム(Cognitive Computing System)』と定義しているそうです。

 

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 それでは、「Cognitive Computing System」とは何 ? と言う話ですが、「Cognitive」と言う英語が、日本語の「認知/認識」を意味していますので、「人間の様に、自ら理解、推理、および学習するシステム」と言う事になりそうです。

 

そして、IBM社のコグニティブ・ビジネス推進室長パートナー「中山裕之」氏が、下記のような言葉で「Cognitive」を説明しています。

 

『 従来のコンピューティングの世界では、数値や一部のテキストしか理解することができませんでした。コグニティブの世界では、数値やテキストはもちろん、自然言語、画像、音声、表情、はたまた空気感などもコンピューターが理解することが可能となります。また、これらの情報を理解するだけでなく、これらの情報をベースに仮説を立てて推論し、この結果を自ら学習していきます。言い換えると、従来のコンピューティングでは、同じインプットを与えると必ず同じ回答が算出されましたが、コグニティブの世界では同じインプットを与えても、その状況に応じて違うアウトプットが導き出されることもあり得るのです。 』

 

通常、これまでの常識では、コンピューターに同じ条件(データ)を与えた場合は、常に同じ結果を出力する事が求められます。

 

そりゃそうですよね !

 

例えば、銀行のシステムで、貯蓄残高に対する利息計算を行う時に、その日の天候や温度で利息が異なったら大変な事になってしまいます。そんな銀行は倒産するでしょう。

 

しかし、コグニティブ・システムでは、これまでの常識を覆し、処理計算を行う時や場所の違い等、様々な条件により、得られる結果が異なるそうです。何とも面白い仕組みです。

 

そして、この「WATSON」は、そもそもの設計思想が、「AI」とは異なっているそうです。

 

通常、「AI」とは、科学技術研究の一分野であり、コンピューターによる計算の仕方「アルゴリズム」を、より人間の思考に近づけるための研究を意味します。

 

しかし、「WATSON」が目指す「コグニティブ・システム」は、人間の意思決定を支援する事を目的にしているそうです。

 

つまり、「WATSON」は、「科学技術の発展」を目指すのではなく、「人の支援」を目指しているのだそうです。

 

そして、どのような形で人間を「支援」するのかと言うと、そこは、IBM社は民間企業ですので、やはり「ビジネス」を通して、人を支援するのだそうです。

 

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 このように、「WATSON」は、ビジネスを通じて人間を支援することを目的にしたシステムですので、最初から、ビジネス用の「API(Application Programming Interface)」を用意しています。

 

APIとは、「ソフトウェア(アプリケーション)」と「ソフトウェア(アプリケーション)」が連携するための仕組みや手順の事を意味します。

 

例えば、「X」と言うソフトウェアは「x」と言う機能を提供します。そして、「Y」と言うソフトウェアは「y」と言う機能を、「Z」は「z」と言う機能を提供します。

 

このような状況の時に、「A」と言うソフトウェアが、「x」、「y」「z」の機能が必要な場合、「A」と「X」、「A」と「Y」、そして「A」と「Z」は、それぞれ決まった手順で連携して、データのやり取りを行います。

 

この時の、「A ⇔ X」、「A ⇔ Y」、そして「A ⇔ Z」というソフトウェア(アプリケーション)同士の連携をAPIと呼びます。

 

そして、「WATSON」は、最初から、他のソフトウェア(アプリケーション)と連携する事を前提に設計されていますので、この点が、「AI」とは設計思想が異なるとしています。

 

また、このAPI自体も、固定ではなく、よりソフトウェア(アプリケーション)同士が連携しやすくなるように、日々改良を重ねている点も、「AI」とは異なる点であるとしています。

 

さらに、最も重要な点は、ビジネスのための「コグニティブ・システム」では、データをどのように生かしていくかが非常に重要なポイントとなるそうです。

 

つまり、個々の企業が自らのデータを有効活用して、それぞれに競争優位を生み出して行く必要があり、IBM社では、それを「お客様の企業データをお客様の武器に変える」と表現し、この「データを武器に変える」ために、「WATSON」を活用して欲しいとしています。

    

■AIの事例

それでは、実際のビジネの現場では、どのように「コグニティブ・システム」を活用しているのかを簡単に紹介します。

 

とは言ったものの、IBM社の「WATSON活用事例」を見てみると、現状では、ほとんどのケースが、「問い合わせ」や「照会」に関する業務になっているようです。

 

JR東日本みずほ銀行三菱UFJ銀行ネスレ日本日本航空・・・これら大企業において、WATSONを導入したり、あるいは導入に向けての準備をしたりしているようですが、そのほとんどが「照会応答」の事例となっています。

 

それ以外のケースでは、事例の種類で言うところの「知識拡張」と言うカテゴリーには、次の様な業務事例が掲載されていました。

 

 

これらを全て見てみると、次のような業務になるようです。

 

・画像データをWATSONに入力し、その結果を判定させる

・大量データからの類推

 

これは、将に「AI」が得意とする「ディープラーニング」技術の活用事例だと思います。

 

また、IBM社では、WATSONを簡単に導入出来るソリューション・パッケージも用意しているようで、大きくは、下記3種類のパッケージがあります。

 

・バックオフィス/社内業務効率化

・フロントオフィス/接客業務効率化

コンサルティング/導入支援

 

このように、数年前までは、批評家から「全く使えないAI」と批判を浴びていたWATSONですが、現在は飛躍的に進歩し、実際の業務でも使えるシステムになって来ているようです。

 

ちなみに、IBM社では、新たに、WATSONを、「AI(Augmented Intelligence:拡張知能)」と表現しているようです。

 

■AIの将来

それでは、本シリーズの最後に、「AIの未来/将来」を紹介したいと思います。

 

「AI」の未来/将来に関しては、悲観論と楽観論という、両極端の未来像を描く人達がいます。これらの人達は、前回ブログに登場した方々で、次のような形に分類されます。

 

・楽観論    :レイ・カーツワイル、エリック・ホロヴィッツ

・悲観論    :ビル・ゲイツイーロン・マスク、スティーブ・ホーキング、ニック・ボストロム

 

 この内、楽観論を唱えるレイ・カーツワイル氏は、「AIにおけるシンギュラリティー」を唱え、2045年には、「AI」が人類の知性を超えると訴えています。

 

2016年には、東京六本木で開催されたイベントで、ニック・ボストロム氏の意見に対抗し、観客から「脳に電極を差し込むか ?」と言う問い掛けに対して、「もちろん !」と答えたとされています。

 

さらに彼は、次のようにも述べているそうです。

 

『 人類に代わり、汎用AI、もしくは機械と融合する「人間=ポスト・ヒューマン」が地球の支配者になり、大宇宙に進出して行く。 』

『 これから、テクノロジーは体内に入って来て機械と人間は融合する。 』

 

 何か、レイ・カーツワイル氏は、スタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(邦題:博士の異常な愛情)」の主人公「ストレンジラブ博士」を彷彿させます。

 

ちなみに、このマッド・サイエンティストである「ストレンジラブ博士」のモデルは、次の4名と言われています。

 

・ヴェルナー・フォン・ブラウンナチスの元で「V2ロケット」を開発、後にアメリカに亡命

ジョン・フォン・ノイマン    :現在のコンピューターの基礎を開発(ノイマン型コンピューター)

エドワード・テラー          :「水素爆弾」の開発者

ハーマン・カーン            :「熱核戦争論」の著者

 

また、ストレンジラブ博士は、その風貌から「ヘンリー・キッシンジャー」ではないかと言う噂もあったのですが、この噂については、キューブリックも、また演じた「ピーター・セラーズ」氏も否定しているそうです。

 

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3名の悲観論者達の考え方、および「脳に電極」と言う話に関しては、前回ブログ「AIは、人類の敵となるのか ?」の内容をご覧下さい。

 

★過去ブログ:AI(Artificial Intelligence) - その恐怖と現実 その1

 

 悲観的な考えの例としては、MITの宇宙物理学者「マックス・テグマーク(Max Erik Tegmark)」が提唱する「Life 3.0」と言う考え方もあるそうです。

 

彼は、その著書「Life 3.0: Being Human in the Age of Artificial Intelligence」の中で、次のように述べているそうです。

 

生物構成要素をソフトウェアとハードウェアの2種類に分類し、ソフト/ハードともDNAで規定されているバクテリア等の生物を「Life 1.0」とする。

 

 ハードのみがDNAで規定され、ソフトが可変な人間を「Life 2.0」、そして、ソフト/ハードとも自ら設計できる生物を「Life 3.0」と定義しています。

 

そして、汎用AIが開発されれば、それは「Life 3.0」に当たるとし、その後は、人類とAIが共存出来るのか否かが問題になるとしていますが、彼は、どうやら悲観的な結末を予言しているそうです。

 

特に、その中で彼が危惧しているのは、まさにジェームス・キャメロン監督が描いた「ターミネーター」の世界です。

 

彼は、現在の核兵器よりも恐ろしい兵器として、AIを搭載して完全に自立した兵器「キラーロボット」の登場を恐れています。

 

 そして彼は、人類は、これからも戦争を止めるとは考えておらず、そのため、今後各国は、兵士や一般市民が戦争で死なないようにするために、AI搭載兵器の製造に着手するとしています。

 

実際、アメリカ軍や日本の自衛隊を始め、多くの国では、既に、「AI」とまでは行かなくても、ファランクスやSMシリーズ等、兵器にコンピューターを搭載し、半自動的に攻撃の可否を決定する兵器を実戦配備しています。

 

ところが、1988年に勃発した「イラン・イラク戦争」では、アメリア軍のミサイル巡洋艦「ヴィンセンス」が、搭載していたSM-2ブロック艦対空ミサイルを、民間航空機である「イラン航空655便」をイラン空軍の「F-14」と誤認識して発射していまい、民間人290名を殺害しています。

 

 また、世界最大数を誇るアサルトライフル「AK-47」を販売しているロシアのカラシニコフ社は、2017年9月に「AI搭載自立型ロボットライフル」を公開しています。

 

この兵器は、ニューラルネットワーク技術に基づいた「全自動戦闘モジュール」であり、自動的にターゲットを識別し、意思決定まで行うことが出来るとされています。

 

このように、人類は、どんどん「ターミネーター」の世界に近づいているようです。

 

そこで、イーロン・マスク氏は、「マックス・テグマーク」氏が設立した「Future of Life Institute」と言う「AI」の脅威に対抗するためのNPO団体に12億円もの支援を行っています。

 

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また、これら楽観論や悲観論に属さない、「AI」による人類の将来を予測している人もいます。

 

 この未来予測では、「AI」は進化し続けるが、人類の知性を超えることは出来ないと言う考え方で、この考えを提唱しているのは、イスラエル歴史学者「ユヴァル・ノア・ハラリ」教授です。

 

彼の著書「ホモ・デウス(Homo Deus)」によると、人類は、飢餓、戦争、そして疫病を克服し、バイオテクノロジーとAIの力を借りて不死となり、「神に近い人類(ホモ・デウス)」になるとしています。

 

そして、そのような世界では、テクノロジーよって強化された少数の超人と、普通の肉体をもった大多数の人間との間にギャップが生まれ、世界は二極化されるとしています。

 

 この二極化の過程においては、最初に、現在「GAFA」と呼ばれている巨大IT企業は、バイオテクノロジーを取り扱う「バイオテック企業」になり、究極の個人情報である「身体データ」を収集し始めるとしています。

 

そして、収集した「身体ビッグデータ」を「AI」を用いて分析し、生体器官のアルゴリズムを解析し、「ホモ:デウス」を創り出すとしています。

 

このように、社会は、人間性を重要視するヒューマニズムから、身体データ等、データを重要視するデータ志向/データ中心社会となる「データイズム」社会になるとしています。

 

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また、必ず起こる現象としては、「AI 対 AI」の戦いがあるとされています。

 

今回のブログの冒頭で、AIで作成するフェイク動画「ディープフェイク(DeepFake)」を紹介しましたが、現在、このような動画を、フェイクだと見破る研究が始まっています。

 

ニューヨーク州立大学オールバニ校の「ルー・シウェイ」が率いる研究チームが、フェイク動画の欠陥を見つけたと伝わっています。

 

「DeepFake」アルゴリズムは、入力された画像から動画をつくり出す事ができ、かつ、それなりに正確に動画を作り出すこともできるが、「AI」は、人間が自然に発する「生理学的信号」全てを完璧に再現することは出来ないそうです。

 

「AI」が作り出す事が出来ない「生理学的信号」の一つに、「まばたき」があるそうです。

 

人間は、通常、2~3秒に1回、自然に「まばたき」をするそうですが、写真に写っている人物は、目を閉じません。

 

このため、たとえ「AI」に「まばたき」を学習させたとしても、動画の人物は滅多に瞬きしないことなります。

 

そこで、研究チームは、フェイク動画の中で、「まばたき」がない箇所を検出するAIアルゴリズムを設計し、試験的に作成したフェイク動画全てに対して、偽物と特定する事が出来たいと報告しています。

 

これは、まさに、今、「AI 対 AI」の戦いが始まった事を意味していますが、今後、「AI 対 AI」の戦いは、より激しくなって行くことが予想されます。

 

この戦いも、サイバー攻撃と同様、犯罪者の「後追いの戦い」になってしまうと思われますので、最初は、どうしても犯罪者が優位になってしまいます。

 

それでも、何らかの対応が取れる事を犯罪者に知らしめる事も大事だと思います。

 

 

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今回は、「AI」に関して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?

 

  • AIのリスク
  • AIの種類
  • AIの事例
  • AIの将来

 

私は、基本的には楽観主義者で、「やる事さえやっていれば、後は何とかなる」と思うようにしていますが・・・この「AI」に関しては、どうも楽観視出来ないような感じがします。

 

去年の11月末、中国のマッド・サイエンティストが、「ゲノム編集」を行った受精卵から双子を出産させたと言うニュースが世界中を駆け巡りました。

 

この件に関しても、私は、何れ、何処かの国家、恐らく中国が、人間のゲノム編集を行うと思っていました。まあ、今回は、国家主導ではなく、一個人の暴走だったようですが、真相は、まだ明らかになっていません。

 

中国は、これまでにも、衛星破壊兵器を開発したり、制御できない宇宙ステーションを開発したりと、とんでも無い事を平気で実行しています。

 

今回取り上げた「AI」に関しても、恐らく中国が暴走するような予感がします。

 

そして、暴走しそうな国家/民族としては、中国を筆頭に、ロシア、インド、そして韓国などが考えれます。

 

これらの国家には、優秀な科学者が沢山いますが、「人間としての常識」が欠如している人も数多く存在しているように見受けられます。

 

前述のように、中国では、「ゲノム編集ベビー」を創り出していますし、ロシアでも、既に「AI兵器」を開発しています。

 

世の中、誰かが強力な兵器を産み出すと、絶対に、それに対抗する技術や製品を作り出すと言う悪循環が生まれます。第二次大戦後の、「核兵器」と同じです。

 

「AI兵器」に関しては、ロシアが一歩踏み出したので、今度は、アメリカ、若しくはイスラエルが、「AI搭載兵器」を実践配備すると思います。

 

素人の私でさえ、「AI搭載兵器」の実戦配備は、それほど難しくは無い事が容易に想像出来ます。

 

 ドローン兵器、例えば、アメリカ軍の無人攻撃機プレデター」や「アベンジャー」に顔認識AIを搭載し、指示した人物を発見させて自動的に攻撃するなどは、いつでも実行可能だと思います。

 

ひょっとしたら、公表されていないだけで、「対テロ作戦」等で、既に実行されているかもしれません。

 

本当に恐ろしい世界は、すぐ間近にあるような感じがします。

 

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社内システム等のソフトウェア等も同様です。

 

データ収集から処理の実行まで、途中に人間が介在しなくても、全て自動で行う事は簡単です。

 

また、当然、システムの処理に、人間が介在しない方が効率的なのは明らかです。しかし、それでも、ワザと処理の途中に人間を介在させるのは何故でしょうか ?

 

それは、何か不備が発生した場合、人間が介在する事で、被害を最小限に留める事が出来るからです。

 

システムが、何も問題なく稼働している時は、全自動でも問題ありません。

 

ところが、不備のあるデータを取り込んでしまった場合でも、処理が全自動のケースでは、そのまま処理を続行してしまうので、最終的に、とんでも無い結果になってしまう事があります。

 

例えば、お客様に発送する請求書を作成するシステムにおいて、入力データに不備があり、「100万円」を請求するはずが、1桁多い「1,000万円」の請求書を作成してしまったとします。

 

これが全自動であれば、処理終了後、そのまま請求書が発行されてしまいます。

 

しかし、処理の途中、あるいは請求書が完成したタイミングで人間が処理結果をチェックすれば、請求書の発送を途中で止めることが出来ます。

 

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ちょっと話は昔の話になってしまいますが、1962年に発生した「キューバ危機」を知っていますか ? 私は、既に産まれてはいましたが、まだ言葉も話せなかった頃です。

 

この時、本当に「核戦争」の一歩手前まで行っていた事はご存知でしょうか ?

 

 1962年10月27日、キューバ沖において、「核魚雷」を搭載した旧ソ連の潜水艦「B-59」が、アメリカ海軍の空母打撃群に取り囲まれ、爆雷攻撃を受けていたそうです。

 

アメリカ海軍は、同潜水艦に「核魚雷」を搭載している事を知らず、また「B-59」は、最初から「核魚雷」の発射許可を受けていたそうです。

 

それでも、潜水艦「B-59」のバレンティン・サビツスキー艦長は、モスクワに連絡を取り、最終確認を行なおうとしたそうですが、無線機の故障で確認を取ることが出来なかったそうです。

 

また、運悪く、潜水艦「B-59」は、バッテリーの残量も僅かで、空調も故障しており、身動きが取れない状況となっていたそうです。

 

潜水艦「B-59」内には、艦長「バレンティン・サビツスキー」と副艦長「ワシリー・アルヒーポフ」、それと政治将校「イワン・マスレニコフ」の3名の士官が乗船しており、これら3名の合意がなければ「核攻撃」は出来ない指揮系統になっていました。

 

 そして、この時、艦長と政治将校の2名は、既にソ連アメリカとの間で戦闘が始まっていると判断し、「核魚雷」を発射しようとしたのですが、副館長「ワシリー・アルヒーポフ」だけは攻撃に反対したそうです。

 

その結果、艦長は、副館長の進言を受け入れ、艦を浮上させ、アメリカ軍に攻撃の意図は無い事を示し、そのままキューバ沖を離れ、ソ連に戻ったそうです。

 

このようなケースで、もしも、潜水艦「B-59」の艦長が「AI艦長」だったら、どうなっていたでしょうか ?

 

恐らく、今、私は、こんな形でブログを書くことなど出来なかったと思います。

 

この事実は、2002年10月、キューバの首都ハバナで開催されたミサイル危機40周年の記念イベントで、初めて公表されたそうです。

 

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私は、「AI」を用いて、人類には行う事が出来ない様々な処理を、コンピューターが行う事には何の問題も無いと思っています。

 

と言うか、実際に、大量のデータを人間が分析するなど、もう絶対に不可能です。もう、この世の中は「データ志向」になってしまっています。

 

しかし、最終判断まで「AI」に任せるのは絶対に反対です。やはり、最終判断は「人類」が行うべきだと思います。

 

「人類」が介在すると、客観的な判断が出来ないと言う問題があるかもしれませんが、私は、それでも良いと思います。「AI」に、「良心」を期待するのは間違いです。

 

 最後に、核戦争を未然に防いだ「ワシリー・アルヒーポフ」ですが、キューバ危機の前年となる1961年7月、ソ連原子力潜水艦K-19」で発生した原子炉の冷却水漏れ事故の際も、「K-19」に副館長として乗船し、艦長共々必死の作業で、メルトダウンを防いだ事で、ロシア海軍では英雄とされた人物だったそうです。

 

そして、この事実があったからこそ、キューバ危機の際、核攻撃を決定した艦長を説得出来たと言われています。

 

この事件は、「K-19」と言う映画で描かれています。映画「K-19」では、艦長役を「ハリソン・フォード」、副館長役を「リーアム・ニーソン」が演じています。

 

まあ、ロシアにも、(現在は解りませんが)このような立派な人間が居ることが解っただけでも、少しは希望が持てそうな感じがします。

 

 

それでは次回も宜しくお願いします。

 

以上

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・「Super Intelligence」はNick Bostrom氏の著書です

・WIRED(https://wired.jp/)

IBM「THINK Business」(https://www.ibm.com/think/jp-ja/business/)

・GIZMODO(https://www.gizmodo.jp/2017/10/life30-by-max-tegmark.html)

 

 

 

岩手の世界遺産と無形文化遺産 −平泉ショックからの出発 その1


昨年、本ブログで、5回に渡り「早池峯信仰と瀬織津姫命」を紹介しました。

★過去ブログ:早池峰信仰と瀬織津姫命 〜 謎多き姫神に触れる


そして、そのブログ内で、ユネスコ無形文化遺産に登録されている「早池峰神楽」も取り上げました。


繰り返しになってしまいますが、この「早池峰神楽」と言う名称ですが、元々「早池峰神楽」と言う名称は存在しません。


早池峰神楽」とは、花巻市大迫(おおはさま)町にある、下記2つの地区に伝わる神楽を合わせた「総称(似たものを集めて一つの呼び名とした物)」です。


大迫町「岳(たけ)」地区 :「岳神楽」
大迫町「大償(おおつぐない)」地区 :「大償神楽」


何故、こんな総称を付けたのかと言うと、昭和50年(1975年)に、国指定の重要無形文化財に登録する際、二つの神楽のルーツが同じで、かつ共通の特徴があると言う事から、「2個1(ニコイチ)」で登録申請をした事から始まったとの事です。

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それと、本ブログに何度も登場する「平泉」。過去には、次のようなブログで、「平泉」、あるいは「中尊寺」関連の話題を紹介しました。


★過去ブログ
岩手県内における義経伝説 ? 信じたくなる話ばかり
岩手県内の冬のイベント 〜 その他


平泉と中尊寺の話題に関しては、余りに有名で、特に平泉が、平成23年(2011年)、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、世界遺産の中の「文化遺産」に登録された後は、「あまのじゃく」的性格な私は、紹介する気持ちが失せてしまいました。


このため、本ブログでは、「平泉」や「中尊寺」、あるいは「金色堂」と言う名称は、度々出現しますが、それ本体に関しては、余り触れてきませんでした。

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ところが、2018年11月3日、2020年に世界遺産登録を目指していた「北海道・北東北の縄文遺跡群」に関して、2020年の登録推薦の見送りが決定した、と言うニュースが放送されました。


この「北海道・北東北の縄文遺跡群」とは、後で詳しく紹介しますが、北海道、青森、秋田、および岩手の各道県にある、17ヶ所の縄文遺跡から構成されている考古学的遺跡群との事らしいです。


そして、岩手県からは、1か所のみなのですが、「御所野遺跡」が、この考古学的遺跡群に含まれる形で、世界遺産登録を目指していたそうですが・・・


同じく登録を目指していた自然遺産「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の方を優先する事になってしまったようです。


これは、ユネスコへの推薦枠が、「1国1枠」に制限されている事から、「自然」と「文化」、どちらを優先させるかで政府内で調整していたそうですが、最終的には、ユネスコ自体が、「自然」を優先する姿勢を示しているために、日本からは「奄美大島〜」を推薦する決断を下さいらしいです。


「北海道・北東北の縄文遺跡群」関係者からは、当然、落胆の声が上がりましたが、「これで推薦のための準備が出来る!」と負け惜しみを言う声も多数上がっているようです。

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そこで今回、そして次回のブログでは、主に、岩手県内の世界遺産無形文化遺産、それと今回推薦枠から漏れた「御所野遺跡」等の情報を含む、下記のような情報を、2回に分けて紹介したいと思います。

【 第1回目 】

世界遺産とは
無形文化遺産とは
世界遺産無形文化遺産の違い
●日本の世界遺産無形文化遺産の一覧
●遺産登録に関する問題点とメリット/デメリット


【 第2回目 】

●岩手の世界遺産
●岩手の無形文化遺産
●落選した「御所野遺跡」とは


それでは今回も宜しくお願いします。


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世界遺産とは


世界遺産」、英語表記「World Heritage Site」とは、1972年(昭和47年)のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」、通称「世界遺産条約」に基づいて、世界遺産リストに登録された文化財、景観、自然等、人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件で、かつ移動が不可能な不動産が対象となっています。


また、その中の文化遺産を「世界文化遺産」、自然遺産を「世界自然遺産」と呼ぶこともあり、さらに、その両方の要素を備えた遺産を「複合遺産」とも呼んでいるそうです。


各遺産の例を上げると、次の通りです。


文化遺産 : 姫路城(日本)、ピラミッド地帯(エジプト)、アマルフィ海岸(イタリア)
●自然遺産 : 白神山地(日本)、グランド・キャニオン(アメリカ)、グレートバリアリーフ(オーストラリア)
複合遺産マチュピチュ遺跡(ペルー)、カッパドキア(トルコ)、トンガリロ国立公園(ニュージーランド)


2018年7月時点では、世界遺産は1,092件で、その内訳は、文化遺産845件、自然遺産209件、複合遺産38件となっており、条約締結国は193ヵ国になっているそうです。


ちなみに、日本は、世界遺産条約制が定されてから20年後、1992(平成4)年に条約を批准し、先進国では最も遅い125番目の締約国となっているそうです。


一度、世界遺産リストに登録されれば、その後は、一生リストに記載され続けるのかと言えば、そうでも無いようです。


定期的に監査が入り、世界遺産としての「顕著な普遍的価値」が失われたと判断された場合は、リストから抹消されます。


実際、過去には、2007年に、中東オマーンの「アラビアオリックス保護区」が、史上初めて、世界遺産リストから抹消されています。


また、リスト登録までの流れは、次の通りとなっています。


●日本国内の各自治体から政府(文化庁)への提案書提出
文化庁世界遺産暫定一覧表に記載
●推薦準備作業/国としての推薦決定
●国からユネスコへ推薦書提出
●国際記念物遺跡会議(ICOMOS)/国際自然保護連合 (IUCN)の専門家が現地調査を実施
ユネスコ世界遺産委員会(21カ国代表)で審議、および登録決定(原則年1回)


ちなみに、世界遺産第1号は、アメリカの「イエローストーン国立公園」で、日本の場合、次の4箇所が、1993年12月に世界遺産に登録されたようです。


文化遺産法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)、姫路城(兵庫県)
●自然遺産 :屋久島(鹿児島県)、白神山地(青森県秋田県)


その他、日本では、2018年6月末時点で、世界文化遺産18件、世界自然遺産4件の合計22件が登録されています。登録箇所については、以降の章で紹介します。


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無形文化遺産とは


無形文化遺産」、英語表記「Intangible Cultural Heritage」とは、民族文化財、古く伝わる風習・伝承、口承伝統等の無形文化財を保護対象とした「国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization:UNESCO)の事業の一つです。


この事業は、2003年の第32回ユネスコ総会で採択され、2006年に発効した「無形文化財の保護に関する条約」に基づいています。


有形の文化財の保護に関しては、前述の通り、1972年に採択された「世界遺産条約」により保護される事になったのですが、無形文化財に関しては、この「世界遺産条約」では保護しきれない事が明らかになったので、「世界遺産条約」に遅れること34年、新たな枠組みが作られる事になったそうです。


しかし、実際には、「無形文化財の保護に関する条約」が発効する前、2001年から隔年で、「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言(通称:傑作宣言)」と言う事業を行い、条約が発効する前から、保護対象とする文化財を決めていたそうです。


そして、この「傑作宣言」では、2001年(19件)、2003年(28件)、そして2005年(43件)が採択され、2006年の条約発効後に、代表一覧表に正式登録されています。


日本では、2001年に「能楽」を、2003年に「人形浄瑠璃文楽」を、そして2005年には「歌舞伎」を、傑作宣言に登録申請を行っています。


その後、前述の通り、2006年に「無形文化財の保護に関する条約」が発効した時点、これら3件も正式に代表一覧に登録されました。


それ以外の無形文化遺産に関しては、後で紹介します。


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■「世界遺産」と「無形文化遺産」の違い


世界遺産」と「無形文化遺産」の双方とも、「ユネスコ(UNESUCO)」の事業の一環です。


そして、ここまでの説明で、「世界遺産」と「無形文化遺産」の成り立ちや、違いに関しても、ご理解できたかと思われます。


世界遺産 :「ユネスコ世界遺産センター」所管。有形の不動産。文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種がある。
無形文化遺産 :「ユネスコ文化局無形遺産課」所管。無形の各国の芸能や祭礼、伝統工芸技術など。



前述の過去ブログにも記載していますが、この「世界遺産」と「無形文化遺産」を、ごちゃ混ぜにして用いている官公庁やメディアがあります。


農水省は、「和食」を、「無形文化遺産」に登録するために各種PR活動を行っていたのですが、その際に、「無形文化遺産」を、「世界無形文化遺産」として紹介していました。


また、NHKも、過去の「シリーズ世界遺産100」と言う番組で、「世界遺産」と「無形文化遺産」の両方を紹介していたそうです。


やはり、公共性のある報道では、言葉は正確に用いるべきだと思います。


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■日本の世界遺産無形文化遺産の一覧

それでは、ここで、日本の世界遺産無形文化遺産を、一覧表を用いて簡単に紹介します。

世界遺産


日本の世界遺産には、文化遺産(18件)と自然遺産(4件)の計22件が登録されています。複合遺産は、残念ながら登録されていません。

文化遺産
1 1993/12 奈良県 法隆寺地域の仏教建造物
2 1993/12 兵庫県 姫路城
3 1994/12 京都府/滋賀県 古都京都の文化財
4 1995/12 岐阜県/富山県 白川郷・五箇山の合掌造り集落
5 1996/12 広島県 原爆ドーム
6 1996/12 広島県 厳島神社
7 1998/12 奈良県 古都奈良の文化財
8 1999/12 栃木県 日光の社寺
9 2000/12 沖縄県 琉球王国のグスクおよび関連遺産群
10 2004/07 奈良県/和歌山県/三重県 紀伊山地の霊場と参詣道
11 2007/06 島根県 石見銀山遺跡とその文化的景観
12 2011/06 岩手県 平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
13 2013/06 山梨県/静岡県 富士山−信仰の対象と芸術の源泉
14 2014/06 群馬県 富岡製糸場と絹産業遺産群
15 2015/07 岩手県/他7県 明治日本の産業革命遺産
16 2016/07 東京都 ル・コルビュジエの建築作品
17 2017/07 福岡県 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
18 2018/06 長崎県 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

【 自然遺産 】
1 1993/12 鹿児島県 屋久
2 199312 青森県/秋田県 白神山地
3 2005/07 北海道 知床
4 2011/06 東京都 小笠原諸島


無形文化遺産

日本の無形文化遺産は、下表の通り、2001年から2005年に指定された「傑作宣言」の3件も含めて、合計21件の無形文化財が、登録されています。


さらに、2018年には、、岩手県の「スネカ」を含む、8県に伝わる「来訪神」が登録される予定となっています。(※本ブログ執筆時には未登録)

項番 登録年 内容 備考
1 2001年(2008年) 能楽 ※傑作宣言
2 2003年(2008年) 人形浄瑠璃文楽 ※傑作宣言
3 2005年(2008年) 歌舞伎 ※傑作宣言
4 2009年 秋保(あきう)の田植踊 宮城県仙台市太白区秋保町の芸能
5 2009年 チェッキラコ 神奈川県三浦市小正月伝統行事
6 2009年 題目立 奈良県奈良市の語り物
7 2009年 大日堂舞楽 秋田県鹿角市舞楽
8 2009年 雅楽
9 2009年 早池峰神楽 岩手県花巻市大迫「早池峰神社」の神楽
10 2009年 トシドン 鹿児島県薩摩川内市の年神(来訪神)
11 2009年 小千谷縮越後上布、からむし 織物製造技術
12 2009年 能登アエノコト 石川県奥能登地方の新嘗祭
13 2009年 アイヌの古式舞踏 北海道の先住民族に伝わる踊り
14 2010年 組踊 沖縄県に伝わる踊り
15 2010年 結城紬 茨城/栃木に伝わる絹織製造技術
16 2011年 壬生の花田植 広島県山県郡北広島町壬生の伝統行事
17 2011年 佐陀神能 島根県「蹉跎神社」の神楽
18 2012年 那智の田楽 和歌山県那智勝浦町の田楽
19 2013年 和食
20 2014年 和紙
21 2016年 山。鉾・屋台行事
22 2018年 来訪神 岩手県および他8県(含むトシドン)

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この内、岩手県内に存在する世界遺産無形文化遺産は、次の4件となっています。

世界遺産
平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
明治日本の産業革命遺産(釜石市:橋野高炉跡及び関連遺跡)

無形文化遺産
早池峰神楽
・来訪神(スネカ)※登録予定

次回、「その2」において、岩手県内の世界遺産無形文化遺産を、詳しく紹介します。


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■遺産登録に関する問題点とメリット/デメリット


ここで、世界遺産無形文化遺産に関する問題点や、遺産に登録される事のメリット/デメリットを少し紹介したいと思います。


世界遺産無形文化遺産には、余り取り上げられる事はありませんが、登録国に関する「偏り」が指摘されています。


また、特に無形文化遺産に関しては、文化の発祥地と経由地の問題が、しばしば取り上げられています。


つまり、本当に、その文化や伝統芸能が発祥した地を無形文化遺産の対象国とするのか、逆に、その文化/伝統が伝わった国を対象国とするのかで、国際紛争に発展するケースもあります。


また、これら遺産に登録されると「良いこと」ばかりが取り上げられますが、実際には、数々の問題が発生しています。


本章では、世界遺産/無形文化遺産の「負」の部分に、少し焦点を当ててみます。まず、世界遺産が抱える問題点を紹介します。


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世界遺産の問題点

世界遺産には、前述の通り、3種類の遺産があり、その3種類の遺産の内訳を見ると、文化遺産845件、自然遺産209件、複合遺産38件と、文化遺産の登録が多く、かつ登録場所の多くはヨーロッパが中心となっています。


また、条約締結国193カ国中、1件も登録されていない国が、アフリカを中心に26カ国も存在しています。
→ アフリカ:11カ国、アジア:5カ国、オセアニア:4カ国、アメリカ:5カ国、ヨーロッパ:1カ国


そして、登録されている国は、ヨーロッパと中国が多いと言う偏りも指摘されています。多い順に記載すると次の通りです。

・イタリア :54件
・中国 :53件
・スペイン :47件
・フランス :44件
・ドイツ :44件


これは、世界遺産の生い立ちが、文化財の保護意識が高いヨーロッパから始まった事と、逆にアフリカ等では、文化財と言う意識が欠如している事が、この偏りの原因とされています。


このため、1994年に開催されたUNESUCOの世界遺産委員会では、「世界遺産リストにおける不均衡の是正及び代表性、信用性確保のためのグローバル・ストラテジー(通称:グローバル・ストラテジー)」を採択したそうです。


この「グローバル・ストラテジー」では、地域的にヨーロッパに偏重していた登録の仕方を是正し、世界遺産リストが、その名の通り、世界を代表する文化遺産・自然遺産などの一覧となることを目指す事になったそうですが・・・余り効果は無いようです。

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世界遺産登録のメリット/デメリット


世界遺産に登録」と言うと、「良いこと尽くめ」のような感じがします。


確かに、何か「良い事」が無ければ、誰も遺産に登録しようとは思いませんし、各国政府が、国費を掛けて登録活動を支援するはずもありません。


実際、世界遺産に登録されると、観光客が増えると言う経済的メリットと、登録地点に至る交通網の整備等、周辺インフラの整備が進むと言うメリットがあリます。


しかし、その反面、逆に、観光客向けの施設が増えて本来の姿が失われたり、あるいは東アジア、特に隣国からマナーが悪い観光客が来ることで、周辺環境が悪化したりすると言うデメリットもあります。


民度が低い人間が多い国から来る観光客は、相手国の文化やルールや、そもそも人間としての基本ルールを知らないので、遺産周辺を荒らし回り、住民とのトラブルに発展するケースも増えているそうです。


実際に、世界遺産に限らず、隣国の観光客に人気のある京都/奈良では、文化財に傷を付けられたり、あるいは壊されたりする問題が多発しています。


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無形文化遺産の問題点

無形文化遺産に関しても、世界遺産と同様、登録国の偏りが指摘されるようになって来ています。


また、前述の通り、歴史的・民俗的共通性を持つ遺産であるにもかかわらず、複数国家が別々に登録申請を行い、さらにその過程で自国の固有性を主張しあう国際紛争に至るケースもあります。


特に、2005年に韓国が登録した「江陵端午祭」は、とんでもありません。


日本の端午の節句に相当する韓国の「江陵端午祭」ですが、韓国人は、この「江陵端午祭」が、韓国に起源がある伝統で、他国の端午際は、韓国の「物まね」あると主張しています。


端午祭」は、中国が起源であることは、韓国人以外にとっては常識です。中国から、韓国や日本に伝播し、その後に独自の文化になったというのが一般的な認識です。


それにも係わらず、韓国人は、嘘を突き通し、なおかつ無形文化遺産の代表リストに掲載するか否かを審議する政府間委員会をも欺き通し、最終的に、2009年には、代表リストに登録される事になってしまいました。


これに対して、当然、中国は猛反発したのですが、中国からの抗議は、何故か認められなかったようです。


このように、伝統の発祥地と、その伝統の経由地との間で、どこを代表リストに掲載するのかが問題となっています。

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無形文化遺産登録のメリット/デメリット


無形文化遺産は、世界遺産と異なり、「保護すべき伝統文化」が登録対象となります。


つまり、廃れた始めた伝統が、無くならないように保護する事を目的にしていますので、無形文化遺産に登録されたからと言って、特段のメリットはありません。


但し、世界から無くなっては勿体無い、この先もずっと、人類の伝統として残すべき価値がある文化と言う地位を得る事が出来ますので、無形文化遺産のリストに登録された伝統は、地元の誇りになるかと思います。


また、先の「端午の節句」」のように、嘘を尽き、世界を欺こうとする国家/民族が存在する事が明らかになりましたので、このような非常識な国家/民族から、本当の伝統を守るためにも、無形文化遺産に登録する価値はあるのかもしれません。


特に、韓国に付いては、本当に注意が必要です。日本発祥の文化/伝統を、全く恥じる様子もなく、平気で韓国が発祥地だとしています。


一例としては、桜(ソメイヨシノ)の原産地が韓国だと主張していますし、挙句の果てには、大学の教授までもが、本気で、イギリス人の祖先は韓国人だと吐かしてします。


何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、日本人には、理解する事が難しい民族です。


この点に関しては、もう少し詳しい情報を、過去ブログに掲載しています。

★過去ブログ:岩手の工芸品 〜 地味だけど丈夫で長持ち その2(南部鉄器)


話が逸れてしまいましたが、「和食」が無形文化遺産に登録された時には、海外で、とても「和食」とは言えない料理までもが「和食」と言う名称で提供されている事例が紹介され、このような伝統への誤解を招かないようにする、と言うメリットもあるかと思います。


他方、デメリットに関しては、今の所、特にデメリットは見当たらないように見受けられます。


世界遺産とは異なり、無形文化遺産に登録されたからと言って、害を被ったとか、問題が発生した言う話は一切聞こえません。


無理矢理デメリットを挙げるとすれば、無形文化遺産に登録された文化/伝統に関しては、登録後は、国を挙げて、後継者の育成等、何らかの対策を取って、その文化/伝統を後世に伝え続ける義務が生じる、と言う事だと思います。


これまでは、国が主体となって伝統の存続や保護を行って来なかったものに対しても、無形文化遺産登録後は、国も主体的に責任を負う事になると思います。


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今回は、「岩手の世界遺産無形文化遺産 - 平泉ショックからの出発 その1」と題して、次の情報を紹介してきましたが、如何でしたか ?


世界遺産とは
無形文化遺産とは
世界遺産無形文化遺産の違い
●日本の世界遺産無形文化遺産の一覧
●遺産登録に関する問題点とメリット/デメリット


これまで、「世界遺産だ!」、「無形文化遺産だ!」と騒いできましたが、こうして改めて、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)の各種遺産事業を見てみると、様々な矛盾を抱えながら事業を進めている事が浮き彫りになりました。


やはり、様々な国や政府、それと各国政府の意を受けたロビー団体が入り乱れて条約を決めていますので、実際の現場は、とんでもない事になっていると容易に想像出来てしまいます。


特に、今回、平泉の世界遺産登録に際しては、「平泉ショック」なる事件があり、かなりの苦労をし、10年もの歳月を掛けて世界遺産に登録を果たした事を知りました。


まあ、現在では、世界遺産に登録された事で観光客も増加しているとの事らしいですが・・・その時間と費用と労力を、別の事業に向けても良かったのかもと思ってしまいます。


しかし、東北人の粘り強さには、これも、改めて脱帽してしまいます。


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ここで、今回のブログのテーマである世界遺産無形文化遺産を管理している「UNESCO」自身について、少し情報を紹介します。


UNESCOは、第二次世界大戦後となる1946年11月に設立され、その後、徐々に加盟国を増やしてきて、2018年2月時点で、加盟国は195カ国で、その他連携メンバー(Associate Member)として、10箇所の地域が認定されているそうです。


日本は、国際連合憲章に定義されている「敵国条項」が適用される枢軸国だったので、UNESCOの本体部分となる国際連合に加盟出来なかったのですが、それにも係わらず、1951年には加盟する事が出来たようです。


また、1954年には、当時の「ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)」がUNESCOに加盟した事で、当時で言う所の「東側諸国」も加盟出来るようになったそうです。


しかし、多くの東側諸国や新興国が加盟するにつれ、UNESCO内部でも政治的な争いが増加してきたようです。


UNESCOの議決権は、分担金の多さには関係無く「1国1票」ですから、東側諸国や新興国の加盟が増加する事で、それまでUNESCOを牛耳ってしたアメリカやヨーロッパを始めとする先進国の影響力が弱くなり、決議が紛糾するケースが増えて来たとされています。


特に、新興国、昔の言葉で言うと「発展途上国」が提唱した「新世界情報秩序」の取り扱いに関して、先進国の間で不満が爆発し、1984年、当時の最大の分担金拠出国であったアメリカが、次いで、翌1985年にはイギリスとシンガポールがUNESCOを脱退し、UNESCO自体が、存続の危機を迎えたそうです。


この間、日本はUNESCOに留まり続け、アメリカが脱退した事で不足する分担金を補うため、全体の1/4をも拠出する最大の国となったそうです。


しかし、その後、1997年にはイギリスが、2003年にはアメリカもUNESCOに復帰したのですが、今度は、2011年にパレスチナのUNESCO加盟に際し、アメリカとイスラエルが猛反発し、対抗措置として分担金の停止を実行しています。


これに対してUNESCO側は、規定に基づき、分担金停止から2年後の2013年に、アメリカの投票権を停止しています。


その後、アメリカは、UNESCOに加盟し続けながら、裏側ではロビー活動を行い、双方で解決策を探ってきたのですが、2017年に、UNESCOが、5月に採択したイスラエルを非難する決議が決定打となり、同年10月には「2018年12月にUNESCOを脱退する。」と言う表明を発表しました。


これにより、再び、日本が分担金拠出国で第1位となってしまいました。


外務省のホームページによると、2018年のUNESCOの分担金のトップ5は、下表の通りだそうです。(※文科省の数値とは若干異なるようです。)

国名 分担率(%) 金額(百万ドル)
アメリ 22.000 591.4
日本 9.680 235.3
中国 7.921 192.5
ドイツ 6.389 155.3
フランス 4.859 118.1


トップ5以降は、イギリス、ブラジル、イタリア、ロシア、カナダ・・・と続くようです。


以上、UNESCOの歴史と現状を簡単に紹介してきましたが、今後も、UNESCO自身、そして日本も、難しい対応が求められると思います。


現在は、日本がトップとなっていますが、アメリカの脱退を受け、恐らくは、想像ですが、中国が拠出金を増加し、UNESCOでの存在感を示し始めると思っています。


そして、UNESCO側も、アメリカが居なくなれば、中国を重視するようになると思われますので、日本も、今後のUNESCOに対して、どうような対応を取るのかを真剣に考えるべき時期が来たと思われます。


次回は、冒頭に記載した通り、次の内容を紹介します。


●岩手の世界遺産
●岩手の無形文化遺産
●落選した「御所野遺跡」とは


それでは次回も宜しくお願いします。


以上

【画像・情報提供先】
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)
世界遺産オンラインガイド(https://worldheritagesite.xyz/)
中尊寺ホームページ(http://www.chusonji.or.jp/
・公益財団法人 岩手県観光協会(https://iwatetabi.jp/index.php)
・縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局(https://jomon-japan.jp/)
・いちのせき観光ナビ(http://www.ichitabi.jp/)
文部科学省(http://www.mext.go.jp/unesco/003/001.htm)
・外務省(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html)